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現在進行形のいじめの中断を目的とした保護者がするべき行動についてのメモ [進化心理学、生理学、対人関係学]


現在進行形でいじめが起きていて、攻撃を受けている子どもが、教室に入れず保健室登校をしていたり、不登校になっていたりする場合で、一週間以上改善の兆しがない場合は、少なくとも保護者、学校職員の話し合いを行い、事態を重大化しない行動を起こさなければならないと思います。このような事態が長期に及ぶ場合、不登校の子どもが再び教室に戻ることがどんどん困難になるからです。

30日以上の不登校や、児童生徒の自死が起きてしまってからでは何もならないからです。重大事態になってからの行動は防止対策ではなく、事後対策でしかありません。

<子どもが安心して登校できる環境づくりを第一目的として動かさない>

1 保護者は、自分の感情よりも子どもたちの環境づくりを優先すること

いじめを受けていると認識している保護者にとっての第一のハードルは、自分の感情を制御するところにあります。自分の子どもが「死ね」とか、道具を隠されるとか、孤立させられていると感じた場合、怒りが起こるわけです。それはあまりにも当然の話です。しかし、怒りが優先してしまうと、自分の感情を晴らすことをつい目的としてしまいます。その結果、他の子どもの保護者や学校関係者の反発を買ってしまい、子どもが仲間として迎えられるということが遠ざかってしまうということが起きるのも、また当然のことです。

いじめをした方は反省をしておとなしくこちらの言い分を聞いてとにかく謝罪しろということももっともですが、そればかり要求していたら、その要求が通ったとしても、子どもはますます安心して教室で過ごすことができなくなることを考えなければなりません。こうするべきだ、こうあるべきだということにこだわると、子どもがますます不幸になるだけではないでしょうか。そしてそれは当事者である子どもがよくわかっていることです。

いじめていると言われた方の親は、自分の子どもがいじめをしているということを認めたくないことはもちろんですし、相手の子どもに原因があるということを主張したくなります。確証バイアスという心理効果で、自分の子どもに有利で相手の子どもに不利な資料ばかりを集めてしまうということも、この傾向を大きくしてしまいます。

学校の方も、被害者を主張する方の保護者の感情を持て余してしまい、加害者と名指しされた方の保護者からの反発を考えたり、要求が過大であることを説明することもためらわれたりして、被害者の保護者の方を疎ましく感じて話が混乱していく危険があります。

ここまでくると子どもたちが自主的に行動を改善するということは難しいと考えるべきです。先ず何よりも、いじめられているという子どもがクラスの中で安心して過ごす対策を第一にして、保護者は自分の感情を点検し、目的に反する行動を避けるということが、第1の超えなければならないハードルということになります。

実際は、なかなか難しいことですから、このような趣旨を理解する弁護士に動向を依頼するということも効果的です。

2 「いじめ」、「被害者」、「加害者」という言葉を極力使わない

いじめ防止対策推進法という法律はあるのですが、「いじめ」という言葉が日常の言葉と違う意味でつかわれていたり、「いじめを受けた児童」、「いじめを行った児童」と、二項対立的な考えで法律が作られているので、どうしても対立構造で子どもたちの行動を評価しがちな構造になっています。これは短い言葉で一般的な事態を規律する法律の宿命的な欠点です。

ところが、一般的な言葉の使い方では「いじめ」という言葉は、道徳的に許されない、加害性の大きな攻撃として使われているので、どうしてもいじめを行ったと言われてしまうと、自分の子どもがあたかも犯罪的な行動をしたと言われているように感じてしまいます。不道徳な子どもであり、親のしつけに問題があったと言われている気持ちになってしまいます。ここに反発が生じる原因があります。

いじめなんて言葉を使わない方が良いと思います。そんな抽象的な言葉ではなく、具体的にどんなことがあったのかをリアルに共有することをすることが大切で、かつそれで足りると思います。こういうことがあったら、言われた方がどのような気持ちになるのか、人生経験が長い親であれば難しい話ではなくなります。そのように共通理解をえるためには、無駄に評価を含んだいじめ、被害者、加害者という言葉は、邪魔になるだけなのです。

3 否定評価をするよりも行動を理解すること

子どもの行動も、子どもの立場に立てば理由のあることです。大人から見て不道理な行動であっても、その行動の出発点は共感できることが多いように感じてきました。例えば正義感から、不正義を行ったものを罰しようとして、相手を否定評価していくうちに、攻撃が常態化していくということがこれまでのいじめ事件ではよく見られています。

子どもは自分の感情をどう表現したらよいのか、そのパターンを習得しきれていません。大人だって、なかなか相手を傷つけないように自分の意見を言うことは難しいことです。

大人が子どもの出発点の理解を十分に行うことによって、子どもたちに行動パターンを指導することができるようになり、相手を傷つけない穏当な行動に修正することができるわけです。

