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【労務管理の専門家向け】使えないパワハラ防止法に頼らずに、経営者にパワハラ防止の意識づけをさせる方法と経営戦略上の意義 [労務管理・労働環境]

パワハラ防止法と呼ばれるようになった法律があります。
旧名称は雇用対策法で、高度成長期に成立した法律ですが、
去年(2018年)から「総合施策推進法」と呼ばれるようになった
「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」
という長ったらしい名称の法律です。

厚生労働省が、このたびこの法律の指針案を発表しました。
パワハラに該当する例を示したのですが、
パワハラに該当するという事例が限定的になっていて
パワハラに該当しない例がわざわざ書かれているものでした。
これでは国がパワハラをする会社の言い訳を用意したようなもので
パワハラ防止の実効性がないという批判が浴びせられています。

罰則規定があるわけではないのだから
ここまで厳密に定義づけをする必要はないのです。

何のためにパワハラを防止するかということが徹底していないのでしょうね。

この中途半端な政策になっていしまった根本原因は
本来労働者の健康と命を守る法律を作って定めればよかったのに
労働力の流動化を図ることを主目的にした既存の法律に
パワハラ防止を組み入れられたところにあるわけです。

元の法律ができた時代は昭和の時代です。
昭和の終わりころから国の政策は様変わりしていきました。

元々は、
労働者に充実した生活と賃金を保障し
自立自助の生活を確立させ、
それを基本として社会保障を組み立てていく
という社会政策という政策があり、
労働政策はその根幹をなすものでした。

ところが、労働政策自体が後退し
労働市場における需要と供給のミスマッチの解消させる政策に移行しました。
労働力が足りない企業がいる一方失業者もいるという状況をなくすために
労働者が来ない企業に労働者をあっせんするという
労働力流動化政策が主流になってしまったのです。

労働者の賃金を基盤とした社会保険という建付けも崩れてしまったことから
社会保障政策が行き当たりばったりになっていくようになりました。

労働市場政策も、
不利な労働条件の会社には就職せずに、有利な企業の募集を待つ
という需要と供給の一致という資本主義の自由市場の原理を壊してしまい、
不利な労働条件だとしてもとにかく雇用を促進する
という政策に変更になったわけです。

思えば過労死や過労自死、メンタルヘルス、ブラック企業の問題が多発するのは
このような労働市場の市場原理を壊したところに原因があるのかもしれません。
自由主義経済が機能していないのです。

このような流れの法律ですから
労働者の健康や安全を守るためのパワハラ防止というよりも
企業に労働力を向かわせて定着させるという
労働力流動化という目的での法律だと考えたほうが理解しやすいでしょう。

本来パワハラによって過労自死をする例も多いのだから
労働者の身体生命の安全を保障する法律を作るべきであるが
もともとそういう法律ではないのです。

それでも労働者の企業への定着のための
パワハラ防止のない企業を作るということも
日本において必要なことですから、
その目的を達成できる法律にしてもらわないと困るのですが
それができていないわけです。不徹底なのです。
きちんとしたパワハラ対策の政策がないことで危機感を抱いているのは、
どうやら労働者、労働組合、その関係の弁護士よりも
大河内一男先生の言葉をお借りすると「総資本」の観点に立つ人たちのようです。
総合的な観点から理性的に企業の発展を考える立場というような意味です。

そういう観点に立つ人はどういう人たち化というと
プロの労務管理、企業法務の専門家の先生方です。

私は、この先生方と、年に1,2度労働法の勉強会をしています。
テーマのリクエストをいただき
私がテーマに沿って実務的な実態と法解釈の現状をリポートして
ディスカッションをするわけです。
まあ、実務的な現状について教えを乞うわけです。

今回は数個のお題をいただきました。いろいろな分野がありました。
労働基準法のレアな条文に関する実務的問題点ついては、
結構私が裁判などで実際にその条文が問題になる事件を担当しているので
お話しすることがたくさんあるため、レポートも楽なのです。
しかし、今年のお題の筆頭は
「パワハラ防止をいかに企業に定着させるか」というお題で
これまでの中でも一番難しいお題になっていました。

労務管理の最前線でご活躍なさっている先生方にとって
働き方改革も踏まえて
パワハラ防止が最も切実な問題だということです。

パワハラ防止の理念を唄うだけならばいくらでも誰でもできるでしょう。
しかし、企業経営者と直接接する先生方に対して、
実務的に役に立つ方策でなければ意味のない時間になってしまうので
苦労しているわけです。
でもとても楽しい苦労です。

そして例によって、このブログで悩みをそのままこうやって書き連ね
論点を整理して、話す内容を
組み立てていこうというそういう寸法です。

これらの先生方は、
企業経営者の言いなりになったのでは仕事になりません。
そういう経営コンサルタントも世界的に暗躍しています。
GE等の労務管理の成功例を劣化させた案を
高額な報酬で企業に押し付け
基準日まで業績を上げてさっさと立ち去る手法を使う人たちです。
こういう手法は短期的には有効ですが、
長期的に見た場合はさまざまな不具合が発生することがあり、
かえって企業を倒産に向かわせる場合もあります。

資本主義の理性というべき先生方は
もちろんこういう手法は取りません。
クライアントを本当に大切にして
信頼を勝ち取られています。

今や、企業経営上問題が起きれば
経営に直結し、訴訟なども起こされる時代です。
そういうことにならないための仕事なので、

近視眼的になりがちな企業経営者と時に対峙しながら、
企業が打つべき方策を客観的に見極めて
本当にやらなければならないことは何か
ということを真摯に考えて企業に提案されていらっしゃっています。

そういう意味で、本来あるべき国家的な視点に立った
総労働という言葉を思い出したわけです。

時にこういう本物の労務管理の専門家の先生方が
法律や通達に期待するのはどういうことでしょう。

それは企業が安心して最低限のルールを守るようにすることです。
長時間労働や無理な労働をさせない手段です。
「これは法律で決まっています。罰則もあります。
 だから、ほかの企業も守っているので、守らなければなりません。」
ということを言える政策です。

こうして最低限のルールを設定してもらい
企業にとってのマイナスを作らないようにすることができるわけです。
例えば長時間労働を制限して
これ以上働かせてはならないということができる、
そうやって過労死を防ぎ、企業にとってのマイナスを防止するのです。

企業にとってのマイナスとは
例えば過労死、過労自死などが起きてしまったことを考えるとわかりやすいです。

莫大な損害賠償義務、訴訟の負担が企業に発生します。
同僚労働者がその企業で働くことに疑問を持ったり
働くことのモチベーションの低下によって生産力の低下が起きることです。
このままでは早死にするということでの退職、転職がおこり
優秀な人材が出て行ってしまうことです。

そして風評被害ですが、
就職をしようとする労働者がいなくなるだけでなく、
取引先との関係でも
過労死が多い職場ということで
忌み嫌われるということがあります。

しかし、当該企業はなかなかそれに気が付きにくい。
しかし、いつの間にか取引先が離れて行ってしまっています。
それらの行きつく先は、端的に倒産です。
実際過労死を出した企業で、支店が営業所に規模縮小
なんてことはよくあることです。

企業の理性を体現する人たちは
パワハラを本気で無くしたいと思っているのです。

だからパワハラ防止法に期待している専門家は驚くほど少ないのです。
というか、使えない法律なのだから驚くに値しないことかもしれません。

この法律や指針の問題点は、
企業は切実にパワハラをなくしたいと思っているのに
その切実さがないということです。
パワハラの企業にとってのマイナス事情があるのに
国は他人事だと考えているのではないかと
労務管理の専門家は思っています。

なぜパワハラが起きるかが検討されていないのも
本気度が足りないからでしょう。

パワハラが起きる現場は特徴があるようです。
一言で言って無理にも生産性を上げなければならないとか
売り上げを伸ばさなければならないとされている現場です。

しかしながら、そのノウハウ、コーチング技術がないために
根性論が幅を利かせる傾向になってしまうのです。

どうしてそういう現場ができてしまったかというと
そこでの活動スタイルが確立した時点では
おそらく合理的な活動スタイルだったのでしょう。
ところが環境の変化によって
かつてのスタイルでは対応できなくなったという事情がありそうです。

パワハラのやり玉にあがるのは優秀で責任感のある従業員です。
その人をたきつければ数字が上がるということで
その人を集中して「叱咤激励」するのです。
パワハラの犠牲者になって
優秀な人から順番に企業から離れていくという事態に陥ります。

もう一つの傾向として、
同僚に対する要求度が高い職場でパワハラが起こりやすいとされています。
生死を共にする自衛官、警察官、消防職員が典型です。
人の変わり果てた姿を見る職業だということも
同僚を大切にできなくなる理由なのかもしれません。
しかし、それ以上にそういう危険な職場であるにもかかわらず、
定員割れで無理な割り当てがされている職場でもあります。
職場の不満を上官に言えない階級制度があるため
自分よりも弱いものに八つ当たりをしているという可能性もありそうです。
現場労働者に甘えている現場なんです。

