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妻からのDV、妻の病的なヒステリーによる精神的な打撃を小さくする方法についての考察 傷つくのがいつでも優しい心なら [家事]

中森明菜「赤い鳥逃げた」*1作詞:康珍化(かんちんふぁ)の冒頭

「傷つくのがいつでも優しい心なら
優しさどこに捨てましょうか
あなたから教えて」

という歌詞があります。
詩人の研ぎ澄まされた感性が
人間の真理を突いたと感じられる
私の大好きな歌でもあります。

この「優しさ」とは何かということも難しいことですが、
たとえば、「相手の気持ちを敏感に察して
相手の役に立ちたいと思う気持ちを持って行動すること」が
優しさという意味の一つだとしたならば
まぎれもなく傷つくのは優しい心だと思います。

妻のヒステリーや妻からのモラルハラスメントによって
多くの男性が精神的に追い込まれています。
妻に対する優しさを発揮しようとしての夫の行動、努力に対して
妻からは容赦なくカウンター攻撃が繰り返され
自分の存在意義さえも根底から否定されるような
発言や行動が繰り広げられて
そして逃げ場がないという状態です。

これからお話しすることは
「子どものために絶対にこうするべきだ」というように
固く考えないでください。

妻からの精神的虐待によって
自死した夫の話もお身内から相談を受けていますし
(子の連れ去りが精神的虐待ならば、
何人かの自死者と生前に出会っています。)
また重篤なうつ病にり患して働くこともできなくなった夫を
この目で何人か見ています。
一言で言って悲惨な状態です。

タイミング、夫の性格、心理的な状態
あるいは妻側の加害の具体的な内容によっては
人間として耐えられないということもありうる話です。

「いざとなったら子どもに土下座をして離婚をして逃げる。」
という選択肢を心に準備していたことが
危機を乗り越えた一番の勝因だと言っている先達もいます。

むしろ離婚という選択肢を持てなくなった時が
精神破綻に追い込まれた時だという人もいます。

自分は離婚という選択肢を持ち続けているだろうか
という自問自答をすることが
もしかしたら生き残る秘訣なのかもしれません。

そのくらい、妻の精神的攻撃に苦しんでいる夫たちがいます。


複雑性PTSDが話題になっています。
この診断名の提唱者であるジュディス・L・ハーマンは、
CPTSDの本質は、
被害者が「人とのつながりを絶たれること」にあると述べています。
だから治療は、人とのつながりを再び作り出すことだというのです。

それが正しいとすれば
虐待の本質は、身体を傷つけられる痛みではなく、
自分が人間として存在するための基盤となる
人間関係を絶たれることによる絶望なのかもしれません。
身体的暴力は、身体を傷つけられると同時に
人間として尊厳、仲間とのつながりを失わせしめているから
被害が甚大になるということになるはずです。

そうすると、DV、虐待、モラルハラスメントは
身体的暴力が無くても成立するということになります。

だから、妻から夫へのDV、虐待は十分成立するのです。

「妻からのDV」というと笑う人(相談担当者、行政)がいます。
おそらく、妻からの理不尽な攻撃があったら
男子たるもの身体的優位さで制圧するだろうから深刻になるはずがない
とでも考えているのでしょうか。

男性のDV被害者の方々は、
妻からどんなに理不尽なことをされても
身体的暴力で対抗することをしません。
しないというよりも、
身体的暴力に打って出ることが「できない」のです。

夫による、妻からのDV被害の訴えを笑う人たちは
結局、DVとは何なのか理解していない人たちです。
女性が被害者となるDVも被害も
本当は理解していないことになります。
「それほど暴力を受けるなら逃げればいいじゃないか
それを逃げないのは、結局男性に依存しているだけだろう。」
等と偏見を持っている可能性があります。
男性のDV被害を理解しない人を
相談担当や行政窓口においてはなりません。

