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幸せについての考察メモ [進化心理学、生理学、対人関係学]



一緒にいたい人と一緒にいること
その人と一緒にいることに不安が無いこと。

完ぺきではないし、失敗も多いし
いつも頼れるわけではないし
邪魔な時も無いわけではないけれど
一緒にいたいし、いれば安心する

尊敬できない時もあるけれど、尊敬できるときもある
なにかが優れていなくても良い 普通でも普通以下でもよい
理由なんてなくても良いのかもしれない

ただ一緒にいたいし、一緒にいれば安心する。
何があっても許してしまう
手を貸すことができればやっぱりうれしい
喜んでもらえばもっと嬉しいし、もっと安心する

理由なんてないけれど
一緒にいれば大丈夫かもしれないと思ってしまう。


自分は大切な人のそんな存在になっているのだろうか
なにかにこだわって、大切な人を不安にさせていることは無いだろうか

よく考えもしないで、誰かの言うとおりに行動してしまって
自分にとって大切なものを大切にできないということは無いだろうか

自分勝手な考えに夢中になってしまって
大切の仕方のポイントを外していないだろうか

いつもうまくいかないで自分にがっかりすることが多いならば
せめて、一生懸命やろうとすることにしよう
時々振り返って考えて、一生懸命やることにしよう
それはとても素敵なことだと思う。
それがきっと。

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「アドバイスのパラドクス」 夫婦間紛争に見る同居中の夫婦に見る典型的なすれ違い3 [家事]



最近ぼつぼつといろいろなところで言われるようになりました。
例えば妻が職場の人間関係で悩んでいて、上司の横暴に苦戦しているなんて話を聞きますと、夫は例えば「上司の上司に対して事実関係報告してみたら」とか、「直接そういうことは言わないでくださいと対決したら」とか、「労働基準監督署に相談に行こう。一緒に行ってあげる。」等というアドバイスをしてしまいます。

そうやって妻の悩みに貢献していたのに、妻からは「夫は何も話を聞いてくれなかった。」等と離婚訴訟で主張してこられることが結構あります。夫は、解決目的志向ですから、解決に役に立つ情報を提供したいしするわけです。どうして適切なアドバイスをするという役割を発揮した自分が「話を聞かない」と責められるのかわかりません。

このように改善のアドバイスをしたならば、逆に「話を聞いてくれない」と言わるとか、反発されて改善につながらないということを「アドバイスのパラドクス」という言い方をしてみました。

では、妻は、何を求めていたのでしょうか。どういう夫からのリアクションを求めていたのでしょう。どうやらこういうことだということをまとめてみました。

根本は、「自分は被害を受けている人間であるからそのような人間として扱われたい」というところにあるようです。少し表現は悪いのですが、精神的ダメージを受けているとき、自分がヒロインとして扱われたいという願望が生まれてきてしまうのかもしれません。でもヒロインとして扱ってほしいという内容は、それほど大それたことではないようです。

1)自分が話したいだけ話させてほしい。少し間ができても、そっちから話し始めないでほしい。
2)新しい情報はいらない。それよりも、自分が被害を受けているということが理解できたということを自分に最大限伝えてほしい。

具体的には
→ ①じっと話を聞く。「確かに」、「そうだね。」というような②相槌を中心にする。それをしないままで、自分もこう思うという言葉の言いかえはそれほど効果はない。自分のこととして怒りだすのも、多くの場合はパラドクスの要因になる。

案外聴く方も忍耐が必要であるようです。ただ聞くのがつらい理由としては、
・ うまい解決方法を早くアドバイスしてあげたい。
・ どうして苦しんでいるのかを解説してあげたい。
・ 自分の経験を伝えてあげたい。
・ 仲間を苦しめられた自分の怒りを表明したい
・ それほど大したことではないと励ましたい。
善意の気持ちということになるはずです。しかし、こういうことは、少し冷静になってから、改めて相手の意向に従って話す方が良いようです。

また相手の話をさえぎりたくなる原因として、聞いていることが堪えられず(理由はいろいろあるでしょうけれど)、話をさえぎりたいという気持ちがでる場合も結構あるようです。辛い話を聞くだけということもつらいようです。何とか励ましたいという気持ちが、話す方からすれば自分の話を聞くことを拒否しているととらえられることがあるようです。

ダメ押しをしておきますと、
妻は、自分の発した言葉を正確な情報として相手に伝達したいわけではなく、自分の話が自分が大事にされたい人から聞いてもらい、否定されないという時間を求めているということらしいのです。

これができてから、
「なるほどそういう状況であれば、誰でもそういう気持ちになるよね」
とか
「私も同じようなことを経験したけれどその話をするかい?」
とか
「苦しいんだね。」、「辛いんだね。」、「悲しいんだね。」とか、相手の感情や言いたくても言葉に出ないところを正確に言い当ててあげる。
ということを発言するかどうかを慎重に検討を始めるということになろうかと思います。あくまでも相手の心情の確認ということになるかもしれません。

矛盾するかもしれませんが、難しく考えないことも大切だと思います。
つまり、世間では、「こういう場合は共感を示すことが大事なのよ」とかいう途中下車的なアドバイスが多いです。しかし、共感を示すとか言われても、なかなか共感をしたり共感を示したりすることは難しいことです。肝心なことは、

