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中高生の生徒さん方に自殺予防のお話をする機会で、何を伝えるべきか 自殺、うつについての誤解 [自死(自殺)・不明死、葛藤]


生徒さんに自死予防のお話をする場合、どのようなお話をすればよいかということで、例によって、記事を書きながら考えていこうと思います。

まず、自死予防とは何を予防するのかということをはっきりさせなければならないと思います。
最終的に死ぬことを予防するということは間違いありません。しかし、死にそうになってから「さあ、予防しましょう。」というのでは遅すぎます。予防が成功する確率も下がってしまいます。また、予防のためには、例えば精神科への入院など、「死なないことを最優先する」ということになってしまいます。

このため、もっと早い段階で、死にそうにならないようにするということが最初に考えられるべき自死予防であり、最も効果が高い自死予防になるはずです。しかし、不幸にして死にそうになってしまったならば、まずそのことに気が付いてできるだけ早い段階で対応をする必要がある、こういう順番だと思います。

死にそうになる段階というのは、自死リスクが高まっている段階です。

「自死リスクが高い状態」を、ここでは通常の心理状態であれば自死に向けた行為のきっかけにならないような些細な刺激で自死が欠航される危険のある状態としておきます。

自死が行われる場合、自死リスクが高い状態になってから自死を決行するのか、そのような状態を通らないで一つの衝撃的な出来事だけで自死をしてしまうのかというと、圧倒的に多いのは自死リスクが高い状態が存在してからだと思います。死の危険性が高まっても、直ちに自死することはなく、自死リスクの高い状態が、相当時間継続します。

この時間は千差万別です。数か月以上あるいはそれ以上自死リスクが高い状態が続いたうえで適切な働きかけができないでおいて亡くなってしまう場合もありますし、衝撃が大きすぎて数日単位で亡くなってしまったケースもありました。

ところで自死リスクが高まっているときの心理状態はどういうものでしょうか。
自死を途中で思いとどまった人の話を聞くと以下の特徴があります。
・ 死ぬことが怖くなくなっている。むしろほのかに明るいイメージを持つ。
・ これ以上生きていることが負担で耐えられない。
・ 何をやってもうまくいかないと思い込んでいる(第三者から見るとそうではない)。
・ 現在の苦しみは解決しないと思う(第三者から見るとそうではない)。
・ 自分は孤立している(第三者から見ると違う場合が多い)。
・ 比較的多いケースとして「自分は死ななければならない」と思い込んでいる。

悲観的傾向、二者択一的傾向、刹那的傾向、将来を見通すことができない、客観的な状態把握が難しい、つまり
「思考力が低下して理性的なものの見方考え方ができなくなっている状態」
というようにまとめることができるかもしれません。

このような心理状態になり、例えば誰かにからかわれるという出来事(普段なら笑って切り返していた出来事)だけで、「自分は死ぬまで孤立して過ごし回復することは無いのだ」という絶望を感じてしまい自死を決行してしまうということが起きてしまうわけです。

それでは、何が原因で自死リスクが高い状態となるのでしょう。これまでの調査で浮かんできた事情を列挙してみます。
・ 継続した人間関係のトラブル(パワハラやいじめも含む)
・ 元々あった精神疾患、あるいは人間関係のトラブルが原因の精神疾患
・ 様々な事情で起きる、物の見方考え方の極端な歪み
・ 薬の副作用
・ 脳の傷害
・ 睡眠不足
・ 精神疾患以外の病気
・ 慢性的な緊張感の持続(過重労働、無理な受験勉強)
・ 社会的評価が失墜するような出来事(犯罪を行い逮捕されるとか)

順番は今思いついた順番であり、特に意味はありません。書いていて気が付いていたのですが、複合的なことが多く、それぞれが原因と結果の関係が入れ替わったりします。例えば長時間労働があれば、睡眠不足になり、うつ状態になっていって自死リスクが高まることもあります。原因不明のうつ病によって睡眠不足が症状として出現し、自死リスクが高まることもあるという具合です。

