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企業不祥事の際の第三者委員会とは  [労務管理・労働環境]


現在テレビ局の不祥事で、「第三者委員会」が話題になっています。日弁連のガイドラインという言葉も出ているのですが、これは必要最低限度の準則を定めているだけです。このガイドラインだけでは第三者委員会が何をするのかよくわからないのではないでしょうか。
<第三者委員会の目的>
第三者委員会は、企業を糾弾するためにあるのではなく、企業の再生に向けて調査、提言をする組織です。もっとも、実利的には、きれいごとだけではなく、第三者委員会の調査によって、当該企業が再出発する可能性のある企業だという信頼を回復して、安心して取引をしてもらい、落ち込んだ取引、収益を回復させる目的があります。
つまり否定評価するだけでは足りないということです。しかし、甘い評価だと、再発が懸念されてしまいます。そうするとせっかく行った調査委員会の調査検討が無駄になってしまいます。過不足なく科学的に調査検討する必要があります。(あたかも刑事弁護で、被告人がやった罪を軽減する弁護だけをすると説得力がなくて弁護をした意味がない判決が出るようなものです。)

<調査検討するべき基本事項>は目的を踏まえると以下の通りです。
1 どのような事実が起きたのか。
2 その事実の問題点ないし評価
3 その事実が生じた原因(短期的原因と長期的原因=体質)
4 原因を除去するための必要事項
5 同種行為が再現されないための方策
こんな感じでしょうか。これは、起きた事実によって多少のバリエーションが生まれるでしょう。抽象的な言葉で反省をしてしまうと、説得力がありません。取引先はそんな抽象的な文言では納得しません。なるほど、こういう改革を実際に行うのだなということが絵に描けるように説明されることが有効です。

<第三者委員会の構成>は以下の通り。
1 弁護士 
  わかりやすく言うと、特別予防型刑事弁護そのものです。処罰されるわけではありませんが、「反省」を述べて、再発防止の援助をするということです。また、事実認定と事案の原因究明においても、本来弁護士は職業的に鍛えられているはずです。繰り返しになりますが刑事弁護と構造的には同じことをします。ただ、近年の弁護士が本当に実務的にこのような作業をしているのかは怪しいところがあるので、人選は吟味する必要がありそうです。
弁護士は、複数名いた方が良いと思います。
2 公認会計士
  企業の場合は、経営問題だけでなく不祥事についても、適法性監査、妥当性監査の視点は必要だと思います。また、将来的な再建の提言をする場合も公認会計士の知識と経験は有効だと思われます。
3 心理学者(社会心理学)
  企業不祥事は、一人だけの責任で起きるということはほぼありません。これが横領事件だとしても、それを許してしまう制度的隙間、人間関係の隙をついて行われることが多いでしょう。また、その他の不祥事で、不祥事を見ていたり、知っていたり、あるいは加担したしながら有効な対策につながらない場合やとるべき対処をしない場合もあります。どのような人間関係であったために、その不祥事が完成し、長期にわたって続いたのかということを、集団心理のプロが分析する必要があると思われます。科学的な評価、再発防止策を行うなら専門家を入れるべきです。
4 その他事案に応じた専門家
  その事実に通じている人が入ることが必要なことがあります。ただ、逆に、その不祥事の背景を理解しすぎて寛容になってしまうと第三者委員会という外部者の視点が損なわれる可能性もあるので、微妙な話です。

<どのように依頼するか>
実はなかなか難しいのは、委員の人選です。
委員の人選にあたって、一番気にする必要があるのは<公正の外観>です。例えば、その企業の顧問弁護士やよく事件を依頼する弁護士を第三者委員会にすることはよろしくありません。経営陣との人間関係によって調査をその経営陣に不利にならないようにまとめると思われてしまうことは第三者委員会を開催する目的を達することがなくなってしまうからです。

弁護士会などの団体からの推薦を受けるということが一つ考えられます。これは公正の外観としては文句のつけようがないのですが、人選に時間がかかるという問題が確かにあります。例えば、公認会計事務所など、外部監査をする大きな事務所で、その企業に関係のない事務所に人選をゆだねるということも選択肢としてはありうるのかもしれません。

なぜ、公正が必要だと言わないで、公正の外観が必要だと言ったかというと、おそらく顧問弁護士であっても、日弁連のガイドラインにしたがって誠実に調査検討をすると私は思っています。手心を加えるということは実際は難しいことです。また、根本的には企業の再建、将来の維持のために行うわけですから利害対立はないはずなのです。しかし、弁護士と企業担当者の付き合い方は、その企業、その弁護士それぞれですが、長い付き合いともなれば個人的癒着を疑われることは致し方ないところです。せっかく第三者委員会を開催するならば、そのような無駄な疑惑の持たれない形で行うことが目的に適うということなのです。

人選自体が、第三者委員会を開催する目的に関連するので、第三者委員会の委員のメンバーは公表することが望ましいのは間違いありません。

<期間の問題>
このとおり本格的な第三者委員会の調査をするならば、テレビ局の問題は数年かかってもおかしくありません。しかし、3月末までに調査結果をまとめるということが発表されています。これでは、第三者委員会をせっかく開くのに、期間が短すぎるために、きちんと調査と評価を行ったと評価されない位という心配が出てきてしまいます。

もっとも、取引の回復の観点からは、早期回復を求めたい、次の取引時期に間に合わせたいという意向も分からなくはないです。これが仮に、取引先との間で、第三者委員会の調査と報告があれば、取引を再開するという密約があらかじめあるのであれば、それでも良いのでしょう。しかし、そうではない場合は期間の短さによって第三者委員会を開催した目的が失われてしまう危険性も考えるべきだと思います。

とりあえず、3月末は「第1次報告」という形にしておくことをお勧めする次第です。


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うつ病休職からの復職支援シンポジウム 1月28日2時から仙台三越定禅寺館6階で 参加自由、予約不要、費用不要 [労務管理・労働環境]


上司からパワハラを受けてうつ病になり、約11年の間に合計1000日余りも休職した教員が、復職を果たし、現在も就労している県でのシンポジウムです。

公務災害認定や裁判の勝利なども、大きな足跡として発表をしたいところなのですが、今回は、どうしてそれだけ長期の休職をしていた人なのに、復職ができて、しかも就労が続いているのかという点にスポットを当ててシンポジウムを行います。

まず、復職が簡単でない理由が明らかにされます。一番はうつ病に対する理解が不足しているということです。うつ病の症状は、人によって大きく違うところであること、波があって固定されたものではないことを家族の視点からお話があります。これは画期的なことです。うつ病者本人が気が付かないことも家族は気が付いているのです。とても参考になると思います。

また、うつ病の人にかけてはいけない言葉について、体験をもとにして紹介します。どうしてそれを言ってはダメかということを、その善意の言葉をうつ病の人はどう受け止めるかということを丁寧に説明していきます。

次に、うつ病の人が復職するにあたって、本人の考え方、周囲の支援の仕方について実体験に基づいて話していきます。必ずしも万人がその方法を踏襲できるとは限らないのですが、それではどうしたらよいかということに議論が進むと良いなあと思っています。

興味深いことは、ネタバレになりますが、「うつ病が治るまで復職はできない」という固定観念を捨てることがキーワードになりそうなところです。逆に復職して新しい人間関係を形成しながら、仕事モードに乗せていくというか、そのあたりのことは当日お話があると思います。

テーマとしては、一度うつ病にり患しても、人間関係の中で生きる喜びを再発見していくということになりそうです。

逆に、周囲の人もうつ病を理解して、うつ病者を支援していく中で自分の生きる喜びを獲得していくこともまた真実だと思います。

話はきれいごとでは済まない事情もあります。報道によると、休職している公務員が膨大な人数になり、休職期間も長期にわたります。例えば公務災害だったり、たとえば傷病手当金だったり、あるいは賃金が保障されている休職だったりするわけです。膨大な費用が掛かっているという現実があります。

うつ病者の復職を進めていくことは、就労して給与を得るという原則に戻ることですから、財政上健全な話になります。

さらに一歩進めて、うつ病を生まない職場づくりができれば、うつ病休職者は減っていくはずです。益々、健全な財政を確立することができます。そして、労働者の人権も守られるというウインウインどころではない話になります。

世の中、特に職場は、変な先祖がえりをしているところがあるようです。しかし、昔の職場は、ストレスを高める要素と、それを軽減する要素があったのだと思います。それを軽減する要素がないままに、ストレスばかりを高めているところに問題の根源があるように思っています。そのヒントを獲得できるシンポジウムになると思っています。

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組織をまとめるという意味 サブリーダー論 [労務管理・労働環境]



少し前の記事で、アイドルについて述べていたのですが、実のところ、現在のアイドル全般について詳しいわけではありません。少し盛って話したような気がします。ある程度知っているのは、ハロープロジェクトのアンジュルムというグループです。後はモーニング娘。25の人たちの顔と名前が一致して、少し知っている程度です。

アンジュルムというグループを深掘りしたきっかけは、ある若者とコミュニケーションをとるネタにするために動画などを見ていたこと、趣味の音楽演奏の練習をしていた時になぜか時々アンジュルムというグループの宣伝や楽曲(本当はスマイレージだった)の取り上げ動画に遭遇していたことでした。

2年近く前に当時リーダーだった竹内さんについて、労務管理の観点から理想のリーダー論ということで記事にもしました。しかし、その後も細々と研究を続けていたのですが、どうやら、組織を動かすのはリーダーの役割だけど、組織をまとめる人間もまた必要不可欠であるのではないかと思うようになっていました。昨年11月28日に芸能界を卒業した川村文乃さんを調べていくうちにそのような結論に落ち着きそうです。

