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家事事件の案件でパニック発作が起きるという報告が増大していることの原因としての、現代の夫婦にとっての夫婦の関係 [進化心理学、生理学、対人関係学]

最近離婚事件の相談を受けたり、代理人として仕事をしていて気になるのが、妻のパニック発作が多いということです。私が夫側から妻の様子を知らされてパニック発作だとわかる場合もあれば、妻側からの相談でパニック発作が起きたことを打ち明けられる場合もあります。パニック障害の診断書が出される場合も多くなってきたような感覚もあります。

事件に出てくるパニック発作の具体的症状で多いのは過呼吸ですが、手にしびれが現れたり、葛藤というより焦燥感が制御できなくなったりしてしまい、救急車を呼ぶということも少なからずありました。体の力が失われてしまい動けなくなるということも報告されています。情動性の反応なのでしょうか。情動性の反応だとすると、ナルコレプシーを思い起こさせます。但し、むしろ眠れないということから不安が原因でパニック発作が起きるという順番のようです。

教科書をつなぎ合わせて考えると、「もともと、精神的に弱いところのあるところに、夫からの働きかけによって逃げ道がないという精神状態に追いやられた。」ということになるようです。「女性の解放は家族から解放することから始まる」という考え方の人は、妻がパニック障害を起こすということは、そこに夫のDVがあると即断してしまいます。そしてパニック障害が夫のDVの証拠だとされてしまいます。

パニック発作は、発作を起こさない人の日常とは異質な出来事です。また、発作を起こしている本人は、このまま死んでしまうのではないかと不安が止まらなくなることがあるようです。また、確かに夫の行動が、直接、間接の原因になっていることも少なくありません。

パニック発作の直接の原因として多いのが、DV以外では、口論をしている場合です。妻が夫に何か言って、夫から言い返されて、さらに追及されるということが多いようです。妻の言い分に共感できる場合もあれば、共感できない場合もあるのですが、夫の側が、妻が窮地に陥っているのに、さらに攻撃を継続していることが少し目につきます。自分が妻に攻撃されたと思って、自分を守ろうということから怒りに火が付き、怒りに任せて、「相手をかわいそう」と思う気持ちを持てなくなり、さらなる攻撃を継続するという感じですか。
気持はわかるのです。中には臓物をえぐるような妻の言いがかりがあり、「それは反撃したくなるよな」というところまではわかるのです。しかし、妻が黙ってしまい、行き場がなくなったところを逃げ道をふさぐような攻撃をしたのでは、やっぱり家族としてはダメなんだと思うのです。怒りという感情は、性質上途中で止められなくなるという特徴が確かにあるような気がします。
但し、夫婦仲が悪くなってしまうと、夫が近くに来ただけでパニック発作が起きたということもあります。この場合は、夫に攻撃をする意図もそぶりもない場合でもパニック発作が起きることがあります。

間接の原因というのは、夫に何かミス(借金発覚とか職場での処分とか)があり、妻が大変ショックを受けている場面です。直接ではないのは、パニック発作が起きる直前には口論などの夫の働きかけがなく、夜寝ているときに発作が起きたり、別居後に発作が起きたりする場合です。おそらくいろいろなことを考えているうちに焦燥感が高じ、不安がいやがうえにも高まってしまったのでしょう。ここには、眠れなくなって、ますます不安になるという流れも多くのケースであるようです。

実務上で知らされるパニック発作は、多くはこんな感じで起きています。パニック発作のきっかけは、虐待とかDVと言えるレベルでもないのではないかなという感じがするんです。口論の場面で、支配を目的とした攻撃とまでは言えないと思う場面でも、パニック発作は起きています。
もちろん、「DVや虐待ではないから夫の行動は自由だ」というわけではありません。妻が逃げ場のない状態になっているのだから、その時点で攻撃は止めて、後でゆっくり話し合うなり、水に流すなりするべきだと思います。夫からすれば、妻が最初に自分に攻撃を仕掛けてきておいて、自分が我慢しなくてはならないなんて不公平だと思う人が多いと思います。しかし、家族ですから、不公平とか正義とかを持ち出してはダメなんだと私は思っています。

