家族に優しくできない場合に考えること 職場のストレスの無意識の持ち込みと配慮ができなくなる構造 [家事]
「性格の不一致」等の理由で離婚調停の申し出があると、必ずと言ってよい程DVの言葉が付け加えられるようになりました。しかし、DVで理解した気になっていないで、丹念に言い分を聞き出してみると、どうも事情は違うようです。
結論を言うと、自分をもっと大事にしてほしい、自分の気持ちをもっと尊重してほしい、自分の判断をもっと尊重してほしい、もっといたわってほしい、もっと共感を示してほしいということが本質のように感じられることが多いです。もっと話を聞いてほしいということが具体的な気持ちのようです。
特に、妊娠発覚から出産してしばらくは、このような気持ちというか要求度が高くなるようです。夫が妊娠以前と同じ態度でいると、「自分は大切にされていない」と感じてしまう人が多いようです。ホルモンバラスを持ち出すまでもなく、出産という一大事業を行うのですから、大事にされるべきだということはもっともなことです。
好きで結婚したわけですから、夫に優しくしたいという気持ちが無いわけではないのですが、優しくなれない事情、もう少しリアルに言えば、意識的に妻を大事にいたわることまで気が回らない事情があるように感じられます。
そこまで配慮できない事情として多いのは、職場でのストレスです。
職場で不合理な扱いをされている場合、特に不合理な査定をされている場合、無理なことをやることを命じられている場合、もちろんパワハラを受けている場合などです。
人間は、なかなか気持ちの切り替えができないようです。職場で、自分が攻撃を受けていると思うと、自分を守ろうとする神経が活性化されてしまうようです。自分に対する否定評価を敏感に感じ取ろうとしてしまっているようです。
これは家庭に帰ったからといってすぐに落ち着くことはできないようです。人間は器用にできていないのです。だから、妻や、場合によっては子どもの何気ない言葉に自分が否定されているような感覚をもってしまい、つい反撃をしてしまうということがあるように思われます。
このような状況をさして、優しく相手を配慮する精神的余裕が無い状態だというのでしょう。
元々人に優しい人生を歩んできただろうに、妻からは自分が大事にされていないと思われているという場合、私はまず職場の様子を尋ねることが多いかもしれません。
問題は、オンとオフの切り替えをどうするかということです。一番は職場であったことを聞いてもらうこと、家庭という仲間の中に帰ってきたことを実感できる方法はこれだと思います。
しかし、これは、特に男性は、自分の弱みを相談するということが苦手な人が多いので、難しいかもしれません。
そのような場合はオフのかたちを作る、形から入るということが良いかもしれません。服装をルーズなものに着替えるとか、意識して家族に優しくする。具体的に言えば、目を細めて口の端を少し上に挙げて、話を聞く態度を示すということでしょう。そして、心の中では、家族から攻撃されて死ぬなら男子の本懐という心構えを持ち、どのような攻撃を受けても甘んじて受けるという構えを持つということでしょう。一度そのような構えができれば、些細なことで攻撃されていると感じることが不思議となくなるようです。これは伊達政宗が幼少期に教育係の虎哉和尚から言われた話を元にしています。
特に妊娠から出産してしばらくは、オンオフの切り替えをして奥さんを大切にすることを意識に上らせる必要があります。
職場のストレスが配慮の行き届かなくなる要因としては多いのですが、配慮がされていないと感じやすくする相手方の要素も存在しています。
このように、妻がDVを受けているとか、過酷な扱いを受けているという場合の多くに、夫の無自覚の職場のストレスその他の客観的事情がある場合がほとんどだと経験上は感じています。
それらの細かい事情を何ら考慮しようともしないで、すべて夫の人格が原因だというのが、行政などの配偶者暴力対策政策の見方です。妻の漠然たる不安は、子どもの利益がどうなっても離婚しかないという短絡的な考えに飛びついてしまう理由の大きな一つがここにあります。
どのような場合でも、自分の状況を自覚しなくても、配慮をしない夫が悪いということは、どのような状況でも、夫が一人ですべてを解決しなくてはならないという男性に依存して家族の営みを行うという考えの裏返しだと思います。男も女も人間は弱さを抱えているということが対人関係学の立場です。補い合って助け合って生活することが本来の人間の関係です。それができないのは、それができない事情があったり、知識が無かったり、援助者がいないということが主な原因なのではないでしょうか。
