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連れ去り案件の一番多い原因である思い込みDVと、夫は何を意識するべきか 共同親権学習会報告3

 

1 思い込みDVとは
DVというほどの行為が無いのに、離婚を申し立てるケースとしては、
A:離婚をするためにあるいは離婚を有利にするためにありもしないDVをあると虚偽の主張をするでっちあげDVと、
B:本当にDVを受けたと思い込んでいる思い込みDVと2種類あります。
どちらも虚偽DVですが、重大な違いがあります。

AのでっちあげDVの予防措置の一般論はありません。
Bの思い込みDVは、ある程度予防することができます。

思い込みDVは、複合的な原因で生じることが多くの場合でみられます。
以下これまでの実務でみられた原因について整理します。

① 妻の体調 不安という症状を伴う。不安解消要求
  産後うつが最も多く、次に内分泌異常に随伴する精神症状としての不安、他の対人関係(職場、友人、親戚など)の慢性的なストレスによる不安神経障害(F4)、統合失調症、頭部外傷の順番です。診断書が証拠提出されることが意外と多いです。
概ねこれと同時に、住宅ローンの支払い開始、お子さんの障害等のストレス要因が併存していることが多いです。

 人間(本当は生きとし生けるもの)は不安になると不安を解消したくなります。これこそが生きていく仕組みです。ところが不安が解消できないと、解消要求だけどんどん大きくなり、ストレスが高まり、悪循環になります。妻の不安は、原因がはっきり認識できないことが多いため、自分では有効な不安解消方法が見つからず、不安が慢性化、持続化してしまうことが多いようです。

 このような解消できない不安がある場合、誰かを攻撃することによって自分の不安を一瞬感じなくすることに気が付きます。意識的ではなく無意識に怒りを持っていた方が楽なので、子どもや家族にイライラをぶつけるということがあるわけです。
 自分の行動や考えを制約する対象になるのは、主として家族です。それを相手は自分を制約する存在と捉えるのか、自己の行為は家族という仲間に対する貢献と捉えるのかについては、人柄以上にその時の体調が影響するわけです。

② 無責任な「支援者」

妻は、不安を解消しようという要求が強くなり、解消手段と思われる手段を取って行きます。ここに社会病理の一つの原因があるようです。不安解消行動としての日常型犯罪、浪費、あるいは不貞などもこのような原因が関係していることが少なくありません。極端なケースでは自死が起きるわけです。これらの社会病理は、年度ごとの統計を分析すると、関連を持っているということがわかります。

社会病理に至らない比較的正しいと思われる方法に、誰かに相談するというものがあると思います。相談を受けた者が、原因のない不安であるため、怒りではなく夢中になれる趣味を持つとよいなどの適切なアドバイスをすればよいのですが、現実には、「あなたは悪くない。それは夫のDVだ。一緒にいると危険だ。直ちに子どもを連れて、別居をして離婚するべきだ。」という回答をする相談所が、国や地方自治体の機関、NPOに残念ながら多くあります。

「このままではあなたは殺される。早く逃げた方が良い。」というまるで宗教を装った商売のようなことが本当に公務員(警察官)によって言われていました。その事実は、妻側が情報開示を受けた公文書を離婚調停に提出したことで私も知ることになりました。説得した本人の作成公文書なので間違いないでしょう。

ちなみにその事案は妻hs保護命令も申し立てたのですが、夫のDVは妻の妄想であるとして、裁判所で排斥されました。2件の精神科で統合失調症の治療をしていた人でした。こんな事案でも夫から事情を聴くこともなく公務員はDVだと決めつけ、さらには殺されるから逃げろとまでいうのです。

このケースは極端な例かもしれませんが、極端に言えばこういうことです。つまり、妻は体調によって、慢性的な不安状態になる。不安解消要求が著しく高まったところで、不安の原因を夫であると決めつける。そうすると、合理的な思考よりも不安解消の方法だとされたことに飛びついてしまいます。自分はDVをされていると思い込むようになるわけです。自分の不安に「原因」があるというアイデアは不安解消の可能性を強める願ってもない事情となるようです。

