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3月11日午後3時ころ。私は海辺の町に自宅のある職員に帰宅の指示を出しました。 [災害等]

2011年3月14日にアップしたこのブログの記事です。
3月11日の午後3時ころの裁判所付近の様子がレポートされています。

http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2011-03-14
「3月11日2時45分その時仙台市青葉区一番町では。震度6はこんな感じでした」という記事

電気が通じて、まず記録を残さなければならないということで、
この記事を書いた記憶があります。
何かに利用しようという目的はなく、
ただ、事実を残そうという気持ちで書きました。

記載してあるとおり、
裁判所も法律事務所も
しばらくは、全くなすすべなく
激しい余震が続く寒空の中
職員を待機させたままでした。

合理的に考えれば、
小さいお子さんのいる職員は
直ちに子どものもとに返すべきだったと思うのですが、
それすら出来ていないようでした。

私の事務所の職員は、
海辺の町に自宅があります。
私は躊躇なく帰宅を指示しました。

幸い交通機関がなかったために
途中津波に巻き込まれることがありませんでした。
私は、使用者で、職員に対する安全配慮義務があったのですが、
自分が早く帰りたい一心で、
職員も同じだろうと思い帰宅を命じたのです。

冷静な判断なんてできず、
今日は仕事終わりと、
裁判所や他の法律事務所に先駆けて
業務終了を宣言したのでさえ、
誇らしい気持ちでした。

もし、自分のパーソナリティに「障害」があり、
全く冷静な思考が可能だったとしましょう。
帰宅途中職員が津波に巻き込まれるということを
果たして考えたでしょうか。

まず、津波が来るという発想は全くありませんでした。
では、たまたま津波の知識があって、
地震のあとに津波が来るぞというところまで
考えが行き着いたとして、
まさか、海から1km離れた道路に
津波が到達するかもしれない
とまで考えたでしょうか。

ありえません。

南三陸のリアス式に津波が来たことは
経験者である祖母から聞いていました。

しかし、仙台湾の中に
大規模な津波が来るということは
一切念頭にありませんでした。
津波といっても
せいぜいいつもよりも波打ち際が
陸地に食い込む程度の
ニュース映像を思い出すのがせいぜいだったと思います。

仮に職員が帰宅途中に津波に巻き込まれて死亡し
両親から訴えられたら
私はどう対処していたでしょうか。

震度6の地震で呆然として思考力が落ちていることを
言い訳にすることはできないのでしょうか。
1000年に一度の津波を想定しなかったことで
職員の全損害を私だけが引き受けなければならないのでしょうか。

民事裁判は、損害の公平な分担を目的とします。
私が全損害を賠償するのは公平なのでしょうか。

国も自治体も1000年に一度の津波を想定した訓練も
情報提供もしていませんでした。
名取市閖上では、消防署の近くに住んでいる人も
津波が来ることを知らず、
親戚が通りかかったためにようやく気がついた
ということをその人から聞いています。

それでも、その国の機関である裁判所から
国の責任を棚上げにして
私が全損害を賠償することを命じられるのでしょうか。

地域でも、誰も1000年に一度の津波が来ることを
震災前は話題にもしなかったと思います。
少なくともうちの職員は言っていませんでした。
それでも、全責任が
使用者である私に課せられるのでしょうか。

リアリティとは
必ず誰かに責任がある
ということを意味するわけではないと思います。


東日本大震災、町の課長さんの公務災害逆転認定のご報告 震災の風化を心配する前に教訓の共有を始めよう [災害等]

マスコミにも大きく取り上げていただいた事例ですので、
改めてご報告することといたします。

宮城県の海辺の町の課長さんが、
東日本大震災の激務により、
地震の1週間後に胃静脈瘤破裂による出血性ショックで
お亡くなりになった事例です。

遺族は、公務災害申請をしたのですが、
地方公務員災害補償基金宮城県支部長は、
公務災害ではない、持病が悪化したための死亡だとして、
公務災害を否定しました。
遺族はこれを不服として、
審査請求という異議申し立てをしました。
この段階で、我々が代理人となり、主張立証活動を行いました。
幸いにして、3月20日付で、
地方公務員災害補償基金宮城県支部審査会において、
同宮城県支部長の公務外決定を取消しました、
即ち、公務災害認定されたことになります。

課長さんは、3月31日で定年退職になり、
年休未消化がかなりあったので、
本当は年休を取得して仕事を休んでいても良かったのですが、
確定申告時期であるので、
3月15日まで年休消化を見合わせていたのです。
地震があと4日遅ければ、
今も元気でご家族と一緒に過ごされていたことと思います。
担当した弁護士は、あの著名な川人博弁護士、
目下売り出し中の気鋭の三浦直子弁護士、そして私の3名でした。

この課長さんをはじめとする町の職員の方々の震災後のご奮闘は、
「ものすごい」という言葉を使用しても足りないほどです。
3月11日から17日18時過ぎの発症まで、
支部審査会の認定では、
仮眠時間29時間、勤務時間111時間という激務でした。

