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差別は無知から始まることの実例と差別を受けた側を基準として考える必要性 聴覚障害の場合 [労務管理・労働環境]



現在聴覚障害者に対する差別のハラスメントの問題に取り組んでいます。

上司や同僚は、職場の調査において
あからさまな差別行為をしているのですが、
それを隠そうともせずに答えているのです。
それにも関わらず職場ではモラルハラスメントはなかった
と結論付けてしまっています。

上司も、同僚も、職場も
自分たちのしていることが差別であることに
気が付いていないということです。

こういうことが差別になって
聴覚障害者が傷つくんだよということを
あまりわかりやすく説明する者が実際には
あまり見つかりません。

感心したのは町草さんのブログです。
聴覚障害者とのコミュニケーションで配慮する事とは? | 町草のブログ (machikusa110.com)
https://machikusa110.com/2020/04/30/%E8%81%B4%E8%A6%9A%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%A8%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%A7%E9%85%8D%E6%85%AE%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93/

わかりやすいです。

先ず、一口に聴覚障害者といっても
聞えなさは人によって違う
ということが明快に書かれています。

つまり、この聴覚障害の方には聞こえても
こちらの方には聞こえない
ということがあるということで、

職場に聴覚障害の方がいる場合は
よく話を聞いて、何が聞こえて何が聞こえないか
よく理解する必要があるということで、
これがいの一番です。

また、それだけでなく
同じ音量の音でも聞こえるときと聞こえない時があるようです。

例えば話をしている人を見て聞いている場合は話は聞こえるのですが、
後ろから離されてしまうと聞えないあるいは言っている意味が分からない
ということがあるようです。

対面の話は聞きやすいけれど
何人かで話し合う場合は
聞える声と聞こえない声とあることになります。

「あの人の言っていることがわかっているのだから
私の声が聞こえないはずがない」
という思い込みが生まれる原因はここにあります。

また、早口で話したり、口ごもって話すなど
私たちはあまり意識していませんが
そのときによって話し方が微妙に違うのは当たり前のようです。

だから、急いでいたり、イライラしていたりすると
声が大きくても、内容を聴き取れないということがあります。

「いつも聞こえているのだから、今度も聞こえていたはずだ」
という思い込みが生じる原因になるでしょう。

だから、「(聞こえるように)言ったはずなのに聞えなかった
というのは、聴覚障害をいいことに
聞えなかったふりをしているだけだ。」
というひどい思い込みが生まれてしまうようです。

私の取り組んでいる事件では
面と向かって「卑怯だ」と言われたそうです。
言われている聴覚障害のある方は
どうして自分が卑怯だと言われるのか全く分かりませんでした。

大事な用事は、筆談とか、今ではインターネットを使って
伝達することが可能なので
今の時代、聴覚障害者を雇用している以上
それらの文字情報を使わない理由はありません。

ちゃんと規則に従って指示をしていると思っても
口頭で説明しただけの場合は
しかも細かい基準なんかは、
きちんと聞き取れているか難しいところです。

また、規則ならば何らかの文字情報があるはずで
それを示さないで口頭でだけ説明するような人の場合は
そのときによって指示の内容が変わることもあるのではないかと
疑いを持ちたくもなります。

それから、口頭だけの情報の場合は
正確性を期すため、何度も聞き返すことは仕方がありません。
それを煩わしがっていると
だんだん聞くのが悪いことのように思えてきてしまうでしょう。

益々伝わらなくなってしまいます。

それからひどいなと思うのは
「聞えない時は聞こえないと言え」
という言葉です。

だって聞えないのですから、
今自分が聞こえていないのかさえも分からないからです。

自分がどうしたら改善できるかわからないことで叱責を受けていると
無駄な緊張がいつもの状態になってしまい
余計なミスも増えてしまいます。

こういう聞えないことに伴って
卑怯だとか、バカだとか、そういうことを言ったことは
みんなが認めていることですが
言った上司も、同僚も、職場でさえも
ミスが多いからバカだと言って仕方がない
聞えないふりをしたので卑怯だと言われても仕方がない
そんなことを大合唱していているのです。

呼ばれても仕事をしていれば聞えませんが
そんな時注意をひくために
消しゴムや輪ゴムを投げてこちらを向かそうともしたようです。

上司も、同僚も、職場でさえも
聞えないのだからやむを得ないと言っているのです。

これ、健聴者に対して行ったら侮辱になりますよね。
夢中で仕事をしているときに
体に異物が向かってきたらびっくりするでしょうし
危険を感じることもあるでしょう。

聞えないからやむを得ないというのはおかしいと思います。

そもそも手を振る等、視覚的な信号を送ればわかりますし、
その人は隣の席の人だったので
近づけばわかるわけです。
人に対して消しゴムを投げて振り向かせるなんてことは
言い訳の利かないことだと思います。

これが起きたときは結構前のことなのですが
現在は改善されたのでしょうか。
改善されるためには
障害者の視点を知る必要があるのですが、
未だにそのような知ろうという努力はなされていないようです。

私はこれは差別であると主張しているわけですが
関係者一同ピンと来ていないようです。

どうやら差別とは
差別をする側が
排除の意思を持っていたり、攻撃的感情を持っていたり
悪感情を持って行うことが必要だと考えているようです。

差別というのは悪い行為、不道徳な行為だというところを
協調しすぎるとそういうことになるようです。

しかし差別か否かは
差別された人が精神的に苦しむことならば
辞めさせることに主眼があると思うのです。

加害者の無知によって
差別で無くなるという発想はいただけません。

だって、実際に傷ついている人がいるのです。
傷つくのは悪感情という相手の気持ちに関わりません。
差別かどうかということは
被害者の立場に立って考えるしかないと私は思います。

それからもう一つ
聴覚障害に理解がない場合に
聴覚障害をお持ちの方々がどのように傷つくのか
という視点の報告が少ないのではないかと思われました。

疎外感とか孤立感とかいう報告ありますが
侮辱を受けたという感じ方、
寂しい思いや仲間として扱われないという感覚
あるいは、理不尽な思い
もっともっといろいろあると思うのです。

それがなんか
コミュニケーションの方法論とか
効率性に価値をおく研究が多いような気がしますし、

差別、心理で検索すると
差別をする人の心理
ということばかり出てくるように感じるのです。

人間が当然抱く感情なのですが
これも実際の所を聞かないと
本当のところがわからないと思うのです。

聴覚障害者だから仕方がないと
ご本人方が思うのは
社会の風潮が合理的配慮の必要性を
そこまで考えていないということからくるのではないでしょうか。

当事者の方々がもっと声をあげる場所を提供する必要があると思います。
この機会が圧倒的に少ないのではないかと感じました。

色々考えながら、勉強しながら事件を進めています。

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雇用の安定化こそ、資本主義国家が行う最低限度の仕事  自立自助は国民に丸投げという意味で政府が使ってはならない。 [労務管理・労働環境]



国家政策という観点からのお話です。

雇用は安定した方が良い。
従前の、コンセンサスでした。

様々な政策に合致していたからです。

一番イメージしやすいのは人道的効果、人権的効果ですね。
働いても食べられない、あるいは食べられる仕事が無い
ということになれば収入が無くなり、
生物的貧困を招き、健康や生命が侵害される。
社会的貧困の場合は、劣等感や疎外感に苦しめられる
ということになります。
社会も殺伐としてくるわけです。

経済効果としては、
労働力が消耗して働けなくなれば
生産活動に支障が出ますし、
収入が無くなれば、
消費活動が低下していくわけです。

治安も悪くなります。

もっとも影響を受けるのは福祉の関係です。
昔の日本には社会政策学というものがありました。
雇用政策と社会保障を軸とした
国民の福祉を向上させるという政策です。

国民が仕事に就けるようにしよう
安定して就労し続けるようにしよう
働いた分だけ、それなりの賃金を得られるようにしよう
という労働政策を基盤としています。

そしてその賃金の中から社会保険の保険料を払わせるわけです。
雇用保険(失業保険)
健康保険
労災保険
老齢年金
不可避的に起きる失業、傷病による就労不能
労災、老齢による収入の喪失に備えて
保険料を支払うということです。

自分の賃金の中からあるいは使用者の負担で
お金を出し合っていざというときに備える。
こういう制度ですから自立自助的な制度といえるでしょう。

公的に自立自助の仕組みを作っていたとも言えるでしょう。
それが資本主義国家なわけです。

だから、雇用の安定化は資本主義国家における屋台骨ですし、
政府は雇用の安定化をすることが基本任務だ
ということが言えるわけです。

しかし、それぞれの使用者は、
できるだけ人件費を抑えたいと思うでしょうし、
不要になったら人員整理をしたいと思う傾向にあります。

そこで、「総資本」という概念が提案されました。
社会政策学者として名高い大河内一男先生で勉強しました。
東大総長をされて、
「太った豚になるよりやせたソクラテスになれ」といった発言や
学生運動の頃に学生に取り囲まれた等の話の方が有名ですが
日本の社会政策学の屋台骨を形成していたおひとりです。

