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4月20日放送のNHKクローズアップ現代で取り上げた事件における、妻殺害容疑の元編集者の被告人の言い分は、弁護士実務から成り立ちうる主張なのか。 [刑事事件]

令和4年4月20日にクローズアップ現代「妻は夫に”殺された“のか 追跡・講談社元社員”事件と裁判“が放送されました。と言っても私がそれを知ったのは、放送後でしたので、NHKプラスで観ました。これは登録すると簡単に視聴できますので受信料を支払っている方は登録をお勧めいたします。

それはさておき
番組で紹介された概要を記載しておきます。
ある日、妻が包丁をもって2階の乳児が寝ているところに夫と口論をしたのち、子どもを殺すと言って入っていった。夫はそれをさせまいと妻を背後から倒し、妻を制圧した。というところは争いのない事実のようです。ここから事実に争いがあります。

<夫の主張>
すきを見て子どもを抱いて、別の子どもが寝ている子供部屋に避難した。数十分して様子をうかがうために部屋を出たところ、階段の下で妻が首をつっていた。急いで妻を下ろして救急要請をしたが死亡していた。

<検察、裁判所の主張>
夫は、妻を背後から拘束をして、背後から前腕を妻の首に押し当てて妻を窒息死させた。その後、妻を階段の下まで引きずり下ろし自殺に見せかけて110番通報をした。

裁判員裁判は、「常識的に見て」夫が妻を殺害したことは、合理的疑いをさしはさむ余地がないほど明白であるとして、妻の死は夫の殺害によるものだということで、殺人罪を適用し、懲役11年の判決を下した。

こんな事件だったそうです。
私は、その場にいたわけでもありませんし、証拠を十分検討してもいませんから、実際に夫が犯人で妻が殺害されたのか、妻が自死したのかはわかりません。ただ、自分が他の弁護士よりもよく取り扱う分野(離婚、自死、精神問題)が事件の結論を左右する問題であることから、「夫側の言い分が、『常識的に見て』成り立たないのか」どうかという一般論を語らなくてはならない立場にあるという自覚がありまして、その限度でお話をいたします。

説明事項
1 妻が突然、包丁を持ち出して子どもを殺すと夫を脅かすということがあるか。
2 階段の手すりにひもをかけて、足が立つところで自死をすることがありうるか
3 どうして夫は警察が来るまで証拠保全をしなかったか
4 どうして夫は、警察に階段から転げ落ちて死んだことにしてくれと言ったのか。
5 どうして裁判員裁判では有罪になり量刑が重くなるのか
6 産後うつとは何か 母子心中等の危険行為の由来
7 子どもに障害がある場合の母親の心理
8 鑑定人(理系科学者)が針小棒大な「科学的」意見を表明する理由
9 産後うつと夫の責任 
10 自殺、他殺の動機を検討しなかった理由と裁判員裁判

1 妻が突然、包丁を持ち出して子どもを殺すと夫を脅かすということがあるか。
 あります。
 
 これは実務的には少なくないといってよいでしょう。のちに述べる産後うつの症状として、母子心中、新生児虐待も挙げられています。産後うつの他、実務で現れた事例として、統合失調疑いのケース、PTSDのケース、解離のケースなども妻が包丁などを持ち出した事例があります。でも、病気というカチッとした状態というよりも、突発的な精神的興奮が生じる場合があるという方が、医療の素人としてはしっくりきます。

 家庭内で凶器を手にするのは、圧倒的に妻の方が多いです。やはり体力差を自覚しているからではないでしょうか。夫が妻の包丁を取り上げて、「あなたが死ぬことはない。私が死ぬ。」と自分に包丁を向けたじれいがありますが、離婚調停で妻は、この夫の行為をDVだと主張して離婚原因に挙げていました。

 母親による夫への、子どもへの加害の予告ということは、もっと広範にあると感じています。つまり、必ずしも精神的に不調があるとまで言えない場合でも、このような発言があったという相談が結構あります。もちろん実行することはまれだと思いますが、聞いた夫は驚愕してしまいます。

