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あなたが組織・会社で浮いている理由は、まじめすぎる、責任感がありすぎるからかもしれないという、じゃあどうすればよいのという問題 [労務管理・労働環境]

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労使紛争の事案で、労働者からの相談の中に、身に覚えのない理由で処分をされたとか懲戒解雇になりそうになっているというものが結構多いです。
労働者の話だけを聞く限り、不当処分、不当解雇だと裁判所でも判断される可能性の高い事案が多いです。つまり法律を当てはめる限りにおいては、どうも会社の違法行為が認定されそうなのです。

ただ、それは裁判をした場合の話です。あるいは労基署や労働基準局の厳しい指導がある場合ということです。専門的な知識のある弁護士を探してお金を出して依頼して裁判をするということはなかなか大変なことだと思います。解雇をされていれば、裁判に勝って賃金を後払いされるまでの生活をどうにかしなくてはなりません。必ずしも勝つとは限りませんので、借金をするのもほどほどにする必要もあるでしょう。
また、一度組織で本人が浮いてしまって、経営陣からも敵対されてしまうと、その後に裁判で処分が撤回されても、現実には会社はいづらい場所になることでしょう。査定評価や人事を巡って不安になったり、実際に理不尽な思いをするということもありそうです。

できれば、意味不明な理由で自分が処分を受けないように「予防」したいと考えることは自然なことだと思います。

ただ、この記事を読むべきである人は、「自分は組織に貢献しているから上司や経営陣から攻撃をされるはずがない」と確信している方がほとんどだと思います。大体の人は、寝耳に水で裏切られたという思いが強く、メンタル的にも大きな打撃を受けてしまいます。
こういう方々に、間接的にでも届くとよいと思って書くことにします。

組織の中で浮いてしまって上司などから攻撃されやすい人の典型的な特徴は、
・ 優秀な人
・ 無理をしてでも約束を守ろうとする責任感の強い人
・ 物事を合理的に進める人
・ 会社であれば、全員が利潤追求を最大の価値において仕事をすることが当然であり、何ら疑うことのない人です。
こんな理想的だと思われるまじめな従業員が攻撃の対象となっています。

まじめな従業員が浮く場合は、会社にも例えば以下のような問題がある場合が多いです。
・ 同族企業で経営陣の中核が固定されていて動きがない
・ あるいは田舎の自治体で議会でも行政がほとんど追及されない
・ 会社などの設立が古いため、これまでのやり方でやればやっていけるはずだと思っている
・ 利潤は目指すのだけど、それ以上に条件反射的に仲間内や長年の取引相手との人間関係の方に価値を置く
・ 現場の会議で合理性を優先して決めたことをトップが一言で覆す
・ 組織の中の有力者に忖度して、その有力者がやりづらいと感じている部下を排除するのが経営陣の仕事だと思っている
・ よく言えば上の人の立場を尊重することが何よりも優先される
こんな職場です。

だから、会社は、「まじめ従業員」から合理性や約束は守るべきだというモラルを真正面に掲げて言われるとまともに反論できません。モラルや合理性を言う従業員は、とても煙たい人間で、上司や経営者にとってその人は「自分たち」というくくりには入らない人になっていきます。以下のような場合に「まじめ従業員」と経営者の間に緊張が高まることは、はたから見ているとよくわかるのです。

例えば
・ 会議で決まったことを上司が守らない場合
・ 上司の負担を減らすために、部下の仕事を増やそうとする場合とか、
・ 納期が迫っているのに上司が前提としてやらなくてはならないことをしていないとか、
こういう場合、「まじめ従業員」は、相手が上司であろうと経営者であろうと、正々堂々と正論を述べて上司の行動を改めようとしてしまいます。それだけならばよいのですが、やや感情的な言葉を使ってしまうことも多いです。本人は当たり前のことが当たり前ではないと指摘することや、理不尽であるために行動を改めるべきだなどということは、やらなくてはならないことだと思って発言しています。しかし、言われた上司からすればかなり自分に対して厳しい態度をしていると感じてしまうようです。また、正義や論理、会社の利益を背負っていますから、声が大きくなり口調が厳しくなることを気にしなくなってしまっています。

その行動を改めろと詰め寄られた上司が、経営陣の一角(身内)だったり、あるいは経営陣が外部から招へいしてようやく来てもらった人だったりすると、経営陣はその上司が何も言わなくても(実際は愚痴をこぼしていることが多いようですけれど)、「まじめ従業員」の排除に動き出すようです。
いつしか、その「まじめ従業員」は一人リストラの対象となってしまうわけです。

