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【宣伝・広告2】本日発売! 「イライラ多めの依頼者・相談者とのコミュニケーション術」(遠見書房) 家事紛争の中から生まれた一冊であるということ [家事]


本日(令和3年7月28日)私も関わった本が発売日を迎えました。
http://tomishobo.com/catalog/ca126.html
法律系の出版社の理解を得られなく、心理系の出版社である遠見書房様の英断で発売にこぎつけました。この本が出なければ、この問題がいつまでも取り残されると思うと、ご英断に感謝しきりです。せめて採算ラインまでは売り上げをもっていきたいということも、宣伝記事を載せる理由ではあります。

この本は、体裁としては、弁護士、司法書士、行政書士、社会保険労務士、税理士等の、法律家向けの本ではあります。しかし、あとがきで心理学研究者の東北大学教授若島孔文先生がお書きになったとおり、対人関係を職業とする皆さんに読んでいただきたい本です。特に、行政職、福祉職、お医者さん等医療関係者の皆さんに是非読んでいただきたいと思っています。
そのプロフェッショナルの方の気持ちが軽くなるとともに、クライアントの方々が理解されることによって、必要なサービスを気持ちよく受けることができるようになるのではないかなと思うからです。

宣伝はこのくらいにして(社長様すいません)、裏話をさっそく始めたいと思います。
実は、この本は、家族問題の研究がもとになってできた本ということもいえるのです。
第1部は、弁護士の実際の事件、相談会のリアルな断片を切り出して事例を作って示して、その解決方法を考えています。この最初の事例をわかりやすく書いていただいたのは、主として大久保先生です。私にはこういう才能が乏しいということがつくづくわかりました。先生は、家族問題や女性の権利に造詣が深いということもあって、紹介している事例の多くが実は離婚事件のケースです。次いで職場のパワハラ・セクハラがあり、相続問題、金銭問題、近隣問題が取り上げられています。まあ、弁護士の相談会でよくある事例です。誰でも経験している内容といえるでしょう。この事例の紹介の仕方が一味違う。私のような偏った考え方(本来あるべき考え方だと思うのですが)の弁護士ではなく、良識的な弁護士も離婚事件については疑問を抱くことが多々あるということが紹介されています。虚偽DVの問題や、父親への親権変更の事例等きちんと取り上げてくれいます。すばらしい。
私の紹介は、このブログの別の記事をいくつか読んでいただくとわかるので、特に家事関係ですが、省略します。
心理監修の若島孔文先生は、あらゆる心理学分野の理論と実践理論をマスターされていますが、家族療法という心理療法の日本における第1人者です。世界的にも著名な先生です。家族の在り方という問題を見つめ続けていらっしゃるわけです。
そうすると、この本は、弁護士など法律家と依頼者、相談者という人間関係の断面を切り取っているのですが、その人間関係の在り方についての知見は家族の在り方についての考察を基礎としているということになると思います。

だから、この本は、接客業という職業とクライアントという体裁をとっていますが、実は、家族同士の関係にこそ応用が利く内容が書かれているのです。但し、焦点の合わない本は出版できませんので、深く読みこなさないとそのことを理解することは難しいかもしれません。特に第2部を読みこなしていただきたいなと思います。

本当は、既婚者必携「イライラ多めの家族とのコミュニケーション術」という本を作れれば良いのでしょうが、そんなオファーが本当に来るとは思えませんので、申し訳ありません。弁護士がこういうことに取り組んでいるということはなかなかピント来ていただけないと思います。でももし来たら全力を挙げて執筆します。

ちょっと要約版を作ってみますね。
<楽しい夫婦であり続けるためのちょっとした工夫
そして紛争後の夫婦再生への挑戦>

第1部 楽しい夫婦であり続けるとは
 1章 妻が夫と同じ空気を吸いたくないというまでの道のり
    離婚したいと思うまでの葛藤とは、どういう心理状態か
    離婚したいと思うのは、自分が尊重されていないと感じるから
    尊重されていないと感じる事情はどういうものがある
      「暴力、暴言、物にあたる」だけではない
       本質は別にあるので、ここを否定しても心は動かない。
    味方ではなければ敵だと感じてしまう人間の脳。安心できない存在は不快な存在
 2章 円満な関係であり続けるちょっとした工夫
    尊重は相手に伝わらないと意味が無いが、「尊重している」と言っても伝わらない。
    話を聞いてうなずくということ
    相手に任せるということ
    その他のチップス
 3章 根本的な考え方は思い出の中にある。実はあなたが変わっただけ
    デート中のレストランを思い出そう
    価値基準をどこに置くか。
     正義や論理、合理性よりも相手の感情を行動原理とすること
    家内安全という普遍的な原理を見つめ直そう。
    本当はもっと必要とされているあなたという存在。
第2部 別居後の家族再生への挑戦
 1章 子連れ別居時の妻の心理 著しい高葛藤
    蓄積された「尊重されていない」という感覚
    事実は本人も自覚していない。しかし、今の感情は真実。
    原因はあなただけではないが、あなたの対応でずいぶん変わっていたはず。誰が良い悪いでは深淵に踏み出せない。相手に期待できない場合は自分が何とかするしかないということ。
 2章 修復のために何を獲得目標にするのか。
    「加害」をしないということでは足りない。
    反省ばかりでは重苦しい。
    明るく楽しい将来の約束。その裏付け。
 3章 相手に何をどう伝えるか
   どう伝えるか
    別居はしたけれど、連絡が取れる場合
    本人には連絡が取れないけれど、間に入ってくれる人がいる場合
    間に弁護士が入った場合や離婚調停を起こされた場合
   何を伝えるか
    安心を与えるということ
    先ず生活費の支払いをこちらから申し出ることが鉄則
第3部 家族再生のための離婚調停、離婚訴訟、保護命令
 1章 離婚訴訟の現実 
    どういう場合に離婚の結論になるか、どういう事情があると離婚請求が棄却されるか。一方の離婚の意思が固い場合。
    離婚訴訟の結果を考えるべき一番の要素は子どもであるということ。
 2章 保護命令手続きの現実
    法律要件と乖離する1審手続き
    初めから相手方は不利な構造の中での戦いだということ
 3章 調停
    すべては調停で完結するべきであるということ
 
