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自衛隊の過労死逆転勝訴の事件の概要 こうして自衛隊員は過労死した。 [労災事件]


アメリカで4機の飛行機がハイジャックされ、
貿易センタービルやペンタゴンに激突した
9,11事件が起きた10日後、

自衛官が一人で宿直勤務中、
くも膜下出血で死亡した。享年51歳。
遺体は、翌朝出勤してきた同僚によって発見された。

被災した自衛官は、先任陸曹という役職だった。
説明するに難しいが、
学校で言えば隊長が校長なら、教頭と教務主任の兼職
役所で言えば隊長が課長なら、課長補佐
裁判所で言えば高等裁判所の事務局長、
仙台弁護士会で言えば庶務委員長。

自衛隊の部隊がプロ野球チームなら、
隊長が監督なら、ヘッドコーチ。
ただ、事務方、裏方の球団の仕事も兼務していて、さらに、
独身寮の寮長の仕事も兼務していたような任務でした。

引き継ぎ書では、何でも屋と思えと
わかりやすく記載していました。

数十名の大きな部隊ならば、
もちろん部下がいて、チームを作ってやるのですが、
その自衛官の部隊は小規模だったので、
主として一人で仕事をしていました。

さらに、部隊が定員割れをしていたので、
部隊の仕事もしていました。
野球チームなら、
ヘッドコーチが、試合にも出るような感じでしょうか。

仕事も色々な種類の仕事を一人でやらなければならず、
また、その人以外やれない仕事も多く、
部隊の統率も仕事の中なので、
質的にも量的にも激務であったことは、
自衛隊に勤務していた方ならわかると思います。

文書整理と言っても、
パソコンが苦手な50代男性にとっては、
なかなか大変なことだということは
同年代の方ならわかると思います。

このため亡くなる前1カ月の労働時間は300時間を超えていました。
私が言っているのではなく、
これは、裁判以外では自衛隊が文書で認めています。
裁判では文書があるのに、否定していました。

週40時間労働を1カ月に換算すると、
177時間くらいになります。
1カ月の残業時間が100時間を超えると
脳、心臓疾患の過労死と認定されるようになります。

300時間の労働であれば、
120時間以上の残業となりますので、
優に過労死の基準を満たします。
原告は、さらにもっと働いていたと主張していました。

特にひどかったのは、
日勤をして、連続で夜勤に入り、さらに日勤を行うという
異常な形態が被災前1カ月で6回あったことです。
本来先任は夜勤は無いのですが、
定員割れをしていたため、夜勤のローテーションに、
組み入れられていたのです。
ローテーションを作るのも仕事なので、
組み入れざるを得ないと言いますか。

先任業務をする担当が本人しかいないので、
夜勤明けであっても、仕事をしなければならないのです。
隊長が出張なら当然本人は部隊に残らなければなりません。

特に被災前10日間、同時多発テロから死亡まで、
1日も休みが無かったうえ、そのような夜勤から日勤
という無理な形態が3回もありました。

自衛隊の段階では一切言わなかった
仮眠が取れるという主張を
被告国は、裁判ではしてきました。

他の部隊なら、正式に仮眠が保証されているのです。
ところが、当時その部隊は、
夜勤勤務が一人だったので、
正式には保証されていません。

実際電報などが来ると、
サイレンが鳴って起こされ、
必要な処理をしなければなりません。
9.11以降は、テロ情報等も流れていたようです。

仮眠が取れる慣行があったとしても、
当時は特に寝ていられる状況ではないのです。

慢性的な睡眠不足があったことは間違いありません。

さらに、夜明け前に電話で起こされる訓練、
持久走や懸垂などがある体力検定、
休日の除草作業(ローテーションがきついため、
自分でやらなければならなかった)

とても、ブログでは仕事を言いつくせず、
準備書面も大量となりました。

でもよく見ると、
定員割れの中、
二人分、三人分の仕事をするという
過労死のパターンを見事に踏んでいます。

その上、9.11同時多発テロ、
その中での自衛隊の緊張が重なって、
お亡くなりになったというのが、
我々の主張でした。


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