相手からすると、それが自分の気持ちに対しての共感だと感じられなければマイナス効果になってしまう

ということです。それよりも先に言ったことを実践するということが良いようです。被害意識がありますから、この世の中で、今は一番尊重されるべき人間は私だという主人公として扱うということなのですが、自分なりに考えずに、①黙って聞く、②最小限の相槌を打って話す内容を短く肯定していく。こういう具体的なことを先ず心掛けるべきであるようです。被害者として扱われたことに満足してからそれ以上の「言いかえ」や「言語化」の話をするべきだということがポイントなのでしょう。

こういう過敏な状態のときには、具体的アドバイスは、さらにそのあとに回す必要があり、相手がアドバイスを求めてきたときにお話をするということがコツのようです。

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謝らない妻と謝らせたい夫 夫婦間紛争に見る同居中の夫婦の典型的な行き違い 2 [家事]



離婚の相談を受けているとよくある夫側からの相談例というか愚痴のようなものとして、

「妻は明らかに自分が悪いと思っていても絶対に謝らない。」

というものがあります。あまりにもこのような訴えが多いものですから、最近私は、「あなたの奥さんだけでなく女性一般が夫にはあまり謝るということをしないようですよ。」ということも多いです。

おそらく奥さんご本人に尋ねると
そんなことは無い。私の方がいつも謝っているとおっしゃると思うのです。

おそらく夫からすると
「謝るべきところで謝らない。」
ということを言っていると考えるとどちらの言い分も本当なのだろうと思います。

ここで謝るということの意味を考えてみましょう。

1)自分が相手に迷惑をかけた事実を認める。(自分の行為が否定評価されることを認める)
2)再発を防止を約束する。
謝罪という行為は、この二つの要素からなりたっています。
(なお、反省というためには、1)と2)の間に、「自分が否定的評価をした原因を述べる」という要素を交えて3要素が必要です。謝罪会見などが炎上する理由は、この3要素がきちんと述べられていないところにあります。)

この1)と2)をきちんと表明することで、相手は、自分は迷惑をこうむったけれど、それは自分が否定評価されて攻撃をされたのではなく、自分と仲間であり続けたいと願っているという謝罪者の気持ちを受取って、
安心するわけです。

夫が妻に謝罪をしろと強く求めるときは、安心したいわけです。夫が妻との関係に不安を持っているといえるでしょう。(これらの感情はストレートには見えてきませんから、謝罪の代わりに安心しなさいよといっても状況は好転しません。)

特に妻との関係で不安を持つべき要素がなくても、謝罪にこだわる場合は、夫が正義や道徳に過剰に敏感になっているからかもしれません。職場などで不合理な扱いを受けて、自分に自信が無くなっている状態(自分がその人間関係に安心できない事情が続いている状態)であるかもしれません。

それでは、妻が謝れば夫も安心するなら謝ればよいではないかと思うのですが、妻は謝りません。どうしてでしょうか。

夫の話しから推測すると謝らない理由としては
①謝るほどのことではない
②自分だけが悪いわけではない
③謝ることで夫の自分の否定評価が定着するのが嫌だ
等がありそうです。

①謝るほどではないということ、自分は何をしても謝る立場ではないと考えているとそれは困ります。しかし、わざとやったんではないし、夫には大してダメージは無かったのだから、夫婦の間でわざわざ謝るなんて他人行儀なことをしなくても良いじゃないか。と考えることは確かにありそうです。

ただ、そういう考えならば、そういうべきなのだと思います。
「わざとやったわけではない。偶然そうなっただけだ。自分は悪意はない。」ということを言うことで謝罪の要素は盛り込まれるわけです。夫は不満は残りながら安心することができると思います。

人間関係とは、このように「相手に安心してもらう、そのために会話をする」ということのルーティーンだと思うといろいろなことがうまくいくように思われます。

② 自分だけが悪いわけではない。むしろ相手に原因がある。と考えることもよくあることです。この場合も、「こっちも悪かったけれど・・・」ということできちんと説明することが、サービスではないかと思います。再発防止を提案するのも良いですね。

③ 否定評価の定着の心配ということは厄介です。謝ってほしいという夫側の人間関係への不安と、謝りたくないという妻側の人間関係の不安が正面衝突しているからです。とくに納得できない否定評価の烙印はとても悔しくて寛容になれないこともよくわかります。
→ それでも迷惑をかけた事実を認めて、再発防止を約束するということは、逆に人間としての評価を上げることだと考える。
→ 相手に安心してもらうことによって、関係は強くなると考える。
→ むしろ謝罪を受けたい側が、このことだけ謝ってもらえればそれでよいと謝りやすい方向に誘導する。

それぞれのしでかした内容と程度、そして相手の性格を考えて、お二人の解決方法を確立することが大切でしょう。要は相手を安心させることだということです。

そして、相手が謝罪したならば、それは大いに尊敬しましょう。また、自分との仲を大切にしているということで感謝しても良いと思います。また、安心したことを伝えるべきです。
・ 謝罪があればそれ以上追及しない。
・ 謝罪に対して、「いいよいいよ」とか、「ありがとう」とか、「こっちこそごめん」とかというフォローは必須であると考えましょう。
こういう態度をとると、誤っても悪いことは起きないということを学習して、今後も謝りやすい環境を作ることになるからです。緊張感も減ってミス(謝るべきこと)も減ると思います。