例としては、子どもが泣き止まないために自分が追い詰められたことを夫に訴えるときに「子どもを床に叩き落として泣き止ませようとした」とか、「一緒にマンションから飛び降りようかと思った」などという脅かしは少なからず聞くことであって、珍しいというわけでもありません。もちろん母親の人格からの発言ではなく、多くは産後うつないしその傾向等に原因を求めるべき発言です。ただ、母親が孤立してしまっている場合には、事件に発展する可能性もあるので要注意です。いたわりと休養が特効薬だと思います。

2 階段の手すりにひもをかけて、足が立つところで自死をすることがありうるか

むしろ多くの場合がこう言う形態です。

足が立つところで首を吊るということは、自死の実態を知らない人は不思議に思うことだと思います。苦しくなって、死ぬことをやめようと思うから足が立つなら自死は途中でやめるのではないかと思うことはむしろ自然かもしれません。

しかし、自死は「死にたい」という生易しい動機で行うものではなく、「どうしても自分は死ななければならないんだ」という強固な気持ちで行為に出るようです。苦しくなってきたら死ぬことができると思いさえすれ、足を立てて生きながらえようという発想は無いようです。息ができない苦しい以上の苦しさを常時感じているということなのでしょう。死の意識が強い場合はむしろ足が立つ場所で首を吊ることが多いようにさえ感じています。クロゼット、ドアノブ、坂道の途中のわずかな傾斜を利用して体重をかけたという事例もありました。

3 どうして夫は警察が来るまで証拠保全をしなかったか

 家族の情愛からは当然であり、自然な行動だと思います。

もし夫が首をつっている妻をそのままにして警察に来てもらったならば、殺人の疑いはかからなかったかもしれません。自殺を装った殺人事件ならば、きっとそうするでしょう。
 しかし、夫が子供部屋に逃げ込んでから1時間も経過していなかったとすると、まだ、妻が死んでいるという確信がないというか、生きていてほしい、息を吹き返してほしいという気持ちがどうしても出てきますから、首が吊られた有害な状態から解放してあげたいということは家族として当然だと思います。たとえ死亡が確認できてもそうするでしょう。
 
4 どうして夫は、警察に階段から転げ落ちて死んだことにしてくれと言ったのか。

 それは母親が自死したと知らせないという子どもたちに対する配慮なのでしょう。

 番組によると、この点が裁判では重視されたようです。ただ、殺人犯が捜査機関、あるいは救急隊に対して死因を偽るように要請することで、自分の真犯人性をごまかすというストーリーは私はイメージが付きません。この論点は私が誤解しているのかもしれないと思うほど、リアリティにかけます。

 死亡原因についてごまかすのは、当然子どもたちの受け止めの問題だと思います。二人にはお子さんは4人いらしたそうです。自死ということは、本当はその人の人格から行われることではなく、自死をせざるを得ないほど追い詰められたために自由意思や思考能力が奪われてしまって起きてしまうことです。そのような実態を世間が理解していれば、この亡くなられた母親は、後に述べる「産後うつで苦しくてたまらない状態になり、他に選択肢がなくなり自死した」ということであり、病気で亡くなった、事故でなくなったということと同一に受け止められるべきことなのです。でも日本では、自死に対するイメージが悪いということもあり、自死をタブー視したり、家族の自死を隠す風潮があります。自死した人の家族関係を詮索するような記事がマスコミでも取り上げられることがありますが、とても残念なことです。

人間の命までもエンターテイメントの対象にしてしまうそういうマスコミの状態も自死に対する差別と偏見に貢献しているのかもしれません。

自死ということであれやこれや詮索されたり、子どもたちがショックを受けることを避けようとして、子どもたちに自死が原因で亡くなったということを告げないことは、多くの事例で行われています。これは全く普通に行われていることです。ただ、警察官にお願いすることが特殊だったのだと思いますが。それだけお子さんに対する心配をしていたということなのかもしれません。