目的を持った組織というのがあります。会社で言えば利潤を追求する目的ですし、スポーツチームではより強くなろうという目的、大会で優勝しようという目的があると思います。家族や友人関係は、その場にいて安心してくつろぐことが目的だともいえるかもしれません。

今回はどちらかというと外向きの目的を持った人間関係についてのお話になります。

リーダーは、そのチームのパフォーマンスの方向を示すという役割があります。チームとしての期首目標を立てたり、その目標に向かって鼓舞激励するとか、方法論(方針)を提示するという仕事が求められていると思います。リーダーはチームの権威であり、リーダーの価値観に右ならえして構成員が活動することで有機的な活動が可能となります。

しかし、チームの数が多くなるほど、構成員の個性に違いが出てきます。なかなかすべての構成員が一斉に同じ方向に動くということは現実的には難しいところがあります。また、構成員同士の軋轢が生じるとか、なんとなくそりが合わないという現象も起きてきます。そうやっているうちに、誰かが組織の中で浮いてしまったり、攻撃的になって雰囲気が壊れてしまったりして、組織に致命的な障害が生じることもあります。

そこまでひどいことにはならないとしても、各人のパフォーマンスが発揮されないで埋没してしまうことが、現実的な不具合として現れることでしょう。やはり人間組織は、協力し合い、フォローしあうことで強靭な力を持つもののようです。

ここで必要な役割がサブリーダーです。がむしゃらに前に進むだけではなく、組織全体を見て、パフォーマンスを発揮できない人間関係を修復していくという作業、遅れているメンバーを組織のラインに復帰させるという役割を果たす人がいれば、組織のベストパフォーマンスを作り出すことができます。特にポテンシャルが高いメンバーが能力を発揮できないことほど組織の損失はないように思われます。サブリーダーの役割は、組織から見れば生産性を高めることに直結しているわけです。

このサブリーダーも戦力ですから、そういうサブリーダー的行動をしていることが自分の組織的行動への関与を弱くする言い訳になってはいけません。自らは、タスクをやりこなしたうえに全体も見るという、考えてみれば離れ業をやってのけることが求められるわけです。だから誰でもそれができるというわけではありません。

その方法論は現在も確立されていないようで、個々人の人柄に依存している傾向があるようです。共通する事項があるように感じられました。

先ず、優しさということになります。これはすべてを許容する優しさではなく、現状を許容した上で修正の方法を一緒に考えるという作業を行うことです。それでも、誰が浮いているか、誰がチームに溶け込んでいないか、誰が反発を感じているのか敏感に察知して、「それはまずい」と感じる「こころ」があることが必要です。

次に必要なことは是正能力です。対象メンバーに変化を求めることはあるのですが、それは受け手の理解力が無ければ逆効果になることもあるでしょう。最初にする是正行為は、「自分があなたの味方である。」ということを理解してもらうことです。この過程はオープンに行うことが必要です。反発するメンバーからは「えこひいき」と受け取られることを恐れない行動が求められます。いわゆるいじめの防止には、これが最も効果的です。また、反発をされないくらいの仕事上のパフォーマンスの圧倒的力量もあるとよりよい効果が得られます。ただ、対象者を浮かせているメンバーに対しても敵対的な対応を取らないで仲間として接することも必要です。ここがお人柄以上の理論的な方法論が出にくい部分です。

そして、リーダーと対峙することです。サブリーダーの役割は、いわばリーダーの推進力から零れ落ちたメンバーを拾うことです。行動の過程では、リーダーの方針に真っ向から反対を言うような行動になることもあります。リーダーからも一目置かれている立場でなければなりません。ただ、反対勢力になるのではなく、通常時はリーダーの呼びかけに真っ先に応じる行動をとり、リーダーを立てる、リーダーの権威を高めることが組織の一体性を高めることだということをよく理解して行動していることが必要です。


つんく♂さんがアメリカの何だかっていうシステムを日本に導入してモーニング娘。を立ち上げてから、女性アイドルグループには卒業がつきものになってしまいました。偉大なサブリーダー川村文乃さんも卒業してしまいました。グループ内に波乱要素が見え隠れするようになり、ジジオタとしては不安要素もあるところです。「推しも卒業したし、もういいかなあ。娘。に『推し変』しようかな。」とも考えてしまいます。しかし、偉大なサブリーダーが作り上げた結果と、自分が卒業した後のことを考えていた節のある事の結果も気になるところです。

尊敬できる若者を見つけることは、ジジイにとって生きる喜びです。年配者は、謙虚に若者から学ぶことができれば若くなることができるのかもしれません。

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弁護士のパワハラ講習だって面白くなく、実践に役立たない理由がよくわかった件 兵庫県議会問題③ [労務管理・労働環境]


ユーチューブで兵庫県議会の満場一致辞職要求の問題を追っていたら、ある動画のコメント欄に弁護士会がパワハラはあるし、公益通報者保護法違反だと言っている動画あるということを見つけました。こういう自分が傾いている意見と反対の意見はとても大事であり、問題の所在を見落とさないためにも話を聞くべきだと思うので、その動画を見てみました。

そうしたら、弁護士会の公式アカウントなのに、そこで言っている話は発言者の個人的見解だとテロップが挿入されていました。これは通用しないと思います。このテロップを出すならば、反対意見の動画も出すべきです。しかも、兵庫県の問題をあからさまにサムネに掲げていますから、その弁護士会が内容に責任を持たなければならない動画だと思います。

その動画では、パワハラに詳しい弁護士がでてきて、こういう言葉を使ったらパワハラに当たるとか、こういう行動をしたパワハラになるという個別的な解説をしていました。その上、知事は報道によるとこういうことをしていたから知事はパワハラをしていただなどと言っているのです。

少なくともこの先生よりは、私はパワハラの案件を多く行っていると思います。パワハラに詳しい弁護士としては、とても怖くて、こういう風に事実関係のわからない事案をもって、弁護士としてこれはパワハラに該当するとかしないとかということを言うことができません。

この動画の最大の疑問は、パワハラと認定されればどのような効果が生まれるかということなのです。「パワハラ」とか「DV」とか「虐待」という言葉を使えば、物事がすべて解決するという意識を持たされている人はたくさんいます。言葉に該当するかどうかですべてが決まると誤解させられているわけです。しかし、労災認定の現場でも、損害賠償の現場でも、その言葉を使ったからと言って何か結論が決まるということはありません。

ユーチューブで拾った動画で、知事がパワハラしているという証拠として、「パワハラをしている者は自分がパワハラをしているという自覚を持てない。だから、こういうことを言うやつはパワハラをしているのだ。」ということが「正論」として取り上げられていました。これが論理的に間違っていることは、とても分かりやすいです。「パワハラをしている人の中にも、自分がパワハラをしている自覚がある人もいる。」ということが第一の誤りです。「実際にパワハラをしていないから、パワハラをしているという自覚が無い。」という命題も成り立つ命題です。従って自覚がない人はパワハラをしているというのは、論理的整合が無いことはくどくどと説明するまでもないでしょう。「パワハラ」という用語だけで正義感が発動してしまい、思考が停止していることを端的に表す好材料だと思いましたので紹介します。

さっきのパワハラ解説動画の問題点について話を戻しますが、パワハラだということで何をしたいのかということによって、実はパワハラのカテゴリーは変わっていきます。

① 損害賠償を請求したい場合
② 精神疾患を発症したので労災を申請したい場合
③ パワハラ行為に対して懲戒処分を求める場合
④ 社風を良くして、従業員のモチベーションを高めたい場合

① と②が、その上司などの行為が、相手の精神を損害するような行動でなければなりません。例えば、部下から報告を受けたとき、それが上司の専権行為であるにもかかわらず、勝手に部下が上司の印を押して決裁してしまい、それが上司や会社の方針と全く違う行動だった場合に、机の一つも叩きたくなるし、それは損害賠償や労災の対象となるパワハラにはならない事情となると思います。だから行動から直ちにパワハラになるという説明してしまうと、それを聞いた人は真に受けてしまい、無謀な行動に出てしまい、かえって不利益を受けてしまうということがあります。実際にパワハラを受けたという相談を聞くと、そういう何らかの行動だけでパワハラが成立するという誤解をしている人がとても多いのです。
③ 懲戒処分も同様です。パワハラかどうかではなく、懲戒処分に値する企業秩序を乱したかどうかということで懲戒処分の是非と程度が決まります。パワハラだということで直ちに懲戒処分をしてしまうと、後で大きな賠償を払わなければならなくなる事例もあります。
④ だとしても、一つ一つの行動がパワハラになるというよりも、全体としてどうあるべきかということを一緒に考えることが第一になると私は思います。個別行為がパワハラに当たるかどうかというスタイルの説明は、その講習で話題にならなかった行為については考える力をもてません。とにかく暗記を求める形式の講習だからです。また、こういう講習では裁判例に出てきたような極端なパワハラの事例を説明することが多く、日常の業務で出てくる行動はパワハラに当たるのかがわかりづらいです。また、どうしてパワハラがだめなのかということについてきちんと説明しないでカテゴリーの問題でかたると、応用が利きません。第一聞いていてつまらないです。すべて暗記が必要な企業研修が多すぎるように思われます。もっと、従業員のモチベーションを上げるとか、会社全体の業績を上げるために、どのような上司と部下の関係が望ましいかということから掘り起こして、パワハラが全てにおいて有害だという説明をするべきだと私は思うのですがどうでしょう。私の講習スタイルは、こういうことです。そもそもパワハラに詳しい弁護士ならば、パワハラがった否かを考える場合は、個別事情を一つ一つ検討して終わりではなく、総合的に判断して結論を主張します。そうしないと裁判でも労災認定でも何の役にも立たないことは実感しているところだと思います。

未だにこの動画が削除されていないことは、人権擁護と社会正義の実現を目指す弁護士の団体としていかがなものかと思うのです。前回のいじめの構造の記事で言えば、第三者の攻撃参加の行動であると評価されてもやむを得ないでしょう。


