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妻側からの家族再生の相談が急増 その心配な背景 [家事]



3月に入って、無料相談会や事務所へのこのブログを読んでの面談相談で、妻側が夫に対して家族再生を提案しているという事例が増えてきています。

本来の対人関係学とは、紛争予防にとどまるものではなく、家族などの人間関係を円滑にして、みんなが安心して生活をするための学問です。こういった家族再生の相談に対応するためのものですから、対人関係学を屈指してご一緒に考えていきます。とても楽しく頭を使えるわけです。

再生の相談の中では、
何が相手から安心感を奪っているかを探求し、
これまでの成功例を踏まえながら、
これまでの自分の言動をどのように修正するか、
お互いに尊重しあう関係にどのように誘導していくか
ということを考えていきます。

そして、再生が必要な度合い、つまり、逆にうまくいかない程度によって、法律相談で終わって当事者で解決するパターン、私が代理人になって調停や話し合いをするパターンとバリエーションがあります。

私のところにこのような相談が多く寄せられることは、私としてはありがたいことです。しかし、いろいろと心配なことが見え隠れしています。

<弁護士に相談に行くと 夫婦再生希望なのに離婚を勧められる>

これは、前々から、私のところにたどり着いた方がよく言っていることです。何人もの弁護士に相談に行くのですが、決まって最後は弁護士から離婚する場合の条件について話を詰めるように言われるというのです。

恐ろしい話だと思います。

食事をしにレストランに入ったのに、「うちはデザートしか作ることができませんので、ぜひパフェを注文してください。」と言っているようなものだと思います。

この人たちは、夫婦の再生については相談に乗るつもりが無いようです。
離婚の法的手続きについては勉強すれば誰でもわかりますが、再生については様々な事例と向き合い、様々考えなければ相談に乗ることができません。

相談者の相談したいことではなく、自分ができる方法で依頼を受けるということですから、無理を通していることになると私は思います。

そもそも再生のノウハウが無くて、離婚の調停や裁判を維持することが本当にできるのか、根本的な疑問もあります。

離婚というのは、数々のライフイベント調査によって、人間の人生にとって最上級の精神的ダメージを受けることだとされています。それを自分が再生のノウハウがないからと言って、依頼者の意思に反して離婚に誘導するということは、依頼者にとっても不誠実ですし、相手方という人権主体である人間に対しても冒涜のような気がしてなりません。

少なくとも
①離婚をしたい理由が、主として相手の言動に起因しているというよりも、本人の精神的な状態を反映していることではないこと
②具体的な破綻事由があり、その存在の裏付けられており、程度が明らかなこと
③回復の可能性が無いこと
という条件をクリアしてから離婚の選択をするべきだと思います。

特に、夫婦に子どもがいる場合は
④子ども利益を考慮しても離婚以外に選択肢が無いこと
⑤両親の離婚による子どもの不利益を軽減するべき行動を計画すること
があって離婚という選択が支持されるべきだと思うのです。

国民の皆さんは注意して弁護士に相談するべきです。
このような考えを持っている弁護士は少数派になってきているようです。少なくとも簡単にアクセスできるわけではなさそうです。

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面会交流手続きにおける、連れ去り母の精神的不安定を理由に、申立を取り下げるべきかについての一考察 [家事]



面会交流調停というのは、親同士が離婚の前後に関わらず別居した場合、子と別居している親と子どもを面会させるための家庭裁判所の手続きです。多くは母親が子どもを連れて別居するので、父親が母親を相手に申し立てるという形を取ります。私が担当したのは父親の方が幾分多いですが、母親が別居親として面会交流調停を申し立てる際の代理人になることも少なくありません。

父親が申立の場合、特に母親による子どもを連れての逃亡のような形の別居の場合、母親が精神的不安定になっている場合が少なくありません。面会に対して激しい抵抗を示すというより、子どもが父親と面会をすることに病的な反応をするという感じです。実際に母親の方が自ら様々な診断書を裁判所に提出して、自分が精神的不安定であることを主張します。

調停は、申立人と相手方が同じ部屋で顔を会わせることはめったにありません。交代で調停委員と話をするわけです。だから申立人の代理人も、調停中の相手方の様子はわかりません。それでも、調停委員や裁判官を通じて、様々な情報が入ってくることがあります。取り付く島が無く一方的に話し続ける方、30分間泣きっぱなしでなだめるだけで期日が終わったとか、言っていることがおよそ成り立たない荒唐無稽な話を真顔で行うとか、メンタル面に問題があるのではないかという事情がうかがわれる場合が少なくありません。

調停で話し合いがつかない場合は、面会交流の場合も審判になります。審判になれば裁判所は、最終的には、面会交流阻害事由が無いと判断した場合は、面会実施の審判をすることになります。

ただ、審判の効果ですが、強制力はないため、審判で面会交流を命じても面会交流が実施される保証にはなりません。それにもかかわらず、相手方に対しての心理的影響が大きいため、このまま審判を出しても良いか関係者一同が躊躇することがあります。

子どもを連れ去った妻に対して、憎悪感情しかない場合は、妻のメンタルが悪化しようと「知ったこっちゃない」と割り切ることができます。

しかし、家族再生を求めている場合で、妻が面会交流さえ応じないために、裁判所の決定を得る場合、常に葛藤が生じてしまいます。妻のメンタルが悪化したため、今や密室となっている母子の家の中で、子どもに対して悪い影響が生まれることも考えなければなりません。

相手方の心情の考慮を最優先してしまうと、調停や審判を取り下げるという選択肢が出てきます。

ケースバイケースなので一般化することはできません。しかし例えば、変な応援団が妻側についている場合、医師だったり、教員だったり、行政だったりが、一方的な妻側の情報だけで、夫婦間の対立をとらえた上で夫を全面的な悪と決めつけて面会交流阻止を主張する場合もあります。こういう人たちは、十分な考察が無く正義感という感情によって、子どもの利益も考えずに、つまり無責任に面会交流阻止を叫んでいるわけです。こういう場合、調停や審判申し立てを取り下げてしまうと、「やはり夫は極悪人であり、妻の保護のために、面会交流を阻止できた。」となり、子どもは現状からさらに父親から物理的にも心理的にも遠ざかってしまいます。「極悪人を親に持つ自分」という観念を植え付けられてしまうわけです。

そうして、後で、本来ならば父子のきずなが復活しても良い時期になっても、「自分は父親から取り下げという形で見捨てられた。」という気持ちを抱いたまま、父親との交流の機会が未来永劫失われ、わだかまりを抱えたまま一生を送ることも考えすぎかもしれませんが、考えるべきだと思うのです。

子どもは母親(同居親)の所有物ではありません。母親を通しての評価で父親を考えなくても良いはずです。自分が同居中に直接体験した人間として、母親とは別に関係を構築することはむしろ自然なのではないでしょうか。このように、子どもを一人の人間として見た場合は、夫婦間で葛藤があったとしても子どもが別居親から愛される権利を誰も奪うことはできないと思うのです。

面会交流審判が、実際の面会交流につながらないことも良くあります。第三者である裁判所から見れば、「出しても実現しないなら出さなくても良いのではないか」と思われるかもしれません。しかし、別居親の気持ちの問題だけでなく、面会交流を実施せよという裁判所の判断が下りた事実は、妻の一方的な言い分を信じている子どもにつながる人たちに考えるきっかけを与えるのではないでしょうか。中には、子どもの世話をしている機関であるにもかかわらず、妻の一方的な話をうのみにして、夫を子どもから遠ざけようとする人たちもいます。子どもがいざというときに、父親は救いの手を差し伸べることすらできない状態になっていることもあります。こういう人たちに、面会交流審判が出ていることはとても威力を持つことになると思うのです。もっとも使い方にもよるでしょう。