2 夫はどうするべきか

夫は、「自分が主たる原因ではないからDV夫呼ばわりするのは心外でけしからん。」と思いたくなるかもしれません。それも半分もっともです。ただ、そう感じたままの行動をしてしまうと、何も良いことがありません。妻とは別居、子どもとは会えないままということになってしまいます。

ここで、意識するべきことは、家族はそれぞれ家族全体をいたわりあって、家族みんなで幸せになろうとすることです。家族の誰かが不幸であれば、家族は幸せとは言えないはずです。何よりも、自分が孤立するだけなので、怒り続けるか人生に失望するしかありません。

「自分が悪くなくても、家族が困っているならば、助ける。」ということこそ、これからの家族持ちの発想にならなければなりません。結局自分が得するわけですから。

具体的な予防策、妻を安心させる方法については、これまでのこのブログでたくさん検討しています。特に令和夫(妻)のチップスシリーズなどで提案しています。

既に連れ去りが起きているという場合は、戦わないという戦略をこれまでもホームページの法などで書いていますが、改めて考えてみようと思います。学習会は、そういう発想を得られるとても得難い機会でした。

肝心なことは、妻の精神状態が思い込みDVを抱きやすくなっているということを知らなければ、思い込みDVによる子の連れ去りが起きてしまうということ。妻の慢性的不安を察知して、安心させる工夫をすることがある程度できる。この工夫によって、妻が必要以上に不安を抱かないで済むし、自分は嫌われて子どもにも会えないということが無くなるということでウインウインの関係にあるということを意識すること。

こういう知識を身に付けて実践すること。

あともう一つ言えば、完璧を目指さないこと。やっていくうちにだんだんと身についていけばよいくらいの感覚で、とにかく初めて見ることなのだと思います。

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共同親権学習会2 両親の離婚後の子どもの利益を具体的に説明します [家事]


子どもの権利って、最近(第二次世界大戦後)まで認められていませんでした。子どもは扶養を受ける対象であって、親から独立して利益があるという考え方はなかったようです。

大人に成長する途上の存在ということで把握されていたようです。子どもの成長に責任を持つのは親だという考え方が一般的で、フランス法の影響にあった明治民法は親権は両親にあると定めていましたし、その後の旧民法では原則父親が、例外として母親が親権を有すると定めていました。親権の実態は、当時の民法学者の間では、一人前の大人に育てる教育の責任であるとの考え方が圧倒的多数でした。支配権だと考える著名な民法学者も一人いました。

子ども自体を権利主体とするべきだという考え方には、いろいろな系譜があると思われ、一つの考えから始まったというのは言い過ぎだと思います。しかし、科学的に子どもの利益に焦点を当てたのはボウルビーという心理学者、動物行動学者でした。

1 ボウルビーのアタッチメント理論

戦時中の孤児院の子どもたちの様子に興味を持って研究して愛着(アタッチメント)という概念を発見したことが始まりです。即ち、子どもは生まれてきて、親に抱かれ、親の体温を感じ、親の声や息遣いを感じていく中で、人間に対する信頼や自分に対する自信を持つようになるという理論です。

十分にアタッチメントを経験しない子どもは、逆に人間が信じられるものだという実感を持つことが難しく、自分に対して自信が持てない傾向にあるということでした。

欧米は科学的な研究成果をすぐに政策に取り入れます。アタッチメントの理論は、児童養護施設だけではなく小児科病棟の在り方にも大きな影響を与えて、職員の子どもに対する対応の大変革が起きたそうです。
世界が子どもの健全な成長という概念を認めて、注意を払うきっかけになったと私は考えています。