安心感を与えるということは人間関係にある以上、仲間の果たすべき役割のようです。これをするのが人間の生きている意味だと考えるべきだと言ってもどうやら言い過ぎではないように思えてきています。

なお、事案をイメージ付きやすいように、夫だ妻だと言って説明してきましたが、当然のことながら逆もまた真です。夫が謝らないということだって、多くあるわけです。性別の属性ではないと思うのですが、もしかしたら謝るべきポイントが違うということがあるのかもしれません。

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夫婦間紛争に見る同居中の夫婦の典型的な行き違い 1 買い物編 [家事]


離婚事件など夫婦間紛争によく表れる男女の行き違いについて紹介します。少し極端にして説明しています。女性だから、男性だから必ずこうなるというものではありません。どちらが正しいとか優れているという話ではないことも読めばお分かりになると思います。双方が相手の行動にイラっときたときに、「もしかしてこういうことかもしれない」と理解して、暖かく見守ることができればという思いで書いています。

1 買い物編
<夫の不満>
 妻は、店に行くと、無計画に入り口から店内を無駄にくまなく歩く。それほど必要でもないものを、「安くなっていたから」、「最後の一つだから」ということで買ってしまう。買った後で家での置く場所を考えない。食べ物を腐らせてしまう。また、本当に必要なものを買う時間、吟味する時間が無くなってしまう。入口の商品に目が行ってしまって、目的の売り場になかなかたどり着かない。どうしてさっさと買い物を済ませて次の場所に移動できないのだろう。段取りができない。

<夫の不満の理由>
 買い物というのは、ある商品、あるいは、用途に適した商品を買う行為である。何か他の物を見ることをしてはならないとは言わないが、先ず目的の商品を購入してから他の商品を見るならわかるが、あまりにも無計画に行動してしまう。これでは時間を無駄にするし、計画の無かったものを買ってしまうとお金も無駄になってしまう。何よりも目的の商品を選ぶ時間が少なくなってしまい、何のためにわざわざ店まで来たのかわからなくなる。

<夫がこういうことを言うときの妻の反応>

おそらくですけれど、妻たちは、頭では夫の主張はわかるのですが、決してその通りにしようとは思わないでしょう。

「言っていることはわかるけれど、賛成はできない。」

という態度を示されることが多いのではないでしょうか。典型的な男女の行動目的の違いが表れているところだと思います。

男性は商品の購入という結果に向かって行動しているのですが、極端に言えば女性は店内を見て回るということ自体に楽しみを見出しているようです。言い方を変えたら、男性はその店にいることはそれほど楽しいわけではなく必要があるからその店にいるということになります。女性はその店にいる時間自体も楽しもうという傾向があるようです。いろいろな商品があるのを見ること、お得な商品を手に入れてお得な気分になりたいこと、商品を見ながらあれこれ評価したいこと等、その時間を楽しもうとしているようです。だから、せっかくこのように楽しいところに来たのに、どうして機械的な行動をしなくてはならないのか夫の主張が不思議でなりません。せっかちな人だ、心の余裕のない人だということになりそうです。

買いすぎたり、いらないものを買ったとしても、全く使えないようなガラクタ(夫の趣味に使う高価なグッズ)を買ったりしているわけではないですから、自分の行動がそれほど悪いことだとは思っていないようです。買いすぎて野菜などがダメになったとしても、経費の範囲であり、仕方のないことだくらいに考えているようです。つまり、商品は無駄だが、買った行為自体は、レジャーだとかストレス発散だとか、役に立つ行為だったという評価になるようです。

子どもが生まれる前ならば、夫も見て見ぬふりをしたりしているのですが、子どもが生まれた後であると、子どもが腐ったもの、カビの生えたものを食べてしまう危険があって、妻の食品ロスにはますます不寛容になってしまうようです。

<一つの提案>
夫が、買い物の目的が商品購入が90%だと考えていても、妻が95%がその時間を楽しもうとしているならば、買い物がそういうものだと割り切ることが平和な家庭を作るコツかもしれません。旅行に行ったり、テーマパークに行ったり、スポーツや音楽の鑑賞をするよりも安くつくわけですから、多少無駄があってもプラマイで言えばプラスになると考えることもできるかもしれません。無駄を責めないで、当初の目的の買い物をすることを夫が忘れずにいて、「うん、そろそろあの商品を見に行かなくちゃね。」と優しく言えれば、しっかり者で頼りがいがあると言われるわけです。

それから不思議なことは、紛争になるご夫婦は、買い物中一緒に行動する確率が高いようです。時間を決めて別行動をするという約束をして、妻があれこれ品定めをしている間、夫がベンチでくつろいだり本を読んだりすると、そばで文句を言われるよりは、妻は心行くまで品定めを楽しむことができるから、双方ストレスにならないということもあるようです。「楽しかった」と妻が言えば、「それはよかったね」と言っておけば円満な家庭が実現するわけです。