人間は弱いですが、誤りを修正する力は持っているとDV加害者と呼ばれた人たちを見ているとつくづくそう思います。
【なんぼなんでもまずいだろう】名取市中学生自死未遂 匿名の第三者委員会は本人も家族にも事情聴取がないどころかなにも連絡なし 法律の無知無理解、文科省の方針の無知無理解 [自死(自殺)・不明死、葛藤]
昨日の母親の記者会見の概要です。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1303500?display=1
事案は、名取市の中学3年生が、昨年12月に校舎の3階のテラスから飛び降りて一命はとりとめた者の重傷を負った事案です。
私が考える本件での突出した問題点
1 本人や家族から事情を聴けるのに、事情聴取をしていないこと
2 事情聴取どころか連絡も一切ないこと
3 第三者委員会の委員の氏名を公表していない匿名調査であること
以下解説します。
1 本人や家族から事情を聴けるのに、事情聴取をしていないこと
これは大問題です。本人に事情を聴かなければ、何を調査するか見えてこないからです。本人がどのようなことを体験し、どのような思いを抱き、どうして自死に至ったかということがわかりません。いじめを受けた人が亡くなってしまったらこれがよくわかりません。大変苦労するところです。ところが、本件は生きているのです。話を聞けるのです。
それにもかかわらず、事情を聴かないというのであれば、何を調査するのかわかるわけがありません。本人から事情を聴かないで始めた調査です。これでは、いじめの有無や、自死との因果関係について、真面目に調査して判断しようとしていないとしか言いようがありません。
これに対して名取市教育委員会は、男子生徒の心情を配慮して聞き取りを行っていなかったと言っているようです。
まさに傲慢の極みです。本人の心情を尋ねてもいないのに、本人の心情はこうだと勝手に決めつけているわけです。他人の心情について、会っても話をしてもいないにもかかわらず自分たちはわかっているというのですからあまりにも傲慢だと思うのです。
また、学校や生徒から話を聞いているとも言っているようです。学校や生徒たちは、本人を自死にまで追い込んでいた人たちです。そちら側からは情報を得ているという話しは、偏頗(へんぱ)で不公平であることに気が付いていないわけです。これもひどい話です。
本人がいるのだから、本人がどのような体験をしたかを聴取して、その事実があるのかを調査するのが順番のはずです。
2 事情聴取どころか連絡も一切ないこと
いじめの重大事態の対応について、文部科学省初等中等教育局児童生徒課が説明をしています。もちろん、ここでは児童生徒から話を聞ける場合は話を聞くということが述べられています。そればかりではなく、大きな項目で、「いじめを受けた児童生徒及びその保護者に対して情報を適切に提供」することが記載されているのです。その中で「いたずらに個人情報保護を楯(たて)に説明を怠るようなことがあってはならない。」はっきり述べられています。
7か月も放っておかれることは文科省の態度を全く無視した名取市教育委員会と第三者委員会の独自の立場を示しています。あえて国の姿勢を無視することに何か合理的理由があるのでしょうか。いじめ防止対策推進法事態を理解していないかあえて無視しているかどちからです。いずれにしても不適切な態度です。
3 第三者委員会の委員の氏名を公表していない匿名調査であること
これもいじめ調査第三者委員会の歴史上突出していることです。わかりやすく言えば前代未聞です。
やはり先ほどの文科省の説明では、調査委員会の構成については、「当該いじめ事案の関係者と直接の人間関係又は特別の利害関係有しない第三者の参加を図ることにより、当該調査の公平性・中立性を確保するよう努めることが求められる。」としています。
誰が調査委員かわからなければ、いじめの関係者が入っているかいないかわかりません。文科省の説明は調査委員の氏名を公表することが前提となっているのです。職業的に弁護士や心理の専門家、精神科医と説明されても、それが誰なのかわからないと公平な人たちが選任されているか、本当にその職業の人なのかわかりようがありません。これまでのいじめ調査の第三者委員会で匿名で調査を行うなんて聞いたことがありません。生徒や学校に調査をしていると言っていますが、匿名で調査をしたのでしょうか。文書回答だけの調査なのでしょうか。調査の質も問題視してなくてはなりません。それほど前代未聞なのです。
また、いじめの問題は学校が舞台である以上、学校側の問題点もあぶりださなければなりません。本件でも、いじめをその都度相談しても何も対応をしてくれなかったという訴えがあります。教師の対応がいじめを助長した節もあります。