どうやら、人間は、
「自分が構成員となる人間関係において、仲間として尊重されていたい
という希望を本能的に持っているようです。そして、自分が要求する仲間として扱いを受けないと孤立感を抱いてしまい、それがその人の能力に応じて一定以上継続してしまうと、精神的に破綻していくということが起こるようです。精神疾患や薬の副作用、あるいは睡眠障害によって、特に理由もなくこの
「回復不可能な孤立感」
を感じることもあるようです。

そして、複数の人間関係のうち、一つだけで不具合が発生しても、
全部の人間関係で孤立しているようなダメージを受けてしまうようです。
だから、どんなに家族が仲が良くても、例えば会社でひどい仕打ち、仲間として扱われない状態が続いてしまうと自死リスクが高まったり、友人関係が豊富でも社会的信用を無くしてしまうと自死リスクが高まるということが実際に起きています。

その人間関係がだめでも、家族はいつもの通り接しているのに、すべてうまくいかないというダメージを受けるようです。

ここは自死についての誤解がよくあるところです。自死が起きた以上、家族関係がうまくいっていなかったのではないかということを無責任に言う人がいますけれど、それは全く失礼な話です。遺族が苦しむだけのことなのです。

また、上に紹介した通り、精神疾患だけで自死リスクが高まるということが実際にあります。特に理由もなく、自分は警察に逮捕されて刑務所に入れられてしまうと考えてしまう人もいました。うつ病性妄想といううつ病の症状です。うつ病という精神疾患は、ただ苦しいだけではなく、人間関係に回復しがたいトラブルがあるという妄想を抱くことがあるようです。

精神疾患は隠れている場合もあります。強烈なストレスは、結構多くの場所に待ち構えているものです。そう考えると、あの人は強い人だから大丈夫だとか、この人は明るい人だから大丈夫と言うような、大丈夫と言うことはありません。誰にでも自死リスクが高まる可能性があると考える必要があると思います。

ここでも自死の誤解を指摘します。自死する人は心が弱い人、すぐに逃げ出す人ということがネットなどでは言われるのですが、自死する人は
責任感が強すぎる人
心が強すぎる人
能力があって、たいていのことはやり抜いてしまう人
という人たちが典型です。私のような無責任で、心が弱い人は、辛ければ逃げることができます。しかし、過労死する人は、自分の属する部署に会社のノルマが与えられた場合それはやり抜かなくてはならないと考えてしまいます。そして、同僚がそれに対して熱心に追求しない場合は、同僚の分まで自分でやろうとしてしまいます。そして、能力があるのでやり抜いてしまうことが何度かあるため、またやろうとしてしまうわけです。能力の範囲を超えたことをやろうとするため、強烈なストレスが慢性的にかかり、自死リスクが高まっていくという事例を多く見ています。

さて、では、私たちができる自死予防というものは何があるでしょうか。友達、家族、そして自分に分けて考えてみましょう。

友達
友達については、まず自分が友達の自死リスクを作らないということです。仲間として尊重しないということをしないということになると思います。簡単に言うと仲間として尊重するということですが、これはまじめに考えすぎるとキリがないことです。あなたにも家族がいるでしょうし、別の友達関係もあるので、特定の人間だけに全力を挙げて対応するということは不可能です。

ただ、攻撃しないということはできることですし、知らないうちに攻撃をしているということがあります。ご自分はそのつもりが無いのに、相手は傷ついているという場合ですね。キリがないと考える一つの理由もここにあります。

例えばクラスの中の友達の場合、つまりそれ以上の友達ではない場合、クラスのほかの人間と同じように接するということが大切だと思います。一人だけ情報が入らないとか、一人だけ嫌なことをさせられるとか、一人だけ呼び捨てにされるとか、考えようによっては嫌なニックネームで呼ぶとか、そういうことをしないということはできると思います。

