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コロナ禍モデル 典型的な思い込みDVからの子ども連れて別居の構図 [家事]

コロナ禍は連れ去り別居が増えていると思います。
それはDVが増えているということでなく
そもそもなぜ連れ去り別居が起きるのかということを考えれば
それが起こりやすい環境だからということになると思います。

<子連れ別居の下地には不安がある>

子連れ別居や思い込みDVの主張の根本には
曖昧な不安、漠然とした不安があることが典型的です。

産後うつや不安が出てくる内分泌系の疾患等
特にはっきりした理由がないけれど不安を感じてしまう
という状態がベースになっています。

単体の病気で不安が生じるというより
不安を感じやすい状態のときに
たたみかけるように不安を起こしやすい出来事がある
という感じが典型的の様です。

元々不安障害があったり、内分泌系の疾患がある中で
出産に伴う産後うつで、不安が増強したり、
生まれてきた子どもに軽度の障害がみつかったり
等です。

元々何らかの疾患があって不安を感じやすい人が
出産をして
さらにコロナの不安におびえれば
子連れ別居の下地が厚く塗られている状態なのだと思います。

<間違った不安に対する対処の典型>

このような漠然とした不安に
家族として付き合うこともなかなかメンタル的に大変なことです。
いつもくよくよと起こりえない心配事を言葉に出しているので
こちらも気がめいってきます。

プラス、夫婦ということもあり何とか元気になってほしい

という複合的な理由から励ましてしまうことが
失敗の典型例です。

例えば
「コロナだってなんだって死ぬときは一緒だから
 あまり心配過ぎても仕方がないじゃないか。」
という励ましです。いや本人は励ましているのです。

しかし、不安を抱いている人からは
自分の不安が馬鹿にされているのではないか
自分の心配はどうでも良いと思っているのではないか
私を人間として認めていない
私だけが損をしている。
という具合に感じることがあるようです。

元気を出してほしいということプラス
自分のためにくよくよしたことを言わせないようにしたい
というそういう部分は、不安を感じている人はよくわかるようです。
あるいはそう感じやすくなっているようです。

励ますときの正解例は
「コロナいつ終わるかわからないから嫌だよね。」
「いつうつるかわからないから心配だよね」
というように、
相手が心配していることを肯定することのようです。
(個人差はあるかもしれません)

どうも不安を感じている人は
あわせて孤独を感じているようで、
仲間が近くにいるということが意識できて
私だけじゃないんだと感じた方が
不安が軽減するようです。

「ああ。この人はなんて優しい人なんだろう」
と思われることがあるようです。
(個人差はあり)
こんなことで喜んでくれるのだとすれば
どんどん共感を示すべきでしょう。

ところが家族が自分の不安を否定するものだから
孤独の感情がますます激しくなる。
そうすると、家の外に仲間を求めてしまう
ということはわかりやすいと思います。

<漠然とした不安は、特定の誰かを攻撃するときは感じないですむ>

不安が積もり積もってゆき
家族がそれを解消してくれないとなると
強くなっていく気持ちは
「不安を解消したい」という気持ちです。

不安で苦しむというより
不安を解消したいのに方法がない
という形で苦しんでいるような感じもします。

そこで怒り、攻撃が起きる下地が生まれているようです。

人間の感覚って、どうやらマルチに働くことは難しいようです。
つまり一つのことしかできない。
痛みも本当はあちこち痛いのですが
肩こりを感じているときは腰痛を感じにくく
眠い時は食欲を忘れるみたいな
どれか一つということが結構あります。

不安で逃げたいという感覚と
怒りで相手を攻撃したいという感覚は
同じ危険意識に対する反応ですから
両立は起こりにくいわけです。

例えば夫の悪口を言って怒っているときは、
漠然とした不安が感じなくなっているわけです。
漠然とした不安は消えませんが
怒りを感じているときは不安から解放されます。

この不安を忘れる体験というのは
麻薬のようなもので
どうもそちらにむかっていくことを
自分では止められない
ということが起こるようです。
しかしながら、そのことに気がついてはいません。

<誰が夫に怒りを向けさせるか>

1 行政・NPO

とにかく妻に不安の気配が漂い
援助希求があからさまに出ている。
誰しも何とかしなくてはという気持ちがあり
その何とかする役割が自分にある
となれば、
その人の不安に寄り添わなければならない
ということになるようです。
寄り添うことは、その人を疑わないこと
という間違った安直な図式がマニュアルであるようです。