津波やガソリンタンクの爆発による火災で、
地域住民の方々が役所に避難してきていました。
役場は、庁舎の廊下も避難者が寝泊まりしていました。
役場の避難住民の対応の他、
避難所周りや交通整理、食料の確保などで、
役場はしばらく騒然とした日々が続いていました。
職員の方々が寝るといっても、避難者が大勢いる庁舎で、
横になるスペースもなく、椅子に座ってうたた寝をする程度でした。
連日深夜や翌朝まで会議が行われ、
早朝から、町民のためのおにぎり作りなどをしていました。
備蓄していた食料は、町民に提供し、
職員は、期限切れのクラッカーなどの非常食を
日に、1、2回口にする程度でした。
支部審査会は、不眠不休の激務だったと正当な評価をしています。
どうして、支部長(第1段階)が、公務災害ではないとしたかというと、
課長さんは、肝硬変等の基礎疾患があったのです。
門脈圧亢進症は、肝硬変によって生じる合併症です。
ストレスはあったかもしれないし、
ストレスによって胃潰瘍になったとすることは医学的に矛盾がないが、
証明されていないし、偶然的要素が大きいということで、
公務災害による死亡とはわからないという感じで、公務外とされていました。

弁護団は、二つの柱で活動をしました。
一つは、公務の実態を丹念に調査することです。
東京の2人の弁護士も現地に来て、
役場の職員から当時の仕事の内容の事情聴取を行いました。
お二人は、初めて聞くお話に蒼白になっていらっしゃいました。
この課長さんの件は、激烈な公務による死亡だとされなければいけない
という強い意志をもちました。

同時並行的に医学的主張のための調査活動です。
私の事務所の優秀なアドバイザーの内科医にレクチャーを受け、
どう言う体のメカニズムのどこが問題となっているかを把握しました。
そうして、6年越しの主治医の先生の意見書に従うべきだという
貴重なアドバイスを受けました。
このアドバイスが、最終的に効果的で、正しい方針でした。
医学的立証活動は、この主治医の先生の医学的意見を、
専門家ではない人たちにどうわかりやすく解説するか
ということに力点を起きました。
理系の方の文章は、簡にして要を得ているというところがあり、
裁判などでは翻訳作業が必要となります。
当初から、アドバイザー医からも指摘を受けていたのですが、
課長さんは、安静と栄養補給が不可欠な病気だったようです。
ところが、一日中立ったり座ったりして過ごし、
夜も椅子に座って仮眠を取るという激務が続いていました。
横になれないのです。安静の正反対の状態でした。

食事も、町民を優先にして、
一日ビスケット1、2枚という日々が続いていました。
肝硬変の人は、食感が空くことが病態を悪化させるので、
消化器学会は夜食を摂る事を勧めているくらいなのです。
これも逆行しています。
この時、我々被災地の住民の多くは、
いつ食料が尽きるのだろうということが常に頭の中に有りました。
この観点からも、本来、公務を解除して、
自宅で安静を確保できる状態にするべきだったのに、
あえて公務を遂行したという表現が
つくづく当てはまるということを理解しました。

弁護団は、これは、
絶対公務災害だと認定されなければいけない事案だ
と全員が、そのような強い意志をもちました。

今回、支部長判断が支部審査会で覆るという
画期的な結果になったのは、宮城県支部審査会の、
公平な視点と論理の賜物だということになります。
但し、それは、突飛な論理というわけではないのです。
地方公務員の公務災害についての最高裁判決に則って、
職務実態の判断も、医学的な判断においても
合理的な判断をしたということになります。
(中には、被災地の審査会でありながら、地震発生後30分してから、沿岸部に避難広報に行けと命じられて津波に巻き込まれて亡くなった事案で、命をかけていけと言っていないからといって、高度の危険があったとは認められないという審査会もあるのです。)
宮城県支部震災会は、特殊公務災害でも、
理にかなった判断をされています。
被災地の実情を正確に把握してのご判断に敬意を表する次第です。

今回の私の言いたいことは、河北の記者さんに、
全く見事に表現していただきました。(オンラインが出たらコメントに貼り付けます)
私たちも、遺族も、そしておそらく亡くなったご本人も、
申請にあたって一番に望んでいたことは、
課長さんが、ご自分の体調が悪いにもかかわらず、
公務員としての使命感で、
町民のために公務を遂行したということを認めてもらいたい
ということがその言いたいことです。

自衛官や警察官のご活躍は、広く報道されました。
しかし、一般職員の方々も、
自分の健康や家族を投げ打って、公務を遂行されていました。
ご自分のお子さんが地震でどうなっているかも分からず、
連絡も取れない中で、ご自分の学級の子供たちがすべて、
父兄が迎えに来るまで、
教室で子どもたちを励まし続けたお母さん先生、
自分の家が流されて家族の安否もわからないにもかかわらず、
避難所を回ってメンタルヘルスのケアに努めた保健師さん、
みなし仮設住宅で情報が入らないことで憤りをぶつける住民に対して、
寝不足の目を血走らせながらも、
言い訳をせずにひたすら謝りつづけた役場職員の方々、
みんな新聞紙さえ引かないで背広を着たまま、
床にごろ寝をして、5月ころまで一日の休みもなく奮闘されていました。

私は、東日本大震災の公務災害や
特殊公務災害の事件を担当するとき、
このような一般公務員の方々の活動の真実を知っていただきたい、
公務員の方々という職種の人は、
東日本大震災の際に、いかに我が身を削って、
住民のために公務を遂行されたか、
この当たり前のことを大声で力説しなければならないと感じています。
それというのも、私の手がけた多くの事案が、
どうやら東京で、被災地の実情も、
公務員の方の実情も知らないで判断されているとしか思えないからです。

