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業者による政治家や官僚の接待の利益、思惑とは何か。接待を断られる業者と接待をうけてもらう業者と何が違うのか。「国民に疑惑を持たれない接待」はないということの意味。 [弁護士会 民主主義 人権]

東北新社やNTT等が大臣や官僚を接待したことが明らかになりました。
これに対して、大臣たちは、
「国民に疑惑を持たれるような接待は受けていない。」
と答弁していますね。

ここで使っている「疑惑」の意味がよくわからないので
なんとなく悪いことをしていながら逃げ切っているような
そんな印象ばかり受けてしまいます。

7万円もする酒食を平気で飲み食いする神経も不思議ですが、
どうして業者は、そのような費用をかけて接待をするのでしょうか。
企業ですから、何か企業の利益につながらないと
経費として支出することができないはずです。

ここでは、その場で賄賂などを渡すということは除外して考えます。
賄賂を渡さなくても接待をする利益があるということをお話しします。
但し、高額の接待がわいろにならない理由は
いろいろ考えるほど私にはよくわからなくなります。

まあ、わいろを渡す、つまり、企業に良いように
本来するべきでない公務をさせるために
お金や品物を渡すということをしますと
接待を受ける側も、収賄罪や受託収賄罪をとして罰せられますから
通常このようなあからさまなやり取りはありません。

逆に言うとどんなに高額な金品を提供されたとしても
刑務所に行くことになるというのでは割に合わないのですから
そのようなぎらついた接待を受けるということはしないでしょう。
あからさま要求をされないという安心感がなければ
接待は受けられないということがまずあるわけです。

それでは、具体的な不正公務の要求を掲げないにもかかわらずにする接待は
大臣や官僚にどのようなことをしたいのでしょうか。
それで何か企業の利益になるのでしょうか。

先ず、接待の中身ですが
必ずしも政治家や官僚に利益を与えることを主目的にはしていないのです。
私の感覚では、一か月分の家族の食費以上の
飲食代金やお土産なのですが、
おそらく彼らの感覚では、社交辞令の範囲内なのでしょう。
政治家や官僚は、高級な食事をしたいと
それほど渇望しているわけではないと思います。

但し、この感覚の鈍さだけを問題にしていたのでは
接待の、国民にとっての本当の問題点が見えてこなくなります。
マスコミや一部野党が、ここで批判が終わっているとすると
問題の本質に切り込んでないことになりますし、
問題の本質を国民から隠ぺいすることになってしまいます。

ここを間違えて考えている企業は
おそらく接待に応じてもらえていないはずです。
ここを間違えている企業とは
ひたすらお金を出して、珍しいもの、おいしいものを
提供しようとするでしょうし、
大臣や官僚にやってほしい便宜を、
誰が聞いても分かるようにお願いしようとしてしまっていると思います。

そんなことをしていたら
二度と接待には応じてもらえなくなっているはずです。

では接待をする一番の理由は何かというと

「顔なじみになる」ということなのです。

もう少し具体的に言えば
企業の活動分野に関わる政治家や官僚と
できるだけ多くの時間を一緒に過ごすということなのです。

できるだけ長く面談時間をとってもらうためには、
できるだけ楽しい面会時間にするように工夫しなければなりません。
そのための料理であり、雰囲気であり
そのための高額の費用だという順番になります。

政治の話はできるだけせずに
当たり障りはないけれど
とても楽しい話題を用意するということになるでしょう。
(大臣や官僚にとって楽しければよいのですから
それほど難しくはないでしょう。
かなり、一人一人の経歴や趣味などを調べ上げているようです。)

しかし、その場が楽しかったで接待が終わるとするならば
本当に自分の企業にとって有益なことを
大臣や官僚がやってくれるのか
なんとも頼りない話のように私たちは感じます。

そんな曖昧なことに高額の費用を使えるのか
という疑問がわくのは当然ですが、
これが、日本の伝統的な接待です。

ここに科学の目を入れたのが認知心理学です。
「単純接触効果」という理論です。

つまりこのような接待によって十分企業にとっての利益が上がるし、
それ以上踏み込んだお願いをすることは逆効果になる
ということなのです。

政治家や官僚にとっての政策形成過程は
統計や文書といった抽象的な資料にあふれています。
つまり、その政策で救わなければいけないような
国民の具体的な苦しみを目の当たりにしているわけではありません。
そちらに予算をとるために削られた予算で苦しむような
国民の顔は政策形成過程に出てこないわけです。

客観的に科学的にあるいは統計的な資料に基づいて
政策が立案されていくということになるわけです。
本来そこに、感情や同情が入るということはないはずです。
そうやって、個々の人間の感情に左右されず
国全体の利益を考えて政策を進めるというところに
客観的な政策形成の良さもあるのかもしれません。

しかし、本来感情が入らないはずの政策形成過程に
入ってはならない感情が入ったどうなるでしょう。

統計や理論に基づいて、あるいは法律に基づいて
淡々と政策を組み立てていくときに、ふと
「これ、厳格に仕組みを作ったら
あの企業はそういう対応ができていないから
企業の仕組みを土台から変えなくてはならなくて
対応が大変になるだろうな。」
とか、考えたら
そして、
「そこまで政策を徹底しなくてもよいのではないの」
と修正する余地があるとしたならば
政策を修正してしまうということにならないでしょうか。