考えてみれば、面会交流の調停や審判は、子どもの監護の方法についてどうあるべきかということを定める手続きです。子どもの利益をやはり最優先するべき手続きであるという大前提は崩すべきではないと思うのです。

確かに母親は精神的不安定である。しかし、審判によってどの程度悪い影響が生じるかは、実際は予測することができないと思うのです。悪化するかもしれませんがしないかもしれません。悪化したとしても、それほど重大な結果となるのか、つまり程度の問題もわからないとしか言いようがありません。

もちろん、父親と会えないことで子どもの将来が暗いものになると決まったわけでもありません。しかし、実際に父親と会えず、一方的に母親の評価を通した父親像しか持てない場合、子どもに父親を拒否する行動傾向がみられることが多いことは確かです。母親の話を真に受けなくても、母親の意をくんだ行動をしようとすることはとても多いです。

実際に父親(別居親)と交流できないことによって、程度の差はあれ、子どもに対してマイナスの影響が生まれることも確かだと思われます。

親としては、例えば発がん性の疑いのある物質だとわかれば子どもに食べさせないようにしようと思うのではないでしょうか。こちらのパズルをすれば、成績が上がるというならば、やらせてみようと思うわけじゃないですか。少しでも良い方向に、お金がかかったとしても子どものためにしようと思うのではないでしょうか。

裁判所の審判を求める場合は、子どもの育て方に対して、両親が意見を別にする場合であり、裁判所が両親に変わって結論出すということになるはずです。そうだとしたら、子どもの利益を最優先して、子どもが健全な成長を遂げられない可能性を少しでも排除する方向で明確な結論を出すべきではないか。多少それで同居親の精神的問題が生じたとしても、そのことを子どもの健全な成長に優先させるべきではないと今のところ考えております。

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妻からのDV事案が増加している 3 なぜ夫はDVに対抗できないのか 相談窓口の設置は急務である [家事]



「男性は他者を支配したい生き物であるから、相手の支配を目的とするDVは男性の属性だ」とする考え方があるようです。腕力が強く、筋肉量が多い男性の方が暴力的な手段で相手を屈服させようとするとか、女性は人間関係の調和それ自体に価値を感じるため仲間の調和が第一になるが、男性は人間関係の外に目的を持つので仲間の調和以上の目的を持つため、仲間との関係が後景に追いやられるなどの考え方があるようです。

しかし、それは古い考え方です。前に述べたように、DVの内容には男女差はありません。人間が他者を攻撃する場合は、自分が強いから攻撃するというよりも、反撃により致命的な被害を受けないと感じた場合に、怒りという感情が生まれ攻撃という行動が起きるようです。つまり、攻撃を受け入れてしまうからDVが繰り返されると言ってよいと思います。

DVを受けている男性は、争うことを嫌う人が多いです。一般的に争いを好まないというわけではないにしても、妻と争うことができない人が多いです。「どうしてそんなこと言われて黙っているのだ?」と疑問が起きるほど、反論や反撃をしません。

どうして争うことができないかについては、いろいろな理由があるようで、この点を分析することにはあまり意味がないと感じています。むしろ、通常の男性であれば、タイミングが悪いと反撃ができなくなり、DVを受け続けることが誰にでもあるというように考えた方が良いと思います。

早い段階に適切な対応を取れば、場合によっては第三者や裁判所の力を借りたりして、激しいDVがおさまったり、何らかの損害が生じる前に解決することもありうる話です。

しかし、前回や前々回にもお話しした通り、DVを原因とする精神破綻や自死は、むしろ夫の方が多くみられるようです。その理由は、一つに相談機関が無いということ、なかなか知人に相談することができない事柄であるため、公的な相談機関は絶対に必要です。ただ、DVの本質を安易に男性の属性の支配欲だ等というドグマに陥っていたのでは相談にはならないでしょう。また、「男性なのだから妻のDVをやめさせろ」というこれまたDVの本質を理解せず、また女性は腕力で従わせろとでもいうような指導が役所の相談所でなされたということの報告も受けています。こういう人が女性のDV相談を受けているのですから、「子どもを連れて逃げろ」しか結論は出てこないわけです。

この配偶者暴力の防止に関する法律、いわゆるDV法は男女の区別がありませんが、実務的には男性は冷遇されています。鼻で笑われて帰るように促された例も聞いています。

行政が真面目に取り組んでいないことを端的に表しています。

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妻からのDV事案が増加している 2 夫の対処方法 [家事]



対応方法ですが、明らかな精神疾患や、精神影響を与える内科婦人科疾患の場合は、治療をして原因となる疾患の手当てをすることが第一とするべきだと思います。

問題は精神疾患とまでは言えない場合です。
一つは、先ほどお話ししたように、相手のDVを良く分析し、自分に対して理由なく攻撃しているのではなく、自分をつなぎ留めたいということが相手も気が付かない本当のところだという認識を持つということです。

これだけでもかなり受け止め方が変わってきます。

相手方は日常的に心理的圧迫を受けているうちに、
自分が悪いから相手方を怒らせているのではないかという自責の念を抱いたく場合や
とにかく自分は、「容赦ない攻撃をされるような人間」なのだと思わされて、絶望感に苦しめられるようになります。
そして、緊張状態が高まる中で、睡眠が十分とれないこととなり、その結果考える力がほとんどなくなり、考えることができなくなるために、つまみ食いのようにいろいろなことに不安を感じるようになり、優先関係を判断できなくなり、やらなくても良いこと逆効果になることを衝動的にやってしまうという現象がみられてきます。

このため、それ以外の理由を問題提起することによって、自分が悪いから攻撃されるのでも、自分が攻撃されて当たり前の人間でもないことに気が付くことができるようになることが多いです。

ここで、「相手のほうこそ『悪い』のだ」という観念を植え付けようとする支援者がいるのですが、それは自分は悪くなく、防ぎようのない攻撃を受け続けているということを述べているの等しく、「自分の苦しみは対応方法がないのだ」という絶望感を抱くようになり、終わらない精神的苦痛が始まる場合があるので、くれぐれも注意するべきです。

次の対応方法は、こちらから相手を先行して安心させることです。また、相手を不安にする言動をやめるということも大切です。これらのことは無意識に行っていることなので、点検が必要です。もしかすると、相手を何らかの理由で馬鹿にしている態度をとっているとか、相手を孤立させる態度をとっているのに、それに気が付かない場合があります。そうであれば「馬鹿にしていないよ」というよりも、感謝や尊敬の言葉を発する方が無難です。

また、相手に何かを任せる、お願いするということも、尊敬を伴って行うとうまくいくことがあります。おだてるということです。逆に、掃除や片付けができない相手に対して、眉間にしわを寄せて自分で片付け始めることは、相手からすると自分を否定評価しているということを意味しますので、要注意です。包丁をかざして「やめろ」と脅かされた人が複数人います。

それからレクリエーションも大事です。高いレストランなどでなくて構わないので、理由をつけて誘うことはするべきだと思います。

相手を安心させる戦略をするためには、相手を観察する視線は上からであるべきです。「自分が家庭をうまくまとめるのだ」という意識で行う必要があります。そうでないと、怖くて提案できないし、何か自分が卑屈になってこびへつらっているようで気がめいってしまいます。

相手を大切にしているというメッセージを言葉にする必要があります。葉が浮くようなセリフこそ大切です。そうでなければ伝わらないからです。感謝や尊敬の気持ちを言葉に出すとよいでしょう。そんな気持ちを持てというのではありません。言葉を発するということです。心なんてものは後からついてくるものだと心得ましょう。

