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曖昧な離婚理由から見えてくる切実な妻の苦しさ 家族再生を目指す場合に行うべき「考え」の準備 [家事]



離婚原因で一番多い理由が「性格の不一致」だとされています。これは、裁判所が用意した離婚調停申立書の書式には、いくつか離婚理由が掲げられ、自分の場合に該当する理由の番号を丸で囲んで答えるようになっているのですが、その一番多かった丸がこの性格の不一致ということなのだと思います。

以前にもお話ししましたが、元々他人同士ですから客観的に性格が一致しているという夫婦はまずありません。繁殖期特有の「相手に合わせることが楽しい」時期の勘違いか、どちらか一方が努力して合わせているということが「性格が一致」することの実態だと思います。夫婦なんてそういうもの、それで良いのだと思うのですが、裁判所は、性格の不一致は離婚理由と認める可能性があると考えて、用意した書式の中に理由の一つとして掲げているのでしょう。

その夫婦の性格の不一致が(裁判では離婚理由として認められない程度だとしても)、調停申し立て上は離婚理由として挙げることができるものですから、いわば離婚申立人の申し立てにおける「救済事項」として機能しているように感じます。つまり、はっきりした離婚理由を、調停申し立ての段階にあっても言葉にすることができない人が多いこと、それでも離婚したいと思うという人が多い、そういう人は離婚理由を性格の不一致にするということが離婚調停申し立ての実態ではないでしょうか。

だったら「離婚したい」という気持ちもあやふやなのかというと、そうではなく、離婚の意思は固いという方がほとんどです。離婚調停を申し立てるくらいですからね。

このように、他人から見れば離婚理由はあやふやなことが多いのですが、それでも調停手通期の中で何とか努力をしてもう少し具体的な理由を聞き出すことに成功することもあるのですが、せいぜい以下に紹介する程度です。これらより具体的な話が出ることはめったにありません。

・ これまでの同居期間中のいろいろなことの積み重ねが理由である。
・ 私の提案に対して夫はいつも同意しない、共感しない。不快な表情をする
・ 私のすることに夫は感謝しない。些細なミスの文句を言う。ダメ出しだけされる。
・ 物を投げられる。子に当たる。子どもに厳しすぎる。
・ 私の役割(家事や年収)について評価しない。
・ 夫の判断で行動しなければならず、自分で自分のことを決めることができない。
そして
・ 自分の不満を察してくれなかった。改善してくれなかった。(自分からは不満を述べたこともなければ改善を提案したこともないことが多い)
・ 我慢を続けてきたけれど、もう限界である。

こんな感じが典型的なのです。
夫のある女性の方々、あるいは前に夫がいた女性の方々からは、もしかしたらよく共感できる話なのかもしれません。しかし、世の夫たちからすれば、「これがどうして離婚理由になるの?」という感想が多いのではないでしょうか。

統計的にあいまいな離婚理由が増えているかどうかはわかりませんが、私の担当する離婚事件には、相変わらずといった感じでこんな申立てが多いという実感があります。

肝心なことは、
離婚理由はあいまいだけれども離婚意思は強い
ということなのです。

なぜ離婚意思が強いのかという最大の理由が不明のままで離婚手続きは進行します。ここが離婚手続きがこじれる最大の原因にもなっていると思います。

そして、夫側からすれば、理由がない、理由が曖昧であるということから理屈、論理、道徳、常識、子どもの健全な成長の観点からの離婚を思いとどまるように説得するのですが、あまり意味がないということが結論というか傾向というかという状態です。それほど離婚したいという気持ちは強固です。

おそらく、離婚したいということは、理屈の問題ではなく「感情の問題」だと言ってよいのでしょう。男性は、感情の問題というならば理由としては一段弱いように扱うと思います。自分が普段行っている仕事では、感情的に嫌だからといって仕事をしないわけにはいかないし、取引をしないわけにはいきません。そんなことができるのは、とても立場が強い相手だけです。夫婦という対等の立場で、嫌だから離婚するという話はないだろうと、男性的発想ではそうなると思います(私が妻の代理人の場合、夫の代理人(男性)からは離婚したいというのは妻の「わがまま」だと指摘されたことがあります。)。

