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現在に残存する戦争遂行イデオロギーとしての作られたジェンダー [弁護士会 民主主義 人権]



女性が女性であるがゆえに社会的に差別されているという側面は、私はあると思います。つまり、女性という「くくり」で見られて、不合理な扱いを受け、当然受けるべき利益を受けないという差別は確かに残存していると思います。
差別は、人類古来のものではなく、日本においても最近のものだと思っています。性別による区別は昔からありました。国民のごく一部を占める支配層では、厳然とした区別があったようです。政治を行う男性と行わない女性、戦を行う男性と行わない女性という具合です。もっとも奈良時代には執務は男性が行っていたものの女性も政治に参加していたような記録もあるようです。国民の圧倒的多数を占める農業においては、それほど性別での役割分担はなかったのではないでしょうか。家事においては女性が従事した率は高いでしょうけれど、電化製品が普及するまで、調理、掃除、洗濯は、時間がかかる重労働だったので、女性がそれらの行為を担当する割合が多いとしても、男女のどちらに価値が多くあるかという意識はなかったはずです。筋肉量が相対的に男性の方が多いので、より筋肉を使う農作業を男性が多く担当し、反射的に女性が家事を行うということは当たり前であり、みんなが納得した分担だったと思われます。

女性が女性であることで、差別、即ち、低評価を受けることになった時期は、明治政府樹立後であると仮定するとわかりやすいと思います。この時代以降、一部の職域だけでなく、全体的に男性であることの価値が付与されていきました。つまり、男は兵隊として使えるという価値です。
明治政府は富国強兵政策に大きくかじを取り、次々と戦争を行ってきました。1894年日中戦争、1904年日露戦争、1914年第一次世界大戦と10年おきに大きな戦争をしていました。その後日中戦争が1937年に始まりました。ちなみに明治元年が1968年、大正元年は1912年、昭和元年は1926年です。
これらの戦争遂行中、戦争反対の声は大きくは叫ばれずに、国民の支持のもとに戦争は遂行されました。日露戦争などは、講和条約の戦利品が少ないと言って日比谷焼き討ち事件が起きるほど、戦争による経済的利益を獲得することが国是となっていたようです。挙国一致体制を敷いて戦争遂行をしていたのだから、現代からすれば驚きです。第1次大戦までは、戦争にも牧歌的な面もあったとはいえ人を殺すのが戦争ですから、自然な感情としての戦争反対論が起きても良かったはずです。これがなぜ起きなかったかその理由を考えなければならないはずです。
私は、その答えとしては、明治政府が国民の価値観を戦争勝利一色に誘導する工夫を周到に、そして地道に行っていたからだと考えるのです。その方法が、子どものころからの教育だと思います。但し、学校教育ばかりではなく、文学や音楽などを通じた情操教育、文化の普及が大きな効果をもたらしていたのではないかと思うようになりました。
こういう戦争イデオロギーの論点でよく出されるのは、国家至上主義とか天皇制イデオロギー、軍国主義教育ということなのですが、私は、少し違う角度を考えています。もっと、国民一人一人の感情のベースになる部分に働きかけていたのではないかということです。あからさまな軍国主義イデオロギーを政府などが喧伝したところで、国民にそれを受け入れる素地が無ければ反発も起こるでしょう。軍国主義教育に対して国民が反発してしまえば、政府が瓦解して体制が変わってしまうわけです。昭和初期の国民の中でも、年配の人たちは軍国主義イデオロギーに反発していた人や馬鹿にしていた人もある程度いたようですが、それはそれとして戦争に消極的には賛成していたことになるようです。積極的に反対できなかった理由は、政府の締め付けや第二次世界大戦前夜の相互監視という強硬な事情もあったのですが、若年層を中心とした戦争が道徳的に正しい、あるいは必要悪、やむを得ない行動という根本的な価値観が確立されてしまっていたという事情があると思うのです。
この根本的な価値観を形成するキーワードが、「男は男らしく、女は女らしく」をはじめとして、「勧善懲悪」、「立身出世」であろうと考えています。明治政府以前はなかった。つくられた「日本人のこころ」を創作しだしたということになると思われます。
「男は男らしく、女は女らしく」に焦点を当て考えてみましょう。
当時の戦争戦略に照らした戦争遂行イデオロギーで意味があるのは、男は男らしくというところです。その「男らしい」の意味を考えてみましょう。
・いざとなったら命を懸けて戦うこと
・わがままを言わず自分の利益、感情よりも組織を優先すること、
・理屈を言わず寡黙に行動すること、
・上に立つ人を尊敬し、命令に従うこと、
・不言実行として言い訳を言わずやるべきことをやること、
こんな感じでしょうか。
要するに、自分の頭で考えないで上官の命令に従い、危険な行動でも国のために喜んで自発的に行うこと、当時の戦争の形態からするとこれが理想的な兵隊像になっていることはすぐにお分かりのことでしょう。