この点、さすがに宮城県支部審査会の方々は、
理にも情にもかなった判断をされました。
どこかの政令都市の支部審査会とは雲泥の差以上のものがあります。

支部審査会の宮城県支部長は、あて職で、
知事がなっています。
私は、不合理な支部長判断事案の一つ一つで、
現場が東京に従おうとしていることに対して、
名前を使われる方が、被災地の実情に鑑みて、
猛烈な抵抗をしていただいたと感じています。
今回の妥当な支部審査会の判断も
この知事の姿勢の影響があったと感じています。

私は、宮城県の事例では、自信を持って、
現場庁はともかく、トップは、我々の味方だと言い続けてきました。
今回の逆転の公務災害認定で、一番喜ばれている方の一人に、
名前を使われた方がいると勝手に確信しています。

今、震災の風化を防ごうという声が上がっています。
誰の心で風化が始まっているのでしょう。
それ自体よくわかりません。
ただ、津波に備えた都市計画だけでなく、
震災の時、誰しも目にしていた一般職の公務員の方々の
ご奮闘を正当に評価することが、
その風化を防ぐひとつの方法になるだろうと思っています。

この点を正当に評価せず、ご苦労に報いることがなく、
公務員の方々の生活や家族が崩壊していくならば、
この次なんらかの混乱が生じた時も、
もはや我と我が家族を投げ打って、
住民のために公務を遂行する公務員はひとりもいなくなることでしょう。
命や家族を投げ打って働くのが、公務員として当たり前だというなら、
要領のいい人は公務員なんかにならないでしょう。
もっと要領のいい人なら、公務員になっても、
家で待機し続けるでしょう。

震災の教訓は、まだ共有されていないのだと思います。
その努力をしないで、風化を心配するならば、
今回以下の被害で、今回以上の混乱が生じることは目に見えています。
震災で何があったか、どこが不十分で
誰に感謝するべきか
これから震災の教訓をあぶりだしていかなければなりません。
今回の公務災害認定が,
そのひとつの契機になるべく、努力を続けていきたいと思います。

震災特集番組を見て気分が悪くなったこと、救われた投稿記事 一般公務員のご苦労にもっと光を [災害等]

ここ何日か、震災関連番組が目白押しだった。
大丈夫だと思って、随分見てしまった。

何日か前は、寝る前に、
パンドラの小箱みたいな様々な化物が
体中を襲うような奇妙な感覚になったし、

11日は朝から重く、
上からのしかかられるというより、
腹をつかまれて、下に押し下げられる
というような感覚だった。
自然と半泣きになっていた。

要するに3年しか経っていないのだ。

実際に宮城県の被災者として
テレビに出てくる人の何人かは、
生きている時に、話をしたことのある人だ。
親戚だったり、友人だったり、
知り合いの知り合いの知り合いくらいで
ほとんど8割以上だろう。

津波の映像が流れるが、
要するに自分の関係者が死ぬ瞬間なのである。
そこに自分の知っている誰かがいる可能性がある。
インターネットで遺体の映像が流れることがあるが、
自分の家族の遺体を晒したいか。

おそらく、こういう感覚は、
よほど感受性がない限り、
被災地の住人という感覚なのだろう。
被災以外にもいろいろな
他人に対する支援はあるけれど、
その難しさを自分でも感じる契機になった。

それから、震災番組の多くが、
被災地以外の人たち向けに作られているのだろうな。
復興という娯楽が提供されているのだろう。

本当に何かを伝えたいなら、
例えば、遺体捜索以外の
被災地の公務員の活動を紹介して欲しい。

震災で、自分の子どもの安否も確認できず、
学校で、父兄が迎えに来るまで、
他人の子どもを励まし続けて、
最後の子どもが引き取られるまで、
学校に居続けたお母さん先生。

自分の家が津波で流されたにもかかわらず、
家に帰ることもできずに
避難所を回ってメンタルヘルスケアを行った
保健師さん。

仮設住宅で、情報が入らないで不安が募り
クレーマーみたいになってしまった住民に、
明らかに寝不足の目を血走らせながら、
ひたすら謝り続けた市役所の職員、

そして、命をかけて避難誘導をしていた
職員の方々。
この方々が、命をかけて公務を全うした
とは認められていない現実。

こういう方々を紹介して、賛美して欲しい。

昨日はかなりネガティブな状態でした。
酒飲んでもさっぱり酔えない。

そんな時、フェイスブックで、
震災後のお子さんの成長と
家族の絆の深まりについての
ご報告の投稿がありました。

初めて暖かい涙を感じました。
失ったものもあるけれど、
得たものもあるというメッセージをいただきました。

震災特集をするなら、
こういう地に足がついた
生活の息吹を込めた
番組を制作して欲しいと切に願います。

間一髪とか、スリルとサスペンスとか、
そういうのは、被災地以外でやってほしい。


仙台市に「基準」とは何か問い合わせました。これからのがんばる方向について [災害等]