また、程度の問題はありますが、賞味期限切れの食材は、多くのご家庭で発生してしまいます。確かに無駄です。しかし、それは必要悪ないし経費として考えるべきなのでしょう。「こういうことあるよね」と言って双方が感情的にならず、静かにゴミ箱に入れることと、目くじらを立てて無駄になったことをなじることで、どちらが将来の無駄の再発を防止できるでしょうか。おそらく、無駄を出した責任が妻にあり今後このような無駄を作るなというよりも、優しく処理した方が、将来に向けての無駄は防止できるのではないでしょうか。「改善アドバイスのパラドクス」という感じでしょうか。こうするべきだからこうしろとアドバイスするよりも、「わたしたち」が無駄を作ったから、寂しく捨てるほうが、無駄を作らないモチベーションが上がるということです。改善提案は、妻に限らず、結論を押し付ける指図であるように受け止められることが多いので、それ自体がストレスになってしまいます。肝心の「何をするべきか」ということが記憶に定着しないという副作用を起こしがちです。だから、改善をアドバイスをした方が改善が進まないという矛盾が生まれるわけです。


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認知症には美空ひばりの歌声が良いらしい 記憶のメカニズムの観点からの考察 [進化心理学、生理学、対人関係学]



認知症の人に美空ひばりのCDを聞かせたり、DVDを見せたりすると、食い入るように見入ったり、認知症が軽減されることがあるという話を聞きました。これはどういうことか、誰にとって効果があるのかについて、記憶のメカニズムの勉強として考えてみました。

先ず、認知症について、少し説明します。認知症はいろいろ種類があるのですが、大事なことは記憶力が衰退してしまうということにあります。人間の記憶というのは、数秒から数分覚えているだけの「ワーキングメモリー」、ある程度の期間覚えている「短期メモリー」、記憶に定着して何年たっても思い出せる「長期メモリー」という3種類があるとのことです(論者によって分類が異なるようです)。記憶はワーキングメモリーの脳内の滞留場所から短期メモリーの蓄積場所に移り、短期メモリーから長期メモリーの蓄積場所に順々に異動するらしいです。

認知症の方と話していると、特にワーキングメモリーが衰えてしまうようです。さっき言ったことを忘れていて思い出せないとか、聞いていないとかいう場合がワーキングメモリーの問題です。入口に問題がありますから、移動もしにくくなるわけです。長いスパンの記憶が定着しないことは止むを得ません。

長期記憶については比較的定着しているので、過去の出来事については思い出すことができるようです。これに比べて最近の出来事の記憶は思い出しにくくなるようです。このため、極端な話、現在住んでいる家が10年以上もそこに住んでいたとしても、その間の記憶が思い出しにくくなり、70年前に子どものころに住んでいた家の記憶ばかりが思い出されてしまいます。その結果、ご自分が帰るべき場所だと記憶しているところにご自分がいませんから、「自分は今どこにいるのだろう。」と分からなくなる。これが識見当(見当識)が無くなる、悪くなるという現象のように感じます。根幹は記憶の問題のようです。

さて、その記憶なのですが、「あれが思い出せない」という現象が起きるのはどういうことかということなのですが、末尾の参考文献によると、記憶が無くなるというよりも「思い出すことができなくなる」ということらしいのです。

逆に言うと、記憶力の良い人は、思い出す力が優れているということらしいのです。だから、テストの暗記科目に対応するためには、覚えこむ努力をするよりも、思い出す努力をした方が、「記憶が定着する。覚えている。」という結果を生みやすいのだそうです。


現代の認知症の方々は80歳代、90歳代の方々が多いのではないでしょうか。そのあたりの年代の方々にとって、歌手美空ひばりの歌声は、多くの人が強烈に記憶に焼き付けているできごとなのでしょう。おそらく、何度も何度も歌を聞いていたし、中にはテレビやラジオと一緒に歌を何度も何度も歌っていたのだと思います。この何度も何度もということがミソなのです。

美空ひばりの歌を、反復して想起しているために、記憶に強烈に定着させることができたのだと思います。

そうすると、美空ひばりの歌を聴くだけで、比較的定着している記憶をさらに思い出すことができるし、思い出そうという意欲が生まれるのだと思います。その結果、実際に思い出しているのだと思います。

ここから先は素人の憶測です。
筋肉も使わなければ衰えていきます。記憶の喚起も、日常で記憶を喚起する必要があり、喚起していなければ、神経の接続がうまくいかなくなり衰えていくのではないでしょうか。おそらく認知症の患者さん方は、記憶の喚起(特に宣言的記憶、エピソード記憶)をする機会が減ってしまっていて、記憶の喚起の神経が作動しづらくなっているとは考えられないでしょうか。美空ひばりの歌だけでも記憶の喚起の作業をすることによって、喚起の神経の接続が良くなって、認知症が軽減するという構造だと考えることにそれほど矛盾はないと思うのです。