また、その人がいかにも突っ込みどころと思われるような天然ボケをしたとしても、言葉がきつくならないようにということは気を付けるべきです。もしかしてもう自死リスクが高まっていて、些細なあなたの発言で自死をするということがありうるので、相手に対して失礼のない言葉遣いをするということは大切です。特に異性に対しては神経を使うべきだと思います。

ここでも一つチップスを紹介します。うつ病と言うと、もしかするとどんよりと落ち込んでいることが見た目で分かり、生気の無い様子も見ただけで分かるものだと誤解している方がいらっしゃるかもしれません。しかし、実際は、うつ病で多い初期から中等症の人たちは、自分がうつであることを隠そうとしています。ニコニコ笑っていたり、はしゃいで見せたりするということも実際は自分がうつであることを知られたくないからしている可能性があります。そして、そのごまかしはうつ病の人にとってはとてもエネルギーを必要とすることなので、かえって消耗してしまうようです。

案外気が付かないうちに、私たちは仲間にダメ出しをしようとしているということがあるかもしれません。相手の欠点、不十分点ばかりが目に付いてしまい、そしてそれを指摘してしまうということがあるようです。これを治すのは今のうちです。案外離婚で一番多い理由はこれなんです。今から訓練することは必ず将来に役に立ちます。また、そのような行動傾向があるのは、あなた方のせいではなく、社会的な問題だと思います。社会的な問題だと言っても不幸になってしまうのは自分たち一人一人ですから、自分の行動を点検してみることはお勧めします。

次に、誰かが誰かを攻撃して、孤立させた場合は、フォローをするということができることだと思います。
これは何も、攻撃した相手の首根っこを押さえて謝れと促すことだけではありません。

「今のはひどいね。」、「誰もそんなこと考えていないから、気にしないでね。」
と一言掛けるだけでも、かなり救われます。この一言が無かったので過労死になってしまったと思われる例がとても多いのです。

クラスで孤立して自死リスクが高まるパターンは、クラスの人間が孤立させないという声をかけることが一番効果があることだと私は思います。

どういう場合に声がけをするべきでしょうか。

もちろん暴力を振るわれたときが筆頭でしょうね。これは痛いから傷つくのではなく、自分が暴力を振るわれても仕方がない立場の人間だと思われているというところに深く傷つくわけです。
その他、否定評価がなされたとき、立場がなくなるようなとき、顔をつぶされたと思うときなどです。その人に何らかの原因があっても、自分は仲間として尊重しているということを伝えるということが大切だということです。誰もフォローをしないならば、自分がその場の人間全体から同じように思われていると感じてしまうということです。

なお、一人だけで何とかしようとするより、クラス全体で話し合って行動を考えるとか、場合によっては先生に告げ口をするということも含めて、可能な行動をとるようにした方が良いと思います。

家族
例えば兄弟がいじめられているとか、パワハラを受けているような場合、つまり自分の大切な人間が、自分と接点の少ない人間関係で傷ついている場合にどう接したらよいのかという問題があると思います。

これは大人の人たちに言うべき話だと思うので、皆さんにお話しするべきではないかもしれませんが、考え方だけ説明しておくことは何かの意味があると思います。

簡単に言うと、どこかの人間関係(学校、職場等)で、人間関係に不具合があっても、家ではどんなことがあっても家族として尊重するというメッセージを発することです。あなたは孤立していないというメッセージです。但し、はれ物に触るような扱いはかえって負担がかかります。本人が苦しみを見せているときは、そのようなメッセージをそのまま発してもよいです。しかし、本人がうつを隠そう、悩みを隠そうとしているときは、いつもと同じように接することが一番良いようです。

自分
自分の精神状態を客観的に知ることはなかなか難しいことです。少し弱ってきたら少し調整しようということは無理なことです。自分の環境を作っていくという発想が良いと思います。つまり、それでどうなるかはわかりませんが、仲間を仲間として尊重するということをむしろしていくということです。

