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警察官と役所の職員がその人の自死の決意をひっくり返したメカニズムとは何だったなか。 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

その人は、自死をするためにと自分で決めた最後の場所に向かって人気のない道を進んでいたという。
自死をする人の多くがそうであるように、その人も真面目で責任感が強すぎる人だった。自分が死んだ後で迷惑を少なくするために、家財道具を全て処分した。人目につかないような場所も選んで自死が決行されるはずだった。
その人が死のうとしていたことを私に打ち明けた時、一緒に話を聞いていた医療系の人は、精神科医につなごうと思ったようだ。私はその人の理由を聞いて、「全く正常な精神状態だからこそ死のうと思ったんだよ」と言いたかった。
その人が自死の行動に出る経緯は、誰にでも起こりうるものだった。
能力の高いその人はバブル期に、とある会社に途中入社して、どんどん出世をしていった。そのためには、過労死基準を遥かに超える残業も、断らなかった。むしろ、それを誇らしげに感じていたらフシがある。自分がこの会社を回しているのだと自負していたようだった。ところがリーマンショックで会社の事業が縮小され、他ならぬ自分の部署が切り捨てられた。関連会社に出向になり、元の部署に戻される見通しがなくなり、その人は会社をやめた。自分は何のために命を削って働いてきたのかわからなくなったらしい。それでも真面目で責任感の強いその人は、別の職種に移って働き出した。但し、個人プレーが中心の仕事だった。誰かと日常的に関わり続けるのは、怖かったという。あんなにチヤホヤされていたのに手のひらを返すとはこのことかというように、自分などいないような扱いを受けたことが消えないカサブタのようにその人の心を覆っていたようだ。順調に仕事は続いた。また続くはずだった。ところがこのコロナ禍で彼の会社の業務量が激減した。会社は、これまでの貢献ではなく、若い人を優先的に扱ったとその人は感じた。給料は3分の2になった。その時、その人に声をかける職場があり転職することにした。しかし、その職場はもう若いとは言えない年齢になったその人にはつとまらなかった。そのころ、家庭の問題でも事件があり、その人は孤独を強く感じる出来事があった。そして両親も亡くなった。職場でも家庭でも、その人はひとりぼっちであることを強く突きつけられた。
その人は、自分が何のために生きているのかわからなくなったという。ただ食べて、排泄して、寝る。それだけのことに何の意味があるのかと。私はもっともなことだと思った。それだけその人の話はわかりやすかった。
その人のその感情が作られていったのは、むしろ健全な精神状態を示しているとしか考えられなかった。誰でもその人の状況に置かれたらそういう感情になるだろう。正確に言えば、感情をなくしてゆくだろうと。
但し、その人には抑うつ状態の症状が出ていたことも間違いない。古典的なうつ病の概念である全精神活動に向かってゆくということをその人は次のように見事に表現した。
うつ病の患者さんは何かをやろうとする気が持てなくなるという。その人はトイレ掃除をしなくなるとのことで自分の異変に気がついたと言う。掃除をしようとする時、どうやら人間は、どういう道具を用意して、どういう順番で、どういう体勢をしてというように、様々なことを考えてから始めるようだ。しかし、そもそもうつ状態になると、その考えることからがおっくうになってしまう。頭を使うこと自体がひどく疲れるために出来なくなってしまうのだ。その様子をその人は、トイレの様子で私に可視化して見せたわけだ。もちろん仕事を探すなんてことはできるわけがない。他人と関わるということは、かなりの精神活動をしていて、そのためのかなりのエネルギーが使われていることはもっと研究されるべきだと思う。
かくしてその人は、「何のために生きているかわからない」という思いから抜け出せなくなり、わずかに「死ねばこのような辛さから解放される」という考えに救いを求めて、死ぬ準備に相当のエネルギーを使い込んだ。能力が高く、真面目で、責任感の強いその人の自死は完璧に成功するはずだった。