第3部は別の本だね。



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母親がわが子と引き離されて会えなくさせられる口実 月経前症候群(PMS) 月経困難症 先ずは理解を広めることと、対処の方法をまじめに検討すること [家事]



父親がわが子と引き離されて、わが子と会えないし、どこにいるかもわからないという状態になる場合、父親の母親に対する「DV」が口実にされます。しかし、離婚調停や離婚裁判の中で、「DV」の具体的な中身が主張されることは少なく、主張されたとしても、客観的な資料と矛盾したり、離婚理由になるほどの行為が無かったりということが多いということが実感です。

最近では若者の間でも女性が男性に対する身体的暴力をふるうことを見聞するのですが、母親が子どもから引き離される口実として使われるのは、DVではありません。以下のような母親の精神状態を口実にされることがほとんどです。
・統合失調症や妄想性障害
・パーソナリティ障害(境界型)
・発達障害
・うつ病ないし不安障害

それにしてもうつ病や不安障害の症状を呈している母親から子どもを奪ったらますます悪化するだろうに、容赦なく子どもを引き離します。

そして、実際にそれらの病気にかかっているのかといえば、そうではありません。実際に引き離される原因となっているのは俗にいうヒステリーであり、その原因は月経前症候群ないし月経困難症の月経随伴症状です。併発している事例もありました。特に月経前症候群は、のぼせ、過腹部膨満感、下腹部痛、便秘、嘔気、嘔吐、腰痛、頭重感、乳房痛、めまい、動悸、発汗、肩こりなどの身体症状に加えて、いらいら、怒りっぽくなる、頭痛、落ち着かない、憂うつ、抑うつ、集中力の低下、不眠などの精神症状とも思われる症状が出ることがあります。月経随伴症状は結構ポピュラーな疾患で、ある統計では成人女性の40%以上が月経痛を経験していると報告されていました。
しかし、逆に言うと半数以上の人にそれらの症状がない、あるいは自覚されていないということになります。ヒステリーや精神症状類似の症状は、実際は危険がないことが通常ですが、不快であったり、困惑することもあったりします。自分の母親や姉や妹が月経随伴症の精神症状類似の症状があった場合は、「ああ、いつものね。」と頭を低くしてやり過ごすこともできるのですが、そのような体験もなく、結婚して初めて至近距離で体験した場合は、絶望的な気持ちになる夫も出てきます。夫の方が精神的に参ってしまったという相談もありました。

 法律家の責任論的な発想からすると、これらの症状が出ることは、女性の責任ではないので、非難するべきではないということになるのですが、夫の感じ方については何とも難しい問題です。ここで問題なのは、夫婦が夫の母親と同居している場合です。夫の母親がこのような症状を知らないということはないと思うのですが、自分の随伴症状が軽微な場合、随伴症状が重い人を、単にわきまえない人、我慢ができない人、失礼な人と感じるようです。また、以前から息子の結婚に反対していて、息子の妻を気に入らなく思っていたり、孫を自分が独占したいというよこしまな考えを持っていたりする場合は、追い出す格好の口実にするということもあるようです。私が最初に子どもと引き離された親の代理人になったのがまさにこのケースです。当時はまだ、これらの随伴症状が正式な病名になり始めたころの時代の事件でした。女性自身もヒステリー症状になることをものすごく気にしていらっしゃいました。どうして自分だけこういう症状になるのだろうと思い、子どもを引き離されてから必死に勉強して私に教えてくれました。裁判では勝ちましたが、色々な事情があって、このお母さんは子どもをあきらめました。その代わり、自分のケースを世の中に広めてほしいと言われていました。何度かこのブログでも取り上げてきましたが、まだまだ十分ではないと思います。