仙台市に、
6月6日の市長の記者会見で言っていた、
基準値を下回っていたというところの
「基準値」とは何かというところを問い合わせてみました。

ここで、話を聞いてもらうために、
まず、測定をすることに感謝を述べました。

考えてみれば、みんな自治体職員の方が忙しい中、
大変な話です。
話しているうちに、健康にご留意されてという気持ちに
なってきました。

新たに職員を増やして、
その人件費を国や東電で出してほしいと素朴に思います。

それはさておき、
やはり20ミリシーベルトのことをいっていたので、
文部科学省に電話したら、福島限定だし
その福島県でさえ5月27日に
基準は年間1ミリシーベルトを目指すということに
変わったという話をしました。

安心という言葉ばかり先行して
できる対策をしない
という間違いが生じないか不安だと説明しました。

とても丁寧にお話を進めましたが、
とても丁寧に受け答えしていただきました。

(ただ、記者会見資料の電話番号は
誤記の可能性があるということのようです。
内部連絡がまだ確立していなかったかもしれません。
まあ、ご愛嬌ということで)

いろいろお話をしていくうちに、
仙台市の危機管理室は
年間1ミリシーベルト以下を意識しているようで、
そのための動きを作り始めているようです。

おそらく仙台市の担当部署においても、
いろいろな動き、考えがあるようです。

そうだとすれば、
仙台市とわれわれは、もともと利害が一致するのですし、
悪いのは東電であるわけですから、
仙台市と対立的に接するのは、
得策ではありません。

一緒に乗り切っていこうという姿勢こそが、
同じ仲間という姿勢こそが、
より効果的でもあると思います。

クレーマーだと思われているだろう私ですら、
まずは、御礼をいい、最後も健康にご留意されるよう申し上げて、
電話を切りました。

私の電話口での感謝でさえ、
本当に喜んでもらっているようで、
いい人を担当者としたなあと
やられたという気持ちでした。

それだけに、激しい不安を
激しい怒りに転化させた素の感情で
接してしまったら、
それ自体も危険な話だなとつくづく感じたので、

大急ぎで本日3本目の記事を書いている次第です。

仙台市は、放射能対策という流れができつつあるようで、
とりあえず年間1ミリシーベルトという数字も
意識され始めているようです。

お母さん、お父さんのがんばる方向
力の入れる向きも
この流れを定着させて
確かなものにするという感覚が、
最も有効な方法論になるのではないかと
思いました。

そのためには、その流れに向かう動きを
きちんと評価して、
その流れでがんばっている仙台市の職員の方々を
大いに励ますことからはじめることを
お勧めいたします。

震災で選挙もできない町があるのに、内閣不信任案を提出するのか。切り捨てられるのか。 [災害等]

内閣不信任案もよいけれど、
宮城県ではまだ選挙できない自治体もあるのだけど、
そこのところ、わかってやっているんだろうか。

わかって、国会を解散しようとしているのだろうか。
自民党も、公明党も
菅さんも。

なんか、もしかしたら、
震災の被害の実態や、
原発の被害の実態を
把握していないってこと?

それとも選挙できない自治体の国民=被災者は
選挙権という国民の根幹の権利を
切り捨てられるってこと?

選挙にお金かけている場合?

震度6を経験せずして、パニック行動を嗤うなかれ、結果論ではその先の真実にたどり着かない [災害等]

某週刊誌に、
津波被害にあった園児の通っていた幼稚園を
糾弾するような記事が掲載されていました。

出張の時、本屋でちらりと表紙の見出しを見て
ちょっと立ち読みしただけです。

宮城県民なら大抵の人が知っている話です。

要するに、高台にあった幼稚園なのに、
マニュアルには、高台に避難するよう記載してあったのに、
わざわざ海の方へ、
園バスで園児を返しに行ったことを、
マニュアルの存在さえ知らなかったのではないかと
糾弾している記事でした。

これが、亡くなった園児のご遺族の方のご主張
ということなら、理解も共感もいたします。
私だって、同じ立場なら、
そういうことを言っていたと思います。

しかし、
ある程度公的な週刊誌の主張となると、
おそらく、宮城県民の少なくない割合の人々は
違和感を感じると思います。

誰が、あの時、冷静で合理的な判断ができ、
冷静で合理的な行動をとったでしょう。

津波が無い地域でも、
お帰りの時間という幼稚園は多くありました。
自宅近くに園バスの停留所があればよいのですが、
働いているお母さんとか、
停留所から遠い所に住み、地下鉄などで迎えに来るお母さんも
結構いらっしゃいます。

園バスが「いつものように」子どもたちを停留所でおろして、
交通機関が止まったために迎えに来れなかった親を
いつまでも待ち続けた園児も結構いたようです。
おそらくマニュアルはあったはずです。

自分の直接体験しただけでも、
というか自分についても、
ずいぶんとんちんかんな行動をしています。

地震がすぐにおさまるだろうと
揺れが続く中、法律相談を続け、
弁護士会の職員に促されて、ようやく弁護士会館から外に出ました。
ちなみに、歩道でも法律相談は続いていました。

その後、事務所に戻り、
気にしていたのは、
4時に打ち合わせがあったので、
どうやってキャンセルしたらいいかということでした。

電車を利用して仙台にくるお客さんだったので、
そもそも、仙台までもこれなかったということは、
今になれば笑い話ですが、
その時は、思いもよりませんでした。

最終的には、謝ろうということで、
事務所を解散して、自分も子どもを迎えに移動したのでした。

それでも私は、まだ好判断をした方です。
(と言っても、冷静な判断ではなく、ほとんど勘)

