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怒りの行動の対人関係的把握 加害行為としての自傷行為 自死の経路の可能性 [進化心理学、生理学、対人関係学]

どうして人間は、怒るのでしょう。
一説によると、
要求の実現が阻まれることによってフラストレーションがたまると
怒りになるというようです。

この説を批判するというのは、真意ではなく、
別の側面に光を当ててみる試みをするというのが正確でしょう。

対人関係学は、
基礎的事情としては、
欲求が充足されないと言っても
危険を感じて危険な意思不安を解消しようとして
解消できないということが基礎的事情だと考えます。

不安解消や危険は、
基本的には、自己防衛ということになります。

但し、仲間を防衛しようという時も基礎事情になる事がややこしいのですが、
情動的共感をすることによって
怒りの基礎事情になるわけです。

不安解消や危険解消の行動は、
必ずしも怒りにつながるだけではなく、
恐れやフリーズにつながる場合もあるわけです、

そうすると、怒りと恐れとその違いが生じる事情はどこにあるかが問題となります。
この点も対人関係学は、極めて単純です。
勝てるか勝てないかという無意識の判断をしているということです。
つまり、勝てると思ったら怒りになり、負けると思ったら恐れになる
ということです。

もっとも、危険が意識に登る前に、この判断は終わっていると考えています。
怒りと恐れを、自由意志による選択することはできないわけです。

仲間を守るためには、自分が攻撃の矢面に立っていないので
自分が負けると思うリアリティがないので、
怒りを起こして攻撃行動に出やすくなります。

公正さや道徳を見出すものに対しても同様に怒りを起こしやすいわけです。
この場合も、自分や仲間に対して不利益を与える行動だと思われますが、
自分が直接攻撃を受けている訳ではないので
怒りが起きやすくなる訳です。

怒りは攻撃行動をしている場合の感情だと考える訳です。
攻撃をして、危険を除去するという危険回避行動だと把握しています。

逆に自分は勝てないと思うと、
逃亡をする訳ですが、その時の感情が恐れということになります。

怒りも恐れも、危険回避反応ですから
生理的な反応は共通していて、
副腎皮質ホルモンが分泌され、交感神経が活性化します。


怒りの本質は、このように単純なものなのですが、
複雑に見せる原因がいくつかあります。

一つは今述べた、自分の防衛だけでなく、
仲間を防衛する場合も情動的共感によって発動されてしまうことです。
母熊が子熊が危険にさらされていると思うと
怒りによる報復をするような場面が典型的です。

もう一つ怒りがわかりづらくなるのは、
必ずしも危険に対して攻撃が向かわないということです。

そこの危険には二種類あって、
身体生命の危険の場合に、危険回避として怒りが選択された場合は
八つ当たりは起こりにくいのですが、
身体生命の危険はなく、対人関係的な危険だけがある場合は
八つ当たりが起こりやすくなります。

対人関係的危険とは、
人間関係の中で、顔が潰されるとか立場が悪くなるとかという負の評価が起き
究極的には、人間関係から離脱されてしまうという危険をいいます。

例えば会社で上司や取引先から理不尽な叱責を受けていると
職場での人間関係に危険を感じていても
上司や取引先を相手に怒りの行動を起こす訳には行きません。

そうすると、家に帰っても不機嫌になり、
子どもの何気ない言葉に敏感に反応してしまい
怒りを持って攻撃的言動をしてしまう
これが八つ当たりです。

なぜ八つ当たりをするかという理由ですが、
一つは、今見たような過敏な状態になっていること、
もう一つの理由は、
攻撃行動をしている時は、
対人関係的不安が一時的に緩和されるからです。

自分より弱いものを攻撃することによって
自分が感じていた対人関係的危険を
一時的に感じにくくなるようです。

このため、
八つ当たりの対象がない場合
それでも攻撃によって不安を解消できるということを覚えてしまうと
自分を攻撃することによって不安を解消しようとしてしまう
という現象が起きるようです。

自分の体を傷つけないとしても
自分の所有物を破壊するという現象が見られることがあります。
徐々に自分を守る意識がなくなっていくようです。
自分の身体を攻撃することも出てきてしまいます。

不安解消行動は、基本的には防衛行動なのですが、
合理的な解消ができない場合は、
解消要求が強くなってしまい、
自分を攻撃することになっても解消しないではいられなくなるという
矛盾した行動を起こしてしまうのです。
それだけ追い詰められたということなのでしょう。

どうも自傷行為は、自分が傷害を受ける行為という側面と
自分を加害するという側面もありそうです。

加害することによって
不安が解消されるという悲しい矛盾です。
自分の体を犠牲にして
対人関係的不安を解消しようとしているのでしょう。

死ぬことが目的ではないけれど
死んでしまいかねない行為をするタイプの自死が起きる
一つの経路となる可能性があるように考えています。

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