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なぜ、子どもが餓死するまで母親は他者の言いなりになったのか 一つの可能性としての「迎合の心理」 [進化心理学、生理学、対人関係学]


1 報道

母親と同居していた5歳の子どもが餓死する事件が起きました。
報道によると
母親は知人女性の言うなりに行動して
我が子に対して食事を与えず
言うなりに離婚もしたとのことです。
生活保護費も巻き上げられていたようです。

5歳の子の容体が悪くなっても病院には行かず
知人女性に相談しただけとのことでした。

真実はこれから解明されるでしょう。
ただ、あまりに、先入観をもって事件を割り切る可能性があることに
懸念があるのです。

その懸念とは、
知人女性が背後に暴力団関係者がいることを語り
母親を怖がらせて言うことをきかせていた
このために怖くて言いなりになっていた
という論調があるため、
これで説明を終わらせてしまうのではないかということです。

そういう言動もあったのでしょうが
特に母親側の要因についても分析しないと
再発は防止できないのではないと思うのです。

2 迎合の心理とは

母親側の要因として考えておかなければならないのが
「迎合の心理」です。
この心理は人間一般に多かれ少なかれあります。
しかし、その迎合の程度は人によって千差万別です。
中には、迎合を拒否する傾向の人間も確かに一定数存在します。

迎合の心理とは、
人間には、現在の人間関係に協調して
その人間関係にとどまろうとする本能があり、
その人間関係、人間集団の中の
権威を有する人間に迎合しようとする傾向が
無意識の中に存在することをさします。

オリジナルは、
スタンリー・ミルグラムの「服従の心理」です。
詳細は別の所で書きましたが、
Stanley Milgramの服従実験(アイヒマン実験)を再評価する 人は群れの論理に対して迎合する行動傾向がある
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2019-01-05

服従という言葉は、自由意思を奪われて従う
というニュアンスなのですが、
実際は
自ら権威の意思に沿うように行動しようという意欲をもって行動するので、
「服従」ではなく「迎合」という表現の方が正確だ
というのが私の立場です。

3 なぜ人間は集団の中の権威に迎合するか

人間だけではなく群れをつくる哺乳類にある程度見られる習性です。
多数の個体が集合しているだけでは集団とは言えません。
集団の秩序が形成されて初めて集団という有機体になり、
集団行動ができるわけです。
集団行動ができるから生き残るのに有利になるわけです。

人間には、
個体で単独でいると不安になり、集団に帰属して不安を解消したい
という本能があります。
そして、集団に帰属して、集団の秩序の形成に参加したいと感じ
自分がその秩序形成に役に立っていると安心し、
秩序形成を自分が害していることを自覚すると不安になります。

そういう性質をホモサピエンスが持っていたため
大きな群れをつくることができて
そのため、余裕ができるようになり
様々な発明が可能となり
現代に生き残っている
と考えています。

根本には不安解消というモチベーションがあるわけです。

人間はこの観点から大きく二つに分けることができるようです。
無条件に権威に迎合する人と
無条件に権威に反発する人
ということになりそうです。

これもうまくできていて
必ずそれぞれのパターンの人が併存しているのです。

どうして併存することが有利かというと
例えば偶然能力のない者が権威になってしまうと
みんなおバカな方針に乗ってしまい
あっという間に飢えてしまったり、
肉食獣のえさになってしまいますから
とっくに滅びているわけです。

逆に反発する人ばかりだと
群れが空中分解しますからやはり絶滅種になるわけです。

多数の迎合者(見方を変えれば協調志向の人たち)と
少ない割合の反発者がいることが
強い群れの条件になるわけです。

協調者も大切な存在だということになりますし
反発者も大切な存在なわけです。
(理想的な人間集団は、このような性質に分かれず、
 それぞれの提案のメリットデメリットを洗い出して
 デメリットをできるだけ回避してメリットを獲得する
 そういう理性的な話し合いができればよいのです。
 しかし、上は国会、国連から、下は日常の職場、家族、学校などまで
 クリアーで理性的な論議ができていませんね。
 しばらくは迎合する人と反発する人という
 自然が用意した遺伝子的な集団医師の決定が行われるのでしょうね。)

4 依存もまた権威に対する迎合

権威に対する迎合する傾向が強すぎる場合
依存性が強いという言われ方をするのだと思います。

迎合も依存もどちらも
そのモチベーションは不安解消ですから
依存心の強い人は、やはり何らかの理由で
不安が強い人なのではないでしょうか。

不安の理由は実に様々です。
健康状態がすぐれない場合
家族や職場など人間関係がうまくいっていない場合、
不安を感じやすい精神状態の場合
等々です。

不安が強いと自分の考えに自信を持つことができません。
そもそも決められないのです。
誰か具体的な人の意見にすがって
その人の指示通りに行動することで
始めて安心ができるというような心理状態になっています。