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満場一致のパラドクス 全議員一致の辞職要求で、逆に疑惑が芽生え始めた。兵庫県議会問題① [労務管理・労働環境]



この問題正直あまり関心がありませんでした。テレビを見ないのであまり情報が入ってこなかったのです。現在の視点を持てた大きな理由がここにあるでしょうね。但し、全議員一致の辞職要求の前にも、知事が物品を要求したという話しは知っていましたが、その要求されたという観光協会から、「そんな要求はない」と公式に発表されたり、要求の音声を聞いたことがあるのですが、その音声は社交辞令、あるいはその物品に対する賞賛以上の意味が無いように受け止めましたし、渦中の知事をあえて応援する動きが出てきたりという情報は得ていました。

そういう背景がありながら、議会の辞職要求が満場一致で行われたという情報を得るまでは、あまり関心はありませんでした。満場一致での辞職要求ならば、それに見合う不適切な行動がなされているはずなのですが、もともとのテレビのキャンペーンを見ていないので、情報の蓄積が無く、その場での報道だけでは、「え、この程度で満場一致?」という疑問が出てきたのです。

実は、一番議会が疑わしいと感じたのは、この「満場一致」というところにあります。多数決で満場一致というと、一般には、その判断は正しく、信用に値する判断だと思って当然だと思います。しかし社会心理学の用語には「満場一致のパラドクス」という概念があります。

満場一致のパラドクスというのは、「何かの判断を多数決で決めるときに、満場一致で決まる場合は、その判断は正しくない、あるいは信用に値しない可能性が高い」ということです。つまり、満場一致というのは不自然な現象であり、何かの意図と力が働いて、本当に判断するべき事項を判断せずに、別の思惑で意見を意図的に統一させている可能性があるというのです。

ワンマン社長の取締役会が典型例ですが、会社の命運にかかわる事項なのに、その事項について十分調査したり検討をしたりしないで、ワンマン社長の意向を忖度して「ワンマン社長ならこちらの意見だろう、この意見に賛成しなければ自分が干されてしまうから賛成しよう」等の圧力がかかり、会社の命運について考えずに自分の保身で満場一致になるようにするというような場合です。

二代目社長が、会社のことをよくわからないで、無責任な経営コンサルの意見に機械的に従って、従業員に無理難題を押し付けた挙句、勝手に契約違反の待遇をして、あっという間に老舗会社が倒産してしまった例も職業柄見ています。

もちろん、県議会では、誰が見ても賛成するべきだという決議事項があり、これは通常議会最終日に決議がなされるようです。こういう事務的な判断については、満場一致は通常のことです。でも、この場合でも、推進会派が最大会派と意見調整をして、最大会派から決議案を提出して、各会派に多次元的な説明を行い、全会一致にする努力をしたうえでの結果です。これは、私もこの決議案の原案に関わったことがありますので、宮城県議会の議員の皆さんの真摯な姿勢と、何をやるべきかという良識についてはよく見ています。

しかし、県知事の辞職要求という、本来は意見が分かれることが自然だろうと思われる事案について、最大会派の自民党や立憲民主党だけでなく、維新や共産までもが一致して提出したということになれば、辞職の是非について意見が一致したのではなく、何か別の思惑があり、辞職の結論だけが一致したとみるべき可能性を考えなければならないと、「満場一致のパラドクス」の教科書的な結論です。

私は、この「満場一致」の辞職要求のニュースを観て、兵庫県議会問題にがぜん興味を持ち出したわけです。

そういうわけで、うっかりN国党の立花孝志氏等のユーチューブを週末に見てしまい、何カ月ぶりかで夜更かしをしてしまいました。

インターネット上では、議会に対する批判的な動画が、圧倒しているように思われますが、それは私の視聴動画の傾向からそういう動画がおすすめされているだけかもしれません。特に私が登録をしている時事系ユーチューバーもこの問題を取り上げていませんから、もしかするとそういうことかもしれません。しかし、テレビが全く報道していないのはいかがなものだろうと思い、今さらテレビや新聞に期待を寄せている自分にも驚きました。これは暇空茜氏の問題でも同じことが起きていました。別件の取材でテレビや新聞の記者とこの問題を話した感想として、どうやら記者にはかん口令が敷かれていたような印象さえ受けました。

選挙期間に突入してしまったことで、ますます報道しない傾向になっているのだと思います。なお、この案件は、社会心理学、労務管理、法律と、様々な基礎的勉強に役に立つ格好の事案なので、短期集中でシリーズ化したいと思います。

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何回話しても伝わらないもっとくだらない理由 職場編 Inspired by 今井むつみ先生 「何回説明しても伝わらないはなぜ起こるのか?」(日経BP) [労務管理・労働環境]



今井先生は認知心理学者で発達心理学がご専門のようなのですが、こう言う先生が実務型の書籍を敢行することはとても素晴らしいことだと思います。本書は、認知心理学でどのようなことが役に立つかという具体的なサンプルを掲げているうえに、引用文献が入門者にふさわしいものが目白押しになっており(ダニエル・カーネマン、エリザベス・ロフタス等)、認知心理学の入門書としても最適であると感じました。

本書は、ビジネスでもっと向上したいという人がターゲットになっていると思われます。この本を読んだ多くの人が認知心理学に足を踏み込んでいただけるのではないかと思います。

おそらく、今井先生は、この本の読者としてビジネスエリートたちを念頭に置いているのだと思います。その人たちにとっては、いろいろ考えぬいてもうまくいかない原因を見事に分析され、対策も効果的なものだと感じました。私の話はもっとくだらないものですが、もっと身近なものです。

さて、これまでの事件や実体験で実際に出てきた、上司から部下に対して話が通じない理由を振り返ってみます。

<上司から部下への話が通じない>
1 誰が聞いても話が通じない場合
  自分が部下にしてほしいことがあるのだけれど、言語化されていないケースです。言ったつもりになっているけれども誰が聞いても伝わらないということはしばしばあります。私自身も体験もしています。今井先生の著作にもありましたが、自分が置かれている現状を自分が理解しているように、相手も理解しているとつい思ってしまい、指令だけをしてしまうということです。典型的な表現は「あれやっておいてね。」そして足早に去っていくとか、それが何をさしているか聞くと怒られるから聞かないという習慣ができてしまっている場合です。部下は何もやらないか見当違いのことをすることになってしまいます。話が通じない理由はこれが一番でしょうね。自分の指示が下手だったと気が付く前に部下に対しての怒りが発動してしまうので、引っ込みもつかなくなります。

2 それは新人には伝わらない
  同様なことは新人に対しての指示の場合に起こることが多いようです。新人は、その仕事に対して十分な知識・経験がありません。それにもかかわらず、うっかり知識・経験があることを前提にした、省略をして指示を出すことが見受けられます。上司は自分の話が伝わらないのを見て、イライラして、部下に対して「常識が無い」とか「自分の頭で考えろ」とかいうわけです。わかるように伝えていると思っているので、そうなってしまうのでしょう。特に部下がわからないとはっきり言うと、部下から自分の指示が悪かったと生意気にも指摘していると感じてしまい、自分を守るために部下に対して攻撃的言動をしてしまうこともあります。

3 忙しすぎると伝わらない。
 1や2の事例は必ずしも上司が相手の気持ちを理解できないということにあるわけではないようです。むしろ忙しすぎて時間が無いときに起きやすいです。人間は二つのことを同時に行うことが苦手です。体の痛みさえ、一番痛いところしかいたいと感じない側部抑制という生理学の知見もあるほどです。
言ったつもりになるとか、相手の状況に即した指示ができないということは、忙しいからこそ起こりがちなミスということが言えます。他人を動かすことはなかなか難しいことだということを前提に考えなければうまくいきません。

4 モチベーションがかけ離れている
 上司はさらなる上司からねじを巻かれて、少し無理な売り上げ目標を達成しようとしています。部下は、自分のプライベートまで潰して頑張りたくはありません。このようにモチベーションが乖離している場合、上司が熱を込めて説明をしても、部下は初めからできない、やらないと決めていますから、話を聞きながらも、「どうごまかそう」ということを考えながらきいていますので、上司の指示通りの努力は結果として実現しません。

ぎりぎりのときこそ、モチベーションを高めることから始めることによって同じレベル、同じ土俵に立って話をすることが鉄則ということになります。そのためには普段から、部下に対して会社という群れの一員だという意識を持つための働きかけをすることが肝要です。ボランティアを強要していたのでは仕事になりません。

5 頑張っても評価されない
成果主義的労務管理が一般化されていますが、この制度の一番大きな課題は公平公正な評価がなされることにあるようです。年功序列ならば、労働の対価からみれば不合理な場合もあるかもしれませんが、公平に年齢で賃金が上がれば仕方が無いと割り切ることもできたと思います。
しかし、成果主義的賃金体系になっても、自分が頑張って成果を上げているのに、上司の偏見で、自分より低い成果しか挙げていない者が高評価を受け、反動的に自分の評価が上がらなければ、モチベーションは下がっていきます。頑張ることがバカらしくなるわけです。成果主義手労務管理は、とても難しいデリケートな労務政策であることを頭に入れておく必要があります。

6 部下の意見が上司に届かない
 逆に部下が、新しい視点で職場慣行の不合理な点を指摘したり、顧客と接して感じたことで改革を提案しても、その意見が受け入れられないことがあります。この場合は部下が素朴に会社の発展を望んで、そのためのアイデアをだしているのですが、上司に響かないということが起きています。一つには上司の発想は、そんなことより決められたことを遂行しろということで一杯になっていて、部下の貴重な提案が頭に入ってこないという現象が起きていることが考えられます。