対抗する身体的な対応もできない
攻撃されたことに驚くばかりで合理的な対応をすることもできない
こういう事情が
妻からのDVを可能としているのかもしれません。
優しさが心を傷つけるのだと感じられてなりません。

これから述べる考察は、
妻がDVを行う原因が、一過性のものである時は
良く当てはまります。

これに対して、私が実務上出会った事案のいくつかは
精神病による幻覚幻聴に基づく攻撃
精神病による自己制御不能の状態
修正不能のなんらかのパーソナリティー障害
という場合があり、こういう場合には
あまり当てはまらないことかもしれませんし
高度な技術が必要なことかもしれませんのでご注意願います。

「一過性の原因」ということの代表例が
出産前後、特に出産後2年くらいで、
特に母乳での子育てをしている場合です。

また、一か月単位の周期があって
攻撃性が高まる場合です。

(もちろん、個性による違いが大きくあります。
産前からの傾向が拡大するという場合もあるようです。)

こういう場合は、理由があって攻撃的になっている
というか
攻撃的になっているというよりも
夫が仲間であると感じられなくなっている時期なので
多くのケースでは母乳をやめるか2年くらい経つと
収まっていくようです。

しかし、この時期に対応を間違えると
新たな「夫に安心できない事情」が生まれてしまい
その後もしこりが残ることがあるようです。

第1の対応策は、
いずれ収まっていくと時間の過ぎるのを待つ
ということになります。

但し、ただ我慢するよりは、
「そういうことを言われると苦しい」
「言われるのが嫌だ。情けない気持ちになる。」
「たいそう寂しい気持ちになる。」
等ということをはっきり言葉で教えてあげる必要があります。

この時の注意としては、
居丈高に反論したり、相手の不合理を鋭く突いたり
言い負かしてしまうことは
デメリットばかりが大きくなる危険があるということです。
妻の側で、「新たに夫に安心できなくなる事情」
を作ってしまう危険があるということです。
つまり被害者だったのに、加害者になってしまう
ということです。

そうならないためには、
自分が被害者であることをまず自覚することだと思います。
その上で、被害者らしく振舞うことを考えましょう。

背中を丸めて、斜め下45度を見つめる等
体全体で感情を伝えることが第1です。

これを省略して、条件反射的に怒りだけを伝えると
加害者と被害者が逆転してしまうわけです。
実際のケースではこういうことが多いです。
そして被害者であったはずの夫は、色々な辛酸をなめることになります。

次に多いのは、妻のDVに耐えきれなくなって失踪すること。
先ず被害者であることをきちんとアッピールしてから
その後で失踪するということをしないために
妻子を放っておいたという加害者にされてしまうわけです。

大切なことは被害者であるという自覚をもって
被害者として苦しんでいるということを
攻撃にならないように工夫しながら形で示すことなのでしょう。

第2の対応策は
自分の感じ方を制御するということです。

但し、傷つくことを回避するために
優しさや感受性を殺すことは
自分自身を少しずつ殺していくようなことなので
それはしない方が良いと思います。

優しさを捨てるのではなく、
真面目さや責任感を抑えて、少しいい加減にする。
とこういうことが必要な夫たちが実は多いようなのです。

被害を受けている夫一般に見られることですが、
妻からのDVに対しても過剰な反応をしてしまっていることが
多いように感じています。

とてもありふれた相談例を挙げてみましょう。
妻からのDVの相談がある場合は、
「どんなことをされるのですか?」と尋ねます。
「暴力と暴言です。」と回答があったら、
「どんな暴力ですか。暴言とはどういうことを言うのですか。」
という具体的な内容を聞くことにしています。

「キレてこちらに向かってものを投げ出すのです。」
と言われれば、
「何を投げるのですか。」と尋ねます。
そうすると、ぬいぐるみであったり、ゴミ箱であったり
妻が投げた物を教えてくれます。

何を聞きたいのかというと
例えばハサミだったり、例えばガラスコップだったり
殺傷能力のある投擲行為をしているのか
そこまで自制ができない状態かということを検討するためです。

