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自己破産に対するイメージが変わった?-「花」を絶叫したくなる時ー [民事・消費者]

今でも、自己破産をするということは、
経済的には立ち直りの手続きだとしても、
やはり、ご本人にとってイメージは悪く、
精神的にはダメージがあることは変わりがないようです。

でも、20年近く前と比べて、
他人から見たイメージは変わったようです。

昔は、世間の人たちからすると、
自己破産というのは、
クレジットの使い方がわからなくて、
ブランド物を買いまくって浪費したり、
ギャンブルや株にのめりこんで、
借金しまくって、その借金をギャンブルで返そうとした人
くらいのイメージで、
特別な人というとらえ方をされていたようです。

まあ、当時から、私が担当する方で、
浪費やギャンブルの人は少なかったので、
違うんだけどなあという気持ちはもっていました。
交通事故や病気、不意の解雇等、
ちょっとしたことで、いつもの収入では足りなくなり、
銀行でお金を貸してもらえないので、
当時40パーセント近い消費者金融でお金を借り、
利息の返済のためにまた借りて
ということが、典型で、
銀行がサラ金でなく、個人に貸してたら
自己破産する人は減るのになあ
と思っていました。

どうも、最近は、世間の様子が違ってきました。
自己破産が、道徳的問題の無い場合があることを
認められてきたように思います。

一つに、自己破産の件数が、爆発したことでしょう。
平成9年ころからだったと思います。
仙台本庁で、平成7年の年間の
自己破産の受付件数を、
平成9年の半年の受付件数が、
追いついてしまったので、驚いた記憶があります。

自己破産を申し立てると、
裁判所ごとに事件番号が付きます。
これは、1月1日から順番についていきますので、
自己破産を申し立てると、
何番目の受付なのかわかるのです。

そして、2年後だったか、
年間3千件の自己破産が申し立てられるようになり、
結構な高止まりが続いているはずです。

全国的にも同様な傾向だったと思います。
(すいません、なんか統計を入手したら、報告します。)
(まあ、気まぐれブログなので・・・^^;)

2つ目には、そのことと関連するのですが、
自分たちの生活も、他人事ではないということが、
社会的現象になっているのではないでしょうか。

最近の自己破産のケースは、
リストラや、低収入の仕事等のため、
銀行が貸しても支払い不能となるだろうという
そんなケースが増えているように思います。

いつ、自分の勤めている会社が倒産するか
ということで、
他人事ではないという人も増えているのではないでしょうか。

自己破産のイメージが変わるのは、
実は、社会的に深刻な状態になっていっている
ということのような気がしてなりません。

破産をするくらい多くのところから借り入れする人たちは、
次の支払日の2,3日前になると、
どうやって返せばよいかということ考えて、
眠れなくなるそうです。
そして、何とか、別のところから借りてきて、
支払い、次の支払いの2,3日前を迎えるのだそうです。

子供たちの寝顔を見ながら、
支払いのことを考え、
何を切り詰めるか考えるのだそうです。

サラ金から送られてくる取引明細には、
借りた日と金額、返した人金額が記載されています。
クリスマスであろうと、正月であろうと
誕生日であろうと、
借り入れや返済は行われています。

取引明細をこちらのパソコンに入力していると
(たいていは職員にやってもらっていますが、
時々初心に帰るために自分でやるのです。)
その人にもいろいろ事情があったにせよ、
胸が押しつぶされるような気持ちになるのです。
返済の息苦しさが少し伝わってきます。

それを、街中を歩いてふと思い出すと、
あの、喜納 昌吉さんの花という歌を
ふいに絶叫したくなるのです。

いろいろ事情があって借金しているのかもしれませんが、
借金するために生まれてきたのじゃないし、
返済を考える生活をするために生まれてきたわけじゃない。

うまくいうことはできませんが、
あの花という歌を叫びたくなるのです。
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