二つ目は、現状を変更するということに対してアレルギーがあること、自分たちが慣れ親しんだ慣行を無くするということに対する不安が先行している場合です。こういう場合も、何かと理屈をつけて、変更を前向きに検討することをはじめからしないという現象が起きています。

このように糠(ぬか)に釘みたいな反応のない上司ばかりだと、部下もあきらめムードが強くなり、即ちモチベーションが下がっていきます。ますます上司の話が耳に届いても頭に届かないことが起きやすくなるわけです。




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楽天は、今が企業イメージを向上させるチャンス パワハラを無くすという目標ではなく、ゼロの先のプラスの目標を掲げて実践するという提案 [労務管理・労働環境]



と私が提案してもどうなるものではないのはわかっています。同じような状況にある企業の担当者さんが偶然読んでヒントにしていただければと思って書いています。

<パワハラ不祥事の直後こそ企業のイメージアップのチャンス>

パワハラがあったこと自体が企業の生産性が阻害される要因になります(モチベーションの低下、委縮、言われたことだけをしようとするようになり、自分の頭で考えなくなる。無駄な神経の集中があるためにミスが増える。)。もちろん、被害者の人権が侵害されるということも企業は考えなければなりません。

しかもそれが、外部に公表されてしまい、話題になってしまうと、企業イメージが低下してしまいます。体力のない中小企業であれば、それだけで事業廃止となる場合もあるでしょう。

企業としては、経済活動を継続しなくてはなりません。そうするとどうしてもパワハラの負の企業イメージを払しょくしようとしてしまいます。そしてそこで終わってしまうことは、ダメージを受けている経営陣としては仕方が無いことかもしれません。

しかし、それでは大変もったいないのです。実はこのような社会的不祥事として認識される出来事がある時は、世間の注目を浴びているということです。そこで、ネガティブイメージを払しょくすることにとどまれば、結局過去の記憶が消えませんので、差し引きマイナスで終わってしまいます。しかし、ネガティブイメージを払しょくする以上に、新しく安心できる人間関係を形成している姿を見せることで、ポジティブイメージを世間から持ってもらう千載一遇のチャンスでもあります。

さらに、企業内部のこのようなポジティブ政策の推進の優先度を上げることのコンセンサスが作りやすいという状況もあります。企業が一丸となって、生まれ変わろうとしやすいというこれも千載一遇のチャンスだと思います。平時の場合は、そんな内向きの政策をするより、取引相手に対してアピールできる外向きの企業戦略をとるべきだということになるでしょう。しかし、有事という危機感を共有している場合は、課題が人間関係の状態という環境改善にあることのコンセンサスを作りやすくなっています。また、注目されているので、そのような人間関係を外部にアッピールしやすいため、外向きの企業戦略にもなるわけです。

<チャンスを生かすために考えるべきこと>

では、何をするか。これをわかりやすく説明するために、申し訳ないのですが、楽天の会見を引き合いに出させていただきます。私は、地元イーグルスファンなので、どうぞご理解いただきたくお願いいたします。

と言っても誤解していただきたくないのは、かなり誠実に記者会見をしています。対症療法的とはいえ対策も示し、企業としての責任にも言及した上、当該選手の再出発の支援も表明しているので、かなり良い会見内容だったと思います。被害者のプライバシーもありますから、これ以上の情報開示もなかなかできなかったことも理解しています。

そこから先は全くの特殊専門的な分野の話なのでしょう。では、説明していきます。

<パワハラが生まれない人間関係を作る方法>

一番大事なことは、パワハラがあったときにどうするかということよりも、パワハラを起こさない人間関係の形成ということです。パワハラは起きてしまえば生産性が低下します。人権問題も起きてしまいます。外部アッピールはともかくここを根本的に解消しなくてはなりません。
そのためには、理想とする人間関係像の構築をすることになります。そしてそのためにも、何が起きていたのかという外面的な問題を踏まえて、行為者や被害者、そしてそれを知っていた人たちの行動決定原理を聴取する必要があると思います。

<加害者の事情聴取の目標>

加害をした行動決定原理、加害をやめようとしなかった行動原理がどこにあったかの聴取と分析をすることだと思います。理想は、野球に縁のない弁護士と心理士のチームによる事情聴取です。これはパワハラ行為者の再出発にとっても必須のことです。悪いことだから謝罪するというのでは、再発防止はできません。悪いことだと思ったのか、悪いことだと知っていたのにそれをやめられなかったのはなぜかという観点から一緒に考えてゆきます。

私は、本人が反省しているのならば、会社は1年間職員として採用をし、この「反省」プロジェクトに参加をさせても良いのではないかと思うのです。もちろん、必要な練習はサポートしても良いと思います。パワハラをごまかしたわけでもなく、行為者の個人的責任にもしないということは、企業としてポジティブなイメージを持たれると思います。

本人が何に追い詰められていたのかそれを突き止める責任が企業にもあると思います。

<人間関係形成のために一番重要な被害者からの事情聴取>

次に被害者の行動決定原理です。「なぜ、抵抗ができなかった」のかということです。この理由はかなりの闇がまだ隠れているはずです。被害者の個性ではなく、調査対象は被害者が抵抗できない環境に置かれた環境についてです。ただ、この聴取はかなりデリケートな問題です。そして安心して話ができなければなりません。会社から独立した第三者が、本当に会社の発展と被害者の人権、安心して働ける環境を作るという構えを理解して調査をしなければならないところです。
このためには、球団が被害者の被害に対して手厚く手当をすることが前提となると思います。

<加害者被害者以外からの事情聴取>

そして、その行動を知っていたにもかかわらず、対応をしなかった人たちの意識調査です。ここもとても大切なところです。球団は、安心して話ができる人がいなかったことを改善すると言っていますが、それは大変大切なことだと思います。その際に安心して話ができる人間関係とは何かということを十分考慮するべきだと思います。

また、誰が知っていて、誰が知らないかのチェックもとても大切だと思います。

<魅せるプレイを頻発させる人間関係形成の方法>

聴取が終わったら、その原因を十分踏まえて分析することが必要です。悪かったところを直すというのでは、対症療法にすぎません。つまり、再発の危険が居座っているということです。根治を考えなければなりません。

新しい人間関係を形成するという視点が必要です。しかも具体的に、楽しく実践できる方法でなければできるわけはありません。

近鉄バッファローズの元選手である石井氏がユーチューブで、野茂投手の野手への思いやりの態度が素晴らしく、野茂選手が投げるときは無理しても打球にくらいついていくという気持ちが自然に湧き上がったと言っています。野茂選手はミスをした選手を決して批判せずに、むしろ批判する選手を先輩でもたしなめていたというのです。純パの会の会員で野牛会に所属していた私としては、もっと野茂のような選手がいたらもっと優勝していたのにと思いました。それは良いとして、こういう話はよく聞くことです。絶対エースと言われる人は人格的にも素晴らしく、ファンを大事にするということは耳に入ってきます。

抽象的な言葉で申し訳ありませんが、パワハラの対義語はパワハラが無い人間関係では決してなく、お互いを尊重し、尊敬している人間関係なのです。すべてのプロ野球選手は、尊敬する点が多いと私は思っています。ファン心理かもしれませんが。自分が相手から尊重されていると思えば、相手のフォローをしようとするし、役に立ちたいを思うわけです。これは人間の本能的な心理、群れを作るために進化によって形成された心理なのです。仕事の多くは組織プレイです。お互いを尊重しあう組織は1+1が2よりも大きくなりますが、これが無くパワハラがあるような組織は2にも到達ができません。これが生産性が下がる構造です。

また、誰かが苦しんでいたりいじめられたりしていたら、明るく元気なプレイをすることも簡単なことではなくなります。これも苦しんでいる人に共感してしまう人間の本能です。明るくはつらつとしていなければよいプレイは生まれないと私は素人ながら思います。何よりも見ていてつまらないです。筋肉や技術にプラスアルファの力をつけるのは、モチベーションで間違いないと思います。

典型的な成功例は、今年の阪神タイガースの岡田監督の采配だったのではないでしょうか。しかし、阪神タイガースに勝つ余地があると思います。つまり、基本的には、選手間の相互の信頼関係を強化することだからです。くどいかもしれませんが、パワハラをしないのではなく、選手同士がお互いを尊重し尊敬するということです。ここを改革しなければ、コーチ陣に助けを求めても、結局は力にならない可能性が高いのです。

<コーチ陣やフロントの役割>

監督やコーチ、フロントは、率先して選手を尊重し、尊敬する扱いをしていくことがまずやるべきことだと思います。プライドを傷つける制裁的な起用は絶対にしてはなりません。そういう相互の信頼、尊重を醸し出す環境づくりをするという責任が第一次的責任になると思います。

しかし、現場の雰囲気を創るのは、あくまでも選手です。やはり、レギュラー陣が率先して行動を起こすことがカギになると思います。

<改革はファンとともに>

やるべきことを整理しますと、先ずは選手全員から聴き取りをする。目標をきちんと伝えて、悪いことを無くすための改革ではなく、もっと良くなるためはつらつとしてプレイを観客に見せるための改革だということ、強くなるための改革だという意識をこの段階から理解してもらい、改革のメンバーになってもらう。

特にレギュラー陣、ベテラン陣は、率先して改革を引っ張っていく。経営陣、コーチ陣は環境づくりを行い、選手の足を引っ張らない。
そして、その改革について、具体的な取り組みの実践課程をファンにも報告してもらいたいと思います。もちろん、パワハラ対策としてこういうことをやっていますというのではなく、プロ野球球団としてあるべき人間活動を具体的に作り上げようとしていますというアッピールとして、ポジティブな広報としてファンに報告してほしいのです。そうやってファンとともに新しい、魅力的な、そして強いイーグルスを作って行ってほしいと私は切に願います。

