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家族再生を目指す場合の「専門家」の関り方。加害者プログラムの受講者さん方と話して気が付いたこと、相手のこころに働きかけるというアプローチこそが重要ではないかということ。弁護士と心理士とのすみわけとコラボレーション。 [家事]


要は、ユーザーが何をどのように利用するかという話です。

最近、男性からの離婚事件の相談を受けていると
心理的な学習をなさっているというか、
「加害者プログラム」の研修を受けている人たちが多くいます。
こういう方々はよく勉強していて、
・自分が妻に何をしたのか
・どうして自分はそういうことをしたのか
・自分の気持
については、驚くほど正確に文章として記録し、説得力あるお話をされます。
つまり「自分について」はよく語れるのです。
また、その結果妻が自分から去っていったのだ
という「結論」はご自分で語ることができます。

ただ、加害者プログラムという性質からでしょうか
自分のネガティブな側面がクローズアップされすぎているような
印象は受けています。

それよりも問題ではないかと感じるところは、
自分の行動によって妻がどういう気持ちになって、
別居という選択をして行動に出たのか
というリアルな流れの説明がかなり希薄な感じがするのです。

自分についての考察がかなり正確だからこそ
際立ってそう感じるのでしょうね。

どんなに自分について詳しく説明できるようになっても
対策は生まれません。

「自分と相手の関係」を修復したいならば
相手の気持ちを動かさなければなりません。
相手の気持ちについての理解が無ければ
相手の気持を動かしようがないので、話しが始まらないからです。

自分の気持や行動を、反省に基づいて
止めるべきところをやめただけでは
二人の関係は改善されません。

この意味で
デメリットが多くてメリットが少ない例として、
「自分の気持の中に相手に対する支配欲があったことに気が付いて
自分はなんて暴君だったのだろう。」という反省です。
そんなことに気が付いたところで
仲直りができるわけではありません。

反省の内容を手紙にして相手に届けたところで、
自分も相手も苦しくなる結果にしかならないというのが
弁護士としての経験上の実務的な実感です。

あまり現実(相手のこころ)を動かさないわけです。

(そもそもわたしは「支配欲」という欲を持っている人間がいるとは思っていません。自分を守るために、つまり自分が安定して妻との関係を維持できるために、妻の自分の否定的評価をことごとく消さなければならないという過剰な防衛行動が程度を超えると「配偶者加害」(DV)となると考えています。あなたは支配をしたいわけではない。ただ、自分に自信がない状態になっているから、相手が自分に理不尽な評価をすることを何とか無かったことにしたいと思って、後先かまわずに防衛行動を起こしているのではないでしょうか。しかし、相手があなたのそのような内心を理解することは無理です。その結果、相手からしてみると、自分がどう扱われたかだけを認識しますから、支配されている、服従を強いられているという感覚を持つということだと思います。あなた、自分の愛する人に自分の奴隷として行動してほしいと思いますでしょうか。そんな他人を支配しようなんてことを考える人がパートナーをそもそも作れるでしょうか。そうではなくて、仲良くする方法がわからないのです。本当はただ「ふたりの関係の中に安心していたい」ということなのだろうと思うのです。)

だから、相手の気持ちを考えて
「どうすれば相手は安心するだろうか。」
ということを考える方がよほど現実を動かすと思うのです。

うっとうしい夫の懺悔話なんて
誰が聞きたいと思うでしょうか。
夫の自己正当化と、
真実に気が付かなかった自分(妻)への非難と受け止められ、
逆効果になるということがこれまでの経験です。

ではどうするか。
方法論はそれほど簡単ではありません。
なぜならば、人のこころに、客観的な基準なんてないからです。
こうすればうまくいくという一般論はありません。

その一人の人がどう受け止めるのか
その一人の人のこころをどう動かすのかということがテーマです。

その回答を導くための素材は、
あなた自身が誰よりも豊富に持っていることに気が付いてください。

男女として一緒にいた時間が多かったあなた自身だからこそ
その人のこころに関する情報を誰よりも持っているのです。

あくまでも相手のこころを変えるということが唯一の目標です。
あなたの内心が変わろうと変わるまいと
あなたの働きかけに対して相手は反応するわけです。
たとえあなたが、妻に対して
二度と許せない一生恨んでやるというよこしまな気持ちがあっても
それを微塵も感じない行動をとって安心させれば
相手はあなたに近づいてくるかもしれません。