2 ウォーラースタインら
  分野として、両親の離婚と子どもの心について、世界を動かした研究は、
ウォーラースタインの追跡調査です。白人の中産階級60組の離婚後の子どもの心に与える影響を調査した研究です。当初彼女らは、離婚が子どもの心を苦しめるという話しがあるが、子ども心は柔軟性があるため、短期間で負の影響はなくなるだろうと予想して、財団からの資金援助を獲得して聞き取り調査を始めました。ところが、予想に反して子どもへの負の影響は少なくならなかったようです。この論文が調査5年目に発表された論文で、これ一番有名です。子どもは、一緒に住まない親が自分を尋ねてこないことに不満を抱いていて怒りさえ持つとか、孤独感や無力感を抱いていたというのです。一緒に住まない親と定期的にあっている子どもは比較的精神的にも安定していたという結果が出ました。
 ウォーラースタインはさらに追跡調査を続けて、25年以上、60組の家族を調査し続けました。離婚を経験した子の少なくない割合で、思春期に影響が出てきて、異性との関係で自信が無く、異性との接触を行わない子がいたり、危険な交際をしてしまう子がいたり、また交際期間が短く、結婚をしても離婚をする割合が多いという調査結果を5年ごとに書籍などにして発表していました。
3 アメイトら
  ウォーラースタインの研究には弱点もありました。集団が白人の中産階級と狭いこと、調査対象が60組と少ないこと、両親の離婚を経験していないことの比較ができていないことです。それでもウォーラースタインの研究は世界に影響を与えたことは間違いありません。今日の状況に必要不可欠な研究でした。
 ウォーラースタインの弱点を補う研究はアメイトらの大規模研究などで行われました。結論として、両親の離婚を経験した子どもたちは、必ずそうなるというわけではありませんが、やはり自己評価が低いということが証明されてしまいました。

4 離婚後の親の葛藤と片親疎外

現在は両親の離婚を経験しても、親の相手に対する感情が安定していればまだよいけれど、親が離婚してもなお、相手に対して恨みとか嫌悪感などの負の感情を抱き続けていることが子どもの健全な成長に悪影響を与えると言われています。

過去においては片親疎外症候群(PAS)という病名で呼ばれていました。子どもが一緒に住んでいない親に対して憎悪や怒りを持つ理由は、同居している親が子どもに対して感情に任せて悪口を吹き込んでいるからだというのです。そのせいで子どもは病的に一方の親を拒否する心理状態になり、それに伴い数々の症状が生まれるというのです。病気として、片親疎外症候群という病名が付きました。一時この考え方は排斥されたように見えたのですが、アメリカの精神科診療では脈々と続いていたようで、アメリカの精神疾患の分類のDCM-5でもいろいろな箇所に分際して症状ごとに取り上げられていましたし、WHOの国際病類分類(ICD―12)でも認められているようです。

一般的には、片親疎外症候群(PAS)ではなく、片親疎外(PA)という状態像を刺すように変化しました。また、同居していない親に対して府の感情を持つ理由は、同居している親が悪口を吹き込むということが無くても生じるというように整理されてきています。

片親疎外の子どもにとっての最大の不利益は、中学生から高校生の、自我が確立するべき時期に自己アイデンティティを持つことが困難になるということです。つまり、同居している被害者ともいえる悪いところのない親と、同居していない悪人とも加害者ともいえる親が、自分の実親であり、自分はその双方の血を受け継いでいるという観念を持ってしまうと、それでは自分とは何者だという混乱を抱くのだそうです。

このバリエーションとして、友人関係を形成できない、異性との問題行動を起こす、拒食過食を繰り返す、自傷行為を行うようになる、いじめに遭いやすくいじめの加害者になってしまうということが起きる危険があるということになります。

もちろん必ずそうなるわけではありません。たくましく健全に成長する子どもたちもいることも間違いないです。しかし、子の親であれば、そのような危険のできるだけ排除したいと考えて行動するものです。ウォーラースタインもいっているように、「生命身体の子どもの安全をまもるためならば、親は自分の犠牲をいとわないで行動する。しかし、離婚の精神的ショックから自分を守るためには、子どもの利益を害することが平気になる。」ということは当てはまってしまうようです。

