離婚回避の次善の方法としての「週末婚」の検討 [家事]
何年か前に週末婚というテレビドラマがありましたが、それとはおそらく関係のない話になると思います。
これからお話しする週末婚とは、例えば平日は夫婦が別々の場所に居住し、金曜日、土曜日、日曜日のいずれかの日に一緒に行動するという形態を言うことにします。
相談事例で子連れ別居していた妻が、この週末婚のような生活スタイルを提案している事例がぼつぼつ出てきています。夫とすればそのような週末婚の知識がありませんので、これは単なる夫婦関係の解消だと受け止めて、唐突に何を言いだすのかと困惑して、検討することもできないまま反対しているようです。
その結果として突然の子連れ別居という結果になり、精神的な虐待をされたという離婚調停が申し立てられています。
突然の週末婚の提案に常に応じるべきだということを言うつもりはありませんが、どうしてその提案をするのかという心情を理解して、共感を示しつつ、夫婦の在り方を工夫していくことで、子連れ別居からの離婚を回避できる可能性がありそうです。
【週末婚を望む理由】
週末婚を言い出す人たちの好発時期は子連れ別居の多発時期と同じです。つまり、出産から2年位までの時期です。思い込みDV(出産や内分泌異常その他の身体疾患によって、理由のない不安を感じやすくなり、被害的意識を持ちやすくなり、今までは何とも思わなかったこともDVだと感じてしまいやすくなること)と背景は同じで、特に産後うつのメカニズムが働いているようです。つまり、妊娠、出産、授乳に伴うホルモンバランスの変化により、成人(男性)に対する共感力が極端に低下し、夫を仲間だと感じにくくなり、自分が孤立していると感じるとともに、夫が自分に危害を加えるかもしれない安心できない存在だと感じるようになるようです。
自分の体調の関係で、夫が安心できない存在でいるところに、日々、身体が大きい、男性の臭いがする、声が大きい、文句を言うばかりではなく、自分がやったことに賛同を示さない、感謝を言わない、些細なことも謝罪しない等という事情が加わると、ストレスが慢性的に持続している状態になり、このストレスから解放されたいという欲求がどんどん講じてきてしまうようです。
だからと言って、当初は、何が何でも離婚したいというところまでは考えていないようです。ただ、このストレスから解放されたいと思っているだけのようです。この提案の段階で、何らかのストレス解放の方法が見つかれば、出産から2年くらいたつと平穏な家族生活が戻ってくるようです。
【週末婚の希望が増えている背景】
週末婚は二重生活ですから、二重に生活費がかかります。いわゆる生活保護を期待しての子連れ別居をする覚悟が無ければなかなかできませんでした。しかし、女性が職業を持っていて、自分の収入と夫の婚姻費用支払いで何とかやっていけるという人が増えてきているようです。
もう一つの理由は、少子化と親の意識の変化によって実家が子連れ別居の対象となりやすいという事情がありそうです。
【週末婚のメリット】
結婚するときはともかく、離婚が調停など法的紛争になる場合は、一方が離婚したくて、他方が離婚したくないという場合が一般的です。
週末婚の場合も、毎日同居したくないと思う方にとってはメリットですが、別居したくないという方はメリットはあまりないでしょう。
週末に幸せな交流ができれば、いがみあって暮らすよりメリットがあると言えるかもしれません。しかし、同居の中で毎日が幸せな交流とするようにすることが本来行うべきことなのだと思います。
【週末婚のデメリット】
二重生活でお金がかかる。
一人になった方は家族に会えないということで孤立感を抱えて精神的にダウンしやすい。
徐々に他人に戻って行ってしまう。
【週末婚の条件】
二重生活に耐える金銭的余裕があること
一人になる方が、家族に頼らないで日々を過ごすことができること。そのためには、健康管理(睡眠時間の確保、暴飲暴食などをしない、栄養バランスを考慮した食事ができること)、膨大な家の時間を夢中になって取り組む趣味をもつこと、などがあげられると思います。
また、なぜ週末婚をしたいのか、なぜ週末婚をしたくないのか、双方ができる限り自分の気持ちを言語化して、双方ができる限り相手の気持ちを被害意識を持たないで理解しようとすること。こうやって、常識や道徳ではなく、相手の気持ちを基準に話し合いができることが大切であるし、家族の再生の準備にもなるのだろうと思います。