女は女らしくというのは、女性としての理想像があったというよりも、男はこうあってはならないという例示という副産物だと思います。男は女々しいことをするな、考えるなという対比の中で出てきた概念なのでしょう。要するに、兵隊でふさわしくない行動パターン思考パターンを「女々しい」ということで表したのでしょう。だから、男性の同性愛者に怒りを感じるようになるのは、国家政策が浸透した段階では必然的なことだったと思います。
戦前は姦通罪という犯罪がありましたが、戦後は廃止されました。これは夫のある女性が浮気をすることを罰するものです。どうして、女性を罰するのかというと、男性は兵隊として海外に行くわけですが、その間日本に残した妻が浮気をするのではないかと思うと闘いに集中できない。だから不安を少しでも解消するために、妻の不貞を犯罪にして社会が監視し、国家が刑罰を与えるということにしたのです。世界共通で姦通罪は徴兵制とセットで設けられる犯罪類型です。富国強兵のための法律ということになります。結果としては男女差別ですが、男女差別の結果ばかりが言われていて、その根幹が戦争遂行イデオロギーだということはそれほど指摘されていないように感じます。
このように考えると、男女の区別は自然に存在していたけれど、区別に価値が込められたのは、明治以降の、戦争遂行のための国家政策の結果だと思われてきます。要するに、兵隊さんになる男性は偉いから命を懸けて戦いましょうということです。男は闘うのは当たり前、外国の無理難題から日本を守らなければならない。そのためには、命をなげうってでも日本を守らなければならない。こういう流れる思考方法が幼いころから身につけさせられていたのでしょう。おだてあげられて戦地という危険な場所で人殺しをさせられていたというわけです。
男らしさ、女らしさという概念は国家によって作られたものであり、それ以前に価値観は込められていなかったという事情を示す証拠としては「方言」があります。特に東北地方の方言には、相手を呼ぶ際に、女性が男性を呼ぶ場合と男性が女性を呼ぶ場合の区別はありません。東北地方で言えば「おめ」ですね。共通です。言葉は、国の権力の中枢から等距離で広まっていくものだそうです。かつては京都が国の中心でしたから京都から同心円状に言葉が分布されていたようです。離れていればいるほど、言葉の伝わりが遅く、政権の影響も遅くなるということらしいです。明治時代の首都は東京都ですから、東京から離れるほど、言葉の流行から取り残されていくわけです。これは、富国強兵イデオロギー政策、つまり男女差別や男は男らしく及び女は女らしく、が先ず首都から始まったこと、あるいは地方に行くほど影響力が薄くなっていったということを表しているのではないでしょうか。男は男らしくということは、首都から始まり、地方に行くにつれて広まり方が弱まったということです。こう考えると日本国の世論が戦争を支持していたという場合も、例えば東北地方の農民の声がどこまで反映されていたか疑わしいわけです。戦争遂行イデオロギーを浸透させていく場合も、まず首都を固めることから始まったのでしょう。国の中心部の意見が容易に国民の世論とされてしまい、日本を動かしていたのかもしれません。
この男の子を文字通り兵隊予備軍として持ち上げる戦争遂行イデオロギーをどうやって普及したかということは、大変興味深いところですが、詳細はまたの機会に譲ります。ただ、ここでは、先ほど述べた通り明治以来一貫した文字、文章、歌によって普及していき、大正期あたりまでは、心の奥底に働きかけていくという戦略をとっていたということです。教科書、童話、童謡で、男は男らしく、女は女らしくという土壌を耕していたということです。そこで言われていることが当たり前のように感じられるようになっていったのでしょう。男らしくありたい、男らしくとはどういうことかということで、兵隊になるということが受け入れられやすくなったのだと思います。少なくとも、人の殺し合いである戦争なのに、男らしい行為ということで、自然にあるべきの戦争を嫌がるという意識が生まれにくくなったと思います。そうして、昭和のあからさまな戦争遂行イデオロギーにもいつの間にか従う素地が生まれたのでしょう。
童話で言えば、明治政府は、桃太郎、かちかち山、一寸法師等、話の原形は江戸時代以前にさかのぼるものの、原型にあった残虐な描写を割愛して誰しも受け入れられる表現に改めて、どのご家庭でも読み聞かせできる内容にして普及をしました。悪い者、弱い者を苦しめる者は必ず処罰されなければならない。この処罰をする男子は英雄視されなければならない。英雄視されるため、反撃については問題視されない。このような悪い敵を懲らしめることによって立身出世が叶う。勧善懲悪、立身出世、そしてその主体は男子であるという共通項があります。この考えが浸透すれば、残虐な描写はアクセスを妨げるために削除したほうが良いわけです。
もちろんこれに対して文化的に対抗した勢力もありました。それが「赤い鳥」創刊です。良質で、リアリズムにあふれた童話、童謡、絵が盛り込まれた鈴木三重吉を中心とした雑誌です。1918年に創刊されました。男らしくとか勧善懲悪とか、立身出世をテーマにせず、人間関係の再生、寛容、思いやりなどがテーマになっています。およそ兵隊の育成には向かない話ばかりです。その芸術家たちは、明治政府の戦争遂行イデオロギーの普及にあまり影響されない教育環境を得られたという条件を持っていたのかもしれません。「赤い鳥」は鈴木三重吉の死によって1936年に廃刊になります。第2次世界大戦が翌年から始まることと関係があるようにも思われます。