親子が長期間交流を断絶させられていた事案で、やはりリストカットや拒食過食を繰り返し、精神科病棟の入退院を繰り返した事案がありました。実は同時に2件あり、一つの案件は別居親と子どもが交流を復活させたことにより子どもが退院して、その後も精神的に安定して、今でも交流が続き、お子さんも社会人として生活できるようになりました。もう一組は面会が実現せず、問題解決ができませんでした。もちろんいろいろな要素があるでしょう。ただ、親としては子どもに社会復帰してほしいし、そもそも精神的に不安定にならないでほしいわけです。できるだけ健康に育ってほしいと思うわけです。

でも、そういう危険があるということを知らないから、平気でもう一人の親への怒りを隠さないということをやってしまうわけです。

子どもの健全な利益のためには、相手が嫌いで会わせてなんかやりたくないということで子どもと相手の交流を断絶することは、子どもの利益を損ねる危険があるこういだということです。単独親権であっても、離婚した相手が気に食わないから子どもを会わせないということは権限の濫用になるということはこういう理由です。親権の所在と交流の有無は関係が無いというべきです。

関西の自治体で、離婚後に養育費を払わない別居親の氏名を公表するという政策を計画していた自治体の長がいました。この政策は子どもの利益のための制作ではないことが、お分かりになると思います。どんな親でも、自分の親が悪いことをして名前をさらされることを喜ぶ子どもがいるわけがありません。もしそれで喜ぶなら、それは早急に対応する必要がある危険な状態だということになるわけです。

また、同居親である母親の利益のために、面会交流や共同親権に反対する人たちは、それでは子ども利益をどうはかるのか、子どもが健全に成長できない危険性をどう手当てするのかということについて、説明をしなければならないわけです。これを説明しないということは極めて無責任は反対表明です。結局は、母親の利益のために、子どもが健全に成長する利益を損ねてもしかたないという、子どもは母親の所有物であり、独立の権利主体と考えていないという批判を受けてもやむを得ないと思います。

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子どもの利益が議論の対象になっていないの意味について 報道いただいた学習会の説明 [家事]

子どもの利益が議論の対象になっていないの意味について 報道いただいた学習会の説明

令和6年5月26日日曜日、仙台市内で共同親権を定めた民法改正の学習会が行われました。私はその講師をしました。テレビ局の報道もなされました。https://news.yahoo.co.jp/articles/10db97c1c2732a6e59ce95f75711fabdc64cdf34
「子どもの利益が議論の対象になっていない」共同親権の議論で弁護士が指摘
という見出しで報道されました。

少しわかりにくいと思いますので、解説します。
法律家の法律論というのは、例えば労働法であれば、労働者の権利と使用者の権利がぶつかり合っていて、どちらかだけの利益を保護すればよいという議論はされず、労働者の利益と使用者の利益をどのように調整するかということで、利害対立する紛争当事者の利益をどちらも考慮して調整をするという議論が不可欠です。

共同親権は、主として、子どもが健全な成長をするためには、両親双方から愛されているという自信を持って育つことが必要だということから、世界中で共同親権制度が導入されました。

これに対して反対をする人たちの議論は、妻のDV被害があった場合、共同親権制度になれば、離婚後もDVが継続されてしまう恐れがあるから反対だというものです。裁判所で単独親権が許可されるとしても、DVの立証は容易ではないので被害者の救済ができなくなる可能性があるとしているようです。

反対を唱えることは表現の自由の上でありうることなのですが、立法の議論としては、特に法律家は、DV被害の救済を根拠にするにしても、では子どもが健全に成長する利益をどのように図って調整するかということをきちんと手当てして議論しなければなりません。ところが、反対論者はこれが無いのです。弁護士や法律学者としては対立利益についてどのような対策が可能かという議論をしなければ、失格だと思うのです。