発達障害といじめの問題 [進化心理学、生理学、対人関係学]
昨今の私がある程度事情を知るいじめ案件のいくつかは、いじめ被害者の方が発達障害、自閉症スペクトラムと診断されているところに共通点があります。
但し、いじめられる原因が発達障害や自閉症スペクトラムの症状にあるというより、発達障害、自閉症スペクトラムであるという事実、認定されている、治療を受けている、特別支援教室にいるというような、ラベリングに原因を求めた方が良い事案が多いように感じられます。
つまり、いじめる方の生徒はいじめられる生徒から何らの不利益も受けていないのです。それにもかかわらず、発達障害があることで、からかっているのです。おそらくいじめる方の生徒はからかいだという認識でしょう。
しかし、いじめられる側から見れば、自分の属性について、しなくても良い否定評価をわざわざ本人にしてくるのですから極めて不快ですし、尊厳を害されると言ってよいと思います。しかも執拗にされると、何とかやめてほしいという気持ちが生まれて、そのようなしぐさや表情、あるいは言動に現れるわけですが、それがあらたなからかいのタネになるようです。からかいもいじめなのです。
また、発達障害の特別支援教室の生徒が、普通教室の生徒と同じ空間にいる場合、特定の教科、給食時間、遠足や修学旅行など、積極的に仲間として迎え入れる教師の指導が無ければ、どうしても浮いた存在になりがちです。
普通学級の生徒にしてみれば、特別支援教室の生徒は、「自分たちのクラスの生徒ではない」という区別が学校によってなされていますから、自分「たち」とは違う存在だという意識を持ちます。この「集団外の存在」という意識は、人間が持つ仲間に対する援助や思いやりの根本になっている共感という機能を奪う危険があります。支援学級の生徒に対する共感が失われたり減弱したりしてしまえば、その生徒が苦しむことをする行為への抵抗が下がってしまいます。これが差別型のいじめの一側面だと私は思います。
いじめをしないようにするために、学校は何をするべきでしょう。
いじめをしないようにという指導はナンセンスです。これでは、集団外の存在という意識を承認し、「いじめをしたくなることは仕方がないが、我慢しなさい。」と言っているようなものだとは思われないでしょうか。いじめをしたくなる要因を排除することこそ学校が行うべきです。
学校がやるべきことは共感を継続させる環境整備です。発達支援教室の生徒は自分達とは異質な存在ではないという徹底した指導だと思います。もし、普通教室の生徒と特別支援教室の生徒が交わる機会が無いならば、頭で理解をさせ、暖かく見守る程度の指導でも事足りるのかもしれません。しかし、先ほど述べたように、特定の教科、休職、修学旅行などで特別支援教室の生徒が普通学級で過ごす時間があるのであれば、それだけでは足りないと思います。
客観的には普通学級の生徒でない生徒が普通学級に滞在しているわけですから、先に述べたように孤立しやすい状況であり、誰かに八つ当たりをしようと思うと圧倒的少数者である特別支援学級の生徒に八つ当たりをしようするわけです。八つ当たりをする方が安全に八つ当たりをしようとするから相手を選ぶわけです。
だから、学校は、先ず、特別支援学級の生徒と普通学級の生徒を積極的に交流を図る工夫をするべきです。そして、発達障害や自閉症スペクトラムはあるけれど、根本は自分たちと何も変わらないということを強く意識づける必要があります。
そして、異質な人間扱いをすることがあったならば、異質な扱いをした生徒を指導する以上に、特別支援学級の生徒を学校が徹底してかばって見せることが有効だと思います。大事にされるべき存在だというアッピールです。学校の秩序を形成する役割を担う教師たちの行為は、生徒たちにそのようにするべきだというルール設定ないし価値観の設定をすることになります。
その前提として、学校側が、発達障害や自閉症スペクトラムとは何か、そしてその生徒の特質はどういうものかということをきちんと理解し、把握しなければなりません。
多くの事案で、発達障害や自閉症スペクトラムという名前の影響を受けているのが教師であるということを示しています。中には、発達障害や自閉症スペクトラム障害と診断されている生徒に対する共感が欠如していて、生徒が苦しんでいたり、苦しみを訴えても、等閑視するような事案もありました。