それでもうまくいかないことも多いです。あまりにもうまくいかない場合は家庭裁判所に調停を申し立てるということも効果がある場合が確認されています。ギャンブル的な要素もあります。つまり、それでうまくいく場合もあるのですが、逆に離婚の話になっていく危険もあります。
最後の手段という覚悟は必要かもしれません。

大事なことは夫婦関係調整調停(円満)という調停を申し立てるということです。夫婦関係調整調停(離婚)になってしまうと、離婚調停になってしますからです。ただ、調停の事件名だけでなく、具体的にどういうことをどう改めてもらいたいか補充書面を出すべきです。その書面で、あくまでもこれからもずっと一緒にいたいためのアクションだということをアピールするわけです。

今後の人生を左右することですから、弁護士に書面にしてもらうことも選択肢に入れるべきだと思います。但し、離婚の事件の経験しかない弁護士もいるので、家族再生をキーワードにしている弁護士を探す努力は必要です。

調停を申し立てると、しばらくして家庭裁判所から申立書の副本が相手の元(同居している場合はその家)に送られてきます。相手がこの書類を見て、申立てがあったことを知ったことによって、態度を改めることがあるという実績があります。問題が解消されるのであれば調停を取り下げるという選択肢も生まれます。調停は何回でも申し立てることができます。

家庭裁判所でも、こちら側が行う努力の方向は、一言で言って、「相手を安心させること」です。あとは相手方の心情を聞きながらその事案に適した安心させる方法を構築していくことだと思います。第三者を交えて話し合いをすることによって、相手に物を考える場を提供するということになるわけです。

ただ、DVを受けている場合、妻からDVを受けているときも、解決の方向が見えず、単純に右肩上がりに解決していくということはありません。どうしても耐えることができずに、精神的に破綻したケースも少なくありません。無理はしないことです。むしろ、離婚という選択肢を常に持ち続けることの方が長持ちするようです。もちろん離婚とか別れるとか終わりだという言葉を相手に使ってはなりません。

その場合精神的に破綻することを回避することを最大の目標にするということを忘れないでください。大変残念な話ですが、家庭裁判所の手続きでは、子どもとの関係では女性が有利になっています。乳幼児の頃のかかわりで、現在では男性と女性とそれほど関り度合いに差がないご家庭が増えています。また、母親が精神的に不安定のために父親のかかわりが多いケースもあります。それにもかかわらず、親権者は圧倒的に母親になる場合が多いです。

このため、夫からすると、離婚してしまうと子どもたちに会えなくなるという危機感を持ち、無理をして離婚を回避しようとするケースがあります。あるいは、責任感から自分が家族を手直そうという気持ちを強く持ってしまったという事情もあったかもしれません。

このケースでは、夫は自死しました。
その後夫のご両親が相談に来て知った事案でした。

子どもたちにとって、一時的に父親と別離することは、確かにもしかすると取り返しのつかない成長上の不利益を被る危険はあります。しかし、父親の命が無くなってしまうと、それこそ本当に取り返しのつかない事態になってしまいます。子どもたちのためにも生き続けるということを最優先にしなくてはなりません。

この事例は、母親が子どもに過酷にあたる行為もあり、それが夫としては一番辛かったようです。

精神的に破綻するかどうかは自分ではわかりません。どこまでならば大丈夫かということも確かなことは誰に言えません。もし、妻や夫の行為によってそれが辛い、毎日暗い気持ちになっている、解決不能感を持っているならば、あるいはそのことを考えて眠ることができないとか、自分の行為の記憶が亡くなっているということがあるのであれば、他者に相談してほしいと思います。

他者から見て、精神科で診察を受けるべきだとか、入院が必要だということは、自分で判断するよりわかります。
あなたは離婚という選択肢を持っていますか。常にそれを点検してください。メンタルが破綻した場合は離婚という選択肢が無くなり、解決不能の問題を解決しようと資するようになります。相談するべき時期だと思います。

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妻からのDV事案が増加している 1 どのようなDVがどうやって起きるのか [家事]



ここ数年間、離婚訴訟や相談事例で、夫が妻からDVを受けている事案を切れ目なく担当している状態です。

DVの内容は、
暴力(殴る、蹴るが中心)
間接暴力、(ドアを大きな音を立てて勢いよく閉めるとかコップを投げて壊すとか))
多いのは暴言(恐喝をする時のような相手の人格を否定しきるような暴言)
子ども(赤ん坊)に対する危害予告
不貞
家庭内での無視、会話の拒否
夫の自由になるお金がない状態にする
夫の親戚、友人や取引相手との交際などの妨害
GPSの発信の強要
こんな感じで、その事例によってさまざまです。男女に違いは無いようです。

令和の夫は、妻からこのような仕打ちをされても、怒らないし、是正を要求することもあまりしない。他者ともあまり相談しない(できない)。ストレスの発散もできず、ただ耐えている状態です。

「男なんだから厳しく対応すれば良いじゃないか。」という反応はまさに昭和の反応であり、女性の生活を大切にしない時代遅れの発想です。

以前にもこのような相談が無かったわけではないのです。ただ、これまでのケースは、奥さんは明らかに精神疾患を抱えており、医療機関の受診を継続していたり、入院することになったりという感じでした。

最近の妻のDVにも何らかのメンタル上の問題を匂わせることもあるのですが、精神病を発症しているわけではなく、少なくとも仕事をきちんと行っていて、日常的な社会生活を破綻なく送っている人がほとんどです。

これまでのDVの理解は、DV行為者は配偶者を支配することを目的として、身体的虐待や精神的虐待をして相手を無力化させるという意識的な活動だと理解されていました。

しかし、ここで分析がとどまっていては穏便な解決を図ることができません。どうして「支配」しようとするのか、なぜそのような方法を身に付けたかなどについて考察をしていません。従来の理論は、男女の機微についてあまりにも無知であり、机の上で現象面だけをなぞるだけの説明だと感じてなりません。

ここで止まる原因は、DV行為者が、特別な人間であり、生まれながらの人格を持っているということで切り捨てられているということです。DV行為も普通の人間の感情の延長線にあり、ある要因があって相手を支配しようと見える行為を止めることができない状態なのだと考えるべきです。私も程度の差こそあれ同様の問題行動を起こしている可能性があるのだと考えるべきだと思います。

特に日本では、アメリカの学者の分析対象となる極端なDV事案というのはごく少数です。DV行為者は生まれつきであり治らないという発想は日本の実務においては取るべきではないドグマだと私は思います。

結論を言うと、支配という現象の心理は、関係性の継続の欲求だということです。極端に孤立に対する不安を抱くことに原因があるということです。つまり、相手が自分から離れることがとても怖いために、何とか相手をつなぎとめようという感情が高まり、相手を拘束しようとしたり、相手に忠誠を誓わせようとしたりして不安を解消しようとしているという現象が日本におけるDVと呼ばれる現象だと思います。

これはDVを行うのが男性であろうと女性であろうと共通です。

もちろんDVを受ける方は、そのような事情は分かりません。悪意の嫌がらせをされているという意識しか持てません。

ここで、おそらく多くの方々は、「相手をつなぎ留めたいならば、そのような感情に任せた行動をとらないで、相手を安心させる行動をとるのではないか。そういう行動をとらないことは相手をつなぎとめる気持ちが無いのではないか。」と思われるかもしれません。

しかし、人間の行動なんて、合理的な行動だけを行っているわけではありません。意識的な行動決定すら怪しいということが認知心理学の定説です。ましてや日常生活の節々に突如高まる自己の感情を、いちいち冷静に客観的に考察して最も良い方法は何か、そのための最も効率よく行動を起こそう等と考えているひとはほとんどいないようなのです。「そこまで考えていない」で行動を先行させてしまうというのが人間の行動であり、家庭の中の行動は特にそうなのではないでしょうか。

