SSブログ

目立ちがりやと目立つことを気にしないこと [事務所生活]


こどものうちですと、まだ人格が定まっていないので、
叱られることで、やってはいけないことを覚えて、
だんだん協調して生きてゆくノウハウを取得してゆけるのだと思います。

人間のプロトタイプがたくさん見られ、
子供の世界は興味がつきません。

昔はおそらく、
良くわからなかったけれど、言われたとおりにしていったと思うのです。
そうでなければ怒られたり、怖い思いをしたりするので、
それが、動機となり、
協調行動をとって行ったと思います。
そしていつしか、言われなくても
協調行動を取れるようになって行ったということがありました。

今、そのような強い圧力を、子供はあまり体験しないようです。
のびのびと育っているようです。

昔はおそらく、
将来困るからということで、
ある程度の脅迫的教育やむなしということが
行われていたのだと思います。

現代は、今現在がすべてのようで、
子供の人格ということが強調されているようです。

ところで、
極端に、協調性のない子供がいて、
授業中でも勝手な行動をして、
授業が混乱してゆくことがあります。

先生の授業に突っ込みを入れたり、
勝手に別のことを始めたり、
授業どころではなくなってしまう
級友に暴力をふるったり・・・・

めだちたがりや
という評価が為される場合があります。
目立ちたがり屋の人も中に入るでしょう。

でも、小学校までの場合は、
話を総合すると、
目立ちたいからそういう行動をしているのではなく、
自分がしたいことをしている、
他人のことを考えない、
結果として目立っているということのように
聞こえてくるのです。

協調しようという思考が弱すぎるので、
目立つことを躊躇しないということのようなのです。

奇行のように見える行動は、
目立つことを目的として行われるのではなく、
別に理由があり、
表現手段を選ばないので、
結果として目立ってしまう。

この点を見落とすと、
理由もなく奇行を繰り返すということになり、
それは、ちょっとく深刻な子供ということに
なりかねません。

暴力を振るう場合、
理由があったってなくたって、
暴力をふるうことしては深刻でしょう。
他人の痛みを気にしませんから、
手加減をしない暴力になりやすい
という困った傾向もあります。

しかし、どうも、暴力をふるうことも
理由がありそうです。
暴力自体は理由があっても駄目ですから、
それは止めなければなりません。

しかし、よくよく話を聞くと、
意識的、無意識に、
その子供に別の子供が不安を与えている
疎外を与えているということがあるようです。

こどもですから、
何らか一つのことをやることに夢中になって、
相手を傷つけることに気がつかないということは、
多く見られます。

親がそれを助長していることがあるようです。
自分の子供が相手の子供を傷つけることをしようとしているのに、
気がついても止めようとしないようなことが
どうもあるようです。
上手に対処する方法を教えれば済むことなのです。

親のせいにさせる言い訳を言わせるとか。
お母さんがだめだっていうから、
今日は学校の帰り遊べないよとか、
例えばそういうフレーズを、昔はよく聞いたいいわけです。

あのことは遊ぶな、口をきくな、無視しろ
というようなことをやらせていたら、
対象とされた子供は、激しく疎外を受け、
激しく感情表現をするわけです。

悪循環です。

そして難しい話です。

結構、大人が考えるよりも、
子供たちがうまく解決するようですが、
放置してすべてがうまくゆくわけではありません。

こんな場合、昔はどうしていたのでしょう。

相手を傷つけない行動をするよう注意するのはよいとしても、
相手のいいなりに毎日を送るわけにもいかないし、
本当に難しい。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0