つまり、仲間の欠点、失敗、不十分点を、笑わない、批判しない、責めないで、むしろ自分が助ける、補充するということをしていくということです。そして仲間が自分に何かをしてくれた時は感謝する。自分が何かを失敗した時は謝罪するということです。

そんなことでいいのかと拍子抜けをした方もいらっしゃると思いますが、実はそんなことができないのが人間社会のようです。どうしても仲間の失敗で、自分が不利益になることがあると、仲間を責めたくなるし、批判をしたくなるということがあります。必ずしも仲間を解消したいわけではありませんが、つい言ってしまうということが結構あるようです。

基本は自分を大切にするということでよいと思います。ただ、自分を大切にするということは、突き詰めて考えれば、自分が所属する仲間の中で自分が仲間として尊重されることなのではないかと考えています。人間はそういう時に幸せを感じていると思います。もっと大事にするべきは、自分が衣食住を共にする人間という意味での家族だと私は思います。

最後に、少し、青年期の自死にまつわることで、気になることを説明したいと思います。

第1に、インターネット、SNSの問題です。インターネットは、対面式のコミュニケーションではないので、相手に対しての思いやりが省略されてしまうことがあります。気が付かないで相手を孤立させることがあるようです。典型的なSNSは、簡単に一人を、そのグループで孤立させることができますし、そのことによって相手が苦しんでいることを想像することができなくなり、執拗な攻撃をしていることがあります。特に正義感から、相手を攻撃してしまうと、相手をフォローするものが出にくくなるということもあります。表現も過激になっていきますし、面と向かってならば言わないだろうことも言ってしまうということがあるようです。また、言葉から誤解をする場合もでてきます。わたしは、SNSは事務連絡にとどめた方が良いと思います。早く寝て、早く起きて、フレッシュな脳で体面で会話をする方が無難だということですね。

第2は、10代のうちは、気分感情がくるくる変わるということです。とても落ち込む出来事があっても、部活を熱心に取り組んでいるとか、仲間内でふざけていたとしても、落ち込んでいることは変わらないということが多いようです。落ち込む出来事があれば、明るい様子を見せていてもフォローをする必要がありそうです。

第3は、10代の自死リスクがかなり高度に高まった場合に見せる行動について説明しておきます。以下の特徴のある行動をとる場合です。
・ 手が付けられない暴力行為
・ 衝動的な行動
・ 自己に対する攻撃行動(自分を傷つける、自分のものを壊す等)

これ等の事情があり、原因がわからない場合は、心配をすること、大人を使って専門機関を探し当てることが必要になります。市町村や県の保健所に相談するという選択肢もあります。

さて、このように今日は自死予防のお話をしました。重い話になったかもしれません。
ただ、自死予防ということが、今まさに死のうとしていることを止めることだけではなく、むしろ主力は、自死リスクを高めないという方法なのだということは伝わったともいます。

その主要な方法は、自分も相手も仲間として尊重されているという環境を作るということです。相手の欠点、弱点、失敗を補い合うということ、欠点、弱点、失敗があっても仲間として尊重し続けるということは、人間にとっては本能的に幸せを感じることのようです。自死予防とは死ぬ人を無くすというマイナスからゼロを目標にしていたのでは達成できないことです。具体的にみんなで幸せになっていこうとするゼロの先のプラスを目指す活動なのだと思います。楽しく人間らしい活動だと私は考えていて、今日もお話をさせていただきました。

<考察>
大体授業一コマだと、少し長いですかね。長いというより要素を盛り込みすぎかもしれません。また、パワポが使えないということであれば、言葉とレジュメ的な資料だけということになりますね。まあ、要素は頭の中で網羅されたと思っていますので、聞かされている生徒さんの立場に立って後で検討してみましょう。



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