関係をつなぎとめておきたい感情に基づく行動ということは、DVの内容やきっかけから矛盾なく説明ができそうです。

自分以外の人間とかかわりを持つことによって、それが相手の実家であろうと友人であろうと、或いはプライベートの時間の取引先や同僚であろうと、その人が自分から離れて行ってしまうのではないかという不安が起きてしまい、不安の爆発のまま行動をしてしまっているようです。

自分の知らないところに移動することも、「何か悪いことが起こるのではないか」という漠然とした不安が沸き上がってしまうので、GPSで行動を把握しようとしていると考えられます。

さらに、自分に対して反論する等、自分を否定されることによって、孤立の不安が生まれてしまうので、自分を否定することは徹底的に粉砕しようとしてしまうのでしょう。暴力などの衝動が生まれる瞬間です。

このような病的な発想は、DV行為者のその時々の人間関係の状態やこれまでの人生の経験、そして精神状態に原因があるようです。そこで言う精神状態とは、様々な理由で
孤立不安が高まっている
何事も悲観的な見通しを持ってしまう
何かがあれば被害的に受け止めてしまう。
精神的に余裕がなく、感情的、衝動的な行動をしてしまう
子どもに対する影響など周りが見えない。
という感じです。

様々な理由の中で女性のDVで実務的に一番多くみられる不安の要因は産後うつです。
内分泌疾患、婦人科疾患が次に続きます。

これらのために症状として「安心できない心の状態」に苦しんでいらっしゃることが多いです。

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女性のヒステリーについて 極端なジェンダーレス思想が少なくない女性を苦しめる。 発達障害、パーソナリティ障害への分類という弊害 [家事]



ジェンダーフリーとか、ジェンダーレスという主張があります。女性だから、男性だからという、個人を捨象して性という大雑把な違いに基づく取り扱いの違いは、概ね社会的、文化的に押し付けられた不合理な扱いであり、かつ、個人の特性を無視した評価であり、本当は個体差があり違うのに不当に個人の能力を否定評価することにつながりやめるべきだという主張のように思われます。その意味では、正しい側面もあると思います。

ただ、生物学的違いが厳然と存在していることも事実です。端的に言えば女性は子どもを産む性です。この子どもを産むということは、妊娠してから出産するまでに限った話ではなく、それ以前から綿々と続く生体内システムの問題であり、その後においても影響が生じていることも間違いありません。

例えば今から約200万年前から数万年前まで続く狩猟採集時代においても、小動物を狩るのは原則として男の仕事であり、留守を守り育児をしたり、植物を採集したのは女性の仕事だったと進化生物学では考えています。これは、群れの頭数を確保するために、流産を避けるために成人女性は走り回ることを回避したというものだと考えられます。そうだとすれば、これは社会的、文化的な性的役割ではなく、生物学的な性差から派生した人類の生き残り戦略だったと考えられます。

どこからが、生物学的違いに基づいた取り扱いの違いなのか、どこからが社会的文化的な不合理な差別なのかについては、なかなか難しいことなのではないでしょうか。

また、200万年当時は合理的な違いがあったとしても、その後の機械技術の発展とか、人間の考え方の変化、つまり時代の変化によって、合理性が失われた差異的取り扱いも多くあることも間違いないと思います。

ただ、私の感想ですが、あまりにも急進的なボーダレスの主張は、合理的な評価を逆に阻害してしまい、人間的な扱いを阻害することがあると思うのです。女性だから、男性だからという言い訳がきかないことは、本当にあるべき社会なのかというところに疑問が生まれます。

例えば女性のヒステリーの問題があります。これはだいぶ前にブログで記事にしました。
配偶者のヒステリーは抑え込まない方がよい。賢い対処法
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2015-10-31
その後もちょくちょくこの話題は触れています。

このヒステリー問題ですが、ここでは、理由もなく怒りの感情が沸き上がり、道徳的な観点からの自制ができなくなり、周囲を気にしないで罵詈雑言を叫びだすようなことを言うことにします。

離婚事例を多く担当していて気が付いたのですが、少なくない女性がヒステリー状態に陥ります。例えば夫の対応が悪いことに対する報復だというような、対人関係的な問題とは別に突然起こり、脱抑制的な言動になると考えることが正しいと私は思います。あえて言えば、女性に周産期があること、あるいはあったことと関連した生理的な問題だと思っています。

確かに人によって程度や頻度が違うのですが、通常は、対処方法さえ間違わず、それも家庭生活だと思えば、ヒステリーがあるからと言って女性が劣っているとか、合理性が無いということにはならないと思うのです。ある特定の時期(人や年齢によって異なるので、時期を特定することは困難です。)の例外的な特質だととらえることができればお互いに不幸にはならないようです。

しかし、ヒステリーに性差があるということを承認しないで、個人の問題だとしてしまうと、とても過酷な評価を本人に与えてしまうことになります。

本人の精神が不安定であり、穏やかな人間関係を形成できない劣った人間と評価されてしまいます。最近だと、「発達障害」、「人格障害」等と決めつけられたり、感情障害や「統合失調症」、「躁うつ病」(最近多い)だと診断されて、ひどい場合は病院に入院させられたりしてしまうこともあります。

確かに中には病的なケースや頻度が高いケースもありますが、多くのケースでは、一時的なヒステリー症状だとして、適切な対処方法を習得することが必要十分で適切な対処だと私から見れば思われるケースも多いです。

男女に性差が無いという主張が過激になれば、このような少数派(実際は程度の差はあれ多かれ少なかれこのような症状は出現するようで、必ずしも少数派とは言えないと思われる)の女性は、女性であることを言い訳にすることができなくなり、「男性が同じようなふるまいをした場合のように」、正常ではないという評価が下されてしまう危険があると思うのです。

「男女に性差はない」という主張は、しばしば「女性も男性並みに働くし、働くべきだ」という結果を産み出していると思います。男性並みに働きたい女性もいるし、子育てや家事をしながら、収入を得ることを目的としない趣味やボランティアに傾注したいという女性、あるいは男性もいると思います。

また、就労という組織的な行為、他者との目的的な行動は苦手だけど、家事や子育ては得意だという人たちも多いように感じます。しかし、他者との組織的な行動が苦手で、目的的行動に必要なコミュニケーションも苦手だという人たちは、何らかの障害があるという否定的評価をされる傾向にもあるようです。

大雑把な人の評価を否定して個人に着目して個人として評価するべきだというものの考え方は正しい側面もありますが、逆にその社会的評価のものさしが特定の価値観に基づくものであれば、その価値観で恩恵を受ける人たちの利益にしかならず、個人を無駄に否定評価することにもつながりかねないのです。

そして、その特定の価値観は、社会の価値観だと認識されやすいために、普遍的価値観であることを疑わない危険が常に付きまとっています。そして、無駄に苦しむ人たちを作り出していると私は思うわけです。



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我が子に会えない母親たち 親子引き離しを問題視しない社会の犠牲者 [家事]



最近、母親が我が子と引き離される事件を担当することが多くなりました。夫が妻を排除することももちろんあるのですが、義母や実母が子どもを引き離すこともあります。

父親が子どもから引き離される場合は、母親が子どもを連れて同居していた家から逃げ出して別居を開始するというパターンがほとんどの形式です。これに対して母親が我が子から引き離されるパターンは、夫や義母、実母が子どもと同居している家から、母親だけを排除するというパターンが多いようです。母親が家から追い出されるわけです。