もちろん、経営者や上司の個性にも原因がある場合も多くあります。
きちんとしたシステムがなく
ワンマン経営者の思い付きに幹部クラスが振り回されて文句を言えない職場ですね。

目標に達せなければ時間をかけてやらせるという一辺倒な職場です。
時間内に課題を終わらせるという発想がない職場です。
学生時代の美術の時間で、確かに上手なのだけれど
細部にこだわって授業時間に絵を完成させずに
ずいぶん経ってから絵を完成させ提出する人がいましたが
そんな感じの上司が、従業員にそれを強制するわけです。

無駄な様式美を追求する職場もありますね。
結果が出ればよいのに、伝統的な手順を踏むことを要求するような職場です。
それで馬鹿みたいに時間を浪費していることがよく目につきます。
結果を出すことよりも、職場内での上下関係が優先されるような職場ですね。

いずれにしてもパワハラ職場は、優秀な人から辞めていき
優秀な人が入ってこない
その結果ますます定員割れとなり、生産性も落ちて
ますますパワハラ、長時間労働となり、
ますます優秀な人が減っていくという悪循環が起きるわけです。

こういう実態のあるところに
中途半端な法律とか、抜け穴だらけの通達をしめすということは
切実にパワハラを終わりにするという姿勢がない
誠実に生産性を上げるという気概もない。
そう受け止められるのです。

これでは労務管理の専門家が企業経営者に対して
どんなにパワハラ防止対策の必要性を説いても
「よそでもやっているのだろう」
「抜け道をちゃんと用意しておけ」ということしか発想として出てこないのでしょう。
だから使えない法律なのです。

国の方法論がこのようにまじめな労務管理の足を引っ張るものなのに
パワハラは禁止ですという結果だけを要求しているようなものです。
できないと「なんでできないんだ」と責めるばかり
こういうことがパワハラの本質なのですが
この法律自体がパワハラになってしまっています。

この結果パワハラ防止対策は。
企業にとっては、生産の足かせとしか受け止められず、
できるだけこの法律の制限を回避しようとして
抜け道や工夫ばかり考えるようになるわけです。


だから、プロの労務管理専門家たちは
法律に変わるパワハラ防止の方法を必死に模索しています。

パワハラ防止の企業サイドの方法論の総論は、
パワハラを防止することが企業の利益であるということ
不必要な経費を軽減して、費用をかけずに生産性を上げる
企業スタイルの刷新の絶好のチャンス
あるいは企業再生のチャンスだという
プラスのモチベーションを高めることだと思っています。

パワハラを容認する企業は倒産する
パワハラ防止をそれだけでなく企業戦略として位置づけることによって
これから伸びるチャンスとするということです。

これを方便としてではなく、
現実的な企業戦略にできるかがカギになるでしょう。

以下、そのプラスの例を考えてみるのですが。
専門家の先生と積極的に意見交換をしたい
これをたたき台にして
実務的に直結するアイデアに高めていければ幸いです。


一つは、ビジネススタイルの見直しの機会にするということです。
パワハラ事案が出てしまう企業は
いろいろな事情で自分たちのやり方を振り返る余裕がありません。

前例を踏襲することに汲々としている企業です。
しかし、どの企業であっても、企業を取り巻く環境は
刻々と変化をしている。
労働者の意識が変化しているならば顧客の意識も当然変化しています。
意識の変化、環境の変化に合わせて企業活動の変化ができなければ
当然企業の存在意義がなくなってゆきます。

環境の変化に対応する方法が見つけられずに
単に労働者にプラスアルファーの労働を求めてしのごうとするとき
パワーハラスメントが起きるわけです。

例えばエリアが拡大したとか
競合店がなくなって仕事が増えたのに
人数も変えず、やり方も変えない。

逆に競合店が増えたのに
それに合わせた戦略を立てられず
労働者の頑張りの強化だけに期待する。
成績が伸びないのは当然なのに
パワハラでしのごうとする。

このような環境と企業活動のミスマッチに気が付かない。

時代的変化への対応の関連では、
経営者交代の時です。
新経営者がパワハラというか強圧的になることがよくあります。
従業員から信頼されている先代が引退し
二世たちがやるときに
先代が苦労して勝ち取ってきた信頼と尊敬がなく
そのことが自分でもわかり不安になるのですが、
謙虚な気持ちもないものだから
先代に対して忠誠をつくしたような態度をとらない労働者を
力で屈服させようとする。

やり方もうまくいかないし
比較されるのが嫌だからでしょうか無理に新しいことをしようとして
外部のコンサルなどの意見を聞いて
「合理化」を狙って、労働者の既得権に手を付け
例えば退職金を払わないとかいうことを強行して
訴訟に負け
そういうことの繰り返しで
企業自体が消滅する。

業種が一つ消滅した例もあるくらいです。

取引相手の窓口は、具体的担当者、従業員なのです。
多少無理な付き合いも、顔見知りの顔を立て行いますが、
無表情の見知らぬ人間の新たな要求は
最初から鼻もかけないのは当たり前です。
それがわからないのです。

経営者の発想を変える必要があります。

その方法論を考えてみましょう。

まず、最初にする経営訓練として、
労働者の気分感情を考えるということが
とても良い訓練となります。

人の快、不快はある程度共通です。
労働者の環境が変化しているならば
労働者の感情のリサーチは顧客のリサーチにもつながります。
労働者の要求を理解することを通じて
ビジネスチャンスも見えてくるかもしれません。。

発想の転換の第2は
使用者と労働者の関係についてのイメージの転換です。

使用者、被用者という感覚は
現代企業としては生き残れないようです。
対立していたのでは生産性も低くなります。

使用者の言いなりに労働者を働かそうという発想は
労働者をロボットに置き換えても成り立つ企業以外はアウトということになりそうです。

企業とは
労働者の能力を発揮する場を提供しすることだということです。
使用者は労働者の活動について協力体制を敷いてバックアップする
これが特に中小企業で必要な発想である。

労働者が、自分の日々の活動から
企業の在り方を判断し、検討し、提案していく。
生産性を上げることが自分の喜びになるような
活動スタイルを作っていく戦略が実務に入り始めています。

その労働者の傾向に合わせた自主的ルールができていく
無駄な、不合理なシステムは改定されていくというわけです。
下手なコンサルタントをつけるよりも生産性は上がってゆくようです。

そのためには、従業員が意見を自由に述べることができる環境を
使用者が整備する必要があります。
意見を制限したり旧来のやり方に固執したりする上司を
使用者がジョーカーとして穏便に制して、
若手労働者等の新鮮な意見を尊重する制度を作るわけです。
自分の意見に基づいて会社が動き出すということは
従業員にとってもとてつもないモチベーションがあがりますし、
責任をもってやりとげようとする。

パワハラなんてマイナスなだけな職場を作るだけだということが
よくわかってくるでしょう。

服務規律は労働者にゆだねたほうが合理的で
遵守意識が高まるようです。
無駄な無理な拘束をしないことこそ
モチベーションを上げる特効薬なのですが、
経営者の発想ではなかなか難しいのです。

これらのゼロの先のプラスを目指すならば
政府が著した指針の類型なんて
当たり前のこんこんちきのことであり、
足りなすぎると笑って読み飛ばすようになるでしょう。
パワハラをしないことは当たり前として、その先、
むしろ、厚生労働省が示した
「パワハラに該当しないという例」をしないで済むような労務管理
これを実現する職場をつくるということが
この厳しい状況で生き残るための指針にされなければ
企業は生き残れないでしょうし、
それが実現する職場は
いいことづくめが予定されていくということになるでしょう。

もう少し、日本経済の実情を踏まえた法律や国家政策を
行ってほしいものです。





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社長さん、偽装請負ですよ。その契約は違法で、後から賃金を支払わなければならなくなる可能性があります。 [労務管理・労働環境]



最近増えている事例として偽装請負があります。
本当は自分の会社で雇っている労働者、従業員なのに、
雇用契約書を取り交わさずに請負契約の体裁で
契約書を取り交わすのです。

あまり詳細に説明するとまねをする危険があるので、
架空の話で説明します。

例えば、ガソリンスタンドの従業員に対して、
「今日から請負契約にするから覚書に署名して」と言い、
従業員は署名しなければ仕事を失うという不安がありますから
覚書に署名をします。

すると、それからは賃金が出ません。

社長は、
「あとは、自分でお客さんを獲得して、
 お客さんの支払った金額から経費を除いた金額の
 30%を請負代金として支払う。
 但し、スタンド使用料として月10万円を支払うこと。
 自分のやる気と工夫で今以上の収入になるよ。」
等と言うパターンです。

