SSブログ

「日本の親子」を読む 母の育児不安、夫の子育てが嫌われる理由と、男性が子煩悩になっていく本当の理由、子育てクライシス等家庭問題の根本問題としての職場イデオロギー、 [家事]

1 育児不安と言う概念 母親自身の生き方についての焦りや不安
2 育児をする夫に対する妻の満足と強烈な嫌悪
3 熱心に子育てをする父親が増えた本当の理由
4 家庭に忍び寄り、家庭を崩壊させかねない企業の論理
5 職場の論理の最たる影響、根本的問題


これまでこのブログでは、産後クライシスを取り上げてきました。
主として、妊娠、出産のホルモンバランスの変化と
脳活動の変化から共感の対象が、大人から新生児に移りやすい
大人の特に男性に対して共感する力が弱くなり不信感が生まれやすくなる
という生理的な特徴から産後の夫婦の危機、
女性の生きにくさを勉強してまいりました。

この度
子どもが育つ条件(岩波新書)
大人が育つ条件(岩波新書)
日本の親子(金子書房)平木典子先生との共編
と、柏木恵子先生の著作を拝読する機会に恵まれ、
生理的な変化ではなく、社会環境的な要因に
女性の生きづらさがあることを学びました。

私は離婚事件を担当することが多い弁護士です。
自分の依頼者であったり、相手方であったりする女性の主張を拝見していると
先生のご指摘は正鵠を射ている感を強く持ちました。
感動しながら、共感しながら学ぶことができました。

ただ、
先生は発達心理学者というお立場であり、
私は弁護士という立場であり、
やや異なる側面を見ていることに気がつきましたので
メモ的に書き留めておくこととします。

1 育児不安と言う概念 母親自身の生き方についての焦りや不安

まず、柏木先生の著作によると
子育てをしている日本の母親は、
多くの人たちが育児不安を抱えているそうです。
育児不安とは、育児や子どもについての不安だけでなく、
自分自身の生き方についての不安や焦燥感が大きな比重を占めているそうです。
(日本の親子65ページ)

育児をしながら、(おそらく子どもをどう育てたいのかと思いながら)
それでは自分自身の生き方はどうなのかと考えてしまい、
不安や焦りが生じるのだそうです。

興味深いご指摘として
この焦りや不安は、専業主婦の方が強く
父親の子育て参加が少ない場合も強くなる
とされています。

ただ、ここでいう専業主婦の概念は注意が必要なようです。
ご指摘をされている点を読むと
初めから職業を持たないまま結婚をしたと言う方よりも
どちらかというと元々は職業に就いていて
妊娠を機に退職した女性についての分析が中心のように感じました。

そうであれば、弁護士実務や友人知人のケースともピッタリと符合します。
どちらかというと他者に貢献する意味合いの強い職業に就いていたけれど
妊娠、出産を機に退職した方に、
柏木先生の言うところの育児不安が強く見られるという実感があります。

泣き止まない赤ん坊に翻弄されながら、
自分は何をやっているのだろう
子どもの奴隷となっているのではないか
夫ばかりが外に働きに行けて不公平だ
という意識を持たれる方が多くいらっしゃいます。

子どもに対する殺意を感じるということを語られた方も
少なくありません。
もっともそれを実行しようとする人は稀ですが。

2 育児をする夫に対する妻の満足と強烈な嫌悪

育児をしない夫よりも、夫が育児をする場合
妻の満足度が高いという統計を報告されています。
おそらく一般的にはその通りなのだと思います。

しかし、ご夫婦の間に弁護士が介入するということは
夫婦間に紛争が生じているときなので
おそらく例外的な場面ということになると思うのですが、
夫婦間紛争の実務においては、
夫を嫌悪し、恐怖感を抱いて
子どもを連れて一方的に別居する事例の多くは、
夫が子どもに対して愛情を注ぎ
父子関係が良好なケースが圧倒的に多いのです。

こういうケースは、
別居後、あるいは離婚後
父親と子どもを会わせることを
母親は頑なに拒否することが多いです。

実務的経験から感じる問題として
子どもに愛情を注ぎながら
妻に子どもを連れ去りをされた男性の多くは
ある程度年齢が高くなってから子どもが生まれたというケースが多いという印象があります。
おそらく若い父親よりも年齢が高い父親の方が
仕事などにも慣れて、余裕があり、
子育てに対する憧れのようなものもあり
熱心に子育てをするのではないかと感じられます。
また、実のない規則や決まり事に対する批判的な視点を持てる人が多いようにも感じます。

それではどうして、そのような育児をする夫が
妻から嫌悪され、恐怖感を抱かれてしまうのでしょう。

一つは、子育ての本質は大らかさなのですが(子育てが終わるころに気付くのですが)
そのような父親たちは、知識も経験もあるため
細部にわたり、正しい子育てに邁進しようとしてしまうところだと睨んでいます。
(そこでいう知識や経験は、人生経験というより職業を通したスキルだと思います。)
子どもに愛情を注ぐあまりに、
自分が不適切だと思う子育てを、母親がそれをしようとするならば
容赦のない修正要求をつきつけてしまうところにあるということと
母親ができなくて自分ができる正しい子育てを見せつけてしまうということが
母親の自尊心を傷つけているようなのです。

受け取り方の問題も大きいのですが、
子どもと妻と同時に愛情を注ぐということは
なかなか難しいことのようです。

ここで考えなければならないのは、
「自分はそういうつもりではなかった」
ということは言っても仕方がないことだということです。
相手が、自分は否定されたと思ってしまえば
関係性は悪くなるものです。

子育ては両親が共同でやるということはよいのですが、
余裕がある夫は、
母親がメインで子育てを行い、自分は補助に回り
母親の言うことはその通り実践するという
母親を立てる子育てが実際は良い結果を残すと思います。

