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リアル ツルの恩返し  人情噺筋書き [現代御伽草子]



6月の雨の夜、雅紀は街から漁村にある自宅に帰ろうとしていた。駐車場で車に乗り込もうとしたときに、助手席側の後ろで犬のようなものが動いたような気配がした。危ないなあと思いながら雅紀は助手席側に回った。そこにいたのは、犬ではなく、若い女性だった。下着のような服を着て、靴も履かずに雨に濡れてみじめな姿をしていた。
「危ないからどけてくれる?」
なるべく不機嫌な様子を見せないように女に声をかけた。
女はおびえるような目でこちらを見上げて、駐車場の壁の方へ後ずさりをするようなしぐさを見せた。かなり憔悴したような様子だった。車から離れる様子が無かった。ここは怒らせては逆効果だと思い、努めてのんびり話しかけた。
「何か訳ありなんだね。でもね、そこにいられると車を出しずらいよ。これから家に帰るところなんだ。年取った両親が待っているので、早く帰りたいんだ。ごめんね。」
すると女は、私も乗せていってくださいと小さな声でつぶやいた。
雅紀は、自分の家がここから1時間以上離れた海辺の集落であることを告げた。女は、自分もそっちの方に行こうと思っていると、少し投げやりな様子で話した。
関りになることは面倒だと思ったが、このままここに置いておくと、何か悪いことが起きて女にとって深刻な事態が起きるような気がしてきた。見捨てて立ち去ることで、何か自分が悪いことをするような奇妙な感覚になった。
「勝手に乗り込まれたなら、仕方がないかな。」と雅紀が独り言のように言って運転席に乗り込むと、女は急いで後部座席に乗り込んできた。
「すいません。私お金を持っていません。」
「最初に言ってくれれば御の字だよ。自分ちに帰るのだから、お金をもらおうと思ってはいないよ。」
そんな会話をしながら、雅紀は自宅に向かった。

女は、車が動き出してしばらくすると、寝息を立てて熟睡したようだった。風邪などひかなければ良いけれどと思いながら、こちらには関係ないと思おうともした。

自宅についても女は起きなかった。
仕方がなく、雅紀は両親に事情を説明した。案の定、二人とも眉をひそめて、ため息をついた。とりあえず朝まで寝せておくことにして、タオルケットだけは掛けてやった。
朝になっても起きなかったので、さすがに気持ち悪くなり、両親と雅紀は女を起こすことにした。少し意識が戻ったような気がしたが、すぐには起きなかった。母親が、警察に連絡した方が良いのじゃないか。と父親に尋ねたとき、女は飛び起きた。
「すいません。すっかりお世話になってしまいました。このお礼は必ずしますが、今持ち合わせがないので、しばらく待っていただきたいのですが。」と言って、立ち去ろうとした。
「お金が無ければどこにも行けないだろう。いいから朝ご飯を食べていきなさい。」
そう呼び止めたのは父親だった。女は一瞬ためらったが、深く頭を下げて家の中についてきた。

女は案の定風邪を引いていた。朝ご飯を食べた直後に倒れて三日間眠り続けた。その後、お礼だと言って掃除、洗濯、調理などの家事をするようになった。こうして女は雅紀の家にいつの間にか同居するようになった。女は家の外に出て買い物をするということもなく、家の仕事をしていた。雅紀の母が体を悪くしていたので、雅紀の家でも家事をやってもらうのは都合がよく、そのままずるずる居続ける格好になった。家政婦としての賃金を払おうという話をするが、女はかたくなに断るのだった。
しばらくして、夕食のとき、父親と母親が女に言った。
「どうだろうね。このままうちの嫁にならないか。この辺の若い女たちは、みんな都会に出てしまって、誰も残っていないんだよ。こんな田舎に街から嫁には来ないし。」
女は一瞬顔をほころばせたが、すぐに表情を引き締めて考え込んだ。
「雅紀はいやかい。」
女は顔を横に振ったが、何も話さなかった。

