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子どもにとっての別居親との面会交流の必要性、有効性について [家事]

1 法律の規定
2 離婚後の子どもの研究
3 発達心理学における子どもの心理から
4 片親疎外という問題
5 母親にとっての面会交流のメリット
6 面会交流が関係者の利益になるためのルール設定


1 法律の規定
民法766条は、離婚をする場合は、子どもと親権を持たない親との面会及び交流の方法を協議で定めるよう、平成23年の法改正によって規定されるようになりました。
この改正は、子どもの健全な成長を実現するためには、親権者ではない親との面会交流が行われることが重要だという、子の福祉、子の利益を目的としています。長年の外国や日本の、離婚後の子どもの研究から、面会交流と子の成長の関連が明らかになったことからの改正でした。
2 離婚後の子どもの研究
  子どもの心理、子どもの福祉という観点からの研究は、最近になってようやく進んできました。第二次世界大戦の戦災孤児の研究が、親子の関係と子どもの福祉への影響の研究の大きなきっかけになりました。
  20世紀の後半になって、アメリカのウォーラースタインという女性の研究者たちが、60組の離婚家族の追跡調査を行いました。これはインタビュー形式で行われたもので、対象が限定されているという弱点はありましたが、1971年ころから25年以上に渡り研究がなされました。特に調査後最初の論文は各国の親子関係法制に多大な影響を与えました。我が国の平成23年の民法改正にも影響を与えたと言われています。その中でウォーラースタインらの調査結果の概要は以下のとおりです。ウォーラースタインとケリーの「Surviving The Breakup」(1980)
  1)子のほとんどが別居親に会うことを切実に望んでいた。面会の回数が少ない場合は不満を持っていた。
  2)父と子のお互いの都合に合わせて行われると面会交流が満足ゆくものになる。
  3)9歳以上の子どもを中心に、会いに来ない親に対して怒りをもったり、自分が会いに来ない親から拒否されたなどの失望感を抱くようになる。
  4)思春期前の子どもは親が自分に会いに来ないことで抑うつ状態になる例が多く、思春期になると、会いに来ない親を自ら否定し、拒否するようになる。
  5)別居親と子どもとが愛情あふれる良好な関係を維持し面会交流が子どもの成長に良好な影響を与えていると判断されたのは全体の30%であるが、面会交流が続いている場合はこの喪失感を和らげる重要な働きを持っており、子は親に見捨てられたという思いを抱かずに、孤独感や無力感に悩んだり、自己評価の低下に陥ったりせずにすんでいた。
   この論文の詳細については、(家裁月報41 8 「子の監護事件に関する面接交渉」佐藤千裕 218頁)から引用しました。
   ウォーラースタインらの研究は161人の子どもを対象とした研究でしたが、さらに大規模な研究を行い、両親が離婚していない子どもとの比較を踏まえた統計的研究は、アメイトによってなされました。13000人以上の子どもを対象にした研究でした。アメイトの研究の結論は、離婚している家庭の子はそうでない子と比べて幸福感が低いというものでした。その理由は、離婚した親の子に対する関心の低下、経済状況の悪化、転居による環境の変化があげられました。
   アメイト以降にも研究が続けられ、現在では子どもに対して負の影響を与えるのは離婚そのものではなく、離婚に伴って生じる複数の要因が関与しており、離婚後になお親どうしの葛藤が強いことが影響を与えるというように整理されているようです。
   これらについては、(家裁月報61 11 「家庭裁判所調査官による「子の福祉」に関する調査 ―司法心理学の視点から」― 小澤真嗣 29頁)を参考に論述しています。
   このような世界中の研究を通じて、両親が離婚したことに伴う子どもの成長に対する影響を軽減するためには、子どもが別居親に定期的に面会することが、子どもの自尊心を傷つけず、自分に自信をもって健全な成長を図るために必要なことだという観点が確立し、各国の親子法制に影響を与えてきました。
3 発達心理学における子どもの心理から
  離婚に伴って、子どもは一人の親と同居をし、もう一人の親と一緒に生活ことが無くなります。別居するわけです。この離婚、別離が与える子どもへの影響は、その年齢によって特徴があると言われています。
