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認知症を学ぶ2 すべての症状が認知症だからしょうがいないというわけではないこと [事務所生活]

認知症の勉強は、
業務外でもしなくてはと思っていたのですが、
あまりにも現実的というか、他人事でないというか、
気が重かったことです。

今回、必要に迫られて新書を読んだのですが、
人間の考える仕組みが、
本当はこうなんだということが分かって、
なかなか面白く、楽しく勉強ができました。

医学的なことが整然とわかりやすく書かれてあるのは中公新書、
認知症の方のサイド、気持ちに光を当てているのが岩波新書
薬害に光を当てているのが幻冬舎新書ということになるのでしょうか。

認知症は4つの型があるそうですが、
頭の中で血管が詰まったり脳が委縮したりという、
変化によっておこる病気が認知症ということで、
今のところは私は良いです。
そういうわけで、岩波新書を中心に整理します・

ええ、そうなのと思ったのは、
我々が、認知症とかボケとか思っているすべてが、
認知症に不可避な、あきらめなければならない症状ではない
ということです。

脳の変化により不可避的な症状である中核的症状と、
必ずしも出現しなかったり、対応により軽減する部分として、
周辺的症状があるのだそうです。

中核的症状というのは、
記憶障害、見当識障害(今いつか、どこか、あなたは私とどういう関係)
行動のスムーズさが無くなる状態をいい、

これに対して周辺的症状(二次的症状)というのは、
妄想(もの盗られ)、幻覚、感情の制御不能、徘徊等等です。

周辺的症状が出るのは、それなりに理由があることのようです。
要するに、中核的症状というは認知の能力の衰えですが、
感情というか、感じる力等は衰えていないのだそうです。

要するに、記憶が無くなって、自分のいるところが無くなると、
不安になってしまう。
自分がどこにいるか、ここの場所の仕組みはどうなっているか、
確認しようとする行動が徘徊なのだそうです。
認知の衰えに対応しようとする行動なのだそうです。

自分の財布をおいた場所を忘れてしまう。
財布が欲しいのだけれど、見つからない。
不安になってしまい、
それを合理化するために、
最も身近な人が盗ったということを言いだすのだそうです。

一生懸命お世話をしていた人が盗んだと言われればショックですが、
最も身近なので、
その人しか思い出せないらしいのです。
だから、その犯人とされた人は、
本当は一番頼りにされている人らしいのです。

幻覚、幻想、作り話も、
自分が理解する力が無くなった現状を
自分なりに説明している労力らしいのです。
整合性を評価する力が無くなったというか。

50年前に離れた故郷に帰りたいというのも、
時間という観念が理解しにくくなったと思えば、
なんとなく、そうかもしれないなと思うようになるのも
不思議なことです。

この周辺的症状については、
本人の痴呆を受け入れる周囲の環境が整うことによって、
だいぶ軽減されるようです。
本人が不安を抱かず、
居心地がよく、まんぞくすればということでしょうか。

なかなか難しいことです。
一日中介護しているわけにもゆかないし。
こちらも、感情を持った生身の人間ですし。

そういう場合は、短期間にせよ施設を利用することが、
合理的な場合も多いようです。
その辺のことも、よく書かれています。
無理が一番悪いようです。

アンジェラアキではないですが、
認知症になった時の自分にあてた手紙を書きたくなりました。

おそらく私のような独善的な大将は、
他人から言われたらへそを曲げるでしょう。
だったら、自分で、あれこれ自分に指示を出せばよいわけです。

二つのハードルはあると思います。
一つは、それが自分が書いたものと素直に信じるかどうか、
二つ目は、認知症になるまで生きている幸運に恵まれるかです。

わからなくなったら、
宝探しでもするような、
リアルダンジョンみたいな
わくわくする気持ちでトイレを探せる
そんな認知症になることが私の夢です。

そのためにも、
とにかく、誰かに言われたら、
いち早くおむつをする。
おむつは、ゲームの必須アイテムだと
頭に叩き込むようにします。


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