不思議なことに、ガソリンスタンドの従業員には
売上ノルマが課されることが多く、
自分のお得意さんを確保しなければならないのです。
指名してくれるお客さんが多くなければ
ノルマは達成されません。

いつものノルマを達成してもう少し稼げば
今よりも収入が上がる
と思う人もいるかもしれませんが、
一般の従業員は、もともと不可能なノルマだと感じているので、
今より収入が上がるとは思わないのです。
思わないけれど、嫌だというとやめろと言われることが分かっているので、
従ってしまうのです。

これで経営者は、
経費を労働者に負担させた上に、
賃料として毎月定額の収入を確保することになります。

働いている人たちが多ければ
けっこうな収入になるでしょう。
労働者も自分の利益に直結するから
売り上げをあげようと頑張るでしょう。
楽してお金が入ってくると思う経営者もいるようです。
そう言って、このようなスタイルを勧める
経営コンサルタントがいるようです。

しかし、これは後からとてつもないしっぺ返しを食う恐れがあります。

先ず、労働者の収入が出ないため、
労働者は借金を抱えて仕事を辞めていきます。
つまり売り上げが上がっても経費と家賃を支払うと
お金がほとんど残らない場合が多いのです。
つまり事業が成り立たなくなり、
店をたたむことになることが多いです。

そこをうまくやったとしても
お役所から指導が入り、
取引先から信用を失い、仕事が成り立たなくなる事例です。

役所からいろいろ言われることにもなります。
労働基準監督署の指導がまずあるでしょう。
なんせ、契約が請負でも実態が労働者ですから
労働基準法の適用を受けます。
それにも関わらず賃金も支払っていない、残業代も払わない
年休も与えないということになりますので、
違法です。
これらの違反には罰金と懲役刑もあるので、
悪質な場合には刑事事件にもなってしまいます。

さらには、脱税を指摘される可能性もあるわけです。

労働者からの家賃や経費負担を
収入として申告しない場合は
収入をごまかしたということになるのです。
こんなのちょっと考えればわかることなのですが、
なかなか気が付きません。

コンサルタントも
これらの危険をはっきりとは言いません。
経営者も間違った経費削減ということに夢中になり、
「違法行為だからやめよう」という意識が
薄れていくようです。
莫大なコンサル料を支払っていますから
引くに引けないという事情もあるようです。

また元々の経営状態が悪く
起死回生のギャンブルに出ることを余儀なくされている
そういうすきを狙っている人たちがいるのです。

よわりめにたたりめ

これも経営の真実でしょう。

ところで、契約名でなく、実体で
労働者か請負かを判断するとしたら
その判断要素はどのようなものでしょうか。

労働契約と請負契約の一番の違いは
仕事を任された方が、自分の自由に仕事をしてよい
結果を出せばその過程に文句を言われない
というところにあります。

だから、どこでその労働をしてもよいし
納期までにいつやっても良い
道具は自分のものを使ってよい、
誰かに手伝ってもらっても、下請けに出しても原則良い
そもそも仕事を断っても良い
ということになります。

この反対で、
例えば特定のガソリンスタンドで仕事をしなければいけない
(場所的拘束性)
朝8時から夜8時まではガソリンスタンドにいなければならない
(時間的拘束性)
自分の代わりに別の人をあてがうことはできない
(非代替性)
与えられた仕事は自分の都合で断れない
(依頼の諾否の自由がない)
会社の道具で仕事をしなければならない
(生産手段を持たない)
等の事情があれば
労働基準法の労働者であり、
国は労働基準法その他で、
当事者の契約などの合意があっても
強制的にそれを無効だとして排除して
労働者を保護することにしているのです。

最近は、この生産手段でさえ、
賃料、リース代金の名目で
労働者に負担させていますので、
これらについては厳しい法律の制定されていくことになると思います。

このような闇営業が横行しているということは、
隙だらけの経営者が増えているということです。
隙が生まれた事情を良く分析して
国としての対策を立てる必要があるのではないかと
感じています。


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ソフトパワハラについて考える : 例えば「わたし定時で帰ります」のユースケ・サンタマリアが演じた上司の息苦しさの原因 [労務管理・労働環境]


吉高由里子さん主演の「わたし定時で帰ります」という番組がありました。
なかなか現代社会の断面を切り取った意欲的な番組だったと思います。
シリーズの後半は比較的よく観ていました。

異彩を放っていたのは、
ユースケ・サンタマリアさんが演じた主人公の上司
福永清次だったと思います。

彼は、暴力は振るいませんし、威圧的な言動もありません。
「もっと、残業もしてみようよ」とか
部下に意思があることを前提として、
自発的に仕事に取り組むようにアドバイスする
というような語り方をしますし、
具体的な残業命令をするわけではありません。

しかし、彼が登場し、発言をしようとするものなら、
緊張感が走り、
発言が終わって部屋を出ても
何とも言えない息苦しさが残ったと思います。

俳優は見事に演じきったと言え
怪演と言うべき演技だったと思います。

暴力もない、威圧的言動もない
具体的な残業命令もない
それでも息苦しい嫌な気持ちになるのはなぜでしょう。

パワハラだという声もあれば
パワハラとは言えないという声もあります。
威圧的な雰囲気がないけれどパワハラと同じということであれば
「ソフトパワハラ」とでも言ってみましょう。

視聴者は、
言われた部下に共鳴して嫌な気持ちになっているので、
部下の気持ちを考えてみましょう。

結論から言えば、
暴力や威圧を使ってパワハラをしたときと
結果としては同じことをしているのだと思います。
やはりソフトパワハラをしているということですね。

ソフトパワハラによって
部下は「自分で自分のことを決めることができない」
上司が勝手に自分の行動を決めてしまっている。
部下にとって裁量の余地が極めて少ない
という感覚を抱いています。

彼は暴力や威圧を手段としては使いません。
その代わりに使っているのは、
(企業)常識、企業の普通、
仲間の不利益の回避や
チームワークを乱さないという正義等です。

部下たちは
暴力や威圧によって上司に逆らえなくなるのと同じように
仲間の不利益回避やチームワークという正義や
企業の常識というルールに異を唱えることができないために
上司の無理な指示命令に逆らえないだけなのです。

その命令に逆らうことは
仲間としてふさわしくない行動だと評価されるだろうと思い、
無意識にやがて仲間から外されるのではないかという
不安を感じてしまっているわけです。

さらには、
無理な仕事の受注をしてきて、
部下は「自分の判断で」残業をせざるを得なくなります。
自分のプライベートを
直接制限する言葉を発しているわけではありませんが、
「仕事が終わらなかった会社に迷惑をかける」
という意識を利用して
仕事をさせるわけです。

彼は、暴力や威圧的な言動をせずに
彼なりに言葉を工夫していたようでした。
どこかで、稚拙な労務管理を教わってきた
という設定なのでしょう。

これに対して
現在、一つの完成された労務管理の手法があります。
企業の労働者の一人一人が職場の働き方をデザインして
するべきことを見つけて行動する
そうして、自発的に労働することによって
生産性をあげるという手法です。

全労働者が経営者感覚なので
確かに生産性が向上します。
適当にやればいいやと言う労働者は
労働者によって排除されるということもあります。
なるほど生産性は上がるようです。

長時間労働になりがちにもなるのですが
一人一人の労働者の幸福度も高いように見えます。

「わたし定時で帰ります」の職場はそうではなかったわけです。

この職場はクリエイティブな仕事をしているのですが、
ソフトパワハラによって
実際は、やることが決められ
機械的な作業を強いられるような
仕事の配点をされていたということになります。

上司は労働者の意思に働きかけているように見えて
実は意思を無視して、結果として強制していたわけです。
さらにはプライベートの時間まで
勝手に仕事に使われていたということになります。
そこに労働者の自発的意思はありませんでした。

自分の自由が奪われるという感覚が
生物としての本能であるところの
「自分で自分の身を守る」
と言うことがいざとなってもできないという予測が自動的に生じ
息苦しい気持ちを抱かせるのです。

結局目隠しをされたり耳をふさがれたり、
手や足を拘束されることと
結果として同じような感覚になってしまうようです。

受講料は高額だけれど
安っぽい労務管理セミナーにありがちな
心はこもらなくてもこういう言葉を先に言うとか
こういう言葉を言ってはいけないとか
定型的なアドバイスを受けて
それを実践していたような感じをうまく演技していました。

肝心なことはすっぽり抜けてしまっていたわけです。

つまり、自分がこういう言動をした場合
相手がどのように思うだろうかという
想像力に欠如しているということですし、
連続した残業によって
部下の家族関係などのプライベートが圧迫され
その結果どうなるということを
結果として無視しているということです。
思い至らなくても、
部下は現実に生きて生活している人間なのです。