そして自分の妻が
夫は子育てに参加するなんて言うのだから意識が低い
なんて不満を持っていることに鼓腹撃壌していればちょうどよいのだと思います。

3 熱心に子育てをする父親が増えた本当の理由

高度成長期までは、離婚が一方の親と子の永劫の別れになることが
多くありました。
それを仕方がないことだと受け止められた
お父さん、お母さんが多かったと思われます。

最近は、父親も子どもに対する愛情表現を積極的に表明することが多くなり、
別居後、離婚後の子育てに関わる要求も大きくなり、また多くなりました。
たまに、この理由についてマスコミなどに尋ねられることがありましたが、
自分でも納得ができる回答ができないでいました。

日本の家族という本には、
その理由を示唆する記述がありました。

まず、子育ては母親が行うことだという分業の意識は
元々は、日本にはなかったということを指摘しています。
幕末や明治直後に日本を訪れた外国人の記録からは、
日本人男性が子どもを可愛がる姿が描かれており
日本特有の風習だという指摘がなされているということは
これまでもこのブログでも述べてきた通りです。

「日本の親子」の中に、神谷哲司という先生が書かれている部分です。119ページ
小嶋秀夫先生の「母親と父親についての文化的役割観の歴史」という論文を引用し
明治以降の国力増強策として、政治的なキャンペーンによって作られ
戦後高度経済成長の時代の男は仕事、女は家庭という性的分業が定着した
というのです。
これは今度入手して勉強したいと思います。

つまり、この性的分業は、最近起きたものであり、
国策によって植え付けられたものかもしれない
というわけです。

そうだとすれば、近年になって日本の父親が子どもに愛着を抱き始めたのではなく、
明治から戦後までの一時期(戦争遂行に明け暮れていた時期)、
男はそういう行動を取るべきではないという風潮があり、
それが今般、高度経済成長の崩壊とともに崩れ出して
元々の日本男性の本音を表明できるようになった
ということなのだろうと思います。

4 家庭に忍び寄り、家庭を崩壊させかねない企業の論理

これまでみてきたマイナスの現象の共通点は、
企業のやり方、職場の道徳、仕事イデオロギーとでもいうような
価値観の問題だと思うのです。
長年の職務経験から自然と身についてしまったのでしょう。

マイナスに現れる仕事イデオロギーとは、
まず、男性が子育てから脱落することです。
その理由が、
長時間労働や、労働強化によって、
家庭人としての行動をする時間と気力、体力がないということです。

この点を柏木先生は鋭く指摘されています。

次に私は、さらに価値観の問題があるように思えるのです。
働く時に必要な価値観として、
合理的行動、正確な行動、迅速な行動、無駄を省くなど
結果に直結するやり方が求められる行動だと思うのです。

しかし、家庭では、安心できる人間関係の構築こそ
最も求められる行動だと思います。

職場の道徳と家庭の道徳は別物なのですが、
どうしても長年職場で仕事をしているうちに
職場の道徳が普遍的な道徳、行動パターンだと
思い込んでいくようになるのではないでしょうか。
家庭の中に職場イデオロギーを持ち込む男性が多いように感じます。
偉そうに言っていますが、我が身を振り返ってもそう思います。
例えば結論の出ない堂々巡りの発言は
家庭ならば何の問題もなく聞いておかなければならないものなのでしょう。
職場の論理からすると、最もダメなコミュニケーションになってしまいます。

職場イデオロギーというか職場の論理自体が家庭に持ち込まれてしまった現象が、
どちらかが仕事を辞めなければならない場合に女性が仕事を辞めるということと
家庭を疎かにしても過労死するほど働くことを余儀なくされていることを受け入れる
ということなのでしょう。

あまりにも家庭が職場の論理で壊されてしまい
過労死をしないまでも家庭が崩壊してしまうということが起きているように感じます。

5 職場の論理の最たる影響、根本的問題

家庭よりも職場を優先するという価値観は、
家庭の生活についての価値を認めず、
収入を得ることに価値を偏重することだと思います。
これは女性にもその強い影響があるように感じています。

男女参画理念は、女性が社会に平等に参画することなのでしょうが
そこでいう「社会」が職場に限定されているような印象を受けるのです。
職場で働くことではなくて、
例えば、収入にはならないボランティア活動だったり
趣味の活動だったり
研究活動だったりということに
どうして価値を認めないのか私には不思議でなりませんし、
家庭を安心できる形にする人間関係形成ということや
子どもを健全に成長させるという子育てという
家事に価値を認めないのか不思議でなりません。

もちろんだから、女性が家庭に入れということではなく、
女性が働いて、男性が家庭に入るということに
もっと当たり前の価値観を社会的に認めるべきではないかということなのです。

人間が輝くのは収入を得ることだということだとすれば
大きな疑問があります。

冒頭述べました育児不安の中の
子育て中の母親の不安や焦りというものも
どちらかということ
職場イデオロギーに支配されているように思えるのです。

外に出て対価として賃金を受け取って働かなければ
人間として価値を実感できないと感じさせられているのではないでしょうか。

男性が一家の大黒柱として家計を支えなければならない
というジェンダーバイアスの裏返しが
女性はできるならば家庭に残って、仕事も男性の補助的な役割にする
ということなのだと思います。
そしてこれが育児不安の根本だと思いました。

しかし、これは、富国強兵、戦争国家のための
銃後の守りに代表される作られたイデオロギーであり、
その効果も時代とともに薄れ
男女共に働かなければ生活を維持できないという社会情勢の変化によって
化けの皮がはがされるところになっていると思います。

女性の解放は男性の解放と同時に進めなければ実現しない
私が一番学んだことかもしれません。

nice!(0)  コメント(2)