5 どうして裁判員裁判では有罪になり量刑が重くなるのか

裁判員裁判は、有罪率が高くなり、量刑が重くなる裁判形態だから。

裁判員は一般の方で、司法の関係者ではありません。つまり、証拠提出される死体の写真や解剖写真などを生まれて初めて目にする方がほとんどだと思います。当然に衝撃を受けることでしょう。そして、一般の方は犯罪慣れしていませんから、このような事件は放っておけない、きちんと決着をつけなければならないと思うわけです。人間としては当然の心理でしょう。

悲惨な事件については、誰かを制裁することで初めて自分の心の中で決着をつけることができるのでしょう。誰かが制裁されなければ、真犯人を逃してしまうような感覚になるのかもしれません。極端に言えば誰が犯人でもよいから、誰かが制裁されなければならないという「正義感」が発動されてしまうと考えるとわかりやすいと思います。しかし、制裁する相手はその裁判手続きでは被告人しかいませんから、「被告人を見逃すか、正義の立場で制裁するか」という発想になってしまう危険があると思います。

つまり、被害者がいる以上、加害者を処罰しなければならないという意識は、職業裁判官より強いわけです。特に、一人の人間を殺して、その人の楽しみや、子どもなどとの人間関係、将来の夢などを一瞬で奪い去ったのですから、そのことに対する償いはとても大きなものがふさわしいと思うわけです。そして、人が死んだその場にその人がいたということから、その制裁要求の対象が、その人に絞り込まれることも当然の発想なのでしょう。人一人殺したら、本来死刑だという考えは自然の発想なのでしょう。それなのに無罪を主張する被告人は許せないという気持ちになるのだろうと思います。

「それが国民感情であるならば、裁判員が選んだ事実認定や刑罰が正しい判決」だという考えもあるかとも思います。しかし、裁判員という一般の方は被害のインパクトが大きいため、本来判決に当たって考えなければならない事情まで判断が至らないという弱点があるように思われます。

この事案、もし、新生児を殺そうとする妻から新生児を守るために妻を制圧して死亡させたのであれば、罪名は傷害致死になる余地もあったし、新生児に対する正当防衛が成立余地も検討されなければならなかったと思います。仮に殺人罪が成立するとしても、刑の重さについての事情として子どもの命を守ろうとして制圧したという事情は刑を軽くする事情となるはずです。そうだとすると懲役11年はかなり重い刑になると私は思います。亡くなった母親のことを考えて刑を重くして、命が守られた赤ん坊のことは考慮していないような気がしてならないのです。但し、裁判員裁判では、ここまで考えることは難しいと思います。なかなか生身の人間のできることではないかもしれません。司法関係者はかなり特殊な人間たちだということは頭の片隅にとどめておいてよいと思います。

ただ、弁護人としては、今回は刑を軽くするという活動よりも、夫は妻を殺していないという点を主張しなければなりません。「もし夫の行為で妻が死んだとしたら」という仮定を立てて主張することが難しい事案だったことは間違いありません。この仮定的主張をしてしまうと、無罪主張とは矛盾するからどっちなんだと裁判官からも言われたことがあります。(ということからわかるように私ならちょろっと正当防衛や殺意の有無を主張しておくかもしれません。)

裁判員裁判は正義感から量刑が重くなり、有罪が増えると思っています。刑事裁判は正義感を優先させるのではなく、冷徹な事実認定を優先させなければならないと考えています。無駄な正義感が冤罪を生む危険があるということを司法関係者は真正面から見据えるべきではないでしょうか。

私は、裁判員裁判は、さっさとやめるべきだと思っています。

6 産後うつとは何か 母子心中等の危険行為の由来

産後うつは、その現象自体は古今東西でよく知られていることですし、国によって、あるいは地方によってその対策も慣習として確立されていることが多いようです。ただ、その慣習がどうしてできたのか、どういう効果があるのかについては伝承されませんので、住宅事情などによって廃れていっているようです。この点は社会が変わって公的にカバーするべき問題だと思います。

