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なぜ妻は、婦人相談所で、夫から精神的虐待を受けていると言うのか 夫が悪い、妻が悪いという二項対立をアウフヘーベンして幸せな家族を作ろう 自分たちを大切にする方法 [家事]



1 思い込みDVのパターン

 ありもしない夫のDV、精神的虐待を妻が婦人相談所であると言ってしまう一つ目の理由は、思い込みDVのパターンです。
つまり、妻がもともと出来事が無くても不安や焦りを感じやすい体調になっている(パニック障害等の精神疾患、精神症状を起こす場合のある内科疾患、婦人科疾患、交通事故などの頭部外傷、お子さんに障害がある場合、住宅ローン、夫に内緒の借金や公共料金滞納、自分の過去)。
  ⇒ 不安や焦りを解消したい。⇒相談機関があるから相談してみる。
  ⇒ 夫に対する不満を話すよう誘導される(誰だって多少はある)
  ⇒ 「あなたは悪くない。それは夫のDVです。」
  ⇒ 夫からDVを受けています。

2 ミュンヒハウゼン症候群みたいな

 妻がありもしないのに、婦人相談所でDVや精神的虐待を受けているという二つ目のパターンは、誰かから要するにちやほやされたいという感情が病的にある場合ということです。

しかし、そういう要求が出現することはやむを得ない事情があるようにも感じます。
 これまでの人生において、姉妹、兄弟、あるいは親と比較して、自分だけが他者から肯定的な評価を受けず我慢していたとか、病気等が原因で仕事も家事もできず他者に貢献する機会がなかったことに後ろめたさを感じ続けてきたような場合(基本的にはまじめすぎる人なんだと思います)、夫の仕事の都合で見ず知らずの土地に来て地域の人と打ち解ける機会もなく孤立している場合という環境因子と、やはり本人の性格が合わさり、他人からちやほやされたいと思うようです。役所の公務員、警察、NPOの専門家然としている相談員、医師や教師などからちやほやされることに免疫のある人はいないでしょう。

⇒ 夫からDVを受けている。⇒ 大変だね。頑張っているね。あなたは悪くない。⇒ 実はもっとひどいことをされている。(離婚歴などがあり、過去にパートナーからひどい仕打ちを受けていてPTSD様の状態である場合は、過去の体験を現在の夫の行為として話し出すことが複数件でみられました。その時の様子についての説明から、結婚する前の時期の出来事だと判明。)
⇒ 早く夫から逃げなければ殺されてしまうよ。⇒ いやいやそこまででは・・・
⇒ 何を言っているの?命は大事だよ。子どもも殺されるかもよ。そんなひどい人なら一生治らないよ。
⇒ じゃ、じゃあ・・・

3 夫の正しさ

妻が婦人相談所から尋ねられて、精神的虐待やありもしない夫のDVを肯定してしまう場合に他の要因と合わさって、夫の過剰な正しさがある場合があります。
8月3日付のブログでも書いていますが、今回は妻の心理の側面から補足したいと思います。
人間は、群れの中にいたいという主としての本能がある一方、生物個体として自分の身を自分で守りたいという本能があるようです。両者は局面によっては矛盾するのですが、月と地球のように遠心力と引力が折り合っているのでしょう。

自分の身を自分で守れないと感じるとパニックになり、不安や焦燥感をいだくということは簡単に想像できると思います。真っ暗の中、どこかわからないところで目隠しをされて両手両足を縛られてしまうと、誰でもパニックになると思います。具体的危険が迫っていなくても、自分の身が危険さらされていると感じると思います。誰かが、あるいは動物が近づいてくるような足音が聞こえてきたりするかもしれません。金縛りのパターンも同じでしょうね。これをまず抑えておいてください。

夫の正しさが、妻を金縛り状態にするわけです。

「それをするな。」、「それはだめだ。」、「それはダサい。」、「常識に反する。」、「考えればわかるだろう。」、「やりなおせ。」、「謝れ。」

夫の言っていることは、場合によっては正しいことも多いのです。ただ、その正しさを貫くためには家の中でも常に緊張状態でいなければならず、安らぎなんて無いわけです。当初は結婚したほどですから、何とか夫から評価されたい、あるいは、夫から嫌われたくないと思って無意識に一生懸命やるわけですが、長続きしません。

徐々に自分が何をしても否定されるという意識になって行ってしまいます。何をするのも怖くなります。家のことなのに、自分で決めることができない状態になるわけです。あれこれ行動が制約されていくうちに、「自分で自分のことを決められない。」⇒「自分で自分のことを守ることができない。」という意識になり、
⇒「自分の行動は夫から支配されている。」と思うようになるようです。

そして、広範なダメ出しによって、自分は夫から見下されている、馬鹿にされている、対等の関係を築けない
⇒ 夫といると自分は安心できない。警戒し続けなくてはならない。
という感じになるようです。犬の嫌いな人が、大型犬と一緒にいるような落ち着きなさが日常になってしまうのでしょうね。

また、人間は成長過程によって、自己防衛を指向するようになります。つまり赤ん坊の時は、自分のことを自分で決めたいという個体はあまりいません。大人になっていくにつれて、自分のことを自分で決めたいという意識が強くなっていき、これを妨害する相手を敵視するようになるようです。結局、「何かあったら守ってもらいたい。でも日常は自分で決める。」というのが成体の人間なのでしょう。

また、夫の言い分が正しいとしても、それを発する自分の労力、それに対する否定的な感情を抱く相手の気持ち、その結果夫婦にしこりを残すという多くのデメリットを考えると、妻にやかましく言うことは結局のところ誤っているということになるかもしれません。ところが実家でのしつけの家庭や学校、職場での行動様式の静かな強要、常に神経を集中させる生活が身についてしまうと、他人である妻がいる空間でも、つい神経をとがらせてしまう行動様式を取ってしまうのかもしれません。その行為だけを見て評価をする場合は間違ってはいないのかもしれませんが、根本的な家族という人間関係を良好なものとするという観点では、端的に言うべきではない。費用対効果が見合わないということになります。

見て見ぬふりをする。まあいいかという心の中の処理をする。許す。寛容になる。相手に任せたことに男子たるもの口出ししない。こんな感じの生活が幸せを勝ち取る最善の手なのだと思うことが無難なのだと思います。

4 夫の幼さ

夫に身に覚えがないのに妻が精神的虐待を受けていると主張する4番目のパターンは、以下に述べる夫の幼さを妻が指摘して夫が感情的に反発するパターンです。
別居事例、離婚事例を見ていると、夫婦で共同生活を送る以上、一方は他方に「二人で生活している」という実感を持ってもらわなければならないと考えた方がよさそうです。意識的に実感を持ってもらう行為をするということです。

しかし、おそらく学生時代に両親と生活している感覚なのかもしれません。すぐに一人になろうとして自室にこもるとか、休日に妻を家に置いて頻繁に自分の趣味の活動に出かけてしまうとか、家事を頼まれていても忘れてしまうとか、自分のことはいろいろプランを立てるけれど夫婦共通のこととなると主体的に取り組まないとか、見たい番組ではないからと言って一緒にテレビを観ないとか、高額の趣味のものを内緒で買ってしまうとか、家のことでやらなければならないことなのにそれを妻から言い出すとなんだかんだ引き延ばして嫌々やっている感を出すとか、妻が料理をしても自分の趣味(と言ってもユーチューブ見ているとか)を優先して別々に食べることになってしまうとか。

そういう不満を最近家裁手続きの書類で読むことがあります。中には職場の過重労働やトラブルでうつ状態になり、一人の部屋に逃避している場合もあります。

それでも妻からすれば、結婚しているのに二人で行動しないでどうして自分が一人ぼっちにいつもさせられるのかという不満をもつのも理解できることです。新婚の内は別々の部屋なんて本来ない方が良いのかもしれません。

逆に妻の方がべたべたするのが嫌で、一緒に部屋にいるのは良いとしても、あれこれ詮索されることがうっとうしいというストレスが爆発したような事例もあります。

いずれにしても、男性も女性も、自分が相手から尊重されていないのではないかということを自分を軸に考えますから、相手が尊重していないわけではないとしても、感覚が違うと自分だったらこうしたいけれど相手がそうしないということだけで、たちまち不安になるということはやむを得ないところだと思います。

これを解決するためには、先ず、言葉で自分は相手を尊重している問うことを明確に伝えること、そしてお互いの生活上の希望を出し合うこと、相手が切実に一緒に行動したいというならば、やはり一緒に行動するように自分のスタイルを修正するべきだと思います。但し、自分のスタイルを相手に押し付けて、相手がそれに同意しないからと言って感情的になってしまうのもわがままであり、共同生活が難しくなるようです。

加減は難しく、時間がかかります。自分の信念や哲学、心情を捨てるということも時には必要になると思ってよいのではないでしょうか。ちなみに私もだいぶ独身時代大事にしていた心の部分を捨て去りました。大げさに言えば生き方を変えたところも結構あります。でも、歳をとった今となっては、なんであんなこだわりを持っていたのだろうと肯定的に捉えることの方が多いように思います。そのおかげでこのブログや対人関係学が結実したようなものです。結婚をすると選択した以上、ある程度家族を優先して生きていくということは不可避的な話なのだと思います。余計な話ですが、それだけ努力しても、なかなか相手には伝わらないことが唯一残念なことではあります。