 自分が代理人として担当した事件だけでなく、別の弁護士(女性)に依頼しているが悔しい気持ちを分かってくれないという相談もありました。精神科医が、月経随伴症を見落として、簡単に精神病の診断をしてしまうということがあるようで、自分の代理人も自分が精神病だと思っているというのです。その精神病のリストが上記の病名です。
 本来、身体的な原因がありそれに伴う精神症状であれば、上記の診断名はつかないはずです。先ず身体に原因が無いということを診断して初めて、上記の診断名となるのではないでしょうか。実際にカルテを見ると、月経随伴症状が主訴として繰り返し述べられているし、出現時期が月経の前後という時期的な特徴があるのに、月経困難症や月経前症候群という診断は行わず、精神病の病名が診断されているのです。中には深刻な事件もありますから、不本意ではありますが、私のいつもお願いしている精神科の先生に診断をしてもらい、精神疾患排除の診断と、精神疾患の診断書に根拠がないことの意見書をいただいて裁判所に提出することがあります。通常医師は他の医師を批判しませんが、あまりにも目に余る診断だったのでご批判いただいたということなのでしょう。内科の知識のある精神科医を受診するべきですし、女性であれば婦人科の知識のある精神科を受診しなければとんでもないことになるということがよくわかりました。
 お医者さんを批判することは本意ではないのですが、婦人科のお医者さんは、なかなか精神的なフォローをしてくれません。このような精神状態になることがあるけれど、それはあなたに異常があるからではなく、時期的な問題だから必要以上に悩まないこと、症状が強い場合に備えて改善のための方法、投薬などを処方していただければ、女性も対処があるだろうし、家族にも説明できるはずで、無用な軋轢も起きないと思うのです。家族の受け止め方を工夫すれば、症状を持った女性も安心して症状が出にくくなったり軽くなったりするのではないかとも思うのですが、そのような文献はなかなか見つかりません。これは女性だけの問題ではなく、家族の問題です。このブログでも以前甲状腺の問題でも同じようなことを言いました。臓器の疾患に対する問題は対処してくださるのですが、その身体状態から派生する精神症状や家族の問題についての認識や対処の方法についての研究が薄いのではないかということを、離婚問題や子の連れ去り問題を担当すると痛感するのです。医師に限らず、誰かがそれをするべきだと思います。それがなされていないために壊れる家族も多いのではないかと感じているわけです。

この問題は、夫が排除されるDV口実の連れ去りの構造と極めて似ているところがあります。夫のDVの場合も、具体的にどんなことがあったかわからないのにDVという言葉が出たとたん、夫は人格を否定され、市民としての扱いをうけなくなり、連れ去りが正当化されてしまいます。連れ去りを正当化する多くの事情を語らず、DVという言葉が一つあれば、あとはスムーズに連れ去ることができるのです。
妻の精神疾患もこの点は全く同じです。パーソナリティ障害、発達障害、うつ、あるいは統合失調症でさえも程度や症状は人によって全く違います。しかし、ひとたび病名が付けば、あとは妻は母親であることを尊重されず、全く無慈悲に子どもと遮断されてしまいます。遮断が正当化されてしまうのです。具体的な問題は特に論じられないということが多いと思います。
親から子どもを引き離すということに、あまりにも寛容に扱われているのではないでしょうか。これはDV連れ去りという行為が行政などに受け入れられていることと無関係ではないと思います。行政が親から子どもを引き離すことにいつしか鈍感になってしまったのだと思います。
どうして女性の権利を主張する方々は、本件の問題に何も言わないのでしょうか。しかし、おそらく言っていらっしゃると思います。だって、この問題は女性であるがゆえに攻撃されるのですから、女性に対する攻撃又は差別の問題だからです。有益な情報に接したく熱望いたします。

もう一つ観点は違うのですが、言っておきたいことがあります。
それは、生理休暇の問題です。昔は労働基準法に生理休暇という項目の規定があったのです。ところが過度な女性保護は、女性の職場での出世の妨げになるということで、雇用機会均等法の成立とセットで労基法が改正されて、条文上の文言は変わらないけれど、生理休暇という項目が無くなり、その時々の個別の生理日の就業が著しく困難な場合の休暇となりました。労働基準法制定時は、月経前症候群とか月経困難症という病名はなかったものの、月経に随伴する症状は認識されていたわけですから、単に処理の問題だけでなく、様々な身体的精神的困難な状況が多くの女性に見られることから生理休暇を認めたのだと思います。働き方改革ということもありますので、もう少し緩やかな運用で、本当に必要な女性が堂々と休暇をとれる制度を要求する動きがあっても良いのではないかと感じます。少子化対策にもなると思うのです。この点についても、女性の権利を主張している方々が有益な資料に基づいたご主張を展開されていると思われますので、ぜひ情報に接したいと思います。



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片親疎外の作り方 とある団体の公式見解に最大限の抗議をする。子どもに自分の親に会いたくないと言わせてはいけないこと [家事]


離婚や別居で、子どもが一方の親とだけ同居している場合、
子どもが、もう一人の一緒に住んでいない親に対して
「別に会いたくない。」
という現象があります。

ちょっと考えてみればわかるのですが、
自分の親ですから、会いたくないわけはありません。
両親が喧嘩をしていても
子どもはもう一方の親とも
仲よく遊んだり、普通に話をしていたというケースが
ほとんどです。

ではどうして会いたくないというのでしょうか。
詳しくは考えたところを既にお話ししていますので。
調査官調査に対して子どもが別居親に「会いたくない」と言う理由
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2019-01-29
こちらを参考にしてください。

簡単に言うとこういうことです。

子どもは、今まで一緒に暮らしていた片方の親が
突然自分の目の前からいなくなっていますし、
その原因が十分理解できていません。

このため、親は突然いなくなるかもしれない存在だ
という不幸な学習をしてしまっていることになり、
今一緒にいる親も突然いなくなるのではないか
という不安におびえて精神的に不安定になっています。

また、ちいさい子どもは、
自己中心的にしか物事を認識できませんから
自分が悪い子だから、何か自分に落ち度があるから
もう一方の親は自分に会いに来てくれないのだ
と考えてしまうようです。