国や国に準ずる公的な機関は、
いつまでも、何をするともなく、
裁判所や公園に職員を待機をさせていました。

前に書いたとおり、私は事務員を探し回ったため、
解散までに時間が大分経過したのですが、
相当時間経過後に解散を決めた後も、
多くの人たちが、不安そうな表情をして
解散もできず、ただ、立ち尽くしていました。

公的な機関も、冷静な対処はできませんでした。

上司の判断が遅れて、
帰宅が遅れた人が大量にいたわけです。
無駄に足止めを食っていた人が多数おり、
そのために、
冷静に子どもたちをキープしていた学校等の
先生方は、帰宅できませんでした。
私が何時ころ学校に着いたか今となっては覚えていませんが、
4時前ではあろうと思います。
まだ、半分くらいの子供たちが教室に残っていました。

私は、早く返したことを自画自賛していましたが、
よく考えてみれば微妙です。
職員の帰宅方法を確認しませんでした。
その日に限って、オートバイなどできていたら、
それこそ、津波に巻き込まれたかもしれません。

何を言いたいかといえば、
それほど3分続いた震度6の地震は、
人々から冷静な判断力と、迅速適切な行動力を
奪うに十分な衝撃でした。
ということです。

それでも、
幼稚園児という判断力を期待できない人たちを
預かる仕事は、冷静な行動を、マニュアル通りの行動を
しなければならないのかもしれません。
それはそうかもしれません。

ただ、私は、第三者だからなのですが、
居丈高に、糾弾することには、
どうしても違和感があるのです。

園児のご遺族ならわかります。
そりゃあそうでしょう。
それなら、あえてこんな批判がましいことは言わないのです。

しかし、震度6を経験していない人から、
マニュアルがあったのにそれを実行しなかったのは、
マニュアルの存在も知らなかったからではないかと
そう書かれてしまうと、
どうしても、感情的には、おさまりがつかないのです。

このタイプの事件は、
我々宮城県民はいくつも知っています。
結果論で言えば、中には判断ミスということもあるでしょう。

裁判にもなるかもしれません。
しかし、
某週刊誌みたいに
あの震度6を経験していない人に、
結果論で裁かれると思うと、
怖い気もします。

今回の責任を裁くことはともかく、
今後同様の結果を回避するためには、

マニュアルを実践しなかったという批判は、
結果論に過ぎず、何ら実践的ではありません。

その時、幼稚園側が無意識下に何を気にしていたのか、
なぜマニュアルを実践しなかったのか、
その言い分に、冷静に耳を傾ける必要があると思われます。

その津波の犠牲にあわれた幼稚園だけでなく、
交通機関がマヒした園バスの停留所に
園児を置き去りにした幼稚園の話も含めて、
総合的に情報を集めて、
結果論の奥の問題の所在をあぶり出す必要があると
思います。

応用のきく形で、記録としてとどめ、
後世、他地域に伝える義務はあるのだろうと思います。

マニュアルを実践できなかったのは、
この幼稚園だけではないのです。
何か共通の理由があるはずです。

マニュアルを実践しなかったのは悪い
で終わってしまったら、
形を変えて、悲劇は繰り返されてしまうでしょう。

第三者は、冷静に、その先こそ、将来に向けて
探求するべきだと思います。

被災者と接する異業種交流ネットでできることのサンプルを考える。社会的に先手を [災害等]

被災者に接する業種が一堂に会して、
情報交換をしたり、共同行動をしたりというプランなのですが、

新聞記者の人と話をしていて、
もっと具体的に、形を構想しなければならないと指摘を受けました。
なるほど。

4月11日に思いついた段階では、
弁護士等法律家、ボランティア、自治体職員、マスコミなどが、
被災者と接する場合、
もう一つ気遣いをするヒントを、医師などからもらって、
せっかく相談を担当しているのに
逆に被災者を傷つけないようにとか、
接することで、被災者を励ます方向に進化できればいいなと思ったのと、

長期戦に突入するので、
想定される精神的疲労を予想し、
できることの対策を立てるという2本に整理できます。

これでは抽象的だし、現段階では話は進みました。


第1に、相談担当者が相互に連携をとるということのサンプル

カウンセラーの方に伺ったのですが、
カウンセリングしていて、
相談者が、借金の問題や相続の問題で悩んでいる場合があるそうです。
カウンセリングを進めるにあたって、
法律的問題の解決方向、解決できる類型かということはよくわからない。
法律家がいれば助かる。
いい加減なことも言えないので、それは弁護士に聞いてくださいと
いうしかないということがあるそうです。

人権相談というか、お話し傾聴しますという相談会の時も
弁護士のサポートが求められました。

一人いると便利なようです。

例えば、避難所のカウンセリング活動に
弁護士を派遣し、同行させるというのが一つの提携でしょう。
逆に、法律相談にカウンセラーに同行してもらう。

カウンセラー、弁護士が、
人権相談というか、傾聴隊にチームとして参加する。
という方法もあると思います。

また、例えば法律家が、法律相談をしていて、
近くに医師等がいない場合、
どこかにつなぐ必要があると感じた場合、
そもそも、
どんな時につなぐ必要があると感じる場合があるか
つなぐ時、どこにつなげばよいのか、
つなぐ時、どういう言葉をかけてつなげばよいのか、
わからないと、どうしようもありません。