それにしても80歳代、90歳代の人たちにとって美空ひばりと言う人の存在は大きいものだったのでしょうね。戦争も経験され、戦後の復興も経験された方々です。大きな時代の変化に翻弄されるということもあったことでしょう。いろいろなお辛いこともあったことだと思います。そのようなストレスフルな日常の中で、テレビやラジオから流れる美空ひばりの歌声の1分から3分くらいの時間だけ、しばし苦しみや悲しさを忘れて聞き入ることができたのでしょう。情動を揺さぶられる歌声だったのだと思います。CDやDVDで本当に認知症の進行が緩やかになるのであれば、それはとてつもなくすごいことだと思います。あらためて国民栄誉賞を授与しても良いように思います。

果たして、私の10年後、20年後、食い入るように聞きほれるようなCDやDVDはあるのでしょうか。今から作ることができるでしょうか。私達や私の子どもたちが考えるべきことは、楽しいと心の底から感じて、一心不乱に没入できることを探しておくということなのだろうと思います。できるだけ早い時期に自分の好きなことを身につけておくことが、後々自分を助けることになるのだろうと思います。


参考文献 
記憶の心理学 基礎と応用 ガブリエル・A・ラドヴァンスキー 誠信書房
記憶力の招待 高橋雅延 ちくま新書



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連れ去り別居の本をみんなで作りたい [家事]



本の構成サンプル

第1部 連れ去り行為の実態

  序 連れ去り事例

  1 公文書などから明らかになる配偶者暴力相談の実態
      特徴は裏付けが何もない
       それなのに被害と妻の命の危険を認定し
       逃亡を促す

  2 連れ去りと警察の関与
      実際の逮捕事例とマスコミ報道
      警察署で任意の事情聴取を受けた事例
      ストーカー警告を受けた事例

  3 連れ去られた子どもの状態
      「自分」形成してきて、これからも形成に寄与すべきすべてを奪われていること

  4 取り残された夫の心理
      事例紹介
      自死のレポート

  5 連れ去りと裁判所
      保護命令の問題点 法律要件の逸脱
      裁判所の特別警備員の配置
      調停の理念に反した敵対的構造
      婚姻費用分担調停、財産分与の闇
         実際の住宅ローンが支払額の査定にカウントされない
         そもそも連れ去り事例で婚姻費用分担は妥当か
      面会交流が実現しない

第2部 子の連れ去りが生まれる原因

  1 連れ去り事例に多く見られる妻の疾患と体調不良
      共通要素は原因が無くても不安を抱く状態にあること
      配偶者暴力相談に依存してしまう心理

  2 離婚による単独親権というゴール

  3 合理性を主張できない日本社会の構造
      日本における子どもの人権を尊重する文化的土壌の未成熟
      実態が反映されない二項対立的な法制度と運用
      「DV」バイアスと確証バイアス
      国民のコンセンサスが無いままに進められている政策

  4 孤立家族社会と実家の役割の変貌

第3部 対策と予防

  1 対策編(裁判前) 
   帰宅して妻と子がいなくなったときにするべきこと
      警察との対応
      児童相談所との対応
      裁判所から保護命令が届いたら
      やってはいけないことと気の持ち方

  2 対策編(親子の交流、家族再生への挑戦)
      方針の想起の確立
      調停の利用方法
      書面作成の方法
      相手に何をアッピールするか
    

  3 予防編
   1)最悪の事態とは何かを知る
   2)家族の不安に対する対処の必要性
   3)家族の不安に対処する習慣とは



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片づけられない妻の子の連れ去り 癒しを求める心が子を連れて別居に向かう構造 大人の発達障害とミュンヒハウゼン症候群 [家事]



相変わらず、警察や行政が関与して妻が子どもを連れて別居するという相談が寄せられてきます。むしろここ1,2年警察の関与が増えてきているようにも感じます。

各事例の共通点は、ちょっとした身体接触や全く存在しない暴行を理由に、夫を警察署に任意で連れてゆき、あるいは出頭を求め、警察署で事情聴取をするという事案です。妻の方には傷一つ、痣一つありません。夫とは関係のない傷がいつの間にかできているというケースもありました。全く妻の話だけで警察が夫を暴行犯の容疑者扱いをするのです。恐ろしい話です。そして子どもの前の夫婦喧嘩は児童虐待だとして、子どもを児童相談所に一時保護させてしまうのです。一つのパターンが確立されているような印象すら受けます。

相談者の中には、「先に言ったもの勝ち」だと嘆く人もいますが、間違っています。男性が先に言っても、女性は容疑者扱いされません。むしろこれまでの経験からすると、夫が妻の暴力が危険になってきた(包丁やハサミを持ち出すことが典型例です)ので子どもの安全のために110番すると、逆に警察は妻の方を保護してしまうことがありました。結局警察は夫に告げずに妻と子どもを別の場所に隔離してしまいました。ある事例では、子どもがその意に反して警察によって母親とともに家から話されてしまい、母親の元で監禁状態のように身柄を拘束されてしまい、数か月を経てようやく命からがら逃げだして交番に駆け込んだという事例がありました。さすがにそこまですれば警察も母親の元に戻すということはせずに父親の元に子どもを送り届けてくれました。

その事例は、医師から妻は統合失調症疑いとされた事案でした。なるほど幻覚、幻聴のエピソードもあったのですが、詳しい話はできませんが、ある程度了解可能な幻覚、幻聴だったので、統合失調とは違うのじゃないかなと私は考えています。以下の複数の事案と共通の問題だと思っています。