特に妻が多いのですが、時折、自分の感情が制御できず、発言を抑制することができなくなる時が、多かれ少なかれ誰にでもあるようです。「うちはないなあ。」と言われる方はとても幸運な方だと思うので、奥さんに感謝するべきだと思います。
「妻のヒステリーを真に受けてはだめだ」ということなんですね。我慢しなければならないし、古今東西、男は我慢してきたというのが、多くの文学作品から読み解けます。(但し、限界はあるし、馴れるまでには時間を要するということも真実ですね。)
そして「泣いたら終わり。血が出たら終わり。」というのが、小さい頃の地域の年齢混合での遊びや喧嘩のルールでしたが、最近の若い人たちはよくわからない人と遊ぶということがないから、ルールが身についていないのかもしれません。過呼吸になる前に、相手が言葉に詰まったら、口論は終わりにする。後で冷静に話し合うなり、水に流すなりということなのだと思います。
これ実はなかなか難しいことです。動物である以上、自分を守ろうとすることはどうしても発動してしまいます。そして、怒りを伴って防御の体制になると、同じように攻撃衝動を抑えることが難しくなるからです。本能的には抑えられないならば、予め、妻から理不尽な攻撃があることがあるという知識を身につけておいて、その場合でもできるだけ我慢して、逃げ場のないところに追い込まないという覚悟を予め持っていなければならないということなのだと思います。
そこで男女平等だとか正義に反するなんてことを家庭の中に持ち込んで、自己を正当化しようとすると、DV認定がなされた上の連れ去り別居離婚がどんどん増えていくだけだと思います。

(それでも、妻の仕打ちの極端に悪い例があり、夫が自分で自分を守れないケースもあります。そういう場合は、離婚を考えるしかないというか、離婚という選択肢を抱えておかないと極めて危険なことになるので、そちらの方向で考えることもやむを得ないと思います。命を守ることは肯定されなければなりません。その場合こそ、条件反射的な反撃をせずに、証拠をとって後に備えるということが鉄則です。)

それにしてもです。

それにしても、パニック発作を起こしやすくなっているのではないかという疑念がどうしても残るのです。パニック発作は不随意的な運動ですから、芝居を打つことはできません。発作は起きていると考えるべきです。

しかし、それだけDVが増えたと考えることはどうしても納得ゆかない。「そんなことでパニック発作が起きてしまうのだろうか」という事例が大変多いのです。

どうしてかという思考の歩ませ方は、
①パニック発作を起こしやすい個体が増えたのかという生物学的な変化が起きたのかということと
②パニック発作を起こしやすい人間関係が増えたのかという環境的、対人関係的変化が起きたのかということだと思います。

前者は私にはわかりません。前者と後者は矛盾するわけではなさそうなので、とりあえず後者だとすればどういうことかということを考えてみようと思います。

その上で考えたのは、
「現代の夫婦は、夫婦の関係が壊れることを極度に恐れている」ようになったのではないかということです。しかし、それを自覚することはありません。
「いつも断崖絶壁のがけっぷちに立っていて、相手から愛想を突かされてしまうと、がけ下に転落するしかない。」
そんな切羽詰まった感じなのです。
だったら、相手を大事にすればよいのですが、
相手を大事にするという発想を持つことができず、自分を大事にしてしまうのです。自分を守ることに精一杯という感じを受けてしまいます。
それと仲良くする方法がわからないという感じです。

つまり、家庭でも、学校でも、会社でも、地域でも、友人関係でも、他人と仲良くして、心地よい人間関係を作る方法がわからない。波風を立てないように我慢をしてしがみつくか、他人と人間関係を結ぶことをはじめからあきらめたり、時間や場所など限定的な付き合いしかしないということなのではないでしょうか。

