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子の連れ去り事例の場合は特に離婚訴訟など戦うべきではない3つの根拠と調停と裁判でデメリットを減らす方法 [家事]



最近の離婚事件事情は、ある日夫が仕事から帰ると妻が子どもと身の回りの荷物とともに、家から出て行っていたというところから始まり、行方をくらまして、夫が近づこうとするとストーカー規制法や保護命令などで近づけさせない。そうこうしているうちに離婚調停、婚姻費用分担調停が申し立てられる。一緒に生活もしない相手に毎月負担感の大きい費用を払い、子どもには会えない。さらには離婚調停や訴訟では、相手はありもしない夫の暴力や身に覚えのないモラルハラスメントを主張してくるという感じです。少なくとも夫から見ればそう感じて当然のことが起きています。
こうなれば、誰でも(およそうつ状態になっていない人間であれば)、「それは事実と違う」という反論を行い、理不尽な事態は許さず、真実を明らかにするために戦おうとするでしょう。そして、裁判なのだから間違った事実にもとづいて離婚が命じられることはないだろうと思います。だから、自分を守るため、あるいは不合理な事態を是正するため戦うということが自然体だと思います。
しかし、その常識だと思われる予想に反して、離婚訴訟で戦うことは、大きなデメリットが確実にあるにもかかわらずメリットがあまり期待できないと言わなくてはならないということが実情です。

1 妻の子連れ別居の意思を固めて、子どもと父親の距離が遠くなる。

訴訟ですから、相手方の主張について、事実と違うことは違うと反論することは必要なことです。やってもいない父親の虐待を認めた判決が下ることは子どものためにもなりません。何としても避けなければなりません。当然訴えられた夫は、裁判で自分の主張を堂々と展開することは必要なことです。
ところが、妻の主張で、ありもしない事実の主張やことさら大げさな表現の主張の多くは、妻にとっては嘘をついている自覚はありません。また、そのような真実とは異なる事実は、結婚生活が破綻している根拠、妻が夫を嫌悪して恐怖を感じている根拠として述べられています。だから言われた方の夫は、原因となる事実が真実ではないから、妻の夫に対する嫌悪や恐怖の感情も事実に反するという感覚を持つのは当然です。すると、夫が裁判で、妻の主張は虚偽だ、ねつ造だ、そのような事実がないから妻の感情も嘘っぱちだと主張することは自然な流れになってしまいます。
しかし、ここは前回の記事で述べたところですが、真実と異なる妻は、それは実際に起きたことだという記憶をもっています。だから妻は、夫は裁判になっても「事実を認めない」、「裁判でさえ自分のいうことを否定するのか。」という気持ちになっていくわけです。
 もともと妻が子どもを連れて逃亡する理由は、確かに夫に対する嫌悪感と恐怖感にあります。但しこの原因が主として夫の行動であるということはむしろ少なく、妻の体調変化に伴う漠然とした不安感であることが多いと感じています。この不安感の強さと、夫がこの不安感に気が付かないで妻の奇異に見える言動を批判し続けることによって、「自分が夫から尊重されていない。」、「夫は自分の言動をすべて否定する。」という感覚が生まれて、やがて自分を守らなくてはならないという意識から夫に対する嫌悪感や恐怖感が生まれてくると考えています(このあたりの詳細はこの記事の前の記事で述べています)。そのように自分が否定されているという意識は、漠然とした抽象的なことが多く、その原因をはっきり述べられないために、無理に夫の行為に結び付ける自己暗示のようなことも、真実に反する主張が起きる原因の一つだと思っています。
ところが、それまで抽象的な夫の行動が、裁判における準備書面や陳述書という明確に自分を否定してくる言動として現れるわけです。「やはり夫は自分の言動を否定してくる存在だ」ということが訴訟活動を通じて確信として高められていくということが実情のようです。夫は、裁判で懇切丁寧に客観的事実を説明すれば、妻は自分の間違いに気が付くと思うかもしれません。こういう劇的な話は奇跡が起きるよりも確率は低いようです。
この弊害は、妻が子どもと一緒に生活しているときに大きくなります。面会交流をすることが子どもにとって必要になるのですが、そのためには二人の間で最低限の信頼関係がなければなりません。信頼関係を再構築するどころか、訴訟活動によって、逆に妻の嫌悪感や恐怖感は夫に原因があるのだという確信が強まって行く結果、夫に対する嫌悪、恐怖が増大し、さらには固定するため、子どもを父親に合わせようという気持ちがますます失われていきます。無理に子どもが父親に会うと、子どもに対して裏切り者という扱いをするので、子どもは父親に会いたいとさえ言えなくなってしまいます。やがて、「お父さんに会いたいとは思わない。」と言わざるを得ないという極めて残酷なシチュエーションになります。父親が嫌いだから会いたくないのではなく、母親がかわいそうだから会うのを我慢するということが、正しいようです。もちろん子ども自身が自分の行動の要因を分析することはありませんし、そのような可能性を訪ねる調査官もいないわけです。
そのような妻に対して、夫は、「人間は道理に従うべきだ。」、「子どものために感情を捨てるべきだ。」という前提の素、子どもに会わせない妻を非難するわけです。しかし、どんなに非難しても子どもは父親に会えません。非難するからますますあえなくなるわけです。感情としては夫の感情がよくわかるので、なかなか言いにくいことですが、妻の感情が可変要素ではないとすれば、夫の言動が可変要素だということを考えなければなりません。子どもを父親に会わせなくしているのは妻ですが、妻の気持ちを強化し固定化しているのはご自分かもしれないのです。どちらが正しい、どちらが悪いでは、子どもは父親に会えないということを多くの事件で学びました。
 そのことに気が付いて、夫自身が、子どものために、子どもを自分に合わせるために、妻の言動は大目に見て妻の葛藤を下げようとされる方もまた増えてきました。しかし、裁判で妻側が客観的事実に反した主張を読んでいるとどうしても夫自身の葛藤が高まってしまい、どうしても応戦したくなります。ますます子どもを父親から遠ざける結果になるのです。
 この悪循環を断つ一番の方法は裁判をしないことだと思うのです。

