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愛国心とは何か 自然派愛国者宣言 愛国心の勧め [事務所生活]

国を愛するということと何かを誇りたいという気持ちと

私は愛国者である。
いろいろと理由がないわけではないと思うが、
一番の理由は、自分が生まれて育った国だからである。
国を愛する理由は、それで十分だと思う。

だから
国を愛するということを
毛嫌いする人とは話しが合わないのかもしれない。

ただ、
愛国者を自称する人たちの中には、
それ以上の理由や条件が必要だと考える人が
多いように感じられる。

例えば、他の民族よりも優秀な民族でなければならないとか、
戦争で負けてはならないとか
どこどこの国に、経済力で勝たないといけないとか
過去に誤りを犯さなかったこととか

何かのセールスポイントが必要だと考えているようだ。

しかし、愛するということに
そのような功利的な理由が必要だろうか
どんなに欠点や弱い部分があっても
尊重して慈しむのが愛ではないだろうか。

自分の子どもや配偶者が
完璧な人はいないだろうけれど
愛しているわけだ。

ひいきのスポーツチームだって
必ず優勝するわけではないけれど
応援し続ける。

国家が
誤りを犯さないこと
一番ではないこと
等はむしろ当たり前の話だと思う。

それでも自分の国だから
愛するのであって、
弱点があれば、
それを改善しようとするのではないだろうか。
それが自然な愛の形だと思う。

他の国より優れているから愛する
というのは、もはや愛ではないだろう。
自国の誤りや弱点を見つめなければ
国の前進もありえない。

愛する国家である以上
間違いを犯さず、他国より優秀であるはずだ
という考えは、
あまりにも幼稚である。

ただ、
先祖が築いた
我が国の良いところが
失われつつあるのであれば
それを守り育てることは
愛国者であれば当然しなければならないところだろう。

日本民族の良いところはどこだろう。
たくさんあるだろうが、私が重要だと考えるところがある。
何が重要かは人それぞれ違いがあってよいと思う。

一つには、子どもを大切にするということを
上げてよいと思う。
江戸時代に訪れた外国人は
おしなべて、子どもを大切にする日本人に驚嘆している。
しろがねもくがねもたまもなにせんや
ということである。

これは弱い者を弱さゆえに迫害しない
という価値観にあるのではないだろうか。

また、誤りを許容するということも
最高のインテリジェンスのように思われる。
日本の神話は、誤りを許容する
ヒューマニズムに貫かれている。

日本の神は過ちを犯すのである。
そもそも日本の国土自体
過ちを改善した結果生まれたと記されている

日本の良さは、
弱者を受け入れ
誤りを許容する
そんなおおらかさや

他人に無条件で親切にすることや
親身になって心配すること
なのではないだろうか。

人間だけが行う利他行為を
積極的に行い、
それで損をしたように見えても
賞賛する民族性が日本の誇りなのではないかと思う。

自分だけが得しようとすることは
何も人間だけができることではない。
餓えた動物だってできることだ。

それをむしろいやしい
と評価するのが日本の古来の民族性だと思う。

人間であることにおごり高ぶらず
自然に敬意を表し
自然から多くを学ぶことも
私が日本人であることを誇りに思うところである。

そう思うと、日本人が自らの良さを否定し始めたのは、
梅原猛先生がご指摘された
廃仏毀釈や近代社格制度という
恐れ多い業を国家が行い始めたころからだということを
改めて学ぼうと思う次第である。


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