もはや自分の頭で考えようとしていません。
権威者の言うことを疑おうともしていません。
権威者を疑うくらいならば
権威者の指示にできるだけ忠実に従うためにどうしたらよいか
権威者は何を言いたいのか
ということに残された能力をすべて傾けてようとしているわけです。

今回、5歳の子が餓死したわけですが、
独立して子どもの利益を考える力は残っていなかったのでしょう。
自分が考えるより指示に従っていた方が安心だと思っていたのかもしれません。
もっとも、本当に子どもの利益を考えようとする精神活動が
行われていた場合の話です。

それすらも考えなくなっている事例が実はたくさん世の中にあるわけです。

ところが人を思いのままに動かそうなんて人は
自分に依存する人間がいることに喜びを感じるのでしょうから
どんどん自分の利益のために食い物にしていく可能性があります。
今回のケースでは、報道によると金を収奪するということらしいですが
主義主張なども「自分の利益」に入るのではないでしょうか。

意のままに動かそうとする方は
迎合している人間の子どものことなんて考えないことがむしろ通常なのです。
但し、口では「この子のためにも」と言葉には出しますけれど。

今回のケースでも
食事のことは指図していないと知人女性は言っているそうです。
もしかすると、「あまり太らせると生活保護が受給できない。」
等と言ったのを過剰にくみ取って
母親自らが積極的に食事制限をしていた可能性もあると思います。
迎合の心理とはそういうものだからです。
もっとも、そのことは知人女性は分かっていたはずで
わかっていても子どもに食事をさせなかった状態を改善しなかった
ということはあると思います。

5 どうして離婚までしたのか

もしかしたら、ここまでお読みいただいても、
そんなに簡単に他人の言いなりにならないのではないか
やはり脅かされていやいや従ったのではないか
離婚したのも夫に何か原因があったからではないか
と考えている方も多いのではないでしょうか。

しかし、この母親のように
他人の言いなりに離婚する人間は
実際はたくさんいます。

言いなりになって離婚したけれど
生活が苦しくてこんなはずではなかった。
こんなことなら離婚しなければ良かったと
その人に文句を言ったら
離婚を決めたのはあなた自身ですよ
と言われたけれどどうしたらよいですか。
という相談が私だけではなくよくあるのです。

根本には強い不安があります。

この不安を解消したいという強い要求があります。

夫と子どもと自分の家庭の中で不安が存在しているわけです。
離婚事件に見られる不安の理由の多くは
不安を抱かせる内科疾患(分泌系疾患と薬等の副作用)
パニック障害、全般性不安障害等の精神疾患
貧困
でしょうか。

夫はなかなかこういう不安に気が付きませんから
ただ妻がかんしゃくを起こしていると感じるか
自分が妻から理不尽な攻撃を受けているとしか感じません。

わかっていても
なかなか妻の不安を受け止めてあげることは難しいのです。
わからないから不安を受け止めるどころか
不安に基づく言動をする妻を叱り飛ばしたりしてしまうわけです。

「夫は自分を助けてくれない。」
妻はそう思っていくわけです。
最初は夫と関係の無いところから始まった不満が
どこに原因があるかわからないことが通常ですが、
こうやって助けてほしい夫が自分を助けてくれない
という不満は確実に認識し、その経験も重なっていくわけです。

そう思っている妻に対して
つまり不安を感じている女性に対して
今回の知人女性のような人物が
「あなたは悪くない。」
と介入するのですから、
通常の人が考えられなくなるくらい威力があるわけです。

こうして
心理学でいうところの「三角関係」が構成されてしまうのです。

夫と知人女性との、妻をめぐっての綱引きが行われるのですが
妻の不安を理解しない夫は分が悪いのは当然です。
ずるずると何もしないで知人女性に妻が引きずられて行っていることに
気が付くこともできません。
夫は、自分と妻の二人の関係しか気が付いておらず
もう一つの極があることを認識することもできません。
全く無防備な状態です。

妻は知人女性が自分の不安を理解していると思いこまされています。
この人が私の不安を解消してくれるということを
無意識に感じて依存を始めるわけです。

それとともに夫から離れていき、
離れていくと同時に知人女性との関係が自分の人間関係になってしまいます。

夫に対する不満は、嫌悪感、恐怖感に変わっていきます。

夫の嫌な面だけが記憶の中で増幅され出します。
リアルタイムでは何とも思わなかった言動の一つ一つが
そのとき振り返って思い出すととても嫌なことで、
自分は逃げようもなく嫌な夫の行動にさらされていた
という記憶の改編が起き始めるようです。

ここで「生活のことは私が面倒を見るから心配するな。」
なんてことを言われれば、とても頼もしく感じるわけです。
夫はそういうことは言えません。
誠実だからです。
そんなことを言えるのは口先だけで心がこもっていないからです。

でも不安を解消したいということが最優先課題になっている妻は
その口先だけのことをうっかり信じてしまうのです。
信じるというかすがってしまうということですね。
もはや知人女性の言葉に従うことによって
不安が解消されるという体験を重ねているのかもしれません。