生徒との結びつきが苦手な教師もいるようです。発達障害について、教師に対して適切に理解を促す専門家の随時の指導が必要なのだと思います。
名取市中学生飛び降り事件 第三者調査委員会解散、こちらの要望通り調査委員を再検討して調査をやり直すことが決定 しかし本人は飛び降りの影響で急死 [自死(自殺)・不明死、葛藤]
先月書いた記事【なんぼなんでもまずいだろう】名取市中学生自死未遂 匿名の第三者委員会は本人も家族にも事情聴取がないどころかなにも連絡なし 法律の無知無理解、文科省の方針の無知無理解:弁護士の机の上:SSブログ (ss-blog.jp) https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2024-07-19
の続報です。
遺族側は、いじめ調査委員会を解散して新たに調査委員会を立ち上げろと要望し、この度、その要望が通ったことが名取市教育委員会から連絡がありました。これからまっさらな状態で、委員が選任されて、調査が始まります。
これまでの報道によると、名取市の山田司郎市長に、積極的に動いていただいていたようです。大変ありがたい話です。
それにしても、半年以上会議を行い、ほとんど結論が出ていた段階だったという話しもある中、それらをすべてゼロにするということは勇敢な判断であることは間違いなく、解散やり直しを決めたいじめ調査委員会(常設、委員名は匿名)の各委員には敬意を表してよいと思います。
こちら側の要望通りだったのですが、ひとつ取り返しのつかないことが起きてしまいました。
転落して闘病中の生徒さんが急死されてしまいました。転落したことにより脳挫傷が起き、てんかん発作のような発作が起きやすい状況になっており薬は服用していた状態でした。あとで判明したことですが、実際はその後も8月に亡くなるまで小さい発作が起きていたようでした。その発作が大きい発作となり、このため心臓が動かなくなる事態となり、お亡くなりになったということでした。
令和5年12月に自死企図を図ったときは、学校のいじめから逃れられないという悲観的思いで追い詰められていきましたが、その後入院していましたので、全くいじめの無い状態で過ごしていました。私も何度か会って話をしたのですが、人懐っこくフレンドリーな少年でした。いじめがあって悩んでいたこと、転落して左半身打撲、骨折があったこと等何も感じさせないナイスガイでした。
発達障害(自閉症)ということもよくわからないままでした。
いじめが無い状態で自分の将来を考え、入院の経験もあったからでしょう。1年遅れましたけれど、来年高校受験をして、看護師を目指すという目標も生まれていました。暑い中、元気に学習塾に通っていたそうです。希望に満ちたきらきらした青春が、発作によりぷつんと途切れてしまいました。
実は私は、その彼が亡くなったことも、信じられず全く実感が持てないでいます。
確かなことは、調査委員会を再出発しても彼から直接話を聞くことができなくなったということだけです。
彼の手記と供述録取書だけが残りました。
さて、これから新たに調査委員会が選任されます。最後にどのような人が調査委員会に加わるべきかということを考えます。
先ず、学校関係者は委員になるべきではありません。今回は、校長経験者2名とスクールソーシャルワーカーがはいり、委員長と副委員長もここから出ているということがマスコミ関係者から教えられました。これがそもそもの問題だったわけです。
今回の調査委員会が行うべきことは2点。いじめの存在及び実態解明とその背景としての発達障害特別支援教育の実態です。本件の問題点としては、
1 一人教室で授業を受けるだけでなく、給食時間、一定の教科は普通学級の教室で行った。しかし、普通学級の生徒たちに対して事前のレクチャーなどが不十分であったため、「身近にいるよそ者」という扱いをされていた。
2 いじめの事実を教師に言っても、相手にしてもらえなかった。本人に何らかの原因があるかのような態度を取られた。あまりにも苦しいので保健室に行かせてくれと懇願したが教師によって拒否された。
3 小学校4年生の時、担任が始業式の翌日から産休に入り、1年間担任不在で知的障害のクラスや普通学級の教室で過ごし、発達障害の特別支援を受けられなかった。