結局、反対派の人たちは、母親の利益を図るために、子どもの利益は考慮しなくて法制度を作ってよいという考え方なのだ、つまり子どもは母親の所有物なのだという考え方をしているという批判を受けても仕方がないと思います。

そもそも現行制度でも、離婚前は共同親権です。DVの立証は同じなはずです。そもそも立証負担が軽減されてしまうということは、本当はDVが無いのにDVがあったと主張することが容易になってしまいます。重罪を犯して刑務所に収監される場合でも、子どもとは面会ができます。しかし、DV冤罪で支援措置が取られ、子どもが連れ去れた場合は、その後子どもとの面会すら実行されない場合が少なくありません。子どもに会えない、子どもからすると親に会えないという、人間の尊厳を侵害される出来事が、あやふや主張で可能になることは空恐ろしいことです。刑務所に入ることすら適正手続き、厳格な証拠が必要なのに、子どもと未来永劫会えなくなる可能性があるにもかかわらず、適正手続き、厳格な証明が扶養だということはおかしいと思います。

世界中が承認している子どもが健全な成長をするという利益を、全く触れないで反対することはあまりにも無責任だと私は思います。

なお、今、実際は、反対派は女性保護を旗印に積極的反対をしているようですが、実務の問題点として、父親や姑が子どもの母親を追放する手段として、DV政策のノウハウを使っています。実際は、不合理に我が子に会えない母親があまりにも多すぎるという実態があります。

反対派の人たちは、DVは男がするものというジェンダーバイアスと、子育ては女性がするものというジェンダーバイアスを無意識にもって、議論するべき点を理解しないで反対をしていると私には感じられてなりません。

冒頭の見出しはこういう意味であり、それは勉強会ではお話ししております。

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本日無期懲役が破棄された事件について、マスコミに対して行ったコメント [刑事事件]



あえて報道前にご報告しておきます。

本日、仙台高等裁判所刑事部において、原審の仙台地裁(裁判員裁判、強盗致死事件)の無期懲役の判決を破棄され、有期懲役(28年)の判決が宣告されました。

むき身の包丁を持って、被害者宅に強盗に入り、玄関前でもみ合いとなり、結果として被害者がお亡くなりになった事案です。

争点は、
1 被告人が、被害者を包丁で「刺した」と言えるか。
2 被告人の行為から無期懲役が妥当か
という2点にありました。

もちろん弁護人としては、刺したとは言えない。他の判決例からすると本件では無期懲役は重すぎると主張しました。被告人も1の争点で、意識的に刺してはいないということが一番主張したかった事実のようです。

控訴審の判決は、こちらの主張を認めて、「原判決が被告人が被害者を刺したと認定したことは、不合理な事実認定だ」という判決結果となりました。

以下、判決期日後のマスコミの質問に対する私の回答です。

<控訴審判決に対する率直な感想は>
人ひとりがお亡くなりになっているので、複雑な思いであるということが率直な感想である。

ただ、証拠に基づいてち密な事実認定をされた裁判官の方々に対しては敬意を表する。

原判決の無理な事実認定を改め、他の裁判例と整合が取れた判決となったと思う。

<刺したと認定して無期懲役とした原判決をどう思うか>
弁護士や裁判官という職業は、一般の人と比べると変わった思考をする人たちが行っている。人が一人無くなっているにもかかわらず、冷静に無期か20年かとか、刺したのか刺さったのかという細かい議論をする職業である。一般の人であれば、罪もない人が一人命を落としているのだから、その原因を作った者に対してできる限り厳罰に処すべきだと考えることがむしろ普通なのだと思う。裁判員裁判は一般の方たちの意見が重要なので、そのように一般の感覚で結論付けられたのだと思う。裁判官は、一般の方々の感覚を法的に表現しようとしたために、「刺した」、無期懲役という結論になったと理解できる。

<懲役28年は重いと感じるか>

人ひとりが拘束される時間としては長いとは思う。しかし、被告人が抜身の包丁を持って強盗を行わなければ、死ななくても良い命が失われたということを考えれば別の考えもあるので、量刑として冷静に考えた場合、重いか軽いか簡単ではない。