一つ一つの使用者が個別資本だとすると
個別資本に任せていたのでは雇用が不安定になり
社会保険制度が成り立たず、
公的扶助で税金が流出してしまう
その税収も減少してしまい
資本主義国家が成り立たなくなる
このため、すべての資本の共通利害を体現する
というフィクションとして「総資本」という概念を提唱された
のでしょう多分。

総資本の観点から行う国家政策が社会政策であるというわけです。

行動成長あたりまでは、こういう考え方が主流で
疑われることもなかったようです。
ところが、特にバブル崩壊あたりから
このような考え方は急激に姿を消します。

社会保障の基盤である「労働政策」
という観点からの政策や研究がどんどんなくなり
代わりに、
労働力流動化政策を中心に据える
労働経済政策にとってかわられるようになりました。

労働力流動化とは
必要な企業に労働力が足りず、
別のところに労働力がだぶついている
このミスマッチをいかに解消するかという問題です。

この観点からすると雇用は不安定の方が良いのかもしれません。
一つところの企業に労働力(労働者)が滞留しないで、
解雇されたり雇止めされたりすることによって
労働力が必要な企業へ流れやすくする
その企業で労働力が不要になったら別の企業へ流す

しかも、雇用が不安定で「どんな職場でも良いから就職したい」
というニーズが生まれると
安い人件費で労働力を確保できるという
特定の人たちにとってのメリットも生まれます。

そこでは、既に、「労働力」という資材の話になっているわけです。
漁船が、情報を入手して
なるべく高い買値を突ける港に魚を水揚げする
というような感覚で労働力という人間を売り買いしているわけです。

一時的に利益の膨大に出る企業はあるでしょうが
総資本の観点からはじり貧になっていくだけです。

収入が不安定であると政策的観点だけでなく
メンタルの問題も生じやすくなります。
家庭不和が起きやすくなり、その影響で学校も殺伐となるでしょう
そもそも労働現場では人間扱いされていないところの歪みが出てくるわけです。

つまり、雇用の不安定を放置するというのは
何も考えないで目先の利益を追求するということです。

政府が特定の企業と結びついて便宜を図る
ということは、
道義的に非難されることだけでなく
資本主義国家を崩壊させる危険な行為なのです。

現在は夢見がちな国家政策は何も力にならないでしょう
健全な資本主義国家を取り戻す
その第一が雇用の安定化、収入で生活も保険料も賄える
そういう政策こそ必要なのだと思います。

それが資本主義社会における自立自助ということだと思います。
政府が国民の自立自助を求めるときは
責任を国民に丸投げするときではなく
自立自助の可能な社会を作ったときの話だと私は思います。


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言った言わないで解雇の有無が争いになった件で、解雇と損害賠償が認められた事例。 [労務管理・労働環境]



今回は私は労働者側の代理人でした。
結局は会社代表者が口頭で解雇を言い渡した事件なのですが、
会社代表者の主張は、
「解雇を言い渡してはいない。労働者が勝手に怒って任意退職したのだ。」
というものでした。
さらにその解雇を言い渡した日も1日ずれて主張されたという
少しミステリー掛かった事件でした。

確かに、解雇通知の文書はありません。
言った言わないの争いという困難案件ではありました。

会社側は、解雇を言い渡した証拠がないので
解雇を言っていないと主張したわけです。
解雇であれば、その解雇が正当かという司法判断が入るのですが、
任意退職であれば、正当性の判断をまぬかれることになり
会社にとっては有利になります。
辞めろと言っておいてそれはないだろうということになりますが、
敵もさるもの引っ搔くものという戦術できたわけです。

情けないことに労働基準監督署は
解雇をしたという認定ができないということで途中で放置し
それが会社の自信にもなってしまったという事情があります。
嘘をついても何とかなるということですね。

労働者側は当初は労働審判を申し立てました。
ある程度の損害を払ってもらってさっさと手を切ろうというものです。
裁判所からもあっせん案が出たのですが、
会社はあくまでも解雇していないということで応じませんでした。
審判が出ても会社が応じないために本裁判になりました。

結局裁判では解雇をしたことが認定されたわけですが
どうやって言った言わないの事件で勝てたのか。
一つには、それ以外の事実を丁寧に積み重ねていき
解雇を言ったことを浮き彫りにしていくという方法で証明していった
ということです。
決定的証拠がなくても裁判は勝てることがあるので
文書がないから負けるとあきらめるのは早計です。

次は、余計なことを会社はしゃべりすぎた
という自滅が起きています。
辞めさせたいくらい嫌な労働者ですから
つい解雇は正当だと
当該労働者側の落ち度を主張したくなるわけです。
そうであれば解雇を認めたうえで主張をするべきです。

解雇を否定したまま、解雇されるべき労働者だという
主張を全開にしたため
裁判所からは、
「なるほど、会社は解雇したい事情があったのね」
「じゃあ、解雇したんじゃん。」ということになるわけです。

解雇日もずらしてしまったのは致命的なミスです。
会社側の主張では、その日は既に解雇していたのだから
できるはずのない労働者の行為が
実際は行われていたという動かぬ証拠が出てきてしまったのです。
証拠がなかったはずの事件にわざわざ証拠を作ってあげた
という自滅行為をしたことになります。

会社の従業員が証人になりましたが、
わからないはずのことを答えてしまっているところを突かれて
反対尋問にはまったく答えられず
信用ができないことが裁判所においてはっきりしてしまい
やはり自滅になりました。

結局、労働審判の3倍の請求が判決で認容され
高等裁判所まで争ったので当初の和解金と同額の利息が付いてしまい、
会社は和解案の金額の4倍を払う羽目になってしまいました。
おそらく会社の弁護士費用も合わせると
提示された和解金の6倍くらいを支払ったということになるでしょう。

労働者側の完全勝利で事件は終了しました。

教訓
会社側の教訓は
被害を無かったことにしようとするとかえって莫大な損害を受ける
最小限度に止めようという発想こそ経営の発想である
というところでしょうか。
また、自分の依頼した弁護士の説得を真面目に検討することは
結局は自分の利益になるということです。

労働者側の教訓は、最後まであきらめないことです。

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気が付きにくい「良かれと思ってパターン」のパワハラ あなたもやっているかもしれない ケース会議の勧め [労務管理・労働環境]


「もどかしい人材」って各職場にいると思うのです。
本当は、もっとマルチに仕事ができるはずなのに
実力を発揮していないような印象の強い人ですね。

例えば、配置転換前は、あれもこれもできていたのに
自分の課にやってきてから特定のことができなくなってしまったような人。

野球で例えると、
甲子園や大学野球で大活躍して、
プロでも十分やっていけるはずなのに
守備はいいけどバッティングが伸びない野手とか
二軍では大活躍するのに一軍では0点に抑えられない投手とか

監督やコーチも神様でもないし、
専門的なコーチングの指導を受けたわけでもない。
自分が平社員の時からの経験で
上司という立場にいるだけだから
瞬時に問題点を見つけ出して
劇的に改善するような指導は
あまり期待できない。

こんな時上司がついついやってしまうことは
わざときつく当たって発奮させようとすることです。
「この程度できたからと言ってお前を評価しない」とか
敢えて、厳しい仕事を担当させて
できないとあからさまに評価を下げてまともな仕事に使わないとか
同僚たちにも「甘やかすな」と厳しくお達しをしているとか
よくあるんじゃないかと思います。

厳しい人事の扱いを
期待の裏返しとか
愛情表現とかいうのもよく聞こえてくるところです。

期待が強いからもっと何とか頑張ってほしいということはわかります。
しかし、愛情表現ではないことは確かです。

労務管理的に言えば上司の無能で優秀な部下がつぶれるパターンです。
企業にとっての大きな損失が生まれようとしているときです。

野球で例えると、
選手がパフォーマンスを発揮すれば勝てるけれど
作戦を屈指して勝つということができないパターンですね。
つまりホームランが出なければ勝てないチームの監督です。

優秀な選手がどんどん委縮していって
力を発揮できなくさせられているパターンです。

こういうチームは当たればどんどん勝ち進みますが、
どんなにピッチャーが良くても点が取れない試合も多く
逆に打者が点を取ってくれれば
その分ピッチャーも打たれてしまう試合も多い
不思議な現象が起きているように感じますが
決して不思議ではありません。

部下が人間であり、メンタルを持つ生き物だ
ということを指導者が理解していないのです。

部下があなたのせいで、
「職場に行くのが怖い」と言っていることに気が付かないのです。
毎日顔を合わせているのに、
部下が生き生き仕事をしていて、
仕事上の困難さえも楽しんで解決方法を考えているか、
それとも委縮しておどおどして、
できることさえできなくなっているか
部下の目を見てもわからない無能な上司なのです。