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宝塚歌劇団存続のために 何を調査し何をどう改善するのか [労務管理・労働環境]



1 企業はまず何を考えるべきか

宝塚歌劇団の25歳の俳優が転落死した事件(令和5年9月30日発覚)について、ネット上は様々な情報が飛び交っていましたが、大手マスコミはなかなか正面から取り上げてこなかったという印象があります。(それでも歌劇団は、外部弁護士9名による聴き取り調査を行っていたようです。)

大手マスコミにおいて、いわゆる潮目が変わったのは、11月10日に川人博弁護士が遺族側代理人として記者会見を行ってからだと思います。川人先生の実績に基づくネームバリューによってテレビでも報道されるようになり、一気に世間の関心が高まりました。その中で、11月14日に第三者委員会の報告書が提出されたことを踏まえた劇団の記者会見がありました。

第三者委員会の調査は極めて短期間であるにもかかわらず、踏み込んだ調査を行っていて、故人の死と劇団の仕事の関係を一定認めた内容になっています。さらに今後に向けた提言もなされている点も評価ができると思います。

ただ、潮目が変わった後の発表であるということと、マスコミの姿勢から、報告書には批判もなされています。

私は、報告書にケチをつけるつもりは毛頭ありません。私は法実務的には事実関係を把握していない立場であるというべきでありますから、本件の転落死が労災に該当するかどうかとか、損害賠償の対象になるかどうかについて論じるつもりは全くありません。この点については「わからない」としかいうべきではないと思っています。

私がこの記事で一緒に考えようとしているのは、主として企業の危機管理の問題です。不幸にして自死と思われる劇団員の死亡があって、その後報道とその変化の中で、「企業は何を考えて、何を調査し、何を行うべきか」という問題です。

まず何を考えるべきかということです。これは明らかだと思うのですが、なかなか徹底できません。つまり、「劇団の存続」を考えなければならないと思います。単に企業体の存続というわけではなく、宝塚歌劇という文化を継承する義務が、経営サイドにはあると思います。

宝塚歌劇を継承するために考えるべきことは、宝塚歌劇を愛する人たちが、これからも宝塚歌劇を安心してみようと考えること、それから劇団の卒業生の方々の劇団員であったことの誇りを奪わないことも必要だと思います。

宝塚歌劇のファンには多様性があります。「どんなことがあっても自分は宝塚や、俳優を守る。そのためには何でもする。」というコアなファンもいらっしゃいますが、それは私は「あり」だと思っています。そこまで熱心ではないとしても、何年に一回は舞台を観に行ったり、テレビ中継があれば予約をしても確実に観ようとしたり、卒業生が出るテレビドラマをチェックしてみようとするファンが大勢います。この多くのファンは、宝塚があるから人生が豊かになったり、人生のピンチを慰められたりして、まさに生きる糧、人生に添えられた花のような不可欠の存在として宝塚を大切にしています。

多くのファンの人たちは、テレビが報道する前から転落死の情報をつかんでいました。週刊文春が報じる前から、様々な風評も入ってきていて、とても心配をしていました。遺族側の記者会見がテレビ報道されたことによって、このようなファンの人たちは、悲観的な思いを深めてしまいました。存続の危機を感じている人も多数生まれてしまったということを先ず会社に知っていただきたいと思います。

歌劇団としては、このファンがこれからも安心して宝塚歌劇を観覧できるという安心感を提供することこそ、今考えなければならないことで、そのためのはどうしたらよいかという発想で対策に乗り出す必要があると思うのです。

何事もないように、ただ存続するのでは足りないということです。

2 検証や対策に対する、マスコミの功罪 「いじめ」の有無ということにはあまり意味が無いこと

先ほどからお話ししているように、遺族側代理人の記者会見から、宝塚の問題の世間的注目は格段に上がりました。潮目が変わったわけです。今回の第三者委員会の報告書にも発表前から注目が集まっていました。否が応でも調査をしてそれなりの報告をしなくてはならなくなるわけです。その意味では、マスコミ報道は検証と改革の後押しにもなりうるというメリットもあります。もっとも先ほど述べた通り、結構前から歌劇団は第三者委員会による調査を始めていたようです。

しかし、メリットがある一方、いじめやパワハラをめぐっての報道については二つの問題点があります。

一つは「いじめ」等の定義が人によってばらばらであり、その言葉自体では何も始まらないということです。

「いじめ」という言葉を例に説明しましょう。
この言葉は、狭い意味で使う場合、「加害者が悪意をもって行うことで、被害者に防御の方法が無い加害行為を行い、被害者を精神的に追い詰め、精神破綻を招くことや自傷行為、自死行為を行わしめる危険のある行為」ということになると思います。おそらく世間一般で、「いじめ」という言葉でイメージされるものは、こういうことが起きていたというものでしょう。

広い意味で使う場合は、「関係者から、ストレスを与えられる言動」ということになってしまいます。こんな広い意味で「いじめ」という言葉を使っているのは誰かというと、それは国の法律です。「いじめ防止対策推進法」の第2条は、「この法律において『いじめ』とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。」となっています。これはなるべき広くいじめを把握して、狭義のいじめを見逃さないようにするという目的があって広くしています。ただ、広すぎる弊害もあって、日弁連などもこの定義を批判しています。

様々な問題点がありますが、極端に言うと、いじめをしている友達を「いじめをするな」と注意しても、法律の「いじめ」に該当してしまうのです(友達の方も、いじめをしているわけではないという反論もあるかもしれません)。もちろん、そこは「常識的な判断」でいじめとは言わないとして扱うだろうと普通は思われることでしょう。でも考えてみてください。そこでいう「常識的な判断」をするのは誰だと思いますか。そこは学校の教師たちなのです。いじめか否か子どもたちがアンケートを提出して、先生がそれはいじめではないよと「常識的な判断」をして、アンケートを書き換えさせたりしているということを当の先生(管理職)から聴いたことがあります。結局、何がいじめで何がいじめではないのかは学校の判断で決めてしまうことにどうしてもなってしまうので、アンケートは意味をなさなくなってしまいます。

こういう曖昧な「いじめ」があったかなかったかということを、結果として報告することにあまり意味はないのだと思います。

もっとも第三者委員会の報告書でも、遺族の要望でも、「いじめ」という言葉は先ほどの悪意のある狭義のいじめの意味を前提にされているということでよいと思います。

しかし、ここで考慮しなくてはならないもう一つの問題こそ、マスコミの報道姿勢です。実際のいじめ防止対策推進法の事案で、発信者側が法律用語の広義のいじめの意味で使っていると何度も説明しても、新聞の紙面やテレビニュースでは、あたかも狭義のいじめの意味で大見出しを打つのです。真実はどうだったかということよりも、いじめが「あったのか、なかったのか」だけに関心を持つようです。そして、すこしでもいじめと名が付くのであれば、スキャンダラスに報道する傾向をずっとみていました。

実際にあった出来事よりも、打撃的なこと、重大なことがあったという報道をしたいようです。

だから、やるべきことは、事実を指摘してそれがいじめかどうかは読み手が判断するべきだという態度でよいと思うのです。
むしろ、行為を受けた側の立場から(本件では故人から見て)、その行為がどういう性質をもって、どう受け止めて、その結果、対処の方法があったのか、防御の方法があったのか、その苦しい状態の持続期間等を調査して報告すればよかったのだと思います。受けた側が無くなっていたとしても、合理的に考えてどういう風に感じたかという推測はできるはずです。

いずれにしても事実関係を見守っていたファンは報告書を読んである程度納得できたかもしれませんが、報告書を読まないで報道だけに接している人たちは、言語道断の極悪非道な先輩が、無抵抗の新人をいじめていたという印象を受けてしまったということは事実としてあるようです。ジャーナリストを名乗る人でさえ、とにかく狭義のいじめがあったはずだと思い込んでおり、それを少しでも否認するような報告があると、会社の意をくんでの報告書だとか、隠蔽だとか、糾弾口調になっている姿を目撃しました。マスコミなんてそんなものなのです。

3 第三者委員会の報告書

上記の観点は、第三者委員会の先生方ももちろん理解されているところだと思います。しかし、そのような報告を徹底しきれなかった事情がありました。

既にいくつかのいじめがあると報道された行為があったのかどうかという点を念頭に置かざるを得なかったということです。報告書の概要版でも比較的詳細に調査して、事実認定をして、報告されています。いじめとは断定できなかったということが結論です。しかし、報告書では、実際にヘアアイロンを額に当てられたという事実、それによって小指の先(末節指)の大きさの皮膚の変化(やけどの痕)が見られたこと、故人はやけどの痕が残るだろうかという不安があったことはきっちり認定されています。しかし、目撃者がいなかったということ、悪意があったとは断定できないこと、その後やけどの跡が消えたこと、それから宝塚ではヘアアイロンによるやけどが頻繁にあることその他、特に悪意を証明できなかったためにいじめとは断定できないというようです。
(わたしとしては、どうしてその人が髪型の指導をしたのか、自らヘアアイロンを使ったのか、その人の立場の人がそういうことを通常するものなのか、小指の末節指大のやけどの跡ができるということはどの程度の時間ヘアアイロンを額につけていたかなどについて調査した方が明確になったかなという思い付きはあります。)

企業としては、認めるべき点は認めるとしても、それが事実に反するのであれば、事実に反するということを言わざるを得ません。評価が不当だと思えば評価が不当だと言わざるを得ません。そこが、先ほど言ったマスコミのスキャンダラスな報道、怒りをあおるような報道が先行する場合は、逃げだ、隠蔽だと指摘される要因になります。立場を変えて遺族側からすればもっともな話でもあります。何せ歌劇団の中のことはわかりませんから、なかなか納得がゆかないということは当然のことです。当たり前です。
マスコミの報道姿勢の理由で、精神的負荷によって自死を選ぶ可能性を認めた報告書なのですが、その点はあまり報道されず、いじめを否定した、遺族は残念に思っているということだけが強調されているということは間違いなくあるように思われます。