ちょっとした気遣いで
職場の雰囲気はだいぶ変わって
生産性にも差が生じてきてしまいます。

もう一つ
ソフトパワハラの典型例として
部下の欠点や失敗ばかりが見えてしまい
それを指摘せずにはいられないという行動パターンがあります。

例えば取引相手とのプレゼンに成功しても
一応「よくやった」という言葉を発するのですが、
それはおざなりに済まし、
どこが良かったかと言うことを指摘せずに
「この次ここに気を付ければもっと良くなるよ」
と言うことばかりを指摘する上司です。

(中には、ここでこのような言い間違いをしましたと
取引先に謝って来いという上司までいます。)

その指摘が本当に部下の成長につながることもあります。

しかしソフトパワハラの場合は、
「言わなくても良いこと」をわざわざ指摘することが特徴です。
些細な言い間違い等のケアレスミスの指摘が典型例です。
プレゼンを成功させるという大前提を無視して
些細なミスもなく完璧に行うという
独立した目標を立ててしまうわけです。

間違わないようにやるということはツールであって
目標ではないわけです。
間違わないようにするに越したことはないけれど
相手に伝えることに神経を集中させるべき時に
些細なところに神経を回してしまい、
熱意がそがれてしまうというデメリットもあります。

なによりも、
自分で自分のことを決められないという意識も出てきます。
また、部下が、何が必要でそのためにどう行動するか
自分で考えて、意欲的に取り組み
それによって結果を出したのに
「よくやった」という言葉は形式的に発するものの
評価の大部分がダメだしということであれば、
カウンター攻撃を受けるようなものです。
喜びは失われて、落胆ばかりが残ってしまいます。

それでも、
どうしても相手のマイナスポイントだけが目につき、
それを口にしてしまう人間はいるようです。
けっこう多くの人がこの間違いをしているので、
それはあらかじめ警戒をしておく必要がありそうです。

「どうでも良いことをどうでもよいと評価の対象から外す」
ということをいつも意識しておく必要があるようです。
実害がない欠点や
利点の方が大きい欠点には目をつぶる
という選択肢を上司は用意しておく必要があるようです。

コーチングはメリットばかりではありません。
副作用が必ずあるという意識が必要なのかもしれません。

ソフトパワハラになってしまうと
結局部下のやる気がなくなり
生産性が低下していくことになるわけです。

ソフトパワハラとパワハラは
結局同じように企業と労働者の敵だということで
お互い気を付ける必要がありそうです。

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【広告宣伝】御社の「パワハラ規制強化への対策」は十分ですか?生産性アップにつなげるパ原防止策の企業研修を担当します。 [労務管理・労働環境]


いよいよ、国もパワハラ対策に力を入れ始めました。
パワハラ防止の企業努力が求められていて、
今後パワハラによるメンタル不調や自死が起きた場合の
企業に対する世論や責任はますます厳しくなるでしょう。

企業は、パワハラ対策を強化しなければならなくなっています。

ところが、経営者がいかに「パワハラを無くそう」と焦っても
なかなかパワハラは根絶できず、
現場からは嫌な報告が上がってくる
ということがあるようです。

企業の労務担当の方は、
国のガイドラインを読んだり
講師を招いたり、セミナーに参加したりして
防止策を研究しているわけですが、
いまひとつピンときません。
「わが社にパワハラの芽がないか
どうやって早期発見することができるのか。」
確信が持てないうちに時間ばかりが過ぎていきます。

なぜ研修がピンとこないのかについては理由があります。

1 特殊な事例ばかり紹介される。

パワーハラスメントと縁のない人たちも
パワハラ講師をしています。
生の実態が分からない人たちが無理やり講師をするときは、
過労死の裁判例を説明するようです。

こういう人たちは、判決しか見ていません。
判決だけを見てパワハラを語ろうとしますから、
結論だけしかわかりません。

確かに何をやって、労働者がどうなると
企業はいくらの金額を払うということはわかりますが、
それがどういう経過の中から起きたことなのか
そのことを見ていた同僚の目はどう映ったか
その他の生の事実については何も書いていません。

このため、そういう話を聞かされても、
「特殊な会社の特殊な人格の上司が
 とてつもなく酷いことをやった。
 うちの会社は普通の会社だし、
そんな変な人はいない。
うちの会社には関係ないだろう。」
ということになってしまいがちです。

2 結局何がパワハラかわからない

あるいは、
こういうこともパワハラになります
こういうこともパワハラになります。
ということが繰り返されて、
「これでは実務が回らない。」
と思ってしまうと、
結局運を天に任せて
今まで通りの日常を繰り返してしまう
ということになってしまいます。

何がパワハラなのかが結局よくわからない
どうしてそれをしてはダメなのか
ではどうしたら良いのか
ということも分かりません。

これは、事例をただ集めるだけで、
パワハラが起きる要因、
パワハラによって生じる労働者の影響
それによって二次的に起きる家族への影響
という実態の分析がなされていない事に原因があります。

私はいろいろな人と分析チームを作り、
厚生労働省の過労死防止啓発シンポジウムなどで
研究の成果を発表しています。

私の周りには、法律家や遺族だけでなく、
心理学の学者さん、カウンセラーさん
社会保険労務士さんや
なによりも、現にパワハラで苦しんでいる
多くの労働者と身近に接していて
分析チームに入ってもらっています。

このため、自信をもって分析結果を発表できるのです。

3 警鐘は鳴らされるが、ではどうしたら良いかわからない。

中には、いくつかのパワハラの実態はわかっているけれど
正義感が強すぎて伝わらないということもあります。
過労自死が起きれば、本人だけでなく
家族が一番苦しい思いをしますし、
同僚にも深刻な影響が生じています。

このため、
「パワハラは悪であり、追放しなければならない」
という声高の主張で終わる場合があります。
それはそうなのですが、
そこで思考を停止してしまうと
具体的な防止策が出てきません。
「防止しろ」と言われて終わりです。
善悪二分論は防止の力になりにくいです。

具体的職場において
危険な要素がどこにあり、
どう改善していくかという
「思考」ができなければなりません。

変な表現ですが、
パワハラ上司に対する理解(賛成や支持ではない)
をすることが
普通の企業で普通の上司によるパワハラを無くすためには
どうしても必要なことだと私は思います。

4 「パワハラを無くす」という発想が逆に難しくしている

「パワハラを無くす」ということが目標とされています。
これは実態を考える上でとても邪魔になります。
今あるパワハラの原因を温存して
具体的なパワハラ行為だけを止めるように努力する。
と考える傾向がどうしても生まれますから
どうしても無理が生まれます。

あたかも、怒りを抑えるためには
怒りそうになってから
色々と手立てをする
というようなもので、
頭でわかっていても
実践することはとても難しい
結局、絵に描いた餅ということになります。

それだけならばよいけれど、
「自分はダメな人間だ」
というような罪悪感や無力感に
無駄にさいなまれることもあるようです。

パワハラを無くす、いじめを無くす、自死を無くす
それだけでは、目標としては足りません。

もちろん企業ですから
利潤の追求はしなければなりません。
しかし、パワハラを起こさない職場は、
一人一人の従業員のモチベーションが高まり
逆に生産性をあげている実績もあるのです。

つまり、
パワハラ、過労死を無くすという
マイナスからゼロを目指すのではなく、
その先にあるプラスを目指さないと
本当の改革にはならないと思っています。

このようなことをお話ししながら、
従業員が尊重されるという意味をお話しし
それが生産性のアップにつながるという道筋を
お話しする予定です。

お話しする内容は、
基本的にはこのブログにアップしています。
労働、労災のカテゴリーに主に入っています。

実績
過労死訴訟、労災認定、示談交渉、職場の人間関係改善、相談等実務豊富

最近の講演実績
港湾労災防止協会 平成27年度東北地区安全衛生セミナー
「メンタルヘルスと安全配慮義務」
法務局幹部研修 「ハラスメントの起きない職場づくり」
厚生労働省過労死防止啓発シンポジウム
 30年福島会場「過労死が起きる働かせ方を知る
~26件の精神疾患事例の分析から~」
 28年岩手会場「過労死・過労自死のない社会を目指して」
他仙台会場、山形会場
医療関係者主宰 「過重労働が家族に与える影響」」
社会保険労務士研究会
        「労働災害による損害賠償について」外
熊本県弁護士会 「復興過労死の防止 東日本大震災の教訓を生かして」
厚生労働省 過労死防止啓発教室 
宮城、岩手、青森等の大学、高校、専門学校での授業講師
その他、人権、いじめ、クレーマー、家族力の育み方、離婚、自死等をテーマに、学校、PTA,自治体(教育委員会、保健所等)、弁護士会、心理士会、企業、医療関係者等での講演多数
現職 人権擁護委員 調停委員 精神医療審査会委員等 自殺対策連絡協議会
元職 東北学院大学法科大学院講師(労働法)