  前掲の小澤論文によると、幼児期後半と言われる3歳から6歳の段階では、子どもはまだ自分中心にしか物事を見ることができないという発達段階にあるようです。私たち人間は、まず自分の感覚というものを持ち、集団生活の訓練や脳の成長を通じて他者の中に自分を位置づけられていくようです。ですが、6歳前の段階では、他者と自分の位置づけ、自分の空想と現実との境界が曖昧なままであり、自分に関連付けて自分以外の出来事についても考えてしまうところがあるようです。両親については、いずれ仲直りをするだという空想をするのもこの年代の特徴を表しています。また、親の離婚、別居は自分に責任があると考える傾向にあるようです。自分が寂しく感じていること、欲求不満があっても、自分以外の他者の事情について考えを及ぼすことができないため、何らかの不快がある場合は、自分が良い子にしていないからだというように自分に責任があると考えることしかできないのです。大人もそうなのですが、子どもも絶望をすることを回避しようとする思考上のメカニズムが備わっているのでしょう。自分が悪いから嫌なことが起きている。そうだとすれば自分が良い子でいれば悪いことが改善されるはずだという子どもなりの、絶望を回避するための思考をしているのだと思います。つまり、子どもも希望を持たなければ辛いのです。また、この年代の子どもは、親から捨てられるのではないかという恐れを感じるのだそうです。目の前から一緒に住んでいた一人の親がいなくなってしまった。しかしその理由をうまく理解できない。そうだとすると、もう一人の親もいなくなって、自分は一人ぼっちになってしまうのではないかという不安を抱くようです。このため、子どもは同居をしている親御さんに対して必要以上に良い子に振る舞い、同居親の言うことをきくだけでなく、同居親の気持ちまで積極的に忖度しようという心理が働いてしまうことになります。
  これらの子どもの窮屈な思い、恐ろしい思いを解消する方法として、定期的に別居親と面会し、一緒には住んでいないけれど、こうして定期的に面会ができるのだから、それほど悪いことが起きているわけではないこと、別居親も自分のことを大切に思ってくれているということ、自分が悪いからだと考える必要はないということが理解でき、普通の子どもとして親の言うことを良く聞いて健全な成長を図ることができるようになるわけです。
4 片親疎外という問題
  国際病類分類上も取り上げられている片親疎外(PA)という概念があります。かつては、片親疎外症候群(PAS)という病気であると言われていましたが、現在の主流は片親疎外という問題であり、必ずしも病気であるという把握はなされていません。しかし、片親疎外によってさまざまな精神上の問題が生じることは指摘されており、アメリカの精神疾患分類にはまとまった病気としてはいないけれど症状ごとに分かれて病類分類として位置づけられています。
  片親疎外とは、一言で言うと、別居親を激しく拒否する現象です。俗説では片親疎外は同居親が別居親の悪口を吹き込むことによって起きるとされていますが、これは間違っていると現在では言われています。様々な要因が複合的に影響を与えていると整理されています。原因としては両親間の葛藤に子どもが巻き込まれているということは確かにあるでしょう。親の性格なども原因があると指摘されています。しかし、子どもが別居親と会えない理由が別居親が自分を見捨てたと思い、自分が見捨てられるような人間ではないと思いたいため別居親を攻撃して自分を守るという理由や、自分の前から同居親もいなくなるのではないかという恐怖から別居親に精神的にもしがみつこうとして、同居親の感情を忖度してしまう結果別居親を否定しているという要素もあります。
  肝心なことは、同居親が別居親の悪口を吹き込まなくても、両親が離婚をしたという環境から片親疎外が起きてしまう危険があるということです。
  片親疎外の子どもにとっての悪影響は、15歳ころの自我の確立が図られるべき年代において、自己同一性が確立せずに深刻な混乱が生じることです。別居親について自分を捨てた完全な悪人であると思ってしまうと、自分は完全な悪人の子どもであると同時にと自分と同じ被害者であり完全な善人の同居親の子どもであるという両極端な自己という混乱した状態となります。これは成長にとって極めて悪い状況が起きてしまいます。離婚後、年代によって異なりますが、小さい子ほど自分の言うことを良く聞く良い子であり、自分に言われて学校も習い事もよく頑張る子だと喜ばしいと思うことがありますが、実際は幼い子供たちの心は自分の実力以上の無理をしていることがあり、余裕のない精神状態になっている可能性があります。無理は長続きしません。精神的にあるいは周囲との関係上、問題が起きる場合もあります。
  この場合も、片親疎外の悪影響を軽減するためには、別居親との面会交流を定期的に行うことが特効薬だと言われています。子どもは、ありのままの自分でいることを受け入れられることによって、自分は自分の能力以上の努力をしなくても良いんだと安心して生活することができるようになります。楽しみながら、学習し、成長する人間本来の発達がより容易になるということになります。
5 母親にとっての面会交流のメリット
  3歳児神話や子どもは母親が育てるものといったジェンダーバイアスがかかった俗説が未だに幅を利かせています。これらは、女性が社会参加をして生き生きと人生を輝かせることを阻害しています。近代化前の日本においては、一般庶民の間では、西洋とは異なり、子どもを女性だけで育てるという風習はありません。父親も母親も子どもと関わることが楽しく、子どもを大事に育ててきたという伝統があります。近代化の富国強兵政策に伴って、男性は兵士として外で闘い、女性は銃後を守り家族を守るという性別による分業が国を挙げて推奨されるようになっていきました。このような作られた性による分業の意識が、戦争が終わって70年が経つ日本においてもまだ強い影響があるということに驚くばかりです。