様々な事情で母親は自分の子どもと会えない状態が続いています。

このような事件を担当して感じることは、警察はあまり熱心に問題解決にあたってくれないということです。母親から子どもが引き離されていれば、必ずしも要件を満たさなくても誘拐や監禁に匹敵する非人道的な行動だと私は思います。

しかし、特に引き離した方が子どもの父親であるとか、祖母である場合は反応が鈍いと思います。誘拐罪に該当しそうな行為も動いてくれません。民事不介入という言葉も出ましたが納得ゆきません。

引き離す方の言い分の多くは、母親が精神疾患だ、発達障害だ、パーソナリティ障害だというメンタル的な問題があるというのです。その多くが虚偽であり、その多くが決めつけです。いずれにしても、日常生活を支障なく送っているのです。我が子と引き離されても仕方がない理由にはならないと思います。

私は、この背景として、行政や警察が母親のDV政策ということで子の連れ去りを許容していることが背景となっていると思います。また、小さな虐待でも児童相談所や警察に通報するという風潮も背景になっていると思います。

DV政策によって、父親の元から母親が子どもを連れ去ることに対して、行政や警察などがそれを奨励して、逃亡に協力するということが当たり前になってきました。この点については何度も述べていますので繰り返しませんが、肝心ことは、DVがあったか無かったかということは一方の申告だけで行政や警察が行動に移ること、子どもの健全な成長に対する悪影響をほとんど考慮していないことです。

虐待の親子引き離しも担当していますが、ほとんど印象だけで、何があったかを十分調査しないで虐待認定をして簡単に親子を引き離しますし、平成の初期や昭和の時代の裁判所と異なり、現在の裁判所は子どもを親から引き離して施設入所させることを簡単に認めてしまいます。

DVや虐待という言葉は、幅広い意味があります。また、実態がよくわからないことがあります。それなのに、ひとたびDVや虐待というくくりの中で整理されてしまうと、それらの行為は徐々に拡大していって、妻や子どもが殺される危険があるという認定がされてしまっています。

即ち、ちょっとかんしゃくを起こしたり、思わず手が出てしまうと、行政や警察の生活安全課からはDVであり、虐待であり、そのうち殺人事件になるという認定がされてしまうということが起こっているのです。

子どもと親を引き離すと子どもの成長に悪い影響が出るという世界標準のコンセンサスは、21世紀の日本の司法や行政には通用しないようです。
これでは、子どもに悪い影響があるから子どもから引き離されるのではなく、目をつけられれば引き離されるということにもなりかねません。

DV保護は、しばしば女性保護の文脈で語られます。この主張を突き詰めていけば家族は女性を拘束する前時代的な制度だということになり、家族を解体するべきだとする主張と親和するようです。

しかしながら、行政や警察の力を借りて子どもを親から引き離すことが横行している結果、親から子どもを引き離すことになれてしまって、その非人道的な問題について鈍感になっているのだと思います。

これは父親から子どもを引き離すことだけに鈍感になるということではありません。結局子どもを親から引き離すことに、抵抗やためらいが失われてしまってゆくのだと思います。

何とでも言える、あるいは単なる女性特有の問題がある場合の精神状態をとらえて、精神疾患だ、発達障害だ、パーソナリティ障害だと言ってしまえば、行政や警察は「理由のあることだ」と反射的に反応して、親子引き離しは仕方がないことであり、むしろ子どもの利益になると機械的に考えるようになっているとしか思えないことが横行しています。

現状の「DV政策」による女性保護は、ステロタイプの「女性」の保護であり「女性だから被害者だ、女性は被害者だから支援する」という単純論法だと思います。子どものことを考えないだけでなく、少数の女性が最も苦しむことになっているということを全く考慮していないと思います。物事はメリットデメリットあるのですが、自分の立場のデメリットを考えようとしないから、行き過ぎの弊害を是正するという発想にならない恐ろしい政策立案です。

我が子から引き離されている女性は、このような政策の犠牲者だと私は思います。

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財産分与で納得いかない実務 離婚の可能性のある夫婦は、婚姻前の通帳は家庭の関係の費用の支払いに使わず、新しい通帳を作らなければならないということか [家事]



離婚の際には、財産分与という制度があります。これは、婚姻期間中に築いた財産は、名義がどうあれ、夫婦で分けるという制度です。銀行口座でも共有名義で口座を開設することができないし、不動産登記についても特に意味なく、単独名義で登記することがあるなどの実情があります。だから、例えば夫の名義の財産だとしても実質的には夫婦の共有財産である場合、離婚の場合に財産分けをするということです。ここまでの理屈は銀行口座の所有の最高裁の理論などとも整合があり、必要な制度だと思います。

法律的には記載が無いのですが、実務的には、婚姻期間中に築いた財産は折半する、つまり5:5の割合で分けています。特殊技能による収入は別として、通常は、賃金等を得たのが夫であったとしても、専業主婦であろうと妻がそれを支えて初めて可能になったということから、一律5:5になることが原則です。

どういう場合が特殊技能による収入かというところはなかなか難しい判断になります。

それよりも問題があると私が思っているのは、預貯金の問題です。

例えばA銀行がメインの口座で、結婚前から使用していたとします。結婚前から働いていた会社の給料が振り込まれていたので、口座をそのまま使っていました。結婚前には700万円の口座残高がありました。という事例を見ます。

別居時の口座残高が500万円だとします。そうすると、私の感覚では、「500万円は、婚姻によって得た財産ではなく、婚姻期間中に目減りした預金額の残額だから、分与すべき財産はない。0円だ。」とするべきだと思うのです。

ところが、この口座が家の光熱費や公共料金、子どもの教育関連の引き落として使われている場合、500万円が財産分与の対象だと誘導される傾向にあるのです。この口座の残額が、家の関連の仕様ではなく、全く自分のものであり、夫婦の共有にするつもりが無いということが明白でなければ共有財産だというのです。

自分の専用財産だというのであれば、専用財産として扱っていた証拠が無いと共有財産だというのです。それならば、結婚と同時にそれまでの通帳の取引をやめて、新しい通帳に給与の振込口座を変えなければならないことになります。あるいはいったん口座残高を引き下ろして、新しい口座を開設するということになるでしょうね。

こんな離婚することに備えて口座を変更して結婚生活を始める人はいないのではないかと私は思うのです。

皆さんはどう思われるでしょうか。私の感覚はおかしいのでしょうか。

ところで、ここまで読んだ方の少なくない方は、私のことを保守派やミソジニスト(女性に対して攻撃的な偏見を持っている人)等と思っているかもしれません。保守派はともかく、ミソジニーは心外です。

注意深く読まれた方にはお分かりのとおり、私が例に挙げたケースは男性が700万持っていたとは一言も言っていません。実際にも、金額は架空の金額ですが、女性の方が実家で済んで働いていた時にせっせと貯金をして、婚姻生活で持ち出しが多くなってという事案でした。

預金を多く持っているのは男性だという決めつけの議論が横行しています。限界を超えて払う制度が養育費や婚姻費用であるという制度になっていますが、どうやら女性保護の観点(子どもは女性が育てるべきだという観点=ジェンダーバイアスも絡む)で、高額化しているようです。しかし、その中で一番困っているのは、派遣や有期雇用で勤勉に働いている女性たちなのです。

女性保護を叫ぶ人たちは、多数派の女性ばかりの利益を考えていて、少数派の女性の利益は考慮されないで、少数派の女性が一番苦しんでいるということについてお話ししていきたいと思います。

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離婚後も父母双方が法的に親権を有することの必要性と有効性 [家事]