例えば、カウンセラーの方、
例えば弁護士会の窓口の担当者と
顔を見たり、言葉を交わしたことがあるかどうか
ということが、
安心してつなぐことに大きな役割を果たすように思うのですがどうでしょう。


第2に、被災者の情報の業種間の流通ですね。

マスコミの人たちの役割も重要でしょう。
色々な場所に行って取材しているので、
地域の違いも良くわかっています。

あの地域は、勤務中に被災にあった人が多く
働き手を失って困っている人が多いという情報が来れば、
社会保険労務士と弁護士が駆けつけて、
労災申請をして、遺族年金、就学援助等の
集団申請説明会を行うきっかけになると思います。

集団で行うことによって、
必要書類流失に対する対処を工夫したり、
労災と損害保険の区別のつかない人に
誤解を解いてあげて、少しでも生活の援助をしたり、

情報の流通は、
現地の肌感覚を流通させることによって、
切実なニーズを把握できると思います。

情報を提供する人が気づかないで報告したことも
受け手が専門家ならピンと来ることもあると思うのです。


第3に他業種からの専門的なヒントの流通も考えられます。

当初の案に近いのですが、
法律相談担当者が、法律情報を提供するにしても、
それはだめです、そんな制度ありませんというより、
それはこういう風に考えてはどうでしょう。
その制度は残念ながらまだありませんが、
今こういう動きがありますから、急がない方がよいですよ
というような
もっともっと、心理面に配慮した表現を教わるとか、

あそこで、ああいう活動をしていたけれど、
後で聞いたら、怖くて近づけなかったって言ってたよ、
なんか、立派なスーツ姿で来られていたので
気後れして、本当のことが言え無かったってよ
とか言ってもらえば、
じゃあ作業着ブルゾンを着て行くかとか。

新聞やテレビを見ていて
こういうインタビューは、こういう心配もあるよ
こうすると生きてくるんじゃないとか。

業種間の相互啓発みたいなことができるといいなと思います。
なかなか被災者の方、一般の方は、
なんか不満があってもこんなものだろうと思ってしまいます。

あとちょっとのところで、格段に違うサービスになるのに
もったいないということもたくさんあると思います。

そんな被災者の声をぽろっと拾った別の業種が、
ネットワークの中でこんなことを言われたといえば、
別の業種の人が、こうすればもったいなくないさと
アイデアが出てくるのではないでしょうか。

結構専門業種は、日々同じことを繰り返しやっているので、
修正がきかなかったりすることがあったりするものです。


第4が、重要な潜在的なニーズや必要な行動の掘り起こしです。

なんといっても未曽有災害です。
誰もどうなるかわからないのです。

でも、日常生活と復興活動の二つの時間を
同時に生きているわけです。

肉体的疲労だけでなく、精神的疲労が起きてくることは
当然のことだと思います。

津波の被害を受けた方ばかりではなく、
宮城県民は、程度の違いはあれ、みな被災者です。

今専門家が何をしなければならないか、
別角度からの考える視点を入手する必要があると思います。

結構どの業種も、震災基準から日常基準に
戻ってしまってきているのではないでしょうか。
震災におけるマスコミの共同ということもなく、
東京の論理で、すっぱ抜きの競争に戻ってきているのではないでしょうか。
毎年のゆく年くる年だって共同できるのだから、
被災地の共同行動だって、不可能ではないはずです。
共同取材をするオリンピックは4年に一度ですが、
今回の震災は1000年に一度です。

違いは、東京と被災地ということなんだと思います。

人と接する業種が、共同行動を行い、
必ず起こりくる精神的疲弊に、先手を打って対処する
これが実現できれば素晴らしいことだと思うのです。

人と接してみて、
こういう変化があるようだけど、
何か悪い兆しだろうか。

他の業種では、
それなら、いつもはこういうこんな感じだったけど、
最近こういう相談がやたらと増えたって言ってたな
とか、

ああ、それなら、例えば、もっと感情を開放するきっかけがあるといいね、
そう言えば子どもたちの笑うきっかけがないね
現実を考えない夢中になれる時間があるといいかもね。

じゃあ、映画会を各公民館でやりましょうかとか、
じゃあ、俺たちがお笑いライブをやるよとか、

あるいは、
患者さんにこういう症状あったんだけど、
学校でも同じ症状のこどもがいるそうなんだけど

じゃあ、ちょっとアンケート調査をしましょうか。

それが学校だったり、父兄だったり。
バリエーションが広がって行くように思います。

アンケート結果に基づいて、
カウンセラーや医師が必要な行動を考える。
場合によっては、国にはたらきかけることもあるでしょう。

活動報告を兼ねて、情報提供と、問題提起を
シンポジウム形式で、
市民集会で市民に提起することもできるわけです。

そうして、精神的疲労が病気や病気の手前になる前に、
そうならないように行動をうつ
症状が出てから対処するのではなく、
社会全体で先手を打つということができると思うのです。

第5は課題ですが、

やっぱり、ネットワークの核があった方がいいのです。
ネットワークの会議自体は、
2カ月に一度くらいがせいぜいでしょう。
その間常設の情報集約方法があると良いと思うのです。