こうなった段階で
あなたの夫は浮気をしている。証拠がある。
あなたの夫の行為は精神的虐待だ。モラルハラスメントだ。
等と言われてしまうと、
妻は夫に対して嫌悪感、恐怖感がさらに強くなり、
私の落ち度ばかりを夫は口に出していたな
夫は私を常に否定ばかりしていた
感謝も何もなく夫の奴隷だった
夫は自分を利用していただけだ
私だけが損をしていた
という感覚になっていくようです。

夫と一緒にいること、顔を見ること、声を聴くことが苦痛になっています。
夫が帰る家に向かう足が、どうしても動かなくなるわけです。
町で夫と同じような背格好の人間を偶然見つけると
息が止まるような恐怖で身動きができなくなるようです。

一日も早く離婚をしたいという気持ちになるのは
自然な流れだったのでしょうね。

6 どうして途中で気が付かなかったのか

それにしても話が違うわけです。
すっかりお金も吸い上げられて
とても幸せからは程遠くなった

第三者ならば気が付くわけです。

どうして、ご自分では気が付かないのでしょう。
一つは依存というものはそういうものなのだということです。

言いなりになることに安ど感を覚えているわけです。
言いなりにすれば、考えなくても良いということは
精神的にはかなり楽なことだったと思います。

だから本人は、不安がなければそれでよいという心持なのかもしれません。

幸せなんて目に見えないものですから
依存できる人間がいるということで不安がなくなれば
それが幸せなのかもしれません。

また、自分で考える力がなくなっていますから
改めて自分の境遇を顧みるということもないのかもしれません。

ただ、それはそういう側面があるとしても
うすうすは変だなと感じ始めるのではないかと思うわけです。
そういうことも折に触れあったと思います。

しかし、変だなと思い始めた途端
自分でその疑いの目を摘み取っていたことが考えられます。

これが依存行動のサンクス効果です。

ここでいうサンクスというのはありがとうということではなく
埋められた、蓄積されたということです。
これまでの努力を無駄だったと思いたくないということですね。

本件でも離婚したり、金を渡したり
そして言いなりに積極的に奉仕していったわけです。
途中で、それらはすべて何の意味もなかった
離婚前に巻き戻した方がよほど幸せだった
という自分の奉仕行動、依存行動が
マイナス効果しかなかったと思うことは
取り返しのつかないとても辛いことです。

自分が過去において行った奉仕行動、依存行動を
無駄とは思いたくないという心理が働き
無駄だという発想を打ち消そうとするように
さらに依存行動を行っていくこと
これがサンクス効果というわけです。

7 それでは知人女性の罪は軽くなるのか

これまで私が述べてきたことは
刑事責任や量刑の見通しとは
次元の違うことです。

こういう無惨な事件について言及すると
あたかも
「怒りをもって母親や知人女性を糾弾しないのはけしからん」
という趣旨のコメントが寄せられることがしばしばありました。

怒って非難しないことが
イコール弁護しているということに思ってしまうようです。

しかし、冷静に分析して
真実の選択肢を狭めないことは大切なことです。
真実を見つけることが予防につながるからです。

単に、悪質なサイコパスが、恐怖心を利用して人を洗脳して
それにやすやすと乗ってしまった母親が
我が子を餓死させた
こういう単純化した図式では、
時間が巻き戻っても本件は防止できなかったでしょう。

知人女性はサイコパスではなかったかもしれないし、
母親は恐怖心はなかったかもしれない
それでも子どもは餓死したのです。

事件の前に児相が虐待を疑わなかったのはなぜでしょう。
体重の著しい現象があったわけですから
虐待を疑うことがあっても良かったのではないでしょうか。

もしかすると児相は
典型的な虐待事案というものが
男性によるものか
孤立した女性によって行われるというマニュアルがあり、

この家庭に男性の影はなく
むしろ知人の女性も時折尋ねて支援している
だから著しく体重が減少していても
生活保護費は毎月きちんと受領していることもあり
児童虐待は行われてはいないと
用紙に記載されてチェック事項に当てはまらないから
虐待はないと判断したということはないのでしょうか。

なぜ見落としたのか
科学的な検証が必要だと思います。

それだけでなく
暴力がなく、強制が無くても
人間の不安や依存心を悪用する人間が存在する
という事実に着目しなければ

自分の利益のために他者(特に女性)を食い物にして
子どもの健全な成長を阻害してしまうという
すべての事情を排除することに
目が向かなくなってしまいます。

どうしても怒りは、問題を単純化します。
怒りも不安から生まれることは
ひとつ前の記事でも書いていますし、繰り返し書いています。

勇ましいことを言って
不安を解消したい
正義感を発揮したいというのも
人間の本能ですから
それはやむを得ない側面もあるのでしょうが、

結局、不安を解消できれば良いという行動は
問題解決を中途半端に終わらせてしまう原因だと
注意する必要があるように思われます。

私は
新たな犠牲者を生まないために
実効性ある対策は何かという
予防の方法について
できるだけリアルに考えていかなければならないと
思ってしまうわけです。

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