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施設入所=親子分離の裁判所の承認の判断要素となっている児童相談所の一時保護下における心理分析は客観的な分析結果とはなりえず予備知識と先入観で分析結果が変わる危険について 施設入所という親子分離が増加した理由は世論が怒りを利用して誘導された結果ではないかということ [弁護士会 民主主義 人権]


断り書き:私は特定の児童相談所の複数のケースの調査報告書を対象としていますので、全国的に同じ調査をしているか否かは実際はわかりません。仕事上現れた問題を指摘して、同じ問題がある場合に備えて問題提起をするという趣旨です。なお、宮城県児童相談所のケースではありませんので、念のため申し添えます。

まず、これから述べることは、児童福祉法28条1項の、親から児童を分離して、児童養護施設入所または里親委託の措置をとることにあたってのお話です。これに対して一時保護というものは、児童の安全の確保や調査などの必要性がある場合に児童相談所所長が決めることができます。但し、親との分離期間は2か月を超えることができません。裁判所の関与を不要としているのですが、国際的な批判もあるところです。

施設入所または里親委託は、他の児童相談所では例外もあるようなのですが、私が関わっている事件では、高等学校を卒業するまで続き、その間親子の体面さえも無い場合もありそうです。私が代理人になって、児相ではなく委託を受けている児童養護施設と協力して断続的に面会を実施したケースがありました。親の方は、身に覚えのない出来事を理由に施設入所が決まったために児相に対して感情的な対応を抑制できない状態となっていたし、トラウマのような心理的症状も見せていました。このような特殊事情から親子の体面ができなかったという事情もあるかもしれません。児相ばかりに問題を押し付けても何ですが、子どもを取られた親ですから葛藤が高まって持続する人間も多いと思いますし、それは他の事例でもそうでした。いわば児童相談所は葛藤が高まった人に対応をする機関ということになると思いますが、ノウハウはまるでなく、かえって親と感情的にも同じ地平で対等に対立していた様相もありました。

但し、子どもが高校を卒業するまで親子が顔を会わせないという危険のある処遇であることは間違いありません。

一方親子の自然な感情交流は人間が成長するために有益なものであり、子の福祉の観点からは親子が一緒に生活することが望ましいということが確立された価値観です。子どもにとっても、自分の親に問題があり、子どもと一緒に暮らしてはいけないと公的に評価されたということをしれば、それは精神的に打撃をうけることも間違いないでしょう。親が自分に会いに来ないということから自分が親から見捨てられたと思う子、自分は親から愛される価値のない子と感じる子どもたちもいるようです。自己評価が低くなる危険は高いです。両親が別居した場合の子どもの心理を考えれば応用がきくはずです。

自分や両親の意思に反して離れて暮らすということは、子どもの健全な成長にとって害を与える危険があるということはしっかり認識しなくてはなりません。

このため児童福祉法28条は、
1 保護者が、その児童を虐待し、著しくその監護を怠り、その他保護者に監護させることが著しく当該児童の福祉を害する場合
2 家庭裁判所の承認があること
という二つの条件のある場合は、児童の健全な成長などと言っている場合ではないので、児童相談所所長の申し立てによって親から分離して施設入所や里親委託をさせることとしたわけです。

どういう場合に1の要件に該当するか判例を調べたのですが、目を覆いたくなるような虐待の場合が多いです。理由のない暴力や性暴力、命の危険のある傷害といった強烈な加害行為があり、それによって子どもが身体的に傷ついていたり、反応性の精神障害や、発達上の問題があるケース場合が典型的な事案でした。また、特徴として子どもが学校に通学させられないというような事情も多く見受けられました。

命が亡くなったら、成長も何もありませんし、親に健康問題があり、親として感情に基づいた行為ができない事情があるため、このまま親と生活していたら人格が歪んでしまい、生きる喜びなんて感じられないだろうな、そもそも虐待死しそうだというケースであり、親と分離するデメリットを大きく上回るメリットが明らかにあるというケースだと思います。