インターネットで情報提供を受けるとしても、
やはりそれを整理する役割の人が必要です。

問題は、この組織ボランティアで行うことになると思うのです。
お金もないし、
業種の性質上、暇な人はいないのです。

県も、市も、がんばれないほどがんばっているので、
民間ベースで動かなければなりません。
そうじゃないと進まないというか。

これが課題ですね。

マンションの中層階の壁の被害、修復のための時期とリフォームインフレの監視の必要性 [災害等]

マンションの中層階と高層階の格差というのがあるんだそうです。

自宅も事務所もマンションなのですが、
確かに特定の階に被害が集中しているのです。

もっとも、
柱とか梁とか建物の主要構造部に
今のところ被害が無い場合の話です。

特定の階の、雑壁に
ひびが入ったり、血管が怒張したような筋が入ったり
しているのです。

先ず、大きな地震でマンションが揺れているところを想像してください。
手でこんにゃくを立てて持ってゆらしてください。
手から3分の1くらいまでは、比較的まっすぐでしょう。
上から半分くらいもまっすぐでしょう。
下から3分の1から半分のところが前後に曲がって
揺れていると思います。
ここが被害の大きな中層階らしいのです。

次に、壁の亀裂ですが、
大抵は構造と関係ない雑壁なので、
亀裂があるからと言って建物が壊れるということは無いようです。

しかし、見た目は悪い。
確かに自分の家の玄関のわきに亀裂が入っているのは
いやな気持になるでしょう。
早くなんとかして欲しいものです。

これも、実は計算された被害で、
主要構造部である柱や梁に
過重な負担がかからないように、
あえて、雑壁の強度を強くしないということらしいのです。

筋交い(バッテン)のように亀裂がはいるのが、
理想形の亀裂なんだそうです。

要するに中層階の被害は、
高層階を含めてマンション全体を守るための被害なので、
修復はマンション全体で取りかかることが
当然だということになりそうです。

ここで問題なのは業者がいないということです。
1件だけの仕事を請け負うためには業者は来ない。
被災地の仮設住宅を作っているか、修理をしているようです。
しかも、関東方面からきているようです。
宮城県では仕事の無い人もいるのになんかもったいない。

仙台市内のマンションの修復工事は
9月くらいにピークになりそうで、
しかも、かなり高額になりそうなのです。

地元業者がなんとか、震災被害を挽回しようと
がんばっているなら、リフォームインフレも
まだ我慢できるかもしれませんが、
被害の無いところからきて、
相場より高い代金をとられると思うと納得できない。

物価統制というか、監視が必要なのではないかと
ちょっと耳にしたので、ご報告ということで

震災後のいいところだけをあぶり出し、財産とする仕組みを考え始める。コミュニティの心地よさ [災害等]

少なくとも3月中は、
仙台市の中心部には実質的なコミュニティーが成立していた。
物を売り買いするだけで、
心の触れ合う会話が成立していた。

弁当も良く売られていたが、
500円で、かなり豪華な弁当が売られていた。

あの時、
震度6を経験したものどおし、
ライフラインが断絶したものどおし、
という、一体感があった。

物は無くても、
気持ちは妙に豊かだった。充実していた。
生きて動いているだけで、
群れの一員であるという実感が快かった。

ただ、冷静に考えると、
当時から、格差はかなりのものがあった。

津波被害のあったところと無かったところの格差は言うに及ばず、
家族のいない一人暮らしのお年寄り
早くも原発事故を恐れて外に出ないようにしていた人たちもいた。

同じ地域空間でも
仙台市と仙台市以外の復旧の格差もあったようだ。

しかし、仙台市中心部で活動する人たちの間では
一体感があったし、
郊外でも買いだしで並ぶ人たちの一体感を感じていた。
知らないものどおし、気安く声をかけ
老いも若きも、丁寧な言葉遣いだった。
とても礼儀正しかった。

震災からある程度時間がたったが、
強いコミュニティもある程度残存している。
二度の地震を経験したという共通項による一体感は
震災前とは比べ物にはならない。

しかし、各種の違いを背景とする不協和も出始めているし、
震災前の日常を取り戻しての希薄さも復活しつつあるように感じる。

家のあるものと無いもの
職場のあるものと無いもの

マンションの中層階と高層階の温度差
(これは記事を改めます。)

放射能の心配をして行動をする者と
あえて心配をしないという行動を選択する者

一般的な違いに基づくもののほか、
震災の時
結果的にその人の判断が間違っていたことにより犠牲になった家族と
誰かを犠牲にしようとはもちろん思わず
他の選択肢を思いつかなかっただけのその人
というパターンは、これから弁護士が多く直面しなければならない
やりきれない紛争類型となるでしょう。

屋根を瓦にしたために、
瓦が落ちて、怪我をしたり物が傷ついた
なんてことも、大きく考えるとこの類型かもしれません。

なんかもったいない。
これから、あの自殺者3万人の殺伐とした世の中に
ただ回帰するというのでは、
あまりにも情けない。

元の木阿弥

しかし、希望もある。
震災の経験が、記憶から無くならないと同様に、
あの時の一体感の経験、実質的コミュニティを経験した者の
充実感の記憶も無くならないだろうと思う。
目指すべき目標の感覚を
多くの人間が体験している。