ところが、教育委員会関係者の場合は、そのことが過小評価されやすいわけです。この人なら大丈夫だと教育委員会がいくら言っても、何せ名前がわからないのですから信用しようがありません。このため文科省は委員が誰が見ても公平な人物をそろえろと指導したわけです。
本件の調査委員に、校長退職者が2名も入っているという河北新報の記事があります。その上にスクールソーシャルワーカーもいるというのです。まさに教育委員会側の人間が入っているということです。まさか、その二人が調査委員会の委員長と副委員長というわけではないでしょうが・・・・
以上のような理由から母親は、このような匿名の調査委員会による調査は初めから十分な調査でも公平な調査でもないと主張し、このような調査を続行している委員全員が文科省の方針や法律を知らないか理解していないかあえて無視しているということで、委員会の解散と新しい第三者委員会による再調査を申し入れたとのことです。
この問題を放置してしまえば、大津事件以前に戻る道を作ることになってしまいます。大津事件などの反省を踏まえてできた法律を踏みにじる活動は改めなければなりません。
夫婦再活性化にハーブやアロマセラピーを活用する提案 心は後からついてくる [家事]
弁護士として夫婦の紛争に関わっています。離婚理由が明確に主張されている場合は案外多くありません。それでも、頑張って言語化している誠実な方もいらっしゃいます。ただ、そのご主張を見ても、「どうしてそんなことで、深刻に受け止めたり、不信感や敵意、憎悪を抱いてしまったりするのだろう。」と率直に感じてしまうことがあります。
また、以前と同じように接しているのに、同じことで180度違う対応をされると感じる方も多いようです。
角度を変えて説明すると、どうやら、人間関係の不具合以前に、ご自分が敏感になりやすくなっていて、不安を感じやすくなったり、緊張をしやすくなっているという、変化が生じている可能性があるようです。このため些細なことで緊張したり不安になったりするということもありうるのではないでしょうか。
そしてその感じ方の変化や、自分の行動を自分で制御できない感覚を自覚している方もいれば自覚していない方もいらっしゃるようです。ただ、けっこう多くの方は、自分の感じ方が敏感になっている、自分が感情を制御するべきなのにできていないという自覚をお持ちのようです。ただそれを相手に認める方は少ないようです。
多くの女性が、自分の感情や行動を制御できなくなることに思い悩むようです。しかし、それもまた人間なのですし、そのおかげで人間は子孫を遺しているようなものですから、本来は本人が気にする話ではなく、まさに家族全体で理解をして解決していくことがうってつけな対応方法だと思います。まず男性が、心では理解が追い付かないとしても頭では理解をするべきことかもしれません。
それはそうと、その、理由が無いのに不安になる、緊張をする、怒りがこみあげてくる、悲しくなる、あるいは眠られなくなるということに対しては、ハーブやアロマセラピーが有効ではないかというお話です。
理由が無いネガティブな気分感情であっても、脳の中では危険を感じて反応をしているわけです。ネガティブな心持は、きちんとした生理的反応です。気の迷いではありません。この逆の危険が無いことを脳に感じさせることによって、反応がおさまったり、軽減したりするはずだという戦略です。
危険反応は、もともとは生命身体の安全、健康に対する危険反応だったわけです。それが人間が集団生活を始めるにあたって、対人関係の不具合についても、生命身体の危険反応を借用して反応させているということを言う人がいます。現代社会においては、不安や緊張や怒り等のネガティブな感情は、無駄な反応、過剰な反応になっているということも大いにありうることなのです。
匂いを嗅ぐということは、危険を察知するための仕組みです。嫌なにおいがしたら近づかない等の対応を取ることができるわけです。また、嫌なにおいのものは腐っているので食べないということもこの仕組みですね。嗅覚は脳にダイレクトに刺激を与えるようです。
だから、逆に、脳に安心の信号を嗅覚から人為的に与えると、無駄な緊張や不安、怒りを鎮めてくれるのではないかという期待ができるという理屈です。もっともアロマセラピーの実態はもっと複雑です。しかし、日常生活に応用するのは、危険察知のオンオフで十分かもしれません。
日常生活のアロマセラピーは、高価な精油をそろえなくても良いと思います。2~300円くらいで売っているハーブ苗と、百均の植木鉢と土があれば十分です。
十分育ったらウォッカや植物油に浸して、ティンクチャ―(チンキ)やインフューズドオイル(浸出液)を作って、それぞれの用途で実用できます。