これは親を過労死で亡くした子どもも
同様の苦しみを見せることがあります。

ただでさえ、子どもは親の顔色を窺って成長していくものですが
一方の親と会えない子どもは
この傾向がいやがうえにも高まる場合があるわけです。

そうすると、親の意向に沿う自分でありたい
という感情が自然と強くなります。
一緒に住んでいる親をつなぎとめておきたいと
かわいそうにも思ってしまいます。

同居している親が、一緒に暮らしていない親を悪く思っていて
子ども会わせたくないという強い気持ちになっていることは
子どもは簡単に見抜いています。親子ですから。

また、親が子どもに対して、自分の味方になるよう要求する場合もあります。
自分の味方になるということは、子どもからすれば
一緒に住まない親と自分と同じように敵対しろということと同じ意味です。

子どもは、自分が、
一緒に住んでいない親と会いたいと言うと
同居親を悲しませたり、失望させたり、怒らせたり
場合によっては自分を嫌いになるのではないかと
色々な思いで、
「別に会いたくない」と言っているわけです。

少し子どもの年齢が高くなると
そういう感情的になる同居親が煩わしくなって面倒くさく
「別に会いたくない」という場合もあります。

それでも一緒に住んでいる親も
子どもが会いたくないと言っていても
本当は会いたいだろうなと気が付いているようです。
親子なので、子どもが無理していることは気が付きます。
しかし、
「支援」者たちは、その子どもに対する愛情なんてありませんから
子どもが「会いたくない」と言ったというそれだけの事情で
子どもに一緒に住まない親と会わせることは
子どもの意思を無視した「面会の強制」だというのです。

科学も、人情もない人たちが実際にいますし
そういう子どものことを考えていないことがはっきりしている見解を
得意になって正式に公表している団体もあります。
恥ずかしい限りです。
醜悪です。

それがどのように罪深いかが今回のテーマです。
どうか耳をふさがないで聞いていただきたいと思います。

子どもが会いたくないということは
一緒に住んでいる親の気持ちを感じ取って言っているだけで、
もう一人の親のことまで考えて言っているわけではありません。

しかし、会いたくないと口にした後で
自分の「会いたくない」と言った声が耳から聞こえてきます。
記憶に残ってしまいます。

年齢や性格によってもだいぶ違うのですが、
子どもは、もう一人の親の気持ちを想像してしまうことがあります。
一緒に住んでいない親と同居中に一緒に遊んだときなどの、
楽しい思い出を思い出しているとき
その親が笑顔で自分に優しく話しかけている時を思い出したとき、
自分の「会いたくない」という声が聞こえてくるわけです。

自分はなんてひどい人間なのだろうと
自己嫌悪になると同時に
申し訳ない気持ちになるようです。

もう一人の親に会えない理由は自分が悪いからだという
罪悪感に苦しめられることがあるようです。

人間の心は、その罪悪感に耐え続けるようにはできていません。
それなのに耐え続けてしまったら
だんだんと
自分はなんてひどい人間なんだ
こんな自分は価値のない人間だ
幸せになる資格がない人間だ
という自己評価が低くなってしまう危険があります。

人間は、本能的にこのような絶望を回避する
心のメカニズムがあるようです。
ちょうど熱いものに触ったら反射的に手を引っ込めるようにです。

どうやって罪悪感を感じにくくするか
それは、
自分が悪いのではなく、
一緒に住んでいない親が悪い人間だからこれで良いのだ
という正当化、合理化です。

一緒に住んでいる親の言うとおりだ
あの親は、一緒に住んでいる親を散々苦しめたのだ
自分が会う価値のない人間だ
自分と会って楽しむ資格のない人間だ
と一緒に住んでいない親を繰り返し否定していくことです。

親の前でも家裁の調査官の前でも
積極的に一緒に住んでいない親の悪口を言うようになります。
どんなに自分が苦しめられたか
記憶を変容させてありもしない事実を
さもあったかのように告げる子どもも少なからずいます。
(客観的事情から虚偽だったことが証明された事案だけでも驚くほど多い)

本当は些細な出来事だったのに
自分が泣いたという記憶と
別居後に作り上げた親の悪性格を
無理やり記憶の中で結びつけるわけです。
そしてそれが本当に起きたことだと
記憶を変容させるようです。

そのような虐待や悪感情が無くても
同居中に厳しくしつけられていれば
親が自分のことを想ってやっていたことでも
親の悪性格が原因で不必要に厳しく当たった
つまり虐待だったというように記憶を変容させるのです。

これは自分を守るために行う自動的に進行するプログラムです。

では、罪悪感を解消できたのであれば
めでたしめでたしでしょうか。

とんでもありません。
もしかしたら罪悪感に苦しみ続けるよりも
悪影響が出てくるかもしれません。

つまり、罪悪感を感じなくするために
新たに罪悪感の理由となる行為を上書きしていくわけですから
最初の罪悪感が消えても
上書き行為の罪悪感が新たに加わるからです。

それでは、
罪悪感を感じなくなるまで
一緒に住んでいない親を否定しきったらどうでしょう。

これまで述べてきたことは
「片親疎外」という現象が現れるメカニズムです。
この片親疎外の最大の問題(子どもが受ける深刻な影響)が
親を否定しきるということなのです。