この事例も、家の中の妻のテリトリーがごみ屋敷状態になっていました。

片づけられない妻の連れ去りは、比較的大きな割合を占めます。冷蔵庫には買いすぎた食材が放置されていますし、床には物が散乱していてケースにしまうということがありません。野菜が腐っているケースも多いです。

多いのは働いていないか、あるいは、仕事をしても人間関係が原因で長続きしないケースです。

そして多くが、自分で自分が片付けられないことが世間的に否定評価をされるということをよく知っています。夫が自分で片付けようとしただけで包丁を持ち出したという事案もありました。夫が面と向かって責めなくても、常に夫から責められているという意識を持ちますし、自分を夫が否定評価していると感じています。片付けのことについて何か言おうとすると、逆切れするのですが、そのことで自分が責められていると過敏になっているとすればよく理解できると思います。

それがわかっていながら、片付けるということができないようです。もちろん夫に協力してもらって片付けるという発想もありません。

夫からも夫の親族からも、あるいはママ友からも、地域からも自分は馬鹿にされているという気まずい毎日を送っているようです。苦しんでいるのです。

だから、役所に行って、あるいは警察に行って

「夫から暴力を受けているのではないですか。」、「精神的虐待を受けているのではないですか。」、「大変お辛いですね。」、「あなたは悪くありません。」、「それは夫のDVですよ。」等と気遣われてしまうと、たいへん救われるようです。ちやほやされるということに馴れていないので中毒症状が起きてしまうようです。

夫が自分に暴力をふるうとか、暴言を吐くと言えばちやほやしてもらえるので、どんどん嘘の話をしだすことがあるようです。また警察も、こんな調子で話しているにもかかわらず、疑わないで、夫を任意で事情聴取をするのです。この事情聴取は慎重に対応する必要があります。きちんと無実を説明するためにはコツがあります。安直に構えていた私の依頼者にきちんとレクチャーをして、暴力をふるっていないことがわかる事情をきちんと説明するように念を押しました。それでも書類送検されました。安直に話を合わせていたら逮捕され、どうなっていたかわかりません。その時は、不起訴になりました。検察と警察では大分温度差があるというか、警察はかなり無理をするなあという印象を受けました。妻の話だけで、それが本当だとしても暴行罪を立件できないのではないかと思われるような身体接触の事案で任意とはいえ警察署まで同行を促して事情徴収をするとは無茶苦茶な話です。

こういう片付けられない妻の夫は、概ねあきらめていて、あまり注意をしません。しかし、子どもの衛生面の問題もあるので片づけをしようとすると逆上して被害意識が強くなります。夫からすると我慢しているのに言いがかりをつけられて怒られるものですから、それは反論もしたくなります。そうすると、妻に対する暴言だ、精神的虐待だ、子どもに対する精神的虐待だと言って、警察が事情聴取をする、書類送検をする、中には罰金刑を課せられた人もいるのではないでしょうか。

とにかく片づけられない妻は、いつもは、家庭でも、PTAでも職場でも、生きづらさを感じ続けているようです。実家の親族以外に他人と打ち解けて話すということもあまりないようです。

だから、ちやほやされることがとても癒されるようです。「自分は悪くない。悪いのは夫だ。」と言われれば、自分は悪くなかったのだ。夫が悪かったのだ。自分が苦しんでいたのは夫に原因があったのだ。ということになることはわかりやすいことだと思います。たとえ、その無責任にちやほやしている人たちが、真実を知らないで話しているとしても、片付けられない妻、誰からも肯定されないと思い込んでいる妻は、それは癒されることだと思います。まるで薬物の効果が切れることを恐れて、ありもしない夫の暴力や虐待を説明するのでしょう。

聞いている側はつじつまの合わないことを言っていると感じても、「虐待されている妻は記憶が曖昧になり、自分が受けている虐待をうまく説明することができない。つじつまが合わないから嘘だと疑うことは被害者に寄り添っていないことだ。」と洗脳されていますから、先ず妻が言っていることが本当だということを前提に行動をします。

さらに、家庭の中の小さな暴力も見逃さないということから、例えば満員電車で体がぶつかったような偶発的で軽微な身体接触でも、「暴行罪」という容疑をかけ立件の可能性を探すわけです。投げやりになってすべて認められた場合は起訴される確率が高くなると頭の中に入れておいてください。できるだけ早く虚偽DV、思い込みDVに理解のある弁護士に相談をしてアドバイスを受けることをお勧めします。

ミュンヒハウゼンという精神疾患があります。病気でもないのに病気のふりをして同情を集める症状があります。私は代理ミュンヒハウゼン症候群という子どもが病気で看病が大変だと嘘をついて人々から同情を扱う事例は見たことがありますが、ミュンヒハウゼン症候群はみたことがありません。おそらくちやほやされることを求めて虚偽の夫の暴行、暴言を言う妻はミュンヒハウゼン症候群の基準を満たすのではないでしょうか。そして、ミュンヒハウゼン症候群の本質が対人関係の中で尊重して暮らしたい、安心したいという要求を病的に抱えて起きるということにあるのではないかと考えされられるケースです。