4 発達障害支援の担任が不在の時など、よく知的障害のクラスで、折り紙織などをさせられていた。
こういう問題点がありました。だから、発達障害教育の研究者にはぜひ委員に参加していただきたいと思います。また、「身近なよそ者」という扱いがいじめの発言そのものだったことから、心理的な側面でよそ者を排除する心理ということを研究している心理学の研究者にも入っていただきたいと思います。
事実認定に関してはやはり弁護士が必要だと思います。仙台弁護士会の子どもの権利委員会の推薦であれば確かな弁護士を推薦してくれるでしょう。
とにかく、彼のようにまさに生きようとしている中で命を落としてしまうような痛ましい出来事を無くすことが一番です。そのための調査のはずです。改めるべきところを大いに改めていただくために、調査のやり直しに思いを託することとしたいと思います。
[連れ去られた子どもたちの心境](令和6年8月24日午後5時半)の報道特集を見ました [家事]
土曜日、家族との外出を断ってまで報道特集を見ました。
結論としては、現状の子連れ別居問題についての状況を考えると
画期的な番組だったと言ってよいように思われました。
アメリカ人の父親が、離婚に際して子どもは父親が監護するという裁判所の決定に反して
日本人の母親によって子どもを日本に無断で連れ去られて
子どもを日本に探しに来るという話しからスタートしました。
アメリカ人からみれば、裁判所の決定を破っても何もおとがめなし
ということで日本人は無法者だと思われることでしょう。
日本の裁判所は、母親の親権者変更等の申し立てをすべて却下したものの
父親の引き渡し請求に対しては、
長期間子どもが母親の下で問題なく生活している
ことを理由にこれも排斥したというのです。
ここに連れ去りがちの風潮が生まれる原因があるということを
テレビを見た人が理解しやすい作りになっていました。
また、世田谷区の離婚セミナー(この開催自体どんなもんだろうと思うのですが)で
講師の弁護士が、子どもの親権を取りたいなら連れて逃げろと言っている録音も
テレビで放送されました。
自治体、弁護士という役割も印象付けられたと思います。
切り込み不足の感はあるのですが
相当頑張ったと評価されるべきでしょう。
また、連れ去られた子どもたちが、
別居親には会いたくないと話した理由を自ら語っています。
昔私がこのブログで書いたのですが、
「調査官調査に対して子どもが別居親に「会いたくない」と言う理由」
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2019-01-29
概ねこのとおりでした。
資料的価値も高いインタビューだったと思います。
テレビ報道には珍しく、
例えば父親と母親との対立にあまり踏み込まず、
それぞれ事情があったというまとめ方をしていることは
私は今回に関しては良かったのではないかと思います。
結論としては、現状の子連れ別居問題についての状況を考えると
画期的な番組だったと言ってよいように思われました。
アメリカ人の父親が、離婚に際して子どもは父親が監護するという裁判所の決定に反して
日本人の母親によって子どもを日本に無断で連れ去られて
子どもを日本に探しに来るという話しからスタートしました。
アメリカ人からみれば、裁判所の決定を破っても何もおとがめなし
ということで日本人は無法者だと思われることでしょう。
日本の裁判所は、母親の親権者変更等の申し立てをすべて却下したものの
父親の引き渡し請求に対しては、
長期間子どもが母親の下で問題なく生活している
ことを理由にこれも排斥したというのです。
ここに連れ去りがちの風潮が生まれる原因があるということを
テレビを見た人が理解しやすい作りになっていました。
また、世田谷区の離婚セミナー(この開催自体どんなもんだろうと思うのですが)で
講師の弁護士が、子どもの親権を取りたいなら連れて逃げろと言っている録音も
テレビで放送されました。
自治体、弁護士という役割も印象付けられたと思います。
切り込み不足の感はあるのですが
相当頑張ったと評価されるべきでしょう。
また、連れ去られた子どもたちが、
別居親には会いたくないと話した理由を自ら語っています。
昔私がこのブログで書いたのですが、