さらにそういうケースだということを児相が判断するのではなく家庭裁判所という別機関が判断するということがみそでした。

さあ、問題がここにあります。

家庭裁判所は児童相談所と別機関だということが売りの制度ですから、家庭裁判所が児童相談所の報告書などの矛盾点をきちんと見つけだし、児童相談所の意見はともかくとしてもそれを裏付けるものが証拠として提出されていないということになれば、きちんと児童相談所の申し立てを却下しなければなりません。

児童相談所の主張をやみくもに信頼してしまって、承認の審判を出すだけの税金の無駄遣い機関にならないことが制度の命です。

これに反して決裁印を押すだけの機関に転落する要素はたくさんあります。

子どもを取り上げられる親は、現在多いのは何らかの病気があり治療を受けている、生活保護を受けている、過去において何らかの不十分な養育があった事実がある等、事情のある親が多いからです。

さらに、施設入所の前に一時保護を受けているのですから、それなりの事情を現に抱えており、理想的な養育をしているわけではなく、「子どもの長期的な心理面を考慮しなければ」、施設や里親の方が快適な生活を送れるだろうと思われる事案であると一般的には見える事案ということもあります。

つい、子どもにとって別の生活を与えたいと思うかもしれません。

方や児童相談所は県や政令指定都市の公務員であり、児童福祉士や児童心理士という肩書を持った人間たちです。この人たちが子どものことを思って申請するならば、報告を疑わないで承認してしまったほうが間違いがないだろうと思ってしまうのは人間かもしれません。法の番人である裁判官でなければということです。

また、裁判官は、認知科学や発達心理学、行動心理学についてあまり勉強をしていないようです。この知識を補うのは家裁調査官なのですが、家裁調査官に調査命令を出すのは知識のない裁判官ですから、事なかれ主義のいわゆる役人根性の強い調査官だとすれば、裁判官の知識不足を陰で笑いこそすれ、知識を補充する提言をするということはしないのかもしれません。そうでない調査官はもちろんいます。今でも立派な調査官の方々の顔が浮かんできます。名前はあまりよく覚えていませんが。

なぜ、裁判官に知識が無いかといことがわかるかと言えば、裁判官は児童相談所の職員が行った心理テストについて、評価することをしないということに気が付いたからです。

心理テストとは、ロールシャッハテスト、STCテストに代表される検査です。これが客観的に施行される、物理実験のようなテストだと思っているようなのです。

この心理テストには苦い思い出があります。労災でうつ病になった依頼者が、大きな病院の精神科で心理士の心理テストの結果、境界性パーソナリティ障害とされ、精神科医からそのような診断名を付けられました。これも大きな理由として労災が認められなかったという事案がありました。今にして思うと、その病院は患者の苦しみを取り去るために治療をやり抜こうという真摯な姿勢が無いということを今なら論証する自信があるのですが、当時は知識が不足していました。ただ、その事案でも著名な精神科医の先生にご協力いただいたのですが、うまくゆきませんでした。

まず心理テストについてですが、誤解と非難を恐れずに言えば、科学的なテストではない言うべきテストです。この意味は、誰でも同じ検査をすれば同じ分析結果になるというものではないという、再現性が無いテストだということを意味します。

例えば、ロールシャッハテストは、1920年にロールシャッハという医師が作成したテストで、紙にインクを落として半分に折りそれを開いて左右対称の抽象的な図形を作り、施行者が質問をし、被験者が回答をするという形で進められ、被験者の発語や発語回数などから被験者の心理状態を分析するというなんとも頼りないテストなのです。そもそも再現性がありようのないテストです。
また、その発言、発言回数、言い方などから、施行者が結論付けた被験者の性格に至った道筋について文章で説明せよと言ってもできるものではありません。それは、同じ流派の人たちであれば、こういう場合はこういう結果だと判断しろと言う阿吽の呼吸が伝承されていますから、流派内の人、特に師匠と弟子の間では言葉による説明が可能ですが、一般に向けた説明は無理です。どうしてそういう結論になるか誰も納得しないでしょう。「裸の王様」のようなものです。