それを誘導しているのは、事実関係を吟味にしない公的な相談機関にあるということがまた大問題だと思っています。

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思い込みDV  ホームページリニューアル原稿シリーズ [家事]


1 概念
2 二つの原因
3 子連れ別居等の問題等思い込みDVによる問題行動
4 対策

1 概念
  「思い込みDV」とは主として妻が夫に対して、本当はDVが無いのにDVがあると思い込み、夫が自分に対して攻撃的だとか、嫌っているとか、低い評価をしているという強固な被害意識を抱いてしまうこと。妻は夫に本当に強い恐怖感情や嫌悪感、拒否感情を抱いている。自分の不貞を成就するためや使い込み等の露呈を防ぐことを目的とした「でっちあげDV」とは区別される。しかし、境界があいまいな場合も少なくない。

2 二つの原因 生物学的要因と第三者の吹込み
  第1の「生物学的原因」とは、出産によるホルモンバランスの変化、内分泌系の疾患、精神疾患が多く、薬の副作用や頭部外傷、傷害なども原因となる。パワハラ、セクハラ、クレーム対応など職場でのストレスも影響となる可能性もある。それぞれの事情によって機序は微妙に異なるが、理由もなく不安が生じてしまい、夫との関係に安心感を持てなくなるという特徴がある。過去の安心の記憶(家族旅行や団欒の楽しかった記憶)も失われてしまい、あらゆることを被害的に受け止め直してしまい、夫と一緒にいることに不安や焦燥感を感じてしまう。また、自分だけが損をしているという感覚が生まれていることも多い。

  第2の「第三者の吹込み」は、男女参画系の行政組織(警察、配偶者暴力相談センター等)や妻の実家、友人、精神科以外の医師等から行われることが多い。生物学的要因から被害的な意識になっている妻の感情を無責任に肯定された上、その不安や焦燥感の原因を夫の行動が原因であると指摘される。夫と一緒にいることが危険であり、離婚をすることを勧められる。離婚調停等において、妻が夫のDVによる離婚を主張する際、これ等の第三者から「それは夫のDVだと言われた」と報告するので家庭裁判所では第三者の存在が知られることになる。第三者の吹込みによって妻の不安解消要求はさらに高まり、不安解消のためというのであれば、希望の光が差し込んだように、夫が原因であるということに飛びついてしまう。

  「思い込みDV」の背景としては、妻が夫に対して強い期待を抱いている場合がみられる。夫に自分の不安を解決してほしいという強い期待がある場合や、夫から別離を切り出されることの被害妄想的な不安がある場合が少なくない。

3 子連れ別居等の思い込みDVによる問題行動
  思い込みDVと行政が結び付いた場合、妻は子どもを連れて家を出て行方をくらますか、実家での生活を始める。妻の避難先のシェルターでは、保護命令の申立用紙一式が準備され、保護命令を申し立てるよう働きかけることがある。さらには、法テラスを使って離婚調停を申し立てることがシェルター利用の条件のように言われる場合がある。さらには、元々の生物学的要因から精神的に不安定になっていることも多いためか、精神科の受診を強く求められて薬の服用を義務付けされることもある。

  行政や裁判所までも、「夫からDVを受けていなければ妻がこのような行動をするはずが無い」という単純な思い込みから、無意識に夫のDVの存在を前提とした行動をとることが少なくない。

  思い込みDVの元となる生物学的要因が放置されることになるので、家族再生には困難が伴うことが多く、面会交流についても強固に拒否をすることが少なくない。

4 対策
  対策の第一歩が夫の意識改革である。それが思い込みDVであって、妻の人格の問題ではなく、妻の夫に対する悪意を持った攻撃ではないということを理解しなければならない。ただ、頭で理解をしても感情が追い付かないことがむしろ当然であるかもしれない。

  思い込みDVの根本には、理由のない漠然とした不安がある。妻の安心感を取り戻すべく働きかけることが王道である。

  妻が子どもを連れて夫の元に戻った例を見ると、妻の生物学的要因が自然経過で解決したこと(産後うつの症状は出産後2年程度で収まることが多いとのこと)、夫が妻の不安の解消に徹したこと、妻が自分の支援者に対しての疑問が強くなった等の要因があった。
  また、別居後、離婚後の妻の支援者が、夫に対して公平な見方を示す場合、妻の嫌悪感や恐怖感が著しく減少し、必要以上の警戒感が解かれ、面会交流の自由度が拡大することが確認されている。

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離婚事件、面会交流事件の私の戦略 ホームページのリニューアル原稿 [家事]

<前の記事の続き>
そういうわけで、具体的に私に頼めばどういうプランがあるかということを
ホームページ掲げることが必要なのだと理解しました。

例えばこういう文章をすぐにみられるようにする、そして多少大雑把でも
短い文章で記載することが大切なのだろうと思います。

長々とした説明は、このブログ記事に任せることとしましょうか。
まだ長いでしょうか。


<サンプル>
家族再生のための戦略 私の方法論 面会交流が実現し、家族再生に進むために

夫婦の争いになってしまうと、双方が感情的になってしまうことは誰しも経験していることだと思います。どうしても、双方が自分にとって不合理なことが起きていて、自分を守らなければならないと考えていると、つい相手の感情を逆なでするようなことを言い合ってしまい、感情対立がエスカレートするだけです。これでは、いつまでたっても冷静な話し合いはできず、戦略が立てらえません。