4 もし再調査があるとすれば何をどう調査するのか

私が再調査をするのであればという観点でお話しします。一番は、報告書が指摘していた、上級生と下級生の関係、組ごとの独自のルールということです。これをやはりもう少し踏み込んで、宝塚文化の中の規律の作り方について検証をするべきだと思われます。とくに当該の組の中での「独自のルール」についてです。
この記事のジャンルである労務管理の場合、生産性の観点から検討します。規律によって何を実現しようとしていたのかということをまず言葉で明らかにしていく作業が必要になるはずです。
そして実際に行われていた規律を創る行為がどのようなものだったのか、それは規律によって実現しようとしていた価値の実現に結び付くのかということを真剣に考える必要があります。

個人的には、上下関係という規律については、ある程度あってよいと思います。それによって、舞台にも規律や礼がみられるところが宝塚の良いところだと個人的には思います。しかし、規律とは上に絶対服従ということではないと思うのです。過去において、特に他の組において、そんなに上が絶対ということがあったのかこの点も検証されるべきだと思います。つまり、卒業生からも事情聴取をするべきです。今回の亡くなられた方の責任という観点からは、故人の状態を知る人に限定して調査をするということには合理性があると思います。ただ、一般の大勢のファンを安心させるという観点からは、往年の状態と現在の状態の比較が不可避になると思います。100年以上続いているので、キリがありませんが、50年くらいは遡って調査をすることができると思います。トップスターがどこまで神格化されていたか、行き過ぎた感がある指導をするようになったのはいつからか、当該組の独自のルールが無ければ良き伝統、良き雰囲気、高いクオリティーが維持できないということなのかについて真摯に検証をするべきです。

労務管理の観点からすると、パワハラは百害あって一利なしだと常々思っています。一般企業ですらそうですから、そもそも高いモチベーションをもって入学をしてきた人たちに過剰な指導は本当に必要ないことではないのでしょうか。
 
不必要な厳しさは、生産性を阻害します。委縮効果が生まれて、大きな副作用が生まれてしまうのです。

また、過去において、規律づくりにある程度の共通性があったとしても、規律づくりのために高まる緊張を緩和させる方法が無かったのかということを十分に調査する必要があります。「昔はもっと厳しかったのだ」という人ほど、厳しい状況の中でほっこりするフォロー受けているものです。

だから、ある程度現役の劇団員の方と卒業生とキャッチボールをしていく必要があると思います。受け継ぐべき伝統と排除するべき伝統を明確に区別する作業が必要になるはずです。

その際、現役生は特に、発言の匿名性を確保する必要があります。調査員の外は、立ち会うべきではありません。特に歌劇団のスタッフや親会社の人、あるいは上級生のいないところで自由に話していただく環境を作る必要は絶対条件です。

5 調査の結果どう改革するべきか

将来の改革に向けて、報告書でも提言が出されています。根本的な問題であるスケジュール過多をはじめ的を射た提言がなされていると思います。ただ、目的が異なるため仕方がないことですが、私が再調査事項として掲げた事項についての具体的な言及がないために、この人間関係についての効果的な対策というものがどういうものなのかについては詳しく述べられてはいません(概要版では)。

効果のない規律、デメリットの大きな規律は、すべて排除するという改革がなされるべきです。これは報告書でも同じようなことが記載されています。そして、そのような独自のルールが生まれた由来についても調査して、根本的なところにメスを入れるべきです。組織に不可避な事情があるのか、特殊な人間関係、パーソナリティを背景とするものにすぎないのかということをはっきりさせる必要があるということです。

もし、個人に由来する問題であるとすれば、どうしてその個人に権威が集中してしまったのかについて調査分析する必要があると思います。もし個人が行き過ぎた規律を求めていて、故人がそれに苦しんでいたとするならば、それを見て見ぬふりをした人たちもいるわけです。それは、労務管理上は、見て見ぬふりをしていた人が全員共犯だと考えるよりも、どうして権威者の行為を追認してしまったのかという発想で考えることになります。人間は、集団の中で権威者が現れると、権威に従ってしまう性質があるという社会心理学的の知見に従って考えるわけです。人間は一度権威に迎合してしまうと、その権威が行う人間に対する行為も、正当化してしまって、批判的観点を持ちにくくなるようです。

苦しめられる個人は、誰からも救済されないどころか、反価値的存在だということで、なお一層苦しめられますし、絶望を抱きやすくなります。悪意の有無が決め手ではなく、悪意と受け止めたか、対策を講じることができないという絶望感を偉大かどうかということこそ考えるべきです。

このような受け手にとって深刻な影響が生じる行動は、送り手の歪んだ正義感が大いに関与しているということを見すごしてはなりません。

それから、冷静な第三者の目が必要です。精神医学的には宝塚のような劇団という職務形態ではパワハラが起こりやすく、過激になりやすいという傾向が指摘されています。典型的な職業としては、自衛隊、警察、消防署です。

これらの組織は、単位組織が一体として行動しなければ任務が果たせないばかりでなく、仲間の死に直結する過酷な現場で活動します。仲間に対する要求度が必然的に高くなるというのです。第三者からすれば、些細なことでも、仲間内では重大なことにつながります。そうすると、要求の対象としては、技術だけでなく、精神的緊張の度合いや、指示を指示通りに確実に遂行する姿勢のようなものも求めてしまいがちになります。しかし、新人には、技術が未熟であることに加え、集中するということがどういうことか実感として持てませんし、指示内容も正確に、具体的に伝達しないと伝わらないという事情もあります。これがある程度経験を積んだ人であれば、省略した言葉でも中身は伝わります。伝え方の問題で伝わらなくても、他の人には伝わるので、つい相手に責任を押し付けてしまうということが起きるようです。命にかかわることなので、イライラも講じてしまい、「あたり」もかなり強くなってしまうわけです。

宝塚は、組全員が一体として指示通りに行動しなければならないところは一緒です。しかし、死の危険があるわけではありません。それでも、おそらくそのくらいの気持ちで真剣に舞台を務めあげよういう気持ちは共通しているのだと思います。

だから、俳優たちにすべてを任せてはいけないのです。まじめに、夢中になって良い舞台を作り上げようとしていると、相手の心という複雑なものを理解したり共感したりすることができなくなってしまうのは、人間の限界として厳然と存在すると心得るべきです。自主稽古であっても、冷静な第三者の目が行き過ぎをチェックしてセーブすることが必要不可欠だと思います。これは単にセーブをするのではなく、もっと効果的な指導に置き換えるという作業に具体的にはならなくてはなりません。

その意味では、運営側の責任は大きかったということになることは間違いないことでしょう。

報告書から推測できることは、運営側が十分介入しなかったこと、介入できなかった事情があったこと、介入できないことに対する危機感が無かったことを指摘しなければならないでしょう。このあたりも、これまでの伝統に照らして調査し、検証し、対策を立てる必要があると思います。



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実務的な観点からみた残念過ぎる企業のパワーハラスメント予防研修 [労務管理・労働環境]



1 現行研修の3段階の企業側の目的

法改正などがあり、現在、パワーハラスメント等のハラスメント対策に頭を悩ませ研修などを行う企業も増えてきています。しかし、企業側も、まだ手探り状態のようで、パワハラ対策の必要性について、まだ十分に自分のものにしていないため、せっかく研修を行っても、効果が無いような研修に飛びついてしまっているようです。ご自分の研修の目的をまずしっかり考えましょう。

1)国が言うからアリバイ作りをする
2)パワハラで従業員が病気になったり自死したりして損害賠償を請求されることを防止する。含む、損害賠償報道による企業イメージの低下防止
3)パワハラによって生産性が低下することを下げて、意欲をもって仕事に取り組む従業員を増やす 含む、企業内の良好な雰囲気づくり

大きく分けるとこの3段階になると思います。
アリバイ作りをするための研修であれば、とりあえずやればよいでしょうし、できるだけ費用をかけないで行うということになることはむしろ当然かもしれません。おそらくその研修はただ時間を浪費するだけで頭に入ってくることはほとんどないでしょうし、下手をすれば自分たちの今の状態で問題が無いという楽観的な気分になってしまうかもしれません。

損害賠償事案の防止という観点は切実です。ただ、大きな視点が定まらない対症療法的な研修になるリスクは高いです。これからこの内容をお話しすることによって、3)の目的をもって研修や対策を行うことこそが、効果的に損害賠償事案を減らしたり無くしたりすることができる方法だということに気が付いていただければと思います。

2 損害賠償事案予防型のパワハラ研修の問題点

損害賠償事案予防型のパワハラ研修の問題点は、目標とするターゲットが狭すぎて、誤差が大きくなり、結局足をすくわれるというリスクがあるということです。パワハラ事案の実務をあまり知らない人が研修担当となる場合によく行われる研修内容です。

内容としては、パワハラによって従業員が自死をしてしまい、裁判によって企業に巨額な損害賠償支払い義務が認められた裁判例を説明して、その分析をして、ここまでやってはいけませんという研修が実際に行われているようです。

こう文字で書くと、気が付く人もいると思うのですが、この研修では、裁判例になるような事案の防止にしかならないです。自死しなければそれで良いという研修になってしまいます。端的に言うと、「ここまでしなければ大丈夫」という間違った知識が身についてしまう危険があります。なぜ、リスクが生まれてしまうかということを分析的に説明します。

1)裁判例で示される「事案」は裁判所が証拠によって認定された事案だけであること。

パワハラの裁判は実は簡単ではなく、パワハラの事実が証明されることはかなり難しいという高いハードルがあります。多くは上司の部下に対する言動に問題があるわけですが、その言動の存否がなかなか証明できないのです。