月満ちて、雅紀と女の間にかわいらしい女の子が生まれた。
絵にかいたような円満な家庭で、このまま幸せが永遠に続くのだと思われた。

ある時、母親の容体が悪くなり、検査の結果、健康保険の聞かない手術が必要だということになった。だいぶお金がかかるという。雅紀も両親も、一度に用意することができず、借金をしなくてはならないと話し合った。母親は、そんな手術なんて受けなくっても良いよと言い出す始末だった。しかし、借金をしてしまうと、本当に返済を続けられるのかについては誰も自信が無かった。
小さい娘だけがすやすやと寝入っていた。女はそんな娘を見て、ほほ笑んだ。そして真顔になって両親と雅紀に言った。
「私は今とても幸せです。あの時こちらに迎え入れていただかなかったらと思うと涙が出ます。そのお金は私が用立てます。」
みんなその言葉に驚いた。また、本当だと信じることができずにどう反応してよいのかわからず、顔を見合わせた。」
「皆さんが心配されるのはもっともです。私はお金を友達に預けています。ちょうど返してもらう約束の時期になりましたので、そのくらいならば、用立てられると思います。こういうことが無ければ返してもらうことはなかったと思いますから、気にしなくてよいのです。」
そして、話をつづけた。
「但し、お願いがあります。お金を持って戻るまでに1か月くらいかかると思います。私一人で行きますから、誰もついてこないでください。心配になっても捜索願なども出さないでください。これは絶対にお願いします。また、帰ってきても私がどこに行ったか、絶対に尋ねないでください。約束をまもってもらわなければ、私は二度とこの家に戻れなくなります。私の留守の間どうか娘をよろしくお願いします。」
ただならぬ気配に、雅紀も両親も、女を止めた。何か大変なことのようだから、そこまでしてお金を作らなくても良いからと旅立つことを止めた。
女は微笑んでうなずいた。
しかしあくる朝、誰も起きないうちに女は一人で家からいなくなっていた。

1か月半くらいが過ぎて、女が突然帰ってきた。厳しい形相だった。手術代と入院費用には十分すぎる現金をもってきた。女は、子どもの顔も見ないで、これから寝室にこもるから決して起こさないでくださいと言って、それから2日間眠り続けた。

この後も女は同じように現金を作ってきた2回ほどあった。

最後に女が旅立ったのは、雅紀が友達の保証人になって、友達が夜逃げをした時だった。娘は、5歳になろうとしていた。
「私がお金を作れるのはこれで最後です。もう、友達に預けているお金は無くなります。また、くれぐれも私が帰ってこなくとも警察に捜索願など出さないでください。私はこの子と二度と会うことができなくなります。それでは留守の間娘をよろしくお願いします。」

借金取りの催促は女が留守の間も続いた。思いついて役場に相談したところ、たまたま巡回法律相談に来ていた弁護士に相談するように促された。おさらぎ法律事務所の岩見恭子という名刺をもらった。
「ああ、それなら保証人としての責任は負いませんよ。あなたは債権者との間で保証契約を締結していませんね。後の手続きは、有料になりますけれど、こちらの方でやれますよ。」
保証債務を払わなくてよいと聞いて安心した。そのとたん、女を追いかけなければならないと焦りだした。女はいつも、旅から帰ると、何日間か寝込んでいた。顔色も悪く、何よりも表情がすさまじかった。やはりとても苦しい思いをしてお金を作ってきたのだろう。一刻も早く、女を連れ返さなければと気ばかり焦った。女を気遣うあまり、やってはならないことをやってしまった。警察に捜索願を出してしまったのである。

女はあっけなく見つかった、ある街の病院に入院していた。症状は悪いものではなく、間もなく退院するから迎えに来るなということであった。しかし退院予定日になっても女は帰らなかった。そのかわり警察から電話が来た。女を逮捕して留置したというのだ。それだけでも驚いたが、女が家族との面会を拒否しているので、誰もこちらに来ないようにと言っているというのだ。どうやら、6年前に雅紀が女と出会ったとき、女は何らかの罪を犯した直後で、そのことでの逮捕のようだった。

キツネにつままれたような気持ちだった。しかし、女のことは、みんな何も分からなかった。そういうことがあっても不思議ではないほど、女の過去は雅紀たちにとっては空白だった。
「捜索願を出さないでと言っていたのはこういうことだったんだね。」
「どんなにか、娘のことを心配しているだろうかね。」
雅紀たちは、おさらぎ法律事務所の岩見恭子弁護士の名刺を出して電話をした。