こういう場合、公的な職場であっても、結局横車を押すわけですから、かなり強引に、かなりアンフェアな手口を使ってしまいます。また、着々と準備を進めて積み重ねていきます。大体はナンバー2あたりが主体となって動きます。

ナンバー2が動くと、とにかく組織に迎合して組織の秩序を保ちたいと思ってしまうことが人間の本能ですから、ある程度はまじめで公平な人であっても、ナンバー2の提案こそが正義だと思い込んでしまうようです。ここで勘違いされることが多いのは、そのナンバー2に協力してしまう人たちが、自己保身のためにナンバー2におもねるのではないということです。ナンバー2こそが組織の秩序を保とうとしていると思い、それならばそちらに従い、何としてでも「まじめ従業員」を排除しなければならないと素直に思ってしまっているようなのです。冷静に観察すると信じられないくらいのアンフェアな役割を果たしていくようです。ナンバー2が作ったシナリオを忠実に、あるいはそれ以上に実践していきます。真実ではないとわかっていながら、「まじめ従業員」の非行行為をでっちあげたりします。

いつの間にか「まじめ従業員」は、上司や部下や取引相手に対してもハラスメントをした人間だということにされてしまいます。伝達作業などの業務上必要な行為を懈怠した事実が作り上げられたり、会社のルールがあったことにされてルール違反の常習者になったりされてしまいます。正当であろうと言いがかりであろうと、上司の注意という形式的な記録が積み上げられて行きます。それが専門分野になっていくと、専門的な理由からの注意や否定評価が不当な言いがかりだということを証明することが困難になっていきます。

「まじめ従業員」はまさか自分が批判の対象、攻撃の対象になるはずがないと信じていますから、組織の動きに対して鈍感になっており、反対証拠を収集するなどの準備ができていないことがほとんどです。せめて日記だけでもつけておいてもらうと大変助かります。

紛争はかなりの労力を使います。特に外野が見過ごしがちなのは、ご本人のメンタルです。強い力の理不尽な出来事で苦しんだ時の感覚が、記録を見るたびによみがえってくるようです。裁判などが終わるまで、常に新たなストレスが加わり続けることと同じです。戦いのさなかでは、なかなかその苦しみに馴れるということは無いようです。
また、例えば不当解雇があって、裁判で勝訴したとしても、なかなか復職することは難しいです。勝ってもメンタルが回復しないケースもたくさんあります。
「まじめ従業員」がまじめなままだとすると、復職をしても同じことが繰り返される可能性が高くなることでしょう。

考えるべきだと思います。

1 まじめなあなたの職場が、誰しもが思うような普通の職場、つまり、利潤の追求を第一として、合理的な行動をすることに価値を置かれ、責任をもって取引先との約束を守り、社内の現場の合理的な意見を尊重する会社であれば、「まじめ従業員」は自然にふるまうことができるわけです。あとは過労死や家族に対するネグレクトに注意をして組織生活をしていけばよいということになるでしょう。

2 問題は「まじめ従業員」であるあなたの職場が、利潤の追求や合理的行動よりも、経営者や上司の体面を重んじ、従来の方法論にこだわって経営を行い、納期が遅れようと新しい分野に対応できないものはできない、年配の経営者には無理だからこの分野を若者にゆだねてみようという意識を持つ余地のない職場で、現場がどうしようと上司の人間関係で決定を平気で覆すような会社の場合どうするかということです。

2-1 一つは、こんな調子で利潤追求に背を向けて、保身を第一とする会社や組織は、沈みゆく船だと見切りをつけて転職をする。

2-2 もう一つは、会社の中で、自分がはみ出さないように仕事をするように切り替える。極端な「まじめ従業員」をやめるということでしょう。

どちらかでしょうね。

本来、「まじめ従業員」は、従来の労働運動の中では、「あなたは悪くない。断固戦いましょう。」と言われてきた人たちだと思います。しかし、このような「あなたは悪くない」は本当に本人のために良いことなのか、疑問がわいてきました。
もしかしたら、「まじめ従業員」は、さっさと転職をして、今度は「まじめ度」を下げる行動修正をすることによって、その後の人生においてもっと楽な会社生活を送れるかもしれないのです。トラブルを適正に教訓化できればそれはかなり実現可能性が高いようです。ところが、自分は悪くない。次の職場でも態度を改める必要がないと極端な身構えをすると、また同じ現実が待っている可能性が高いと思うのです。