2 裁判は男性に不利にできている 裁判の幻想は捨てよう。メリットが期待しにくい制度。

 女性から離婚を言い出す場合は、裁判所は「極端な破綻主義」をとります。それはつまり、妻が離婚したい強固な意思があり、別居の事実があれば、離婚を認めてしまうという傾向にあるということです。本当は誰が悪いのかということは裁判ではあまり意味のあることではないのです。ところが、夫が子どもを連れて出ていく場合は、「極端な破綻主義」はとらないと手の平を返すことがしばしばあります。私から見れば、裁判は、男と女で結論が異なることがあるとしか見えません。その他判例実務法体系については前回詳細に語りましたので省略します。
 結局、裁判実務からすると、夫は裁判所に過剰な期待をしているということがリアルな話です。ご自分が本当に理不尽なめにあっているということについて、あるいはその理不尽さの程度について正確に把握できていないのです。本当の理不尽さは、子どもの連れ去りで子どもと会えなくなるという理不尽だけではなく、その理不尽を是正する手立てがないということです。夫から見た妻の理不尽な行為が公的機関によって是認されるということが最大の、そして本当の理不尽だと思います。
 裁判は、しょせん、裁判官がどちらかを決めるということです。裁判官という赤の他人に、自分と子どもの運命をゆだねているということになります。夫にとって裁判は人生をかけた、かなり分の悪いギャンブルだと思います。裁判を正々堂々と行うメリットは、通常考えるよりも期待できないと考えた方が良いと思います。
 弁護士についてかなり憂慮するべき事態であることが当事者の話からは聞こえてくることが少なくありません。ノーマルなケースでも夫と弁護士のコミュニケーションがうまくとれていないことがあるようです。それには理由があります。理不尽な目にあっている人間は、他人に対して過度な警戒感を持つものです。信用できない、普通に自分を扱っているのだろうかという心配がどうしても出てきてしまいます。その結果、あまりにしつこく念を押したり、すべてを記録化して提出を求めるとか、細かいことまで口を出したり、些細な失敗にも目くじらを立てる。こういうことは、理不尽な思いをされた方にはよくあることなのです。これは、連れ去りと我が子に会えないという理不尽な思いをしたために起きた変化と考えることもできます。理不尽な目にあった夫はそれを言うことによって何らメリットがなく、デメリットしかないことに気が付きません。これがわからないと、限度を知らないモラルハラスメント夫の典型的な行為だと受け止められることがあります。なかには、こういう性格だから妻が逃げ出したのではないかと誤解を受けることもあるようです。しかし、これは弁護士は決して口に出しませんからわかりません。事件前の性格から変貌しているのかもしれないということに気がつかない弁護士は、もともとこういう細かい性格で、他人を疑い、細かい指図をして、指示通りしないと激高する人なのだろうという感覚を持ってしまいます。「そういう言い方ははやめてくれ」と私のように夫にずけずけ言える弁護士ならば、関係は壊れないのです。しかし、相手に面と向かって言えないということで、ストレスをため込んでいると、信頼関係がなくなっていくこともあるようです。些細な誤字脱字は直してくれるけれど、肝心の相手との関係について何ら意見を言ってくれないようになり、どんどん不利に裁判が進んでしまう。これは本当に注意するべきです。あなたが心配していることは通常訴訟ではデメリットにならないのに、それをいうことで肝心なことを弁護士が言えなくなるというデメリットばかりが現実のものになるケースがあるようです。ご自分が理不尽な思いをしているという自覚があるならば、自分は他人との関係で、性格が変貌しているかもしれないという意識をもつことは、戦略的に必要です。この葛藤が訴訟活動をすることの妨げになっているかもしれないのです。
 高額なお金を出して弁護士を頼んでも、様々な理由から思い通りに裁判が進まないということだってありうることなのです。この意味からも裁判に過度の期待を持ってはいけません。
 また、判決で勝っても、例えば妻の離婚請求が棄却されたとしても、家族の状態に変化は期待できません。判決で離婚が否定されたから、また同居を開始しようという妻はほとんどいません。このことは、裁判を夢中になって戦っているときはあまり意識に上りません。目指すゴールがわからなくなってしまうのが裁判なのかもしれません。
裁判はメリットがやはり期待しにくいという考えの方が実務的かもしれません。

