SSブログ

勉強勉強の一年に感謝申し上げます。あなたは私のスタッフです。ありがとうございます。 [閑話休題]

無事、大晦日となりました。
多くの方にこのブログをお読みいただき、
心より、感謝と敬意を申し上げます。

ぼんやり弁護士生活をすごしていたら、
というか、事件だけに埋没していたら、
とても気がつかなかっただろうことが、
このブログを、日々書いていることで、
新たな課題にきづくこともありました。
誰かに読んでいただけるということで、
緊張感を持って、書くことができたと、
そういうことだろうと、思っています。
心より感謝申し上げるしだいなのです。

今年は、勉強をすることができた一年でした。
いろいろな本も読みました。
実務と直結していた分野が多く、
読むたびに次の本が出てくるということで、
出張の楽しみとなりました。
これが、読まなければならなくて読むと、
苦痛以外の何ものでもないのですが、
そうなることが少なく、幸いでした。

いろいろな方々とも出会いました。
何人かの精神科の先生と
共通のクライアントのために
ご一緒することができました。
大変勉強になりました。

勉強会にも一度参加させていただき、
私の仕事のヒントもいただきました。

学者の先生、子供の相談のボランティアの方、
高齢者障害者のお仕事の方、
DVの相談を受けている方々と
人権について向き合った企画は、
私にとって、未知との遭遇で、
大変刺激的で、生きた勉強になりました。

国や自治体との協力と緊張
国や自治体の職員の方々との協力と
住民統治としての機関との緊張と
いうことなのでしょうか。
とても勉強になる役割を与えていただきました。

ただ、なんといっても、
最大のエピソードは、
多くの仲間と自衛隊過労死訴訟の逆転勝訴判決を
いただいたことでしょう。
これは、いいだしたらとまらなくなりますので、
今日は割愛です。

結局一人では、何もできないということなのでしょう。
そのことに気がついたことが
最大の成果なのかもしれません。
まだ来年のことは考えていません。

ただただ、皆さんに感謝する一年でした。
ブログを読んでくださった皆さんも、
私のスタッフということで、
これからも、いろいろごしてき賜れば幸いです。
どうもありがとうございました。
これからもよろしくお願い申し上げます。

御礼 10万件突破! 行けるところまで走り続けます。 [閑話休題]

10万件突破しました。
と言っても、
何が10万件かよくわからないのですが・・・

訪問者ではなく、閲覧数のようです。
このブログは、
大体訪問者数の倍の閲覧数があり、
訪問者数で言えば、まだまだなのでしょう。

訪問していただいている方が、
平均2,3の記事を読んでいただいているので、
10万件突破ということなのでしょう。

ただ、携帯電話で
読んでいただいている方も多くて、
どうやら
その方は、
何件記事を読んでも1件になるので、

やっぱり何が10万件なのか
よくわかりません。

1年ちょっと前に始めた時は、
今年の3月くらいで終わる見通しでしたが、
2月に平成10年問題という面白い統計に
はまってしまい、

それから、
パーソナリティ障害、発達障害、
認知症、
児童虐待のシリーズ、
最近は裁判員裁判と
あとからあとから取り組みテーマが出てきて、
止めようがないという状態になってきました。

今日は自衛隊過労死弁護団の打ち上げがあって、
いやあ、1年以上ほぼ毎日書いているんだと言ったら、
そんなに書くことがあるのかと驚かれました。

読めよ
という突っ込みはしませんでしたが、
あるんですねえ。

時々、
仕事が忙しくなると、
煮詰まって、書けなくなる時もあるのですが、
それでも、翌日には
ネタが重なって行くから、
なんていうか・・・

もう、私の老後の楽しみは、
このブログを読み返すことでしょうか。

自分で読み返すと
本当に面白い。
明石屋さんま師匠が
自分の番組を録画して
面白いという気持ちと
同じような感じでしょうか。

こんな分析をしているのかと
驚くことだってあるのです。
その時は、一生懸命書いていることだけは
間違いないのです。

このブログの特徴は、
まあ
わけです。
のです。
という言葉が多いということは、
自覚しております。

これからも、繰り返すと思いますが、
どうぞ、どうぞ、
よろしくお願い申し上げます。

よろしくご指導、ご鞭撻のほどを、

まだまだ走り続ける所存です。

公立テーマパーク 一生の趣味との出会いの場(大人のきっざにあ) なんてどうでしょう [閑話休題]