委縮している部下にプレッシャーをかけても
デメリットしかなく
メンタル破綻を起こすかもしれないのです。

仕事は厳しい真剣勝負だということもその通りかもしれません。
しかし、それは指導者としての上司にも言えることなのです。
各人の持ち場持ち場で真剣勝負なのですから
指導者も真剣勝負で部下の成長に責任を持たなくてはなりません。
自分の能力の無さの言い訳にしてはならないわけです。

ではどうするか。
能力が無ければあきらめるか
一律に甘々で指導をすればよいのか。

そうではなく、
集団によるケース会議をお勧めします。

会議の心構えとして
懲罰のための会議ではなく
成長のための会議という位置づけが大切です。
当該部下に対する不満を言いあうのではなく
プログラムに従ってカンファレンスを進めるのです。

<カンファレンスの構成員は
直接の上司、上司の上司、場合によっては少しだけ上の同僚
カウンセラー的な人などが入ることも効果が上がることがあるでしょう。
大きな企業ならば専門で契約しても良いでしょうし
通常の会社ならば外注ができると便利ですね。


1 当該部下の現状評価
  公平な目で見た到達点
  伸びしろがどこにあるのか、あるいは現状がマックスか
  その伸びしろがあれば、職場の生産性がどの程度上がるか
  かなり生産性が上がるはずだというならば2へ進む。
2 目標不達成の原因分析
  伸びしろがあるとすれば、どうして伸びないのか。
  例えば優勝を狙うプロ野球軍団であれば、
  様々なデータを出してきて、特定の配球や球種に弱点があるのか
  敵のスコアラーがどのような分析をしてどのように攻めているのか
そうではなく例えばメンタルの問題なのか
  という分析をしていることでしょう。
  原因は一つであることは少なく、複合的に影響し合っていることが多いと思います。但し、メンタル、萎縮という可能性は必ず検討してください。
  原因が分析できれば3へ進みます。
3 対策
  その部下に誰がどのように働きかけるのか
  もっとも効果的に働きかけることが大切です。
  人間関係の変更をしてみるということも対策の一つです。
  原因に連動した対策でなければ意味がありません。
4 カンファレンスの記録化
  議事録をつけて、どのような議論を行ったかを記録することが大切です。
  このカンファレンスは、一人の部下の会議ですが、
  後々応用が利くので、せっかく行った議論は
  長く資料として共有しないともったいないです。
5 指導の実践と記録
  誰がどのように働きかけたかということ、
その結果部下がどのように受け止めたのかの反応は
記録として残すことが必要です。
6 効果の検証
  変化についての評価
  この時、短期的な結果ばかりに目を向けてはなりません。
  結果につながる行動変化がなされているかという視点が大切です。
  結果につながる行動変化ができていれば、早晩結果は出てくるものです。
そして、結果が出ようが出まいが
そもそも現状評価が正しかったのか
  原因分析が正しかったのか
  対策方針が正しかったのか
  対策指導の仕方が正しかったのか
  良くても悪くても一定の理由を付して結論を出して記録化する
  ここまででワンセットです。

部下の評価で一番まずい評価は
「今どきの若い者は情けない。俺が若いころは」
という思考です。
プロ野球で言えば50歳や60歳の人が
現実にプレーしているわけではありません。
現実にプレーをするのは、その今どきの若者なのです。
こういう無いものねだりは、
政治の世界でもよく耳にします。

有権者がもっと正しい判断をすれば
自分たちが多数派になるという野党の人たちですね。
現実に票を入れるのはその有権者なのですから
架空の有権者を想定して頑張っても結果はでません。
これと同じです。

昔であれば、経営者は
「現場に任せたから口出ししない」で済んでいたかもしれません。
しかし、指導力のない指導者を配置してしまったら
優秀な人材が育たず、企業の収益が上がらないばかりか
自己流の育成術で、社員のメンタルをつぶしてしまい、
下手すると会社がパワハラで訴えられてしまいます。
従業員がパワハラを苦に自死をしてしまったら
何のための会社か分からなくなり
お客さんもいなくなってしまいます。

自前で社員を育成できずに、気が付けば
プロ野球で言えば
1年目、2年目のよそで育成された選手と
よその球団からトレードで獲得してきた選手しか活躍しない
そういう会社になってしまい、
お客さんからも愛想をつかされる
企業の評価を落とすことになっている可能性があります。

一人当たりの生産性をあげるために
従業員のモチベーションをあげるということも
プロの指導者の必要なスキルだということに
もっと多くの経営者が気が付くことが
必要なのだと痛感しています。

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自治体職員対する分限処分が取り消される!人事委員会裁決。公務員の人事評価制度がパワハラの凶器になった事例。 [労務管理・労働環境]


これは、町という公的団体が、法律や倫理に反して一人の職員を分限処分を行い、職員を精神的に追い詰めたことに対して、県の人事委員会がこの処分を取り消して職員の名誉を回復した事案の記録です。

ある町の職員が、分限処分を受けました。
分限処分とは民間の懲戒処分のようなものです。
この時の分限処分は、
降格で、それに伴い給与などが減らされました。
経済的にも大打撃になりますが、
精神的にも大打撃になります。

分限処分の主な理由は、
2年連続最低の人事評価であり
上司の命令を守らないということでした。

まさか本当に分限処分が下されるとは思わなかった当該職員は
精神的にかなり病んだ状態になってしまいました。

それでも残った精神力を振り絞って
人事委員会に不服申し立て手続きを行い
そののちに私が代理人になりました。

少し調査をしただけでかなりおかしな分限処分だった
ということがわかりました。

弁解の機会が証拠上見当たらないという手続き的な問題
そもそも理由が明確ではないという実態的な問題
極めて深刻な問題がそれぞれありました。

1 弁解の機会がない
不利益処分をするのですから、弁解の機会を与えなければなりません。
正式に分限処分の対象となっているから弁明しろ
という機会は全くなかったのです。
一度だけ呼ばれて話をさせられたということはあるものの
そこで示された当該職員の落ち度は、当該職員がすべて論破したので
分限処分の理由とはされませんでした。
その代わりその時には話題にもならなかった理由が
分限処分通知の理由の欄に掲げられていました。
まさに不意打ちです。
ここは町の責任があります。

2 理由がない
色々と上司が対象職員の落ち度を言うのですが
一切の記録がないのです。
また、落ち度があったとすれば当然あるはずの
日常の注意指導もないのです。
「いつだったかは覚えていないけれど
 誰かがこんなことを言っていた。」」
というような理由でした。

きちんと日時と内容が記録されている理由は
会議で自分の意見を言ったり
説明を求めたりしたということに対してのものでした。
分限の理由にはならないことは明らかです。

<どうして町はこんなずさんな分限処分をしたのか>

分限処分は、年収も減りますし、身分も低くなります
経済的にも精神的にも大打撃を受けます。
町がどうして無理を通そうとしたのか
という疑問が当然起きてきます。

実はこの職場は、町役場ではなく
町が経営する事業体という職場の職員の話でした。
赤字続きの事業体を
その上司に力によって赤字を減らしていったという事実はありました。

そして職員が否定評価された発言も
上司が行った
時間外労働の無償提供の提案や
倫理的に問題がある仕事内容の指示に
反発したことでした。
しっかり記録が残っていて時間や行動内容が示された
職員の否定評価の対象はほとんどそういうものでした。

町は公的事業の赤字を減らしたいという思惑からと
赤字を減らした実績のある上司を忖度して
当該職員をやめさせようとしたということなのだと思います。

<2年連続の最低人事評価のからくり>

人事委員会の処分取消手続きの中で
上司の証人尋問のようなことがありました。

ちょうど別の公務員の人事評価を争う裁判をやっていて
けっこう公務員の人事評価制度に詳しくなっていたので、
制度に沿って質問をしたのですが
上司は基本的な仕組みさえ答えられませんでした。

人事評価制度そのものを全く知らなかったのです。
それで、気に食わない部下、目障りな部下の
一つの行為を理由に数か所の項目を最低にしたのでした。

そもそも期首目標を掲げるとか
自己評価をさせるということも知りませんでした。
それでも「自分は民間の事業体でも人事評価をしてきたベテランだ」
と胸を張って言っていました。

この上司も役場の出身ではなく
民間の事業体から役場の公的事業の管理のために抜擢された人で
そもそも公務員の人事評価制度を全く知らない人だったのです。

自由に、気分で、自分の感情のおもむくままに
自分の好き嫌いで最低評価をつけたのでした。

<町の責任>

町は、人事評価制度を説明する義務があります。
評価があまりにも極端である場合、
調整を命じる義務もあります。
ところが、町は人事評価を説明していませんでした。
「その上司を信頼するから二次評価はしなかった」
と明文で回答してきた始末で
二次評価や調整をする気持ちさえなかったことになります。

