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【共同親権導入記念】親が我が子を一目見るだけのことが、なぜ否定的に取り扱われるのか 裁判所における先入観の傾向と対策 [家事]

【共同親権導入記念】親が我が子を一目見るだけのことが、なぜ否定的に取り扱われるのか 裁判所における先入観の傾向と対策

子どもと一緒に暮らせない父、母は、ますます多くなっています。離婚をしていない以上、子どもに対する親権はあるはずです。また離婚をしたとしても、親権が無いだけでその他の親としての権利は存在しているはずです。しかし、離婚をせずに親権者であるはずの親が一緒に住んでいないだけで、親権行使どころか、遠くから子どもを見ることもままならないのが今の日本です。

一緒に暮らしていない親は、子どもが元気で過ごしているのか、きちんと学校に行っているのか、友達はいるのかなど心配するタネは尽きません。当たり前のことだと私は思います。

相手方の家に押しかけると騒ぎになるから、できるだけ相手方を刺激しないように、例えば遠くから通学路を歩く子どもを見ようとするわけです。しかし、ただ道端にたたずんでいるだけで警察官が来て事情聴取をされたとか、警察署に任意同行されたという相談を受けます。一緒に暮らす親から不審者通報がなされたようです。

ストーカー規制法の通告を受ける親もいます。私から見れば、ストーカー規制法の要件が随分緩やかになっているように感じられます。

公立の教育施設で、管理者と相談をして、滞在中の我が子を、我が子にも気が付かれないように窓の外から見る許可を得ても、教育施設を運営する自治体から遠慮するように露骨に誘導を受けたということもありました。また、子どもと同居する親に通報して子どもに学校を休ませるというケースも一つや二つではありません。行政が通報しなければ、そっと遠くから見て帰る予定でした。それさえもさ許されないというのです。

おかしいじゃないですか。

親権者なのに、どうして子どもを見ることさえも、行政や警察から制限を受けるのでしょうか。

さらに不合理なことは、裁判所さえもこういう行為を当事者がすることをとがめることがあるのです。面会交流調停の調停中に、遠くから見ようとしていたという事実が相手方から告げられたら、「調停で解決するつもりはないのか」と尋ねられました。

調停では一目見ることを望んで申立てしたわけではありません。きっちりと親と子として定期的な交流を求めて調停を申し立てたのです。そもそもどうして、親権者が誰にも迷惑をかけないように後ろからそっと我が子を見る行為をしたからと言って、調停をするつもりがあるのか等と言われなければならないのでしょうか。この人は子どもを産んだ母親でしたが、1年以上も子どもに会えていないのです。遠くから我が子に気づかれないまま一目会おうとすることに、共感も理解もないような裁判所が家事問題に携わってよいのでしょうか。

いろいろな事例を見ていると、①用語に対して反応している、②虚偽事実で先入観を持ってしまっている、③子どもと同居していないことによる先入観があるようです。

①と② 用語に対する反応とは、「DV」、「虐待」、「発達障害」、「境界性パーソナリティ障害」、「うつ病」等の精神障害の病名などです。離婚を請求する申立人が女性の場合は、DV、虐待などの用語をだしますし、申立人が男性の場合は発達障害や境界性パーソナリティ障害などの診断名を出してくることが多いです。詳しくなればなるほど、これらの用語は多義的であり、幅広い程度の含まれた概念であることを理解していて、擁護だけでは何が起きたのか皆目見当がつかないという状態です。しかし、経験の浅い弁護士や裁判官、調査官、調停委員などは、その言葉が出されると裏付けも求めないで警戒感を抱いてしまうようです。

確かに私も、離婚事件をそれほど多くやっていなかったときは、DV事案だという訴えを持ち込まれると、必要以上に緊張していたことを思い出します。経験の浅い裁判官が、DV事案の離婚調停事件で、裁判所にインカムを付けた明らかなSP(裁判所職員)を配置したことを抗議したことがありますが、そういう用語に対する反応なのでしょう。無意識に防衛反応が起きるようです。

一言で言って、離婚調停の相手方は、感情的で自己の行動を抑制できない人間と思われているということです。

やっかいなことは、申立人のその点についての主張は相手方に開示されないことが多いため、反論をすることができないということです。ただ、離婚調停を申し立てられたら、そのように申立人によって、裁判所は自分が感情的な人間で自己の行動を抑制できないため、危険なことを起こしてしまいかねない人物だと思われているとして行動をするべきだと思います。

即ち感情を抑制しようとすること、感情のまま話し続けないこと、大声を上げないこと、しつこく同じことを繰り返さないことです。冷静に、職員に対する配慮を忘れない言動をして、信頼関係を構築することが必要です。

③ 子どもと同居していないことによる不利
行政や警察、裁判所も結局はお役所なのです。新たな波風を立てることにブレーキが利いてしまう傾向があるようです。一度子どもを連れて出て行って子供と暮らしているとか、子どもから引き離されて家を追い出されたケースに対して、別居親に対して同情や共感を寄せるということはしないで、もう面倒なことはしないで現状維持で解決できれば良いのじゃないのと感じているのではないかと思われることが多々あります。

考えてみれば東京家裁の面会交流プロジェクト*も、子どもの利益を最優先という枕詞はつけるものの、どのように最優先するかについて具体的な説明が無く、同居親の心情に配慮するということだけが強調されています。これ、別居親の孤立感や絶望感よりも同居親の心情に配慮すると言ってしまうと、マニュアル好きの現場の裁判官は、単純に面会交流の実現に向けての努力をしないようになるだけになってしまう危険があるわけです。

何よりも子ども利益を具体的に考慮できなくなる家庭裁判所となってしまうというわけがわからない話になってしまいます。

どうやら、無自覚に、「子どもと同居していないのは別居親にそれなりの理由があったからではないか」という意識を持ってしまっている可能性があります。

このことは、当事者(代理人)が、そのような無意識の存在を想定して、偏見があれば自覚させ、公平な調停に戻す作業をしなければなりません。

最も有効な手段は、別居などに至る過程を時系列に従って、丁寧に伝えていくことです。どうして今の事態が起きているかはこのように時系列が最も有効です。調停期日や、場合によっては調査官面談などを設けてもらい、丁寧に冷静に説明することをお勧めします。経過表は書面化することが必須です。


裁判官も誤解している東京家裁面会交流プロジェクトの運営モデル 誤解されるポイントと誤解の理由 1 現状分析についての誤解
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2022-01-26

【なぜ最近間接間接交流に誘導されるのか】裁判官も誤解している東京家裁面会交流プロジェクトの運営モデル 2 「ニュートラルフラット」という言葉が誤解のポイント 本来どうするべきか
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2022-01-27


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