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よい人間関係には癒しの効果があり、癒しこそが明日の活力になる 対人関係学の根幹 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

対人関係学的労務管理の根幹でもあり
家族関係でもそうですし、
学校運営でも言えることです。

人が人を追い込む人間関係があり、
追い込まれることによって、
自死や離婚、退職、退学
過労死をしたり
買い物、アルコール、薬物ほかの依存症になったり、
犯罪の原因にもなるのですが、

「よい」人間関係は
人を追い込まないだけでなく、
例えば家族が良い人間関係ですと
職場や学校で傷ついた心(神経、生理バランス)
をいやす効果があるという主張です。

だから、
自死を無くそうとかいじめをなくそう
という後ろ向きな目標ではなく

人間関係を助け合い、癒しの関係に転換しようと
いう目標を掲げるべきだという主張になるわけです。

まず、自死などの問題行動を起こす原因として
心理的に追い込まれたことによる
極端な思考停止(苦しみ続けるか死んで苦しみを終わらせるか等)
は、
対人関係的な危険を感じ続けることによる
慢性的な交感神経持続の結果であると主張します。

  「交感神経持続による反応群」という概念と対人関係的アプローチの提案
   http://www001.upp.so-net.ne.jp/taijinkankei/koukanjizokuhannougunn.pdf

しかし、特定の対人関係から追放されたとしても、
現代の人間は死に直面するわけではないです。

退職しても、退学しても、離婚しても
直ちに生き死にの問題にはなりません。

例えば職場や学校でいじめがあっても
家庭が「よい」対人関係を形成していたのであれば、
再出発が可能となるわけです。

現代人も、一つの対人関係での追放の予感が継続することによって
体(体の中の脳という部分)は
奈落の底に落とされかけているという反応をしてしまいます。
これは、人類20万年の記憶によるもので
現代社会では、「感覚の誤作動」ということになります。

心理学や精神医学も
現代社会を前提として考察していますが、
人間の心理的、生理的な反応様式は、
20万年の時代を潜り抜けた結果であり、
サルからの分岐は700万年前とも言われています。
この点を重視するべきだということも
対人関係学の根幹です。

家庭等核となる対人関係において
「よい」関係が形成されることによって、

学校や職場等特定の対人関係上の追放の予感が
いくつかある対人関係のうちの
一つについての不具合だ過ぎないのだという
リアルなものの見方が可能になります。

事態を正確に把握することで
必要以上の不安を抱き続けることがなくなりますから
復学や、就職に向けた活動が可能になります。

また、もともと対人関係という人間の群れは
20万年間
人間にとって安全地帯であったわけです。

一人で山を歩くことは
狼などに襲われると
全く無防備な状態でした。

比較的大型の人間が群れることで

オオカミやクマさえも
人間に手出ししにくい状況を作ることができたので
人間は群れの中にいることで安心することができました。

これを適者生存の原理に当てはめると
仲間の中にいることによって
心地よいと感じ、
交感神経が静まる人間たちが
生き残り、子孫を作ることができた
という表現になると思います。

だから、その人の現代的な人生感にかかわらず
人間は、対人関係の中にいることを実感すると
自然と交感神経が静まり、
副交感神経が高まり、
神経や血管の修復が起こり、
記憶が整理されて
安心感を獲得するように
できてしまっているということになるのだ
ということが対人関係学の主張になります。

だから、人間は、
対人関係の中で協調して存在したい
という根源的な要求を持つということになります。

また、
対人関係という群れとの一体感は
大きな力を産みます。

人間は、対人関係の中で役割を果たすことによって
対人関係の中で尊重されることを期待します。
追放される方向と逆方向に作用するということで
安心感を持つことができます。

そうすると、
「自分の群れ」という感覚になり、
群れを永続させたいという気持ちになります。

群れの中で役に立ちたいという気持ちも自然に出てくるようになります。

極端な話、
群れを守るために
即ち自分以外の群れの構成員を助けるために、
自分の命を差し出すことも起こりうるわけです。

東日本大震災の中で
これを裏付ける事例には事欠きませんでした。

群れと自分が一体的に感じられてしまうわけですね。
それによって、死の恐怖に打克ってしまう
という現象がいくつもありました。

対人関係学が東日本大震災を契機に体系づけられた
という意味の一つがここにあります。

要するに、非常時以外でこのようなモチベーションを産むためには
群れが「よい」群れになっていることが必要です。
そのような群れの中では、人々は自分の力以上の力を発揮するわけです。

さて、では、「よい」群れとはどういう群れでしょうか。
安心感を得られる群れということでしたね。
では、どういう場合安心感を得られるのでしょうか。

それは、「追放の心配がない」ということです。

どういう場合、追放の心配が起きるのでしょうか。
もちろん、攻撃されたり、不平等に損をさせられて
自分が尊重されていないという場合もそうです。

それ以外にも、自分が役に立っていない
劣っている、弱い、欠点があるという場合も不安を招きます。
また、自分が失敗した場合もそうでしょう。

こういう場合に
群れから否定的な評価を受けるのではないかと思い、
心配は高まるでしょう。

だから、

役にたたなくても、劣ったところや弱いところ、欠点があっても
あるいは失敗しても
変わらず尊重され続ける
そういう部分があっても、仲間であることには変わらない
絶対に見捨てない
ということを実感できれば、
心から自分が尊重されていると感じ、
安心感を持つことができるのではないでしょうか。

そうすることによって、
安心できる自分の群れという意識を持ち
群れのために本来の力以上の力を
自ら進んで発揮しようとする
ということになるのだと思います。

本来人間関係は
そこにいるだけで癒される関係であったはずです。
ところが、ここ数千年くらい
少しずつおかしな関係になってきているようです。

生産性の向上に伴い
富も偏在し、損をする人と得をする人が出てきてしまいました。

しかし、人間の遺伝子に組み込まれた
緊張と癒しの生理的バランスは
数万年程度では変化しないでしょう。

そこまで地球に人類が存続するかすら怪しい話です。

限られた今後の人類の歴史の中で、
本来の人間性、対人関係を取り戻すことが、
対人関係学の目的なのであります。








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