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家庭では意識して要領の良さを追求しないことこそが要領の良いスタイルであること 家族は安心するために一緒に生活しているということ [家事]



先日、新幹線と在来線を乗り継いで離婚調停に代理人として出席してきました。離婚をするべきか、どうすればよかったか、これからどうするか等、調停委員の先生方も一緒になって考えるという理想的な家事調停が行われたと感じました。

さて、その事案も、真面目で責任感がありすぎる夫婦が、相手のことを思い、子どものことを気に掛けるあまり、無駄な衝突を繰り返しているという多くの離婚事件に共通の出来事があり、調停委員の先生を交えてその原因について検討し、対策を話し合いました。

常々私は、夫婦喧嘩の原因が、正義感、合理性を家庭の中に持ち込んで、厳密な公平を求めすぎるところにあるということを述べてきました。ここでは合理性の弊害がまな板の上に上がりました。

合理性というと少しわかりにくいのですが、要領の良さを相手に求めるというと少し思い当たることがあるのではないでしょうか。

例えば、洗濯物を干すときに乾かすためには洗濯物と洗濯物の間をあけなければならないとして相手が干した後で干しなおすとか、風呂掃除をしているときに洗剤をつけて1分そのままにしなければならないので、その間に夜間に水を入れてお湯を沸かし始めることができるのにボーっと風呂桶を見ているなとか、無駄を省けということを家族に言ってしまうということは無いでしょうか。

液体をこぼした時に新しいティッシュを使わないで広告紙を使えとか、落語の小言隠居みたいなことをつい言ってしまうことがあるようです。落語の世界ならばうるさい爺だと相手にしないしたたかな長屋の人たちの対応が笑いにかわります。しかし、言われた相手が、真面目で責任感があって、相手から愛想をつかされたくないと考えているとき悲劇が始まるようです。

言った者の言い分が正しいように感じますから、言われた方は反論できません。そうしなければいけないのだろうなと頭では考えてしまいます。相手から失望されたくないという無意識の願いは、自分が相手から否定されたという被害意識を感じやすくなっています。さらには、相手が疲れているから休ませてあげたいと思って、本来相手の当番の洗濯物を干すことを買って出たのに後から干しなおされたり、皿洗いを買って出たのに洗いなおされたりする場合、相手のことを思いやってやったことで喜ばれると思うのに逆に否定されるアクションを受けるわけですからカウンターとなり余計にダメージが大きくなるわけです。

このように要領の良さを追求した行為で、相手が不快になることは当たり前のことだと思います。相手方を不快にするデメリットを払ってまで追求しなくてはならない要領の良さというものはあるのでしょうか。洗濯物なんてよっぽど重ねなければそのうち乾くでしょうし、食器なんてなんなら食べる直前できれいにすれば足りることでしょう。どうしても気になるのであれば、相手に気が付かれないようにそっと治しておけばよいはずです。

どうしてそのように相手の気持ちを考えることをしないのでしょうか。

つまり、そこまで考えていなかった。

ということのようです。相手の気持ちを考えないで夢中になって合理性を追求しようとしてしまっているのでしょう。それでは、わずかなバイト料を得ようとして逮捕されるということまで考えていなかった闇バイトをすることや、視聴者数を増やそうとして損害賠償を受けることまで考えていなかった迷惑系動画を発信する人とあまり変わりないということは言いすぎでしょうか。

もう少し相手の気持ちを考えてみましょう。
要領の良い行動をするためには、常に物を考えて要領の悪い行動をしていないか、もっと要領の良い在り方があるのではないかと考えている必要があります。無意識でできるひと、考えることが楽しいという人は確かにいます。

しかし、相手は必ずしもそうではない。要領よくやる必要性を感じていなければ特に考えたりしません。家事や労働につかれている人は、そこまで余裕がなく、風呂掃除の洗剤を巻いてしばしば休息が必要な状態かもしれません。体調の問題もあるでしょう。また、一つ一つ完結させてから次の仕事をしたいと言う人もいると思います。

それにもかかわらず、一人の視点の要領の良さを押し付けられてしまうと、自分の視点では何をどう要領よくやればよいかわからなくなります。何をやっても要領が悪いと非難される危険もあるわけです。相手のやった行動を見て後付けで要領の良い方法に気が付くこともあるでしょう。

それにもかかわらず、いちいち非難されてしまうと、自分のやることすべてに自信が無くなり、相手が返ってくると何か言われるのではないかとびくびくして、常に相手の顔色を気にしている状態になる危険があるわけです。これだけでそういう気持ちにならないかもしれませんが、要領の良さの「指導の仕方」によっては、他の体調面の問題、他の人間関係での問題と相まって、家族であるはずの相手を嫌悪する要因の一つになりかねないようです。

では逆に合理性、要領の良さを犠牲にしてまで家族に気を使わなければならない理由があるのでしょうか。

あるというのが私の結論です。

そんなことに科学的裏付けは本来不要だと思うのですが、一つの考え方として読んでください。家庭では要領の良さを追求しないことが合理的だという理論的根拠です。

夜勤をされている方々には申し訳ないのですが、夜に寝て朝に起きて仕事に行って夕方ないし夜に帰ってくるという生活スタイルを前提にお話をします。

人間は、概日リズムというものが体内にあり、細胞レベルで、朝と夜を知る体内時計があるそうです。脳の仕組みも、明け方から夕方にかけては、活動する仕様になっていて、夕方から明け方にかけては休息をする仕様になっているそうです。活動する仕様というのは、交感神経が活性化し、緊張して集中し、諸活動をうまくこなすことに都合が良い状態になっているということです。これに対して、休息をする仕様というのは、昼間の緊張によって血管をはじめとして体の部分を酷使しているわけですから、休息をして心身のメンテナンスをする仕様になっているようです。

本来副交感神経が優位になって効果的に休息をする体の状態になっている時間帯に、緊張が連続して起きてしまうと、身体の様々な部分に不具合が起きてきてしまい、このような不自然な状態が極端に続くとメンテナンスができなくなり、過労死をしたり過労自死をしたりするわけです。

つまり、夕方から明け方にかけては、極力緊張をしない、させないということが長生きするためには要領が良いスタイルなのです。また、脳が休息モードになっていれば、細かい配慮などもできにくくなります。緊張をして要領の良さを追求すること自体が要領が悪いということになるでしょう。そうして、結果的にメンタルにおいて圧迫をし続けてしまうと相手はあなたと一緒にいることが苦痛になり、あなたという存在を嫌悪するようになってしまいます。

要領の良さを追求するだけでこのようなことになることはめったにないでしょう。妊娠・出産及びその後2年くらい、頭部外傷があった場合、ホルモン分泌異常やうつ病などの疾患がある場合、お子さんに障害がある場合、勤務先での人間関係の不具合、睡眠不足と相まって不安の原因を誰かに求めようとしてしまうようです。その時、休息を妨げて緊張を強制する相手が自分の唯一のストレッサーだと決めつけるということをよく見ています。

その結果別居になって二重に生活費がかかったり、財産分与で老後の計画が崩壊したりということは、洗濯物を干したり食器に汚れが遺ったりするよりもよほど要領の悪いことになってしまいます。

どうやら人間にとって家族とは、一日の活動を終えて同じ場所に帰ってくることによって自分も安心するし、相手も安心するという存在のようです。家族と合流することで安心を増幅して、心身の休息の効果を増大させるという役割があるようです。

本来の家族の役割は他の家族を安心させること、緊張から解放することにあると言えるのではないでしょうか。大いに安心してリラックスして休息して心身のメンテナンスを行い、明日の活動の体力、活力、集中力につながるのだと思います。

ところが、職場や学校などで、要領の良さや集中力を発揮しなくてはならないようにさせられてしまうと、ついそれがすべての人間関係で同じように行わなければならないと勘違いしてしまうのでしょう。余計なものを家庭の中につい持ち込んでしまうようです。

だから、家庭の中では細かいことは言わないし、相手の行動を否定する言動をしない。すべてを大目に見て家族でいることに安心してもらう。これを意識的に行う必要が現代日本では必要であるようです。

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子の連れ去り事案で、相手方ないし相手方代理人と連絡が取れる場合にするべきこと、してはいけないこと [家事]



「ある日、妻が子どもを連れて家を出てしまっていて、どこに行ったか分からない」といういわゆる子の連れ去り案件は決して減ってはいない状態です。しかしながら、奇妙なことに残された夫側の代理人技術というものはあまり進化していないように感じられます。ただ、連れ去り側の代理人の行動がシステマティックに練られているっているような印象を受けます。

連れ去りがあっても、妻とラインがつながっていることもありますし、本人とは連絡が取れなくても妻側の代理人の受任通知が届くこともあります。ここが肝心です。ここで、純粋な本心で対応できれば良いのですが、それがなかなかできない。あたかもその弁護士が連れ去りをそそのかしたかのように攻撃的になってしまうことが、むしろ多いのではないでしょうか。