話を聞くのはよいでしょう。
初めから夫のDVを引き出そうと思ってはいなくても
(思っている確信犯は確かに存在するようです)
マニュアル通り聞いていけば
(虐待の早期発見が任務だということから
そういうマニュアルが作成されるのかもしれません)
夫の至らないところが必ず出てきます。
(人間ですから)
そうすると、もう決まりきった文言が出てきます。
  「あなたは悪くない。」(悪くはないです。)
  「それはDVです。モラハラです。」

そうすると妻は、
「自分が悪いのではないのだ。」と自信を持ち
「悪いのは夫なのだ」と矛先を定めることができてしまうのです。

どうもここには古代宗教的発想あるようで、
「誰かが不安で苦しんでいるのは
その人を苦しめている悪い人がいる。」
という因果応報にとらわれて
科学を放棄しているようです。
(これと同じように前世の祟りだとか
 家の配置が悪いなんて言うのも
 同じ穴のムジナだと思います。)

不安は、体調や精神面から
自然に沸き起こってくることもあるのです。

しかし、矛先が夫に定まると
怒りという不安解消ツールを獲得することになります。
夫に対して怒りを持ち、不安を抑えることができるし、
夫がどんなにひどい行為をしているかということを聞くことも
自分が悪くないという安堵感を獲得することができます。
自分をわかってくれる人を見つけたという仲間意識から
孤立感を解消することができます。
通常人がこの不安解消の誘惑に勝てるわけはありません。

行政・NPOの特徴は
寄り添うことは信じることだという宗教的信念がありますから、
夫から話を聞いてみようということはしないということです。
相談している妻は、夫の悪口を言えば相手が喜ぶし
相談担当者は、夫の行動のあれも悪いこれも悪いと言えば
妻が元気が出てくるので
益々それを言う傾向になっていくということです。

この「あなたは悪くない」という回答をもっとも批判したのは
フェミニストのJ・L ハーマンです。
悪くないという言葉は
それを言えば解決したような錯覚に陥るので
相談者の悩みの深淵に踏み込まなくて済むというのです。
本当に解決するべきことに踏み込まない理由は
相談担当者にその苦しみに共感する覚悟ないからだと
手厳しく批判をしています。

連れ去り離婚をして何十年もたっても
不安が解決しない理由こそ
不安の原因にアプローチしない
あるいはできなくしたからだと思います。

怒りが不安を忘れるのは一時しのぎです。
不安軽減を継続させるためには
怒り続けることが必要になってしまいます。

2 実母

すべての事案でそうだというわけではないのですが、
多くの事案で、結婚前は妻と実母の仲が悪いのです。
その多くのケースがいわゆる毒親というケースで
母が娘を支配したがる傾向が強いというものです。
娘は繁殖期になると本能的に親別れをしたくなるわけで
ある人は実家から離れた土地で進学したり就職したりし
中には駆け落ちのように結婚をした
こういう事案に連れ去り別居は多いようです。

また連れ去り別居をする人は
依存心が強い人が多いようです。
依存心というと悪い言葉のように聞こえるかもしれませんが
人間はみんな仲間が必要だと思うようにできていますから
悪い気持ではないと思います。

もしかすると母親の支配欲が強いために
知らず知らずのうちに、反発をしながらも
依存心が強くなってしまっていたのかもしれません。

不安と依存は強い関連がありますから、
不安を感じやすくなるかなりの割合で
生い立ちが影響している可能性もあるのではないでしょうか。
強く干渉されることが普通だと思うと
干渉されない、面倒を見てくれないということは
寂しく感じるのかもしれません。

だから、夫に対しても、母親のように
自分のニーズを先回りして察して
ニーズ、この場合は不安を夫が解消するべきだ
と、どうもそう思っているようです。
それを解消しない夫は悪いという
依存的傾向を感じることが多くあります。

まるで、不安を解消しないことが虐待だと
言わんばかりなのです。

さて、実母は支配欲が強いですし、
それに娘から反発されて支配から離れていったにもかかわらず、
夫を敵対視することで娘が
自ら自分の支配の環境に飛び込んできたのですから
もう自己実現、生きがいを感じてしまうようです。