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IT化が若者のコミュニケーション能力を低下させる? もしそうだとしたらどういうことか。 [労務管理・労働環境]



コミュニケーション能力とは何かということになると
余り本格的な議論をする能力がないのですが、
会社の経営者や管理職の話では、

10年前と比べても
社会人として当然あるはずの能力がない
具体的に言えば
言われたことしかできない
応用力がない
機転が利かない
無断欠勤する
ということで、コミュニケーション能力がない
と言っているようです。

コミュニケーション能力なので、
一方だけが能力が低下したと言えず
大人の方も低下したのではないかと
まぜっかえすこともできるのでしょうが、
もしかしてということで
考えてみようと思いました。

引っかかるのが
「10年前に比べて」というところです。

この言葉を発した社長さんは結構年配の方なので、
新人類と言われた私の世代が社会人になったのも
迎え撃つ立場だったはずです。
もしかした、真剣に考えるべきではないかと
思ったということはこういうことです。

ところで、今の20歳前後の特徴は何かということにあたって
スマートフォンや携帯電話、タブレットなどの
メールやラインによるコミュニケーションを
いつ始めたか、どの程度はじめたか
というところにあるのではないでしょうか。

今の20歳くらいの若者は、
おそらく中学生の時点では
既にラインやメールでの会話が
結構な割合を占めるようになっていたのではないでしょうか。

私はこれまで、中学生や高校生に対して
ラインの使い方を注意するお話をしてきました。

ラインやメールという非対面式ツールの問題点は、
文字(絵文字を含む)だけで情報伝達をするので、
それを読んだ相手の感情を受け取ることが難しい
また、事前に相手の文字以外の情報に接していれば、
そんなことを言わなかったのにとか
そんな言い方をしなかったのにということが
文字伝達ツールではしてしまうところにある
ということを述べていました。

人間は対面コミュニケーションの場合は、
文字だけでなく、
表情やしぐさ、
声の質、大きさ、速さ
身振り手振り
等から
言葉以上の情報を受け取る。

そうして相手が楽しんでいるならば
多少羽目を外したり、冗談を言ったりする。
相手が脅えているのであれば
言い方を控えたり、別のことを言ったりする。
そういう相手の反応、
つまり相手の感情を受け取って
相手とのコミュニケーションを修正する
ということを行うことが容易にできたわけです。

それがITコミュニケーションではできない。

ちなみに手紙の場合は、
即時的な反応ができません。
封筒に入れて、ポストに入れて、相手に届くという仮定があります。
先ず、書く時も相手の状態を思い浮かべながら書くでしょうし、
気に入らなければ書き直しをしたり
出さないということもあるでしょう。

ところがメールやラインは、書いて送信してしまえば、
相手に届いてしまいます。
また、ラインなどでは
返事が急がされていますので、
ゆっくり書くということができませんので、
手紙とはだいぶ事情が違うようです。

対面で話をしている場合、
相手の表情を見ているから
言い方を変えるか言わない言葉でも
相手の表情を考える前に
キーボードで入力して送信してしまう可能性がある

相手も文字情報だけしか見ていないから
ストレートに言葉に反応して苦しんでしまうことがある
とても危険な事態となる可能性のあるツールであることが
本当なのです。

そんなことを高校生にお話ししながら
ラインのノリによって
あっという間にいじめが成立してしまうなんてことを
お話していたのでした。

しかし、もしかしたら
ITコミュニケーションの問題点は
もっと深刻なところにあるのかもしれないと感じます。

要するに
ITコミュニケーションツールの依存によって
対面コミュニケーションが苦手になっているのかもしれない
ということなのです。

どういうことかというと
一つに、文字以外の情報を瞬時に理解すること
が苦手になっている可能性があるということです。
文字と表情と口調を総合して
何を言いたいかということを理解する
ということが苦手だということですね。

これが進んでしまうと
文字以外の情報を無意識に拒否するようになる、
例えば、対面で話をしているのに
相手を見ない。
逆に、相手の表情やしぐさに集中して
言葉による文字情報が頭に入らない。

例えばこういうことです。
そうすると、ニコニコとした表情で
少しきついことを言って、
普通ならジョークだとわかってくれるだろう
と思っていたら、
言葉に反応して深刻に受け止めてしまうとか

ニコニコという表情にばかり気をとられてしまい
「そんなに熱心にやらなくても流していいから」
という印象的な言葉ばかり耳に残り
結局その仕事をやらないとか

そういうことが起きているのではないかと心配になります。

それから報告書などで
文字情報が漏れなく記載はされているけれど
字が小さすぎて読めないとか
いう現象が起きてはいないでしょうか。

文字情報が多くなってしまい、
自動的に出力文字が小さくなってしまうのに
相手が読むことを考えないでそのまま提出してしまう。

つまり、相手のことを考えて自分の行動を修正する
ということが苦手になって行かないかという心配です。

これは、例えば接客業でも起こりえると思います。

例えば洋服を売る場合、
お客さんが「どうかしらね」
という場合、表情から見て気に入ったか
それはどうかねえ(だめだよね)
という表情の区別がつかないとか

ダメだという場合に相手の気持ちを考えての
(次につなげるという意識の)
行動をとれないとか。

考えて行けばキリがありません。

もう一つ、
ラインに依存しているような場合の問題点ですが
ラインの特徴は、、
前の書き込みを受けて話が続いていく
というところにあります。
頻繁に書き込みをしている場合は
前提の言葉が省略されるので
その書き込みだけを見ても
何が何やらわかないということがあります。

もしかしたら若者は
こういう話の流れの中でコミュニケーションをとることになれていて、
自分で前提を構築して話を始めることが
訓練されていない可能性があります。


高校や中学でも
IT化に対応した授業も行われているようです。
単に入力やツールの使い方だけを教えるのではなく、
弊害を予想して弊害が生まれないようにする訓練も
この先必要になっているのかもしれません。


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なぜ、普通の企業なのに、中間管理職のあなたはパワーハラスメントをしてしまうのか [労務管理・労働環境]

例によって、講演の草稿をここでつくるわけです。
誰かに読んでいただけると考えるだけで、
実力以上の力を発揮できるような気もするからです。

今回のお題は、決してブラック企業ではないはずなのに、
どうして中間管理職が部下にパワハラをするのか
どうやって防止するかにあります。

そもそもパワハラとは何かということですが、
後で理由は述べるとして、
とりあえず、
1 身体的暴力又は人格的攻撃を含む言動
2 部下を孤立させる言動(顔をつぶされる、立場を無くす)
3 その上司の言動に対して部下が解決不能に陥るもの

要約すると
攻撃、孤立、絶望を与える上司の言動です。
指導の要素が含まれていても、
上記3要素がある場合は、パワハラだと考えましょう。

パワハラの定義は目的によって異なりますが、
ここでは、部下特に新卒の健康を守るための目的とします。
加えて
上司が不意な損害賠償や懲戒を受けないために
ということも加えておきましょう。

もう少し具体的に新卒者に対するパワハラをみてみますと、
客観的に、あるいは新卒者の主観として、
仕事を教えないくせに、
できないことを叱責し、制裁が課されるということがあります。
具体的な言葉として
「社会人のくせにそんなことも分からないのか」
「1度きいたら覚えろ、俺は2度は言わない」
「なんでも人に聞こうとしないで自分で調べろ」
ということがよく言われているようです。

少なくとも新卒者は、これでは
どうすればよいかわからない。
どうやったらわかるようになるかもわからない。
「不可能を強いられている」と感じています。

こういうことが同僚の前でいわれてしまうと
強烈な孤立を感じます。

また、当然、これは自分が攻撃されていると思うわけです。
3要素そろった完全なパワハラ言動というべきだと思います。

このような言葉を出してしまう新卒者側の要素もあるようです。
中間管理職だけでなく、経営者も
今どきの若い者は、社会常識がない
10年前と比べても気転が効かなくなった
コミュニケーション能力がない
等と嘆く傾向にあるようです。

こういう傾向は実際あるかもしれませんが、
とりあえず、「若者は変わらない。変わったのは環境だ」
という仮定をたててみます。

ピラミッドに刻まれた世界最古の落書きを解読したら
「今どきの若い者は・・・」という内容だったということで、
若者とコミュニケーションをとることは
そもそも人類は苦手なようです。

また、採用試験を潜り抜けて採用されているのだから
それほどコミュニケーションに問題があるとは思えません。
さらには、若者同士はコミュニケーションをとっているようです。
実際の事例では、
部署が変わったら急にパワハラが始まったということもあるようです。