しかし、その結果は、当然妻の代理人の夫への態度を硬化させますし、代理人は聞かされた妻の思い込みのように夫は暴言や誹謗中傷を毎日のように妻にぶつけていたのだろうという偏った見方を固定化してしまいます。また、妻は、夫の怒りの対応を代理人から告げられると、やっぱり夫は怖い存在であり、嫌悪するべき存在だという思い込みが、真実だと確信してしまう効果しかありません。メリットは何もなくデメリットしかありません。

先ず、家族再生を目指すのか、きれいさっぱり離婚するのか、腹を決めなければなりません。以下は家族再生を目指すことを選択した場合になすべきことを述べます。

家族再生を目指すならば怒りを少し他所(よそ)に置いておく必要があります。

気持ちはわかりますから私から「怒るな」とは言いづらいので、しばし他所に置いておくという言い方をしました。連れ去りなんかしなければ、怒りが出てこないので本当はうまくいくのになあといつも残念に思っています。

他所に置くということは、
1 怒りの気持ちを相手や相手方代理人にみせないということ
2 怒りの発想でこれからするべきことを計画しないということ
です。

1 まずは無事を確認出来て安心したはずです。安心したということをしっかり伝えることが最優先です。つまり心配していたということを伝えるということです。しばしばこれが省略されてしまいます。怒りに変わっているから忘れているわけです。

  次に、連絡をいただいたことの感謝を伝えることです。感謝をしろと言っているのではなく、無事を伝えていただいたことに感謝を伝えるだけです。気持ちはどうでもよいのです。

  そして、心配していることを伝えましょう。経済的問題や健康問題、さらにはメンタル上の問題です。怠薬していないかとか、お金が無くて通院できないのではないか、子どもはそれまで環境から一方的に別の環境に置かれてしまっているので戸惑っていないか。などでしょうね。

 つまり、怒ることによって崩れそうな自分を支えているために、本当の気持ちが自分でも見えなくなっているわけです。だから、怒りを捨てることはできないとしても、怒りを他所において、「妻と子どもが突然いなくなって、どんな状態かまるで分らなかったのに、とりあえず妻の代理人から連絡があり妻が無事であることが確認できた場合、どういう風に行動することがあるべき行動か」ということを冷静に考えて、その考えに従って行動しなくてはならないということなのです。

 そうすると、突然の子連れ別居をしているということは、相当精神的に不安定になっていることは間違いありませんから、味方になる弁護士がいるということであれば、自分の妻子が世話になるのですから、感謝の言葉を伝えることが当たり前のことになるわけです。しつこいですが、本心は別で構わないのです。

 本人から連絡が来たら来たで、かなりの努力をして連絡をしてきているのですから感謝やねぎらいの言葉を発するということが大事です。

 本人は、色々な事情で夫と同居することに不安や不快、嫌悪を感じています。必ずしも夫に原因が無いことや主たる原因が別にあることがほとんどです。だから、家族再生を目指すのであれば、目標は一つです。「妻を安心させること」これに尽きます。不安がらせる行動を行わないで、安心させる言動を意識的に行うことです。

 そうすると、いなくなって当然心配するわけですから、先ずは心配していたということをはっきりと述べることが必要ですし、無事がわかれば安心したということをはっきり述べることが必要です。相手方代理人は、夫について妻から思い込みによる歪んだ情報しか得ていませんから、怒りではなく、「一番良い方法で」対処しようとしているという姿勢を示さなければなりません。

但し、連れ去り側のマニュアルでは、夫は狡猾に紳士を装うというものがありますから、直ちに連れ去り側の弁護士が安心することはありません。決して怒りを見せず、心配を言葉にし続けることが肝心になります。

2 怒りの発想で対応のプランを立てない

怒りは、自分が被害を受けた場合だけではなく、道理や道徳、法律や合理性に反する行動に対しても起きてしまいます。だから連れ去りで怒りが生まれるのは当然です。さらに、放っておくとうつ状態になってしまってとても苦しい状態になるけれど、怒りを持つことによって自分を保つことができるということを経験的に覚えてしまい、相手に対して無制限の怒りを抱いてしまう場合があります。

そうするとこれからどうしようということで、まず考えてしまうことは相手に対する制裁です。

だからと言って相手を襲うことを考える人はいません。警察や裁判所を通じて相手を制裁することをどうしても考えてしまいがちです。まじめな人、責任感が強い人ほど裁判所を通じて当たり前を実現したいという気持ちになります。場合によっては本人以上に家族がそういう考えになることも少なくないでしょうね。

その真面目さに従って、ネットで調べて、監護指定・子の引き渡しの審判を申し立てたり、仮処分を申し立てたりするのですが、私は今の家庭裁判所の実務ではメリットはなく、デメリットは確実にあるというのが感想です。(ただ、それでもやらなければならない場合がありますので、それはまたいつかの機会にお話します。)

メリットが無いというのは、それでまず裁判所がこちらに子どもを引き渡せという命令が通常は出ないということです。私は代理人として、一度どうしても必要であったため子の引き渡しの審判を申立てて、認められたことがありました。しかし、諸事情で控訴審の代理人に選任されなかったところ、控訴審で逆転敗訴になったようです。妻の「子どもに夫を面会させる」という空手形で判断が逆転したみたいです。当然妻は約束を実行しません。約束を実行する人か、裁判を有利にするための口から出まかせかもわからない人たちが高等裁判所の裁判官をやっているわけです。

デメリットというのは、子の連れ去りを裁判所がお墨付きを与えた形になること、妻側の夫に対しての敵対的姿勢を固定化すること、何よりも夫は安心できない存在だという気持ちも固定化してしまい、家族再生がさらに遠のくこと、そして弁護士費用が掛かることでしょうか。自分の妻に対する敵意も高まってしまうことも結局はデメリットだと思います。

怒りに基づく行動は、家族再生という目的と反対方向に向かう効果を生む行動を起こしやすいという弊害があるわけです。

私の依頼者ではありませんが、妻に対して報復をして子どもを取り返した夫は、それまで聞いたどんな人よりも妻に対しての憎しみと怒りを言葉にしていた人でしたが、妻に対しては全くそのようなそぶりを見せず、過剰なほどサービスまでして目的を実現していました。

ただ、なかなか怒りを制御することは難しいことです。どうしても人間である以上、自分を守りたくなることは本能的に仕方が無いと思います。その人が怒りを持ちやすいのではなく、怒りを持たされやすい環境に叩き落されたからだと思っています。

そういう場合は、自分で自分をコントロールするという無茶をしないで、代理人に窓口になってもらうということも選択肢とをしてお持ちになった方が良いと思います。

但し、怒り他所に置いていて家族再生を目指すという代理人活動がなかなかメジャーになりません。そもそも妻が子どもを連れて別居するのは、夫のDVが原因ではないかという思い込みを持った法律家があまりにも多すぎるような気がします。夫のDVが無くても子連れ別居はあるという認識を持てる弁護士もいるのですが、その多くが正義の弁護士が多く、戦う戦略をとることが多いようです。なかなか遠方の依頼者に紹介できる弁護士がいないということが目下の悩みです。


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保護命令手続きの合法性についての疑義 要件を満たさないのに命令が出される仕組みと弁護士を依頼することが困難である仕組み だから普通の夫に保護命令が出される可能性があるということ [家事]



保護命令申立ては、相手方弁護士がきちんと対応をすれば、取り下げになることが増えてきたように思います。つまり、相手方代理人の主張、立証を見て、裁判官が「この申し立ては認められる可能性はないので、取り下げた方が良い。」と申立人代理人を説得するのだと思います。はっきりと「取り下げを説得した」という裁判官もいました。

それでも、もし相手方が弁護士を依頼していなければ保護命令が通ってしまう可能性があるし、相手方が弁護士を依頼しずらい手続き上の問題があるということを述べてゆきます。

保護命令とは、「暴行または脅迫があった場合」で、かつ、「申立人の身体生命に重大な危害を受ける可能性がある」という二つの事情がある場合に、裁判所が相手方に対して、申立人や二人の子どもに接近をすることを禁じたり、今住んでいる家から退去することを命じたりする手続きです。これに違反すると、現在は1年以下の懲役または100万円以下の罰金ですが、5月に改正され2年以下の懲役または200万円以下の罰金が科されることになりました。全会一致で決められたというのですから、国会議員は法律の執行の現状について何も知らないで法改正をしているのだなあと改めてあきれるばかりです。

保護命令の効果は、接近禁止や退去をよぎなくされるだけではありません。離婚調停や離婚訴訟が圧倒的に不利になりますし、慰謝料の金額などにも影響を与えます。何よりも、子どもとの面会におおける高い壁になってしまいます。この影響は将来的にも及んでしまいかねません。不当な保護命令は、子どものためにも出させてはなりません。

