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科学に不可欠なのは、ヒューマニズムの視点 [事務所生活]

先日、リストカットの問題に触れて、
松本俊彦先生の論文を引用し、
リストカットは、命を軽んじて行われるのではなく、
このまま生きていくことがつらすぎる精神状態の中で、
自分の体を傷つけることで、その痛みで、
精神的苦痛が緩和される、
脳内から痛みが和らぐ物質が生成され、
血液中に流れるらしいということを書きました。

ここで、注目するべきは、
そのようなことが解明されたのは、
お医者さん方のヒューマニズムの視点が
あったからこそだという点です。

もし、リストカットそれ自体に否定的評価しかなく、
救急車で運ばれてきたリストカッターを軽蔑し、
そんなに死にたければ、中途半端なことをしないで、
別の方法で死ねばいいさ、
手首切ったって死なないよという視点で治療に当たれば、
手首の傷が治れば、
精神的ケアをせずに、
退院してもらう、あとはご自分で、
ということになっていたでしょう。

リストカットをするということは、
何か本人なりの理由があるはずだ。
生に対して正の方向での人間の行動意欲を
信じるとでもいうのでしょうか。
そういうヒューマニズムの視点がなければ、
リストカッターの精神的痛みは
見えてこなかったと思います。

「死にたいくらいつらい状況を生き延びるために」
行われていたという表現は出てこなかったと思います。

一般的な治療でも同様です。
これも以前書きましたが、
私は、交通事故のあっせん委員をしていて、
お医者さんのカルテを見る機会が多いのですが、
患者さんの痛みをきちんと医学的に取り上げていらっしゃる
先生の名前と病院をたまたま記憶していました。

たまたま転んだ時の腕の痛みがひどくなり、
近くにその先生の病院があったので、行ってみました。
腕はどんどん痛くなり、特に腕を伸ばすと、
気を失いそうになりました。
レントゲンには、骨折は写っていませんでした。

先生は、これだけ痛いのだから、折れている。
レントゲンには無いけれど折れているとして、
腕を固定していただきました。
そして、私の自宅の近くの先生を、
色々考えて、一番良い先生を選んでいただきました。
その先生も、折れているに違いない
として、同じ治療を継続していただきました。
1カ月通ったら、レントゲンに骨折が見えてきたのです。

レントゲンを信じて骨折は無いと考え、
痛い方がおかしいという態度になれば、
私は、腕も固定されず、症状は悪化して行ったでしょう。

科学的視点はヒューマニズムの視点だと、
文字通り身に染みて感じたわけです。

弁護士の仕事も、特に刑事事件は同じです。
強盗を行った人、殺人を行った人は、
どうしようもない人だ、反省なんかできない
ということになれば、
何の弁護もできないわけです。

その人なりのやむにやまれぬ事情がどこかにある
という視点に立てば、
間違いの始まりが数十年前にあったことを
見つけることができるものです。

本人が反省する契機がみつかるものです。
刑を軽くするということだけでなく、
犯罪を予防するという観点からも、
ヒューマニズムの視点が不可欠なのです。

離婚事件もやはり同じです。
一度は縁があって夫婦になった二人が、
離婚するということは、
それなりの理由があるわけで、
その理由となるエピソードが生まれた理由も
ヒューマニズムの視点がなければ
見えてきません。
相手よりいかに金銭を多くとるかということでは、
見えてこないのです。

もう一度やり直すとしたら、
どのような方法があるかということを真剣に考えた時に、
やり直せないという結論に説得力がでてくるわけです。

リストカットした人、犯罪を犯した人、問題を抱えた人を
ないがしろに考えると、真実は見えてこない。
その人の人格を尊重して初めて真実が見え、
対策が立てられるのではないでしょうか。

ヒューマニズムは、きれいごとではなく、
真実発見のための、科学の視点であると
最近思えてならないのです。


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