できれば、購入するところから一緒に行うということがとても良いと思うのです。園芸専門店にいけなくとも、ホームセンターで結構よい苗が売られています。二人で買った苗をポットから植木鉢に移植して育てていくということで会話のタネもできます。
食材系ハーブを選ぶか、アロマ系を選ぶか、花を重視するか、よくばるのか、相手の意見を尊重しながら話し合うのはとても楽しいと思います。
「今さらそんな気分になれない。」という理屈は本末転倒です。気分抜きにまずハーブを育てる、行動する。気分や心は後からついてくるものです。
どちらかがハーブに飽きてもどちらかがせっせと世話をする、そのうち役割が代わる。なんか夫婦関係そのもののような気がします。
一つの植木鉢で人間関係に潤いが生まれるなら、なんて夢があり、かつ安上がりな方法ではありませんか。人間は大地とともに生きるべきだという天空の城ラピュタのラストシーンを思い出しました。
ドナ・ヒックス「DIGNITY」の取り扱い注意事項 答えが2つある択一問題や0回答の問題があることが実務であること [家事]
最近はあちらこちらでドナ・ヒックスというハーバード大学の心理学教授の「DIGNITY」(幻冬舎)(尊厳という意味です)という本を勧めています。戦争や民族対立から、友達や夫婦、親子での仲違いまで、あらゆる人間関係に応用が利く本です。夫婦再生のヒントにも使っています。
人間は相手から尊厳を傷つけられたら、怒って反撃しようとするか、恐れて関わり合いを持ちたくなくなるかというネガティブな反応を示してしまう。だから、仲違いしたくない相手の尊厳を傷つけないようにしなければならないという話しです。
特に身近な人間関係で相手の尊厳を傷つけてしまう場合とは、
・ 相手の悪いことばかり指摘してしまい、良いところの評価や感謝を伝えない
・ 相手の話を十分に聞かないで、言葉をさえぎり、高みからコメントする
・ 何かあると相手が原因ではないかと疑う、またはそのような発言をする
・ 相手の利益を削って自分の利益を得ようとする(時間、お金、労力)
・ 相手が困っている時、気遣わない、助けようとしない
・ 相手の些細な言動に対して、断固たる評価を下す
こんな感じでしょうか。
特に夫婦が壊れそうなときは、これを真に受けて反対活動を進めていくこと(末尾にサンプルを示しています)はお勧めです。
ただ、実際に夫婦が壊れると気を見ているものとしては、これは正解の一つに過ぎないというところに注意する必要があると思うのです。
つまり、確かに、夫婦の一方から尊厳を傷つけられたら、もう一方は心を傷つけられてしまいます。これはそうだと思いますし、そのように考えるべきだと思います。
しかし、逆は真ならず。
つまり、夫婦の一方が、尊厳を傷つけられたように怒っていたり、落ち込んでいたり、怖がっていたからと言って、夫婦の相手方から尊厳を傷つけられたとは限らないということです。つまり、人間が傷つくのは、夫婦問題だけではないということです。こんなに当たり前のことが世間では無視されがちになっているということに注意するべきです。
夫婦に限らず、人と人が争っていても、その当事者以外に争いのタネがある場合が多いということに注意が必要なのです。私は怒りの80パーセント以上が八つ当たりだと感じています。
むしろ、相手以外であっても誰かが原因を作ったわけではなく、本人の体調などによって、被害的な気持ちになっているだけということも多いのです。
もう一言複雑にさせてもらいます。
それでも、本人の問題が原因だとしても、夫婦であるならば、八つ当たりさえも受け止める対応をする方が結局うまくいくということなのに、真面目過ぎてそれを糺(ただ)してしまい、本当に危機が生まれてしまう場合もあるわけです。そういう場合、裁判などでは、自分が八つ当たりをしたことまでは記憶が無くなっていて、それを相手が注意した時から不満の記憶が始まってしまい、その注意が諸悪の根源だとされてしまうことが、ほとんどの離婚事件の実態だということをお話ししておきます。
こちらが悪くなくても先ほど挙げた尊厳を傷つける場合の逆の行為を行うべきです。そこでケチってしまっては一生後悔します。
つまり
・ 相手の良いことばかりを指摘して評価や感謝を伝える
・ 相手の話を十分に聞き、言葉をさえぎらず、大変だね、困ったねと相手の心情をなぞってあげる
・ 何かあっても相手を疑わず、疑っているような発言をしない
・ 自分の利益を削って相手の利益を得ようとする(時間、お金、労力)
・ 相手が困っている時、気遣う、助けようとする
・ 相手の些細な言動に腹が立っても、受け流して微笑む
ちょっとした注意さえすればドナ・ヒックスはやっぱり使えると思います。