しかし、「産後うつ」という病名を確立したのは、20世紀と21世紀をまたいで研究されたイギリスの王立婦人科学会であるとされているようです。

要するに、妊娠・出産を原因として母親がうつになるということです。
症状としては、ものを考えることが億劫になり、すべてがうまくいかないのではないかと考えるようになり、理由もなく不安な気持ちになり、焦りが生まれる状態となり、近くにいる人間も運命も自然も自分を攻撃してくるような息が詰まるような状態になるようです。理由もなく涙があふれてきて止められないとか、自分は生きている価値がないと思い込んだりするようです。

脳科学の研究から、こういう状態は多かれ少なかれ出産後2年くらい続くということが言われています。ただ、個性があり、産後うつの傾向がはっきり表れる人もいれば、「そんなこともあったかしら」で済んでしまう場合ももちろん多いようです。

「妻は、意外な理由で、実際に夫を怖がっている可能性がある。脳科学が解明した思い込みDVが生まれる原因」:弁護士の机の上:SSブログ (ss-blog.jp)
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2018-07-17

それにもかかわらず、不安そうにしている女性や焦燥感に駆られている女性を見ると、むやみに「それはあなたは悪くありません。夫のDVです。」なんていう人たちがいるものですから、ますます悲観的におびえて、やみくもに離婚に走ることがあるわけです。こういう話はさんざんこのブログでやっていますからここでは省略しようと思うのですが、本裁判がまさにこう言うことの象徴的な判断をしている可能性があるわけです。

妻が死んでいるという究極の被害を見て、夫のDVだというのですから、日本という国の機関のお家芸なのかもしれません。

産後うつならば、だれがどういう対応したかということにかかわらず重篤なうつの症状が出現してしまうのです。

産後うつの危険性は、悲観的思考と自己抑制が効かなくなる刹那的な行動にあり、乳児への虐待や母子心中につながりやすいというところにあります。この点について、専門家がきちんと対応することによって、通常は致命的な行動を防ぐことができると思います。ここで、産後うつということを全く考慮しないで夫が原因だなんてことを言って妻を脅迫するようなことをすれば、産後うつの危険性を防止することができなくなってしまうことは少し考えればわかることです。

しかし、日本では、産後うつに対する公的な支援がまだまだ不十分であると思いますし、むやみやたらな夫に対する被害意識の醸成技術の向上ばかりが追及されているような危機意識があります。

それは女性を助けようという意識ではないし、子どもの利益が全く考慮されていないということを再度述べておきます。

7 子どもに障害がある場合の母親の心理

番組では、4人のお子さんのうちおひとりに障害があったようなことも述べられていました。知的障害に限らず、発達障害、身体障害がある場合の母親の苦しみはかなり大きなものがあるようです。原因が母親にあるなんてことはないのですが、自分で自分のせいだと思い込む、夫や家族が自分のせいだと思っているのではないかと思い込む、世間が私をそう思っているのではないかと思い込んでいくようです。

子どもの連れ去り別居が起きる場合の少なくない事例でお子さんに障害があります。父親はまったく気にしていないというケースでも、母親だけは否定的感情になっていることが多いです。

連れ去り別居とは逆に、障害のある子どもを放置して家を出ていった母親というケースも複数ありました。無責任に家を出ていったという評価も可能なのかもしれませんが、それだけ母親として追い詰められてしまっているという、自死と同じような精神状態と理解した方が実務的であるのかもしれません。

何かにすがって生きていきたいという気持ちになることも多くあり、それに付け込まれて不幸になるというケースもあります。かなり精神的に追い込まれてしまい、冷静ではいられなくなっているのだろうなと思われるケースがあります。
それだけ障害を持つ母親は精神的に追い込まれる危険があるということを周囲は理解する必要があると思います。