さて、現代に残る男らしさは、批判らしき批判も受けないで世間一般に肯定的に残存しているように感じます。
・いざとなったら命を懸けて戦うこと、
・わがままを言わず自分の利益、感情よりも組織を優先すること、
・理屈を言わず寡黙に行動すること、
・上に立つ人を尊敬し、命令に従うこと、
・不言実行として言い訳を言わずやるべきことをやること、
最もこの男らしさが幅を利かせているのは労働現場なのだろうと思います。企業戦士やブラック企業にとっては都合の良い兵隊像ということには変わらないわけです。しかし、あまりにも労働環境が劣悪になり、賃金水準も世界レベルに達せず、将来に向けた条件改善も見込まれませんので、徐々に男らしさのメリットがないことに気が付いていくことでしょう。
収入に男女格差をつけて、男性の方が女性より価値が高いということも、明治政府のイデオロギー政策の残存物としてみる必要がありそうです。現代の非正規雇用世帯では、賃金格差は不合理さがあらわになっています。それでも、賃金の男女差別は、不自然なほど是正が求められていないように感じます。

男性であることに価値があるということはそれほど普遍的なものではないことを示す資料もあります。近年、女性の若者が、自己の性的役割を受け入れがたくなっているとのアンケート結果があるそうです。それはそうだと思います。繁殖以外は、男女の区別の合理性がほとんどなくなっているからです。家事は電化によって著しく時間が短縮されました。労働も、電化やIT化によって、男女の区別の必要性が著しく小さくなっています。しかも、社会全体が、筋肉に負担のかかる労働に対して不当だと思えるほど価値を認め無くなっています。もはや、男性と女性とを生物的特徴以外で差別はもちろん、区別する理由さえ薄れていると思います。差別感は、自然発生的に存在したものでないならば、差別を助長するエネルギーが外部から注入されないと消滅していくものです。社会構造の変化の影響もありますが、元々、男女の間に価値の違いがあるとは考えないという方が自然的な考え方なのだということを表していると思われます。

女性差別をなくすことは合理的なことであると思います。ではどうやって差別をなくしていくか。この場合、一般男性を攻撃することはあまり意味のあることではありません。一般男性は、明治以降、戦争に駆り出されて、戦争が終わっても企業戦士ともてはやされて過重労働に従事させられていました。男らしさを求められた結果だともいえると思います。あるいは、身についた男らしさという価値観に抵抗する術がなかったという評価もできるのではないでしょうか。
女性の中には、女性であるがゆえに不合理な扱いを受けたり、利益を害されたりしてきたのですから、反射的に不合理な利益を享受していたはずの男性を「不公正」な存在として攻撃したくなるという感情は、心理学的には理解できます。しかし、それは単に自分の感情を満足させることであり、女性差別の解消の方向をむいてはいません。そのような誤りが起きる決定的な原因が、男女差別というものを人間社会の自然な社会感情、自然発生的な文化だと誤解しているところにあると思います。区別は自然なものだとしても、差別は誰かが、特定の目的をもって作ったものだと私は思います。私の考えが正しいとしたら、女性差別が自然な感情であるという考えは、差別解消に向かわないばかりではなく、国民を対立させて利得を得ることを容認することになると思われます。結局国民の間で差別があることによって利益を受けている人たちが喜ぶばかりではないでしょうか。最も利益を受けている人は、女性であるというだけで低賃金の支払いという恩恵を受け、いつでも雇用を打ち切ることができることを利用して利益を受けている企業だと思います。これからも何十年か、女性は、ミスリードを誘発する活動家によって、戦わないこと、逃げることを、押し付けられていくのだろうと思えてなりません。いずれ解消されるとしても、差別が温存される要因を作っている場合もあるように感じられます。


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