現れた子どもの行動がやってはいけないことであっても、最初になぜそういう行動をしようとしたのかについては、大人が十分に理解することがいじめ解消の基盤になるということです。

4 保護者同士の連携が必須

例えば1週間、一人の子どもに対しての暴言や嫌がらせが止まらない場合は、学校の指導だけでは行動が終わらないと考えるべきです。子どもが、自分が行動する場合のルールが自分たちの子どもが作り上げたルールだけを基準としており、学校の指導が、子どもたちの行動に影響を与えていないということを厳しく見る必要があります。何らかの事情で学校が強力に子どもたちを指導できないという場合、児童との関係で学校に指導をする能力が欠落しているという場合等、複雑な事情が絡む場合があります。だからといって、学校に責任を追及しても、子どもが安心して教室に戻れるようにはなりません。強硬な行動指示、威圧的な指導をしてしまうことによって、子どもたちの反発が増大するということも考えなければなりません。それでは第一の目的に逆行してしまいます。

子どもも小学校高学年以上になれば、大人が一対一ではかなわないことがあることも事例として経験しています。ある中学校では、問題行動をする子どもを指導している教諭が孤立して援護のない状態になっていたため、生徒の暴走に歯止めをかけることができませんでした。大人同士が連携することが必須だと思います。

先ず、何が起きたかを正確に共有する。そして、その原因というか端緒になった子どもの考えを否定評価を後回しにして共有する。そして、どのように修正していくかを話し合ってアイデアを出し合う。そして子どもが教室に戻るという結論を共有する。

ここで具体的に有効的な策が見つからなくても、保護者同士が忙しい中で、子どもたちの利益のために連携している姿を見せることは、子どもに対して好ましい影響を与えていきます。価値観を示すことで子どもたち自身も修正を考え始めることが多いです。

くどいかもしれませんが、大人たちが自分を否定評価しようとしていると子どもが感じることは結果を遠ざけてしまいます。攻撃をしてしまった子どもたちにとっても、自分の利益を大人たちが考えてくれると感じることはとても大切です。

5 現代社会では失われがちな子どもたちみんなの成長の絶好の機会

結局やることは、
1 加害者被害者やいじめという言葉を使わないで、具体的に何があったかについて保護者が理解を共通にする。そして何らかの解決に向けた行動の必要性を共有する。

2 子どもたちの行動のきっかけについて理解を共有する。

3 子どもたちのその心情を建設的に表現するためにはどのような行動をするべきだと指導するかについて共有する。

4 子ども一人一人が安心して教室で過ごすことができるという目的を共有する。

これだけのことです。

ただ、実際にこれを行うためには、いじめとか内申書とか、損害賠償とか余計なハードルが出てくるので話が複雑になるということが現実です。

なかなか保護者の会合に参加することも、忙しいということもあっておっくうになります。主催をする「人」がいない場合も少なくないでしょう。

しかし、この行動に参加することは、子どもにとっても大人にとっても、自分の人間関係で生活するためにとても有意義なことです。

私は仕事柄、離婚事件や職場の人間関係の問題など、人間関係が修復できなくなり、苦しむ人をたくさん見てきました。多くは、単に修復する経験がなく、修復する方法を知らず、修復するという発想すら持てないということが多いように感じています。本当はとても大切な人生のパートナーと呼ぶべき人を知らないうちに攻撃してしまい、人生を暗いものにする人もいます。また、素朴な正義感から相手の感情を考えずに行動を起こしてしまい、会社や友人間や社会の中で孤立してしまう人も見ています。

孤立している人たちの苦しみはとても悲惨です。ところが現代社会では、人間関係の修復とは反対方向の孤立に向かう「支援」がたくさん横行しています。修正をするという選択肢を持たないまま絶望に向かっていく人たちをたくさん見ています。

このような社会の中で、自分や自分と関係のある人間の孤立を防いで、人間関係を修復するという経験は、子どもたち一人一人の今後の人生を救うかもしれないとても貴重な体験になります。

特に自分の行動によって、他者がどのような感情を抱くかというということを考えることは、色々な誤りを防ぐ特効薬ともなります。

誰かが孤立する人間関係は、別の誰かが孤立しやすい人間関係です。自分の人間関係の中で孤立している人が出ても平気な気持ちを持ってしまうことは、なかなか修復できない恐ろしいことです。

できるだけを多くの関係者が知恵を出し合うということを目撃するだけでも、子どもの人生にとって有意義なことになります。積極的に機会を設けて話し合いの場を作ることをお勧めします。

すべての子ども、保護者の利害は共通なのです。このため進行中の出来事を改善するためには、「いじめ」とか、「被害者」、「加害者」あるいは制裁、処分という言葉は使わないで、全員の利益、子供たちの成長のための話し合いだということを徹底することが解決の道だと思います。

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