どちらを選ぶかは生き方の問題ですから本人が決めることです。しかし、第三者は、適当な時期に選択肢、可能性を提案するのが親切なのではないでしょうか。

最大の問題は、「自分が組織の仲間に受け入れられない」という体験が積み重なることによって起きるメンタル不調の長期化と重篤化です。そのような危険があるのに「正しいのだから頑張れ」というのは、無責任であり、その人の人生を失望と怒りにまみれされる大変危険なことかもしれないということを考えるようになりました。

この場合も、善悪二元論、二項対立論でおおざっぱにどちらかが善で、どちらかが悪という単純な考えで人間を評価すると解決策は見えてきません。会社は確かにアンフェアな罠を張り巡らせて労働者を追い出そうとしていますから、正義感の強い人はどうしても会社に対する怒りだけが高まっていくようです。自分の正義感を満足させるために、当事者のデメリットを考えないということがあれば大変怖いことです。

最近わたしは、「あなたは正義感、責任感が強すぎたのではないか」と問題提起をすることが増えてきました。

正義感が強すぎるから、一度決めたことを勝手に覆すことはおかしいと思うでしょうし、自分が得するために部下に損をさせるような上司の行動は断固拒否することでしょう。責任感が強すぎるから納期に間に合わなくなる上司の怠慢を厳しく指摘するでしょう。しかも納期に間に合う間に合わないかのかぎりぎりの段階でもまだ動こうとしない上司に対してはいら立ちも生まれることでしょう。顔に出すなと言われても無理だと思います。大切にすべきことは、ルールであり、公平であり、目的遂行あり、合理的行動をするということなわけです。

しかし、「ちょっと待てよ。」
と、第三者は敢えて言うべきではないでしょうか。会社も極端で不合理だけれど、「まじめ従業員」も一方の極端な立場でものを考えていないかということです。

そもそも本当に、利潤追求のためには、合理性を追求し、正義や約束に従うことが絶対の方法論なのでしょうか。合理性や正義や約束を厳格に守れば、企業利益が永続的に確保されるのかということも疑ってかかる必要があるかもしれません。

高度成長期が終わるまでの労使紛争は、企業が利潤を追求するあまりに労働者の人権を侵害していたという理由からの労使紛争が主流だったと思います。むしろ、利潤追求や合理性の追求に異を唱えていたのは労働者だったわけです。

もしかしたら「まじめ従業員」は、このようなむしろオーソドックスな企業の論理に立って、逆に経営者や上司を追及してしまっているのではないかということも考えた方が良いかもしれません。もしかしたら、正義を優先して仲間の感情をかえりみない状態になっていたり、人の失敗を許せないという窮屈な感情に支配されたりしていないでしょうか。

上司や経営者の不合理な行動で労働者がイライラすることは、昔からあることです。しかし、だからと言って、そのイライラを未加工で上司や経営者にぶつけてしまえば、当然反発が来るものです。上司に限らず同僚、部下に対しては尊敬できるところを尊敬し、その人たちができないことを広い意味で許すということは、組織として動く以上どうしても必要なことなのではないかと思うのです。

<気を付けるべきこと>
まず、上司に対しても部下に対してもそうなのですが、
「怒りをぶつけない」
ということが一番大切だと思います。

次に、会社の仲間には
「弱点は必ずある
だから弱点をいかにうまくカバーするかを考えるのであって
弱点であることを責めない、怒らない」
ということも大切です。
会社員、社会人であるからできて当然だ
とは思わないことが大切でしょう。

「現実の仲間をどう動かしていけば目標に近づくか」
ということを考えるのが組織人の醍醐味です。

決定権のある人の決定をストレートにくつがえそうとしないこと
相手の意思に働きかけるときは、結論を押し付けてはだめで
「メリットデメリットを提示し
選択肢の可能性を説明すること」ということになります。
結論をストレートにごり押ししても何も結論は変わりません。

決定に責任を負うのは決定権者なのであなたが責任を持つことではないのです。

会社だけでなく家族、趣味、友人関係など、あなたのまじめさ、責任感、正義感などは、仲間を精神的に追い込んでいる可能性があります。仲間を不幸にしている可能性があるのです。そしてそれは、自分自身を不幸にしている原因かもしれません。



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