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青森市のいじめ防止審議会の報道発表がどうして不可解なのか、疑問を2点提示する。 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

平成28年8月に、青森の中学校で
中学2年生の女性が自死をした事件で、

「5月末で任期を終える市いじめ防止対策審議会は28日、同市内で臨時会を開いた。終了後の会見で、審議会会長の櫛引素夫・青森大学教授は、報告書原案で「1年夏から2年の初夏にかけて4件のいじめを認定している」と明らかにしたが、いじめ以外の要因がなかった-と断言できる状況を裏付ける証言は得られなかったと説明した。」
との報道がありました。

http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2017/20170529025524.asp

2点ほど意見があります。

第1は、いじめ防止対策審議会は、何を目的に調査をしてきたのかという点です。

この委員会の正確な設置要綱はわからないのですが、
おそらく、将来、いじめを無くし、
自死者を出さないための調査をして、
調査結果を報告するのが目的だったはずです。

そうだとすれば、この最終結論は極めて不可解です。

「いじめ以外の要因がなかった-と断言できる状況を裏付ける証言は得られなかった」
ということはどうして述べる必要があったのでしょうか。
私は、権限外の発言ではないかとすら感じています。

ニュースでは、いじめが自死の引き金だったと
断定することができなかったなどということも言っていたようです。
これも権限外の発言だと思います。

この審議会は、
当該事例の調査を行い
自死の危険性のある行為を提示し
何を繰り返してはいけないのか
ということを提案する組織のはずなのです。

このところを理解されていないのではないか
という疑問が出てきてます。

これが例えば、裁判の損害賠償請求の場合ですと、
いじめなどの行為と自死という結果が
一般人から見て行為と結果という関係にあることが
相当であると認められることが必要となります。

これは、その因果関係が認められてしまうと
加害者が損害賠償を支払わなければならなくなるからです。
ある程度、厳密に検討する必要が出てきます。

これに対していじめ防止の場合は、
「本来は」
もっと緩やかに自死といじめの関係を判断してよいはずです。
もっとも、あれもこれもだめだとして、
生徒たちの自由を過度に制限するようなことにならないことは必要だと思いますが、
この点はそれほど重視しなくてよいはずです。

ところが、この様な理念的な判断ができない事情が
確かにあるようです。

一つは、このようないじめ防止の審議会の
目的に関心のない人が審議委員になることです。

また、一つは、
将来の損害賠償の裁判に
審議会の調査結果が使われるのではないか
という心配をすることがあげられます。

これは、当事者にもそういう心配があり、
調査に応じたら、
自分が損害賠償を請求されるのではないだろうか、
他人の裁判に巻き込まれて煩わしいことになるのではないだろうか
等という心配があるようです。
特に加害者とされた子どもたちやその親は
調査に協力しない傾向があるようです。

私は、いじめ防止審議会の調査結果報告は、
できるだけ関係者に公表するべきであり、
そうでないといじめ防止の有効打にならないと思っています。
そうすると、個人名などは非公表として、
危険のある行為類型だけを指摘する方法が
求められるのだと思います。

良い、悪いということすら不要で、
「これからこういうことは危険だからやらないように」
というトーンにしかならないことだと
考えています。

先ずは、亡くなった子どものためにも、
損害賠償よりも、
同じ悲しみを繰り返さない
ということで徹底しなければならないと思っています。

そのためには、危険類型の解明の
積み重ねがどうしても必要だと思うからです。

学校には、
関与の範囲で
必要に応じて謝罪などがなされることが
加害者とされる子どもたちの健全な成長のためにも
必要であることを理解して指導していただきたいと思います。

実際、中学生の遺族で、
最初から、加害者を裁判所に突き出したいとか
損害賠償を請求するとか
希望している人をあまり見たことがありません。

その後の調査が曖昧だったり、
事実が隠されたり
不必要な報告がなされたりすることで、
ことさら自死した子どもに責任を帰属させるから
遺族が怒るということを目の当たりにしているところです。

発想が実態と逆なのです。

だから、自分の任務でもないのに、
いじめ以外にも原因があるかもしれないとか
いじめが自死の引き金になったと断定できないとか
余計なことにこだわるわけです。

思春期うつなどという奇想天外な理由を
どのような根拠で言っているかわかりませんが、
そういうことを言い出すわけです。

詳細はわかりませんが、
りまさんの晴れやかな写真が、
「そんな思春期うつなどではない」
と雄弁に物語っているような気さえします。

青森県では過去において
女子高生の自死が
摂食障害を原因としたものである可能性があると
奇想天外な説明をしたこともありました。

もし、審議委員の任務がいじめや自死予防ではない
というなら謝罪しますが、
いじめや自死予防のための審議会ならば、
この期に及んで、他に原因が無いとは言えないから原因が特定できないとか
引き金になっていると断定できないとか言っている段階で、
委員として適格性を考えなければならなかったのではないか
と思わせるエピソードでした。

