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集団的自衛権行使を自衛隊に命じた場合の法的効力 [労務管理・労働環境]

(本稿は、集団的自衛権の憲法的評価を論じるものではありません。)

集団的自衛権の概念が明確にならないまま、
集団的自衛権の是非や憲法的評価が問題とされている。

それはともかくとして、
集団的自衛権を誰が行使するのかということは、
およそ議論がされていないのではないだろうか。
そこには、既存の自衛隊が、海外に派遣されて、
武力行使を行うということが前提になっている。

私は、この点が、法律的に疑問だと主張するものである。

もしかすると、派遣命令が、法的には無効であり、
自衛官は、個々の集団的自衛権行使の命令を拒否できるかもしれない
ということになるのではないかと考えている。

自衛官と国(自衛隊)は、民間労働者のような
労働契約があるわけではない。
特別権力関係にあるといわれている。
労働内容にしても、ある程度包括的な承認をしており、
生命身体に対する危険が伴うことも予定されている。

ある意味、人権が制約されているわけだ。
しかし、この制約も無制限に行いうるのではなく、
制度の目的を遂行するための範囲内でのみ制約される。

この制度の目的は、自衛隊法3条が明確に定めている。
現在は、周辺地などの海外で活動する場合でも、
武力による威嚇にならないこと、武力行使ではないこと
という制限がある。

集団的自衛権の内容次第ということはあるが、
現在報道されている集団的自衛権を行使するためには、
自衛隊法3条の改正が必要であると思われる。

では、自衛隊法3条を改正さえすれば、
既存の自衛官を海外に派遣し、集団的自衛権を行使しうるのだろうか。
私は、この点に疑問があるのだ。

自衛隊は、徴兵制ではない。
自らが、応募して、国が承諾して
自衛官になっている。
ここに合意の契機がある。

この点を、集団的自衛権行使を容認する人も、否定している人も
看過しているように思う。
自衛隊は軍隊ではない。
その法律的意味を考えなければならない。

要するに、自衛官は、
自国の防衛のために、我が身、わが命を捧げんとして
自衛官になった。
しかし、無制約に、自分を国家の道具として
使われることを容認しているわけではない。

自国の領土、領海、領空を防衛するための活動ということで、
その活動の危険の頻度、危険性の程度などを勘案し、
その範囲での危険を覚悟して、あるいは許容して、
自衛官に応募したのである。

採用した国も、そのようなものとして自衛隊を把握し、
自衛官応募者に対して説明しているわけだ。

これが、他国の防衛、他国の軍隊の防衛を含むとすると、
危険の頻度も、危険性の程度も
飛躍的に高まり、すでに程度の問題ではなくなるはずだ。
例えば、我が国と同盟関係にあるアメリカ合衆国の
他国との軍事活動、軍事衝突の数的情報を明らかにするべきだ。
戦死者の数も検討されなければならない。
我が国の自衛隊のそれと比較検証しなければならない。

これまで、憲法の定める平和主義のもと、
武力衝突を極力回避する外交を行っていた
その上での防衛活動の危険と
我が国以外の、独自の外交路線のある外国の
武力衝突の可能性が異なることは、むしろ当然である。

そのような我が国の防衛については同意しても、
自衛官は、
それ以外の質的に異なる危険への対応についても
包括的同意があるとは、どうしても考えられない。
ことが、命のやり取りということでもあるので、
この点の合意の契機は、厳格に考えてしかるべきである。

早い話が、
既存の自衛官にとっては、
集団的自衛権なんて
話が違う
ということになるはずだと考えるべきだ。

これは、自衛官ばかりではない。
自衛官の家族も同様なのである。

「考えるべきだ」というのは、
次のことを説明するとわかると思う。
要するに、私の懸念を国も共有するとすると
国は、自衛官に対して、
集団的自衛権に参加することの同意を取り付けるだろう。
それは、「宣誓書」という形で作成されることになると思われる。
そして、宣誓書が作成されれば、
明示の同意があるから、自衛官の合意の契機も問題とならない
と主張するだろう。

これは、労働法の観点からは誤っている。
自衛官も、労働法学でいうところの
従属労働であり、
経済的には、働かなければ生活ができない
という経済的従属性も有している。
このような場合、労働法では
労働者の個別同意が、
自由な意思表明ではなく、
結局、労働力(人間、人間性)の摩耗につながる。
このため、労働基準法を強制法規として、
形式的な合意があっても、これを無効として
労働基準法の定めを強制適用する仕組みとなっている。

このような立場が、労働者と自衛官と
どれほどの違いがあるといえるだろうか。
むしろ、命のやり取りをする自衛官こそ、
法的な保護を厚くして、
自衛官の命や健康を守らなくてはならないはずだ。

では、個別的に、一度自衛隊を解散して、
集団的自衛権行使組織をつくるのか。
それもできない。
今回の政策転換には、自衛官はなんら責任はない。
責任がないのに、解雇という不利益は加えられない。
自衛官は分限処分に該当しない限り、
身分は保証されている。
また、自国の防衛という目的は無くなっていないのだから、
自衛官の任務は存在しているはずだ。
民間的にいうと、解雇の理由は存在しない。

以上より、
仮に集団的自衛権を行使するのであれば、
既存の自衛隊とは別の組織が必要である。
また、集団的自衛権行使のために、
自衛隊の解散は、自衛官の解雇は許されない。
自衛隊とは別に、「集団的自衛隊」を作るほかないと考える。


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