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それが「いつ起きたこと」だったか思い出せない理由と思い出させるテクニックの検討 [事務所生活]



<問題提起>
例えば職場のパワハラでうつ病にり患した人が損害賠償請求を起こすという場面を想定してください。うつ病になった人は、どのようにパワハラを受けたか、どのように叱責を受けたか、どのようなしぐさをされたのかということについては比較的覚えています。覚えているというよりは忘れられないという表現の方が正しいようです。しかし、何年からパワハラを受け始めたのかとか、同僚の前で暴行されたのは何年のことかというと思い出せない場合も多いのです。

これが、つい最近の出来事であれば、思い出せないということは無いのですが、数年前のことになると、何年のことかと質問されて、パッと何年ですと答えられるということは少ないのではないでしょう。

すぐには思い出せないとして、何年から何年の間だと言っていただければ、まだよいのです。そうではなくて、自信もないのに平成何年のことでした。なんて言われて、それを簡単に信じてしまうととんでもないことになります。例えば、パワハラ受け始めたのが平成28年のことです。なんて言ってしまって、そのように裁判書類にも書いてしまった後で、実は平成27年から精神科の治療を受けていた、しかも病名がうつ病だというのであれば、「現状のうつ病はパワハラ以前から始まっていたではないか」ということになってしまいます。実は平成26年からパワハラが始まっていたのに、言われてから年号を変えるというのでは全く信用性が無くなってしまうということもあります。

裁判の場合、きちんと言わなくてはならない事実の外に、その事実の前提となるような事実もあって、何年かということを間違うことは致命的になる場合もあります。

しかし、それが何年かということは、なかなか思い出すことは難しいようです。
今回は、どうして何年かということが思い出しにくいのか、答えにくいのか、あるいは間違いやすいのかということを考え、どうやって正確に思い出していただくかということを考えてみましょう。

<それが何年なのか思い出せない理由>

記憶していた出来事を思い出すという作業の特質からすると、何をされたかということは思い出しやすいのですが、それが何年だったのかということを思い出すことはそもそも難しいということのようです。

この点については、ちくま新書「記憶の正体」(高橋雅延)の勉強成果に基づいてお話しすることとします。以下の文中の数字はこの本の頁や章を指しています。

1)人間の記憶の想起には手掛かりが必要である(第6章)。

何かの出来事の記憶を思い出すためには手掛かりがあることが必要なのだそうです。殴られたこと、侮辱されたことということがトラウマになってしまうと、忘れられなくなってしまうために、思い出すという作業は不要になるでしょう。
あとは間違った記憶を排除して、出来事を正確に再現する作業が必要になるだけです。

何人かから暴言を受けるという場合、そこに誰がいたかということを思い出す場合、例えばその暴言を受けた場所に行くとその時のメンバーが誰であったか、記憶がよみがえりやすいということのようです。もっともその場所に行かなくても場所、例えば会議室の様子を思い出すとその時のメンバーの顔も思い出しやすくなるようです。逆に、PTSDに限らず、何らかのトラウマ体験に苦しむ人は、その時の絶望的な気持ちを連想させる場所に行くだけで、その時の苦しかった感情がよみがえってしまうようです。雨の日に性被害に遭った若い女性が、雨が降るだけで気持ちが落ち込んでしまうということを聞いたことがあります。

これに対して年数については、なかなか手掛かりということがありません。そもそも、出来事があったときに、今何年だということを意識してはいないと思うのです。確かに今何年だと問われれば、2022年だと簡単に出てくるのですが、何かをしているとき、あるいは何かをされたとき、今2022年だと意識しているということは無いと言えるのではないでしょうか。

出来事については、感情が伴います。悪い出来事ならば、悔しかったとか悲しかったとか、怒りに震えたなんてことがありますので、思い出すきっかけは豊富にあると思います。しかし、何年かという数字が感情に結び付くということが難しいということも思い出すきっかけが見つかりにくいことの一つの理由だと思います。

例えば、ディズニーランドに最後に行ったのが何年かということです。子どもと一緒にどんなアトラクションに乗ったということは覚えているのですが、それが何年のことだと聞かれても、すぐには返答不能です。

出来事と年数は直結しない、元々直結して記憶していないということも言えるのかもしれません。

2)思い出しやすい記憶は、何度も思い出している。

記憶の想起は、記憶力を鍛えるよりも記憶したことを引き出すこと早期の練習が効果的である(170~175頁)。
思い出すためには、反復して思い出す訓練をすることが必要である(166)

繰り返し思い出すことをしていると、思い出しやすくなるようです。忘れられないトラウマなんかは、繰り返し思い出しているわけですから、記憶は定着しやすいということになり、わかりやすいです。
しかしながら、それが何年のことかということについては、いちいち思い出すことは無いと思うのです。いやな出来事は反射的に思い出したとしても、思い出したくない、思い出した時に苦しい思いをするということであれば、意識的に正確にアウトラインを検証してみるなんてことはしないと思うのです。そうすると、それがいつのことかということは思い出す作業をしていないとなると、やはり何年かということについて思い出すことは難しいということになると思います。

3)西暦と元号の混乱

最近見られるのは西暦と元号が混乱していることです。平成28年は2016年なので、平成28年というべきところを平成26年と言ってしまうという単純ミスがよく見られます。また、そうやって西暦の下一桁に2を足していくという作業をしていると、元号の下一桁に2を足してしまってありえない年数をお話しする方もいらっしゃいます。
これは慎重に聴き取れば、間違いを回避することはそれほど難しくはありません。