ちょっと考えればすぐ気が付くことですが、
自分(この場合子ども)という存在は
半分はその親の遺伝子を受け継いでいるわけです。
(昔は血を分けたという言い方をしていましたね)

自分のルーツの半分を否定しまったとすると
「自分とは何か」ということ考えるようになった場合、
自分が極めて不安定な存在だということなり、
自分とは何か分からなくなってしまうとされています。

自分は、完全に否定するべき親と
全面的に支持し助けなければいけない親という
完全に対立する性質を持つ親の子どもだ
ということになってしまうからです。
じゃあ、自分は何者だということが分からなくなることは
想像しやすいのではないでしょうか。
これが起きる時期は15歳ころだとされています。

他人は、「人は親がすべてではない」と簡単に言いますが
本人は、そう割り切ることはできません。
当たり前だと思います。
他人や支援者は、ちょっと考えればわかることを
考えようとしません。
子どもと一緒に暮らしている親の「支援」で頭がいっぱいだからです。

片親疎外が完成してしまうと
自分というものが何だか分からなくなり
自信を持てなくなり
自分が幸せになることはできないのではないか
自分が生きている価値があるのだろうか
という感覚になる危険があるわけです。

15歳くらいから引きこもりがちになり
20歳前で精神科病棟に入退院を繰り返すお子さんたちを
何人か見てきました。

しかし、病院は、片親疎外という知識がありませんでした。
あったとしても、少なくとも治療の方法を身に着けていないようです。
なかなか良くなることはありません。
統合失調症、人格障害などと病名をつけていたところもありました。

そのうちのおひとりは一緒に住んでいない親御さんと
交流をすることができるようになり
就職ができるまでに回復しました。
一緒に住んでいた親御さんも
もう一方の親との交流に頑張って協力されたことがわかります。

その他の事例はその後連絡が取れなくなっているので
お子さんが社会復帰できたのかわかりません。
大変心配です。

子どもは、体が成長するということはみんな知っていますが
心も成長するということは
あまり意識されることがないようです。
自分の振る舞いで子どもの心の成長を阻害することに
一緒に住んでいる親は気が付きません。

子どもが自分を思いやって
一緒に住んでいない親の悪口を言っても
「あなたの親なのだから悪く言うのはやめなさい」
という方は必ずしも多くないように感じています。

自分の心を守ることで精いっぱいだからです。

子どもは成長するものだということは、
今子どもに問題が生じなければそれで良いというわけではない
ということなのです。
このままでいると子どもが何年後かに悪い影響が出てきてしまう
という今は見えないけれど、
将来の子どもの成長を見通して
子どもがどうあるべきかという考えをもつことが
なかなか家庭裁判所でもできていないと今日も実感しました。

子どもは自分で自分の将来を見通すこともできませんし
両親が仲良くしていてほしいという
当たり前の希望も、
自分の胸にしまってしまい
自分でも気が付かないふりをしているわけです。

「子どもの意思を尊重する」と
さも、もっともらしいことを言って
子どもに「会いたくない」と言わせて
ほらだから会わせないんだ
強制はするななどということが
いかに愚かしく、子どもに対して残酷なことか
少しでも多くの方に理解していただきたいです。

子どもの一番言いたいこと
「お父さんとお母さんと仲良く笑って安心して暮らしたい」
という意思を
誰も尊重しようとしないではないですか。

自分達に都合の良いときだけ
子どもの意思を尊重するという大人たちに
強烈な嫌悪、憎悪を覚えます。

片親疎外の悪影響を受けることは
子どもの自己責任ではありません。
両親、裁判所をはじめとする法律家という大人の責任です。

片親疎外はお子さんの性質や
一緒に暮らしている親御さんのふるまい
親以外の人間交流によって
影響が出るお子さんと出ないお子さんがいます。
それは間違いないようです。

ただ、一緒に暮らしている親御さんと
一緒に暮らしていないもう一人の親御さんと
両方から養育されて、愛情を感じているお子さんには
確実に片親疎外は出ません。
簡単に防止できることだと言えます。

子どものことを何も知らないで
勉強もしないで
ちょっと考えればわかりそうなことも気が付かず
つまり人間の心、情を忘れて
冷酷な意見表明をしている人たちは、
子どもを危険にさらしていることに
生まれてきた意味を見失う子どもたちが生まれることに
どうやって責任を持つというのでしょうか。

わからないことは黙っているべきだと思います。
物言わない子どもの利益を全く考えない考えを
心から軽蔑します。


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第20回 意見が違う時の歩み寄りの方法 コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント20 [家事]

新婚時代は意見が違えば無条件に相手に従うわけです。
対立は起きません。

しかし、しばらくすると
相手はいつも自分を優先してくれなくなりますから
(母親と赤ん坊の関係ではないので)
本当に自分は愛されているのかしらと
疑問に思うことが少しずつ増えていくわけです。

自分の意見に反対されると
自分をないがしろにしているように感じてしまうわけです。
だから、自分を守るために自分の意見を通したくなるようです。

第三者から見ると
どうしてそんなくだらないことにこだわるのと思うことでも、
その時は自分を守る戦いになっているから必死です。

例えば、週末は海に行こうねと言ったのに、
疲れているから外出したくないと言われれば
以前なら「それは休んだ方が良い。ゆっくり寝ていてね。」
と言えたはずなのに、
自分が愛されているという自信がなくなると
せっかく楽しみにしていたのに、
自分がないがしろにされている
と瞬間的に被害的に考えてしまうわけです。

