SSブログ

嘘も方便 誠実に正直にというひとりよがり 無責任な態度こそ大人の態度 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

例えばプロポーズするときに
私はあなたを一生大切にします。
一生幸せにします。
なんて誓うわけです。

本当にできるか?
ということをまじめに考えてしまうと、
現代の経済状態で本当にできるのか
不安にならない人はいないのではないでしょうか。

本当に働けなくなるまで、職を失わず
安定した収入が確保できるなんて保証はないわけです。
また、定年まで働いたとしても
いわゆる老後の生活についても不安があおられています。

もしかしたらそんなことをリアルに考えて
結婚しない人が増えているとしたら
それは誠実で正直な人が増えているのかもしれません。

プロポーズのときは
本当に一生大切にして、一生幸せにしたいと
第一希望を思っているのでしょうから、
嘘ではないし、不誠実なわけではない
そういう反論がなされると思うのですが、

別に不誠実だから悪いわけでもないと思います。
そもそも一人が他方を幸せにするのが結婚でもないんだし。

でも、そういうことを言われればうれしいでしょうから
また言わなければ「なんだ?」ということになるのですから
「一生幸せにします」と言うわけです。

この記事は、「しかし心変わりが起きる」
ということを言いたいのではなく、
その後の二人の関係の中で
再びこういう約束を守ることができるかどうかの事態に
気が付かないうちに直面していることがありますよ
その場合どうしたら容易でしょうか
ということの記事です。


人間は大人になっても
色々な理由から、
誰かに支えてもらいたいと思う時が来ます。
精神的な問題、体調的な問題、人間関係的な問題
等によって不安になる時が来ます。

不安の形も様々です。
しおらしく、静かに控えめに、おとなしく不安に打ち震えている
という昔の少女漫画のような不安というものはなく
不安を持て余してしまい
異常な行動に出ることもあれば、
相手に八つ当たりをして不安を忘れようとしてしまうことも
実際は多くあります。

相手に責任がないのに
相手の行動がいちいち癇に障り
怒鳴って否定せずにはいられなくなるということが怒ります。

私の弁護士としての職務では女性の方が不安になることが多いかもしれません。
でも本当はどちらでもあるのではないでしょうか。

例えばもし妻が、
妻自身の自然にわいてくる不安に対処しきれなくなり
自分が周囲から否定的にみられているのではないかと勝手に思い出し、
そんな覚えがなくこれまで通り接していた夫に対して
鬼の形相で、やくざみたいな言葉遣いで
どすの利いた攻撃をしてきた場合、
実際は対処の方法が見つからずに
途方に暮れているという男性は多くいます。

こうなるともう、
プロポーズの時に一生大切にするという誓い
一生幸せにするという誓いが
とてつもなく無謀だったなと思えてくるわけです。
いや既に忘れているのかもしれない。

ここで誠実で正直者の男性は、
怒りに任せて適当に言っているだけの妻の攻撃的言動に対して
それがいかに不合理なもので
静かに冷静に話し合うことによって解決できると
こんこんと説得することを試みようとするのでしょう。

妻の言う
夫の稼ぎが悪いという攻撃に対しては
自分がいかに努力をしているか
自分と同じ条件では平均というカテゴリーの中に納まっている
等ということを誠実に説明しようとするでしょうし、

今後頑張れと言われても
頑張りようがない仕組みになっているし
不正なことをしなければこれ以上収入をあげることはできませんよ
と不正をして収入がなくなるより今のままで我慢しましょうね
等と言って見たくなるわけです。
誠実で正直だから。

こういう不合理な状況の中では
誠実や正直をやめることが王道なのかもしれません。

妻から何を言われようが
大丈夫だから、俺が何とかするから
俺を信じろ、俺についてこい
と話をかみ合わせずにどこ吹く風で
「普通」にしているということです。

何が大丈夫なんだか
どうやってなんとするんだか
信じて本当に救われるのだか
ついて行った先がどこに行くのだか
そんなことは考えないことが一つの対応策のようです。

どうもいろいろな文献や文化を示す資料を見ていると
昔の日本男児は無責任で
勝手なことを言っていたようです。
また、昔の日本では、仕事が急に無くなるということや
職場で人間扱いされないということもそれほどなかったようです。

ここでいう昔ということがいつなのかはまたこの次です。

でも、相手方の不安にはそれほどしっかりした理由がないことが多く
相手に大丈夫だと言われるというか
相手が全然心配している様子を見せないことで
すうっと安心するということがあるようです。

今の私たちはこれができない。
嘘でも大丈夫と言えば済む話だと分かっていても
ついつい、相手の言葉尻に反応してしまう。
「誠実や正直を捨てる」という選択肢がないということだと思います。

それだけ自分が安心できない立場で生きているということなのでしょう。

意味のない言葉だと分かっていても、
どうしても自分を守ろうとしてしまうということなのでしょう。

赤ん坊の夜泣きに苦しむ親ってこんな感じだったのでしょうね。
どうしたらよいんだ。どうしたら泣き止むんだと
誠実に正直におろおろすてうりうりやってみるが泣き止まない。
三歳のお姉ちゃんが眠たそうな眼をして起きてきて
「あらあら眠いのね」なんて言って頭なぜたら泣き止んですやすや眠った
なんてことなんだろうと思います。

言葉に対してきっちり反応としようという誠実さは捨てましょう。
臓物をえぐる言葉にもできるだけ顔色を変えないようにしましょう。
堂々と、平然なふりをして
「そういう時あるね。」
と何言われても、殴られても蹴られても
言う方が良いのかもしれません。

夜泣きをする赤ん坊にたいして泣き止ませるコツとして
大人の方がおろおろしないことが鉄則だということを聞いたことがあります。
大人のおろおろを止めるためにこそ、
自分を落ち着かせるためにこそ
歌を歌うんだと子守歌の練習をしている人もいました。

誠実さや正直をかなぐり捨てて
無責任に大丈夫だと言える
大ざっぱで
動じない「ふり」をする精神力が
求められている時代なのかもしれません。

(そんなこと言って、あとで大丈夫ではなかったときに
あの時あんな風に言っていたけど大丈夫ではなかったではないの
と責められることを心配される誠実さを捨てるということですよ。
その時も、大丈夫だよと言えば良いわけですから。)

nice!(0)  コメント(0)