「調査官調査に対して子どもが別居親に「会いたくない」と言う理由」
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2019-01-29
概ねこのとおりでした。
資料的価値も高いインタビューだったと思います。
テレビ報道には珍しく、
例えば父親と母親との対立にあまり踏み込まず、
それぞれ事情があったというまとめ方をしていることは
私は今回に関しては良かったのではないかと思います。
DV冤罪対応学習会お品書き あるいは書籍の企画 [家事]
弁護士は、刑事事件の否認弁護には力を入れます。
もちろん素晴らしい活動です。
弁護士は、女性保護の文脈でDV対応を積極的に取り組み
関係性がよくわからない共同親権反対を
お題目のように唱えるわけです。
弁護士会等でのノウハウの学習会なども行われています。
経済コンサルさえも弁護士向けの学習会を実施しているところです。
しかし当然、DV対応策には冤罪があるわけですが
その冤罪対応の学習会というのはあまり聞いたことがありません。
それでもけっこう多くの弁護士が、
保護命令の却下命令を勝ち取っているということが真実です。
女性保護のために、多少の男性の犠牲があっても構わない
ということを正面切って言う人はいないのですが
じゃあ冤罪対策を大っぴらに情報交流をしましょう
という話しもあまりないわけです。
というわけで、私が関与して対策学習会をするとしたら
こんな感じかなということを作ってみました。
1 DV冤罪対応の必要性
相手方の心理的負担 心が壊れる様々な形
子どもの健全な成長に与える影響
2 警察の支援措置に対する対応
警察の支援措置とは
警察官を中立にするとは
3 保護命令に対する対応
何を争うのか、法的主張のポイント
立証方法の工夫
保護命令申立事件の終わり方
4 ストーカー規制法に対する対応
ストーカー規制法の実際の使われ方
対抗措置
5 離婚調停に対する対応
何を目的、目標にするか、それの追求を徹底するとは
争わない離婚調停とは
もちろん素晴らしい活動です。
弁護士は、女性保護の文脈でDV対応を積極的に取り組み
関係性がよくわからない共同親権反対を
お題目のように唱えるわけです。
弁護士会等でのノウハウの学習会なども行われています。
経済コンサルさえも弁護士向けの学習会を実施しているところです。
しかし当然、DV対応策には冤罪があるわけですが
その冤罪対応の学習会というのはあまり聞いたことがありません。
それでもけっこう多くの弁護士が、
保護命令の却下命令を勝ち取っているということが真実です。
女性保護のために、多少の男性の犠牲があっても構わない
ということを正面切って言う人はいないのですが
じゃあ冤罪対策を大っぴらに情報交流をしましょう
という話しもあまりないわけです。
というわけで、私が関与して対策学習会をするとしたら
こんな感じかなということを作ってみました。
1 DV冤罪対応の必要性
相手方の心理的負担 心が壊れる様々な形
子どもの健全な成長に与える影響
2 警察の支援措置に対する対応
警察の支援措置とは
警察官を中立にするとは
3 保護命令に対する対応
何を争うのか、法的主張のポイント
立証方法の工夫
保護命令申立事件の終わり方
4 ストーカー規制法に対する対応
ストーカー規制法の実際の使われ方
対抗措置
5 離婚調停に対する対応
何を目的、目標にするか、それの追求を徹底するとは
争わない離婚調停とは
怒らないために考えることの一つ 先ず怒る理由の合理性を認めて、その後まとめて否定するということ [進化心理学、生理学、対人関係学]
あなたが評判の悪い上司だったり、DV呼ばわりをされている方だったり、近所の人から虐待を疑われている人だったり、様々な理由で、怒りを抑えたいと思っている方がいらっしゃることでしょう。
怒りは、怒ってしまえば意識で制御することが難しいので、普段からの心構えを確立することが案外効果的であるようです。
あるハードルを超えると人間は怒りの感情が噴き出ます。怒りを出にくくするためには、このハードルを上げていかなければなりません。
1 まじめな人ほど怒りのハードルは低い
まず自覚することは、真面目な人ほど怒りのハードルが低いところにあるということです。