法律を守る意識がなかったということです。

この2年連続最低評価がされた責任を取るべきは
町自身なのです。

町自身が公務員の人事評価制度を理解していなかったのです。

それにも関わらず町は、分限懲戒委員会をつくりました。
同委員会では
当該職員の落ち度などは、裏付けがなく
上司の記憶や印象だけしかない
ということがはっきりと議事録に記載されていました。

それでも分限手続きを進めるため
最初に当該職員に弁明させて
そののちに他の関係者から事情を聴取して
分限理由を固めようなどという発言もありました。

町の懲戒委員は誰一人
「それはおかしい。不公平だ。」
と言いませんでした。
人一人の人生がかかっているというのに
その点をどう考えているのでしょうか。
大変恐ろしいことです。

誰一人、職員の人生をまじめに考えている人はいない
ということになります。
そういう人だけを委員に選任したと言わざるを得ません。
空気を読むということはこういうことなのだなと思います。

大事なことは、町であっても、
赤字を減らすことなどの一方の理由だけを重く見てしまうと
外の事を考えられなくなるようです。
町であっても
法律を守ろうとする気持ちすらなくなっていくようです。

そうだとすれば
この町だけでなく、
外の市町村や都道府県でも
同じような不合理な人事評価、
不合理な分限手続きや懲戒手続きが行われている可能性がある
ということになると思います。

自治体という公的な団体の評価、処分だから
争うことができないと思ってしまい
泣き寝入りする人もいるのかもしれません。

でも、不合理なことは不合理なのです。
不合理は正さなくてはなりません。
自分だけでなく、
同じことはこれからも繰り返されてしまいます。

当該職員も精神的にかなり落ち込み危険な状態でしたが
私と戦う中で回復しつつあります。
自分が信じた職場や町が
みんな自分に対して攻撃してきて
自分には誰も味方がいないと感じていたわけですから
それはかなり厳しい状況にあったものと推測できます。

色々な制約があるかもしれませんが、
その中でも頑張って
名誉と経済的不利益を回復した職員がいたということを
苦しんでいる人たちに報告したくてこれを書いています。

都道府県の人事委員会は第三者機関です。
かなり事情について詳しいし
きちんと筋を見て正しい判断をしてもらいました。
手続きの運用なども感心しました。
捨てたものではありません。

戦う手段は残されているのだと思いました。

それを実感できたことも
この事件に取り組んだ成果でした。


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【パワハラ研修をお引き受けします!】現場を知り、労使双方の言い分を聞いて研究してきた人間が行わなければ、企業活動に支障が出るおっかなびっくりの腰の引けた話か、聞こえは良いが後にパワハラで訴えられる話しかなされない。 [労務管理・労働環境]


本日から、企業にパワハラ防止が義務付けられています。
防止対策や、その中心であろう管理者研修に
労務担当の方はご苦労されていると思います。

しかし、パワハラ防止法や関連の通達を見ても
「それはさすがにパワハラでしょう。」、
「さすがにうちではそれはないわ。」
と感じている企業が多いことだと思います。
「では、今までの通りでよいのか」
という不安も起きてしまい、
結局何に気を付けてどうすればよいのか
ということが分かりにくいというご感想も多いと思います。

よく引き合いに出されるのは
厳しい注意は必ずしも防止の対象にならない
なんていうところですね。

労働者側からすれば
注意という言い訳が効くのだから
結局パワハラが容認されていると批判するところですが、
企業側からすれば
どこまでが許されるのか分からないので
結局必要な指導がしにくくなっているのです。
安心して厳しい指導ができるとか言って
能天気に構えている企業人はいないのです。

いろいろな講師を呼んで研修をされていると思いますが、
中には、なんであなたが呼ばれているのと思う人もいて
ずうずうしく何を話したか聞いてみると
「判例の話をしてきた」というのです。
それでは、日常の企業実務では
何の役にも立たないだろうなと感じています。

判決に記載されていることは、
弁護士がいろいろ調べ上げたエッセンスであって、
どうしてどのようにしてパワハラが起きたのか
ということはあまり記載されていないからです。

結局パワハラ防止法の条文を読むのと
それほど大差のない話が聞けないのは理の必然です。

結局、問題のありそうな人に部下をつけないとか
結果として上司は部下に注意をするな
という腰の引けた行動しか提起されないということになってしまいがちです。

逆に、これも大丈夫あれも大丈夫という話を真に受けて
労働者が健康を害して会社を訴えた後で
講師に責任を取ってもらおうとしても後の祭り
ということも心配になります。

注意指導の問題一つとっても
企業によって形態が違えば、
上司と部下の関係も違う、
必要な伝達事項の伝え方も違うわけです。

もちろん上司の個性も部下の個性も違います。
一律に線引きをするような
マニュアルを求めるとかつくろうとかするところに
無理があるわけです。

こういうはっきりした基準を求める気持ちもわかりますが、
これはとにかく結論が欲しいという余裕の無さの表れです。
この余裕の無さこそパワハラの土壌なのです。

一方で、
労働者がパワハラでメンタルを崩す理由なり、
メンタルを崩していく過程を知ることが大切です。
ところがなかなか血の通った研究をする人が少ないという問題があります。

私は、20年以上過労死弁護団で
自死や精神疾患と業務、労務管理の関係があることを
労基署や裁判所に向けて主張立証をしてきました。
尊敬できる偉大な弁護士の先輩方や先行研究をされた医師に学びながら
数多くの労災認定や訴訟勝訴の原因に
生身の人間の心理過程の調査を行い
自分なりに考えてきたことが貢献していると思います。

さらに業務と離れた所でも
厚生労働省の委託事業の過労死啓発防止シンポジウムで
労働過程で精神疾患にり患した多くの人たちから
心理学の研究者とチームを作って集中的に聴き取り活動をしました。
ひとりひとりの個性の違いとともに
驚くほどの共通点も見出しました。

これは、シンポジウムでも発表しています。

他方で、
私は、特定の労働組合と結びつきがあるわけではなく、
地元の出身ということから知り合いが多く
労使紛争事案でも会社側の代理人も担当しています。
企業法務に詳しい社会保険労務士の先生方とも勉強会を行い
企業法務について学ぶ機会も豊富にあります。

パワーハラスメントと評価される行為が
結果として生まれてしまうリアルな現場も知っているわけです。

これも、
厚生労働省の委託事業の過労死啓発防止シンポジウムで、
使用者側の視点から
手持ちの過労死事件、精神疾患事件を再構成して
パワーハラスメントになりやすい
労務管理の状況について報告しています。

結果としてパワハラをする人、メンタル不調になる人について
ともすれば、
特殊な人、なりやすい人がいるのだろうという結論に
無意識にもっていこうとする心理が起こることも理解できます。

労使は相いれないという思想というか考えを持ってしまうと
お互いを非難するだけで、改善に向かっていない
という感想を持つことが度々あり
結局パワハラ防止に役に立たないという実感をよく持つことがあります。

しかし結論としては、
みんなそれ程特殊な人ではなく、
特殊な行動に、あるいは受け止め方に
環境が原因でどんどん陥っていくということなのです。

みんな自分と同じ地平に立つ同じ人間だ
という意識がなければ学ぶこと、予防をすることはできません。

あとは直接お話しすることにして
研究していてもう一つ気が付いたことをお話しして終わりにします。

それは、
まるっきり同じ注意指導でも、
それがメンタルを害する結果になる場合もあれば
やる気を引き出す場合もあるということです。

これについては
どうしてメンタルが害されるのか
ということが理解できれば簡単に判断ができるし、
必要な注意をしたうえで次にすることが見えてきます。

ただ、一律のマニュアル的な説明は難しいのです。
そう言う発想を捨てることによって
物が見えてくるということです。

「人間とは何か」ということを考えるべきです。
それほど大それたことではなく
上司の言動でその部下はどう思うかという当たり前のことです。
当たり前のことと部下の個性を組み合わせて考えることが大切です。
そうすれば必要な注意指導をしたうえで
部下のモチベーションを高めて
生産性を高める部署をつくることができるわけです。

パワハラのもう一つの弊害は
生産性を阻害することだということを
企業はもっと意識をするべきでしょう。

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職場は放っておくとどんどん殺伐になるという法則。「昔はもっと厳しかったのに」という錯覚が起きる理由 [労務管理・労働環境]




働き方改革で、労務管理の仕事の重要性がましてきました。
実務的には同一労働同一賃金の対応で大変な思いをされていると思います。
パワハラ対策ということも決め手が見つからず
「パワハラするな」と命令することが実際の対策になってしまっています。

なぜ放っておくと、部下に厳しく当たってしまうのだろうと
頭を抱えている担当者の方も多いと思います。
まさか自分の会社でパワハラが起きてしまうなんて思いもよらない
という人事担当者が多いと思います。