投げられている本人は気が付きませんが、
その物が何かによって、
夫を殺傷したいのか、
ただイライラを解消したいのかということを見極めることができます。

暴力についても、
けがをさせるとか気を失うような暴力かどうか
ということを尋ねるわけです。

暴言についても一応聞いておきます。
但し、通常、臓物をえぐるような暴言しかありませんから
あまり参考にはなりません。

この記事で私がお話ししたい人物像は、
「そうはいっても、どんなもの投げても、弱い力だとしても
人に向かって物を投げることは無条件にダメなのではないか。」
と素朴に考えている方々なのです。

こういう実際に関わるならば付き合いやすい人こそが
傷つきやすい人ということになるようです。

実際にご自分が真面目で、正義感が強いからこそ
家族に手をあげるということが「できない」わけです。
その真面目さ、正義感を家族にも求めてしまうようです。
しかし、その真面目さや正義感が
自分と妻を苦しめているともいえるのではないでしょうか。

どうして真面目さや正義感が自分を苦しめるのでしょうか。
それは次に述べるような心理経過のようです。

あらゆる暴力は正義や道徳に反する。
あらゆる人を傷つける言葉も正義や道徳に反する。
妻は自分に物を投げるということで
自分を侮辱した言葉を発したことで
正義や道徳に反する行為をした。
自分はその被害者である。
妻の正義や道徳に反する行為は、
自分を侮辱し、ないがしろにする行為である。
だから自分は怒らなくてはならない。
正義や道徳に反する行為をした妻は制裁を受けなければならない。

どうもこういう理屈っぽい感情の経過を
感じる相談が多いのです。
そしてその流れは、
かつての私のように正義感の強い人間が聞けば
ついうなずいてしまうほど自然に聞こえてくるのです。

しかし、私は、常々、このブログでも
法律も、道徳も、正義だって
それは他人同士を規律するための人類の発明品であり、
仲間同士を規律することは別のところにあると主張し続けています。

そのフィルターを通してお話を再構成すると
どうもその考えは本当は自然な考えではないのではないか
という考えが生まれてしまうのです。

つまり実際の被害を基軸にものを考えるのではなく
不正を行う妻の人格を問題にしてしまうのです。
異常な人格者と暮らしている自分はなんて不幸なのだろうと。

ところで制裁について専門的な話をしてしまうと
不正を処罰される場合というのは
理性によって不正を抑制することが期待できる場合の人です。

産後うつならぬ「産後躁」のような
けんかっ早く、無敵モード状態のときは
夫が近くにいると思うとイライラして
夫が近くにいなくければいなくて無責任だとイライラして
とそういう状態になることがあるようです。

このイライラというのはなかなか男性は理解できないのですが、
やっぱりとても苦しくて、何とかこの感情から解放されたいと
そういう要求が強くなっているようです。
そこで八つ当たりをして発散したくなるようです。
自分で合理的な思考を巡らせて
自分の夫に対する攻撃は不合理であり、やってはいけないことだ
というような思考で暴力や暴言をしているわけではないようです。

婦人科系のイライラの場合は
腹部で内出血を起こしていてイライラする場合があるようです。
そういう場合に感情が制御できなくなることが多いのですが、
男性は、そういう外傷ではない内出血が起きる日常ということは
なかなか経験できません。
おそらくその場合のイライラは
強い不安を伴うもののようなものだと思われます。
「出口のない出血」が腹部内で起きているというだけで
私ならめまいがするほど恐ろしいことです。

そういうことでヒステリーを起こしたり、夫に攻撃することが
とても多いようです。

だから、暴力の行為者、暴言者は確かに妻なのですが、
妻を責めたり、罰したりする基盤が本当にあるのか
自信が無くなってしまいます。
つまり、それをしないことが、
果たしてそんなに簡単なことなのか。
そういう妻の精神面の変化という仕組みのおかげで
子どもを授かることができたかもしれません。
そうは考えられないでしょうか。
なかなか難しいこととは思います。