それを言い出したとしても
他の人もみんな接待を受けていて
あの企業のあの担当者の立場がなくなってしまうな
なんてことをちらりと考えてしまったら
「ここまで厳格に仕組みをつくるより
 例外規定を設けますか」
と提案しても、
なかなかそれに反対しずらいわけです。
なんせほかの人たちも接待受けているわけですから。
正義感を持つ人も中に入るのでしょうけれど
既に飲んで食べてしまっていますから
なかったことにはならないわけです。
お金を返せばよいというのは政治家だけに通用する話なのでしょう。

「もう少しこの政策は先延ばししましょうか」
ということも簡単に想像することができますね。

単純接触効果というのは
長く一緒にいる人に仲間意識を持ってしまう
という人間共通の心理を言います。

他の哺乳類などは、
匂いによって仲間と仲間ではない個体と
厳格に区別をすることが多いようです。
自分の血縁があるものには共通の匂いがあるようで、
血縁を匂いで感じ取って
仲間という感覚を形成していくようです。

ところが人間は進化の過程で
嗅覚が衰えて、視覚が発達していしたから
血縁などということは本当はよくわからず
いつも見慣れている人が仲間だと感じるようです。

このおかげで、血縁を基準としない仲間を
作ることができたのだと思います。
他の動物に比べて著しく出産が大変な人間が
仲間を作るためには必要な心理だったのでしょう。

そうして、人間はひとたび仲間だと思うと
自分と仲間の関係を大事にしてしまいます。
仲間を傷つけることはしたくないし
仲間のピンチは助けたいと思うわけです。
仲間に喜んでもらうとうれしいということもそうですね。

仲間の表情、感情を気にしてしまうということも起こるでしょう。

接待がしょっちゅう行われなくても
一度楽しい時間を共有すれば
他の会合、勉強会などで顔を合わせれば
特別な感情がわいてきて、挨拶などをするわけです。

接待の効果は、その日限りではなく
接待はなくとも、顔を合わせて話を交わせば
じわじわと強くなっていくわけです。
偶然ゴルフ場や飲食店でご一緒すれば
さらに強くなるわけです。

このためには、接待担当者は、当たり障りのないように見える人
相手の感情を荒げない人
そして感情が豊かな人が最適なわけです。
ここでいう感情豊かというのは気分変調が激しいということではなく、
楽しいときは楽しい表情をして
困ったときは困った表情をするということです。
感情豊かな人は、他者が感情移入しやすいというところに特徴があります。
感情移入する相手は仲間だと思いやすくなります。

ただの会社名、東北新社、NTTという名前よりも
一緒に飲み食いしたその会社の担当者の
笑顔や自分にしてくれた配慮を思い浮かべてしまうと
無味乾燥な政策形成過程においても
その人の感情を考えてしまうとは思わないでしょうか。

仲間であれば見殺しにするということはできない
そんな感覚になるようです。
特に自分がちょっと制作過程をいじることによって
簡単にそれができるという場合ですね。

接待とはこのように
人間の特性を利用した活動だということになります。
そして案外これが企業にとって効果的なので
現代においても接待は続いているのでしょう。

しかし、だからと言って、
接待が許されるかと言えばそれは違うわけです。

一番に考えなければならないのは
大臣や官僚に接待できない人の利益が相対的に害されるということです。

国民全体の利益の観点からこうした方が良いということに
具体的な企業の利益の観点からの修正が入ると
国民全体の利益が後退してしまうわけです。

国民全体の利益と
一緒に時間を過ごしている顔なじみの人の利益
どちらかを天秤にかけている場合、
どうしても、笑顔や配慮や不安などの感情を想定できるのは
具体的に一緒にいる時間の長い人でしょう。

国民全体という人間は想定しにくいので
感情は動きにくいわけです。

もちろん、もっと具体的には
継続して接待をしている企業からはじかれた新規企業の
利益はなかなか考慮されません。

接待をしていない人たちが
相対的に不利になるということです。

政策には必ずメリットデメリットがあります。
一つの立場のメリットがあれば
それでデメリット受ける人たちがたくさんいるわけです。
特定の企業にメリットがあれば
他の企業や国全体にデメリットが大きくなる
ということはほとんど必然ではないでしょうか。

ところが、大臣や官僚は、
接待を受けても偏った判断はしない
と思っているのかもしれません。

もっとも、それを意識的に行ってしまえば
接待が贈賄になりますから
否定はしなければならないのでしょう。

また、単純接触効果は
人間の本能によるものなので
自分ではなかなか意識することは難しいのです。

エリート官僚は、自分の理性に絶対の信頼をおかず
理性がゆがめられる事情の一切を排除する人たちでなければ
ならないと思われます。

接待が繰り返されていく度にその感覚がずぶずぶになっていくのでしょう。

私は、こういう事例を見て
「国民から疑惑を受けるような接待は応じていない」
というような答弁をする大臣を見てしまうと
主食と有料サービスとお土産を伴う接待は
一切禁止しなければならないのだろうと思えて来てしまいます。

疑惑を受けない接待はあり得ないし
利益のない接待を企業が行うということもあり得ないからです。

具体的にその企業の利益に関わる政策を立案しているという情報を
企業にリークした上で、
その企業から接待を受ける場合は、
それは収賄罪に準じた公務の公正性及びそれに対する国民の信頼を
害する行為であると思う次第です。

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