若い人たちは、
無理をしてでも楽しむ方法を知っていて、
ディズニーランドとかは、
結構高い入場料なのに
平日でもにぎわっているそうです。

これは、もしかしたら大いに学ぶべきではないかと
思っています。

やはり、日常の連続では、息苦しい。
大人が、無責任に楽しめる場が
必要ではないか。

しかし、ディズニーランドまでの交通費と
入場料と、
時間を考えると、
みんなが楽しめるわけではない。

そこで、自治体で、テーマパークを作る。
公立テーマパークなので、安価で、
予算をとる口実の目的が必要ということで、
ちょっと考えてみました。
今日はほら話の類です。

1 目的
 生涯教育の一環として、
 趣味と出会う場を作る。
 歌、絵、漫画、踊り、歴史、哲学、何でもいいのですが、
 入門的な体験ができ、
 県民(市民)の、一生涯の趣味と出会う契機とする。

2 人材活用
 コーチスタッフは、主催が認定した趣味を持った人、
 カルチャーセンターとタイアップした講師、
 民間ボランティア

3 アトラクション
 趣味の体験
 歌であれば、簡単な歌唱指導と、
 衣装等をオプションで付けて、
 ちょっと本格的なステージ体験ができる。
 観客は、体験の様子を見に来た観客。

 絵であれば額に入れたり、展示したり、
 漫画であれば、何人かの合冊を作る。

 (ここだな、問題、というか工夫のしどころは)

 自然の湖や、大きな沼を利用したゴンドラとか
 山を利用したロープーウェイとか、
 馬に乗れるとか、
 自然を利用したり、
 うーん、いいじゃないですか絵の材料だったり
 自然科学の趣味の導入部だったり、
 スポーツだったり。


4 登録
 事前にインターネットで登録をする。
 登録番号を、会場の入り口で話すと
 なんか、名札なり衣装なり、もらえる。
 もちろん当日登録もok
 登録は、本名等正確な登録が必要だけれど、
 その場ではニックネーム
 ここで馬鹿になれるからテーマパーク
 単なる観客は面倒な手続きなし。

5 入場料は、住所地により、減額ないし免除
  公立ですから。

6 たいあっぷきゃらくた-
  宮城県であれば石森章太郎のキャラ
  ロボコンからサイボーグ009までなんでもあるけれど
  女性用にサンリオとタイアップできれば完璧。

  場合によっては、
  ミッキーマウスみたいに関連商品を作って販売もあり。

7 その会場を回る交通手段は、
  色々な乗り物をつくる。
  バリアフリーを意識する。

8 もちろん、託児所を作り、
  大人が楽しめる環境を整備する。

9 食事と温泉もついたらもっといいでしょうね。
  県物産ブッフェとか、
  
うーん、起き抜けに考えていた時は、
もっといいように思ったのですが、
分にしてみると、
いまいち貧相か?

年休とっていきたくなるような
テーマパークにならないような。

おっととっと1周年 ブログこぼれ話と裏話 みなさんありがとうございます<m(__)m> [閑話休題]

気がつけば1周年でした。
累計でこんなにたくさんの方から読まれるようになるとは、
始めて数カ月は思ってもみませんでした。
どうもありがとうございます。

実は、初めは、事務所のホームページを作成しようとして、
http://heartland.geocities.jp/doi709/

練習として始めたのです。

ホームページを開設してからは、
改めて、取り扱い分野に関する説明を作るのが面倒なので、
このブログのカテゴリーを張り付けて、
説明を省略するために、
せっせと更新するようになりました。

