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【共同親権を推進したい方々に】敵を見誤らないこと。家庭を壊そうとしている本体(家族解体主義)をきちんと見極めよう。女性やフェミニストを攻撃することは家族解体主義者の思うつぼ 共同親権制度が骨抜きになる原因だということ [弁護士会 民主主義 人権]



今回の主張はシンプルです。
共同親権の妨害をしているのは、妨害をする必要のある人です。
その人たちやその人を支援している人を批判すればよいのに、
ちょっと遠い人ばかりを批判していたのでは、
いつまでたっても本丸を落とせないどころか
外堀も埋められませんよということです。

妨害する必要がある人は二つのタイプに分かれます。

1つは家族解体主義思想を持っている人たちです。
それが家族解体主義であることを深く考えないで
それに何となく追随している「良心的」な人と「組織的」な人
物言わない子どもの利益まで頭の回らない人。

もう1つは、女性を安い労働力として
無理やり労働市場に登場させたい人というか企業でしょうね。

どちらの方たちも自分たちの立場を強調こそしませんが
隠してもいません。
よく読めばどういう人脈の下、どういう使命を受けて発言しているか
すぐにわかります。
何となく追随する人は、良く考えて行動せず
素朴すぎる正義感を利用されていることに気が付きません。

女性の利益やフェミニズムを何でもかんでも攻撃すると
結果的には、二つの立場の人の思うつぼです。

家族解体主義については、前にお話ししました。

家族解体主義という思想 なぜリベラルがそれを受け入れるのか 共同親権制度に反対する人々
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2021-03-22

要約すると
「家族」という制度自体が
女性に母親とか妻とかという役割を押し付ける制度であり、
女性を縛り付ける制度だから
家族から女性を解放するということが正義だという
尋常ではない考え方だと私は理解しています。

しかし、家族が、夫婦と子どもを中心としたユニットになったのは
戦後の話ですし、
電気の無い時代に、筋肉量が多い男性が力仕事をして
女性は、調理、洗濯、炊事をしていたことも
あるいは出産をして授乳することも
女性は被害的に認識するべきことなのでしょうか。

それではどうやって人間が子孫を残して来ればよかったのでしょうか。
ちなみに日本において嫁入り婚が一般的になったのは
鎌倉時代以降だと言われています。
それまでは、女性が男性の家に嫁ぐということは
一般的ではないとされています。

誰が家族解体主義者かということについては
家族解体主義を批判する人を
「家族擁護主義者」と批判しますからわかりやすいです。

ちなみに家族解体主義を唱える人たちは
国の審議会のメンバーだったり、参考人聴取をされたりしていますが、
どうやらかなり貧しい理由のようです。

昭和の後半に男女差別撤廃条約が締結されるなどして、外圧が起こり
国が男女差別の解消の政策を行わなければならない状況になりました。
そこで、雇用機会均等法や男女参画局を作ったわけですが、
国は何をどうやってよいか自信がなかったわけです。
そこで、男女平等運動を声高にやっている人を政策過程に参画させて
政策の立案を行い、権威付け、正当化をねらっていたようです。

この人たちはフェミニストというわけではなく、家族解体主義者ですから
職場における男女不平等の解消は
あまり関心を持っていらっしゃらなくて、
勢い国の男女参画の雇用分野は開店休業中になり
家庭の中での女性の「解放」だけがゆがんだ形で進められた
というわけです。

政府としても、雇用の男女差別の解消にそれほど熱心ではなかったので
お互いを利用した形になったというのはうがちすぎでしょうか。

いずれにしてもDVという曖昧な概念をツールにして
女性を家庭から「解放」しよういうのが本音ですから
何がDVなのかということは厳密に定めないことや
DVが真実か虚偽か、思い込みかも
それほど気にならないのはこういうわけです。

真実を吟味することなく、弁解の機会を与えることなく
相談をすれば被害者、被害者の夫は加害者という
国が乱暴な用語を使った根源もここにあります。

家族解体という目標からすれば
女性が家庭から出ればそれでよいわけです。
あくまでも「女性の解放」ですから
男性は加害者の一部ですし、子どもは女性の付属物なのでしょう。
利益は考慮されていません。

私は、少なくとも江戸時代以前の日本では
男女の区別はあったけれど、
その区別でどちらが優位かということは
あまり意識されていなかったという考えです。
優位性が認識されるようになったのは
男性をおだてて戦争に駆り出すために
国家権力が意図的に作った政策的なものだ
という考えです。
これらはこの一つ前の記事で述べています。

私は、共同親権、共同養育は、
子どもにとって利益であるばかりではなく
特に女性を子育てに縛り付けないという
女性の解放の制度でもあると考えています。

どちらが育てるかという問題提起がナンセンスです。
双方が子育てに共同参画するべきでしょう。

「子どもは女性が育てるもの」という考え方こそが
ジェンダーバイアスがかかった考え方だと思います。
兵士は子育てしませんからね。

女性が社会の中で孤立して
子どもをなげうって仕事をしなければならない
という状況に追い込むことこそストップするべきです。

ここが共同親権か単独親権を維持するかの
根本的な分かれ道だと思います。

それなのに、女性に対して敵対心をあからさまにして
女性やフェミニスト攻撃ばかりしていると
やっぱり、夫婦間紛争がある場合の夫は攻撃的な人間であり
こういう人と一緒に子育てをしなければならない共同親権制度は、
敵対的な男性の攻撃に女性さらすための制度だと
共同親権反対派の論拠を裏付けるだけの言動になってしまっています。

さらに大問題なのは、本来ニュートラルな圧倒的多数の国民も
誰彼構わず攻撃を行う人たちに
反発するというか、ひいてしまって
共同親権が世論とならないという最大のデメリットが生まれる
ということです。

女性であることに苦痛を感じていた人が
その差別を作ったわけでもないのに
恩恵を受けていただろう男性を不公正の観点から攻撃することは
心理学的に理解できるということは前回言いました。

女性から、女性の権利を口実に
不合理な目にあった男性が
それによって恩恵を受けるかもしれない女性一般に
敵対的な感情を持つ心理は全く同じだと思います。

しかしその感情は、圧倒的多数の一般国民には理解されません。
単なる「攻撃的な人」つまり一緒にいたくない人としか映りません。

考えてもみてください
家族解体主義者の最大のツールが曖昧な概念のDVです。
攻撃的な夫から妻を逃がさなければならない
というキャンペーンです。
この状況で感情的な言動をすることは
このキャンペーンに乗っかっていることになります。

共同親権は、離婚してもなお、
夫が妻を攻撃するための制度だという
家族解体主義者の主張を
裏付けをしているということになります。

家族解体主義以外のフェミニズムには積極的に賛同しても良いのです。
私はフェミニズムの観点から共同親権を主張することにしています。
特にジェンダーフリー論者からは叱られるかもしれませんが
男性は女性に優しくするのは、レディーファーストとかは
人間のあるべき姿だと思っています。
(思い込みDV対策として人類が育んできた有効な対策だった
と思うことで間違いはないと思います。)

批判するべきなのはフェミニズムという思想ではなく
家族解体主義という思想なのだということが腹に落ちない限り
共同親権制度の先行きはかなり怪しいということになるでしょう。

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