本当は、もっと従業員に影響を与えた言動があったとしても、それが証明できないために証明できた証拠だけがクローズアップされてしまうという危険を判決は常に持っています。だから判決だけではなかなか事案を正確に把握することが難しいというべきでしょう。

ただ、近時IT化が進み、昔は考えられなかった様々な証拠を残すことができますし、証拠に残ってしまっていたという偶然も起きやすくなっています。あの判決の時は裁判所から見て評価される証拠が提出されなかったとしても、現代では評価される証拠が提出されてしまい、裁判事例とは別の角度からパワハラの認定がなされてしまう危険があります。

2)労災認定実務に引っ張られ過ぎている可能性がある

裁判所において、従業員側が「これがパワハラの原因だ」ということで主張する事実関係は、労働災害でそれがあれば労災だと認定されやすい労災認定基準で示された事実関係を主張するものです。労災認定の行政手続きでは鉄則です。

しかし、この労災認定基準も完璧なものではなく、労災と私病を区別するという目的があって作られているもので、従業員側に何らかの要因(弱さ)があると言える場合には、私病に寄せて扱われる可能性を孕んでいます。
つまり、労働災害か否かの判断は、
ストレス過重であればあるほど労災になり
従業員がもともと弱ければ弱い程労災にならない
という相関関係があるということになります。

しかし、実際の損害賠償請求事案では、損害賠償請求を先行させる場合もあります。必ずしも、この相関関係に当てはめずに判断が先行することがあります。また、ストレス要因であるパワハラの存在と内容が、例えば週刊誌の報道が先行し、世間に知られてしまった後では、今さら従業員に弱いところがあったなどという反論がなかなかしづらくなるわけです。

提訴会見などが広く報道されてしまうと、その何年後かに裁判で勝ったとしても、世間に定着した悪いイメージを払しょくすることは簡単ではありません。判決が出た時は既に廃業しているという可能性もあるわけです。

私が企業から相談を受けるときは、この一般顧客(世間)からのイメージや取引先との関係も考慮に入れて解決策を考えるのですが、最近は裁判に勝つ要素があると、裁判でさえもそれですべてが決まるわけでもないのに企業活動の利益を考えないで裁判に突き進む方針が立てられる場合もあります。

しかし、裁判の結論というのは判で押したものが用意されているわけではなく、色々な事情が絡んで先行きが見えないことが通常です。特に裁判官の個性というものが案外影響を与える場合が多く、この証拠があれば絶対勝てるとはなかなか言いづらいということが実情ではないでしょうか。

判決事案は氷山の一角であり、事実を正確に反映しているとは限らないので、あまりその判決の論理だけを参考にするべきではありません。

3)死ななければよいというものではないこと

裁判で現れた事案は、不幸にも自死が起きた事案が中心です。闘病中であるようなケースは、なかなか裁判になりにくいし、従業員の勝訴判決もそれほど大きな損害額が認定されているわけでも無いようです。しかし、近時、この点は改められてきています。うつ病についての研究が進み、損害のプレゼンが進化しているという事情もあると思います。

また、生死の分かれ目というのは、それほどはっきりしているわけではなく、そこに偶然的な事情で大きく結論が異なるということは、よく見ています。死なない事案と死ぬ事案というのは、区別はつきません。裁判例で、「死ぬほどの事案ではなかった」と仮に判断されたとしても、同じような事案でも亡くなる人が現実に出てくるということは大いにありうることです。それでは、企業の損害を予防できるとは言いえないわけです・

パワハラ予防は、もっとゾーンを広げて予防しなければ、ならないと思います。前に大丈夫だったということを過信すると、最悪のケースになることがあっても不思議ではありません。

4 国のパワハラ指針が、実務的には難解である理由

もちろん国のパワハラ指針でどのようなことを言っているのかを知っておくことは必要です。しかし、パワハラはいろいろな要素が組み合わされて大きなストレスになるものです。例えばベテラン従業員にそれをやった場合と、新人従業員にそれをやった時では、受け取る言葉の意味は全く違ってしまいます。

国のパワハラ指針は、その性格上やむを得ないとも思われるのですが、その他の環境を考慮に入れないで、こういう言葉を使ってはダメだ等の例示が列挙されています。これ自体が裁判例を参考にして作られているようで、その意味することも難解です。人によって解釈が変わることもありうることだと思います。

大事なことは防止するゾーンを広げて、確実にパワハラ及びパワハラによるストレス過剰による様々な負の効果を防止するということがきちんと目的とされているかどうかということです。パワハラ的言動をしないことが既得権益の侵害みたいにぎりぎりのところを攻めてはだめなのです。

研修会では、慎重な解釈をあえて提示するという姿勢が必要だと思います。

5 パワハラ予防は企業の伝達効率などを阻害するか

パワハラとは何か、パワハラがなぜストレスになるのか、なぜ予防しなければならないのかということをきちっと理解した講師でなければ、「企業伝達などの効率性がパワハラによって阻害される」などと考えて、予防対策を手加減しても良いように話してしまう場合があります。

仕事で行っている場合には、クライアント受けが良い方が良いと考えてしまうのはありうることかもしれません。

しかし、パワハラがどうして起きるのかということを見ていくと、伝達技術が未熟である場合もあるのですが、伝達環境を整備していない場合が多いように思われます。他人を動かす場合、時間もかかりますし、コストもかかるわけです。これを無かったことにしようと無理を通そうとする場合にパワハラが起きてしまう場合が多いのです。むしろ個別にパワハラと指摘された行為を点検して、改善するためにどうしたらよいかということを考えた場合、
1)そもそも伝達しなくても良いことを伝達しようとしていないか
2)伝達する場合の方法は適切か、どうあがいたって伝達情報が伝わらない方法で伝達しようとしていないか
3)伝達対象にふさわしい伝達方法になっていたか
という点検をする必要があり、それを点検すれば、パワハラをすることがいかに企業にとって非効率的なことをしている場合が多いことかよくわかると思います。

真のパワハラ予防は、企業活動の効率化につながるということはこういうことも含んでいます。

6 パワハラをする人間像の誤解

一部ではパワハラをするというのは、人格性パーソナリティ障害の人間であり、あるいは他人の心を感じられないサイコパスのような人だという誤解があります。もっともそう思いたくなる事案が多く、そのような事案では従業員は多大なストレスを受けてしまいます。

しかし、現実には、真面目過ぎる、責任感が強すぎるという上司が、十分時間を取らずにコーチングをして失敗しているケースも多くあります。一度上司に対する信頼関係が無くなると、周囲もパワハラ上司だと認識をしだしてしまい、本来ならば指導の仕方を覚えれば済む話も、どんどんパワハラの沼に落ちていくということが多いのです。

あまりにも人道的に問題がある上司であれば、改善を促して改善されなければそれなりの処分をしなくてはなりません。しかし、実際は上司の言い分はわかるということが多いようです。「言い分がわかっても改めなければならない」、これが多くの企業で行うべきパワハラ研修のはずです。

7 効果的なパワハラ防止策、パワハラ研修

ここで最悪なことは、「上司として部下の人権を尊重しましょう」ということで終わってしまう研修です。何が最悪かというと、人権という言葉は一義的に意味のある言葉ではなく、行動指針とはなりえないからです。結局何も変わりません。

なぜ、パワハラを行ってしまうかという理由を明確にして、理由を常に意識させて、同じような事態になる時に、先ずパワハラをしない方法を考えるという癖がつけばかなり上出来です。しかし、これも、実務的に、常に意識し続けるという作業ができるかについては、かなり難しいことだと自覚をする必要があります。

中間管理職の上司が自分の行動を改めるということには限界があることを十分に意識する必要があります。会社に対する責任感を無くせとか、ちゃらんぽらんに仕事を考えろと言えるはずもありません。

現実的で効果的な方法は、パワハラ上司の上司のコーチング技術を向上させることです。

つまり、自分ひとりではなかなか行動を改めるということができないために、補助者の協力を得るということです。

「それはパワハラだ」と叱責するだけでは、相手も構えてしまい、逆にストレスでつぶれてしまうことも心配しなければなりません。評価や査定が低くなることも心配になってしまい、結局、統制力や指導力のない上司が出来上がってしまいます。

やるべきことは「置き換え」のアドバイスが一つです。

これも部下の前で上司のメンツをいたずらにつぶすようなことがあっては困ります。上司の上司は自分の役割を見せつけたいためにパワハラを起こしやすいという実例も多くあります。

いくつか方法があります。

部下の指導に参加するタイプ
部下には中間管理職の言いたいこと、目的などを説明し、改めてあるべき指導をする
中間管理職には介入してしまうことを謝罪しながら、部下に対してフォローをする。
後で改めて、どうすればよかったかということをミーティングする
パワハラの問題を作業効率、効果的な指導の問題としていくことで中間管理職を安心させるということも意識しなくてはなりません。

中間管理職とその上司の信頼関係が効果を左右すると言っても過言ではありません。この信頼関係が絶大であれば、個別に部下対応、中間管理職対応を迅速に行って指導方法の置き換えが可能となります。



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企業体が、J記者会見から学ぶべき多くのこと 会見をする場合に弁護士やコンサルを利用する場合のポイントについて 「ルールとは」もおまけで [労務管理・労働環境]


1 会見の目的を徹底させること

9月と10月に大手芸能事務所が記者会見を行い物議を醸しています。どうせ会見をやるならば、会見を行う目的を達成しなくてはなりません。この事務所の会見の目的は、創業者による児童に対する人類史上類例を見ないせい虐待があったこととメディアに圧力をかけるなどして自社の独占状態をつくり自由競争を阻害したことが、外圧などにもよってオープンな議論のテーマとなり、これまで通りスポンサー企業もメディアもスルーできなくなったため、取引が危機に陥ったことに対して、損害を最小限度にするということが目的だったはずです。