この報道に接して
もう一つ意見があります。

いじめを4件認定したと言っています。

この審議会が認定できたということは
民事訴訟にも耐えうる証明があったということなのでしょうが、
そうだとすると、当人の精神的な苦痛を
もっと考えることができたはずです。

これができない理由もある程度考えることができます。
過労死の認定でもよくあることなのですが、
一つ一つのエピソードを個別的に評価して、
一つ一つは、良くある話であり、重い話ではない
重い話が4つあっても、全体として重くならない
という論法です。
これは、はじめから因果関係を否定するための論法なのです。

それぞれ一つ一つが重くなくても
それを生身の一人の人間が受けていたら
大変重いことになるのです。

単純に言えば、
100mを20秒で走りなさい。
50mを2分で泳ぎなさい
それほど難しいことではないのですね。
しかし、
50mを泳いで、そのままプールの入り口から
100mを走りなさい。
全体で3分でやりなさい
ということです。

できる人もいるでしょうが、
大変なことだということは誰でもわかることでしょう。

いじめの場合はもっとわかりやすいかもしれません。
ヒントは、4つのいじめエピソードは
分断していないということです。

いじめの内容は報告されていませんが、
(いったい何のための報告だったのかここにも疑問があります。予防に必要の範囲で公開しなければ意味がないのではないかと思います。)

例えば、4月にクラスで取り囲まれて悪口を言われた
5月にラインで、理由のない謝罪をみんなから求められた、
7月に一人だけクラスの行事に呼ばれなかった、
9月に、靴を隠された
ということが仮にあったとしましょう。

そうだとすると、苦痛を感じるのは、
それぞれ悪口を言われたときだけとか、
ラインに書き込まれたときだけとか
呼ばれなかったことだけとか
そういうわけではないのです。

心は分断して出来事を感じることはありません。

積み重なっていくということもあるでしょうし、
孤立感を絶望感に高めるということもあるでしょう。
大事なことは、その間一貫して
自分が仲間として認められていないという
気持ちを感じ続けるということなのです。

「また、ああいうことがあったらどうしよう。」
ということを、おそらく毎日感じ続けていたでしょう。

4つのいじめがあったとしたならば
いじめが解消された心温まるエピソードでもなければ、
その期間ずうっといたたまれない気持ちで毎日を過ごしていた
ということなのです。

そうなってくると、
個別の出来事がいじめに該当しないと思っても
本人を苦しめることが出てきてしまいます。
本人が追い込まれて悪く受け止めるようにもなります。

調査の審議会があるのであれば、
せめて、
本人が何を嫌がっていたと思われるのか
何をやめてほしいと思っていたのか、
その可能性を調査して報告するべきではないでしょうか。

いじめかどうかもどうでも良いことになるはずです。
未だにいじめと認定できるのかどうかが
マスコミの関心ごとのようで、
審議会の目を曇らす一因になっているようです。

どうやったら自死を無くすかということですが、
死ななければ良いってものではないのです。

いじめを一度受けると
何でもない些細なことでも
「あの時と同じことが起きるのではないだろうか」
という怯えが出てきてしまい、
その後の人間関係にも、重大な影響が出てしまいます。

いじめを無くすためには、
死の引き金だけを無くすのではなく、
外に自死の原因が無い場合のいじめを無くすだけでなく、
人を困らせる、いたたまれなくする行為を
全部なくすことを考えなければならないと思います。

そのためには、審議会の認定を緩やかにするとともに
そういうものだから、
審議会の調査結果が裁判の証拠にはならない
性質上、証拠として使えるものではない
ということも徹底するべきです。

何よりも、今後
同じようないじめをさせないために
何が、どのように危険な行為なのか
みんなに教えてあげるという
指導に活かす調査結果にならなければならないはずです。

それは当該学校だけでなく、
社会一般に認知されて、
他人の心に配慮するという風潮を作る必要もあるはずです。

せっかくのいじめ調査という貴重な機会が
無駄にされることだけはどうしても納得できません。


どこかで、オープンな議論がなされることを
求めてやみません。

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