特徴としては施行者の主観が入り込む余地がとても高いということがあげられるでしょう。

STCテストは、私は、冬の寒い日は・・・・・だ。の・・で示した空白の部分に言葉を書き込んで文章を完成させるというテストです。児童相談所で行われる心理テストでは比較的多く3割近い児童相談所で実施されているようです。
しかし、この空白の補充も、同補充すればどういう性格だということが一義的に出てくるわけはありません。やはり施行者の主観の入り込む余地が大きいテストです。

これを入社テストなどで行うことを問題にしているわけではありません。いやなら受けなければよいですし、それで採用に失敗しても自業自得ですから他人が批判する話ではないでしょう。

問題は児童相談所がこれをやっているということです。
要するに親の養育に問題があり、その影響で性格に偏りがみられるとか、発達上の遅滞があるとか、そういう判断をしようとしているわけです。それで、親子は分離され、子どもは健全な成長を阻害されるリスクを背負わされるということです。

おそらく、大半の方は、心理テストというのは、どこかにそのテストを専門的に行う機関とか専門家がいて、先入観無くてストが実施され分析がなされていると思っているのではないでしょうか。

全く違います。子どもを担当している児童相談所の職員が行っているのです。場合によっては長年子どもを担当している職員、親とけんかをしている職員が行っています。つまり、予め子どもに対する情報がインプットされている人が行うのです。心理テストなんてしなくても、ある程度分析ができているはずですから、改めての心理テストはいわばセレモニーとか裁判所に対する権威付けで行っているわけです。子どもの親に対する偏見があったり、子どもの親から罵倒されたりという経験があれば、分析結果に影響が出ない保証はありません。

心理テストの報告書からこれが明らかになってしまうケースもありました。つまり心理テストを実施しているのですが、心理分析の結果を記載しないのです。心理テスト以前に知っていた情報を理由として結論を出している報告書ですから、心理テスト報告書ではないわけです。それでも裁判官は、そのことに気づかないことがあるようです。ロールシャッハテストとかSTCとかいうちんぷんかんぷんなテスト名を出されると、それは客観的に行われて客観的な結論が関数のように出てくるテストだと勘違いをしている人もいるようなのです。知らないのに知ろうとしないわけです。

しかし、こういう心理テストは家庭裁判所では結構出てくるのです。児相の問題もそうですし、離婚の際の親権者をどちらにするかとか、面会交流の際にも、主観的心理テストの結果を踏まえてどちらかとは会わせないとか、少年事件で少年の処遇を決めるときにも心理テストが出てくる場合もあります。裁判所が心理テストのメリットデメリット、注意点を把握できないでは、家庭裁判所の裁判官としてはどうなんだろうという疑問がわいてきます。

さらに心理テストには問題があります。
それは被験者である子どもが児相で一時保護されているという環境を考慮しない場合があるということです。心理テストで、何らかの性格的傾向、行動傾向などが見られたとしても、それが親との生活で形成されたものなのか、親と長時間会えなくて、学校にも通学できないという状況を反映したものなのかわからないということですし、ある程度の年齢になればこの心理テストの結果親と会えなくなるということがわかりますから、それを警戒したり不安に感じている結果なのか考察をされることが無いということです。
この問題は常にあるように感じています。仮に子どもに何らかの問題が認められたとしても、その原因は親ではなく児相にあると解釈できる子どもの反応というものが、強引に親由来の問題だと分析されているという問題です。

また、問題は実はそれにとどまりません。
心理テストを低年齢の子どもに実施することの問題点です。例えばロールシャッハテストですと、この図形が何に見えるかというような質問をして、回答の数、所要時間、表現等によって深層心理を分析するわけですが、子どもには豊富に語彙があるわけではありません。そもそも図柄は何にも見えないただのシミです。子どもは漫画のようにデフォルメした図を好むわけですから、はっきり意味が通じる図柄でないと理解できないという発達上の問題もあります。その回答は深層心理の問題ではなく、子どもの認識と表現の発達段階の限界の問題である可能性が高いのではないでしょうか。そもそも7歳の誕生日を迎えたばかりの子どもの深層心理とは何なんでしょう。およそ発達心理学の知見もないのではないかと勘繰りたくなるテストが行われています。他者との結びつきにおいても、小学校入学前は一緒に遊んでいるようにみえても、同じ場所にいてめいめいに遊んでいることが多いそうです。人間関係が深くないというのは、同年代の子どもと比較してなのか、大人と比較してなのかわかったものではありません。