おそらくこれまでの長年の取引があったということもあって、①社名を変更して②元事務所を消滅させることによって、スポンサー企業やメディアは新しく立ち上げる新事務所との取引を行うという感触もあったのだと思います。この二つを発表して、企業やメディアも多少世論の批判があったとしても、タレントを使い続けるという観点から事務所にアドバイスをしたのかもしれません。一部そのような報道もありました。

この会見は、思い切った反省と身を切る改革をしたのだということについては言葉の文字面では十分伝えていたと思います。

ところが、すぐに指名NGリストの存在をすっぱ抜かれ、その紙に「氏名」と記載されていたことから氏名を公表してはいけないリストだという言い訳があり、案の定NGリストの氏名さえもすっぱ抜かれて、氏名非公表リストではないことも白日にさらされたことによって、さらに世論の事務所に対する反発は加速されて行きました。もっともこの言い訳をしたのは事務所ではないと思われますが、結果として反発を強めたということは間違いありません。

私はNGリストよりも指名候補リストの方が問題だと思います。たとえ候補者の人たちが、事務所と結託していないとしても、事務所が困る質問をしないだろうと信頼している人たちに発言させるという意図があからさまになり、「やらせ」という印象を固定化してしまったからです。

しかし、このNGリスト、候補者リストもそれだけでは、現実の致命的な状況を招かなかったはずです。一番の問題は、事務所に対する批判緩和の切り札のI氏の発言だったと思います。

それまでも記者とのやり取りを聞いていて、視聴者、それと視聴者の動向を気にしていたメディアとスポンサー企業は、あまりにも事務所の発言者の態度が堂々としすぎていること等、モヤモヤしていた状況でした。言葉にならないけれど、気持ちが悪い、歯に物が挟まっているような感覚を持ち続けてきたわけです。

そうしたところ、司会者から指名されないNGリストの記者たちが発言を求めていたところ、切り札のI氏が、概要「落ち着いてください。子どもたちが見ています。ルールを守っている大人の姿を子どもたちに見せたい。」というような発言があったわけです。これも実に堂々とした発言で、味方の記者からは拍手も沸きました。これが最大の悪手だったと思います。

コアなファン層は、この発言で留飲を下げたことでしょう。また、NGリストの記者に反感を持っていた人たちが拍手をしたい気持ちもわかります。そして、保守を装った職業的ユーチューバーたちも、事務所に対するコメント動画をあげることなく、NGリストの記者に対する批判動画を一斉に上げだしました。私はこれは不自然に感じました。このような流れでもできていたのかとさえ思いました。

しかし、メディアやスポンサー企業が注目していたのは、このような人たちの動向ではなく、一般人の対応でした。おそらく、企業は、このようなキャンペーンは何も評価の対象にしなかったのだと思います。

それはそうです。メディアやスポンサーはこの事務所のタレントを使うことで、これ以上自分たちが批判にさらされないかということが唯一の関心ごとだったから、元々の応援団の動向は関心の対象にはなるわけがありませんでした。

切り札のI氏の発言の何が問題だったのかについては、むしろこれまであまり視聴回数を稼ぐことのできなかったユーチューバーが雨後の筍のように動画をアップしております。
1) 子どもたちに性虐待をしていることで問題となっている会社側の人間であるにもかかわらず子どもたちを引き合いに出すことは、反省の色が全く見えない。
2) ルールを守れという立場にはないということ
私は2)について説明をしようと思います。
ルールが存在するためには、法哲学者H.LA ハートによれば、ルールの対象者が、そのルールは守るべきだということを承認していなければならないとしています。ルールを破る者が出てきても、本来は守らなければならなかったという消極的承認でもよいわけです。
ところが、一人一問方式というのは、およそ記者会見にはふさわしくないやりかたであり、これでは記者が質問をする意味がありません。質問に答えないで別の話を始めても、重ねて問いただすことができないから、質問を無にするのは実に簡単だからです。当然事務所側の人間はルールだということで守れと言うでしょうが、一般の記者としてはルールとして承認できないことであることは間違いありません。つまり、一人一問形式はルールではなく、事務所からの「お願い」だったわけです。これを破ろうとする人に、「どうか一人一問形式でお願いします」とお願いするならわかります。それをルールだから従えというのは、大学の研究者から、加害者の論理と言われても仕方がないことだったと思います。

このI氏の発言が問題だったことは、後の事務所の言い訳によって、さらにくっきり浮かび上がります。事務所の言い訳としては、リストの存在は全く知らなかったというのに、I氏はこのリストを見て「指名しなければだめだ」と否定し、その結果では前半には指名しないで公判で指名することにしましょうという話になったということが言い訳の内容でした。この言い訳が本当だとすると、I氏は、指名しない記者のリストが破棄されないで存在し続けたことを知っていて、実際リストアップされた人の一番有名な人が指名されていないことも知っていたことになります。そしてその人が指名されなければ不規則発言をするだろうことも知っていたし、不規則発言も記者が指名されないために行っていたことも知っていたわけです。つまり、自分から彼女らを興奮させておいて、興奮したら落ち着いてくださいとたしなめたというわけです。しかもルールになっていない、こちらのお願いを守れという形での攻撃でした。

本来お願いするべきことを自分が正義だという立場からたしなめれば、その理屈に気が付かないとしても、批判的視聴者はモヤモヤが高まってしまいます。このモヤモヤが、せっかくの身を切る改革に対する評価を後景に追いやってしまいました。大変もったいない話だったわけです。

メディアやスポンサー企業は、この切り札発言で、自分たちも共倒れになる危険を感じたとしても不思議ではありません。好意的に見せかけて内情を調査していた人がいたとしたならば、NGリストの存在やその使われ方についてリークをすることは本来想定しなければならないことでした。最初のすっぱ抜きが、テレビで放映されたわきに抱えた写真だけの情報で報道するわけが無いということ、どうやって報道に踏み切る裏付けを入手して、どうやって報道に踏み切ったのか、つまり自分たちはどう扱われているかについて、言い訳をするにあたっては考えなければならなかったわけです。裏リストが報道された時点で気づくこともできたはずでした。

半分しか知らないよという下手な言い訳をしたことによって、切り札の開き直りの態度(本人の希望ではないにしても)が浮かび上がってしまい、今後この切り札を切ることができなくなってしまいました。

なぜ、このような発言と言い訳をしてしまったのでしょうか。ここは想像ということになります。おそらく第1回の会見での質問がよほど腹に据えかねたということではないでしょうか。あの質問が1回目の会見をダメにしたと感じたと思っただろうということです。そして1回目の会見を構成したのが事務所の番頭格(実質的な日常業務の意思決定者)だとすれば、当然そのように考えたと思います。

そして、1回目をダメにされた恨みで、2回目でその記者に恥をかかせようとしたということであれば、NGリスト、切り札発言、拍手の意味がよく理解できます。もしそうであれば、会見の目的外のことに力を注ぎ過ぎて、会見の目的を強調することができなくなってしまったということになります。

ではどうすればよかったか。
私は、多少後知恵の感が自分でもするのですが、オープン形式の記者会見なんてやらなければまだ良かったと思っています。記者を呼ばないか、2,3名の記者だけで事務所の名称変更と解体を宣言するということです。批判をかわすことに十分ではないとしても、切り札発言と拍手ということは回避できたはずです。

もしどうしても、スポンサー企業やメディアの要請があるというならば、徹底的に攻撃を受けるということです。ひたすら謝罪を繰り返し、記者の攻撃に対して「勉強になります。検討をします。今後の事務所運営に活かしたいと思います。」と繰り返し、攻撃に無防備にさらされる姿を見せ続けることによって、さすがに「かわいそうだ」と印象付けるという選択肢があったと思います。その点は彼女らが反発することは十分計算できたし、そういう理不尽な攻撃をされて打ちひしがれている表情を作り続けることについて二人は十分できたと思います。そうすれば、「みそぎがすんだ」という評価を受けることも可能だったのではないでしょうか。将来的損失は最小限度に防げたし、憎しみは旧会社とともに消滅していくとなったことだと思います。

 あくまでも身を切る改革、社名変更と解体を前面に報道してもらわなければならなかったのに、余計な結果を招いてしまったということになろうかと思います。

2 その他の教訓
  相変わらず長くなっちゃったので、後は結論だけ述べます。
  考え得る最小限度の損害にすべく、ある程度の損害は割り切って甘んじて受け止めるということが企業としてのやるべきことですが、想定する損害の程度を少し軽く受け止めてしまったのかもしれません。
  自分を取り巻く情勢については、厳しい第三者の目を参考にして、自分の意見を通さない。だから、弁護士もコンサルも、自分に厳しい対応をするプロを厳選しなければなりません。そうではないと、童話の「裸の王様」状態になってしまいます。自分のこととなると楽観的になりすぎたり、逆に悲観的になりすぎたりしてしまうということは当たり前です。
  会見は、信頼できる幹部と信頼できる外部者(弁護士、コンサル)の少人数で進行の一切を取り決めること。有名企業には内部通報者はつきものだということを教訓化しなくてはなりません。コンサルは、結局はアドバイザーだとして心得るべきで、演出は自前で行わなければならないということです。

  なお、協力してもらえる発信者がいるならば、批判者に対する反論を展開してもらうよりも、同情論、理解できる部分がある論、部分的共感論等を発信してもらった方が、良い場合があるということ。本件はまさにこれでした。

  総じて、誰に見てもらうかという想定をきっちり行うということが大切で、その人がどう感じるかという目的にまっしぐらに企画をつくるということ、そのためにも目的を言葉にしてはっきりと共有するということが一番の基本になるのだと思います。

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