自分との約束なんてどうでもよいということかという意識になるようです。

確かに、約束は守らなければならないということが道徳でしょうが、
家族の中には約束よりも相手の体調、場合によっては気分を
尊重することが真の道徳だと思います。

前のように、「じゃあ今週の週末は家でのんびりしよう
私がランチを作るよ」というようなことを言えば
相手も体調を整えて次の週末に海に行けるのですが
争いになってしまうと
海に行くこと自体がうっとうしくなるし
お互いの関係もしっくりこなくなることがあります。

まず考えるべきことは家族を怒らないという鉄則です。

家族の意見と反対の意見にこだわる理由になりそうなことは
約束、合理性、道徳、あるいは常識、正義、権利法律ですから、
これらの言葉が自分から出た場合は特に気を付けましょう。
そして、むきになって意見を言っている自分に気が付いたら
「自分」が「相手」から被害を被っているという考えは極力捨てて
「二人は」、「私たちは」どうするべきか
という発想で考えてみるようにしましょう。

約束を破る方は、家族ですから遠慮しなくてよいのですから
身構えず、
楽しみにしていたのに申し訳ないと
ヘロっと謝るくらいの心の余裕を持った方がうまく行くでしょう。
相手はあなたから尊重されないと感じたから怒るのだから
しっかり謝るとか、代替案を提案するとか
相手のことを自分は尊重しているということを分かってもらえればよいわけです。


千字式は、今回20回目でいったん終了します。
また思いついたら、突拍子なく第21とか言いながら始めるかもしれません。
一家族でもより多くの家庭が安心の場所になりますように
お祈り申し上げます。
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第19回 赤ん坊が生まれれば上の子が可愛いと思えなくなることは当然 だから上の子を意識的にかわいがることが大切 コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント19 [家事]



新たに赤ん坊が生まれてしまうと
上の子が可愛いとは思えなくなって
自分はなんてひどい親なんだろうと悩まれる人がいるようです。

悩む必要はありません。全く正常な感覚です。

人間が哺乳類である以上逃れられない宿命です。

「可愛い」という感覚は、
小さくて弱い者を守ろうとするときの感情なのですね。
そうやって哺乳類は一番弱い赤ん坊を
守ろうとすることができたわけです。

もしこの感覚がなかったら、
自分が大事ということになってしまって、
赤ん坊が泣こうが気にしないで
自分の都合を優先してしまいますから
弱い赤ん坊は簡単に死んでしまうわけです。

これでは、子孫を残すことができません。
その種は絶滅しまいます。

弱い者を守ろうと進化したというよりも
弱い者を守ろうという仕組みを持った種だけが
子孫を残したと考える方がわかりやすいと思います。

だから可愛いという感情は、
われわれ人間が赤ん坊をかわいがることによって
子孫を残してきた遺伝子的戦略
本能的な感情です。

赤ん坊が生まれると2年くらいは、
母親の脳が生理学的に変化して
生まれたばかりの赤ん坊をかわいがるように脳が動き出すそうです。
もっとも個人差はあるみたいです。

さて、人間は他の多くの哺乳類とは異なり、
子どもが大人として独り立ちするのには
途方もなく長い時間を必要とします。

だから、兄弟が同時に同じ家族の中にいて
同時に同じ大人に養育されているという形態をとります。

かわいく感じてしまう赤ん坊と
それほどかわいく感じられなくなった上の子と
子どもが複数いるご家庭では
多かれ少なかれそういうことが起きているわけです。

赤ん坊が生き抜くためには仕方がない体の仕組みなのですが、
上の子もかわいそうです。

うまくできていることは、人間には本能だけでなく
理性や言葉が備わっているということです。

自然には可愛いとは思えないお姉ちゃんお兄ちゃんには
理性で愛情を示せばよいということになります。

言葉というものは便利なもので
「あなたが一番大切だよ」ということは
苦労しないで言えるわけです。
あとは食い物での特別扱いですね(私基準)。

もう一つ人間には進化で獲得したものがあります。
それは家族です。
他の動物は母親が子育てをしますが
人間は家族で子育てをします。
母親だけで子育てをすることは
年代の違う子どもが同時に存在する人間の養育形態では
無理がある話だと言えると思います。

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第18回  自分を守ることをやめて家族全体を守ろうと切り替えることが自分を守る最大の方法かもしれない 自分を勘定に入れるということ コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント18 [家事]



一緒に住んでいると多くの時間を共有しているわけですから、
誤解が生じたり、うっかり虎の尾を踏んだりして、
けんかが起きる可能性はあるわけです。

それら日常の不満が蓄積されたり、
体調の問題が悪く影響を与えたりして、
家族の中に深刻な亀裂が生じてしまうことも見てきました。

「自分は妻の被害者だ」という夫も、その逆も当然いらっしゃるわけで、
ある局面だけを見ると、そう思いたくなることも当然だということは確かにあります。

でも、そのときは被害者なのに、
過剰な反撃をしてしまえば加害者になってしまいます。
家族は再生の方向に向かわずに崩壊し、
子どもたちが犠牲者になってしまいます。
また、当事者夫婦もやはり大きな痛手を受けます。

家族の再生、メンテナンスは、
早いうちに細目に行う必要があると感じています。
でも相手から攻撃されてしまうと、つい反撃をしてしまうのが人間のようで、
反撃すれば相手にとっては新たに攻撃されたという記憶になるだけなのです。