若者が変わったのではないとすれば
何がパワハラの引き金なのでしょうか。

一つは、上司に余裕がなくなったということがあるようです。
やるべきノルマが多く、期限が迫っていると、
結果を出すことだけを考えるようになります。
仕事ですから結果を出すのは常に求められているのですが、
常に、短期間に結果を出さなければならない。

本来即戦力ではない新卒採用なのに
長期的に育てるという観点を持つことができない。
そのため、自分が管轄するセクションにとって
頭数として計算できるほど成長していない場合、
ノルマを達成するためには、邪魔な存在
妨害者のように感じてしまうということがあるようです。

上司も焦っているので、
懇切丁寧な説明はくどくどしくてできない。
部下は言われた言葉はわかるけれど、
経験がないので、それに着手するまで自分が何が分からないかが分からない。
この段階で聞き返そうとすると
上司は別のことを必死にやっているので答える余裕がない。

本来こういう時は、経験者やせめて同年代と相談できれば良いのですが、
最近の職場は、同僚間の打ち合わせを禁じるようなところも出てきています。
また、上司の「あたり」が強く、
その者がターゲットになっているとおもうと
下手に助けると自分に叱責が飛んでくると思って
助けられないということが多く、
その結果、新卒者は命じられた仕事ができていない
最初の質問の前の段階で止まっているということになるようです。

あるいは、やるにはやったが、
使い物にならない代物を提出する。
言葉は埋められているが読んでも理解できない。
音声は録音されているが、良く聞こえない。

AパターンとBパターンのやり方があるのに、
Aパターンばかりをやってできないという。

これらは上司の指導が十分できていないことから
部下がセクションの妨害者となり
怒りが募ってパワハラとなるパターンです。

会社が一つのチームになれば良いのですが、
実際の人間関係は一つにチームになりにくいようです。

経営者と中間管理職のラインがあり、
そのライン上の人間は仲間関係が成立しているのですが、
そのラインからは一般従業員は外れてしまう。
そうすると、中間管理職は、
一般従業員に対して過酷な対応をしてしまう。
言われた方の立場にたって考えることができなくなるのです。

新卒社員が別ラインになってしまうのは、
中間管理職自身が身分が安定しておらず、
自分が管轄するセクションの結果次第で
有利になったり不利になったりする
そうなると自己防衛という意識が強くなり、
なんとか中間管理職自身が
経営者とのラインに乗るように強く求めてしまう。

また、部下を含めてセクションで仲間意識が強くても、
つまりセクションがラインとして成立していても
お荷物的な労働者がいると
セクション全体の足を引っ張るものということで、
その者だけがセクションの仲間から外されてしまう
その結果、その者だけが「いけにえ」になってしまう。

自分を守るため、セクションの仲間を守るため
という無意識の防衛意識が、
新卒者に対して過酷な対応をとらせてしまうわけです。

中間管理職は、
部下、特に新卒の部下について
・仲間だと思えなくなった(弱点をかばう気がない)、
・攻撃するし、感情的になる、
・不可能を強いている(新卒者の主観的に)
・新卒者が他の同僚から冷たい対応をとられることに
 喜びを感じてしまったら

自分は既にパワハラをしているかもしれないと思うべきでしょう。

そしてこの三要素がないかどうか
何が自分を焦らせているか
じっくり振り返る必要があると思います。

例えば、経営者から無理なノルマ、無理な業務指示があれば
無理だと洞察することも中間管理職の仕事です。
もちろん無理だからやらないのではなく、
やってもメリットが少ないということであれば
長期的な戦略を一部導入することです。

プロ野球で9月になって最下位に沈んで
3位に10ゲーム以上離されているのに
優勝しようと思っても仕方がないので、
新人にチャンスを与えてチームの若返りを図る
こういうことですね。

一つの方法としては、
新卒労働者に自分がつきっきりになり
懇切丁寧に仕事を教えていく。
基本はまねをさせるということ、
一つ一つのアクションの意味、狙い、目標を繰り返し刷り込む。

弱点、不十分点を徹底的に補うということです。
分からない時にはどんどん質問させる。
くだらない質問でも質問したことに肯定評価をしていく。

やる気を出させる方法は、
お金をかけないで手間をかける、心を砕く
という方法で可能ですが、
これは、また改めて。

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日大アメフト事件を監督コーチの処分で終わりにするなら事件は繰り返される [労務管理・労働環境]



日大アメフト事件は、監督、コーチらが除名を含む処分をされました。
もし、監督やコーチ、特に監督の人格上の問題で本事件が起きたならば、
それで終わりにしても再発はしないでしょう。

しかし、もし、今回の事件を起こした監督自身が
このような行為に出るように追い込まれていたとしたら
今回の監督ではなくても起こり得た事件だったと考えなければなりません。

現在の経済学は、人間は誤りを起こすものだという前提から出発します。
誤りを犯すものだから仕方がないというのではなく
どういうメカニズムで誤りが生まれるかいうことを研究し、
先回りして誤りを防止するという努力が積み重なれています。

対人関係においても誤りの仕組みを研究し、
誤りを防止することをするべきでしょう。

今回の事件の背景的問題として、
日大アメフト部が低迷していたという事情があり、
それは大学の評価が下がるという意識があったようです。
このため、アメフト部の成績を上げることが至上命題とされ、
そのために前監督が招へいされたという事情があるようです。

勝ちたいという自然なモチベーションではなく、
勝たなければならないという外圧がかけられていたということになります。

これは企業においてもありうることです。
売り上げが低迷しているために
外部からコンサルタントを招聘したり
ヘッドハンティングをしたりということがあるようです。

おそらく良い条件で抜擢されたのでしょう。
また、組織が困っている時に頼りにされることは
やりがいのあることです。

そうなると、信頼を裏切ることはできません。
一番いやな言葉は
「期待外れ」
です。

無理をしてでも成績をあげなければなりません。
無理をしてでも売り上げをあげるパワハラ上司と同じです。

この時、独自の方法論をもって
部下のモチベーションを高め、
モチベーションを合理的な方向への努力につなげることができれば
成績は上がっていくでしょう。

しかし、各大学、ライバル企業もしのぎを削っていますので、
そんな魔法の人間管理は対人関係学的労務管理を学ばない限り
到底できません。

そういうノウハウがない人たちはどうするのでしょう。
ここに奇妙な共通点があります。
成績の良い個人に依存するのです。

能力のあるものを叩いて
能力を絞り出そうとしてしまうようです。
指導能力のない人たちは底上げということを考えられません。

能力のある個人に徹底的につらく当たり、
無駄に活性化させ、
さらには、アンフェアな行動に出ることまでを期待します。
鬼に金棒作戦とでもいうようなものです。

今回は全日本大学選抜の選手にこれをやりました。
パワハラ過労死の犠牲者も、能力の高い人ばかりです。

能力のある人はフェアに活動していますので、
そこに軋轢が生じるものです。
この軋轢は、やる気と能力のある個人の
やる気を奪っていきます。
この延長線上に自死があります。

それでも、監督や上司は厳しく当たるしかありません。
合理的に伸ばす指導のノウハウがないからです。

軋轢は標的になった個人だけでなく
周囲にも広がっていきます。
人間の習性でこのような不合理に対しては
集団的怒りが形成されます。
この集団的怒りを抑え込むためには、
さらに強い力で先行攻撃をして、
個別に分断して抑え込むという方法がとられます。

そうすると、怖いものですから、
個人から発案することが無くなります。
言われたことをやるしかなくなるということです。
無力感に陥っていきます。

いつしか業績を上げることをまじめに追及することよりも
上司から気に入られるようにすることが
現実の目標になっていきます。

イエスマンばかりになり、
顧客や取引相手よりも
上司の期限が優先されていきます。
その延長線上に
法律や道徳よりも上司の命令を優先する
そういう仕組みができてしまいます。

日本企業低迷の大きな要因だと思います。

日大事件においてもコーチや監督の
行動のメカニズムを検討する必要があり、
これをしなければ、また同じことが繰り返されます。

これは日大に限ったことではありません。
他の大学、他のスポーツ環境や
経済環境に等しく当てはまることなのです。


一番の出発点は、
スポーツの目的のはき違えです。

その教義をすることが楽しく、
純粋に強くなる、あるいは楽しむということでなく、
母校の名誉や受験者数の増大、就職、金銭という
不純な目的が
人間を大切にする、人間に対する敬意をもつ
という当たり前の感覚を奪っていくということを
私たちは繰り返しニュース動画で見せられました。

部活動での活躍が
就職や進学に優位になる
こういうことを遅くとも中学生から叩き込まれてきたことが、
人間性や弱さを否定され続けてきたことが
今回の事件の背景として見過ごすことはできません。