3 事実に反する判決が出たら、関係者全員が長年それに苦しむ。

 裁判をして和解で事件が終了すればまだよいのです。ところが、判決になってしまって、その判決も事実に反して妻側の言い分を認めてこちら側の言い分をくみ取らない判決が問題です。その結果、事実に反して、夫が子どもに虐待を繰り返していたなどという判決になってしまうと大問題です。
 裁判の後、面会交流の調停を申し立てても、妻側はこの判決を鬼の首を取ったように証拠提出してきます。子どもへの虐待は、裁判所からすればその子どもとの面会交流阻害事由になりますから、裁判所は試行面会さえ命じようとしなくなるでしょう。
 何らかの理由で、後に子どもがその判決を見たならば、自分の父親はなんてひどい父親だったのだろうと思うようになるわけです。これは子どもにとって人生観が変わるほどショックなことになる危険があります。虐待の事実が無くても判決に記載がなされれば、子どもにとって事実となってしまうということです。そしてそのような判決は実際によく出ています。
 さらには、裁判で勝ったはずの妻も、これまで漠然と抱いていた不安が、裁判によって肯定されたという意識を持つようです。改めて恐怖感情、嫌悪の感情が強くなり、固定化するということがあるようです。勝訴判決によって攻撃的な喜びはもつでしょうが、安らかな安堵ということが起きないこともあるようです。
 事実に反する公文書が出されることは、特に子どものために何としても避けなければなりません。そのためには裁判をしないこと、特に判決をもらわないことが上策です。

<では調停、裁判はなにをするのか>

この文章が円満に夫婦生活を送っている人たちにとっては、ご自分の生活を振り返るきっかけにしていただけるかもしれません。おそらく、この記事の前回の記事と前々回の記事と併せて読んでいただければ役に立つと思います。私たちは、いつしか、自分の家族を大切にする方法について、具体的な仲間に対する思いやりの示し方について、学ぶ機会が奪われて行っているように感じています。知らないことはその人の責任ではないと思います。多くの当事者、離婚事件の当事者、円満修復の当事者の方々とこれらの記事は作成しているわけで、生きた教材になると思います。

 不幸にして連れ去り別居が起きてしまい、離婚調停や面会交流、面会交流調停が係属している場合は、今から思いやりを具体的に示すというチャンスが残されています。離婚回避ということはなかなか難しいということは言わなくてはならないと思います。しかし、子どもと別居親との比較的自由な交流というのは近年増加しているように感じます。
今日現在で、問題解決のための有効な心構えは以下のようなものです。