どうしたらよいでしょうか。

なかなか難しい話なのですが、
家族の間では、自分を守ろうとすることをやめることが一つの方法です。
生きるという行動と逆行する行動ですから、自然にできることではありません。
自分を攻撃にさらし続けるという発想は、精神的にも悪いと思います。

ここで発想を切り替えるということの提案です。
自分を守るという意識から
家族全体を守るという意識に
切り替えるということです。

相手の言い分、子どもの言い分や利益、
そして自分の言い分、
そのすべて守ろうと考えるということです。

この時自分の言い分も正当に取り上げることが肝心です。
全員の言い分が通ることはないのですが、
できるだけ家族全体の利益を守るためにはどうしたらよいか、
その中で自分は家族のためにどのような役割を果たすべきか
という発想に立つということです。

このような形での自己犠牲は人類は誕生の時から行っていますから、
比較的無理がありません。

問題は自分が攻撃されているときに、
家族という仲間意識を持てるかということにあるかもしれません。

そうやって、対立関係から離脱できれば、相手を攻撃しなくて済みます。
家族が再生されれば、自分にとっても利益になるというわけです。

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第17回  相手ができないことをフォローすることは実は相手を傷つけていることがある こういう時こそデリケートさが必要 コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント17 [家事]



今回は難しい問題です。
どうしてそうなるかの説明は簡単なのですが、
じゃあどうすればよいかということが難しい。

そして、結構「あるある」の問題のようなのです。
そして、われわれは良かれと思ってやる場合、
結構無神経に、雑な行動をしてしまっている場合があるようです。

人間いろいろできないことってあるわけです。
仕事でもそうですが、
家庭でよくあるのは、
片付けができない。掃除をしない。調理が苦手。お金の計算が苦手。

他の家族は、それが「できない」ということをなかなか理解できません。
サボっている、自分を馬鹿にしているとか思う人まで出てきてしまいます。

じゃあ、「そっちができないならこっちがやるよ」で本当は良いのでしょう。
しかし離婚事件では、
どうやら自分のできないことを上手にやって見せることで
自分が馬鹿にされている、否定されていると感じてしまい、
それが蓄積して憎しみになってしまうことが案外多いようです。

片づけをしない妻を見るに見かねて、夫が片づけをやり始めたところ、
妻が包丁を振りかざして片付けをやめろと脅かされるというケースもありました。

片付けをしているときに、
眉を寄せていやそうな顔をして片づけをしてはならないということはわかることだと思います。
言葉には出さないものの相手を明白に責めていますから、
相手は自分を守ろうとして逆上していると整理することができます。

問題は、ニコニコして片付けをするとか、
こちらがやるのは当たり前だと言いながら片づけをする場合でも、
やはり不快な気持ちになる場合が多いということです。
対処が難しい。

どうすればよいのか、特効薬が見当たらないのです。
ただ、例えば今の例で言えば、
夫が片付いていないことをそれほど気にしていないけれど、
片付けられないことに妻が気にしていて、
妻にしてみれば夫からの評価が下がるという不安を抱いていることがあるということです。

妻自身、世間がそれを許さないだろうという気持ちを持っていますから、
当然夫も自分を軽蔑しているだろうと常々おびえているのかもしれません。
その敏感な部分に触る行為ですので、
デリケートな対応が必要な場合があるわけです。

相手にやってもらってラッキーと思える図々しさがあれば簡単なのですが、
案外繊細で責任感も強すぎる人なのかもしれません。

でもできないものはできないのです。

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第16回  自分以外の家族同士が対立しているときの板挟みの挟まれ方 中立的態度を貫く方法としての「えこひいき」コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント16 [家事]

例えば、夫から見て妻と娘とか、親からみて兄弟げんかが行われているとか、
家族の中で自分以外が言い合いしているとき、
どう立ち回るべきなのかということです。

やってはならないことは、
対立している二人の面前で、どちらかにだけ味方することです。
対立する二人のどちらかに注意をすることも逆効果になる可能性があります。

例えば
夫がインターネットの会員登録をしていて入力ミスとかでなかなか前に進まない、
それでイライラしているときに、
妻がアドバイスをしているそばから、
夫が間違ったままエンターキーを押しそうになるので妻が慌てて注意したのが、
声が大きくなりきつい言い方に聞こえたということがあるとします。

子どもは、事情が分からず喧嘩していると思い、
妻がきつい言い方をしているから悪いんだと思い、
「そんなにきつく言わなくても良いじゃない。」と言ったとします。

夫は子どもが妻に意見を言ったことで、
ネット操作のイライラのうっ憤を晴らして留飲を下げるとともに、
「ほら見ろお前の言い方が悪いから俺が落ち着いて入力できないんだ。子どもの言うとおりだ。」
と無駄な対立関係が生まれてしまうというようなことが結構あるわけです。

庇ったつもりで紛争を大きくしてしまっているわけです。

対立当事者のどちらかあるいは双方が大人の場合は、
静観することが良いのかもしれません。
しかし、収拾がつかなくなってしまい、
このままでは対立関係が持続してしまうという時は、
それぞれ一人にして、相手に聞かれないところで味方する
という方法がお勧めです。

