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怒りの器は予め用意されている フェイスブックのフランス国旗 [事務所生活]

所用で忙しくしていて
日曜日の夕方、ようやく久しぶりにフェイスブックを除いたら
プロフィール写真をトリコロールをかぶせた形に変えた
多くの友人たちがいた。

みんながみんな協調性が高く温厚で
自分はこうはなれないという意味で尊敬しており、
大好きな人たちだった

だから、不快になったわけでも、違和感を抱いたわけでもなく
ただ、ただ考え込んでしまった。

この人たちは、
西アジア人たちが
フランスを含めた空爆で
子どもを含む戦闘員が虐殺されたとき
必ずしも抗議の意思表示をしなかったはずだ。
どうしてヨーロッパ人が虐殺されたときにだけ
抗議なり、共鳴の意思表示をするのだろうと。

言葉が通じないことはおんなじだ。
宗教が違うこともおんなじだし
私は特にどうでもよい。生粋の日本人らしい。

確かにフランスは、私自身心のふるさとで
小学校時代にポプラ社のルパンシリーズを読破し、
ランボー、ボードレールの詩集を読み、
ああ無情や、赤と黒を夢中に読み漁った
サルトルやボーボワールの活字を追った。
イラクやシリアは
地球儀で指を指すのも困難かもしれない。

しかし、
問題は、現在の報道ではないだろうか。
連日ニュースのトップはパリの惨状だ
テロが起きたのを知っていたかのような
リアルな画像が長時間流される。
新聞の第一面も山上の写真がカラーで載っている。

これに対して中東の惨状は
高遠菜穂子さん、志葉怜さん、国境なき医師団の
わずかな静止画像でしかわからない。

これでは感情移入の格差が生じることは
当たり前だろう。

また、フェイスブックでは
フランスの国旗をかぶせることは
ボタン一つできる。
簡単に意思表示できるのに
しないことは罪悪感を覚える人もいるのだろう。

シリア国旗を載せるボタンはない。
シリア国旗すらどのようなものか調べないとわからないし
シリア国旗を載せることがどれだけ正しいかわからない。

要するに、
正義感、協調性のある素直な人ほど
フランスに共感を示すシステムになっているとは言えないだろうか。

予め怒りを抱きやすく、
フランスに共鳴しやすく
怒りをIS等に向けやすく用意されているのだ。

有志国の新たな殺りくに
違和感や抵抗を抱かないように
準備されている。
当たらな罪もない子どもたちが虐殺されたり
両親や友達の殺害されるところ目の当たりにすることになることに
気にも止めないシステムが親切にも用意されている。

しかし、今回は前回とは少し異なるようだ。
日本において、
フェイスブックやブログで
トリコロールの増殖に対する違和感が
かなり多く示されている。

それが、多くの人たちに共感を持って受け止められている。
14年前とは大きく違う。

私も、自分の怒りの感情を警戒するようになっている。

これは、集団的自衛権の閣議決定と
安全保障法制の議論によって
鍛えられたからだと実感している。

そして、
テロリストが、ジャーナリストを中心に虐殺しているのは
ジャーナリストが身近にいたからだけではなく
西側の報道が西側の非道な行いを報道することを
防止するためではないかと
勘繰るようになっている。

彼らの役割は
西側で辛酸をなめている人たちの
怒りの器を用意するとともに、
真実を報道して、戦争をやめようという世論に抵抗する
勘繰りをするようになってしまった。

怒りの器を用意したのは
いずれの人たちに対してのものも
共通の勢力なのではないかと
ふと漠然と感じてしまっている


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