そこでパワハラをしているという噂のベテラン社員に聞いてみるわけです。
「最近は、あんまり厳しすぎる指導は、問題になるよ。」
するとベテラン社員は答えるでしょう。
「なに、私の若い時は、もっと厳しく言われましたけれど、
誰もやめたりしませんでしたよ。
これでだめならものになりませんので、大丈夫です。」

これには理由があります。

1 聞き手が効く状況の違い

先ず、ヒトによってダメージの受け方が違う
という批判はもっともオーソドックスの批判です。

これは、育ってきた環境の違い、
もともと持っている感受性の違いももちろんですが、
フォロー体制の整備の違いがあります。

ベテラン社員の新入社員当時は年功序列賃金の体系ですから
上司ににらまれたところで
出世はできなかったかもしれませんが
定年まで会社にいることはできました。
それなりに賃金は上がりました。

上司から叱責された若手従業員に対して
上司からすれば余計なフォローをしていた人たちがいたわけです。

飲みに連れて行って慰めてくれたり、
こっそり仕事を手伝ってくれたりしたわけです。
上司からの叱責のダメージに対しては
同僚からフォローされることが一番のいやしになるようです。

ところが、最近は、上司からにらまれると
出世ができないどころか、
リストラとか派遣切りとか更新拒否とかいろいろあって
そのことをおそれるあまり
事後的なフォローすらしなくなるという風潮があるようです。
叱責を受けた若手従業員は
会社の中で孤立することが多くなったようです。

過労自死は、こういう現場
つまり、上司の過剰な叱責があっても
誰もフォローする者がいない職場で多く起きています。

ベテラン社員が上司から同じことを言われて耐えられたのは
こういうダメージ軽減策があったからかもしれませんので、
単純に同じことを言ってしまうと
ダメージが軽減されない現代の職場では大変なことになってしまいます。

2 上司の勘違い、場面違い

また、同じような場面で同じような言葉を使ったというつもりでも、
実際は場面がまるっきり違う場合があります。

例えば、部下が職務上の質問をしてきたときに
「なんでもこっちに聞くな。自分で考えろ」
ということを言うことがあります。
新人従業員に対するパワハラで多く聞かれる叱責です。

おそらく、それを言った上司も、かつて、
自分の上司から同じ言葉を言われたのだろうということは予想がつきます。
でも、本当に同じ場面かというと、少し怪しいことが多いようです。
自分が言われたときは、極端な例を挙げると
上司が丁寧に説明して一度それをやることができたのに
ちょっとだけ応用して考える要素が出ただけで、
上司の指導を仰いだというケースがあるようです。

それにもかかわらず、自分が言われた言葉を後輩に使いたくて
(昔の指導に対する腹いせとか、上司ぶってみたいとか)
ほとんど説明していないにもかかわらず、
また、何の経験もない新人に対して
自分で考えろという無茶なことを言っている場合が
どうやら多いようです。

昔は「ああ無茶言っているな」とかわいそうに思って
先輩がやり方をこっそり教えてくれる
というようなことがあったのかもしれません。
それで、上司が若手のころ何とかしのげたのかもしれません。

だいたいがパワハラをするような上司は
上に媚びることは上手な人が多くて
何人かの自分の上司の温情で今の立場に引き上げてもらった人が多いように
訴訟などの事件を通じてみてそう思います。
当のパワハラ上司は、そういうことは忘れているようです。

場面が違って考える材料がそもそも与えられていない
またフォローすると自分がにらまれるのでフォローしないという職場では、
自分で考えろ
と言われた方は不可能を強いられているわけですから途方に暮れてしまいます。

3 発言者と聞き手のダメージの度合いの違い

叱る人が自分の叱責で相手に与えるダメージとして想定される大きさと
それを聞いた人が受ける実際のダメージは
聞く方のダメージが大きいのです。

これは、自分でくすぐってもくすぐったくない原理で説明できます。
自分でくすぐってもくすぐったくない理由は、
くすぐる直前に、どの指でどの程度の力で、指をどう動かすかということが
無意識に、あるいは意識的に想定してしまうからなのだそうです。
くすぐったいというのは、意外性が無ければ感じない感覚なのでしょうね。

これと同じように、発言者の方は、
これから自分が何を言おうとしているのか、
口に出す直前に認識しています。
感情的になっていたとしても、
ある程度は、これから話す内容を知っているわけです。

どのくらい懲らしめてやろうとか考えているわけですが、
真意が別にあることも自覚しているわけですから、
それほどひどい結果を考えていないことも
話す方はわかっているわけです。

例えば「死ね」と言ったって、
本当に命を奪うというつもりで言っているのではないので、
それ程強烈な言葉を言ったという自覚はありません。
自分の内心と照らし合わせて、
それほどダメージはないと思っているわけです。

例えば「役立たずの給料泥棒」という場合も同じです。
泥棒の犯人として警察に告訴するわけでもないですし、
給料を返せというつもりもないのです。
だから、言っている方は、
「もっと結果を出せるよう頑張らないと自分は相手をしないよ」
という程度の(それでも十分強烈ですが)気持で言っているようです。

ところが、言われている方は相手の内心などわかりません。
「死ね。」と言われれば、
まさか命を取られるということはないだろうと思っても、
自分という存在をその上司の前から消すようにと言われているように感じます。

「役立たずの給料泥棒」と言われれば
給料をもらう資格がないと言われていると感じるわけです。

会社に来るなと言われているように感じるのです。

そうしてそれを他の同僚が黙って聞いているならば、
他の同僚からも同じ意見を持たれているというように受け止めてしまいます。

言われている方は、言っている方が想定するダメージより
はるかに大きなダメージを受けることが「通常」なのです。

4 叱責は代を重ねるごとに大きくエスカレートしていく

同じ言葉を、同じ場面で行ったとしても
ダメージは大きくなっていくという理由があります。

ポイントは話す方が想定しているより、聞く方のダメージが大きい
というところにあります。

わかりやすく数値を使って説明しましょう。

上司が元上司と同じ言葉で叱責した場合、
元上司は、20ポイントくらいのダメージを想定して叱責すると
その叱責を受ける方はもっと大きなダメージを受けるので
若かりし頃の上司は40ポイントのダメージを受けたとします。

歳とった上司が、元上司の同じ叱責をしようとすると、
自分が受けたダメージと同程度ならばよいだろうと思うとすると
40ポイントのダメージを部下に与えようとしてしまいます。

聞いている方は言う方の想定より大きなダメージを受けますから
例えば80ポイントのダメージを受けてしまうことになるわけです。

上司のまねをして「同程度」の叱責をすることが
何世代かにわたってしまうと
かなり激しいパワーハラスメントが行われてしまうことになります。
それでも、
「自分だって同じことを言われたのだから
それでダメージを受けてしまう今どきの若者は弱くなったなあ」
とのんきなことを言っているわけです。

5 小まとめ

自分が受けた叱責と同じ叱責をしようとすると
同じシチュエーションだとしても
部下は自分以上に大きなダメージを受けている。

ところがこれに加えて
自分が上司から指摘された場面が違うとか
それを聞く側の条件が違うとか
同僚のフォローがなくなったという事情が加われば
深刻なダメージを受けている可能性があるわけです。

簡単に言えば
普通に叱責すれば、ダメージは想定以上に大きくなる
これが真理なのです。

「普通に叱責」させることをやめさせなければ
精神破綻をする従業員が増えていき、
殺伐とした職場の雰囲気になるし、
過労自死が増えていくことになるでしょう。

生産性が上がるわけがありません。

6 どうすればよいか

先ず、一度叱責をやめさせることが必要です。
乱暴な言葉、配慮を欠く言葉、厳しい言葉をやめさせることです。

これを何年かに一度徹底しなければなりません。
放っておくと自然と受けるダメージはエスカレートするのですから。

止めろと言ってやめることはないでしょう。
何が悪いのか、通常の場合は上司も分からないからです。
何しろ、自分が受けたことと同じだという意識ですから。

失敗、不十分点、弱点、欠点を
責めない、批判しない、笑わない
という意識が有効です。

これをきちんとしたコーチング技術に置き換えることです。
これを経営者が直近の部下に対して手本を示す
ということから始めなければなりません。

失敗に対しては対人関係学は
PMGという手法で成長の好機として活用することを提唱しています。

弱点などの属性を改善するための方策を一緒に考えるということも良いですし、
チームプレイとしてフォローをし合う体制を作るということも有効でしょう。

何よりも、現状のメンバーで、チーム力を発揮して生産性を上げる
という明確な目標に近づけるための方策にしなければなりません。

できない人にできるようになってやれという指導が
実際は良く行われていますが、
色々な意味で時間の無駄です。
日本経済を落ち込ませる典型的な無能の労務管理です。

あなたが会社で労務管理を担当する立場にあるならば
是非、新人従業員から指導内容について具体的に話を聞くという方法で
上司の力を点検することをお勧めします。

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パワハラが労務管理の問題ではないケース かんぽ生命事件に学ぶ 経営問題から生まれるパワハラ、現代の殿様商売とは [労務管理・労働環境]