当時仙台弁護士会の副会長をしていたので、
あいさつの原稿や、
日弁連の議論の原稿などを
ブログに書いて済ませていたのでした。

初めた頃は、当然アクセス数も少なく、
時のニュースに便乗した記事を書いて、
せこせことアクセス数の伸びを狙っていたのですが、

あまり気にしなくなり、
原稿書きというか、
私が利用させてもらうようになって、
逆に多くの人に見てもらうようになってゆきました。

当初は、おそらく3月頃まででネタが尽きるだろうと、
予想していました。
タイトルを手帳に書いて、穴をあけないように
努力をしていました。

3月にラジオ番組に出演し、
ディスクジョッキーの方から
離婚の統計を教えてほしいと言われ調べていて、
偶然平成10年問題に気がつきました。
自分で、厚生労働省等の数字を調べて入力して行き、
グラフを作って行って、
ああ、本当に平成13年から15年に日本の貧困の
ピークが来ていたんだなとわかり、
震えが来るくらい驚きました。
この体験は、得難いものです。

しかし、統計に表れない暗数があるようで、
日本の貧困は右肩上がりに拡大している
可能性がありそうです。

生活保護、非正規雇用、児童虐待が
氷山の一角として隠しようのない数字を出しています。

このあたりから、ネタが尽きなくなってゆき、
さらに、パーソナリティ障害、発達障害の勉強が、
実務や我が身に照らして面白く、
次から次から妄想が広がってゆきました。

あまりに手を広げ過ぎのところがあって、
整理整頓ができない状態となっています。

朝、むくっと起きて、
いくつかネタが衝突し、
どのネタを今日書くかということで、
勝ち抜いたネタが記載されている状態となっています。

その日敗れたネタは、
そのまま忘れ去られることも少なくない状態です。

ネタは尽きないようですが、
その時の精神状態で、
時々冷静になり、
こんなこと書いて何の役に立つのだと
自己嫌悪に陥ることもあるのです。
ここ何日かがそうです。

素晴らしい著作にめぐり合い、
丹念な取材や調査に基づいたレポート等を読むと、
ただの思いつきや経験論の
独善的なブログはつまらないものでしかありません。

でも、ふと気が付いたら1年経ちました。

これで少しもりあがっています。

もう少し、続けてみようかなと思っています。

pages/user/m/articleの謎 そういうことでしたか。 [閑話休題]


今日は、メンテナンスということで、いつもの時間に入れませんでした。
労働市場と過程のストレスの連動性とか考えながら、
張り切ってパソコンに向かったのですが、
がっくりして、布団にも戻れずでした。

件数は気にしていないのですが、
どうして、と思うほど、突出して読まれることがあり、
なぜ、この話題がと疑問があるときがありました。

まずRSS という交感神経シンドロームみたいなものは、
そういうメールを拾うシステムみたいなものがあり、
1.0と2.0は同じような、別のようなものということは
おぼろげながら理解していたのですが、

pages/user/m/article というのがずうっとわかりませんでした。
まあいいやと思ってずうっとそのままにしていたのですが、
どうやら、携帯などモバイルからこのブログを閲覧していただくと、
これにカウントされるということがわかりました。

モバイルのMだったとのこと。

っていうか、携帯からご覧になっていただいている方もいるということで、
いつも長くて、本当に申し訳なく、
この場をお借りして、お許しを請う次第です。

そうすると、結局、
どの記事が、どのくらい読んでいただいたか、
あまりはっきりはしないということで、
その辺のシステムが、まだよくわかりませんけれど、
まあいいやという感じです。

それにしても、ずいぶん前に書いた
国際人権規約についての、
今となってはまた地味になった記事が
今でもけっこう読んでいただいているようです。
書いた自分よりも、ご尊敬申し上げます。

ご感想をいただく方もいらっしゃって、
本当にありがとうございます。
いつも面白い本、人生観の変わる本を紹介してくださるかた、
次の本も読んだのですが、
衝撃的過ぎて、まだ咀嚼できません。
近々感想を書きます。

時に、発達障害などで、
割と好意的なコメントをしているようにとられるかもしれませんが、
そのココロは、
やはり自分に思い当たることがありすぎるからです。
時々自分のことを書いているので、
悪くは書かないわけです。
本の著者の影響もありますが・・・

このようなブログを、半分匿名ですが、
ほとんど実名と同じようにして書いているのも、
埋没指向が、弱すぎるというか、
協調性を省みないというか、
そういうところに端を発しているのだろうと思います。

もともとそういう傾向があって、
弁護士会の役員やら、ラジオ番組出演やらで、
火がついてしまったというところが
あるのだろうと思います。

どうぞ皆様、ご寛容の程、
よろしくお願い申し上げます。

社会に協調する本能、埋没志向とファシズム、切腹、神風メモ [閑話休題]