1 本当は要件を満たさないのに保護命令が出されてしまう可能性がある手続き上の問題

保護命令申立書の用紙は、シェルターやNPO法人の事務所などに備え置いてあるそうです。通常は、代理人がいても本人がその用紙にアンケートの回答の要領で書き込んで、本人の名前で申し立てることが多いようです。書き方を指導する人がいることはわかるのですが、おそらく法律家ではないようです。なぜならば、一応のことは書かれているのですが、書いてあることが相互に矛盾していたり、明らかに過剰なことが書かれていたり、到底あり得ないだろうということがすぐにわかることが書かれているわけです。しかし、これは、弁護士であり、保護命令について研究しており、さらに保護命令が出されてしまうと致命的な被害を受ける相手方の立場で読むことができるからそのような申立書の問題点に気が付くのかもしれません。

保護命令の更新手続きで、保護命令を出した同じ裁判官が、今度は弁護士がついてきちんと対応をしたところ、相手方に取り下げするように強く説得したということがありました。この時、翌代理人に就いてくれたと裁判官からなぜか感謝されました。

相手方代理人弁護士が行うべきことは以下のとおりです。
1 申立人の主張する事実が真実か虚構か、過剰表現かを明確にすること、及び申立人の主張が曖昧であり印象操作にすぎないことの具体的な指摘
2 保護命令は保全処分ではなく、疎明では足りず証明が必要であること
3 保護命令を棄却した先例の提示と当該事件との共通点の指摘
4 重大な危害を受ける可能性が無いことの主張と事実に基づく立証
5 保護命令はひとたび出ると違反した場合は刑事罰が科されるということから、手続きにおいても憲法上の要請を充たすべきこと
6 申立書に描かれている家族の日常と、実際の日常の隔たりの具体的な証明活動
7 余力があれば合理的に考えられるところの保護命令が申し立てられた本当の理由ないし目的

これ等のやるべきことがたとえわかっていても、なかなか当事者の方は必要な反論反証をすることができません。一番の理由は法的知識が無いことではなく、「こんなありもしない虚構の主張で裁判所が保護命令という過酷な命令が出すことはあり得ない」という油断があるからです。

そして、実際、先ほどの保護命令更新の事件では、相手方弁護士から見れば穴だらけで要件をまるで満たさない初回の申立て(弁護士不在)が現実に通ってしまっていたわけです。

2 弁護士を依頼することが不可能な手続きの問題点。

なぜか保護命令手続きは裁判が火曜日か水曜日に行われることが多いようです。ところが、裁判所からの呼び出し状は、相手方の元に水曜日か木曜日に届きます。普通郵便で来るので気が付かないことが多いのです。そして慌てて、早ければ木曜日に弁護士を探し始めます。しかし、当然仕事もあるわけですから、急に休むこともできないで、後手後手になってしまいます。金曜日の夜に封筒を開けた場合は、もはや土、日になってしまい、引き受けてくれる弁護士を探すことができません。また、その時点で弁護士とコンタクトが取れたとしても、既に予定が入っていて翌週の裁判に同行できないことが多いですし、十分な反論書の作成(通常月曜日か火曜日までに反論書を出せという無理なことを裁判所は要求しています。)や反証計画を策定することはほぼ望み薄になってしまいます。

そうすると弁護士抜きで裁判所の呼び出しに臨んで、必要な地道な反論反証活動ができないまま保護命令が出されてしまうわけです。

こういった事情があるため、弁護士は保護命令の代理人の経験者は少ないようです。

しかし、考えてもみてください。それまで普通に家族として同居していて、例えばディズニーランドに出かけたりして過ごしている家族の中で、多少の衝突、夫婦喧嘩があったとしても、生命身体に重大な危害を受ける可能性がある事情なんてよほどのことが無ければありえないじゃないですか。それにもかかわらず、このような常識を持ち合わせていないのか、簡単に生命身体に重大な危害を受ける可能性があるとして保護命令は出されているのです。

いかに弁護士をつけさせないで、保護命令申立ての認容件数を増やそうかというなみなみならぬ立法者の思惑を感じざるを得ません。また、それを担当する裁判所の部署が、保全部で行われていることも大問題です。保護命令は保全手続きではありません。これも先ほどの生命身体に重大な危害を受ける可能性があるということが正式な証明がなされていなくても、保全手続きのように省略された簡易な証明で、証明されたことにしてしまう要因となっており、手続き上の重大な問題です。

こうやって、夫は、ありもしない事実を根拠に、刑罰の威嚇によって妻や子どもと会えなくなってしまい、汗水流して働いて住宅ローンを払っている我が家から数か月も立ち退かなければならなくなります。もちろんその間の住宅ローンや家賃も払わなければなりません。

先ほど述べたように今年5月の国会で保護命令の刑罰が重くなるなどの改正がなされました。政治家は何を考え、何を調査しているのかわかりません。全会一致ですからね。

おそらく保護命令の認容率が低いということが問題意識なのでしょう。認容率が低いのは保護命令の要件を満たさない、目的外の申立てが多いからだというのが、偽らざる実務家の感想です。妻によって挑発されて夫婦喧嘩をして、それを妻に録音されれば保護命令が出されてしまうというような暗黒な世の中にならないようにしなければならないでしょう。

つまり、夫婦喧嘩をしている多くの夫たちは保護命令が出される可能性があるということであり、自分に関係が無いと言う人はおそらく例外的ではないでしょうか。普通の夫に保護命令が出される可能性があるということです。

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裁判実務では、妻の不倫が原因の離婚であっても、結構親権者を母と定める判決が実際は多い [家事]


ちらっとインターネットの見出しを見て、法実務家の肩書がある人が、間違ったことを言っているようなので、訂正だけしようと思いました。

某芸能人女性が離婚するにあたって、裁判所を通さず協議で離婚をして、親権を母親が取得したことを受けて、裁判だったら不貞をした方が親権を得ることは無いというコメントがあったようですが、裁判実務上は違います。不貞をした母親が親権者と定められることはむしろ多いのではないでしょうか。

不貞相手との関係を継続中であっても母親が親権者になることも普通にあります。

これはそうあるべきだという意味の記事ではありません。裁判ではそのようなことが実際起きているという告発めいた記事なのかもしれません。

むしろ、裁判所の判決での離婚ではなく、協議離婚や調停離婚の方が、不貞下当事者は後ろめたさがあって、相手方の強硬な意見に押し切られて不貞を理由に親権をあきらめるということが起きやすいようです。

妻に不貞をされた夫は、妻に不貞をされた上に子どもを取られる形になり、悲惨な扱いを受けます。その上面会交流が拒否されて子どもにも会えないのであれば地獄のような生活となることは簡単に想像できると思います。

子どもの年齢にもよりますが、母性神話は女性のためにもそろそろ終わりにした方が良いと思います。根本には単独親権制度があり、離婚後の親権者が一人だけとなり、他の親は親にもかかわらず子どもとにかかわる権利が否定されるところに問題があると思います。



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妻が子どもを連れて出て行った時の夫に対するサポートの見落としがちな取り返しのつかなくなるポイント [家事]



妻が子どもを連れて出て行った直後は、夫は呆然としますし、何が起きたのかという実感もあまりない状態だと言います。警察や行政が自分を否定評価しているという実感を持つ出来事が起きるたびに、不安や恐れの気持ちが高まっていくようです。ここまでが前回の記事です。

ところが、弁護士から受任通知が届いたり、家庭裁判所から通知が来ることによって、妻が自分と離婚をしたいと考えていることを知ります。家庭裁判所の通知に同封された申立書に記載されている「離婚をしたい理由」を読んで、記載してある事実に心当たりが無かったり、針小棒大な書き方をしているのを読めばなおさらなのですが、不安や恐れが急激に怒りに変わってしまうことが少なくありません。但し、怒りに転化しないで、そのまま不安や恐れが増大し、慢性化してしまう場合もあります。

不安や恐れが慢性化して、睡眠不足や拒食、過食になるような場合で、抑うつ状態になっている場合は精神科の治療が必要なことが多くあります。精神的体力を作っておかないと、離婚の手続きも投げやりになってしまい、真実ではない事実に基づいて手続きが進んでしまい、後で取り返しがつかないことになることがあるからです。ここで失敗して後々子どもとの面会を望んでも極めて不利になっていたということがありました。

しかし、もう一つの怒りが優位になってしまうことも問題です。依頼者の方が、本当はどうしたいのかということを冷静に考えて、決めた方向に向かって手続きに対応していくこと、あるいは手続きをリードしていくことが上策だということになるのですが、方向性を決めることができなかったり、自分の本心とは違う方向に向かってしまったりすることが一番の落とし穴になります。

本当は、家族再生を願っているという場合が一番大きな問題になります。

私の事務所にご相談にいらっしゃる方々は、妻からかなりひどい目にあっていても、やはりまた親子で一緒に暮らしたいという希望を持つ場合が少なくありません。妻の行動について私が分析して解説していく中で、これまで不条理に思えていた妻の仕打ちにも原因があることであり、妻の行動についても見方が変わったという方が多いのですが、そのことも再出発の希望を後押ししているのかもしれません。それでも、私から「本当にやり直しても大丈夫か」ということを尋ねることもあります。

それでも、夫は、家族で生活をしていきたいという意思を持つことが多いのです。

妻の行動について、私でさえ「それはひどい。」、「それは妻に改めてもらいたい。」と激しく思うのですから、一般の方は、他人ごとながらその人の妻に対して怒りがわいてくることは無理がありません。