怒りのハードルとは、「こういうことがあったら怒っても正当だ。」というようにあらわすことができるように思います。そのこういうことというのが、真面目な人ほど低いので、すぐにそれは怒るべきだと思い怒ってしまうわけです。
2 社会的に、あるいは仲間のなかで自尊心を傷つけられている人は怒りのハードルが低い
社会的に不遇な扱いをされているとか、会社中で、あるいは友人の中で不当に低い評価を受けている人は、怒りのハードルが低くなっている場合があります。ある人の言動を、他の人はあなたをおもんばかった優しい提案だと思っていることさえも、自分がバカにされていると感じてしまい、怒りのモードになってしまう人は人間の紛争に携わるものとしてはよく見ています。
おそらく心が傷ついている人は、何か刺激があれば、傷口に触られたように敏感に痛みを感じるということなのでしょう。
3 怒りのハードルを上げることは難しいということ
真面目な人からすれば、怒りのハードルを上げるということは、もっといい加減に物事を受け止めろ、ほとんどのことはどうでも良いことだから、放っておけということをしなくてはならないことです。これはまじめなひとにとっては、だらしない人、いい加減な人、覇気がない人に自分がならなくてはならないということのようです。自分が一番嫌うタイプの人間になることなので、それを実現することが難しいことなのです。まじめな人は優しくなりたくないのではなく、いい加減な人間になりたくないから怒りを止められないようです。
危機感を感じている人が怒りのハードルを上げられない理由は、もう自分は一杯いっぱいの危険な状態だからこれに感情的に対応しないということは、甘んじて攻撃を受け止めることになってしまいます。これは生きようとしないことを意味していて、生きようとする生き物の本能に逆行してしまうので、ハードルを上げることができないのです。
4 対処
1)怒りやすい理由の自覚
自分が怒りやすいのはどうしてか、それをまず自覚しなくてはなりません。その際、単に「自分がそういう性格だから」ということで済ませてはなりません。怒りやすいことが、肯定的に評価される部分の裏のかたちとか、必要性があって怒りに追い込まれているというように、自分をよく理解しなくては、ハードルを上げることが難しくなるばかりです。
2)すべてに優しくすることをやめる
全方位に優しく怒らなくすることを考えるよりも、家族だけ、あるいは家族と職場だけ怒りのハードルを上げるということならば、まだやりやすいかもしれません。まじめすぎる人も、家族に対してだけはルーズにする。あなたがムキになって正義を貫こうとしても、効果が上がってはいないはずです。怒りを止めることは、効果的な方法を考えることでもあるのです。
あなたが、普段から危機感を感じていて一杯いっぱいだとすれば、家族に対してだけは、家族から殺されるなら仕方がないという腹をくくって、攻撃を歓迎することが最も簡単な解決方法です。家族みんながあなたがいることで安心できると思うならば、あなたにとってかけがえのない避難場所になると思います。
3)怒りの形態を自覚し、怒りの言動を行わないということ
大声を出したり、暴力をふるうことだけが怒りではありません。嫌味を言う、馬鹿にしたようなしぐさをする、眉間にしわを寄せてさも「困ったもんだ」とアッピールする。相手の尊厳に対する攻撃全部が含まれます。この程度ならば当然だと怒りの感情の表現をしているうちは、相手からはあなたは安心できる存在ではないと思われます。意外と盲点のようなので付け加えました。
パワハラなどの職場ストレスの家庭における表れ方 [進化心理学、生理学、対人関係学]
前回の記事で述べたように、職場ストレスは、恒常的な(対人関係的)危機感の持続という反応のことです。人間関係において、無意識に自分を守ろうとしてしまう行動パターンとして表れています。
この自分を守ろうとする行動パターンに陥っていることは、自分では気が付きません。そのため意識的なオンオフの切り替えができなければ、自分を守ることをつい考えてしまう傾向が家庭でも続くわけです。
前回の記事では、家族の些細な言動が、自分を攻撃していると感じてしまい、反射的に反撃行動をしてしまうということを言いました。この具体的行動をいくつか紹介します。
1 相手の言葉が頭に入らない