これが日本経済の発展を妨げていると思います。

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高度プロフェッショナル制度制定を他国から見たらどのように見えるのだろう+一般保守政治家の心理 [労務管理・労働環境]

高度プロフェッショナル制度は、日本法制史に残る
あからさまな悪法です。

その理由は、法律自体に大矛盾があり、
およそ法律の体をなしていないという所にあります。

日本の労働基準法は、戦後直後に制定されましたが、
戦前の労働者が長時間労働で早死にしていたことをふまえて
早死にをさせないように
1日8時間、1週間当たり48時間(現在は40時間)しか
働かせてはいけないということを罰則をもって定めました。
さらに、例外的に働かせてもよい場合でも
時間外労働の場合は割増賃金を支払うこと、
10時から5時の労働の場合も割増賃金を払うこと
として、できるだけ時間外労働をさせない
という工夫をしました。これも罰則付きです。

ところが、今回、年収1075万円以上の労働者は
このような時間制限を無くするというのが
高度プロフェッショナル制度です。

どうして1075万円以上の労働者の場合は
早死にさせる工夫が不要となるのでしょうか。
全く根拠はありません。
早死にしてもかまわないということにしかなりません。

時間外割増賃金も
深夜勤務の割増賃金の制度も無くなります。
これが働かせ放題法案と言われる理由です。

おそらく、このような法律ができたとしても
評判を気にするきちんとした企業や
労働者のモチベーションを大切にして生産性向上を考える企業は
最初は高度プロフェッショナル制度を適用しないでしょう。

こんな制度を適用したら、自分の従業員のモチベーションが上がらないだけでなく、
労働者を100時間近く、下旬と上旬で150時間も
時間外労働をさせる企業だという評判は
企業の信用を低めるからです。

また、時間外割増賃金を払わないならば
労働者を増員する必要がなくなるでしょう。
二人分を一人に働かせればよいわけですから、

しかし、そんなことをしたら、
払うべき賃金も払わない企業
というレッテルが張られるでしょう。

だから、怖くてこんな制度を採用しないと思われます。

しかし、内閣がこんなに話し合わないで強行採決するのだから
一部の企業では、採用するでしょう。
そうすると、経費(人件費)が下がる制度をどうして採用しないのだ
という素人的圧力に屈する企業も増えていくのだと思います。

一番気にしなくてはならないのは
日本の企業の中ではそのようなルールとなっていても
海外ではそのようなルールとなっていないのですから、
外圧がかかってくることは気にしなくてはなりません。
歓迎しているのが、時差を気にするグローバル企業だけかもしれません。

なんにせよ、一部の会社でそのような要求があるからと言って、
理屈に合わない高度プロフェッショナル制度を
強引に推し進めていることを、外国の企業はどのように思うでしょうか。

あたかも、高度プロフェッショナル制度は、
日本企業の総意で制定するというように感じるでしょう。

日本企業は、労働者を休ませないで働かせなければ
採算の合わない経営体質の瀕死の企業ばかりだと感じるでしょう。
それだけ無茶苦茶な制度だからです。

エコノミックアニマルという言葉が昔ありましたが、
この時代ではエコノミックロボットという言葉になるでしょう。

日本労働者の権利意識の低さに驚嘆することでしょう。
そうして、この法律を提案しているのが、
国土交通省や経済省ではなく、
厚生労働省ということを知ったらさらに驚くでしょう。

労働者の福祉、健康を増進するはずの省庁が
過労死を蔓延させる矛盾した法律を提案しているということは
世界の非常識だと思われることでしょう。

これでは日本には、
「我が国の労働者の権利を守る省庁」に当たる省庁は
存在しないのかと納得してしまうことでしょう。

日本は、官僚制度が機能していない
と感じることでしょう。

また、日本の国会議員、特に保守派の議員は
なぜこのような無茶苦茶な法律の提案に
反対派とも区画としても議論をしないのだろうと
不思議に思うでしょう。

この点については少し考えなければなりません。

しかし、高度プロフェッショナル制度に賛成する国会議員のブログにヒントがありました。

第1に、先ず、保守政治家自身が、この法案を知らないのです。
労働基準法の何をどう変えるということも、
それがどのような意味があるのかということも
また、どのような法律に変わるのかさえも
まるで分っていないのです。

驚きました。

これでは反対するあるいは議論をするきっかけが生まれません。

第2に、そうなると次に、彼らは何を考えて賛成しているか
それは、保守党というコミュニティーを大切にする
それがモチベーションだということになります。

分からないけれど、自分たちの代表が推進しているのだから
とにかく推進しなければならない
という意識なのだと思います。

そうするとマスコミや野党が騒げば騒ぐほど、
自分たちを守ろうとしてしまうわけです。

なりふり構わずに
まるで、過労死遺族をあざ笑うような行動は
そのような条件で生まれるようです。

日本をどうしようという発想がないのでしょう。
日本人の幸せではなく、
自分たちに利益を与えてくれる人の幸せを優先に考えている
そういう結果なのだと思います。

ある意味優しい人たちなのでしょう。
しかし、その優しさは
天下国家を動かす立場からすると
致命的な資質の欠損というほかはないと思います。

高度プロフェッショナル制度
とにかく恥ずかしいのです。こんな制度。
国の評価を下げるどこかの司会者みたいな法律だと私は思います。


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【緊急】高度プロフェッショナル制度が有史以来の悪法であることについての説明。官僚や財界が反対しないことが不思議な理由。 [労務管理・労働環境]

働き方改革の中に高度プロフェッショナル制度があります。
これは、年収1075万円以上の労働者には
労働基準法の労働時間制限が適用されなくなるという制度です。

労働時間制限と言ってもピンと来ないかもしれません。
以下、説明します。

1 日本においては、労働者の労働時間は
  1日8時間、週40時間の上限があるということ
2 上記上限を超えて働かせると原則として
  刑事罰の対象となること(自然人なら前科がつくということです)
3 例外がいくつかあり、
  職場の3分の2以上の労働者を組織する労働組合などが
  使用者と労働協約を締結することによって
  刑事罰を免れる制度があること(いわゆる36協定)

  但し、36協定が有効であるためにはハードルがあり
  例えば、時間外で働かせる内容が
  日常労働ではなくイレギュラーな作業である必要がある
  ということが通達で定められている。
  従って、36協定があるからと言っても
  日常的に一日8時間以上、週40時間以上働かせることは
  通達違反ということになること。
  この点があまり知られていないので、
  日常的な時間外労働が蔓延している。

4 法は、時間外労働をさせないために周到な準備をしていて
  時間外労働が許される場合でも
  ただ時給を払えばよいのではなく、
  時間外ということで割増賃金を払わなければならないとし、
  この割増賃金を払わない場合にも刑罰の適用がある

こういう制度が労働基準法の労働時間制限です。

では、どうして労働基準法に労働時間制限があるのでしょう。
労働基準法が制定されたのは昭和27年です。
まだ「過労死」という言葉はありません。

しかしながら、労働時間制限が設けられた理由は、
「早死にを防ぐため」ということだったのです。
繊維工業や土木作業において、
長時間労働が行われていて、
肺結核などの呼吸器疾患等で
若者が次々死んでいったという立法事実がありました。
戦争という24時間労働もあったでしょう。

良く、昔の人は朝早く夜遅く働いても長生きした
とかいう人がいますが、
長生きした人だけを見ているからそうなのであって、
実際は、多くの若者が死んでいったのです。

「早死に防止」は、松岡三郎先生という
当時、労働基準法の立法作業に役人として携わった方が
労働基準法の教科書で記載されています。
この教科書も、「過労死」という言葉が生まれる前に著されています。

つまり、労働時間制限は
過労死防止だけの制度ではないということです。

さらに、私は労働分野だけでなく
夫婦問題親子問題も手掛けていますが、
長時間労働がもたらす家庭への影響を
もっと考えるべきです。

親子が一緒にいる時間が少なければ
家族は壊れやすくなるというのが私の実感です。
徳に夫婦はそうです。

さらに、疲労が蓄積していけば
イライラが高まっていきます。
夫がそのような状態だと
妻は必要以上に疎外感を感じ、
危機感に敏感になってしまいます。

長時間労働のある会社は
職場全体が殺伐として生き
無駄な決まり事も増えていきます。
そういう決まり事、社内常識を
家庭に持ち込んでしまうと
さらに家庭はぎくしゃくしていきます。