パーソナリティ障害の本に、パーソナリティ障害を見ると社会が見える
という記述があり、その時はさっぱり見えなかったのですが、
今は考えがとまりません。
もはや、弁護士とは関係が無いようなので、閑話休題ということで。

人間には、社会に調和しよう、群れの中に埋没しようとする本能があり、
これは、群れを作る動物の本能ともいうべきものではないか、
群れから飛び出して個性を発揮しようという欲求もあって、
通常はバランスが取れているのではないか。
パーソナリティ障害や、精神疾患の中には、
この協調本能に基づいた行動ができない状態と
説明できないかというものです。

大多数の人間に協調本能があると考えると、
社会というものは、協調する的(まと)、埋没する的として認知されれば、
あとは、本能的にそこに向かって協調する行動をとる。
群衆を支配しようとすれば、
そのような的であることをアッピールして認知してもらうこととが早道
ということになるのではないか。

封建時代では、
この的が、封建体制と儒教だったと考えられることになります。
必ずしも、国民の大部分が、
幕府の将軍に埋没していたというわけではなく、
藩さえでもなく、先ずは「家」という秩序、
少し理屈付けが必要な人は、藩であったり国家であったり、
しかし、目に見える「家」と
形而上学的な儒教を具現化した道徳に埋没する的を見出していた
と説明することが、わかりやすいのではないのでしょうか。

協調本能が弱い人も、
文字通り体罰で、行動規範を叩き込まれ、
封建的な職業に就かされ、
あるいは親の決めた結婚相手と結婚していた。

個性はその中の範囲で発揮するという社会だったのではないでしょうか。
その中で、枠におさまらないで個性を発揮したのが本当の天才で、
平賀源内や江戸時代末期の哲学者の群があるわけです。

明治維新後も、封建制度は、イデオロギーとして残存しますが、
割と自由が広まったので、
偉大な日本文学者群が形成されていくわけです。

個性を否定しても否定しきれない個性として、
とてつもない光を現代にも放ち続けているということになりますが、
否定されてしまった個性も無数にあったわけです。

ただ、どちらが、幸せか、
否定されても燦然と光を放ったとはいえ社会適応ができず疎外されることと、
個性を否定され疎外を受けても、家庭と職業をあてがわれて
それなりに社会適応をして一生を全うした場合と、
比較は難しいような気がします。

協調本能の極限状態が、
例えば、切腹ではないでしょうか。
赤穂浪士のように、自分の命を捨てても、
封建体制、儒教を体現しようとした(と世間では見ているわけですが)
要するに、何もしないことは、よって立つ精神的基盤が崩壊するので、
群れの中で協調して生きるために、死を選ばざるを得なかった。
という矛盾ととらえることはヒントにならないでしょうか。

戦国時代の名残というか。

戦争も、結局は、この協調本能を利用して初めて成り立つわけです。

協調する的として、軍部が国家という概念を悪用したというか。
「家」を基盤としつつも、文化的背景を持つ藩を否定し、
ダイレクトに国家への帰属意識を高め、
親政を復活させて、ダイレクトに赤子ということにされ、
協調本能の的を、国家に向けさせられていったのではないでしょうか。

家を守るということと、国家を守るということを
人為的にイコールで結びつけられてしまったわけです。
戦争に敗れることは、家が崩壊するというイメージが定着して行ったわけです。

若くして亡くなって行った方々が、
お母さんと言って死んでいったことは、その証左であり、
天皇陛下万歳と言って死んだ人だって、その大部分の真意は、
結局自分の周りの人たち一人一人へのメッセージと
イコールだったと理解できるのではないでしょうか。

戦前の考え方、道徳が否定されることは、
このような、軍部のイデオロギー操作が
未だに影を落としている結果だと思うのです。
やはり、国家総動員イデオロギーは
この面からも禁じ手だったと言わざるを得ません。

社会に調和する行動がとれないといっても、
訓練によって、可能となる人がたくさんいると思います。

話のたとえですが、
乱視の人も、視力がいい場合は、乱視が気にならないといいます。
視力が弱ってくると乱視と合わさってますます見えにくくなります。

社会に協調する行動がとれなくても、
親の言うことを聞くことはできるとか、
ルールを理解して、その通り行動することはできるとか、
疎外を受けにくくする方法があると思います。