これ、昭和の親ならば
そういうこともあるだろうけれど
だれだれさんもこういういいところあるからと
手土産の一つも持たせて
そろそろ帰りなさいというのでしょうけれど

私から見れば異常な支配欲を満足させるため
なりふり構わずに引き離しにかかります。
一緒になって夫の悪口を言いだします。
この30年、この傾向は強くなっていると感じます。

ついでに実父ですが、
こちらも情けない。
だいたいが妻の言いなりで、おとなしい人が多いようです。
妻から言われたことをしっかりとこなすタイプの人が多く
夫と二人きりになったら理解のあることを示すことがあるのですが、
妻や娘の前では夫を攻撃するという行動パターンですね。

3 弁護士

ここが一番納得できないところです。
確かに、法律相談から入って受任というケースもあるのですが
そう都合よく連れ去り事案が入ってくるということはないと思うのですが
よく同じ人が担当しているようです(私の活動している地方ではなく)。

どちらかというと、そういう行政やNPOから事件が来る
ということが多いのではないかと思うのです。
つまり、既に子どもを連れて実家などに別居した後、
離婚調停や保護命令を依頼されるというパターンが多いと思います。

当事者の最も嫌悪する相手は弁護士ですが
それは離婚調停などで、はっきり顔と名前がわかるからです。
先ほどと同じです。
それまで子連れ別居があってイライラや孤独感があるけれど
それをぶつける相手がいない
調停などで顔と名前が出てくるから
怒りの対象が見つかったから
怒りをぶつけるということが実情ではないかと思います。

もっとも弁護士も首をかしげる活動が多い。

弁護士の文章で、
夫に対して何がDVかということを書くのですが、
例えば、先ほどのコロナ不安で苦しんでいるのに
死ねばコロナも交通事故も一緒だ
と言ったことが精神的な虐待だ
だから離婚をしたいのだ
ということを書いてきた弁護士が本当に要るのです。

その弁護士は、子どもたちの利益に反するだろうと言った夫に対して
「自分の仕事は依頼者の希望を叶えることだ
子どもの利益なんて考えたことがない。」
と言い放ったそうです。

もはや家事事件ではないですよね。

何も証拠がないのに、非難だけしていたら
それは、当事者は怒るのは当たり前だと思います。
  
それは、弁護士が妻をそそのかして別居させたと
思いたくもなるのはわかります。

しかし、それは間違いだと思います。
そんな弁護士は人の気持ちを変えるような力はなく
言いなりになり、忖度し
過剰サービスをするしかできないと思います。
  
そしてどうやら、いつの間にか当事者化しているようです。

一番の特徴はDVという抽象的な言葉の前で思考停止をすることです。
DVという言葉が出てしまうと
夫の行為がどの程度至らなかったか、
それが通常人の心理にどういう影響を与えるか
それは日常的夫婦関係の範疇に入るのか逸脱しているのか
ということを吟味しない。

だから、本当の虐待や不安に至る心理経過を見逃すのです。
本当はもっとさかのぼって事実関係を調べれば
夫の行為が妻の心理面に影響が出てくる事案なのに
DVという言葉で思考が停止しているので
それをしない。
その結果、敗訴になるわけです。
裁判所は、警察に続いて少しずつ事態を把握できてきたようです。

またこんなDV主張ばかりしてきたせいで
少し反動が起きているようです。
その犠牲者になりやすいのは、
子どもと会えなくなった母親です。

ある女性弁護士は(これも他県です)
財産分与を求めた女性に対して
夫が今子どもたちを養育しているが
財産分与を請求しているということは
子どもたちに使われるお金が減るということだが
それでも財産分与を求めるのか
と裁判所で言い放ったそうです。

とにかく、
「その夫の発言は、あなたにとって不快で苦しいことだったと思いますが、
その言葉が離婚原因として認められることはないと思います。」
と言える弁護士が少なくなってしまったようです。

4 夫自身

妻が夫に対して、自分の不安解消から何から
夫が自分の問題をすべて解決するべきだと考えているように
夫も妻に対して、家の中の煩わしいことは
自分に振ってこないで妻が解決するべきだ
と無意識に思っているケースが見られます。