そうして私の研究ですが、
夫に対してヒステリーを起こす妻ほど、
夫を失いたくないと思っている傾向があるようです。
夫を馬鹿にしていたり、侮辱しようとしていたりするわけではなさそうです。
何か特別の意図があっての行動ではないのだろうと思います。

だから、
何も問題や原因がない普通の精神状態ではない
イライラで自分がつぶされそうになっている状態なのだ
と考えてみることはできないでしょうか。

実際はとても難しいことです。
暴言なんて、そういう状態でも適格なところを突いてきます。
自分が侮辱された、馬鹿にされたと思えば
自然に怒りがこみあげてくるのがむしろ当たり前だと思います。

自分を振り返っても分かるのですが、
頭では分かっても
30代までのうちは、なかなか自分の反射的な怒りを抑えるということは

難しかったかもしれません。

でも、怒りの気持ちがわいてからで良いです。
「そんなにムキにならなくても良いのかもしれない。」
と無理して思って見てはいかがでしょうか。

物を投げるということを主目的としているような行為や
あなたに「あたりたい」ということを目的としている行為の場合は、
(つまりあなたを殺傷しようとしている目的はない場合)
あなたに甘えているという理解でよいのだろうと思います。

それを夫の道徳心が強すぎるばかりによけいに傷ついたり
正義感が強すぎるばかりに制裁感情が起きたり、
責任感が強すぎるばかりに、
ヒステリーの言葉を真に受けて余計に傷ついてしまうわけです。

それに輪をかけて
自分の実母や無責任な同僚などの助言、つまり
「そんなことやらせておいたら男子の沽券にかかわる。」
「子どもへの教育的配慮のためやめさせるべきだ。」
「あなたはかなり馬鹿にされている。それでもいいのか。」
「嫁すらも制御できないのか。」
等と言う外野の言葉を真に受けて
自分は「傷つかなければならない。」
「怒らなければならない。」と
素直に制裁感情を引き起こす例は本当に多いと感じています。

文学作品などからわかりますが、
古今東西暴君の妻に虐げられ、苦労している夫たちは
実に多いです。

あなただけではありません。
人類の長期にわたる悩み事であり、
この苦汁を受け入れてきたからこそ
人類が生き残ってきたのかもしれません。

原理的には、妻のDVこそ
人類(二足歩行を常態とする哺乳類)の誕生以来
どの時代にも普遍的に存在していたはずです。

つまり、結婚をした以上、男性は、
人類が誕生したときから選択を迫られていたはずです。

八つ当たりという不合理を断固拒否するのか、
妻の精神的な不安定を伴う焦燥感(イライラ)を
自分を差し出して共有してあげるのか
(できる範囲で)

少しでもそういう視点を持つことで、
結局は、自分と子どもたち、そして最愛の人である妻が
救われるのかもしれません。

まとめますと
第1に、
被害者のままでいること、加害者にならないこと、
被害を冷静に伝えること
第2に、
自分は侮辱されたり、軽く見られてはいるわけではないと考えること

こういうことになろうかと思われます。






*1 赤い鳥逃げた
ミアモーレの、題名違い、歌詞違い、曲、編曲同一の歌です。
どうやら歌謡曲では、こういうパターンを作り、どちらを売り出すか選ぶようです。ミアモーレの方は、歌を聞いただけでドラマチックな情景が生き生きと浮かんできて、曲調とマッチしたのでこちらをシングルカットしたようです。それでも、「赤い鳥逃げた」のパターンも捨てがたく、LPレコードのような大きなレコードでシングルカットされ、私も入手しています。B面はバビロン。先日、久しぶりにレコードをかけたとき、自分の記憶ではもう少し収録曲があったはずなのにおかしいと思っていたら、裏を見たらB面があって、自分で笑ってしまったことがありました。

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