<被告人はどのように思っていると思うか>

それは被告人に聞いてみなければ本当のところはわからない。但し、被告人が控訴をした一番の理由は、「自分は意識的に刺すという行為をしていない」ということを言いたかったということだった。それを裁判所が全面的に認めたのだから、控訴をした甲斐があったと思える。また、自分の行為で人が一人お亡くなりになっていることは認識しており、強いダメージを受けているので、量刑については必ずしも重すぎるとは考えていないかもしれない。

以上です。
お亡くなりになった被害者のご遺族、関係者の方々に対しては心よりお悔やみを申し上げます。被害者の方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。



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【共同親権成立記念】反対派の論拠から現在のDV法の問題点があぶりだされた。離婚後共同親権制度を見据えて本当に行うべきこと。DVの立証の必要性の維持と予防や修復の啓発普及。 [家事]

令和6年5月17日、共同親権を含む民法改正案が成立した。

ニュース番組を見ると未だに反対を唱えている人たちがいる。それは良いとして、問題はその論拠である。

共同親権となっても、DVの存在と程度によって、裁判所の判断から単独親権となることが定められている。反対は、それでもDVの存在を立証することは難しいので、DV被害者は離婚後もDVを受けることになるという理由で反対しているとのことだ。

しかし、現在のDV政策では、離婚もしていないのに、DVがあったという理由で、一方の親が我が子と会うこともできない尊厳を傷つけられている状態になっている。DVの立証が難しいなら、どうしてこのようなことが可能になるか不思議であるはずだ。答えは簡単である。DVの立証をしなくても、一方がDVがあったと言えば、親は子どもから警察や行政の関与で引き離され、家庭裁判所によって追認されているからである。

立証をしなくてよいならば、そう、本当はDVが無くても、DVがあったことにされて我が子から引きはされるのである。

反対派の意見(声は大きいが多数意見とは言えないと思われる)を受けて法相が動揺しているようなインタビューも流れた。懸念するべきは、共同親権になっても、現在のような「言った者勝ち」のDV認定になったら何の意味もなくなる。反対派は当然それを目標に声を強めていくだろう。もしかしたら、いつものように法案が成立してしばらくすると忘れてしまうかもしれないが。

実際にそのような懸念がある。児童相談所の所長が、親が子に児童虐待があると判断して親から引き離し施設入所をする場合、家庭裁判所の許可が必要となっている。昭和の時代からある法律だが、過去においては、なかなか許可入所を家庭裁判所が承認しなかったが。よほどひどい虐待、人間扱いがされていないような行為があったときに限り承認していた。

しかし、平成年間から承認件数が上昇し、右肩上がりに上がっている。
施設入所.png
親子の引き離しに裁判官の抵抗感が極端に下がってきたことを示している。これは異常である。不確かな証拠によって事実認定され、それでも平成の年代では承認されたなかった事案でも承認されている。これは事実上の親権停止である。

親権はく奪の決定は少ないが、この勢いであると、改正民法の共同親権における単独親権は裁判所の方は抵抗は少なく、簡単に親権が無くなってしまいかねない。これを反対派は狙っている。賛成派は、裁判所を厳しく監視していく必要がある。事例を持ち寄って世間に問うことも必要だと思われる。

それより何より必要なことは、DVとまでは言わなくても、家族に緊張を与えるような行為を修正し、家族が安心して暮らす方法を普及啓発していくことだ。DV法の最大の問題点のもう一つは、DVを行うものは、行動を改めることはなく、生涯DVを続けるという前提に立った人間観に基づいているということである。これは、アメリカやヨーロッパの国々の基づいているものであり、自己愛性パーソナリティ障害の事案や、極端な支配欲のあったケースを念頭に置いている。現在日本で起きている夫婦間紛争の実態を反映していない。