事案を聴けば、特に第三者からすれば、妻に対して怒りの感情を持つことは自然なことだと思います。問題は怒りの感情を持った後のことです。攻撃的にならない夫は不自然だと思うことも一般の方ならば仕方がないことかもしれません。だから善意で、怒ることを自然に勧めてしまったり、怒りを妻に向けるような雰囲気を作ってしまったりすることが多いようです。

結局は、ここでも「あなたは悪くない。」という形の支援が起きてしまっているのです。

また、様々なインターネット情報を検索すると、どうしても怒りを掻き立てるような方向での投稿が多いとのことです。当事者は自然に怒りの感情に同機してしまうことになりがちです。

ただ、怒ることを止めることは無理でも、怒りの感情のまま行動することは、家族再生を目指すならば絶対にしてはならないことです。

子どもとの面会交流とその先にある家族再生の実現のためには、「妻が夫といることに安心できるようにすること」が鉄則です。そのためには、平等とか、道徳とか、禁反言とかあるいは正義すらも有害な物差しになります。相手の感情を尊重して不安や焦燥感を抱かせないという物差しで自分の行動を評価して、妻にとって夫の存在自体が居心地のよいものに戻す方向の行動をすることが必要なのです。

妻に対する怒りに基づく行動は、常に逆効果になるわけです。
家族再生、あるいは面会交流を遠ざける行為を自ら行うことになってしまいます。

そうすると、家族再生を志す人に対するサポートをする者としては、依頼者である夫の自然な感情に基づく行動に対しては、厳しく警告をすることこそがその役割になります。当事者の方も、頭ではわかっても、感情は理性よりも早く動きだしてしまうものですから、ついつい怒りに任せた行動を選択しようとするのも自然なことなのです。だから第三者がサポートをするわけです。

このことを理解しない第三者からすると、こういったサポートは当事者の心情に寄り添っていないとか、感情を理解しないように映るようです。打ち合わせの時は理解できても、例えば帰宅して友人や両親などと話して、「やっぱり打ち合わせは無かったことにしたい」などということもよくあることです。しかし、その行動をしてしまうと相手をおびえさせてしまい、あるいは怒らせてしまうだけで、いずれにしても夫と近くにいることを妻が拒否する方向にしか働かない上に、家族再生にあたっても離婚訴訟上もメリットがないということがよくあります。だから、メリットはないし目標に逆行することになりますよと言わなければ職務放棄になってしまいます。言い方の問題はもちろんありますが、自然な感情に対してストップをかけるのですから、構造的に反発を受けることは必然的に生じることだと私は思います。

実際に一度離婚をして、面会交流を発展させて後に再婚した事例では、怒りと失望の両方の感情に揺れ動きながら、何度も同じ話を繰り返しながら、妻を安心させる行動に終始して、それが見事に当たって、どんどん心が近づいて行ったわけですが、そこに行くまでにはかなり激しい論争になりました。こちらとしてもかなり気が重く、辛い時間だったわけですが、彼はやり切りました。代理人は離婚と面会交流まででしたが、その後度々連絡をいただいて、再生が進んだ様子をご報告いただいています。

もう一つのケースは、奥さんが一時的に精神的に明らかに異常をきたしていたケースです。夫がそれをよく理解して、奥さんの言動をまともに取り合わないで、ひたすら安心させて、こちらのケースは離婚を回避したまま再同居となりました。
結局奥さんの病的な不安や焦燥感に寄り添った「支援者」たちが「あなたは悪くない、悪いのは夫だ」ということを繰り返し述べることによって、妻は夫から逃れることで不安や焦燥感を解消しようとして別居に踏み切ったようです。別居をしても、夫から何ら攻撃や批判をされず、おそらく精神状態(厳密に言えば精神に影響を与える身体状態)が回復していく過程だということもあったのだと思います、どんどん「支援者」たちから勧められた自分の行動に疑問を持ち始め、少しずつ夫の方に心を寄せて行ったようです。夫も、奥さんのペースを辛抱強く待ち続けて行って、試し期間を経て再同居となりました。

二つのケースとも、ご自分の自然な感情に反した行動をすることができた結果、家族再生の目的を達することができたということになります。

弁護士がそこに関与する場合は、夫からすれば事件後に知り合った人間ということで、理論的にはわかるけれど、感情に反する行動ばかりしろと言っているようなものなので、どうしてもアドバイスが心で受け入れられがたいということです。これに対して、同じことを言っても、友人からアドバイスをもらうことがとても有益です。

その友人が、夫に対して言ったことは、「何があったとしても、君が彼女に対してそんな攻撃的になってしまってよいのか。人が変わったようになってはいないか。」というようなことだったらしいです。それを聞いた夫が、妻を憎んで攻撃的になっている自分に気が付いたというのです。それで「はっ」として、家族再生という目標を固めたと言います。似たようなアドバイスを受けたというケースを最近も一件聞きました。

心理学的にはメタ認知に成功したということなのでしょう。その友人は、夫からして、おそらく長く続いた、大切な人だったのでしょう。夫は、その友人との関係で「自分」とは何か(自己概念)ということをはぐくんでいたのかもしれません。結局その友人の存在自体によって、彼は精神的な不安定さもだいぶ軽減されたようです。下手な弁護士や、カウンセラーよりも、こういう存在の友人がいることがどれだけ有益なのか計り知れません。また一般の方なのに視点がとても鋭い人だと思います。友人にも本人にも、その関係にも感動しました。

「とてもかなわない」という気持ちを持てた自分にも少しほっとしました。


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妻が子どもを連れて出て行った際の夫のサポートの必要性について(その1 連れ去りの直後の精神的ダメージの由来) [家事]



ある時仕事から帰宅したら、妻と子どもがいなかった。身の回りのものが無くなっていて、どこに行ったかわからない。こういう事案は後を絶ちません。

夫からすると、いると思って帰宅したのに、いるはずの人間がいないということで、何が何だかわからない状態になります。心理学的混乱が生じます。無理に楽観的に考えて、電話をしてもラインを送信しても反応がありません。着信拒否になっている場合もあります。

大きなところではこのパターンということになりますが、バリエーションはあります。置手紙がある場合、家財道具がごっそり運び出されている場合、クレジットカードが限度額まで使われている場合、後から警察官を同行させて荷物を運び出す場合、家賃や光熱費の滞納が数か月分ある場合等です。

あるべきものがないということ、これ自体が大きなトラウマになるわけです。繰り返し訪れるはずだと思うから日々の暮らしに安心しているのですから、それが途切れるということは日常生活に安心ができなくなるのは当然です。

夫は実家に戻ったのではないかと思い、妻の実家に行こうとする場合があります。この場合、実家近くまで来たらわらわらと警察官たちが表れて、警察署に連行されることが少なくありません。実際は10名弱程度でも、突然現れる警察官は20名以上に感じてしまうようです。10名弱でも、罪を犯したわけでもなく、武器を携行しているわけでもない一般男性に対して出動するということは、その目的以上の威嚇の要素を受けて取ってしまいます。それにしても、武器を携行して犯行を行っている人間よりも、丸腰の一般市民の方がより警戒されるというのが現代日本です。

警察署ではやってもいない暴力を「もう二度としません」という誓約書を書かせられます。暴力はしていないと突っぱねることができる人はそうそういません。このまま警察署から帰ることができなくなるという恐怖もあり、屈辱にまみれて必要もない誓約書を書くことになることが通常の人間だと思います。

子どもが無事かどうかを確認したいがために、実家近くに行って様子を見ようとすると、通報されて警察に連行されストーカー警告を受けるケースが最近多いようです。ストーカー規制法は、裁判所の判断もないのに、ただその場所に存在するだけで警察署長から罰則の警告付きで禁じられるわけです。これは結果的に問題の多い法律になっています。

また、捜索願を出そうと警察に行く場合もあります。警察は、なんとも奥歯にものが挟まったような言い方で、「奥さんとお子さんは無事で元気にしています。心配しなくてよいです。」と夫に告げるわけです。捜索願など受理してくれません。夫は、警察が妻子の行方を知っているということは想定していませんから、強烈な違和感をもってその言葉を聞きますし、心配しなくてよいと言われて安心する人はいません。

警察が味方になってくれないということは、一般市民としてはとてつもなく恐怖を感じてしまいます。常日頃は、いざとなったら警察がいるということが大きな安心感になっていたことに気づかされます。トラウマを大きくする要因がここにもあるようです。

妻の現在の居場所に関することは、市役所でも徹底的に隠されます。居場所のことを調べようとしたわけでもないのに、居場所に関連する問い合わせをしただけで、自分が妻に危害を加えに居場所を知ろうとしていると認定されて、激しく拒否されます。いったんつれされられた子どもが一人で帰ってきて、保険証が妻のところにあるので相談をしに行ったところ、「あなたには話すことは無い。」と区役所の職員から大声を出されたと言う人もいます。