逆に、あなたが誠心誠意懺悔して、申し訳ない気持ちがいっぱいになっても
相手のこころを動かす行動をしなければ
相手があなたに対する気持ちに変化は生まれませんから
何も変わらないわけです。

どんなに攻撃的な心が内心に渦巻いていても
相手から歩み寄りがあり、信頼関係を築くことができれば
つまりあなたと相手の関係性が生まれれば、
その結果
あなたのこころも相手のことを想うように代わっていくはずです。

こころは後からついてくればよいわけです。
この点で、同じ過ちを犯さないようにするという意味では
自分の行動の反省も役に立つのかもしれません。
でも、自分の反省も、相手のこころを抜きにして行っても
あまり意味が無いと思うのです。

自分を守ることをやめて、自分のこころなんてうっちゃっておいて
相手の心を動かすことに専念する
これがあなたのやるべきことのすべてなのだと思うのです。

そうすると「自分というものが無くなってしまう」という
頼りない気持ちになるのかもしれませんが
ある意味これが対人関係学の出発点で
ここが大事なところです。

要するに
「人間というのは、いかなる意味でも
1人では生きていくことができないし
『自分』という概念ももつことはできない。
仲間の中の自分という
他者とのかかわりの中で初めて自分というものが存在し
自分という存在を感じることができる」
という側面を重視することです。

人間の紛争の解決に人間の相互作用という問題を重視するというのが
対人関係学の立場です。
この思考パターンは元々弁護士的な発想なのかもしれません。

これと違い心理学の多くは
どうしてもクライアントの心理分析が主体となっているようです。
そういうアプローチをする学問なのでしょう。

但し、これには例外があって
私も常々勉強させていただいている「家族療法」という学派は
家族の相互作用ということを大変重視されていますし、
カップルカウンセリングという学派もどうやら相互作用が
解決の指針のようであります。
これらの学派からは学ぶところが多くありそうです。

しかし、多くの依頼者のカウンセリング経験を聞くと、
この相互作用という視点がどうも足りないような感じを受けますし
クライアントの心理を重視し過ぎているような印象を受けます。
「どちらがより悪いか」ということをカウンセラーが直感で判断して
悪いと判断された方が変化するべきだというカウンセリングが
とても多く感じます。

何よりもカウンセリングが成功していないだろうなと感じるポイントは
そのカウンセリングを受けている人たちが
自分に対する内省は進めながらも
相手の行動に対する怒りがちっとも減らないで
自己の行動を制御することをあまり訓練されていないようだ
というところです。

何にも刺激のないところでは反省をしているのですが、
相手のアクションがあるとつい反応してしまうところは
あまり変わっていないというところでしょうか。

「相手のこころをどう動かすか」という視点を持っているようには
とても思えないのです。

自分で自分を大切にしているのだろうなというお話はよく聞くのですが、
自分を守ろうとする結果なんだろうと感じるのですが、
無駄な争いを目的もなく繰り広げて
家族の再生とは逆方向に歩んでいるなという姿をよく目にします。

もちろんうまくいっている加害者プログラムはあると思います。
また、プログラムは立派なものだとしても、当の本人が
まだ研修の半ばのためにうまくいかないということもありそうです。

あるいは、カウンセリングを受けたため、
ここまで前進したということも真実かもしれません。

ショックが大きすぎると、
自分が攻撃されているという意識が拡張していきますから
冷静に考えるということさえできないかもしれません。

カウンセリングのおかげで私と話ができるようになり、
次のステップを目指すことができるようになったのかもしれません。

もしかしたら対人関係学はこういうところは
あまり関心を持っておらず
その人任せにしているのかもしれません。

そうだとすると、
家族の再生に向かうための他人の関りは
複合的なものが良いのかもしれません。
つまり、何人かの専門家がフォローをすると言うことですね。

その際には、お互いのフォローがお互いに邪魔しないで
効率的に家族再生を進めるために
情報交流をした上で相互に利用し合う形が生まれると
良いのかもしれません。

つまり、認知のゆがみを是正するパートと
相手に対する働きかけを担当するパートということになるでしょう。

そうすれば、もっとうまく解決する例も増えてくるかもしれません。

但し、その最大の弱点は費用が掛かりすぎるということかもしれません。

個別の連携よりも
家族を再生させるためのプログラムを確立して
各専門家がどのように関与していくかという
サンプルを蓄積していくことが実務的ではないかと思われます。

情報を広く提供して
専門家に個別の費用をかけないで自分で解決していく
ということができれば
当事者にとってはなお良いということになるでしょう。


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