人気のあるはずのない場所をその人は最後の場所に決めていた。誰にも見られていない自信もあった。しかし、おそらく極めて低い確率の偶然が起きてしまった。巡回中のパトカーに見つかり、警察官の職務質問にあってしまったのだ。最初は誤魔化していたが、警察官の真剣な問いかけに負けてその人は死のうとしていたことを認めざるを得なかった。警察官はその人をおそらく生活安全課の職員に引き継いだ。
この職員の話というか態度というか、対応が秀逸だった。「警察も自殺をとめる権限はないかもしれないが、でも放っておくこともできることではない。そうでしょう。」と切り出して、次の日役所の係を教えて、ここに相談に行くことを約束させた。
その人はなにせ真面目で責任感が強いため、約束してしまうと守ることしか考えられなくなる。その人は約束通り役所に、相談に行った。
役所の職員も素晴らしかった。あまり精神論的なことを言わず、問題を一つずつ解決していった。最後に残った問題を解決するために、弁護士の元に行かされて私がその人の話をきくところとなった。その問題は極めて簡単に解決することなので彼の悩みは10分余りで無くなってしまった。
その相談の時はその人は口数が少なかったが、問題が解決して安心したのか、それからはむしろ話すことに喜びを感じているようにさえ感じた。そうして話してもらった話が今までの話である。
さて、警察官と役所の職員は、どうしてその人の死の決意を止めることができたのだろう。その人は今生きている意味を無つけたのだろうか?
ここからは私の考察である。
その人は今は死のうとは考えていないと言う。今死んだら、自分のためにあんなに熱心にしてくれた職員の方に申し訳ないと思う。裏切ったことになる。そう言う意味のことを話した。真面目すぎるその人は言葉も一つ一つ吟味しながら話す。
先ず、「あなたを死なせたくない」というストレートな気持ちが伝わったことは、間違いない。倫理とか正義とか法律とかそういうことではなく、その人を死なせたくないという思いが一番大切なのだろうと思う。
次は、死なないという結果を出すためには、どうしたら良いのかを真剣に考えていたことがよくわかる。だから、死んではいけないなどと結果を本人に求める近道を通らなかったのだ。警察官も職員もかなり勉強をされていて敬服する。
三番目も関連するが、指図を、一切していないこと。その人は警察官も職員も、事務的な話をしないことに感銘を受けていた。ずいぶん久しぶりに人間として扱われたと感じたのだろう。そして、一緒に考えてくれたと感じたのだろう。これも素晴らしい。人が命をたとうとするのだらか、よっぽどのことがあったのである。命を大事にしろというのは、軽はずみな人にいうセリフである。真剣に生きようとしている人に言うことではない。真剣すぎるために死のうとするしかなくなるのだ。その人は、警察官や職員に、自分が仲間として扱われたと感じた。だから、仲間を裏切ることで悲しませることができなくなったのだと思う。
私は、生きる意味なんて考えることは出口のない迷路を歩くようなもので、益のないことだと確信している。生きる意味を見失ったのではなく、「この状態で生きていることが辛い」と言うことの表現なのだと思う。生きる意味なんて考えるよりも、「どうすればもう少し楽しく生きられるのか」こそを、考えるべきだと考えている。だから、考えるべきことは、「どうして彼は生きることがつらくなり、どうしてその状況から脱したのか。」である。
とても単純化すると、「人間は、仲間から離れて孤立すると不安になる。生きることが苦しくなる。」ということである。
だから、
苦しみを和らげるためには、その人のマイナス面から目を逸らさずに、否定せずに、どうやってフォローするかを一緒に考える仲間を作ることである。
群衆の中にいることで孤独感は際立たされるる。こんな世の中なので役所に期待される役割はとてつもなく大きくなっている。その人に関わった警察官、役所の職員の方々は、奇跡的なファインプレーを敢行した。心より敬意を表すために今回記事にさせてもらった。
しかし、役所は、一時的な、仲間である。それは否定的にとらえる必要はなく、むしろそれだからできることが多い。
次は、その人の恒常的な仲間づくりである。この流れを太いものにすることが自死対策なのかもしれない。

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