ややこしいことに、弁護士は男性女性変わりなく、先ほどの例えで言えば「取引の習慣」で裁判手続きを行いますから、妻側の弁護士は、離婚理由として裁判所が判決で認める可能性が高いと想定できる「具体的な事実」を主張してくるのです。理由が曖昧なのに言葉で説明してしまう、つまり無理をして言葉にしてしまうのです。この時、妻が「離婚したい」という心理過程をよく聞きだせていれば、離婚調停は迅速に無駄なく進んでゆき、離婚後も「しこり」が残りにくい離婚ができます。しかし、先入観とマニュアルで主張を組み立ててしまい、突っ込んで話を聞いていないし、その結果どうして離婚をしたいのかの理由を漠然とでも理解していないしとなると、事実関係が針小棒大なものとなったり、ありもしない事実まで付け加えられたりしていると夫側が感じてしまうような主張になってしまいます。だまし討ちをされている感覚ですから、言われた方は頭にきて、妻の言っている事実は全く違うということを大声で(比喩ですが)主張していきます。それに妻側も自分の主張を守るために必死に応じますから、離婚手続きは泥沼に入っていくわけです。これではせっかく離婚をしても「しこり」が双方に残ってしまいます。葛藤が鎮まらない傾向がいつまでも続いてしまいます。

夫婦を再生させたいというご希望を持つ人が、増えてきたような気がします。なかなかうまくゆきませんけれど、いくつかの成果も上がっています。親同士が同居を再開するということは夫婦の年齢が若い場合以外は実例が乏しいのですが、子どもをめぐって、子どもの成長に多く関与できるようになったという実例も増えています。夫婦としてはやり直すことはできないけれど、近くに住んで、子どものことを中心に協力し合いながら生活している元夫婦もいます。

夫側として、曖昧な離婚理由に対する対処の方法をお話しします。つまり、子どもの成長に一緒に住んでいない親がかかわるときはどうしても一緒に住んでいる親の同意が事実上必要になります。同意を勝ち取るためには、感情的に、同居親の子どもへのかかわりを承諾するに必要な、最低限度の信頼関係が必要になります。この最低限度の信頼関係、あるいはそれ以上の信頼関係を構築する方法のお話です。

妻の夫に対する不合理な感情を理解することが第一です。なかなか自分が嫌われているということを認めることは発想として難しいです。「もし、本当に自分が嫌われているとすれば」という仮説にから始めることも手段としては有効かもしれません。

口で言うのは簡単ですが、なかなか難しいことです。
なによりも、夫としては、自分では思い当たらないことを理由として攻撃を受けていますから、どうしても自分を守ろうとするのです。これは生き物である以上当然のことで、理解ができることです。また、それだけでなく、子どもを連れ去られて別居されていればなおさらのことです。そうすると、妻が言っている離婚したいという理由も嘘ではないのだろうか、あるいは離婚したいということ自体も何か別の理由があって離婚をしたいのではないか。そういう風に思ってしまうことから自由になれる人間はなかなかいません。疑心暗鬼になってしまうことはむしろ当然のことだと思われます。

しかし、離婚を申し立てる妻の多くは、感情的には切実に離婚をしたいと思っています。ここを認めないと、打開策は生まれないように感じています。妻の心情を頭の中で理解することは必要だと思います。妻は、夫が考えている以上に夫に対する嫌悪感と恐怖感を持っているようです。

夫は、妻の心がそんなことになっている事情に心当たりがありません。こういうケースであっても、たいていはDVがあったわけではない。特に暴力をふるう夫というのは令和の時代ではあまり見聞きしたことはありません。昭和の時代とは社会認識が随分変わっています。どうして妻は夫に嫌悪感だけでなく恐怖感も感じるのでしょう。それはどのくらい強いことなのでしょうか。強さだけを言いますと、裁判所を通じてでも離婚をしたいくらい強いということが残念ながら結論です。

通常は、夫の由来ではなく不安を感じやすい状態になっているように思われます。産後うつなどの体調の変化が妻に起きているようです。特に理由がなくても、漠然とした不安を感じやすくなっています。どうしても毎日安心できないという感情で落ち着かない状態になっています。そういう状態の上に様々な人間関係上のストレスにも過敏になっています。「せめて家にいるときだけでも、安心したい」ということが、どうやらこういうケースでは先行した妻の心持のようです。

しかしながら、夫は、妻の体調に問題のないとき(例えば妊娠前、例えば病気の発症前)と同じようにしか妻に接することができません。多くの夫は妻に対して対等のパートナーとしてため口をきき、妻が何か失敗したら反射的に妻を注意してしまう。あるいはからかってしまう。夫の妻に対する要求度はいつしか高くなっており、昔なら「いいよ。いいよ。俺がやるからいいよ。」といっていたことが知らないうちに少なくなっている。信頼度が高くなることで要求度や期待が高まってしまい、肯定的評価を形にするハードルが高くなっています。やって当たり前という気持ちになっていますから、感謝や慰労の言葉がなかなか出てきません。なかなか妻の提案に同意するという機会も少なくなっています。またこれも多くの事例で関係があるのではないかと感じているのは、年齢が高くなり耳が聞こえにくくなると声が大きくなります。どうやら40代くらいで夫の声は大きくなります。明らかに妻がやらかしてしまうと、夫は遠慮がなく、自信が過剰となっていますので、大きな声で叱責したと妻かららするとそう受け止められるような声で発言をしてしまうわけです。