8 鑑定人(理系科学者)が針小棒大な「科学的」意見を表明する理由

特に刑事裁判をしていると感じることがあります。

裁判員裁判で、被告人は被害者から模造刀切り付けられた瞬間に果物ナイフで被害者を刺したという事案ですが、その刺す直前から1分程度の記憶がなくなった事案でした。後に鑑定証人になる精神科医の話では、被告人に短期記憶障害が起きたのだろうということで、情動が高まったときに短期記憶障害が起きる可能性はあるということでした。裁判の3か月くらい前の、合同打ち合わせ会の時には、この医師は、驚愕、恐怖、怒り等の場合が情動が高まった場合だと説明していました。ところが、裁判当日は、怒り等のために短期記憶障害が起きるという説明を裁判員たちにしたのです。何がどう変わったのかキツネにつままれたような気持でした。反対尋問をしたのですが、ばつの悪そうな表情に私には見えました。

模造刀で襲われて驚愕したというのであれば、刺した行為も正当防衛になる可能性が出てくるのですが、怒りのために短期記憶障害というのであれば初めから殺意をもって攻撃したことになり、被告人に不利になるわけです。これを知っていてあえて、驚愕や恐怖という情動の高まりは言葉にせず、怒りなどの情動の高まりという言い方をしたわけです。情動なんて言葉さえ初めて聞く裁判員からすると、「この被告人は、怒りが高ぶっていて被害者を殺害したのだ」と考えるほかないわけです。意図的に、医学的(生理学的)見解のある部分を隠してある部分だけを述べて、意図的に裁判員のミスリードを誘ったのだと思います。


NHKの番組では、鑑定をした科学者がインタビューに答えて、「死体の様子からどうやって死んだかその原因はわからないことが多い。だから不明だと鑑定したのだ。」と述べていました。科学者として信頼できる発言だと感じました。裁判では弁護側の医師が自死、検察側の医師が殺人とそれぞれ別の鑑定結果を出したそうです。なぜ、彼らはわからないと言えなかったか3人で議論してもらいたいなと思います。

ちなみに先の私の殺人被告事件では、解剖医も証言に立ち、被告人に対する怒りを面に出してご遺体の様子を証言していました。刺し傷は肋骨の間を取って刃物が深く入っているので、とんでもない危険な行為だったと非難するような証言でした。本当はスルーしてよい証人なのですが、余りにも余計な情報を提供するので私聞いてみました。「肋骨の間を通して人を刺すということは簡単にできるのでしょうか。」、医師はますます怒りをあらわにして、「これはとても難しいことで、我々のような専門的に何度も執刀している人間であっても簡単なことではありません。」と言っていました。つまりこの事件では偶然肋骨の間に刺さったと自分で言っているのです。「あなたの怒りはどこから来るのか」ということなんです。

おそらく科学者が感情的になったり、針小棒大の結論を言っても恥じない理由は、正義感なのだと思います。裁判員と同じように、犯罪で命を失くした被害者がいる以上、「加害者は十分に制裁されなければならないという素朴な正義感」がそういう行動をさせていると思います。そして、実はその結論に直結する決定的な事項は専門外のことだから恥だと思わないのでしょう。精神科医は必ずしも病気ではない短期記憶障害や情動について専門ではなかっただろうし、解剖医は刺し傷から人を刺す行為を具体的にイメージすることなんていう業務はないのでしょう。

しかし、科学者として呼ばれて見解を述べているのですから、科学の真実に忠実にならなければ、科学に対する冒とくになると思います。科学的真実よりも政策を優先させるということは古典的な科学のモラルの争点のはずです。

科学者は嘘をつくとまでは言いませんが、針小棒大な証言をするものだと考えてよいと思います。

9 産後うつと夫の責任 

仮に、奥さんが産後うつだとしても、夫がそれを受け止められなかったことは重く受け止めて生きていかなくてはならないと被告人である夫の友人が言っていたかのようなシーンがありました。

それはそうかもしれませんが、番組の時間の制約なのでしょうが、私はあまりにも形式的な話になっていると思いました。

例えば、日本の産後うつに対する手当である床上げという風習も、家に家事の担い手が妻だけでなく姑や小姑あるいはお手伝いさんなんかがいる場合はできますが、マンションで夫婦と子どもだけで暮らしていたら、とても出産直後だからと言って母親は休んでばかりはいられません。
「産後うつと母親による子どもの殺人と脳科学 床上げの意味、本当の効果」
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2014-12-11