それまで中立的に考えていた行政からも自分が敵視されているように感じてしまいます。自分が犯罪者として扱われているようだと皆さん感じるようです。

これまで経験したことのない圧倒的な疎外感、孤立感に苦しみます。

子どもとの関係が良好な父親の場合に連れ去り事件は起きることが多いです。ここは重要な特徴だと思います。だから、子どもが今どこでどういう状態でいるのか、自分と一緒にいないことでどうしているのかということがとても心配になります。しかし、味方がいないのです。わけのわからない不条理の世界の主人公になっていることはとても精神的に混乱させられることです。

子どもの姿を確認できない、子どもと会うことができないという苦しみは想像を絶する苦しみのようです。当面会えないと悟っても、一日でも早く子どもと会いたいという気持ちは強烈なもので、また今日も会えなかったということが焦燥感を高めますし、絶望感を上書きしていくようです。

夫は何も犯罪をしていないし、税金など国民の義務も果たしていますが、子どもや家族との関係では無権利状態になっています。それを強烈に自覚しています。

DVが無くても、DVがあると妻が一方的に警察や行政に相談するだけで、夫は「加害者」と呼ばれるようになります。相談をしただけで妻は「被害者」です。

妻は被害者として、警察や行政から支援を受けて、その居場所を隠してもらえます。夫が妻の居場所を知って近づこうとするとストーカー規制法によってその場所にいることすら罰則付きで禁じられます。繰り返しますけれど、夫が実際は暴力をふるっていなくてもです。夫は警察や行政に抗議することも、不服申し立てする手段もありません。まさに無権利状態です。

社会が自分に敵対していると強烈に実感してしまうことになります。

日本人は、例えば西洋人と比べて人権意識が低いと言われているのではないでしょうか。こういうことがまかり通り、政治的にこのことを問題視しているのは、かなりの保守派しかいない状況です。

おそらく、こういう典型的な人権侵害がまかり通っている理由は、真にDVを受けている人が、DV夫から解放されるために必要なことだという理屈なのでしょう。予防的措置ということが正当化根拠になると思います。しかし、単なるの夫婦の喧嘩に子どもも巻き込んで、警察や行政がサービスを行い、そして一方の人間の精神破壊を伴うことを許す根拠にはならないと私は思います。

運よく私のような専門家と話すことができれば、精神的に危険な状態を理解されて、精神科医を紹介してもらえます。しかし、そのような解決まですぐにたどり着ける人はそんなにいないようです。インターネットの情報があるとしても、無駄な情報がありすぎて、そしておおうにして無駄な情報が優先して飛び込んでくるために、なかなか必要な情報にたどり着くことができないことが多いようです。

事情を知っている専門家、精神科医や心理士などに巡り合わなければ、「どうして」という言葉が頭の中で無限に繰り返されて止まらなくなり、現実社会が安心して生活する場所ではないという感覚になり、精神が壊れていくことは想像がつくことだと思います。

妻が子どもを連れて出て行った場合、家族だけではなく、自分を理解してくれる人で、この話ができる人で、現実に会って話ができる人からのサポートを受ける必要があります。一人で解決できることではないと私は思います。

次回は精神的ダメージが怒りに変わったときのサポートの必要性について話すつもりです。


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傾聴、受容、共感シリーズ2 夫婦に応用するカウンセリングの基礎技術 相手の小言は夫婦円満の千載一遇のチャンスであること [家事]



カウンセリングの基礎を勉強して、直後に夫婦問題の相談を受けていたら、カウンセリングの技法を夫婦の会話の技術に応用することができれば、円満な夫婦になるし、子どもに対して応用すれば問答無用でしかりつけることを回避して合理的なしつけができると感じました。

ただ、「こういう技術があるから応用しなさい」と言われてもなかなかぴんと来ないと思いますので、応用方法を考えてみます。

先ずは傾聴です。
「傾聴」とは、深く相手の話に耳を傾け、その人に焦点を当てて、相手の存在そのものを知ろうとすることである。表情、姿勢、ジャスチャー、感情、考え、話しの内容、沈黙さえも十分に観察し、その意味を考えていく。

いつも傾聴しているわけにはいかないのですが、ここぞというとき、相手が話を聞いてほしそうなとき、このスキルを応用しましょう。まずは聞く態度を作るということです。「あなたの話を聞いていますよ」というアッピールを態度で示すということです。

先ずは、リビングの椅子にでも腰かけましょう。その時間は話を聞く以外のことをしてはいけません。スマホは手放しましょう。近くにあるとつい触ってしまうので、手の届かないところに置きましょう。

「聞いてますよアッピール」としては相手の目を見ることが考えられますが、相手の目を見ることはなかなか苦しくなることがあります。必ずしも目を見て聞く必要はないと思います。少し視線を下を向けて顎のあたりや口元を見ていれば、苦しくなりにくいですし、「聞いている感」が損なわれません。時々相手の手を見て、握りしめていないかとか、立ち上がって襲ってこないかとか観察することはとても大事なことです。

そして絶妙なあいづちをしましょう。これが無ければ、聞いているのか別のことをボーっと考えているのかわからなくなり、概ね後者だと疑われて怒りだされてしまいます。

できるだけ、肯定的なあいづちが望ましいと思います。「そうね。」、「なるほど」、「確かに」、「そうかもしれないね」とかですかね。そして、聞き取れなかったところは「ごめん。聞き取れなかった」と言って聞き返すことも有効です。とりあえず、反論とか、間違いの指摘等については後で行うとして、先ず「話を聞く」ということを全力で行うことが第一に意識するべきであり、相手に態度で示すことが最優先だということになります。これが傾聴です。

夫婦の場合、これだけでだいぶ印象は良くなると思います。週に2回は、じっくり話を聞くということをしても良いのだと思います。夫婦の義務というほど特別なものではなく、おそらく話を聞いてもらえる、自分を理解しようとしてもらえるという意識は、「相手が自分の仲間だという意識」を作っていくものと思われます。こうしてあなたに対して安心感を持ってもらうことが目的でもあります。

仕事がら壊れた夫婦の形を見ている者としては、夫婦の一方が、自分が相手より有利な立場、優れているということを示そうとすることによって、夫婦の仲が壊れていくことを多く目撃しています。

壊れてみて初めて気が付くことですが、「相手と仲間であり続けること」ということが究極の人間の要望のようです。どうも特に男性は、女性と仲間であり続けるためには自分が有能であり、相手より優れていると思われることが有効だと勘違いして行動しているようなのです。しかし、それはいつしか、相手にとって居心地の悪さ、窮屈さを積み重ねてゆき、圧迫感や不快を感じさせてしまっていることが少なくないようです。有利なポジションとか優越的な地位ではなく、目指すべきは、あくまでも対等の関係性のようです。

次が「受容」という心構えです。
「受容」とは、無条件の積極的関心をもつこと言う。相手の感情が否定的な感情であったとしても、そのままを受け入れることが必要である。と教科書では述べられているようです。

相手の話を聞いていて、自分に対する不満が語られると、ふざけんなと思って、すかさず相手の話をさえぎって言い負かそうとすることがむしろ通常の夫婦かもしれません。また、相手が言っていることが、自分勝手な言い分だったり、不公平な話と感じたりすると、秒で反発心がわき、秒で反論が始まったりするわけです。これこそが受容と正反対の態度です。

この反発心や反論は、先ほど述べた相手との関係で自分が有利な立場に立ち続けなければならない、自分の方が優秀だと思わせなければならないという気持ちが強ければより強い形で現れます。

いつも間違いや足りないことを指摘されて、「へへへ」と笑ってばかりいたら、頼りのない人間だと思われてしまうかもしれませんが、「ああ、そうなんだ。それじゃあ、がんばってみるよ。」という態度を時折示すことは、何よりも、相手の問題意識をきちんと受け止めるし、相手の困りごとを解決するということでかなりのプラスのアッピールになります。相手も自分も、仲間の中で有用な人間、頼りになる人間だと思われたいという本能人間にはあるようです。

話をする方も、相手に否定的に受け止められてしまうかもしれないことを言うことが一番緊張することです。それでも話を嫌がらずに聞いて、自分の提案を受け入れてもらえるということは、安心感につながります。緊張から始まって、安心という心の動きは、快い気持ちになり、安心感の獲得も効果的になるようです。だから緊張のないところでは作ってあげることが難しいわけです。

相手に対する安心感とは、自分がどんな状態でも相手は自分を見捨てないということが究極の安心感です。小言を聞いてあげて提案に従うということは、この心のプロセスが期待できる貴重なチャンスなので積極的に活用しない手はないと思います。

最後は共感というポイントです。
「共感」とは、クライエントの私的な世界をあたかも自分自身のものであるかのように感じ取ることであるが、クライエントの感情と同化するのではなく、クライアントの感情として自分の感情とは切り離してとらえ、クライエントの感情に振り回されないようにすることである。

夫婦の会話においては、傾聴と受容と共感は、段階を経て順番に行うことではなく、同時に行うことですが、それぞれ心構えが別なので、分けて話しているだけです。

自分勝手なことや事実と違うこと、聞くに堪えない身内の悪口等、なんぼなんでも否定してよいだろうと反射的に考えてしまうことが多いのは、むしろ一般的です。しかし、例えば夫が、道徳や正義感に基づいていちいち反論していくと、良いことは通常ありません。子どもにとってもマイナスなことが起きることが多いようです。