現代日本の夫婦問題の大半は、知識不足と考える時間的、精神的余裕がないところにあると私は見ている。知識不足の中には、自分の知識だけでなく、アドバイスを受けるべき人たちと分離しているという現在の結婚形態の問題も色濃く影響していると考えている。

予防と、一度問題が発覚した後の習性のノウハウの普及啓発と、支持的に相談を受け付ける機関の整備こそ、共同親権制度の成立に伴い、早急に行うべきことだと私は思う。それが、真の子どもの権利の実現であり、我が国を救うことだと信じて疑わない。

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続・自死するくらいなら仕事をやめればよかったのにということが、間違いである理由 [労災事件]


前に同じテーマで書いたのですが、
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2020-09-14
基本的にはここに書かれている通りです。さらにその先についてわかってきたので報告します。

前回のお話し
パワハラなどがあっても、うつ病等にならなければ、仕事をやめることができます。こんな会社辞めてやると言って、実際にやめる人も多いわけです。ところがうつ病にり患してしまうと、会社を辞めるという選択肢自体が無くなってしまい、このまま苦しみ続けるか死ぬかという、極端な二者択一の思考に陥ってしまうようです。目の前の苦しみに耐えられないため、実際は自分の尊厳を踏みにじられ続けることに人間は慣れることができないため、自死をせざるを得なくなるということでした。

積み残した理論は、「うつ病になると、仕事をやめるという選択肢が無くなるのはどうしてか」ということでした。

この点についてわかってきました。

パワハラでうつ状態になると、不合理なことをされ続けているにもかかわらず、「自分が悪いから叱責されたり、否定評価されるのだ。」と自然に考えるようになってしまうようです。そして、周囲の中で上司から罵倒され続けると、「何とか今日だけでも叱られないようになりたい」と思わされてしまうようです。

パワハラなどは合理的理由がないため、叱られない対処方法は見つかりません。何をしてもしなくても叱責されるわけです。そうすると、叱られるか、叱られないかは、労働者はその時の運しだいのような感覚となるようです。「自分が悪いのだけれど叱られたくない。」という感覚なのでしょうか。

そうして、叱られるのが怖い、上司が怖い、会社が怖いということで、朝出勤すること自体が生理的に困難になり、吐き気がしたり、実際に吐いたり、下痢をしたり、或いは呼吸困難になったり、身体が動かなくなったりするようです。そして、まっすぐに会社に行きたくなくて、用もないのにコンビによって時間をつぶしたり、時間ギリギリになるまで会社の近くをぶらついて時間をつぶすような行動をとるようになります。

そうなってしまうと、
・ 会社を辞めることで、会社の人に迷惑をかけるのが怖い
・ 会社を辞めることで、また叱られるのではないか、それは怖い
という気持ちが起きてしまうようです。もしかすると、
・ 会社を辞めることなんて、できるわけがない
という気持ちもあるのかもしれません。

親や友達などから、会社を辞めることをアドバイスされても、そういう気持ちであるために、やめるという選択肢を持てなくなるようです。辞めることでも悪いことが起きると信じ込んでしまっているようです。また、退職さえすれば悪いことはなくなるというプラスのイメージを持つことができないということなのでしょう。

これらはすべてうつ状態からくる症状です。周囲は、本人がそのような思考に陥っていることがわかりませんので、やめることは簡単にできると思ってしまいます。辞めることは簡単だと思うからあとは自分で辞めるだろうと思ってしまい、確実に辞めさせるという詰めができません。それは知らなければ行動できないことなので、周囲には責任はありません。

ただ、退職するという選択肢が与えられてしまうと、逆に自死の危険も高まるようです。これまでのいくつもの自死事例で、解決したと周囲が思った時に自死が起きてしまうことが多くありました。解決の糸口によって気持ちが少し明るくなるため、行動力も高まってしまうという説明の仕方をする人もいます。できるだけ、同居家族を含めた多人数で退職するという決定を行い、確実に退職を遂行することが本当に肝心なことなのかもしれません。


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