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和解をする理由 裁判出したのに判決ではないの その1 [民事・消費者]

労働事件に限らず、民事事件でも、
裁判所に訴えても、ほとんどが和解をすることによって、
裁判が終わりになっています。

意外に思われる方も多いかもしれません。

これは理由があります。

第1に、裁判所は、真実を発見し、正しい結論を出すとは限らない
というところにあります。
これは、裁判官批判というわけではありません。
裁判というものは、すべての事情に基づいて真実を認定するのではなく、
裁判所に出てきた証拠から、真実を決めるからです。
証拠がなければ、勝てない。というやつです。
逆に、裁判官は、直接証拠がなくても、
出てきた証拠から、合理的に考えて、
真実を導き出そうと努力されていることが実際です。
(しかし、割り切りすぎている感がある場合もなくはないけど)

例えば、
あなたが、借りていたお金を返したとします。
領収書はもらっていません。
貸主は、返してもらっていないと裁判を出しました。
あなたが返したことを、どうやって裏付けますか?

悪徳貸金業者が、あなたに50万円貸しました。
借用書の住所と氏名押印欄に記載を求められたので、記載しました。
裁判で訴えられたとき、
金額55万円でした。
どうやって、真実に借りた金額が50万円と証明しますか?

あなたは、上司の命令で、月間40時間残業しました
しかし、タイムカードは定時に押してから、残業していました。
どうやって、残業時間を主張しますか。

こういうことが実際の裁判では、よくあることなのです。

弁護士の第一の役割は、
直接の証拠がなくても、手持ち証拠から外堀を固めていって、
真実に肉薄していく論理を構築していくことにあるでしょう。
そうやって、裁判官の気持ちを動かしてゆくのです。
しかし、裁判で勝つためには、金額に結びつけなくてはならないので、
最終的には、決め手に欠くということも
残念ながら多いのです。

相手も同様なのです。

直接証拠はない。
しかしなんとなく、自分の言っていることが、
信じてもらえていないようだ。
負けるかもしれない。

民事裁判は、というか裁判は、判決となると
常に、どちらかが負けるという特徴があります。
負けてしまえば、裁判の努力が徒労に終わり、
金銭的負担、時間的負担、精神的負担が
どっと押し寄せてくるわけです。

和解は、当初の目標からすると不本意なことではありますが、
裁判所にすべての真実が出てくるわけではないので、
和解という、保険をかけると言いましょうか。
争った効果を確かなものにするということでしょうか。

請求する方は、0は避けたい。
請求される方は、全額払うことは避けたい。

そのようなメリットが和解にはあるということが
実際のところかもしれません。

この話題は、いずれまた。


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