STCテストだって、小学抗低学年では、まさに国語の試験問題みたいなものです。文章を埋めることは大変なのです。能力的に負担となれば、適当に切り抜けようとすることは自分がその年ならやることです。また、空間に整序立てて書くことも、きれいな字で書くことも年齢によっては難しいことです。ここから何らかの心理状態を結論付けるなんてことができるとは思えません。

これ等の心理テストは大人が被験者であることを前提としたテストだと私は思います。

そもそも子どもには無理なテスト行って、何らかの心理的傾向を導き出そうということ自体が無謀なことだと思います。また、実際は心理士は、苦労して心理分析をしないで、こういう回答が見られた等という回答結果だけを報告し、心理傾向について報告しないで、先入観や元々あった情報で心理テスト報告の結論部分を書いているかもしれません。これは報告書を読めば簡単にわかります。

おそらく裁判官の中には心理テストの報告書を読まない人もいるのでしょう。実際に多少の知識をもって読めば、かなりいい加減な報告書もあるかもしれません。

税金をもらって仕事をしている裁判官は批判されなければなりませんが、弁護士も批判されなければならないかもしれません。心理テスト報告書など読めば批判は簡単ですからきちんと読んで、論理学的な技術をもって真実を見極めて批判をしなくてはなりません。それをしないで裁判官を批判することは、職務放棄だと思います。

ただ、施設入所を申し立てられる親御さんには経済的事情を抱えた方も多く、弁護士を依頼する費用が出せない方も多く、誰が熱心に取り組む弁護士かという情報からも疎外されている人が多いです。そう言う人が狙われているという感すらするほどです。大変悩ましいところです。それにしても、問題意識が希薄な弁護士が多いということも事実かもしれません。

弁護士だけの問題ではなく、国民全体の問題だということを最後に述べたいと思います。

児童相談所所長の28条申立は、極端に増加しています。平成元年は14件しかありませんでした。平成7年くらいになると36件、平成10年の65件まで増加していったのですが、平成11年は97件、平成12年から15年は百数十件、そして平成16年から平成21年は200件前後、平成22年から平成29年は二百数十件から300件の間ということになっています。

そんなに審判例にみられる虐待件数が増えたのでしょうか。もしそうならば、社会構造的に親が子供を虐待するようになった要因を探さなければなりません。しかし私はそうではないのだろうと思っています。要するに申立のハードルが下がったということです。しゃにむに多少判例の事案に届いていないが申立をしようということが本当なのではないかとにらんでいます。

一つには虐待に対する世論の味方が厳しくなったこと。同時に虐待を放置して児童が死亡することに対する児童相談所に対する批判が多くなったことが理由だと思います。

怒りは、単一の問題の所在しか考えることができなくさせてしまいます。つまり、虐待死を無くすという価値観です。それ自体は間違っていません。虐待死があってはならないということは当然です。

しかし、虐待死を無くすためにどんどん親子分離をするべきだということになれば反対ですし、それは子どものための議論ではなく、第三者の気持ちを落ち着かせようとするために当該子どもの健全な成長を阻害する結果になることだと私は警鐘を鳴らさなければならないと思います。子どもにとって弊害があるから、厳しい要件が満たされない限り施設入所などを認めないというのが法律と判例の立場なのです。そのことが、弊害の知識もなければ考察する余裕もないような正義感によって原則が取り外されそうになっています。その結果、成長に深刻な影を落とす児童が増え、自分を否定されたと感じる親が多数生まれ、結果として親と子双方の自死が起きているのです。

単純極まりない正義感は本当に害悪です。ただ、それはどうやら作られた正義感、誘導された世論ではないかという疑いが払しょくできません。テレビや新聞の単純な正義感に火をつける報道スタイルが誘導している印象があります。要するにテレビや新聞も、視聴回数を伸ばそうとするユーチューバーと同じ論理で国民に働きかけているように思えてならないのです。


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