岩見弁護士と、おさらぎ所長が弁護人となった。
雅紀の家で弁護人を依頼することにも女は激しく抵抗した。事情を呑み込んだおさらぎ弁護士がとぼけた味を出してうまく説得した。但し、女は二人の弁護人を弁護人に選任することに条件を付けた。雅紀の家族は一切女に面会に来ないこと、弁護士から家族に一切女について説明しないことというものだった。雅紀も両親も、それでも良いからと二人の弁護士に弁護人になってもらった。
二人の弁護士の活躍は見事だった。逮捕されたときは殺人罪の容疑だったが、起訴された時は傷害致死罪の容疑だった。そんなことよりも、女を住所不定で押し切ったのだ。新聞でもテレビでもインターネットでも、雅紀の住所である津留村の名前は一切出てこなかった。この事件と幼い娘を関連付ける情報は何も出てこなかった。
逮捕されてから裁判が終わるまで、半年以上がかかった。ここでも二人の弁護士は大活躍した。正当防衛が認められて女は無罪となった。

裁判官から無罪といわれた時も、女は浮かない顔をしたままだった。法廷を出るときにいつものように手錠をされるために刑務官に手を差し出したが、刑務官は微笑んで首を振った。その時初めて女は我に返って二人の弁護士に弱弱しく笑顔を見せて頭を下げた。傍聴席を振り返って、雅紀たちがいないことを確認して、安堵のため息をついた。
岩見弁護士は声をかけた。
「これから荷物を取りに、一度拘置所に戻ることになります。すぐに拘置所から釈放されるので、迎えに行きます。拘置所の門のところにいますから。」女はそれを聞いてうなずいた。おさらぎは、「主語が抜けているから嘘にはならないか。」と頼もしい後輩弁護士に話しかけたが、もうその声は聞こえなかった。

女が荷物をまとめて玄関を出ようと、岩見弁護士を探したところ、そこにいたのは岩見弁護士ではなく、雅紀の母だった。女は立ち尽くしてしまった。母が駆け寄って話しかけた。
「お疲れだったね。よく頑張ったって先生方から教えてもらったよ。教えてもらったのはそれだけさ。大丈夫、みんなもおさらぎ先生の事務所で待っているから。だって、娘をここに連れてくるわけにはいかないだろう。ずいぶん大きくなったよ。似てほしくないとこだけ雅紀に似てくるんだから困ったもんだ。でもあんだに似てべっぴんになるようだな。」
女はようやく絞り出すように言った。
「わたし・・・本当は、岩見先生に、離婚の手続きをお願いしたんです。そうしたら、岩見先生は、私は雅紀さんの代理人だからあなたの依頼は受けられないんですって言われて。それで今日まで何もできないでいたんです。」
母親は、泣きながら微笑んで首を振った。
「わだしらは、なんにも聞いていないよ。本当さ。もちろん、あんだが半端ないほど苦労したということはわだしらもわかるさ。あんだは、自分の身を削ってお金を作ってくれたんだろう。言わなくてもいい。そんなことやらせてはダメだったんだ、ほんとは。私はそんなあんだのおかげで元気になって、今こうして迎えに来ることだできたんだ。」
「でも、本当のことを言わなくてはならないのはわかっています。」女は唇をかみしめた。
「何言ってんだ。わだしら、一番あんだの本当のことを知っているんじゃないか。働き者で、家族思いで、気立ての良い娘のような嫁だ。それが一番大事な本当のことだ。それを知っているから、本当でないあんだのことなんて知りたいやつなんてうちの中には誰もいねえ。雅紀がそう言い出したんだけど、あのバカもたまには気の利いたことを言う。」
母は続けた。
「今は言うな。その代わり、本当に自分からどうしても言いたくなったら。私にだけ言え。なんぼでも聞いてやる。私以外には誰にも言わなくてよいんだぞ。」
本当の母親が小さいわが子にするように女と手をつないだ。
「さあ、一緒に帰ろう。雅紀もよい仕事が見つかったんだよ。もうあんだに苦労させることは二度としない。私もあんだのおかげでここまで元気になることができた。あんだに恩返しさせておくれ。私も津留村の女だ、義理堅いんだ。これが本当のツルの恩返しだな。」


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