離婚後も、父母双方が子どもの養育にかかわることが望ましいことについては、これまでアメイトらの統計研究や実証研究で離婚を経験した子は、離婚を経験しない子よりも自己評価が低下するという問題を生じる可能性が高いとうものです。ただ、日本における研究では、離婚や別居ということ自体が子どもに対して悪影響があるというよりは、一方の親が他方の親に対して離婚後も葛藤を抱き続ける(別れた相手を子どもの前で罵る。悪口を言う等)ことが問題だと指摘されるようになっているようです。

父母が双方で子どもとかかわることが必要だとして、その方法として法的地位ないし権能である親権を離婚後も双方持つことが必要なのか、メリットがあるかについて考えてみようと思います。

1 子どもの保護が必要な場合も、親権が無ければ保護できないということが解消され、無駄に子どもの命を失うことが減る。

実際の例を参考にすると、

例えば子どもが問題行動を起こして児童相談所に入所することがありました。子どもと単独親権者との折り合いが悪いことが原因でした。親権を持たない父親が、児童相談所に一時保護されたことを知って、児童相談所に子どもとの面談を申し入れたところ、児童相談所は親権者でないことを理由に面談を拒否しました。子どもはそのあとも問題行動が見られました。

例えば、母親と暮らしている子どもが登校拒否を続けているようだということを知った父親が心配になって学校に問い合わせたところ、父親が親権者ではないことを理由に、学校は個人情報だから教えられないと拒絶しました。

例えば、東日本大震災があった場合のことですが、子どもの安否を確かめようとしても、やはり親権者でないことを理由に情報へのアクセスを拒否されたケースがありました。

例えば母親が子どもと同居していたケースで母親が死亡しても、親権者ではない父親は当然には子どもを引き取ることはできません。

親権者でないことによって子どもの健康や安全に危険がある時でも、子どもを救うことができないということが、今の個人情報保護社会においては現実なのです。

さらには同種のことは、離婚前でも、離婚調停などが継続していれば、監護者ではないことを理由に情報への到達などを拒否されています。後の非親権者という扱いがされているわけです。この理不尽な違法とも思われる対応も離婚後も親権者だということになれば解消されると思われます。

次に、将来的な見通しについて述べていきます。思うに、今の共同親権反対論は、既存の状態を前提としてうまくいかなくなることを想定して反対の理由としているようです。しかし、法律ができるということで、これまでの状況とは異なる状況が生まれていくことをできるだけリアルに想定しなければならないと思います。

2 離婚後の共同親権制度になれば、離婚は穏やかに迅速に進む

実際に離婚事件に弁護士として立ち会っていると、別居から離婚手続きに至る中で、一方の親の感情が高まり攻撃的になっていることが多いということを感じます。

つまり、最近の典型例で言えば、夫がある日勤務先から帰宅すると妻が子どもを連れて家を出て行っていた。連絡を取ろうとしても連絡が取れず、所在が分からない。そのうち保護命令が申し立てられたり、離婚調停が申し立てられる。離婚理由は、DVだとか精神的虐待だとかを上げるが、何ら具体的な事実が指摘されていない。ようやく出てきた具体的事情は、身に覚えのないことかかなり盛った話になっている。裁判所は、自分がDV夫であるかのように扱っている感じをする。妻に関しては仕方が無いと割り切るしかないかもしれないが、数か月を経ても子どもと直接会うことができない。急に居住環境が変わって、自分にも会えなくて戸惑っているかもしれないので大変心配だ。

裁判所では、別居後も継続して養育している親に親権を与えようとしているようだ。自分は何かの罠にはめられたようだ。子どもと引き離され、何の楽しみもないのに金だけは支払わなくてはならない状況に置かれている。何とか子どもに会いたい。子ども一緒に暮らしたい、未来永劫子どもに会えなくなるようで怖い。なんとしてでも裁判所で戦うしかない。

こういう心理状態が典型的であるように感じます。

面会交流調停の申し立て件数が急角度で右肩上がりに上がっていることは、子どもと会えない親が増え続けていることが一つの理由だと推測できます。

しかし、離婚後の共同親権制度ができれば、離婚が子どもとの未来永劫の別れになることが無くなりますから、それは突然の離婚要求で頭に来ないということはないでしょうが、子どもに会える保障となり、今に比べれば相当穏やかな離婚調停が進むことと推測できます。つまり、離婚手続きにおいて一方当事者を感情的にさせる事情が一つ減るということです。

3 そもそも子の連れ去りが無くなる

先ほど述べた典型例の、ある日夫が帰宅したら妻が子どもを連れていなくなっていたといういわゆる連れ去り案件も減少すると思います。

子の連れ去りは、連れ去って頑張れば、その後離婚が成立して親権者が自分ひとりとなり、もう一人の親が子どもにかかわる方法が無くなり、それはつまり自分とかかわる方法もなくなるということで、相手から自由になれるという目標があるから行われるわけです。
それでもしつこく付きまといをされたら、ストーカー規制法で警察に頼めば警察が排除してくれます。
だから、最終的には確定的に相手から自由になれるのであれば、離婚手続きは相手の感情を逆なでするような手段をとっても、とにかく有利に離婚を勧めた方がよいし、子どもを自分の元においておくわけです。

このようなことをする妻には、本当にDVを受けていてその窮地から脱出をしようとする人と、本当はDVを受けていないのにDVを受けていると思い込む人、他の男性との生活を目的として夫から離れたり、自分の使い込みなどが発覚するなどして自分の行為によって夫のところにいられなくなってDVをでっちあげる人と3種類の人たちがいます。

その3種類すべてで、夫は子どもを連れ去られ、子どもと面会できず、お金だけは給与の2分の1まで差し押さえられるという威嚇の元支払い続けなければならない状態になってしまっているわけです。

この子の連れ去り自体が、夫の感情を逆なでして、攻撃感情を高ぶらせて、離婚手続きがこじれていく大きな原因になっています。

離婚後の共同親権制度になれば、このような葛藤の高まりを起こしてしまうと、後々自分が困ることになるので、なかなかできなくなります。

4 離婚後の再婚相手との子どもの養子縁組が(少)なくなる。

現在離婚後は単独親権ですので、例えば妻が子どもの親権者になって離婚をすると、妻が再婚した場合再婚相手と子どもの間に養子縁組をすることができます。このことを恐れて、子どもを連れ去られている親は、離婚に徹底抗戦したくなるようです。これはよくわかります。自分の子どもが別の人間に奪われてしまうような感覚ですから、頭がおかしくなりそうになるということは簡単に推測できます。実際に妻が夫のDVを主張して別の男性と生活をはじめて、離婚が成立したら、その男性と入籍したというケースがありました。

しかし、離婚後の共同親権制度になると、同居していない親も親権者ですから、よほどの事情が無いと親権をはく奪されることは無くなります。理屈の上では一人の親権者だけの判断では養子縁組ができないことになりそうです。

そうすると、離婚をしてしまうと他人に子どもを奪われてしまうという、離婚手続きを困難にする事情がまた一つ減ることになります。

5 今後の課題

今後離婚後共同親権ということになると、様々な課題が出て、新たな対応が必要になったり、これまでの対応を改めなければならないことが増えてくるでしょう。

何よりも、離婚をしない方向での支援のニーズが高まると思います。現在家族や夫婦の仲を強化するという公的支援が無いに等しい状況です。それにもかかわらず、連れ去りを指南したり、その後の居住場所の隠匿と提供をしたりという支援ばかりが税金を使われて行われています。DV保護の名目で行われているのですが、最大の特徴はDVの有無については調査をしないということです。

私は、現代においても、離婚をしない方向での支援のニーズは高いと思っています。つまり、家庭が安心できる場所であり、戻ると自分が癒されて勇気と明日への活力がわいてくるための支援です。そのためには人間関係の在り方についてん研究が前提となりますが、それが私の対人関係学だと自負しています。