これまで、パワハラ対策は、
労務管理の問題だと位置づけられていました。
しかし、今回のかんぽ生命事件の
第三者委員会の報告と経営者の記者会見を見ると
実は労務管理の問題は対症療法に過ぎず
根本的には経営問題の場合もあるということを学びました。

調査報告をみると
問題が一部ではなく全国的に広がっているようであり、
不正取引も売り上げを上げるために全社的に黙認されており
パワハラも、広く行われていたようです。

プロの「商売」という観点からこの意味を考えてみましょう。

例えば釣り好きの人とプロの漁師のどこが違うか

釣り好きの人はとにかく水さえあれば釣糸をたらしたくなるけれど
プロの漁師は魚群のところまで行って漁をするということです。
そのためには、経験やレーダーなどの科学的方法をとるわけです。
さらに、どこの港に水揚げをするかということも考えるわけです。

商品を売る商売の場合も同じで、
どのような商品ならニーズがあるか
お買い上げになる人はどのような人たちか
どこにどのように営業を展開すれば
その人たちが商品を知って、手を伸ばそうとするか
売り上げにつながるかを
先ず徹底的にリサーチするわけです。

その上で商品開発をします。
開発者と営業との連携がここで必要になり、
その商品のウリは何か、
メリットともにデメリットがどこにあるか
どういう人たちにどういう風にアプローチするか
そういう戦略を立てるわけです。

それでも必ずしも売り上げにつながらないことが
商売の難しさです。

そのような戦略がしっかり立てられ
営業担当者全体に浸透していれば
不正取引は起こりようがありません。
今回のような無理な営業を続けるよりも
別のニーズのある家庭に営業をかけた方が早いからですし、
自社商品を購入したことによって
顧客が不幸になることは
人間として大きな抵抗があるからです。
自社商品を誇りたい、自社を誇りたい
というモチベーションがあるべきなのです。

パワハラが起きる理由はここにあります。

ノルマは苛烈である。
しかし、保険契約を取り付ける戦略がない
上司もコーチング技術がない
それでもノルマを達成しなければならない
商品のメリットが分からない
商品のニーズが分からない
とりあえず使えない一般的なことしか書いていないマニュアルを握って
とりあえず人のいる家を訪問するしかない。
高齢者の一人暮らしの方しか家にいない。

高齢者の元にちょくちょく言って話をしていると
親身になってくれる
こちらを信じて
あるいは、だまされても良いと思って
保険契約をしてくれる。
こういうことが起きていたのでしょう。

このあたりは以前このブログで書いています。
一人暮らしの高齢者のかんぽ生命被害の実例から考える高齢者問題 身近な将来の自分たちの問題
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2019-07-17

それでも、保険契約をとることが
相手にメリットがないし、
保険料は払わなければならないとなると
まともな担当者はやりたくないですよね。

営業職というか会社をやめたくなるわけです。
しかし、同じ条件の賃金の出る仕事がなかなかない。
仕事を続けるしかない
しかし上司は鬼のように売り上げを上げろという

つまり、上司がパワハラをするのは、
上司自身が、この商品が売れないことを知っているからです。
それでも売るためには強制するしかないと知っているからです。

パワハラの原因がここにある可能性があるということです。
何年か前から苦情が出ていたのですから
かなり上のレベルまで不正がわかっていたはずです。
それをクレーム対応のように処理してしまっていたようです。
調査委員会は、この点についても調査報告をするべきです。

だとすると、かなり上の人たち、おそらく経営者に近い人たちも
売れる商品ではないことを十分理解した上で
根拠のないノルマを設定していたことになります。
おそらく、「それだけ売れればいいな」的なノルマ設定でしょう。

郵便局は、国の財産でした。
郵便局の利益は様々な形で国民に還元されていました。

小泉内閣によって民営化されてしまい、
現在は国民の利益に反映されず、
消費者としての国民を不幸に陥れている
ということになりそうです。

それにしても、経営者の記者会見はひどいものでした。
どうして、専門家からレクチャーを受けないで
会見を開いてしまったのでしょうか。
荒れるべくして荒れたわけです。

どこまでも素人なのか
売れる商品を作ることもできず
売り方もコーチングできない商品を作り
それでも従業員に売れと言い放つ
現代の殿様商売がこれなのでしょう。
民間企業なんてこんなものだという気持が透けて見えます。
商売をなめているとしか思えません。
経営者が何も努力せず
従業員の頑張り頼みということではないでしょうか。

そして改善策としては
勧誘の可視化等ということが取り上げられているようです。
本末転倒、枝葉末節ということです。

売れる商品を作り、販売戦略を立てる
それこそするべきなのです。

不正を行った営業担当者は
顧客の不利益を働きかけ
顧客が苦しんでいても何も対応しない人たちです。
経営者の犠牲者ではありますが、
そういう「強いメンタル」を持ってしまった人たちです。

その人たちが、にこやかな笑顔を振りまいて
あなたの親、あなたの祖父母、
あるいは高齢になったあなたの一人暮らしの家を訪問するのです。

かんぽ生命の不正疑惑ということは
そういうことだとしっかり認識していただきたいと思います。


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【労務管理の専門家向け】使えないパワハラ防止法に頼らずに、経営者にパワハラ防止の意識づけをさせる方法と経営戦略上の意義 [労務管理・労働環境]

パワハラ防止法と呼ばれるようになった法律があります。
旧名称は雇用対策法で、高度成長期に成立した法律ですが、
去年(2018年)から「総合施策推進法」と呼ばれるようになった
「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」
という長ったらしい名称の法律です。

厚生労働省が、このたびこの法律の指針案を発表しました。
パワハラに該当する例を示したのですが、
パワハラに該当するという事例が限定的になっていて
パワハラに該当しない例がわざわざ書かれているものでした。
これでは国がパワハラをする会社の言い訳を用意したようなもので
パワハラ防止の実効性がないという批判が浴びせられています。

罰則規定があるわけではないのだから
ここまで厳密に定義づけをする必要はないのです。

何のためにパワハラを防止するかということが徹底していないのでしょうね。

この中途半端な政策になっていしまった根本原因は
本来労働者の健康と命を守る法律を作って定めればよかったのに
労働力の流動化を図ることを主目的にした既存の法律に
パワハラ防止を組み入れられたところにあるわけです。

元の法律ができた時代は昭和の時代です。
昭和の終わりころから国の政策は様変わりしていきました。

元々は、
労働者に充実した生活と賃金を保障し
自立自助の生活を確立させ、
それを基本として社会保障を組み立てていく
という社会政策という政策があり、
労働政策はその根幹をなすものでした。

ところが、労働政策自体が後退し
労働市場における需要と供給のミスマッチの解消させる政策に移行しました。
労働力が足りない企業がいる一方失業者もいるという状況をなくすために
労働者が来ない企業に労働者をあっせんするという
労働力流動化政策が主流になってしまったのです。

労働者の賃金を基盤とした社会保険という建付けも崩れてしまったことから
社会保障政策が行き当たりばったりになっていくようになりました。

労働市場政策も、
不利な労働条件の会社には就職せずに、有利な企業の募集を待つ
という需要と供給の一致という資本主義の自由市場の原理を壊してしまい、
不利な労働条件だとしてもとにかく雇用を促進する
という政策に変更になったわけです。

思えば過労死や過労自死、メンタルヘルス、ブラック企業の問題が多発するのは
このような労働市場の市場原理を壊したところに原因があるのかもしれません。
自由主義経済が機能していないのです。

このような流れの法律ですから
労働者の健康や安全を守るためのパワハラ防止というよりも
企業に労働力を向かわせて定着させるという
労働力流動化という目的での法律だと考えたほうが理解しやすいでしょう。

本来パワハラによって過労自死をする例も多いのだから
労働者の身体生命の安全を保障する法律を作るべきであるが
もともとそういう法律ではないのです。

それでも労働者の企業への定着のための
パワハラ防止のない企業を作るということも
日本において必要なことですから、
その目的を達成できる法律にしてもらわないと困るのですが
それができていないわけです。不徹底なのです。
きちんとしたパワハラ対策の政策がないことで危機感を抱いているのは、
どうやら労働者、労働組合、その関係の弁護士よりも
大河内一男先生の言葉をお借りすると「総資本」の観点に立つ人たちのようです。
総合的な観点から理性的に企業の発展を考える立場というような意味です。

そういう観点に立つ人はどういう人たち化というと
プロの労務管理、企業法務の専門家の先生方です。

私は、この先生方と、年に1,2度労働法の勉強会をしています。
テーマのリクエストをいただき
私がテーマに沿って実務的な実態と法解釈の現状をリポートして
ディスカッションをするわけです。
まあ、実務的な現状について教えを乞うわけです。

