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【男女共同参画白書批判】 結局安い労働力として女性労働を労働市場に投入する工夫が主目的であること 就業制限は賃金が低いことと男女賃金格差があることが主たる原因であり、扶養手当や配偶者控除が原因だというのは深刻な茶番であること [弁護士会 民主主義 人権]


2日前(令和4年6月14日)に政府は、令和4年版の男女共同参画白書を発表しました。情勢分析と政策の二部構成になっていて、かなり膨大なものです。政策も令和3年度の政策の振り返りと令和4年度の政策とに分かれています。その令和4年度の政策だけでも251頁から300頁とちょうど50頁もあります。この数字大切です。
各ページは2段組みで、左右40行ずつですから1頁約80行あるわけです。これが50頁です。

さて、男女賃金格差解消に関する政策はどのくらいの分量があると思われますか。

実は実質2行しか記載はありません。「男女間の賃金格差の解消」という項目があることはあるのですが(259頁)、その全記載が8行で、うち6行は「えるぼし」という政策の推進関連です。関係が無いとは言いませんが、せいぜい関係があるという程度の話です。後の2行だけが男女賃金格差解消プロパーの問題です。全文引用しましょう。「女性が多い職種における賃金の実態等につい て、調査分析を行う。」これだけです。実際にご覧いただくとよくわかります。これから賃金実態について調査を始めるのだというのです。しかもなぜか女性が多い職種に限定しての調査ということらしいです。この成果がどうなるのか来年の白書が楽しみです。

ちなみに令和3年度の政策実績は、全く令和4年の政策の中の6行と同じ文章が並べられていて、男女賃金格差プロパーの問題としては何ら取り組まれていないことが195頁に記載されている通りです。特筆するべきは、内閣府男女参画局は、令和3年度は男女賃金格差については何も取り組みをしていないということです。

これに対して「働く意欲を阻害しない政策」というものが掲げられ、「就労調整」をするのは家族手当や扶養控除があるからだということで、これらの制度の見直しを40行弱で熱く語っています。たった2行だけの記載の男女賃金格差解消と比較して熱の入れようの違いがよくわかるところです。

ここで「就労調整」というのは、夫婦共働き場合、妻が就労を一定金額以上の収入とならないに働くことを言います。所得税の対象とならないようにとか、扶養手当の対象から外れないようにということです。年収103万円の壁とか130万円の壁とか言われます。

この就労調整をするのはどうしてでしょうか。

妻が、パートに出てもラインをはみ出して働いてしまって、夫の扶養控除が出なくなってしまうと、かえって世帯としての収入が減ってしまうからです。つまり、3万円余計に稼いでしまったばかりに年間50万円損をするならば、ラインの中で働こうとするということです。

どうしてこういうことが起こるかというと、女性の賃金が男性に比べて著しく低いということに原因があるからです。扶養手当を受けられなくても、配偶者控除を受けられなくても、妻が普通に働けば家計として損をしないほどの収入があるならば働いた方が得だということになります。
ところが、男女の賃金格差のために、女性が男性並みの収入を得るためには、長時間労働をしなければならなくて、それでも得をしないというならば、その分家庭のことをするとか休むとかした方がよっぽど人生が豊かになるということなのです。

一口に賃金格差と言っても、職場内の男女同一労働同一賃金の問題と、女性の労働の価値が低く設定されているために男性並みの収入を得られる職種が少ないという二つの方向から考えていかなければならない問題です。

政府は「働きがい」という言葉を使って、扶養手当や配偶者控除を廃止しようとしているわけですが(読み方が違うならもっとわかりやすく記載してほしい)、それは、妻が働かなければ人並みの生活を送れないと感じている人たちにとっては、単なる家計収入の減少であり、もっと「働かざるを得ない状態になる」という心理的圧迫に過ぎないのではないでしょうか。これが平等とか公平の名において進められようとしているとしか感じられないのです。

一方で男女共同参画白書では、女性の労働は多様化しているということを言っているのですが、就業調整の場面では、夫の扶養控除、家族手当の範囲で働くという就労形態は、なぜか目の敵のように否定しようとしているのも不思議なことです。専業主婦、専業主夫という生き方を否定しているように感じられるのです。企業で働いてこそ女性が輝くのでしょうか。家族、家庭を大切に作り上げていくということは、賃収入よりも価値が低いことなのでしょうか。そんなことに国民的コンセンサスがあると言えるのでしょうか。

男女共同参画白書のすべてが悪いということを言うつもりはもちろんありません。セクハラの問題なども取り上げられていてなるほど女性が働きやすい職場や社会を作るための工夫も多く見られますし、統計的資料はかなり的を射た資料的価値の高い資料が掲げられていると思うのです。つまり女性が働きに出やすい社会、会社にしようとしていることは間違いないのです。

しかし、それだけなのです。

女性が自立した生活を行うという目的なら、なおさら賃金を高くする工夫が必要であり、シングルマザーこそ、手厚い扶養手当が支払われるべきであり、税控除が充実させなければならないはずなのに、そこが見えてこない。そして所得の再分配という言葉も使われるのですが、これもサラリーマン間の所得の再分配にとどまった意味でつかわれているにすぎません。経済学用語ではなく、単なるいいわけです。

結局、「女性をもっと企業で働かせよう」という目的の政策としか、私には感じられません。つまり、安い労働力のまま労働市場に投入しようという労働力流動化政策と、税控除のカットという増税と扶養手当カットという実質賃下げを同時に行う政策しか残らないのではないかという不安ばかりが増大する内容になっているのです。

一方で少子化対策なども言及しているようです。白書に資料として示された統計をみると、日本人は、他の国の人に比べると、結婚しないと子どもを作らないという傾向にあるとのことです。ところが、男女参画白書は、女性を安い賃金のままでより多く働かせようという政策で、女性が働かなくてはならない状態を作り出そうとしています。今言いました増税や実質的賃下げもそうですが、離婚してシングルマザーとなり、自分が働かなくてはならない状況を作るのもこういう目的のもとで系統的に行われているとすればよく理解できることです。こういう政策が進めば、結婚なんてしたくなくなる。結婚して家庭を持つことが現実的ではなくなる。ますます結婚しなくなるという流れになりやすいのではないでしょうか。結局少子化が加速していく亡国への道に向かっているように思えてくるのです。

白書は、また、家族構成というか、人間が誰とどのように生きるかということが、昭和の時代から変わったということをかなりの分量を取って力説しています。そしてこの部分をマスコミは盛んに報道しています。

しかし、結婚をしなくなったというのは、政治にも責任があるのではないでしょうか。結婚して共同生活を営み、子どもを産んで教育する自信のもてない人たちが増えただけなのではないでしょうか。「もはや昭和ではない。」という表現は、もはや昭和の家族形態を作ろうとはしないという国の宣言にしか聞こえません。私には日本崩壊に向かっているように感じられてなりません。

すべては、配偶者控除や扶養控除、扶養手当の廃止に向かった伏線であると考えるととても理解がしやすいはずです。

フェミニストの皆さんや、ジェンダー政策を掲げる団体の皆さんのこの男女共同参画白書への評価がとても気になるところです。
本当に女性の自立を目指す人たちなのか、安い労働力を労働市場に投入することに反対しない人たちなのか、とても良い指標に白書はなっていると思います。沈黙をする人たちは、当然後者の人たちです。男女の賃金格差解消という女性の自立を阻む最大の問題に関心が無いということを示していると考えるべきだと思います。

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