会話をしていて違和感を覚えるのですが、こちらが言っている言葉を額面通り受け取らないというか、ちょっと考え難い勘違いをしてしまうということがあります。おそらく、他者から自分に向けられた言葉は、自分を攻撃する言葉だと身構えて、悪い方に考えてしまうのだと思います。話が通じないので、「ちゃんとこちらの話を聞いていないのか」、「適当に言いたいことを、会話の流れと関係なく言っているだけなのか」と思ってしまいます。
2 相手の言葉に見当違いの反論をする。むきになって声が大きくなる。
言葉を普通に聞き取れず、自分の話を否定する言葉を投げられたという態度を示してしまいます。やみくもに、「違う」、「そうじゃなくて」等という否定の言葉から会話が始まることがやたら多いのです。1の続きで考えていただけると、理解しやすいのではないでしょうか。会社で上司や同僚から揚げ足を取られていることも懸念されます。
3 重箱の隅をつつくようにどうでも良いことを否定する
会話というのは、文章ではないので、略があったり、言い間違えがあったりしても人間であれば相手の言いたいことを想定してキャッチボールができます。しかし、どうして自分がそんなことで注意を受けなければならないのだろうというような注意を受け続けていると、どうでもよい些細な言い間違いが気になってしまうようです。
ありがとうと言わなければならないはずなのに、それを言わずに言い間違いを指摘したくなってしまいます。
1と2,あるいは1,2,3の中で極端に当てはまる場合は、「職場で何か嫌なことでもあるんじゃない。」と尋ねることをお勧めします。
4 攻撃しても許されるだろう人に感情的になって攻撃する
職場でパワハラを受けていた若者が親に対して怒りの感情丸出しで攻撃することがあります。攻撃行動も、基本的に危険意識があるから攻撃するわけです。女の子であれば言葉だけの攻撃ですが、男の子の場合は暴力が起きることがあります。慢性的に危機感を抱いている人が、誰かを攻撃すると、危機感を感じなくなる体験をしてしまいます。それを覚えてしまうと、何かと屁理屈をつけて攻撃をするようになってしまいます。その人が嫌いで攻撃しているわけではなく、その人は自分を助けるべきなのに、助けてくれないという怒りでもよいわけです。ただ、そういう行動をする人は、職場で何があったのかを伝えることをしませんので、家族は突然の暴力、攻撃に戸惑ってしまうわけです。ここまでくると治療が必要になると思います。ただ、あまり治療が功を奏したことがないのですが、入院させて隔離をすることで家族の休息を得るという効果はありそうです。病院の人に対しては信頼もしていないので攻撃行動を示さないことが多いようです。
5 自室に引きこもり、会話を拒否するようになる
一人になる自室があれば、自室にこもり最低限の用事が無いと一人になってしまいます。どうして家族に打ち解けないのか家族は知らされていませんから、その行動は自分を拒否しているように感じるしかありません。家族が自室引きこもりの人からパワハラを受けているような感覚になります。こもった人が何かを言えば自分を攻撃していると思うようになるので、負のスパイラルが発生してしまいます。
このケースでは、労働時間を計算してみるとよいと思います。1週間当たり、65時間働いている状態が続いているとなれば、過重労働によるうつ状態を発症している可能性を疑い、通院を勧めるべきです。
6 声や書く文字が小さくなり判読ができない
パワハラを受けている人は、自分が外部に発する、言葉や文字を常に否定されて続けています。否定されたくないという要求が自然と強くなります。このため、自分の言葉や文字が小さく薄くなる傾向があるようです。やりやすいことから何かを行って自信をつけていくロールプレイングゲームの最初からやり直しをするような感覚で立ち直る例もありました。
パワハラを受けている人の行動は自分でも説明ができないし、自分がパワハラを受けていることも理解できない人も少なくありません。家族は戸惑うでしょうし、恐怖を感じることもあるでしょう。ただ、少し前のその人の行動パターンから、明らかに変化している場合は、何か理由があると考えるべきだと思います。
静かに、ゆっくりと、何があったか尋ねてみることが効果があると思います。その人を知らない人に相談してしまうことは避けるべきです。昨今はその人の人となりも知らないのに、行動だけでその人の人格の認定をしてしまう人、団体があまりにも多くなっています。