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部活に行かないことがいじめの原因になる事情について考える 仙台市中一生徒自死の報道による [自死(自殺)・不明死、葛藤]

今朝の河北新報によると
仙台市の中学校一年生の自死の原因となったいじめとして、

テストの点数の低さをからかったり、
部活を欠席したことが理由のいじめがあったとのことです。

「仮病」とか、「さぼり」とか言われて
消しゴムのかすをぶつけられたり、
ラインでも屈辱的なコラ画像入りで
「どうして部活動に出てこない」と
強い調子で責められたそうです。

部活動は、あくまでも任意の放課後の活動のはずです。

確かに、一度入った部活動ですから
行ったり行かなかったりすることはあまり好ましくなく、
苦しい練習を一生懸命やらなければ、
一段上の楽しさには到達しないかもしれません。

それはそうかもしれません。
仮に入部した部活動には、出席するべきだ
ということが正しいとしても、

他の部員の生徒から
出てこないことを叱責されるというのは「変」だと思うのです。

自分が給食のおかずが全部好きでどんどん食べている
しかし、隣の席の生徒がどうしても食べられない食材があり
それを残している。
そうした時に、
なんで食べないんだといって消しゴムのかすは投げませんよね。

引きこもりになって
学校に出てこなくなった生徒に対して
何で出てこないんだと
怒鳴り込みに行くということもないでしょう。

むしろ、いじめたとされた方が、
なぜ、そこまで部活動に出ないことで、
一人の人間の人格を否定するまで
それを非難することができたのでしょう。

ここを考えるべきです。

一つには、
自分たちが苦しくて、あるいは嫌な思いをして
毎日部活動に出ているのに、
自由にそれをさぼるのが許せない
という心理が考えられます。

一つには、
「正しい」ことの主張に隠れた
人間の攻撃性の問題があります。
「正しくない」者に対しては
容赦がない怒りを止めるきっかけがなくなるのです。

部活を欠席することは正しくない
正しくないものは責めても構わない

そうなってしまうと
その人の正しくない程度に応じた怒り
という器用な感情コントロールはできませんし、
その正しくないという評価をした人に対して
かわいそうという気持ちが起きるということは
なかなかないようです。

大津の事件で、
いじめた加害者や教育委員会が
容赦なくネットでたたかれていたことは
記憶に新しいと思います。

また一つには、
彼が部活動を欠席することの
不利益を被る、自分を守るために
彼を攻撃していたことが考えられます。

欠席者がいると、
顧問に叱られるとか

レギュラーと補欠というような代表型の協議ではなく
吹奏楽部のような全員参加型の部活動だとすると
やめるならやめてもらったほうが、
時々来て全体の演奏の質を落とすより良い
というような心理が働く場合があるようです。

この点疑問なことは
公立の高等学校でさえ
部活動の成績で、
入学に有利になったりするということです。

県大会に行けばとかベスト4に入ればとか
そういうことで有利になるらしいのです。

例えば団体競技であると
その人が大変優秀で
野球で言えばベストナインに選ばれるような人でも、
他の部員が優秀ではなく
試合にはなかなか勝てない
という場合、評価されないことになってしまいますよね。

逆に偶々他の部員が優秀で
じぶんがそこそこという場合でも
チームが優秀であれば
受験に有利になってしまう。
それは不合理ではないでしょうか。

そこで、受験に有利にしたいと考える人たちは
自分の足を引っ張る仲間を
攻撃の対象として見るようになる。

そういう「連帯責任」としての「連帯感」を利用して
「子どもたちが子どもたちを監視するシステム」を
作っているというのは考えすぎでしょうか。

平成の初期
校内暴力の対策を強化する時期と
部活動を半公式活動として
課内クラブ活動の単位を与える制度にした時期と
重なるように思われます。

そうだとすると部活動は、管理の一環ですから
管理されている生徒にとって
部活動が楽しくなくなる要素を持つことになります。

そもそも部活動の公式試合の成績が受験に有利になるならば
私的活動の成績も有利にするべきでしょう。

リトルリーグの大会での優秀者
ヒップホップの大会での優勝者

それから将棋大会、囲碁大会

一つにはきりがないでしょう。
一つには、
そういう一般的な活動をした人だけが評価されて
全国大会を組めないマイナーな競技をする人は
評価されないという不合理もありそうです。

どのような観点からも、
公立高校においては
部活動と受験は切り離すべきです。


今回のいじめの問題で
一番深刻なことは、そして確かなことは
いじめをしたとされる方は、
おそらく部活動を楽しんでいないということです。

こういってもピンと来る人は少ないでしょう。
私ですら
部活動が楽しくなくてはいけない
という考え最初はについて行けませんでした。

難行苦行の一種のように思っていました。

子どもたちに取って部活動は楽しくないようです。
楽しければ、
「楽しいから君もおいでよ」
「一緒にやろうよ」
ということになるのではないでしょうか。

お前がこないからずるい、こなくてはだめだ
という論調にはならないはずです。

しかも、いじめとして成立しているのですから、
何人かは共通して部活動の負担感を持っていたはずです。

ところが、任意で、自分が好きなことをする部活動ならば
学業との両立に悩むことはあっても、
部活動をしているときは楽しいはずです。
何かがおかしいということを
大人は気が付くべきです。

部活動が楽しく、生き生きとしてできないということは
不正常であり、何かがおかしいということです。

引きこもりの原因としても
部活動に行きたくない、学校に行っていて部活動に行かないわけにはいかない
だから学校に行かない
と訴える生徒はとても多いです。

部活動の中にいじめは多くあるようです。

もともとつばぜり合いをする年頃ですが、
昔と違って
弱い者が生まれると
集団で攻め立てる
という図式があるようです。

だれも止めないようです。

今回の報告を受けて
部活動の在り方
教育プログラムの中の位置づけ
を検討し直すべきではないでしょうか。

いじめを無くすという小さく技術的なことを
目標としていてもあまり解決にはつながらないでしょう。
せいぜい、いじめ対策担当者を配置し
外部の心の専門家を配置し、
お金をかけるだけだと思います。

学校が楽しい場所に
部活が楽しい時間に
人をかばいあうことが生きている実感を感じるように
人間関係を構築してゆく
ということを目標にするべきです。

それを阻害するものを見極めるべきです。







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