自分が不合理な思いをしていることは、自分の行為が主な原因であるとは限らないこと。
しかし、自分の行動の変化によって事態が改善できたはずだし、これからも改善できるということ。

その上で、調停では、
1)まず相手の気持ちをじっくり聞かせてもらうこと。そのためには、自分の言い分も相手の気持ちをじっくり聞かせてもらえば、引っ込める用意があることを示すこと。相手が望む離婚であっても、選択肢に入れるということを調停委員には表明する。
2)聞かせてもらった相手の言い分をいちいち否定しない。肯定できるところを探し出してでも肯定すること。
むしろ、相手の言い分を相手が主張する前からこちら側で主張して上げるくらいの気持ちで臨むべきでしょう。このためには前回の記事が役に立つはずです。そして肯定を前面に出しながらただすところをただしていく。これはだいぶ難しいことですがやるしかありません。可能な限り、無駄な誤解は解消するべきでしょう。
3)こちら側の修正するべき点については、積極的に、相手がそうだそうだというようなことを自ら言っていくことが有効です。離婚回避とまではいかないでしょうが、面会交流など相手が幾分でも自分の主張が認められたと思うと、面会交流などに効果が出てきます。これに対局の主張が、こちらは何も悪くない。妻が虚偽の事実を主張する何らかの思惑があるんだという主張でしょうね。
4)こちらの意見を通す場合、例えば面会交流の実施などの場合、相手の気持ちを軽くする方法論、相手を安心させる方法、夫側の縛りをこちらから提案していく。これは、通常デメリットがなくメリットばかりが期待できるので、少し大げさに恩着せがましく行うくらいでちょうどよいです。
5)離婚しても別居しても家族です。不完全な状態でも家族ですが、家族全体のことを考えられるのは、自分しかいないということを自覚していただくということです。そうして、家族全体、特に子どもの長い人生のためには、いま与えられた条件の中で実現可能な結果を提案していくという観点で、結論を考えるしかないのだと思います。相手の気持ちを無視して理屈だけで結論を出してしまうと、単なる絵に描いた餅になってしまいます。結果を出すということは、調停になってしまえば、大切なことになってしまいます。

 不幸にして調停が不成立となり裁判になった場合
1)現在のプラスの状態を確認し、死守する。
  例えば面会交流が定期的に行われているとか、妻とある程度事務連絡ができるとか、なんらかの交流がある場合は、それを大切にする。妻を安心させるチャンスが残されていることになります。例えば、子どもの写真をもらったりすれば、大げさに感謝をするということが次回につながります。裁判ではいろいろ言うけれど、それは弁護士の個性であって、自分は妻を攻撃するつもりがないことを示すべきでしょう。これらのプラスは、裁判が継続していっているうちに、どんどん薄まっていくことがあります。ここには敏感になるべきでしょう。
  裁判の勝ち負けよりも大切なことかもしれません。
2)多くを期待しすぎて、すべてを失わないということを考える
  また、元のとおりに家族が戻ることが最善ですが、それは裁判という方法では無理なことです。可能性のある最善なことを実現するために、可能性のないことを捨てるという外科的手術をする選択肢を持つことが必要かもしれません。例えば、面会交流は定期的に行われていて、そのときだけは妻も楽しそうにするようになった。それでも離婚を請求してきているということであれば、離婚に応じて面会交流の維持、充実を勝ち取る方が家族全体としてはよいかもしれないという結論がありうると思います。
3)裁判官にできる限り判断をさせない。
  最たるものは判決をかかせないということです。和解で終わるべきです。相手が合意しそうで、かつ、こちら側に最大限有利な和解案を積極的に提案していくということです。
4)相手の言い分の肯定できるところを探してでも肯定して、否定するところはしっかりと否定する。相手のこちらを責める主張も、和解で終わらせるという方針の下では、こちらに有利に進む材料にもなることがあります。この辺りはなかなか難しいテクニックが必要ですが、要は、なぜ相手がこちらを理不尽に排斥するかという検討をすることです。
  その意味では、離婚訴訟と関係の無いところはいくらでも反省を述べていくということなのでしょう。

夫婦関係は共通の要素も多いのですが、それぞれ異なることもたくさんあります。できるだけ有効な方法論をご提示したいのですが、難しい要素も多いというところが正直なところです。少し事例と当事者のご意見が蓄積されてきたので、現段階の到達点についてご報告いたしました。


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