そもそも産後うつということは、母子心中などでスキャンダラスに取り上げられますが、その原理なり、症状なり、対処方法についてはあまり議論になりません。せいぜいうつ症状に対して対症療法が研究されるだけです。

夫だけでなく、職場や社会、自治体が、産後うつについて十分な情報共有をしていないということが一番の問題なのだと私は思います。昔の日本のように年寄りの言うことを素直に聞く時代ではないので、このような原理論理が共有されなければなりません。

本当に必要な情報は、予算がつかないからでしょうか、一般に広まらないという特徴があるようです。

夫に原因を求めても、妻は救われないのです。生まれたばかりの子どもだけでなく上の子どもたちの世話をしないわけにはいかないのです。産後うつは、社会的に解決するべき問題だと私は思います。生活保障と子育てサポートが必要です。地域ごとに子育て支援施設を充実させて、安心と労りを広めていかなければ解決しない問題です。
精神の問題ですが、精神論では解決しない問題だと思います。予算が必要なのです。

社会の問題を夫の責任にすり替えて夫を攻撃するのは、前にも産後クライシスの問題をこの記事で取り上げましたが、実はNHKのお家芸だと思っています。

「もっとまじめに考えなければならない産後クライシス 産後に見られる逆上、人格の変貌について」
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2015-10-12

10 自殺、他殺の動機を検討しなかった理由と裁判員裁判

検察を不利にしない訴訟指揮の可能性がある

自殺であっても他殺であっても、その動機が論点にならなかったことが番組では指摘されています。なるほどこれは不思議なことです。刑事裁判では検察が強引に動機を特定することが多いからです。
番組では、同期の議論をすると裁判が長くなるので、裁判員の負担を軽減するために短時間で終わりにしようと動機を取り上げなかったのだろうと分析していました。

そうだとすると、裁判の目的である「冷徹な事実認定を行って、刑事政策的観点から処遇を決める」ということとは関係のないところで、裁判の方法が変えられてしまったということです。これでは裁判員裁判はやはり早くやめにするべきだということしか出てきません。

私は、動機が取り上げられなかった理由はもっと単純である可能性があると思っています。つまり、検察が夫が妻を殺す動機について全く思いつかなかったからということです。ここでいう「想いつかない」ということは、虚偽事実をでっちあげるということではありません。夫が殺害を認めていませんから自白が取れないということ、家庭内のことであり妻を殺す動機など客観的事情から外部には出てこないということから直接動機を割り出すことができないということです。第三者などから事情を聴いて合理的に推測するしかないのです。そして、結果的として、本件では夫が妻を殺す動機を推測するための事情が出てこなかったということになります。そうだとすると、無理して殺人容疑にする必要はなかったということが、裁判員裁判前の刑事裁判の扱いだったということになるはずです。

もし殺人事件にするなら、検察は「動機不明で殺害した」という主張をしなければなりません。動機を論点にすると、初めから敗訴の主張を自ら行うことになるようなものです。それでは、殺人罪で起訴できないということなのでしょう。問題はだから殺人罪では起訴しないということをするべきだったのに、無理して動機を論点としないで殺人罪として起訴をしてしまったという横車を押したような起訴をしたというべきなのだろうと思います。そして、裁判体はこの起訴が無理であることを隠ぺいする訴訟指揮をしたということになろうかと思われます。


以上みてきたように、弁護側の主張、あるいは番組の主張は荒唐無稽な主張ではなく、実務的に見ればもっともな主張だということです。但し、実際の事件を担当しているわけではないので本件の結論がどうあるべきかということ、夫は無罪だと主張する記事ではないことはくれぐれもお断りしておきます。

番組は最高裁での審理を期待していますが、刑事訴訟法上は、最高裁判所が上告を受け入れなければいけない事情は無いようです。あるとしたら世論が高まって、実質的には職権で判断をして差し戻すということになるのだろうと思います。裁判は、必ずしも正しい認定をして適切な処遇をするシステムにはなっていないのです。このことに国民はもっと目を向けるべきです。

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