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「テロに屈しない」、「自己責任論は非人道的」という「正しさ」の落とし穴。憲法9条の危機が進行している。 [事務所生活]

「テロに屈しない」これが大事だと言われれば
それはその通り、正しいと思います。
「自己責任論は非人道的だ」
と言われればそうでしょう。

感情的に反対できないところです。

しかし、なんか最近おかしい。
警戒しなければならない空気を読んでしまいます。

そもそも、戦争は、
「テロに屈しない」というところから始まるわけです。
満州事変も
張作霖が、鉄道爆破テロを行ったということをでっち上げ、
満州への武力侵攻が本格化したわけです。

第1次世界大戦も
セルビアの青年が、オーストリアの皇太子を暗殺した
というところから始まったわけです。

自己責任論の否定も
同胞の命を救出しようということや
死んでも構わないという論調を否定する
ということはよいのですが、

日本人は、日本人の命を守るために
あらゆる手段を尽くすべきだということになると
警戒が必要だと思うのです。

まず、アメリカなどは、他国に侵攻するとき
現地アメリカ人の救出ということを理由にしてきました。
自己責任論の否定が、
軍事侵攻だという場合も歴史的には多いのです。

同胞に対して冷酷になれるのは
近代国家以前の話だと主張し、
明治維新とその後の薩摩藩の
会津など東北の虐待の例を持ち出す論者もいます。

しかし、これは近代国家に必然的に起こるものではありません。
日本の歴史の中でも突出しているものです。
また、近代以降も、自由民権運動への弾圧として
政府の中で受け継がれていました。

この時、薩摩政府が否定していたのは
他の藩の住民ではなく
日本そのものです。
難しい条例を引用するまでもなく、
旧薩摩藩士、文部大臣の森有礼は
日本語の廃止を画策たことは有名です。

日本が欧米と違うということを恥じて
日本の良き伝統まで、
欧米と違うということで強制的に廃止しようとしていました。

薩摩藩が、イギリス式の軍事教練を受けていたことも
関係があると思っています。

さて、そもそも、これまで日本という国家は、
同胞が苦しんでいるとき、
苦しんでいる同胞に手を差し伸べてきたでしょうか。

日本人同士に差別がなかったどでもいうのでしょうか。

日本人の賃金が高いと言って、日本人を解雇して
中国に工場を建てるといった会社を
彼らは同胞を見殺しにするのかと非難したのでしょうか。
多くの論調は、だから企業税制を優遇しよう、
解雇の制限など労働者の権利が手厚く守られていることが悪い
という主張が横行していると思います。

どうしてこのタイミングで、国家や同胞が強調されるのでしょう。
他国人から日本人が攻撃されているからでしょうか。
そういう側面はあるのでしょう。

テロに屈しない。自己責任論は非人道的。
正しいのです。
しかし、戦争は、多くの人を不幸にする戦争は、
このような正しさの積み重ねで起きているのです。
それを歴史から学ぶべきです。

憲法9条は、このような事実を踏まえて、
国際間の紛争に武力行使をしないと定めたのです。

同胞が死の危険にさらされている、
とても、良心、感情が揺さぶられます。
正しいからです。
こういった正義感が戦争に利用されてきたわけです。

自国を守りたいという感情を利用され、
特別攻撃などという蛮行が否定されなかったわけです。

正しさこそ警戒するべきです。
同胞を無事に救出する手立てを尽くしながらも、

良心を刈り取られないようにしなければなりません。

過度な正しさには、うかつに賛同してはなりません。
いまこそ憲法9条を傍らに置いて考えましょう。

正しさの程度、射程範囲を見極めましょう。

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