どちらかが冷静になって成り行きをコントロールしなければ家族は崩壊に向かってしまいます。それを防ぐためには、感情対立の根元である「自分」を守るということを一度やめなければなりません。「自分を守る」という無意識の行動から、「自分たち家族を立て直す」という意識的行動に切り替えることがとても有効です。

つまり、「自分を含めた家族全員の状態」がどうなっているかという大きな視点で物事を見るように意識することです。例えば「現在夫である自分は妻から不合理な攻撃を受けている。不合理な攻撃を受けた自分は悔しいし頭にきている。一方妻は自分を攻撃しているが、その理由が考えてみれば自分ではよく理解ができない。何か原因があるに違いない。その原因はなんだろう。妻は事実にないことや針小棒大なことを言っているが、よくよく考えるとやっぱりおかしい。また、ずいぶん不安を感じていることは間違いがなさそうだ。不安を感じるようになった原因は何か。自分かそれ以外か。また、二人の間に挟まれて、友達からも家からも、自分からも引き離された子どもはかわいそうな思いをしているな。子どもや家族にとってベストの方法はこうだ。ベストの方法に近づくためにはこうだ。」という考え方をすることが解決を強力に進めます。

しかし、自分が今不合理な攻撃をされているのに、このように自分を守らず自分たちを守るということは感情的に難しいことです。結局ここができるかできないかが、面会交流が進むか否かの分水嶺になることが多いようです。それがわかっていても、つい自分だけを守ろうとするのが、私たち人間のようです。

つまり、家族全体の視点を意識的に持つということで打開する可能性が飛躍的に高まることはわかっているのですが、自分だけを守る視点を捨てて家族全体の視点を持つということはそう簡単なことではないということです。

私が行う第1は、家族全体の視点を持ち続けるお手伝いをすることです。

一般に思い込みDVの事案は、同居親が感情的になっていることの根元に、漠然とした不安があることが大きいです。この不安を解消するために夫を攻撃するという図式がかなりの割合の離婚紛争事案に見られます。丹念に事実関係を整理しながら、同居親の不安を解消するアプローチを進めていきます。但し、どうしても同居親の不安が軽減できず裁判になってしまうこともありますので、注意深く進めていく必要もあり難しいところです。この微妙な判断とアプローチが私がお手伝いをする第2点目です。

結局は、家族というチームを作ることで不安が小さくなるか、離婚することで不安を小さくするかという選択を同居親に求めていくことになります。別居親は目に見えない相手と同居親の安心感をめぐって綱引きをしている状態だとイメージを作っていただきたいと思います。

第3点目は、味方を増やしていき、みんなで同居親を励ましていくことです。魔法にかかっているわけではないので一度に覚醒するということは無く、少しずつ陣地を広げていくというペースでいくしかありません。

相手と面会交流が実施できるまでの信頼関係を築き、その延長線上にさらなる家族再生があるという構えでいることが肝要であるようです。

成功例から導かれたこのような大きな3つの流れを作ることが私の戦略です。

ご注意いただきたいことは、それぞれのご家庭には個性があります。相手の状態を正しく分析して個別の事情に対応していくことが大切であることは間違いありません。

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ホームページのリニューアルを始めています。 [閑話休題]

久々のカテゴリーです。
現在ホームページをリニューアルするべく、時間の合間を縫って
コツコツと原稿を書いています。

というのは、先日、弁護士業務とタイアップしようとする業者さんの話を聞いたのでした。
当事務所のホームページを見てもらっていたようでした。
一言「大変もったいない」というお言葉をいただきました。

技術的なお話ももらったのですが、
何よりも、「宣伝になっていない」というご指摘でした。

ある意味目からうろこでした。
確かに私の事務所のホームページは、宣伝の要素が全くないとは言いませんが、
それが主ではなく、
どちらかと言えば、紛争予防のために日常的に意識するべきことは何か
みたいな、ある意味一般教養のような政策意図がありました。

しかし、確かに弁護士のホームページを見る人が
一般的な生活の知恵を身に着けようなんて悠長なことを考えて検索はしないでしょう。

切実に差し迫った問題に対してどのように対応するかという状態だから
弁護士のホームページを見るわけです。

つまり現在の私の事務所のホームページは、
ニーズを持っている人のニーズに対応しきれていない
という問題点があるということになります。

一般教養は対人関係学のホームページでやればよいと割り切って
法的紛争を抱えた人にクリティカルに役に立つ情報を提供することが
弁護士のホームページの役割かもしれない
と思い直したところでした。

全体のレイアウトはほぼできましたが
地の文を書くのはなかなか骨が折れます。
いっそのこと、このブログの記事を張り付けてホームページにしようかとも思いましたが
やはり、文章を吟味して誤字脱字が無く、意味の通る文章にしようと思いなおし
原稿を書いております。



コツこととやっているので、なかなか進みません。
ゴールデンウィークころまでに完成すると良いな
と思っています。

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