夫が妻に対して要求度や期待値が高くなっていると同じように、妻も夫に対して自分の不安を解消して安心させてもらいたいという要求度や期待値が高くなっているわけです。現代日本の孤立した家族は、家族同士に対してしか不安の解消を求めることができないという事情もあります。家族が自分の不安を鎮めてくれる最後の砦と考えるとわかりやすいかもしれません。子どもに自分の不安を鎮めることを期待するというのも少しおかしいので、勢い不安を鎮めてもらう相手は夫しかいないということが多くの日本の夫婦関係なのです。

それにもかかわらず、家族のための妻の行動をねぎらうことも感謝することもなく、失敗については几帳面にダメ出しをするということになると、夫の発言は「常に自分に対する批判,否定の発言だ」という印象を持ってしまいます。「夫は安心できない存在」ということになります。また、なんらかの妻の失敗で夫が迷惑するとか、妻がつい攻撃的な行動と疑われる行動をすると、夫は自分が攻撃されていると真に受けてしまい、怒りが沸き上がってしまいます。それでも暴力をふるう夫は本当にほとんどいません。しかし、腹の虫がおさまらないため、家の壁やドア、ゴミ箱を蹴って八つ当たりをするという事例をよく耳にします。夫からすれば、妻に対して暴力を振るわないという意思表示なのです。妻からすれば、暴力の予告でしかありません。

こうして、妻からすれば、夫はダメ出し等による自分という存在に対して否定の言葉ばかり出す存在であり、かつ、これから暴力を行うことを予告する恐怖の存在だということになってしまうわけです。自分のすべての不安の根源が夫だという悪魔のささやきに抵抗することができなくなってしまうわけです。

そして、以上のような流れの中で、夫は自分が妻を否定する言葉を言っていることや物に八つ当たりして妻を恐怖に陥れていることに気が付かないわけです。自分にそんな攻撃的な気持ちがないため、相手がそう思っていることに気が付きにくいようです。

これが離婚調停の始まりのようです。

この流れを理解したうえで、対処方法を考えていきましょう。

離婚調停などでの相手方の主張が針小棒大であれば、あるいは虚偽であれば、正しい事実関係はこれだとしてきちんと示さなければなりません。これはできる限り事務的に行うことがコツです。そして、妻側が「虚偽の事実をでっちあげてもこちらを攻撃している」という風には受け止めないで、あくまでも「曖昧な理由で離婚の意思を強めているのだ」という現実を受け止めて、そこに対処しようとすること、これが大切です。ヒントを言えば、「事実」については正確に主張するけれども、その時の妻の「感情」については推し量ってその存在を認めるということが基本型です。「そういうことはなかったけれど、そういうことがあったような感覚、感情を持ったことは事実かもしれない。」という感じです。

(事実に反することを認めてしまうと、後々大きな問題が起きてしまいます。子どもへの関与が決定的に不利になった事案もあります。後から面会交流調停を依頼されたのですが、判決という永久に残る公文書に書かれたことはいつまでも影響を持つわけで、現在の調停と過去の判決に対する反論と二回分の手続きをしなければならないという決定的な不利な状況になってしまいます。離婚裁判と保護命令手続きでは真実が何かについては徹底して主張、立証をする必要があります。)

実際の事例でも夫も、「妻の心情」についてはどうやら認めやすいようです。そのような表現をすることに概ね賛成してもらっています。これがうまくいくと、裁判手続きは劇的にうまくいくことが多いです。

むしろ夫側代理人が、妻の代理人が気付いていない夫婦の全体像を把握して、妻の代理人よりも妻の心情に対して理解し、さらに共感を示すことはとても有効です。これはそれほど難しいことではありません。これをやりましょう。

つまり、
・ 理由が曖昧だ、だから理由がない、離婚意思も強くないと考えることは誤りです。
・ 理由が曖昧だ、離婚意思も強い、だから理由が別にあるはずだというのも誤りです。下手な妻側の代理人の発想です。これが、針小棒大やでっち上げの理由を主張せざるを得なくなる構造で、他人を、特に子どもを不幸にする訴訟活動につながるわけです。
家族再生派は、
理由が曖昧だ、しかし、離婚意思は固い。それでは、その心情を言い当てて、妻を安心させようということになります。