これは自分で自覚することはなかなか難しいことだと思います。

男性と女性の会話方法が異なるとするならば
男性が女性の会話コミュニケーションのノウハウを身に着けるべきです。
(妻が男性のコミュニケーションに歩み寄るのは
それはそれでちょっと嫌かもしれません。
私の持論は、家庭内では特に女性的コミュニケーションをするべきだ
というものです。)

実際は簡単なことで、相手の感情をなぞればよいのです。
そして、これは、色男と呼ばれる男性は
小学校の頃からきちんとできていることなのです。
持てていた男子をよく思い出してください。
容姿が良くて、運動も勉強もできるだけではなかったのです。

「自分は外で仕事をしているのだから」
ということは言いたくなるところですが、
そんな家のこともなんともできない仕事には
疑問を持たなければだめなんでしょうね。

もっとストレスのかからない仕事をして
家のことももっとやるけれど
収入が減ると思うけれど
それでも良いか
ということで、一度話し合わなければならないのでしょうね。

一昔前なら、
血縁、友人、隣近所等
気の置けないコミュニティーがあり
孤独を感じにくかったのですが
現代社会は孤立社会で
ママ友ですら、緊張感を持たなければならない相手であるとなると
孤独を感じやすくなるわけです。

現代の夫婦の間には
いつまでも夫婦が仲間でいられる保証が
益々少なくなっているようです。

夫との間で孤立を感じれば
夫との間で孤立を解消することが一番なのですが
それを妨害する人間たちがたくさんいるわけです。

実際は、よそもうちも
夫婦がお互いに
仲間意識を持てなくて
外に仲間を作りやすい環境になっているのかもしれません。

あれもこれも妻に任せて
文句ばっかり言っていれば
本当は感謝していたとしても
それは妻には伝わりません。

文句は自然発生的に湧き上がるものですが
感謝は理性の作業が必要なようです。
だから、感謝の気持ちを持ったり言葉にしたりということは
意識的に行わないとできないのかもしれません。

家のことを妻に依存している場合は
感謝の言葉は出てこないで
ダメ出しばかりが出てきてしまう。

喜びのない毎日と
いつどこからダメ出しをされるかわからないため
いつも緊張感を抱いて夫と接しているとなると
家の外に仲間を求めていくのは
人間の心理としてやむを得ないことのような気がしてきます。

夫が正しいことを言っても
言われた方が傷ついたり、どうしたらよいかわからなくなる
ということがあるものです。
そのとき、かわいそうなことをしたなと思うか
俺は正しいことを言ったのだからそれでよいと考えるか
ここが、穏やかな老後と将来の本当の孤独の
わかれ道のような気がします。

でも、人間ですから
相手の行動に腹が立ちますし
夫婦だからこそ怒る場合もあるでしょう。
 
特に子どもを連れて出て行かれた場合は
おそらく本能的に怒るか、絶望するかとなるのは当たり前でしょう。
この場合の絶望は大変危険ですから
怒る方が健全であることは間違いないのです。
しかし、ひとしきり怒ったら、
きちんと問題設定をしなければなりません。

相手を安心させることに人生をかけるのか
割り切るのかです。
  
この問題設定を行わないで
怒りに任せた行動をしていたのでは
結果を出すことができず
自分を追い込んでいくだけです。

怒りの相手が妻ではなく
妻の代理人だとしても
妻本人から見れば同じことです。

頭では人生をかけて相手を安心させたいと思っても
怒りが処理しきれないと必ず相手に伝わってしまいます。

こういう場合は面会交流さえうまくいきません。
人間ですから難しいところです。
プライドがあると、そしてそれを刺激する仲間がいると
なかなか捨て身になって家族を再生することができません。

どうしても、自分は間違ったことをしていないという意識と
では間違った相手、相手を間違わせた支援者に対して
怒りが表れてしまい
せっかくの努力が振出しに戻ってしまいます。

難しいところです。
本当に難しい。

相手方がこちらの努力に
少しでも反応してくれればだいぶ後押しになるのでしょうけれど
それもなく、いつ解決するかわからないということから
早く不安を解消したいという心理が働くことも
それは人間ですからね、あると思います。

結局、自然に湧き上がる感情を
どうやって理性で制御するかという
そういう大問題なのかもしれません。
最初から最後まで。
  
コロナ禍はいやおうなしに
私たちにこの問題を突き付けているのだと思います。
  

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