<それが何年のことか思い出すための方法>

1)想起の基準、時間軸のランドマークを作り当てはめる
大きな出来事を基準として、その前なのか後なのかという聞き方をして思い出していただくということをします。

私は仙台の弁護士ですが、少し前までは、その出来事は東日本大震災の前か後かということを手掛かりにして思い出してもらうことが良くありました。震災によって、私たちの生活は大きく様変わりしました。そのことが震災の前か後かということは比較的思い出しやすかったようです。

そのエピソードが震災によって何らかの影響を受けていれば、「ああ、あの時ああしたのは震災によってこういう習慣が生じたためにやったのだから、震災の後であることは間違いない。」等と思い出してもらえたようです。

しかし、これも震災後10年近くたったころからはあまり役に立たなくなってきました。
ただ、時間軸のランドマークを作って、その前後という問いかけは有効になることが多いです。どのように時間軸を設定するかという工夫の問題が肝心だと思います。

2)関連する出来事の経過表を作る

年数を思い出すことにも有効ですが、人間関係の紛争を理解するためにも、出来事の時系列表を作るということはとても大切だと感じています。

何年何月のことについて、最初はあまり神経質にならず、主だったエピソードの先後関係を間違えないようにだけ神経を使ってもらい、古い順から並べてもらうということをまず作業として行ってもらうようにすることが多いです。

この作業は、弁護士が出来事を頭に入れ、原因や解決方法を考えるためにも必要ですが、当事者の方がご自分の頭の中を整理するためにもとても有効です。この時系列を整理しただけで、自分に対して自信を持ち、相手と対決してご自分で事件を解決してしまった人もいらっしゃいます。

3)客観的に年月日が特定できる資料によって精緻に仕上げていく

出来事の順番については、比較的思い出しやすいようです。出来事を前後関係順に並べていただき、思い出せる範囲で年数をいれて、少しラフな時系列表は結構誰でも作ることができています。そこからが弁護士の腕の見せ所ということになります。

ラフな時系列表の中で、それが何年のことなのか客観的に確定できる出来事があります。入籍の年月日、子どもが生まれた年月日は、覚えていることが多いです。比較的思い出すことが多い年月日だから、想起の作業の反復訓練をしているわけです。検証が必要な場合では戸籍謄本を見れば確実です。

同様に住民票には転居の年月日が記載されていますし、登記簿謄本には登記をした年月日だけでなく登記をする原因になった相続の年月日、例えば被相続人の死亡日が記載されています。

4)客観的な年月日を元に出来事の年数を推測していく
子ども生年月日を特定して出来事の時期を確定していくという作業はよくやります。特にお子さんが小さい時の記憶は、出来事と関連付けられることが多いようです。それはお子さんが小学校に入学した年のことだとか、幼稚園に入る前だけど生まれてはいたとか、幼稚園がたまたま休みだったので子どもを連れてそこにいたとかいう感じですね。また、どこに住んでいた時の話だったから、住民票を見てその年が特定できるということもありましたね。

記憶の想起の仕方は関連付けであることは間違いないようです。思い出すという作業は、何か別のことと関連付けるということかもしれません。

5)さらに精緻に

年月日を正しく特定するための関係する出来事を提案するためには、ある程度人生経験が必要だと思います。ここでいう人生経験は必ずしも年齢に比例してはいません。当たり前の人間であれば、生活するうえで当たり前にどんなことをするかということを知っていたり、自分には興味関心が無くても普通の人なら強く印象に残ることを知っていなければなりません。今サッカーのワールドカップが行われています。日本選手はベスト8にはなりませんでしたが、強豪国とPKまでもつれ込むという大健闘を見せてくれました。「え、知らなかった。」という浮世離れな感覚では、一般事件であっても支障が出るかもしれません。

当たり前の話でも、そういう意識をもって話を聞くことが大切ということなのでしょう。例えば、メインの出来事の前に軽い事故に遭っていたという情報をゲットすると、病院の記録によって、その事故の年月日がわかるかもしれません。簡単な方法としては、その病院に行ったのはそのけがの手当てをしたときだけだとなれば、診察券を見れば年月日がわかることがあります。さらに、パワハラを受けて胃が痛くなったので胃カメラの検査をしたということになれば、診療録(カルテ)が残っていれば、そのコピーをもらって胃カメラ検査をした日が確認できます。カルテに、「何か悪いものを食べた記憶はないが、上司からこっぴどく叱責されることが続いているので、神経性のものかもしれない」なんてことが記載されていれば、思い出す道具だけでなく、提出する証拠になる可能性も出てくるわけです。

6)終わりに 興味を持って聴くこと

年月の問題も記憶の想起の場合は、思い出すきっかけが無ければ思い出しにくいけれど、関連付けていくと結果的に正確な年を割り出すことができるということが共通していることが面白いところです。記憶についての勉強はとても役に立つように感じました。

ただ、人間の営みについて理解していなければ、せっかくの武器も素通りしてしまうという危険もあるのが年数の問題だと思いました。この素通りを回避するためには、その人と紛争相手の行動について、興味を持って聴くということが肝要なのだと思われます。

知識と興味によって、こういうことがあればこういうことをするのではないかというアンテナを大きく広げて正確な事情聴取ができるのだと思いました。

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