では、どう対処するべきなのか。
妻が漠然とした不安を抱くようになる理由としては以下の者が代表例です。
・ 体調の変化(産後うつ、内分泌系障害、精神疾患、婦人科疾患、薬の副作用等)
・ 夫の行動(始終ダメ出し。感謝、慰労の言葉が少ない。論理的な説得や合理的なしきりに反論できないことから自分で自分のことを決められない等)
・ 家族以外の人間関係(職場、実家、友人関係など)の行き詰まりによる持続的なストレスによる精神疲労
これらの理由で、結論として「夫との夫婦の関係に安心ができない」というベースになってしまうと、
それ以前の愉しい出来事の記憶が失われたり、記憶が悪く改変されたりしている
ということが多くみられるようになります。

不思議だと気が付くべきです。

何にって、どんなに警察や男女参画の相談員が、ありもしない夫のDVと殺人の危険を吹き込んでも、あるいは離婚をビジネスにする弁護士が離婚に誘導しようとしても、
あんなに仲の良かった妻が夫から遠ざかる、離婚を強く求めるということにはならないはずだということをです。

そうであれば、どうするか。つまり記憶の喪失、改変とどう戦うかです。
先ほど述べたように事実と反することは事実と違うということを継続的かつ穏当な表現で主張し続けるということも大切です。ここは「妻が言っていることは違う。でっち上げ、虚偽だ。捏造だ。」という言い方ではなく、「ほらこうだったじゃないか。こうだったよね。」ということを、視覚的、聴覚的、味覚的、そういう具体的な事実を上げていくことが大切なのです。「楽しかったじゃないか」という抽象的なこと、心情的なこと、あるいは結論的なことを言ってもあまり効果は無いようです。

もう一つの方向として、過去について忘れているならば、これからのこちら側のかかわりで、
安心できるという記憶を新たに積み重ねていく
という地道な作業を行っていくという方針を立てることがよほど建設的だと思うのです。

残されたかかわり(面会交流だったり、ラインがつながっていたりだったり、最終的には調停の場を利用して)を大いに活用して、夫側の相手を否定しない、感謝を示す、慰労を示すということをこまめに行っていくわけです。夫から発せられた言葉を聞いてもなんら傷つくことはなく、癒されていくだけだという記憶を積み重ねていくということです。

この時も、夫の方が、うつ的傾向、悲観的傾向、無力感、あるいは妻に対する怒りを抱いていると、こんなことをやっても、相手は心を動かさないだろうと思いがちです。
しかし、だからと言って、相手の言葉を何でもかんでも全面的に否定して、怒りをあらわにして、ますます嫌悪と恐怖を高めることは、どう考えてもメリットがありません。逆方向にまっしぐらです。プラスの方向に行くことで、はっきりした結果は出ないとしても、ボディーブローのように潜在的効果が蓄積されていくことは間違いありません。

離婚は避けられなかったけれど、面会交流は拡大していくという事案は、この作戦が功を奏しているケースばかりです。相手を安心させる作戦を実行する人たちです。

ぶっちゃけた話、ここだけの話をすると、離婚意思の堅い妻たちも、夫に対してやり直しの幻想を抱いていることを、一瞬だけですがはっきり見せていることをよく見かけます。第三者からすると「おや、おや、おや。」と驚く出来事が離婚調停のさなかでも見られることがあるのです。ところが、夫の方が妻に対して、わけのわからない攻撃しかしてこないという混乱をしてくるからでしょうか、妻のサインをあっさりと見逃してしまい、相変わらず感謝なし、ねぎらいなし、謝罪なしの三拍子そろった対応をしてしまうのです。善意を善意のまま受け止められなくなっているようです。ここで、妻のいじらしさ、かわいらしさに気が付けばみんなハッピーになるのにと一人で悔しがっていることが結構あるのです。

無駄でもやって損のあることではないのですが、なかなか理屈通り男も行動できないようです。

離婚の意思は固いけれど、連れ去り別居をした妻も本当は仲良くやりたいという第一希望があるようですし、離婚しても嫌われたくないという気持ちがある場合もすくなくありません。論理的ではないのです。そのサインを見逃さずに、安心させる対応をすることによって子どもへの関与の方法が拡大していくようです。

だから、成功した人たちを思い起こすと、当事者と私で調停期日の後と言わず、待ち時間と言わず、大激論をしていました。私の方で口が酸っぱくなるくらい、「妻の行動はこういう意味だ。」、「こういうことをするべきだったのに、しなかった。」、「それをやりたいのはわかるが、今はその時期ではない。かえってぶち壊してしまったらかわいそうなのは子どもだ。」と言い、それに抵抗を示されてという感じですが、自由に言い合ったことが成功につながったと思います。そういう方々は何年たってもお子さんの近況を教えてくれたりします。こういうこともできるようになったという報告も来ることがあります。仕事やっていてよかったなあと涙ぐむ瞬間です。

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