だから、週に1度か2度は、自分の正義感や道徳心、防衛本能を少しお休みさせることが有効です。それよりも相手のわがままだったり、甘えだったり、特別視してほしい気持ちを優先させるというサービスを行うということなのです。

反発をする前に、どうしてそういうことを言い出すのか、どうしてそういうことを言いたくなったのかその来歴を考える作業は、必ず仕事でも役に立つことです。ママ友など継続的人間関係を結ばなくてはならない時に自分に利益をもたらすことです。

達人クラスになると、ああ、そういえば明日健康診断を受けるからナーバスになっているだけだなと、八つ当たりであることもわかってくるようになります。言葉にしなくても家族の窮地を感じることはとても大切なことです。

ただ、どうしても、後々のことを考えて、相手の誤りを正したいということもあると思います。その際のテクニックとしては、先ず肯定できるところを必死で探し出しましょう。また、実際は違うけれど相手からすればそういう風に受け止めてしまうかもしれないという、自分ではない人間から見た評価は違うのかもしれないという発想も有効です。

例えば、確かにコロッケを一人で食べてしまったら、自分だけ得をしようとしてあなたに損をさせた、あなたは面白くないと思うのはわかる。でもコロッケがカビカビカビになっていて、子どもが食べたら危ないなと思ったから捨てるのももったいないし食べちゃったんだよ。ずるいことしようとしたわけじゃないんだ。
というような感じですね。

先ず、肯定する。その後で修正するという流れはとても大切です。

さらに傾聴と受容によって、相手方が何らかの不安や苦しみを感じている場合、こういうことであれば苦しいよね、不安だよねと言い当ててあげることによって安心感はますます大きくなりますし。そのあとの訂正もすんなり受け入れてもらいやすくなります。

先ほど、このような態度で相手の話を聞くということを週2回行いましょうと言いましたが、実際はなかなか難しいと思います。月1でもやるのとやらないのと大分違ってくると本当は思っています。

しかし、相手が言いたいことが何もなくても週に1度くらいは、自分たちの状態について点検したり、楽しい企画をすることで相手に向き合って話をする機会がある方が、安心感は大きくなることは間違いないと思います。

その時、ゲーム感覚で、傾聴、受容、共感ということをやってみることは、夫婦円満、家内安全を実現し、自分の社会的評判を上げる貴重なトレーニングになることでしょう。

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弁護士が行う夫婦関係(人間関係)修復の業務 家族を暖める方法 (カウンセリングの話シリーズ5というか最終) [家事]



1 家族保護、崩壊予防の働きかけの必要性

現代日本では、核家族化や家族の孤立化等の理由で、家族を維持していくノウハウや支援が継承されず、また分断する方向で家族の不具合を解決しようとする大きな力もあり、家族分断の悲劇が後を絶ちません。

先日も離婚調停中のご夫婦の家からの荷物の引き上げに立ち会ったのですが、私の依頼者も相手方も、様子が良く、良いところもたくさんあり、それがかみ合っていた時期はそれは幸せだったろうなとふと思ってしまいました。その時機がありながら歯車がかみ合わなくなるタイミングがあり、それは当事者にはどうしようもないことだったりして、それでも心が離れ始めると悪循環が始まってしまい、どうしようもなく別居、離婚に至ることが一般的ではないでしょうか。

結婚をするということはエネルギーが必要なことかもしれません。二人が悪意が無いのに別離に至るということはそれ以上にエネルギーを消耗してしまうことかもしれません。特に男性側が、消耗の度合いが高くなる場合があると感じています。これは弁護士同士の話でも一般に言われていることです。

精神的消耗のために精神科受診ができればまだ良い方です。何ら手当をしないまま、わけのわからない不幸感覚に見舞われて、気力がわかなくなり、離婚の後もそのことばかり考えて仕事もうまくいかなくなり、人生から色が失われた人は大勢います。自死をする人も少なくありません。本当はもっと活躍できたはずなのに、離婚を契機としてせっかくの才能が生かされないまま埋もれてしまう事例もよく見てきました。

とにかく、別居、離婚の事例の圧倒的多数の事例で、同居中は改善の要求や不満などの話が出ていないので突如別居が起きることが多いので、離婚要求を突き付けられた側は何が原因だったのか全く理解できずに途方に暮れるようです。

別居や離婚の子どもたちに対する影響も大きいです。一方の親から別居によって引き離されて、ほどなく精神症状が出る場合が結構あります。医師は、子どもと別居している親に対する恐怖から出ているという診断書を書くこともあります。しかし、同居中は精神症状が出ないで別居後に出ているのですから、端的に会えなくなったことによる精神不安だとするべきだと思うのですが、そのように親をいさめる医師はいないのかもしれません。

要するに
人が思う以上に、実は別居、離婚は重大な理由が無くても起きる

人が思う以上に、別居、離婚は、当事者や子どもに対して取り返しがつかないほど精神的ダメージが大きい

ということです。

2 家族の維持、幸せの維持は意識的に大人は全員参加で行うべき

家族が崩壊する要素が現代社会では多い
家族が崩壊すると関係者のダメージが大きい

ということは、崩壊を予防することが大切ですし
の予防を意識的に行う必要があるということです。

ただ、崩壊予防とか夫婦の義務とかいうと、しんどくなるイメージがあります。しかし実際の作業は、気づきや工夫によって幸せを維持していくということですから、行動をするたびに喜びを感じる楽しい作業になるはずです。

また、おそらく有史以前から人間はそうやって群れを楽しいものにする工夫をして生きていたはずなのです。その意味でも、実際は人間らしい当たり前の行動をするだけだと思っています。

しかし、これは一人だけが頑張ってもなかなかうまくいきません。
でも、お互いに家族を守ろう、楽しく幸せに生きようという気持ちがあれば、それほど難しいことではないとも考えています。

3 弁護士が行う家族を暖めるための素材

家族の誰かの不具合を家族の在り方を見直す形で行うといえばカウンセリングを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。この種のカウンセリングには心理学の家族療法や、カップルカウンセリングがあります。
弁護士が行うことは、このようなカウンセリングではありません。誰かを治療しようという視点は初めからないわけです。

弁護士が武器にするべきは、自分が取り扱った家族事件の実例から学んだこととが一番の武器で、事件を解決するために学んだこと、統計や心理学等様々な研究結果も武器になると思います。

ただ、事件についても、表面的な言葉をそのままうのみにしていたのではうまくゆきません。相手方が本当に言いたかったことは何かとか、状況、特にどういう経緯の中で問題が生じたのかということを丹念に検討する必要があります。ただ、事件をこなしていても何も見えてこないと思います。一番は、自分の依頼者と時間をかけて話し合ってその真意を共有したことが大きな財産になると感じています。事件を担当する場合もカウンセリングの手法はとても大切です。

カウンセリングの手法で言えば、もう一つ重要なことがあります。弁護士は、知らない家庭のことについてあれこれ指図するような能力まではありません。あくまでも考える素材を提供して、現状、現状を変える方法等について選択肢を提起すること、当事者ならではの感情的なこだわりを排除して、冷静にメリットデメリットを提示していくという方法になると思います。あくまでも何をするのかを決定して実践するのは当事者の方々です。

弁護士は、相談の中で出てきたポイントについて、これまでの事例からそれは相手方にとって大きな打撃を与えることになったということを述べたり、何をすることで相手は安心したかとか、再生ができた人が頑張ったポイントとか具体的に今日からできることを提示していくことになります。そうして、当事者の方々が本当は気が付いているその人たちにフィットした解決策を引き出していくということが仕事の内容となると思います。

4 弁護士関与の形式

弁護士の仕事ですから、形式的には夫婦のどちらかからの依頼という形を取ります。夫婦問題の話し合いのどちらかの代理人となるわけです。これは既に別居が始まっている場合も、同居しているけれど何かひと工夫が必要だと思っている場合でも同じです。

だから、相手が協力的である場合もあれば、相手が同じ土俵に立たない場合もあると思います。相手が同じ土俵に立たない場合は夫婦の一方からの相談を受けて、色々と打開策の相談に乗るという形になります。今の相談類型は圧倒的に相手が同じ土俵に立たない場合です。この場合は相談だけでなく交渉の委任を受けることもあります。

これから意識して増やしていくべきだと思うのは「相手が一緒に夫婦の在り方について考えるという場合」です。この場合は、一方との下打ち合わせをしたうえで、夫婦ご一緒に事務所においでいただき話し合いをします。このような形態は夫婦問題では少ないですが、これまでも私の業務の中でなかったわけではありません。また、会社関係では結構これに類似した活動はしています。

この場合でも、一方の利益のために他方に損害を与えようとしているわけではなく、二人の関係が良くなることで二人とも幸せになるとか幸せを維持するということに目標を立てなければなりません。

一方の意見や事実についての見方だけではなく、他方の意見や事実についての見方を得て、弁護士なりに事実関係を把握します。二人の意見に対立がある場合、どちらが正しいのかということを検討するより、どうして対立しているのかということを考えるほうが建設的です。事実に対する見方が立場によって全く異なることはよくあることです。大事なことはそれぞれがどういうところを大切にして生きているかということを相互に理解することだと思います。