このような訓練は、教育の中で行われるべきだと思うのです。
人を見て、ああ、そういうものかと
如才なくたちまわれるようになる人も本当は多いのだと思うのです。

ちょっと、頭の中に渦巻いていたとりとめもない着想を
とりとめもなく書いてみました。

いつも、お付き合いをいただいている皆様、
本当にご迷惑をおかけしております。
ここまで読んでいただいて、本当に恐縮です。

いつまでもつぶやき続けるとツイッターとはいわないのか、仙台四朗とストリップ小屋リド [閑話休題]

書いている方は夢中で書いているので、
何の苦もないのですが、
読まれる方は、大変だろうと思います。

こんなにたくさんの人に、駄文で長文を読んでいただいていることは、
脅威であります。
むしろ、書いているよりも大変だろうと心苦しく思います。

結局はつぶやきなのですが、
いつまーでもつぶやき続けているというのは、
それ自体、異様な光景なのかもしれません。

仙台には仙台四郎という商売の神様と呼ばれた人が実在し、
その写真がお土産グッズとして売れているようです。

売り方上手というわけではなく、
今でいえば知的障害をお持ちの方とでもいうのでしょうか。

ふらふらと、仙台市の中心部の店に現れては、
何するわけでもなくぶらぶらしていたようです。
店の人たちは、じゃまにするわけではなく、
神様が来たということで、お茶を出してあげたりしていたようです。
かまっていたのでしょうね。

またそういう余裕のある店にしか行かないわけだから、
仙台四郎が来る店は流行っている店で、
いつしか、仙台四郎が来ると店がはやるということに
なったのかもしれません。

そういう意味で神様なのです。

だけど、打算的というよりも、
社会が仙台四郎をじゃまにせずに、
神様なんだからいじめるなというところから始まったと思われ、
人を尊重しましょうという、
古き良き仙台商人をたたえる話しと
受け止めています。

こういうアイドルは、私が子供の頃ですから
昭和40年代にもいらっしゃいました。
仙台の繁華街にリドというストリップ小屋があり、
そのサンドイッチマンの名物のおじさんで、
学校の授業の始まりと終わりを教えるようなハンドベルを持って、
立っているという仕事の人でした。

仙台市民が必ず通る一番町三越裏あたりに立っていたと思います。
小学生がみんなリドという店を知っていたくらいですから、
宣伝効果は抜群だったのでしょう。
今だったら、虐待とか教育上よくないとかいっていたのでしょう。
しかし、優秀な宣伝マンなので、自立して生活していたようなことが
報道されていたように思います。

何が報道されたかというと、
その人の象徴のハンドベルが盗まれたということが、
地元の新聞に乗ったのです。
仙台市民の多くが憤りを感じたと記憶しています。
有志がお金を出し合って、新しいハンドベルをプレゼントしたとか、
それでもしっくりこないので元気が無いとか、
結構追報道があったと記憶しています。

結局ハンドベルが返されたかどうか、記憶が定かではないのですが、
いつしか、サンドイッチマンはいなくなりました。
昭和40年代の終わりだったと思います。

そういう人が、尊敬はされなかったでしょうが、
一定の尊重はされていた時代の話です。
むしろ、重要な市民の一人だったと思います。

弁護士会のML掲載記念。公表、どんな記事が読まれているか。熱中症 こまめな休息と水分 [閑話休題]

弁護士会にも一般的なメーリングリストがあって、
割と多くの仙台弁護士会の会員が参加していて、
貴重な情報源となっています。

実利的な情報もさることながら、
精神的に癒されたり、励まされたりと、
今やなくてはならないものとなっています。
管理者の先生に感謝です。

そのMLに、あまり、受けない書き身をするのも何なので、
その分このブログに書き込んでいるというところはあるわけです。

いつものとおり、そのMLの書き込みを読んでいたら、
宮城の弁護士のつくったブログの一覧がでていました。
なんと、この弁護士の机の上も紹介してもらっていて、
恐縮するやら恥ずかしいやら。
ありがとうございます。