それでも繁殖期の勢いで結婚をしてしまう。そうすると、夫婦という人間関係だけが自分が帰属する唯一の人間関係だと思い込んでしまう。その結果、夫婦という人間関係が自分と配偶者という未熟な人間の集まりに過ぎないのに、「夫婦」という関係に過剰な期待が生まれてしまう。その安住の場所であるべき夫婦関係の中で自分が否定されることが何よりも恐ろしくなる。
こんな感じなのでしょうか。

つまり、友人、会社、その他の人間関係が希薄になっているために、夫婦という関係を気が付かないうちに相対的に重要なものだと認識してしまっているというかんじでしょうか。

(理由がわからないパニック発作が起きるケースでは、
発作を起こす人の特徴として、仕事上では業績がある人、能力を評価されるべき人ですが、同僚との間の人間関係についはあくまでも職場だけの人間関係で、職場の外でまでは付き合いをつくらない人が多いように感じられます。)

夫婦関係が自分にとって大切な人は増えているのですが、それを自覚する人も少ないですし、大切にする方法を知っている人も少ないように感じます。
お互い大事にしあうことによって、いたわり合うことによって、相手との絆を強くして、壊さない人間関係を作る。それを意識して作るという発想を持ちにくいようです。それでも関係を維持しようと汲々としてしまうと、対等な人間関係ではなくなってしまいます。ますますストレスが増えていき、やはりうまくいかなくなるというようなこともあるようです。

相手から愛想を突かされるとか、自分に対する相手の評価が下がりそうだとなると、自分を守るために言われる前に言い訳をするとか、自分を否定評価しそうな相手を先制攻撃してしまう。それで自分を守っているような錯覚に陥ってしまっている。そんな感じなのです。

相手からの自分の評価を守るために相手を攻撃する
こういう本末転倒なことをやっているようです。

反撃された妻は、逃げ場が無くなってしまい、夫婦という関係に依存しているために、すべての望みが絶たれたような絶望を感じて、パニック発作を起こしているのではないかとも感じます。

必ずしも身体生命の危険を感じているわけではなく、夫婦の中の自分という立場が失われるという不安がパニックとなって表れるということです。それでもパニック発作が起きると「このまま死んでしまうのではないか。」というところまで感じてしまうことがあるそうです。

これが続くと、もう夫婦でいることは「疲れてしまうからいいや。」ということになるのも理解できるような気がします。

もっとも、自分の立場が危うくなるという危険性を病的に感じやすくなっている夫が、あらゆる妻の自分に対する否定評価を断ち切ろうと、妻の人格まで操作しようと働きかけを強めればそれは配偶者加害(DV)ということになってしまいますね。こういうケースもないわけではありません。こういうケースは、同時進行で表に発覚することが難しいですし、その結果妻が精神破綻をしてしまうことがあり、大変恐ろしい結果になります。

でも、近時のパニック障害のケースはここまでひどいケースは見当たりません。

つまり、パニック発作を起こすまで追い込まれているといっても、それに見合う精神的虐待があるというよりも、二人とも仲良くしたいのに仲良くする方法がわからずやみくもに自分を守ることしか考えられない。相手の気持ちを推し量る余裕がないから、相手が自分の行為によってどういう気持ちになるのか考えられないといった、現代の夫婦の弱点があると私はにらんでいます。

心理学が盛んになり、皆さん自分の気持、自分の行動の原因について説明することが上手になってきています。なぜか、そのとき相手がどう思ったか、今どう思っているかということを考えるのは苦手なようです。

夫婦や家族の仲良くする方法、喧嘩をしない方法について、普及啓発をすることが、つまり選択肢を提示することが、現代日本では求められている、そう思えてくるのです。

相手を攻撃してしまうのは、よく考えない反射的行動、本能的です。仲良くするということは理性的行動です。反射的行動を抑えて理性的行動に出るためには、、どこで反射的行動を起こしてしまうかということを予め知り、そのポイントがここだと感じる訓練と、反射的、本能的意思決定ではない、行動の選択肢を予め持っていること、それによって理性的行動をしやすくすることだと思います。


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