形を変えながらも
理性によって、
あの時のいいとこどりをしようではないかと
そんなことを具体的に、真剣に考え始めている。



理性によって、震災を日常から切り離す切実な必要性。震災転化型損害賠償他。 [災害等]

自分自身、このブログのカテゴリーに「震災等」というカテゴリーを
今日まで、設けていませんでした。
今日から再編成をしなければなりません。

3月11日から、ブログを再開して、
だんだん震災関連が多くなって行きましたが、
当初「事務所生活」というジャンルに押し込めていました。

なんのことはない。
私自身、震災はすぐに終わって、
日常に戻るだろうなと
無意識にそういう前提でいたというか、

既に、日常生活を営んでいるような
そんな感覚だったのです。

しかし・・・・

弁護士業務をしていると、
それは地震や津波という天災があったということを抜きにして、
考えや感情を組み立ててしまっているのではないですか
という事例をよく見ます。

例えば、
津波で、車や人が流されたのに、
海辺に行く用事を作った人に怒りをぶつけて、
損害賠償を請求したり、

もう、財産も何もかも流されてしまったのに、
借金をどうやって払うか考えたり、

一見もっともだし、道徳的にも正しいかもしれないと思う場面もあるのですが、
でも、今回は違うということを誰かが告げなければ、
誤った方向で力を入れたり、
自分や相手が無意味に傷つく結果となるわけです。
無理をしてしまう。

弁護士の仕事は責める方、責められる方、
どちらの代理人になるかは、偶然によって決められていて、
自分で選ぶわけにはいきません。

私は、今回も、責められる方のルーレットの数字に入っているようです。

あとから考えて、こうすればよかったということは言えることもあるでしょう。
しかし、震度6の地震を自分も経験しているのです。
誰か他人に対して、ああするな、こうするなということを
どうやって的確に指示できるでしょう。

私自身、事務所の外で仕事をしていて、
事務所に大急ぎで戻り、
自分の従業員を探したのですが、
みんなが逃げている公園にいない。
公園や大きな駐車場を、名前を呼びながら探しました。

事務所のビルに入るしかないと思い、入ろうとしたら、
余震が続いているので入ってはだめだと止められました。

後で聞いたら、管理人から、今外に出るのは危険だということで、
室内待機を指示されていたそうです。

業を煮やして、制止を振り切って階段を上り出したら、
上から事務員がおりてきたので、
無事解散となりました。

あの時、電話もメールも使えなかった時、
適切に逃がさないで、
建物の中で怪我をしたら、
やっぱり責められたということになったとしても、
やはり、私には、あれ以上のことはできませんでした。

合理的に考えて、的確な判断ができても、
事故を防ぐことができない場合だったと思うし、
合理的な考え、的確な判断が期待できない状態だったと思います。

この震災転嫁型損害賠償請求は、膨大な数が申し立てられるでしょう。
しかし、言われた方にとって、気の毒な場合も多いと思います。
責められている方は、じゃあどうすればよかったということもわからず、
ただ単に、自分が悪い、自分が劣っていたからとだんだんそういう風に
思いこみ、苦しんでいます。

責める方も天災が原因だということが欠落していると同様、
責められる方も、天才が原因だということが、
許されない言い訳かもしれないと思いこまされてくるようになる。
という袋小路から出られなくなるのです。

弁護士は法的観点から、
天災が原因だということを直視して、
外側から、その思考パターンを注入する必要があると思います。

これは口で言うほど簡単ではありません。
責めている方がご家族を亡くされていたりすると、
確かに気の毒だという感覚になります。

しかし、責められている方が責められてよいということにはならない。
責められ続けることによる精神的影響も甚大なものがあります。
弁護士は、
自分自身の思考を整理して、理性の判断から始めなければなりません。
情に流されてはいけない職業なのでしょう。
実際の現場では、かなり厳しいこともあります。

原発の問題はわかりやすいのですが、
それ以外のことでも、震災の影響は、現在進行形で続いています。
何が震災の影響で、何がそれ以外の問題なのか、
どこからどこまでが震災か、
まだ、十分見極められることができていないような気がします。

どこまでが日常の延長で、
どこからが、非日常ということで、例外的対処をするべきなのか、
区分けがきわめて曖昧です。

これを理性的に行わないと、
震災が日常に組み込まれて、
日常の感覚や基準で、
物事が進められていきそうな危惧を抱いています。

不合理な無理を強いられる人が出てきたり、
必要以上に自分を責める人が出てくるでしょう。
既にそういうことが起きていると思います。

第三者であることが職業の弁護士が、
それは震災の為だから仕方がない。
それは震災の為だから、あなたが悩むことではない
ということを語り続ける必要があると感じています。

また、こういう職業的特性を生かして、
何らかの地域活動等社会的活動において、
それは、震災のさなかにやらなくてもいいんじゃないですか。
ということを考えて言うべきだと思っています。

テレビで言われている、節電、節水、下水の控え
なんかはできるけれど、
言われなければなかなかな気がつかないことも
多いようです。

そのために、
先ずは、過去のブログの記事のカテゴリーを
「震災等」に変えるところから始めて、
震災と真正面から向き合う作業を
やり直そうと考えているのです。