改めて、ブログの記事ごとの閲覧数を見てみると、
最近よく読んでいただいているのは、熱中症の記事でした。
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2010-06-14

昨日も、何人か亡くなっています。
とにかく、のどが渇く前に水分補給です。
水分補給ということは、こまめな休息をとってください。
冷房や、せめて日かげのところにこまめに非難して休憩をとれるようにしてください。
何よりも、屋外の活動をしなくていいならしないでください。

学校や職場で、熱中症で亡くなったり後遺症が残ったら、
直ちに損害賠償を請求しますからね。
暑ければ人間死ぬし、植物人間になるのです。
わからなかったでは済まされません。

死んだというニュースも大切ですが、
救急車で運ばれた時に、熱中症のどのようなパターンなのか
もうちょっと詳しい報道があるといいのになあ。
まあ、全部を予防するに越したことはありませんが。

それから、さかのぼってみてみると、
読んでいただきたい記事が、意外なまでに読まれている。
愛と経済シリーズとか、児童虐待と親権とか、
ありがたい話です。
意外や意外は、国際人権(自由権規約)選択議定書の話が
トップというほど多く読まれていて、
皆様に拍手です。

保険金詐欺の交通事故紛争処理センターの話は、
いかにも面白そうな題なので、
ちょっと、われながらズルイと思うのですが、
やはり読まれていました。

それにしても、交通事故の話はよく読んでいただいています。
6年、交通事故紛争処理センターの嘱託として
駅前まで歩き続けた賜物でしょう。

意外に前の記事を読んでいただいているようで、
自分でも時々読み直してみなければならないなと
あんなことブログで言っていたくせにと言われないように
しなければいけないなと思った次第です。


このブログの前段階、紛争学(レビン小林先生)と出版計画と弁護士会副会長と [閑話休題]

このブログを初めて数カ月がたち、
未だに、何を書くかで悩みながら書いています。
書きたいことが多すぎて困ります。
布団の中で、今日はどうしようかなとか考えて
ブログの前に向かうまでが、
一日で一番充実して、幸せな時かもしれません。

このブログを書くようになってから、
不思議なことに、
司法試験の不合格発表の夢を見なくなりました。
なんか関係あるのでしょう。

もともと、他人にメッセージを伝えるということを
志向していたわけではありません。
どちらかといえば、マイホームパパ(おっ、最近聞かないフレーズ)
を志向していて、
それでも、仕事をしながら、ぼんやりと考えていたのでしょう。

それを、考えにまとめるということを始めたのは、
2年前の、東北大学法科大学院の、
ADRに関する連続企画の最終企画
紛争学とADRみたいなシンポジウムに
パネリストの一人として呼ばれてからです。

レビン小林久子先生の紛争学の講演を軸に、
各ADRのあっせん委員がそれぞれのADRの
特徴等を報告したシンポジウムでした。
私は交通事故紛争処理センターのあっせん委員として参加しました。

シンポジウムに先立って、小林先生の論文を
読ませていただき、電流が走りました。
これまで漠然と考えていたことが、
学問として体系化されていたのでした。

その電気刺激による興奮から、
弁護士のサイドからは、もっとこういうことが言いたい
という欲求が昂じてしまったのです。

1つに、弁護士は民事訴訟や調停では代理人ですが、
代理人とは何か、和解とは何か、
和解において、代理人が本人の利益をはかるとはどういうことか、
等、もっともっと、勉強して、体系化したいという気持ちになりました。
逆に言うと、これまで、弁護士は、阿吽の呼吸で、
職人的にのみ、体得していた事項だと思うのです。
若手が勉強する的というか、
弁護士同士が研鑽するたたき台を作りたいという野望を持っております。

2つ目が離婚調停、
紛争学は、どうやら労働紛争の調停から生まれて、
主として離婚調停において発展してきたような印象を受けます。
この辺の紛争のカテゴリーを意識することが今後の課題だと思っていますが、
離婚調停にかかわってきて、
新たな人間関係の形成という視点など、
研究するべき点が多いと思われました。
これは、現段階では、学問体系というより、
婚姻実践論というか、なんというか。
紛争から見た、夫婦生活のあり方というか、
円満な家族を気付くためのよもやま話というか。