次に必要な支援というか行政サービスは、子どもの重大事項について、親権者同士の意見対立が激しい場合にだれがどのように仲介するかということです。根本的には裁判所が関与するべきことは間違いありません。しかし、現状の人員配置状態を見るとそれはなかなか実現可能性があるとは言えないようです。根本的には抜本的に裁判所の人員を増やすことです。なかなかこれを主張する人間がいないところが大きな問題です。

裁判所の拡充が間に合わない場合は、専門ADRを要請して話し合いのサポートをする方法で対応することが次善の策になるでしょう。認定ADRとして、この手続きを踏まないと裁判所の判断が受けられないというADR前置主義とする必要がありそうです。

その際には国や地方自治体の支援が不可欠で、双方及び子どもが安全に話し合える体制を整えることが必要だと思います。前から私は家事紛争解決支援センターを作ることを提案していますが、そういうものを作る必要があると思います。

とにかく立法を企画している法務省が、肝心なことを具体的に提案せず、理念的に離婚後の共同親権とすることの是非を問うている有様です。何のために家事法制の改革を言っているのか見えてきませんし、全く主体性が見えません。家事制度の改革を拒否したいための態度にしか見えません。おそらくそういうことなのでしょう。

最後に言葉として「親権」という用語に問題があるということは言えるかもしれません。明治以降日本の親権制度の立法論の議論では、親権が親が子に対する権利をダイレクトに定めた、例えば支配権とはされていません。

子どもは大人になって自立しなければならない存在だという認識の元、そのような養育をする責任があるのは親であること、その責任を遂行するために必要な権能を親権と呼んで議論をしてきました。親権の目的の中核は、子どもを教育するという目的だということは、戦前の民法学者は前提としていたことでした。

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離婚をしたくないのに離婚調停が申し立てられた場合、何をどうするべきなのか。特に「法律の趣旨が形骸化されている場合の現実の離婚調停」にどのように対処するべきか。 [家事]



<離婚調停申立書には離婚理由について何が書いてあるのか>

離婚調停申立書は、離婚理由をいくつか挙げて、それに〇をつけさせる書式を裁判所が用意しています。ちなみにその項目としては、
1 性格が合わない
2 異性関係
3 暴力をふるう
4 酒を飲みすぎる
5 性的不調和
6 浪費する
7 病気
8 精神的に虐待する
9 家族をすててかえりみない
10 家族と折り合いが悪い
11 同居に応じない
12 生活費を渡さない
13 その他
です。

弁護士をつけなくても離婚調停を申し立てやすくするために、アンケート方式で理由を記載するという形になっているのだと思います。弁護士が付いていても、このアンケート回答だけしか離婚理由が開示されない場合も多くあります。

<離婚調停第1回期日行われていること>

これだけで離婚調停を進めるというのではなく、調停委員(年配の男女が調停委員として、一つの事件に配属され話し合いを進行します。裁判官は別室に待機しており、調停委員2名と裁判官の3名で調停委員会を構成します。)が、先ず申立人から話を聞いて、丸を付けた項目を具体的に尋ねて行くわけです。

ここで聞いた事情について、相手方に伝えるか伝えないかは、申立人の要望と調停委員の判断で決められます。だから、最後まで、どうして離婚をしたいのか相手方がよくわからないまま調停が進められることが少なくないように思われます。

<法律が想定した離婚調停の進め方>

離婚をしたい場合でも、最初に離婚訴訟を提起することはできません。先ず、離婚調停(夫婦間調整調停・離婚)を申し立てなければならず、これを「調停前置主義」と言います。

調停前置主義が定められた理由については、いくつか説明の方法にバリエーションがあるようです。
A)家族間の紛争は、一般的に他人に知られたくないことであるから、公開の法廷(裁判は公開で行うことが憲法上定められています)で裁くことは不穏当であり、先ず非公開の調停制度で話し合って相互に譲り合って解決することが穏当であること。
B)家族間の紛争は、家族という形態にも家族関係にもその家庭によっていろいろなものがあり、また紛争についても権利というよりも感情という要素が大きな位置を占めるため、必ずしも、国家(裁判官)による客観的にどちらの言い分が正当かという判断になじまない要素が多いと判断し、先ず当事者の話し合いによって解決をする方が結果の妥当性を得られること。
C)家族の問題は、法的に離婚等の結果が出ても、未成年の子がいる場合等、離婚後も何らかの関係が継続することが想定されるため、紛争を先鋭化しかねない訴訟よりも、話し合いで解決して離婚後の最低限度の信頼関係を維持するべきだということ。

離婚が、一般にそういうものですが、特に家庭裁判所に持ち込まれるときは、離婚をしたい方と離婚をしたくない方と意見が対立していることが一般的です。中には、離婚は良いけれど、慰謝料や親権は争うというパターンもあり、表面的には少なくない争いのパ田0ンですが、実際は離婚をしたくないという感情があるために争いになることが多いのではないでしょうか。

さて、話し合いで解決する場合は、このように意見の対立がそもそもあるのですから、離婚をする、離婚をしないというどちらの結論となっても、常に一方には不満が残ることは仕方がないことです。それでも、双方がある程度納得して離婚を決めるという作業が、話し合いということになるはずです。

そうすると、調停では、離婚をしたい申立人が離婚をしたいという自分の感情と、その感情の出どこを相手になるべくわかりやすく告げるという作業が求められます。相手は、どうして申立人が離婚をしたいのか、先ずはじっくり話を聞いて、冷静に相手の身になって考えることが必要になるでしょう。

<離婚をしたくない場合の必須の相手方の態度>

そうして、それでも離婚をしたくないと主張するのであれば、
①離婚を決意させた申立人の感情の部分に対してどのように手当てをするのか提案をすることになるでしょう。自分の改める部分をどのように改めるか、なるべく具体的に説明していくことが求められると思います。
②また、相手に誤解があるならば、それは誤解であると説得的に説明する必要があります。説得的ではない説明とは、言い訳にしか聞こえない説明で、要するに嫌な思いをこれからもすることになりそうだと申立人が思ってしまうような説明です。
③それから、どうして自分が離婚をしたくないのかを説得力を持って説明する必要があるわけです。ここでいう説得力がある説明というのは、申立人が自分が必要とされていて、尊重されるべき人間だと思われているという説明です。「離婚をしたら子どもがかわいそうだから」ということがよく言われるのですが、現実問題として説得力がないばかりか、逆効果になることが多いようです。どうも現代日本社会というのは、妻、母といった役割の評価というよりも、一人の人間としての評価を皆さん求められているようです。

お互いに自分の気持ちを相手に理解させようと努力して、お互いが相手の気持ちを理解しようとして、それをお互いに示して、話し合いをして、結論にたどり着くということが調停で行われるべきことになると私は思うのです。

<法の趣旨が形骸化されている現実の調停のパターン>

<パターン1 話し合いの拒否>
家裁の調停は、多くのケースで、調停委員は申立人から話を聞きます。アンケート方式で記載された理由について、〇をつけているだけでは、相手方は通常納得せず(暴力や浮気の場合はともかく)、ある程度具体的に言われないと申立人の心情がわからないからです。そして、申立人の話を聞き終えたら、今度は相手方から話を聞くというターンになります。

しかし、最近多いケースは、調停の初日から、調停委員が、相手方に対して、「申立人の離婚の決意は固いようです。あなたのお気持ちはどうですか。」と尋ねて、相手方が「離婚は考えていない。離婚したくない。」等というと、調停委員が「それでは平行線ですから調停では決まりませんね。別の手続き(裁判)に移行することになるでしょうね。」と言って、第1回期日で調停を打ち切るというパターンが少なくないようなのです。