どちらが優位か、正しいかではなく、双方が安心して暮らすためにはどうしたらよいかということになります。

さらに話が進んでいけば、夫婦に問題があるのではなく、夫婦の一方が健康上の問題を抱えていたり、職場での人間関係の悪化があったりという場合が出てくると思います。その場合にどうやって夫婦が協力して問題を解決するかという話し合いに発展していくことになります。案外夫婦関係が悪化するのは、当事者外に事情があって、当事者がその事情を解決できずに夫婦関係に影響が出る場合が多いように感じています。

夫婦問題から見ると二次的問題となりますが、ここも弁護士が関与するにふさわしい場合が実際は多いのです。特に職場のストレスが家庭に与える負の影響が大きいということは労災の問題を担当しても、家族の問題を担当しても常に感じることが多いです。

5 費用
費用については、現状は法律相談として行いますので、基本的に30分当たり5500円(税込み)です。10分程度の時間オーバーは加算しないということも通常の法律相談のとおりです。但し、別居などがあって、相手方と交渉をすることが必要な場合は、通常の交渉案件になりますので、交渉案件としての料金となります。

1回目は相談という形になります。その後も何らかの継続的関与をご依頼される場合は、1回ごと30分5千円というのは高額になってしまいますので、ご相談を承ります。事務所においでいただいてのご相談から、メールや電話でのやり取りともなることが予想されますので、合理的に進めていきたいと思います。

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自分の大切な人との仲を壊さないために、相手の気持ちを考えて行動をするための工夫 現代版黄金律構築の必要性7 シリーズを振り返る [家事]



大人の発達障害の人の中には、自分の言動が相手を傷つけたり、怒らせたりすることに気が付かない人がいるということを驚きをもって発見しました。自分では悪気はないのに、いやむしろ相手に良かれと思って、相手に働きかければかけるほど、相手が自分を嫌い、離れていってしまうわけです。考えてみると、これは切ない話だと思いました。

さらに思いを巡らせると、発達障害が無くても、その時の状態、環境から、相手の気持ちを考えて行動することができなくなることがあることにも気が付きました。そういった環境が一時的なものであればそれほど大きな影響はないのかもしれませんが、例えば職場の問題など長くその悪しき環境にいなければならない場合は、例えば家族など自分の大切な人間関係に影響が出てしまい離婚等の家族崩壊の原因になってしまうわけです。

ただ、相手の気持ちを考えて行動するということは、ちょっとの工夫、知識があればできるのではないかということも考えました。今回、シリーズの最後に、自分が相手の気持ちを考えないで行動することを事前に防ぎ、大切な人との仲を壊さないためにどうしたらよいかを考えてみました。

1 大切な人が誰かをはっきりと認識する。

 守るべきものが誰との関係なのかはっきり自覚するべきです。私たちは、なかなか改めて考えることがありませんが、実に様々な人間関係に所属しています。家族や学校、職場、地域、社会、通勤電車、お店の店員と客、客同士、あるいはSNSの「友達」等々、あるいは国家や社会と自分との関連を強く意識する人もいると思います。

そして人間は、困ったことに、放っておくと、どの人間関係でも自分が安定してその関係にいることを歓迎されて、その関係の他者から尊重されていることを求めてしまうようです。そしてその自分の求めをかなえようとする努力をしてしまうようです。

  しかし、そのようなありとあらゆる人との関係を大切にすることは不可能だと思います。力を入れて大切にする人間関係を絞らないと、本来大切にするべき人間関係が手薄になったり、他の人間関係の悪い影響で大切な人間関係の人に八つ当たりをしてしまったりということが出てくることがあります。きちんと大切な人間関係については特別扱いをして、大切さに応じた行動をするべきです。

例えば相手が嫌がるだろうなと思えば行動をしたりやめたり、こういう言い方をしたら傷つかないのではないかと行動の内容を変えたりということをしなければ、気が付いたら自分がのけ者になっているということがどの人間関係でも起こりうることだと思っています。

私が大切にするべきだと思う人間関係は家族であり、その中でも夫婦です。我々は家族という存在は必ずそばにいるものであって、どんな場合でも離れないものという意識を持っていると簡単に考えているようです。あるいは考えることもしないという方が正確かもしれません。家族が壊れるということに無頓着なようです。しかし、例えば、夫婦の相手も長く合わないでいるような場合は他人に戻ってしまうということや、他の人と家族になってしまうということもありうることです。相手の年齢も変化していきますが、これに伴って考え方や感じ方も変化していきます。ずうっと同じように接していたつもりでも、相手からすると不満が蓄積していたということは、離婚事件では定番になっています。夫婦は案外壊れやすいということが夫婦を大切にするべきだと考える第1の理由です。
 
 第2の理由は夫婦の仲が壊れると精神的ダメージが大きいということです。夫婦の一方が自分を嫌い、自分とは一緒にいられないということを突然突き付けられた場合、他の人間関係が壊れる以上に人間の精神的なダメージは極めて重いものになります。日本の社会環境では、離婚に伴って、子どもとの交流も失われることが多くあります。夫婦が壊れるということを想定しないで私たちは生活していますが、気が付かないうちに自分にとって大切な存在になっているのです。

第3は、生理学的にも、夜に帰ってくる家庭において、自分が尊重されていると実感できることが、心身の健康の基盤になっていることから、夫婦、家庭の人間関係を大切にして居心地をよくすることが理にかなっているという理由もあります。

2 「相手のやってほしいことをやるという第1法則」でいこう
  現代版黄金律は、
・ 相手のしてほしいことをしてあげよう(第1法則)
・ 相手のしてほしくないことはしないでおこう(第2法則)
というものです。

相手との仲を壊したくないということが勝ってしまうと、「相手のしてほしくないことをしないでおこう」ということばかり考えてしまいそうです。しかし、これはなかなか難しいことです。つまり考えを巡らせて、相手のしてほしくないことをしないことをしても、何かしているかわからないことから相手が気が付かないことが多いために、エネルギーは使うけれどプラス効果があまり期待できないと言えるのではないでしょうか。

むしろ「相手のしてほしいことをしてあげる」ということに力点を置くべきだと思います。これならば、相手の気持ちを考えることが苦手な人でも、できそうです。そして、それが実は相手が嫌なことならば反応がすぐに出ますので、修正が効きやすいです。

加えて、こちらが相手のしてほしいことを探して、やろうとしている姿勢を示すことで、相手は自分が尊重されていると感じることができます。10回のうち3回ヒットを打てば、残り7回が空振りに終わったって、相手からすればこちらの姿勢を感じ取ることができて印象が良いはずです。自分のために他人が何かをしてくれるということはとても嬉しいことだです。

多少恩着せがましく言うのはむしろ推奨しますが、「あなたが喜ぶのではないかと思って」という言葉は必ずつけましょう。
  
 3 一緒にいる時間、会話の時間を増やそう

   結局、会わなくなっていくと他人に戻っていくということのようです。ただ一緒にいるということも大切ですが、話をするということがポイントが高いようです。
   会話の内容はどうでもよいです。当たり障りのない話ができるということも大人としてのスキルかもしれません。相手が話しているときにじっと聞くこと、共感できる部分や賛成できる部分は、すかさず肯定のあいづちをうつこと、先ず必ずそこから始めること、そして安直に結論を出そうとしないことなどでしょうね。こういう人間同士が結びつきを強める会話は女性の方が上手なようです。

4 睡眠時間を確保する等体調管理をしよう

睡眠時間が短いと、だんだん思考能力は低下してゆきます。それだけで、失言をするようになりますので、相手の感情を考えるという複雑なことはできにくくなることは当然です。

思考力が落ちる内科疾患もありますので、健康診断は定期的にうけるということも大切なようです。一日6時間半から7時間の睡眠時間を確保しましょう。

特に何事もないはずのご夫婦が深刻な仲たがいをしたということがありました。10年前のことでしたが、結局それから二人の間の亀裂が大きくなり離婚になりました。そのころ二人の間に何があったかはわかりませんが、奥さんの方がうつ病の副作用を持つことで有名な薬を長期間服用していたことだけは確かでした。

5 大切でもない人間関係は整理すること

例えば、特に必要もないのにSNSで発信をしていて、その発信をめぐって物議が起きて、逆に批判の書き込みが多くなり、イライラして家族に八つ当たりをするということになれば、それは本末転倒だと思います。

人間の脳は、一つの群れに所属するためにふさわしい仕様になっていますから、複数の人間関係に同時に所属することは負担が大きいようです。SNSなんて実生活には必要がないのに、依存になり家族に向き合う時間が無くなれば有害でしかありません。中止してみたら、自分には何の弊害も無かったことに気が付く人がちらほら多くなっています。

特に夫婦問題に悪影響が出るのは、職場の人間関係です。パワハラを受けてしまい、八つ当たりを家族にぶつけるとか、パワハラを忘れようと深酒をしたり、パチンコで時間をつぶして家庭がぎくしゃくしていることは本当に多いと実感しています。簡単に仕事をやめるということはできませんが、家族とよく話し合い、場合によっては退職をするという選択も、大切な人との今後を見据えると考えなければならない場面が多くあるように思われます。

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