今回は数個のお題をいただきました。いろいろな分野がありました。
労働基準法のレアな条文に関する実務的問題点ついては、
結構私が裁判などで実際にその条文が問題になる事件を担当しているので
お話しすることがたくさんあるため、レポートも楽なのです。
しかし、今年のお題の筆頭は
「パワハラ防止をいかに企業に定着させるか」というお題で
これまでの中でも一番難しいお題になっていました。

労務管理の最前線でご活躍なさっている先生方にとって
働き方改革も踏まえて
パワハラ防止が最も切実な問題だということです。

パワハラ防止の理念を唄うだけならばいくらでも誰でもできるでしょう。
しかし、企業経営者と直接接する先生方に対して、
実務的に役に立つ方策でなければ意味のない時間になってしまうので
苦労しているわけです。
でもとても楽しい苦労です。

そして例によって、このブログで悩みをそのままこうやって書き連ね
論点を整理して、話す内容を
組み立てていこうというそういう寸法です。

これらの先生方は、
企業経営者の言いなりになったのでは仕事になりません。
そういう経営コンサルタントも世界的に暗躍しています。
GE等の労務管理の成功例を劣化させた案を
高額な報酬で企業に押し付け
基準日まで業績を上げてさっさと立ち去る手法を使う人たちです。
こういう手法は短期的には有効ですが、
長期的に見た場合はさまざまな不具合が発生することがあり、
かえって企業を倒産に向かわせる場合もあります。

資本主義の理性というべき先生方は
もちろんこういう手法は取りません。
クライアントを本当に大切にして
信頼を勝ち取られています。

今や、企業経営上問題が起きれば
経営に直結し、訴訟なども起こされる時代です。
そういうことにならないための仕事なので、

近視眼的になりがちな企業経営者と時に対峙しながら、
企業が打つべき方策を客観的に見極めて
本当にやらなければならないことは何か
ということを真摯に考えて企業に提案されていらっしゃっています。

そういう意味で、本来あるべき国家的な視点に立った
総労働という言葉を思い出したわけです。

時にこういう本物の労務管理の専門家の先生方が
法律や通達に期待するのはどういうことでしょう。

それは企業が安心して最低限のルールを守るようにすることです。
長時間労働や無理な労働をさせない手段です。
「これは法律で決まっています。罰則もあります。
 だから、ほかの企業も守っているので、守らなければなりません。」
ということを言える政策です。

こうして最低限のルールを設定してもらい
企業にとってのマイナスを作らないようにすることができるわけです。
例えば長時間労働を制限して
これ以上働かせてはならないということができる、
そうやって過労死を防ぎ、企業にとってのマイナスを防止するのです。

企業にとってのマイナスとは
例えば過労死、過労自死などが起きてしまったことを考えるとわかりやすいです。

莫大な損害賠償義務、訴訟の負担が企業に発生します。
同僚労働者がその企業で働くことに疑問を持ったり
働くことのモチベーションの低下によって生産力の低下が起きることです。
このままでは早死にするということでの退職、転職がおこり
優秀な人材が出て行ってしまうことです。

そして風評被害ですが、
就職をしようとする労働者がいなくなるだけでなく、
取引先との関係でも
過労死が多い職場ということで
忌み嫌われるということがあります。

しかし、当該企業はなかなかそれに気が付きにくい。
しかし、いつの間にか取引先が離れて行ってしまっています。
それらの行きつく先は、端的に倒産です。
実際過労死を出した企業で、支店が営業所に規模縮小
なんてことはよくあることです。

企業の理性を体現する人たちは
パワハラを本気で無くしたいと思っているのです。

だからパワハラ防止法に期待している専門家は驚くほど少ないのです。
というか、使えない法律なのだから驚くに値しないことかもしれません。

この法律や指針の問題点は、
企業は切実にパワハラをなくしたいと思っているのに
その切実さがないということです。
パワハラの企業にとってのマイナス事情があるのに
国は他人事だと考えているのではないかと
労務管理の専門家は思っています。

なぜパワハラが起きるかが検討されていないのも
本気度が足りないからでしょう。

パワハラが起きる現場は特徴があるようです。
一言で言って無理にも生産性を上げなければならないとか
売り上げを伸ばさなければならないとされている現場です。

しかしながら、そのノウハウ、コーチング技術がないために
根性論が幅を利かせる傾向になってしまうのです。

どうしてそういう現場ができてしまったかというと
そこでの活動スタイルが確立した時点では
おそらく合理的な活動スタイルだったのでしょう。
ところが環境の変化によって
かつてのスタイルでは対応できなくなったという事情がありそうです。

パワハラのやり玉にあがるのは優秀で責任感のある従業員です。
その人をたきつければ数字が上がるということで
その人を集中して「叱咤激励」するのです。
パワハラの犠牲者になって
優秀な人から順番に企業から離れていくという事態に陥ります。

もう一つの傾向として、
同僚に対する要求度が高い職場でパワハラが起こりやすいとされています。
生死を共にする自衛官、警察官、消防職員が典型です。
人の変わり果てた姿を見る職業だということも
同僚を大切にできなくなる理由なのかもしれません。
しかし、それ以上にそういう危険な職場であるにもかかわらず、
定員割れで無理な割り当てがされている職場でもあります。
職場の不満を上官に言えない階級制度があるため
自分よりも弱いものに八つ当たりをしているという可能性もありそうです。
現場労働者に甘えている現場なんです。

もちろん、経営者や上司の個性にも原因がある場合も多くあります。
きちんとしたシステムがなく
ワンマン経営者の思い付きに幹部クラスが振り回されて文句を言えない職場ですね。

目標に達せなければ時間をかけてやらせるという一辺倒な職場です。
時間内に課題を終わらせるという発想がない職場です。
学生時代の美術の時間で、確かに上手なのだけれど
細部にこだわって授業時間に絵を完成させずに
ずいぶん経ってから絵を完成させ提出する人がいましたが
そんな感じの上司が、従業員にそれを強制するわけです。

無駄な様式美を追求する職場もありますね。
結果が出ればよいのに、伝統的な手順を踏むことを要求するような職場です。
それで馬鹿みたいに時間を浪費していることがよく目につきます。
結果を出すことよりも、職場内での上下関係が優先されるような職場ですね。

いずれにしてもパワハラ職場は、優秀な人から辞めていき
優秀な人が入ってこない
その結果ますます定員割れとなり、生産性も落ちて
ますますパワハラ、長時間労働となり、
ますます優秀な人が減っていくという悪循環が起きるわけです。

こういう実態のあるところに
中途半端な法律とか、抜け穴だらけの通達をしめすということは
切実にパワハラを終わりにするという姿勢がない
誠実に生産性を上げるという気概もない。
そう受け止められるのです。

これでは労務管理の専門家が企業経営者に対して
どんなにパワハラ防止対策の必要性を説いても
「よそでもやっているのだろう」
「抜け道をちゃんと用意しておけ」ということしか発想として出てこないのでしょう。
だから使えない法律なのです。

国の方法論がこのようにまじめな労務管理の足を引っ張るものなのに
パワハラは禁止ですという結果だけを要求しているようなものです。
できないと「なんでできないんだ」と責めるばかり
こういうことがパワハラの本質なのですが
この法律自体がパワハラになってしまっています。

この結果パワハラ防止対策は。
企業にとっては、生産の足かせとしか受け止められず、
できるだけこの法律の制限を回避しようとして
抜け道や工夫ばかり考えるようになるわけです。


だから、プロの労務管理専門家たちは
法律に変わるパワハラ防止の方法を必死に模索しています。

パワハラ防止の企業サイドの方法論の総論は、
パワハラを防止することが企業の利益であるということ
不必要な経費を軽減して、費用をかけずに生産性を上げる
企業スタイルの刷新の絶好のチャンス
あるいは企業再生のチャンスだという
プラスのモチベーションを高めることだと思っています。

パワハラを容認する企業は倒産する
パワハラ防止をそれだけでなく企業戦略として位置づけることによって
これから伸びるチャンスとするということです。

これを方便としてではなく、
現実的な企業戦略にできるかがカギになるでしょう。

以下、そのプラスの例を考えてみるのですが。
専門家の先生と積極的に意見交換をしたい
これをたたき台にして
実務的に直結するアイデアに高めていければ幸いです。


一つは、ビジネススタイルの見直しの機会にするということです。
パワハラ事案が出てしまう企業は
いろいろな事情で自分たちのやり方を振り返る余裕がありません。

前例を踏襲することに汲々としている企業です。
しかし、どの企業であっても、企業を取り巻く環境は
刻々と変化をしている。
労働者の意識が変化しているならば顧客の意識も当然変化しています。
意識の変化、環境の変化に合わせて企業活動の変化ができなければ
当然企業の存在意義がなくなってゆきます。

