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自衛隊の過労死逆転勝訴 許せない国の主張と原判決 日の丸を背負っているのはこちら [労災事件]

自衛官が亡くなったのは、公務の過重性によるものだと
10月28日の仙台高等裁判所の判決でようやく認められました。

この自衛官は、野球に例えると、
監督の下のヘッドコーチで、
本来投手コーチ、打撃コーチ、守備走塁コーチを
束ねるのが仕事ですが、
この部隊は人数が少なく
一人でそれらのすべてのコーチをやりながら、
選手が少ない(定員割れ)のため、
試合にも出ていたという事情がありました。

激務だったわけです。
これを高等裁判所に認めていただいたわけです。

自衛隊の場合、
過重公務の存在は3段階で認定します。
先ずは業務隊長
異議があれば東北方面総監に申し出て、
それでもだめなら防衛大臣に審査請求します。

それでだめでようやく裁判です。

業務隊長と方面総監も過重公務が原因だと認めなかったのですが、
被災前1カ月、300時間の公務を認めています。
なぜ公務ではないとしたのかというと、
メタボリック症候群だったからというのです。
わずかの血圧の数値(おおむね正常値高血圧)
体重(自衛官なので筋肉質)
腹囲(80センチを確かに越しているがその程度)
確かにメタボリック症候群に該当しますが、
メタボリック症候群なら過労死にならないというのでは、
日本人のほとんどが過労死にならないでしょう。

ともかく、300時間の公務時間を認めていたのは
こちらにとって幸運でした。

それが、防衛大臣の段階から、
確かに300時間以上基地にいたが、
概ねただ残っていただけだと
主張が変わったのです。
仕事をしないでだらだらテレビを見て同僚と話をしていたと
防衛大臣や裁判での国の主張でした。

何が許せないって、この主張が許せません。
自衛隊は仲良しクラブではないのです。
有事に備えて戦闘態勢を整える組織です。

公務が終了したら自宅で静養することも
法律上の任務なのです。
ほかならぬ防衛大臣の主張は、
亡くなられた自衛官が、このような規律違反を
犯していたという主張になります。

亡くなられた自衛官は、
昨日寮長の仕事も兼任していたと書きましたが、
若手の生活指導も正式な任務なのです。
若手と話をしていても、
上官としての任務を帯びたことなのです。

それよりなにより、
仕事も無くて、いつまでも部隊で歓談する
ということは、ありえないことなのです。

この点、一体防衛大臣は
自衛官たちをどのように見ているのでしょうか。
国民の為に身を呈して公務に従事している自衛官に対して、
だらだら部隊に残っていたということを
どうして平気で言ってのけられるのでしょう。

この点は、自衛隊側の申請の証人尋問でも、
部隊に残っている時間は働いていたという
証言を勝ち取ることができました。

防衛大臣の判断の資料を提出した人たちも、
業務隊長や方面総監の判断の時と
別の事実を言ったことはないという証言をしていました。

要するに、防衛大臣、防衛省は、
公務災害と認めたくないという理由だけで、
一生懸命公務に従事していた自衛官を
辱めたことになると、私は思います。

それだけではありません。
先任業務という過酷な任務でありながら、
一つ一つの仕事、文書整理だったり、夜勤のシフト作成だったり、
夜勤交代の立ち会いだったり、除草作業だったり、
報告書の作成だったり、演習の食事の手配だったり、
一つ一つを見ればそれほど大変ではないと言って、
総じて軽作業だったと主張しているのです。

それを一人の人間が全部一度にやらなければならないということを
意図的に外しての主張でした。

軽作業では過労死しないと、裁判でも言っていました。
これで過労死が認められたら事務員も過労死が認められてしまうと、

二重に間違っている主張です。
第1に、この自衛官の仕事は単純な事務作業ではないこと、
第2に、事務員でも長時間労働をすれば、
当然に過労死と認められることです。

しかし、仙台地方裁判所の判決も、煎じつめれば、
この軽作業の論理とメタボリック症候群を理由に
原告は敗訴したのでした。

そのほかに、
裁判でも奇妙な主張を繰り返すので、
私は大変な苦労を、無駄にしていました。

過労死の基準は、正規の勤務時間を超えた残業時間が、
被災前1カ月で100時間を超えた場合というのがあります。

この場合の残業時間100時間は、
週40時間労働を超えた時間を言います。
月31日なら177時間を超えた時間ということになります。

ところが、国は、(いいですか、本当に言っていたのですよ。)
公務時間として割り当てた時間が正規の勤務時間だと主張したのです。

要するに、月300時間が割り当てられたら、
300時間が正規の勤務時間だということを言っているのです。
300時間を超えないと残業時間とは言わないという主張です。

これがいかにおかしな主張かということに
精力を費やさざるを得ませんでした。
疲れました、精神的にも。
その挙句の敗訴です。

仙台地方裁判所の原判決で、一番おかしなところは、
この残業100時間という国の基準は、
原告も被告国ももちろん争いは無いのに、
国が基準として認めようと
裁判所は別の基準で判断すると
わざわざ宣言しちゃっているのです。
国が認めても裁判所は認めないというのです。
(何を根拠に・・・)

原告である自衛官の奥さんは、
一度はもう裁判はやめたいとおっしゃいました。
そりゃあそうでしょう。
精神誠意国民の為に夫が我が身をなげうって働いて亡くなり、
それを大元締めの防衛大臣が認めないばかりか、
まじめに働いていたわけではないと言われ、
大した仕事をしていたわけではないと言われ、
裁判所もそれに追随したわけですから。

私も弁護士をやめようかと思ったくらいですから・・・
裁判という制度自体に失望しかけたわけです。

しかし、
28日の仙台高等裁判所の判決は、
すべてをひっくり返した判決でした。

残業100時間という基準も
国の基準は、科学的、統計的な理由があるので、
参考に値するということが明記されていました。

国の割り振った労働時間が正規の労働時間なんて論理は、
「到底採用することはできない。」と
真正面から宣言していただきました。

自衛官の仕事は多忙で、
質的にも量的にも過重であったと丁寧に事実を取り上げて
認定していただきました。

メタボリック症候群があったとしても、
それによって、死亡したと断定する根拠はないと
はっきり述べられています。

死亡10日前に起きたニューヨークの同時多発テロも
公務の過重性を補強したと正面から認めていただきました。

マスコミに対して、感動的な判決だとコメントしたのは、
そういう理由からでした。

この裁判は、珍しいことに、
国の基準を原告が主張して、
国の文書に基づいて理由づけを組み立てて言った裁判でした。
しかし、原審の審理の途中で、
原告側に不利な空気が読みとれてきました。

そんなときでした。
はっきり「私」が、原告の義理の弟さん、
亡くなられた自衛官の実弟の元自衛官の方に
口に出して言ったことを覚えています。

国の基準を正確に理解して、国の言うべき主張を述べているのは、
防衛省や国の代理人ではなく、こちら側、原告側だ。
日の丸を背負って闘っているのは、国ではなく、我々だと。
心底そう思ったわけです。

それでも、仙台地方裁判所の結論は原告敗訴でした。

しかし、それもこれも、
10月28日の仙台高等裁判所の判決で、
すべて、一転の曇りなく晴らすことができたわけです。

腹にしみわたる判決でした。

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