つまり隠れて思う存分えこひいきするということです。
この時、できるだけ、対立相手の行動を否定するのではなく、
話している本人の行動に共感を示し、肯定することです。
「お兄ちゃん辛いのはわかる。
でも、妹はまだ小さくて、相手の気持ちになって考えることができないのよ。
ここは収めてもらいたい。申し訳ない」とかです。

母娘の対立で父親が間に入る場合は
「お母さんも心配していっているのだから言い過ぎの所は勘弁して、
お父さんも心配だから、このことだけは頑張って説明してくれないかな。」
とかですね。

家族のトラブルでどちらかだけが悪いということはめったにありませんから、
双方を肯定するということが理に適った解決方法になるのは当然のことかもしれません。

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第15回  家族のからの攻撃に傷. . つかない方法は言葉を真に受けないということと、受け止めたふりをして流すこと。コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント15 [家事]



前に自分が八つ当たりをすることをチェックしようと言いましたが、
今回は家族からの八つ当たりを受けた場合です。

大体の怒りは八つ当たりだし、怒りの程度は過剰になります。
家族の場合は八つ当たりでもそれなりに的を射た話をされるので、
言われた方は聞き流すということはできません。
「何をっ!」
ということで反応してしまい、怒りが炎上します。

また、予想していない攻撃とか、
そんなに責めるかという程度の攻撃を食らいますので、
こちらも自分を守ろうと、本能的な反応、つまり反撃をしてしまうわけです。

家族から攻撃を受けたら、
本能的な反応をする前に、良く考えましょう。

具体的には先ずにらみつけるだけにしておきましょう
(何も反応しないのは難しいからにらむ)。
こちらが話し出すまでの時間稼ぎをするということです。

相手が怒っている原因に心当たりがあれば、謝ることができます。

問題は、そこまで言わなくても良いじゃないかという時と、
相手が何を怒っているのかわからない時です。

相手をにらみつけながら、
ああ、これは「私に原因がないのだな」という結論に達した場合は、
「人間こういう時もあるよな。」という受け止めることが正解です。

相手が暴力に至る危険がないことを確認できれば、
第1、あなたがやっているほかのこと(テレビとかゲーム、急がない家事とか)は
止めましょう。
第2、自分以外の何かに不安を感じているのだなと思ってあげましょう。
第3、時折相づち(「はい。」とか「それはそのとおり。」
とか肯定できるところを肯定して)をうちながら、悲しそうな顔を作りましょう。
第4、言葉は極力形式的に聞いておきましょう。
とにかく嵐が過ぎ去るのを待つ。怒りは持続しにくいということも特徴です。
相手が落ち着いてきて、バツが悪そうな顔をしたら、
何事もなかったように別の話題を始めるという流れです。

2点注意が必要です。
一つは、身体生命の危険が無いことを確認すること。
危険があれば委細構わず逃げる。
二つ目は、相手を馬鹿にした態度をとらないということです。
反射的に負けないぞという気持ちになり、
強がって笑って見せるなんてことがあります。
全く無駄な行動です。

馬鹿にした態度と思われない方法が、いま述べた4つのステップです。
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第14回  家族の無駄話は無駄ではない。家族を成り立たせるのは無駄話にあり。コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント14 [家事]



無駄話を禁止する会社って結構多いのです。
バブルに陰りが見えてきたころからこういう会社が多くなって、
一般的になってきたように感じます。

その影響なのか会社だけでなく、家族の間でも
「結果が出ない話はするべきではない」
と信じ込んでいる人が男性には多くいるようです。
男性は長電話が苦手な人も多いので、元々ある性差なのかもしれません。

無駄話とはどういう話でしょうか。
話しても結果が出ない、
結果が変わらない話。
意図、目的持たないで始まる話。
誰かの噂話。
一方には関心のない趣味の話。
だから何だというわけでもないその日あった体験話。
こんな感じでしょうか。

こういう話がなぜ無駄だと思うのでしょうか。
それは、言葉というものは、人に何らかの行動を促すための、
共同行動を成り立たせるための道具だと思っているからなのだと思います。
代表は命令ですね。

そういう言葉ばかりの人間関係は、
何かの行動をする共通の目的をもった仲間なのでしょう。
例えば会社は利益を出すための仲間であるということは間違いないでしょう。

しかし、言葉の機能はそればかりではありません。
相手を安心させる、相手の不安を取り除くという機能があり、
人類がそういう目的で言葉を使っていたという説明がなされるようになりました。

この観点から見れば、先に述べた無駄話は無駄ではなく、
相手に安心感を与える言葉本来の効果を持っているということになります。

そもそも家族は、会社ではありません。
子育てとか家を建てるとか共同行動もしますが、
一番の目的は「安心して一緒にいるということ」だ
という説明の方法もあると思います。

帰り道、大きな犬がいてドキドキしたということを報告し、
家族が笑顔で聞いてくれれば安心することができます。

楽器が少しだけだけど上達したと言って、
良かったねと言ってもらえばうれしい気持ちになるでしょう。

あの女優が不倫をしたといって、いやあねえと否定評価を言い合うと、
同じ価値観だと安心できるかもしれません。

それなのに家庭でも共同行動の提起ばかりだと嫌になるわけです。
ゴミ捨て忘れているとか、電気を消さないとか、片付けができていないとか。
つまりダメ出しですね。

これは、今後は、言葉の意味、機能をよく理解していないという評価になりそうです。

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