環境の変化に対応する方法が見つけられずに
単に労働者にプラスアルファーの労働を求めてしのごうとするとき
パワーハラスメントが起きるわけです。

例えばエリアが拡大したとか
競合店がなくなって仕事が増えたのに
人数も変えず、やり方も変えない。

逆に競合店が増えたのに
それに合わせた戦略を立てられず
労働者の頑張りの強化だけに期待する。
成績が伸びないのは当然なのに
パワハラでしのごうとする。

このような環境と企業活動のミスマッチに気が付かない。

時代的変化への対応の関連では、
経営者交代の時です。
新経営者がパワハラというか強圧的になることがよくあります。
従業員から信頼されている先代が引退し
二世たちがやるときに
先代が苦労して勝ち取ってきた信頼と尊敬がなく
そのことが自分でもわかり不安になるのですが、
謙虚な気持ちもないものだから
先代に対して忠誠をつくしたような態度をとらない労働者を
力で屈服させようとする。

やり方もうまくいかないし
比較されるのが嫌だからでしょうか無理に新しいことをしようとして
外部のコンサルなどの意見を聞いて
「合理化」を狙って、労働者の既得権に手を付け
例えば退職金を払わないとかいうことを強行して
訴訟に負け
そういうことの繰り返しで
企業自体が消滅する。

業種が一つ消滅した例もあるくらいです。

取引相手の窓口は、具体的担当者、従業員なのです。
多少無理な付き合いも、顔見知りの顔を立て行いますが、
無表情の見知らぬ人間の新たな要求は
最初から鼻もかけないのは当たり前です。
それがわからないのです。

経営者の発想を変える必要があります。

その方法論を考えてみましょう。

まず、最初にする経営訓練として、
労働者の気分感情を考えるということが
とても良い訓練となります。

人の快、不快はある程度共通です。
労働者の環境が変化しているならば
労働者の感情のリサーチは顧客のリサーチにもつながります。
労働者の要求を理解することを通じて
ビジネスチャンスも見えてくるかもしれません。。

発想の転換の第2は
使用者と労働者の関係についてのイメージの転換です。

使用者、被用者という感覚は
現代企業としては生き残れないようです。
対立していたのでは生産性も低くなります。

使用者の言いなりに労働者を働かそうという発想は
労働者をロボットに置き換えても成り立つ企業以外はアウトということになりそうです。

企業とは
労働者の能力を発揮する場を提供しすることだということです。
使用者は労働者の活動について協力体制を敷いてバックアップする
これが特に中小企業で必要な発想である。

労働者が、自分の日々の活動から
企業の在り方を判断し、検討し、提案していく。
生産性を上げることが自分の喜びになるような
活動スタイルを作っていく戦略が実務に入り始めています。

その労働者の傾向に合わせた自主的ルールができていく
無駄な、不合理なシステムは改定されていくというわけです。
下手なコンサルタントをつけるよりも生産性は上がってゆくようです。

そのためには、従業員が意見を自由に述べることができる環境を
使用者が整備する必要があります。
意見を制限したり旧来のやり方に固執したりする上司を
使用者がジョーカーとして穏便に制して、
若手労働者等の新鮮な意見を尊重する制度を作るわけです。
自分の意見に基づいて会社が動き出すということは
従業員にとってもとてつもないモチベーションがあがりますし、
責任をもってやりとげようとする。

パワハラなんてマイナスなだけな職場を作るだけだということが
よくわかってくるでしょう。

服務規律は労働者にゆだねたほうが合理的で
遵守意識が高まるようです。
無駄な無理な拘束をしないことこそ
モチベーションを上げる特効薬なのですが、
経営者の発想ではなかなか難しいのです。

これらのゼロの先のプラスを目指すならば
政府が著した指針の類型なんて
当たり前のこんこんちきのことであり、
足りなすぎると笑って読み飛ばすようになるでしょう。
パワハラをしないことは当たり前として、その先、
むしろ、厚生労働省が示した
「パワハラに該当しないという例」をしないで済むような労務管理
これを実現する職場をつくるということが
この厳しい状況で生き残るための指針にされなければ
企業は生き残れないでしょうし、
それが実現する職場は
いいことづくめが予定されていくということになるでしょう。

もう少し、日本経済の実情を踏まえた法律や国家政策を
行ってほしいものです。





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社長さん、偽装請負ですよ。その契約は違法で、後から賃金を支払わなければならなくなる可能性があります。 [労務管理・労働環境]



最近増えている事例として偽装請負があります。
本当は自分の会社で雇っている労働者、従業員なのに、
雇用契約書を取り交わさずに請負契約の体裁で
契約書を取り交わすのです。

あまり詳細に説明するとまねをする危険があるので、
架空の話で説明します。

例えば、ガソリンスタンドの従業員に対して、
「今日から請負契約にするから覚書に署名して」と言い、
従業員は署名しなければ仕事を失うという不安がありますから
覚書に署名をします。

すると、それからは賃金が出ません。

社長は、
「あとは、自分でお客さんを獲得して、
 お客さんの支払った金額から経費を除いた金額の
 30%を請負代金として支払う。
 但し、スタンド使用料として月10万円を支払うこと。
 自分のやる気と工夫で今以上の収入になるよ。」
等と言うパターンです。

不思議なことに、ガソリンスタンドの従業員には
売上ノルマが課されることが多く、
自分のお得意さんを確保しなければならないのです。
指名してくれるお客さんが多くなければ
ノルマは達成されません。

いつものノルマを達成してもう少し稼げば
今よりも収入が上がる
と思う人もいるかもしれませんが、
一般の従業員は、もともと不可能なノルマだと感じているので、
今より収入が上がるとは思わないのです。
思わないけれど、嫌だというとやめろと言われることが分かっているので、
従ってしまうのです。

これで経営者は、
経費を労働者に負担させた上に、
賃料として毎月定額の収入を確保することになります。

働いている人たちが多ければ
けっこうな収入になるでしょう。
労働者も自分の利益に直結するから
売り上げをあげようと頑張るでしょう。
楽してお金が入ってくると思う経営者もいるようです。
そう言って、このようなスタイルを勧める
経営コンサルタントがいるようです。

しかし、これは後からとてつもないしっぺ返しを食う恐れがあります。

先ず、労働者の収入が出ないため、
労働者は借金を抱えて仕事を辞めていきます。
つまり売り上げが上がっても経費と家賃を支払うと
お金がほとんど残らない場合が多いのです。
つまり事業が成り立たなくなり、
店をたたむことになることが多いです。

そこをうまくやったとしても
お役所から指導が入り、
取引先から信用を失い、仕事が成り立たなくなる事例です。

役所からいろいろ言われることにもなります。
労働基準監督署の指導がまずあるでしょう。
なんせ、契約が請負でも実態が労働者ですから
労働基準法の適用を受けます。
それにも関わらず賃金も支払っていない、残業代も払わない
年休も与えないということになりますので、
違法です。
これらの違反には罰金と懲役刑もあるので、
悪質な場合には刑事事件にもなってしまいます。

さらには、脱税を指摘される可能性もあるわけです。

労働者からの家賃や経費負担を
収入として申告しない場合は
収入をごまかしたということになるのです。
こんなのちょっと考えればわかることなのですが、
なかなか気が付きません。

コンサルタントも
これらの危険をはっきりとは言いません。
経営者も間違った経費削減ということに夢中になり、
「違法行為だからやめよう」という意識が
薄れていくようです。
莫大なコンサル料を支払っていますから
引くに引けないという事情もあるようです。

また元々の経営状態が悪く
起死回生のギャンブルに出ることを余儀なくされている
そういうすきを狙っている人たちがいるのです。

よわりめにたたりめ

これも経営の真実でしょう。

ところで、契約名でなく、実体で
労働者か請負かを判断するとしたら
その判断要素はどのようなものでしょうか。

労働契約と請負契約の一番の違いは
仕事を任された方が、自分の自由に仕事をしてよい
結果を出せばその過程に文句を言われない
というところにあります。

だから、どこでその労働をしてもよいし
納期までにいつやっても良い
道具は自分のものを使ってよい、
誰かに手伝ってもらっても、下請けに出しても原則良い
そもそも仕事を断っても良い
ということになります。

この反対で、
例えば特定のガソリンスタンドで仕事をしなければいけない
(場所的拘束性)
朝8時から夜8時まではガソリンスタンドにいなければならない
(時間的拘束性)
自分の代わりに別の人をあてがうことはできない
(非代替性)
与えられた仕事は自分の都合で断れない
(依頼の諾否の自由がない)
会社の道具で仕事をしなければならない
(生産手段を持たない)
等の事情があれば
労働基準法の労働者であり、
国は労働基準法その他で、
当事者の契約などの合意があっても
強制的にそれを無効だとして排除して
労働者を保護することにしているのです。

最近は、この生産手段でさえ、
賃料、リース代金の名目で
労働者に負担させていますので、
これらについては厳しい法律の制定されていくことになると思います。

このような闇営業が横行しているということは、
隙だらけの経営者が増えているということです。
隙が生まれた事情を良く分析して
国としての対策を立てる必要があるのではないかと
感じています。


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