3つ目は、代理人論を離れて、刑事弁護論の情状弁護論
無罪を争わない刑事弁護が、9割以上なのですが、
無罪を争う刑事弁護論に比べて弱すぎる。
ほとんど体系化されていないという憤慨が生じ、
犯罪環境と規範意識を中核とした論文でありながら、
裁判員裁判をにらんで、新書の形で、
一般向けの本を書き始めていたのです。

こういうことを、大雑把に考え始めたところで、
弁護士会副会長の毎日が始まり、
こっちはこっちで、毎日頭を使い続けてきたので、
考える作業が止まらなくなってしまったのですね。
(情状弁護論は、ある程度まとまり、
あとは、校正をしていただきながら
本にまとめる作業だと思うのですが、
出版社の方いかがでしょう^^
裁判員裁判必読とかいう帯で^^;)

副会長の仕事は、
毎日が新しいことの勉強という側面があったし、
通常の弁護士業務のように、
一人で考える仕事ではなく、
執行部というチームプレイだったので、
そういう意味でも充実していたと思います。

1年で終わりという任期も、
ありがたいことなのでしょう。

しかし、執行部止めて、色々できると楽しみにしていたのですが、
県や市の審議委員が増えて、
中小企業支援や自殺対策に首突っ込んで、
というかどっぷりつかって、
どっちが忙しかったか首を傾げるところでもあります。

それでも、副会長の時と比べ充実してきたというか、
長ったらしくなってきたのがこのブログでしょうか。
今やツイッターの時代だというのに・・・・

どうもすいません。ここまで読んでいただいてありがとうございました。

湊かなえ氏「告白」を読んだ感想 子供に読ませたくない本 [閑話休題]

湊かなえ氏の「告白」は、ずっと気になっていた本だ。
本屋大賞を受賞という腹帯があったことがその理由。

私からすると、本屋大賞というと、
「博士の愛した数式」がなかなかいい感じで読めていたし、
その時の次席が「クライマーズハイ」ということで、
かなり信頼していたが、
(それは、第1回ということで、
ずいぶん前のことだったということに気がついた。)

興味があり、映画化もされたというし、
飛行機の隣の人も読んでいた。
そんなとき、妻が文庫本を買ってきたので、
読ませてもらった。

みなさんの中にも、読まれた方がいたと思うが、いかがでしたか。
私にすると、一言で言って、気持ちの悪い本だった。
読んでいくうちに、眉間にしわが寄っていくというか・・・
ミステリーというより、バイオレンスものでしょう、これは。
どうして、本屋がこれをこれを読ませたいのか、まるでわからない。

それでも、どんどん先を読ませる文体、構成力は力量を感じる。
小説としては、クオリティが高いというべきかもしれない。

しかし、
リアリティが無い。
作家なりに、こうだからこうなるという内部完結は描かれているのだが、
この点が、一番リアリティがないというか、論理が薄弱なところ、
ミステリーという評価をしえない最大の理由。
(社会経験の少ない裁判官の判決理由みたい。)

犯罪の現場から言わせてもらうと、
あまりにも図式的というならば、まだよい、
図式が完成していないという印象。

(母親の愛情を喪失したので、犯罪を犯して振り向かせたい・・・・
これでは、新聞のセンセーショナル第一主義の見出し。)

良識のミステリーのような、
ジグソーパズルが完成した時の達成感みたいなものは
えられない。

もう一つ気になったのが、少年法の問題。
少年は少年法によって守られているという主張。

結局、新聞の見出し、テレビのコメンテーターの
守備範囲でしかない。

なんか、これらをつなげて考えると、
結局、誰かが、特定の目的のために、
この作品を必要以上にフィーチャーしている
としか思えない。

映画が成功したのは、
一番ふさわしくない松たか子さんが抜擢されたことで、
リアリティが生まれたことではないだろうか。

リアリティ、人間の悲しみや、悔しさ、寂しさ、
その辺が奇妙にぼけている。
状況が書きこまれているので、読んでいる方は、どんどん読める。
だけど、ピースがつながっていない、そんな感じ。

まあ、話題になる骨格を持った本ではあるのでしょう。

ここまで書いちゃうと、勧めているのとおんなじかな