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生きる目的がわからない、生きる意味を見失っている人が多いということについて 身近な人に役に立つということ [自死(自殺)・不明死、葛藤]

最近、あちこちで、国の内外を問わず
生きる目的がわからないとか、
生きる意味を見失ったというひとが
増えているという話を聞くことがあります。

結構私と同じくらいの年齢の人たち
定年が10年くらいで来るような
そんな人たちで、一生懸命生きてきた人に多いようです。

まず、言葉の遊びではないですが、
問題提起が悪いです。
絶対に回答が出るはずのない問題設定です。

生まれてくるのは偶然です。
何か、使命を帯びて、生まれてくるというのは神様だけでしょう。

生きるためには、目的は必要ありません。
動物だって植物だって生きているわけですが、
何か目的があるでしょうか。
ありません。

何か意味づけをしているでしょうか。
何もないでしょう。

なぜ、人間だけが特別だと考えるのでしょう。

対人関係学は、
偶然の中で生まれた命だからこそ尊いものだと考えます。
そして、生き続けようとする志向こそが絶対的に正しく
生き続けることを妨げようとする力との戦いが
美しいと考えます。

こんなことは少し考えればわかることですし、
言葉の遊びに過ぎません。

問題なのは、どうして、
生きる意味や目的を求めて、それをないことに失望するのか
ということだと思います。

それは、ずばり、
今生きていることに充実感を感じないからだと思います。
生きて、自分が取り組んでいる課題に取り組むことに
喜びを感じていないからだと思います。

対人関係学は、
人間は単体で存在する動物でなく、
遺伝子上、群れを作る動物の仕組みが備わっている
と考えます。

他者とのかかわりを抜きに、
充実感や達成感は感じにくいでしょう。

逆に言えば、
他者とのかかわりの中で
自分が尊重されて生活している場合、
充実を感じるでしょうし、
他者に大きく貢献しているという実感があれば
生きる喜びを感じると思います。

理屈の話は、対人関係学のホームページに
まかせます(このブログの左上の方にリンクがあります)

で、問題なのは、
社会や会社に貢献している人たちが
生きる目的や意味を見失っていることです。

一つのヒントは、人間の脳の許容量です。
相手の役に立つということの
その相手を仲間として認識できる人数には限界があるようです。

ヒントは、身近な人の役に立つということです。
家族だったり友人だったり、
その自分以外の人の、但し顔の見える人の
役に立つことをするということです。

自分の労力がわかられなくても喜ばしく考えることは、
鼓腹撃壌の王様に任せましょう。

感謝されることをやってみましょう。

一番簡単な、誰でもできることは
その人の弱点を許容し、
弱点を補ってあげることです。

一人でいることが苦手だという弱点がある人なら
一緒にいてあげること。
力がない人なら重いものをもってあげること。

すぐに感情的になる人なら、
こちらは感情的にならず、
ただ、おとなしく聞いてあげること。

要領の悪い人ならば
それを指摘せず、
代わってやってあげるということ。

そんな簡単なことから始めた方が良いと思います。

特に家族から離れて
自分という者があるという幻想は捨てましょう。

家族を尊重する。

そして、もし自分の努力が相手に通じて感謝されたら
それはあなたを生かすことなので、
感謝しましょう。

生きる目的、生きる意味を見失ったら
自分の身近な人を尊重し、喜んでもらいましょう。
それが、自分を大事にすることであり、
自分を大事にすることが
生きていくということの基礎なのだと思います。

そして、他人を責めない、陥れない

対人関係学からの提案です。

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