家庭裁判所に離婚調停を申し立てるのですから、離婚意思が固いことは当たり前のことです。これは誰でもわかることです。それでもまず話し合いをしましょう、お互いを少しでも理解して話し合いで解決しましょうということが法の趣旨ですから、離婚意思が固いから裁判にしてくださいでは法の趣旨に反していることになると私は思います。

裁判でも離婚の意思が固い場合は離婚が認められる傾向が見られます。これでは、離婚を強いられた相手方は重大な精神的打撃を受けてしまいます。ここは何とかしなくてはなりません。

<パターン1の対処方法>
相手方は、「はじめから離婚は絶対しない」ということは離婚に行く近道を自分から作ってしまうことになります。少し引いて考えることが必要となります。そもそも結婚生活の維持は、一度合意があっただけでなく、その合意が継続していることが必要であると考えるしかありません。そうだとすると、誤解でも勘違いでも言いがかりでも、夫婦の一方が「離婚をしたい」と言っているのですから、夫婦である以上相手の気持ちには真剣に向き合わなければなりません。またそれをすることが、ここまで来た以上、やり直すという少ないチャンスを勝ち取るための必須の前提となることが、「申立人の離婚の理由を聞きたい。申立人の離婚の理由を自分なりに考えて、仕方が無いと思ったら離婚を考える」ということを言うべきです。

バリエーションとして、「離婚をしたいということはある程度分かった。ただ、子どものことが気がかりだし、子どもに対して親として責任もある。子どもとの交流がどのように図られるのか、その点が解決できれば離婚を考える。」という言い方もあります。

弁護士がいれば、調停前置主義をとうとうと語るパターンもあります。

<パターン2>

パターン1と実はセットになっていることが多いのですが、申立人が離婚をしたい理由を明かさないことが少なくありません。抽象的なDVがあったとか、精神的虐待だとか、中には身体的暴力があった等ということを言いますが、そこで終わりとなることが多いです。さらに突っ込むと、「これまでの積もり積もった結果である(いちいち個別の出来事は覚えていない)。」という回答がなされることが、実際にパターン化しているような印象です。

具体的に言えない事情は様々で、多いのは該当事実が無かったことです。「言ったら逆上される」と心配しているわけではありません。敵意はむき出しなので、その心配をしているわけではないと思います。

該当事実が無いパターンもいくつかバリエーションがあって、①端的に理由が無い(自分の失敗の隠ぺいや、自分の不貞を隠すような場合もあるのですが、どうして自分が離婚をしたいのか自分でもうまく説明ができないことが多いと思います)場合、②弁護士が十分な聴取を行わないことによる要約ミス(つまりどうして離婚したいかという事情聴取が不十分である場合)、③思い込みDVの場合(なんとなく嫌になったし、何か理由があったはずだという漠然な思いと漠然とした記憶がある場合) ②のパターンも結構あり、粘り強く聴取をしていくと、少しずつ離婚をしたい理由が理解できてくることが多いと思います。ここでも、なんとなく離婚したいという人はいないということを前提に、依頼者の人間性を信じて聴取をすれば、それに賛成はできなくても、なるほどその人は離婚したくなるかもしれないというところまでは到達するはずです。「どうせDVがあったのでしょ。」という態度では、依頼者を理解することができないばかりか、離婚訴訟において足をすくわれかねないという問題も起こしかねません。

<パターン2の対処法>
とにかく断片的でもよい、時期的、場所的にあやふやでもよいから何らかの具体的なエピソードを引き出す。

<パターン3>

パターン2の続きなのですが、
申立人から出てきた離婚をしたい理由が、①相手方にとって身に覚えのないこと、②それらしいことはあったけれど、事実は申立人の主張内容と違うこと、③離婚理由となるのだろうか疑問のある相手方の落ち度が主張されること

これは、調停制度の問題というより、背景として裁判離婚の判例の問題なので、対処方法を早速

<パターン3の対処方法>

離婚に応じるか否かということは、自分の人生の根幹にかかわることであるので、真剣に考えようとしている態度は見せる必要があります。しかし、だからと言って、間違っても好戦的な、攻撃的な態度をしてはならないということです。あくまでも穏やかに対応する必要があるということが必須の前提です。「理由がわからないのでは応じられないではないか。」という当たり前のことをストレートに言うのは、良策ではありません。

一生懸命真面目に相手の言い分を理解しようとする態度を徹底しましょう。そして、相手の言い分にまず反発することをしないで、そこに何かしらの相手の気持ちが隠れていないかを検討することが大事です。しかし、これはなかなか難しいことです。人間も動物も同じでしょうが、自分が攻撃されていると認識すれば、何とか自分を守ろうとするのが、生き物の特徴だからです。普通の行動パターンは誰でも反射的な反発を起こします。こういう場合、弁護士が一緒にいると、反射的な怒りを抑えてもらい、少し検討するために時間をもらうということができるわけです。調停期日における弁護士の役割などというものは、当たり前の反応をする前に理性的に考えてみることに誘導することが大半なのかもしれません。

ここから先は一応言いますが、ご自分でそれができるかなかなか難しい分野に入ります。まず考えなければならないことは、心の赴くまま相手を攻撃してしまわないこと、あくまでも相手を尊重している様子を見せること、相手に安心して本音を出してもらおうとすることです。

①身に覚えのないことと②それらしいことに心当たりがある場合
身に覚えのないことを言われた時こそチャンスです。もちろん、事実に無いことは事実に無いということは必須だと思います。問題は、事実に反することを言ったと申立人を責めないことです。
まずは、そのものズバリではなくそれらしいことに身に覚えがないかどうかを考えることです。そしてそれらしいことがあれば、実はこうだったのを甲受け止めて記憶してしまったのではないかという説明をしてあげることと、事実に反した出来事だとしても、申立人の感情を思いやることができます。
全く事実が無い場合も結構無いわけではないのですが、「思い込みDVhttps://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2023-03-14#:~:text=%E3%80%8C%E6%80%9D%E3%81%84%E8%BE%BC%E3%81%BFDV%E3%80%8D,%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%82」の説明などを参考にして、どうしてそう勘違いしてしまったのかを考えて、自分がこうすればそういうことはなかったと思うという二人の問題だったということを説明することが一つの対処方法です。
いずれにしても、申立人は離婚をする気が満々ですから、ただ否定するというよりも、そのものずばりの証拠が無いとしても客観的な状況証拠をできるだけ提出することが求められると思います。

③離婚理由になるのか疑問なこと
これも代理人がいれば、逆に落とされてしまう危険があるのですが、案外一般の我々も他人には理解できない大切にしていることというものがあって、例えばペットだとか、例えば愛車等の所有物に関してとか、例えば子どものこと(これはわかりやすい。)だとか、そういうことで相手に安心感が持てなくなり、一緒に生活できなくなるということが案外あるようです。

ここも、むしろ、申立人代理人よりも自分が申立人を理解しているということを示すチャンスです。
この場合は、「自分としてはここまでやった。しかし、足りなかったという結果を重く受け止める。本当はこうすればよかったのかもしれない。」等という対処方法を考えると思います。

一件それが離婚理由になるのか、おそらく裁判所でも疑問を持つでしょう、裁判所でも自分の代理人も取り上げないところをこちらが取り上げるということはポイントになるようです。

繰り返しますけれど、調停は、相手に対して自分に関する安心感を持ってもらう材料の宝庫です。しかし、自分を守るという当たり前の防御態勢が作られているとそれがなかなか見つからないし、見つけようとしなくなってしまいます。だから、代理人と一緒に調停に臨むことが有効になるのだと思います。



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