つまり、長時間労働は、
人間の生命、身体の健康をまもるということと
対人関係の悪化を防ぐということから
人間の安全を守るための制度だと私は考えます。

労働者の健康を守る制度は労働時間制だけではありません。

例えば高所作業の場合は、
ヘルメットを着用し、安全帯を設置すること等が定められています。
もちろん身体生命を守るためです。

もし、その高所作業員が年収1075万円以上だったら
ヘルメットを着用させなくてもよい、
安全帯を設置しなくてもよい
ということになったら、誰でもおかしな制限撤廃だとわかるでしょう。

どうして、労働時間法制だけ撤廃してもよいということになりましょう。

おそらく、高所作業の場合、
ヘルメットや安全帯を着用しないことの危険が
誰でもわかりやすいからなのでしょう。

しかし、時間外労働が多くなればなるほど
死ぬ確率も増えるということは、
ほかならぬ厚生労働省が啓発していることなのです。
厚生労働省は、月45時間以上の時間外労働があれば
過労死になる可能性が高まっていくとしています。

これが、月100時間以上働いても
違法にならないとすることとどう整合するのでしょうか、
年収が高いことと何か関連するのでしょうか。
何も関連しません。
年収が高いからと言って過労死にならないという理屈はありません。

過労死という言葉がなかった時代に
8時間、48時間労働時間制を作った
日本の官僚たちは、先見の明があり、
日本という国を、国民の幸せのための制度にする
という気概が感じられます。

それから、医学的にも進んで、
長時間労働の害悪がいよいよ明らかになってきた今日に
労働時間制度を一部廃止するということは
他の労働法制と全く整合しません。
法律の専門的見地からすれば「めちゃくちゃ」です。

現在進められている高度プロフェッショナル制度は
月あたり100時間を上限としていますが、
過労死認定基準で有害とされている
2週間以上の連続勤務を許しているということもあります。
また、暦の上の月ということですから、
5月と6月で2カ月なので、合計200時間までは良しとされてしまいます。
その結果、5月の後半と6月の前半に時間外労働を命じれば、
30日あたりで100時間を大きく超える労働を
命じることが違法とされなくなってしまいます。

むちゃくちゃの上をゆく悪法です。

このような法律の整合性もなく、
労働者やその家族を追いつめる制度を
国民の税金で生活している官僚たちが進めていることに
どうしても納得できません。

政府は財界の意向を受けてい行っているという報道もありますが
私は信じられません。
労働者に月100時間近く時間外労働をさせる会社で
即ちそういう無茶な労働をしなければならない会社で
長期的に見て反映する会社があるでしょうか。

時間外割増賃金も支払わない会社が多いということは
日本経済が破綻寸前だと考えなければなりません。
われわれが会社が危ないかどうかを見極める指標として、
賃金の不払いや遅延があります。
こういう会社は早期に見限るべきだということが常識です。

日本経済はそういう状態なのでしょうか。
これでは、世界経済の中で孤立していくでしょう。
財界は、自分たちの経済的信用をかなぐり捨てて
何を勝ち取ろうとしているのでしょう。

グローバルな取引をする企業こそ
日本企業の信用失墜を防ぐために
高度プロフェッショナル制度に反対するべきなのです。

このままでは、高度プロフェッショナル制度は成立するとのことです。
一部の動きとして、労働者に解約権を作るとか言っています。
ないよりましかもしれませんが、
そういう対等の立場で解約できないから
労働基準法があるということを理解しない
とても恥ずかしい議論だと思います。

私がこれに反対しないことは、
私がこれまで学んできた労働関連法規、
法律を守るという実務家のキャリアをすべて否定するものです。
だから私はこの法案に反対します。


  
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「高度プロフェッショナル」という名称にまつわる誤解が利用されている [労務管理・労働環境]


高度プロフェッショナル制度とは
対象者は年収1075万円以上で、
研究開発や金融商品のディーリングなど高度な専門業務
という労働者を対象に、

労働時間の上限を撤廃し、
時間外割増賃金制度の適用も外す
というものです。

「高度プロフェッショナル」という言葉は
誤解を生みやすい効果を狙っての名称でしょう。

あたかも、
自分で自由に働き方を決められる立場の人
という印象を持ちませんか。
こういう立場の強い人であれば、
保護はいらないのではないかと
うっかりすると考えてしまいます。

しかし、こういう人たちは
現在はあくまでも労働基準法の適用を受ける労働者なのです。

つまり、使用者の指揮命令に従って労働をしなければならないので、
自分で勝手に仕事を作って働いているわけではありません。
個人事業主ではないのです。

この労働者と言えるかどうかのメルクマールについては
1985年に労働省労働基準法研究会報告が提唱しているものがあります。
それには、
1 仕事の依頼を拒否できない
2 仕事をする際には、上司の指揮監督に服する
3 労働時間、就業場所は使用者に従う
4 他の人に変わってもらえない
5 報酬の算定方法は使用者が決める
となっています。

つまり、これから、
高度プロフェッショナルの名のもとに
労働時間規制がなくなり、
時間労働が支払われなくなる人たちは
概ね1から5の基準を満たす人たちなのです。

名称に惑わされてはいけません。

では、どうして、そういう労働者には
労働時間の制限があり、
時間外労働をさせる場合に割増賃金の
支払義務があるのでしょう。
これは、違反すると刑事罰の対象となります。
そこまで強く守らせようとしたのが
労働基準法の立場ということになります。

労働時間を厳しく定めた理由は、
労働者を早死にさせないためです。

なぜ、私がそう言い切れるかというと、
官僚として労働基準法を作った人から
私は労働基準法を教えてもらったからです。
松岡三郎先生と言って、
私が教えていただいた当時は明治大学の教授でしたが
私の大学にも教えに来ていただいていました。

その先生の著書に明確に記載されています。

その著書を表した当時は、
まだ過労死という言葉はありませんでした。
労働基準法制定当時も(1947年)
過重労働による脳・心疾患という概念はありませんでした。

但し、戦前も、過酷な労働状況の中で、
結核や肺炎、栄養失調、消耗等で
若い命が失われていきました。
これは常識でした。

だから、当時、
1日8時間まで、1週間48時間まで(現在40時間)と定め、
違法な長時間労働を罰則付きで禁止したのでした。

そうして、時間外労働の場合、
なぜ割増賃金を義務付けたのか
(時給1000円の人は1250円とか)
というと、
コストを高くすることによって
時間外労働を抑制するためでした。

管理職は、時間外労働で割増賃金は尽きませんが
深夜労働(午後10時から午前5時)は
管理職であっても割増賃金がつきます。
深夜労働の危険性
早死にしやすいということから
制限をきつくしたわけです。

この考え方は法律制定当初の考え方だけではなく、
昨年の最高裁判決(平成29年7月7日判決)でも
「労働基準法37条が時間外労働等について
割増賃金を支払うべきことを使用者に義務付けているのは,
使用者に割増賃金を支払わせることによって,
時間外労働等を抑制し,もって
労働時間に関する同法の規定を遵守させるとともに,
労働者への補償を行おうとする趣旨によるものであると解される」
と明確に述べています。

さて、高度プロフェッショナル制度は
年収が1075万円を超える職種とされています。
これだけ年収があれば、
労働時間の規制が無くてもよいのでしょうか。

これだけ年収があれば早死にしてもよい
ということにはなりませんね。

これだけ年収があっても、
時間外労働を余儀なくされれば、
やはり、くも膜下出血や心筋梗塞、
あるいはうつ病による自死などの危険がでてきます。

これだけ年収があっても
使用者が仕事の内容、どこまでやるか
ということを一方的に決めますし、
賃金の額も一方的に決めます。

労働者は仕事をせざるを得なくなって、
過重労働をする可能性も
大いにあるわけです。

なぜ年収が高ければ
労働時間の規制を外すことができるのか
全く理由はありません。

政府は、裁量労働制の統計がでたらめだったことを受けて
高度プロフェッショナル制度以外の裁量労働制は引っ込めました。
しかし、財界の不満を受けて
高度プロフェッショナル制度は残すと報道がなされました。

結局、
労働時間の規制をする必要性はあるけれども、
財界の要請で規制を撤廃する
という報道だということになります。

財界の要請を受けて
早死にの危険に目をつぶるということです。

厚生労働省というお役所は
労働者の健康や福祉を促進する役所ではないのでしょうか。

ノルマの無い研究開発
労働に従事する時間帯が限定されている
金融ディーリング
そんなものはありません。

労働者の命の危険を分かっていながら要請する財界
労働者を使い捨てなければ企業が成り立たないとすれば
日本は何とも貧しい国になったと言わざるを得ません。
しかし、この制度は
タコが自分の足を食べるような
優秀な労働者を消耗し、
優秀な労働者をそのような業種から遠ざけることにつながりますから、
どんどん兵力が消耗していくだけです。

第二次世界大戦の末期の様相を呈していると思います。
効率よく儲かる仕事に
職種転換をすることを
気が利いたコンサルタントなら勧めるところでしょう。


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