  離婚をした場合に、子どもを母親だけで育てる事例がまだ大多数を占めているようです。母親が主たる監護者になることには子どもの年齢などから合理性がある場合もありますが、親どうしがどちらが主として育てるのかを自由に決めることには差しさわりは実際はないはずです。
  一人で子どもを育てる場合、同居親の責任感が強すぎるために、子どもの成長に一人で責任を負わなければならないという心理的圧迫を受けることがあります。しかし、子どもは両親の子どもですから、1人で責任を負おうとすることは非科学的な思考だと言わざるを得ません。別居親にも子どもを育てる責任と義務があるはずです。離婚をしても荷を分かち合って子育てをすることこそあるべき姿であると考えます。
  また、1人で子育てをする場合は、ご自分の親御さん、子どもから見れば祖父母などの援助があることが多いのですが、それでも同居している親御さんの負担は多く、仕事以外のプライベートな時間を子どもためだけに費やすことになります。実際は子どもも大きくなれば手がかからなくはなりますが、心理的には一人で自分の人生を費やして子育てだけをしているという意識になりがちです。しかし、その時、別居親は自分の時間を楽しんでいるのかもしれないわけです。これは不公平です。自分の時間を作ろうと子どもを他人に預ければ費用も掛かります。知らない場所にいる子どもの心理的負担も小さくありません。面会交流が定期的に行われる場合は、その時間を自分のために使うことができます。しかも都合の良いことに、子どもを預ける費用も掛かりません。無料で子どもは飲食をし、同居親が許可をするだけでお土産まで持たされることも多いわけです。面会交流の日程も決まっていれば、同居親も買い物に行ったり、友人たちとの会話を楽しんだり、趣味の習い事も自由にできるようになります。しかも、別居親からは子どもに気持ちよく会わせてもらったということで感謝もされるわけです。
  面会交流は、法律的には子どもの利益のために行われているのですが、実際は面会交流の時間を上手に利用して、同居親が母親としての自分以外の自分を取り戻すための時間なのです。同居親が心理的に余裕ができ、外部の情報も取り入れることができるようになれば、子どもにとっても有益であると思います。
6 面会交流が関係者の利益になるためのルール設定
  面会交流は、これまで述べてきたように、関係者一同の利益になるものですが、離婚に至った男女が顔を合わせるというデメリットがあることは事実です。できるだけ、このデメリットを最小限にするために、面会交流のルールはしっかりと定める必要があります。
  、
1)久しぶりの感動の再会をしないということが大切です。親の方が感極まって泣いてしまうことは子どもに罪悪感を与えることがあり、子どもにとって重く感じ、次の面会交流が精神的に負担になる危険があります。昨日も会ったように、明日も会うように再会することで、子どもは自分が受け入れられているという良いところだけを感じることができると思います。
  2)同居親との生活を詮索しないことも大切です。これも子どものことが理由です。子どもたちが、これを話していいのだろうかと考えてものを話さなくてはならないことが生まれてしまうことを心配するべきです。通常の同居している夫婦であっても、それぞれの実家に他方を連れないで帰省した時には、多少は他方に聞かせられない話も出てくるわけです。子どもはそのような事情が理解できないから、それを耳に入れてしまうと、本当のことを話さなければいけないという軽い強迫観念が生まれ、罪悪感を抱きやすくなるようです。また、同居親が自分の居所や様子を探られたくないということを子どもにあからさまに伝えている場合はなおさらです。ここは意識しなくてはならないところです。
  3)時間を厳守することも特別な意味があります。同居親は、少しでも受け渡し時間が遅れると、連れ去りの心配をするものです。同居親が面会交流に立ち会わない場合は特に時間を厳守することが求められています。
  4)多少の事情変更は大目に見ましょう。特に子ども体調は変更しやすいため、不意の発熱などで面会交流が順延される場合は実際によくあることです。疑心暗鬼にならないで相手方を信頼して、多少の事情変更はあることが原則だというくらいの鷹揚な気持でいるとうまく回り出すようです。
  5)当事者同士で直接の声掛けはしない。こちらはそんなつもりが無くても、直接の声掛けは、疑心暗鬼になっている当事者にとって恐怖と嫌悪の対象になる場合が多いようです。実際に顔を合わせる場合は目礼程度にとどめることとするとよいかもしれません。


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