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「いいね」があなたを攻撃的に変える。SNSは、実はパワハラの構造 [労災事件]

メールの攻撃性についてかつて書いたことがあります。
相手と対面して話をしないことがその理由です。

人は、相手と話すとき、
①何か言いたいことを思いつき
②言おうという気になって
③発言するする
という段階を踏みます。

①、②、③の前に、それぞれ
相手の顔や様子を見て、
顔を見たら言わなくてもいいやと思ったり、
言おうとは思うけれど、
相手の立場を考えるとかわいそうだとか
失礼かもしれないという気持ちになって、

言わなかったり、
表現を柔らかくしたり、
一部だけ言ったりして、
言う相手と自分の関係性を保とうとするわけです。

メールでは書いているときは一人の世界なので、
相手に対する配慮のきっかけが無くなり、
躊躇なく、言い切ってしまう
という点で、攻撃を止められなくなる傾向にある
ということでした。

今回は、フェイスブックやツイッターなど
一度に不特定多数人が閲覧できるツールでの
攻撃性を検討してみます。

というのものですね、
常日頃立派なことを言い、立派な活動をされている方が
あれあれあれというような発言を
SNS上でしていることを
よく目にするようになったからです。

それは、例えば、安倍首相やオバマ大統領など
大きな人に対して批判をする場合に
多少攻撃的になることは良いと思うのです。
(「死ね」とか写真を加工して貶めるような批判は
 私は反対です。
 批判をする場合は尊敬の心を忘れずに
 というのを今心がけています。)

そうではなくて、むしろ身近な友人関係の人
友人に限らず、家族、仲間の関係にある人を
攻撃しているんです。

結構有名な人の公的発言ということで、
結構多くの人が見ていて、
その発言を見た人同士で心配したりしているのですが、
本人は、攻撃的な発言であるとも気が付いていないんです。

フェイスブックの「コメント」欄に注意を書き込むのは
顔をつぶすことになるだろうからできませんし、
わざわざメッセージで言うほどのことではないような気もします。

もちろん、攻撃的な発言は全体の中の一部なので、
「いいね」が押されていくのですが、
「いいね」を押した人も、実は引いている
ということが良くあるようです。


攻撃的な発言とは、一言で言って、
相手に対する不満です。
自分の思った通りにしてくれないということを
本人に言うのではなく、
不特定多数の人に拡散してしまっているわけです。

欠席裁判で、相手がどうしようもないうちに
一方的に評判が落ちるという刑が執行されてしまっています。
これは、気を付けないと名誉棄損の可能性も出てきます。
正しい認識に立っての批判でも不道徳であります。

それが、こういう場合、
何であなたがそこまで言うのと
そんなことを期待するのは筋違いでないの?
ということも結構あります。

実際には「ひいたよね」なんて言っている人も
「すごくいいね」なんてのを押していることもあるので、
毒舌は止まらないわけです。

また、フェイスブックやツイッターは誰でも見れるように
なっている場合があるので、
言われている相手も見ている可能性があります。

怒る人は良いですが、
委縮してしまう人や罪悪感を持ってしまう人もいるでしょう。

また、発言者の言っているとおりだ
発言者はもっともだと
相手方の事情も知らないくせに
あそこの人たちは、自分勝手だという評判も出てしまっています。

自戒を込めて、原因と対策を考えました。

原因1 ギャラリー多数派を意識しての発言
 批判する相手の事情を考えないのはメールと一緒ですが、
 むしろ、自分の想定するギャラリー多数派を想定している
 ということがあるようです。

 例えば、そのギャラリー多数派の友人を称賛するのは良いとして
 あるギャラリー少数派の人たちと比較してしまう。
 この人たち(多数派)は頑張ったのに、
 こちら(少数派)は積極的でなくて残念とか

 多数派の中でスムーズに共感できる正義、道徳、合理性、人情を
 強引に少数派に当てはめようとするわけです。
 それは多数派からは「いいね」が来るわけです。

原因2 過度の一体感
 不満も、善意からなのですが、他人は他人です。
 その人の考えかた、能力、タイミング、体力等
 期待に応えられない事情があります。

 例えば、いつも緊張の連続の人たちに
 今日は解放感に浸ってもらおうという企画なのに、
 「裏方を手伝わなかった」という批判は
 事情によっては、趣旨を取り違えたことになるでしょう。

 裏方と友人関係にある人が手伝うのは
 むしろ手伝いやすいわけです。
 見ず知らずの人を手伝ったり、
 手伝い方がわからないことを手伝うことは
 むしろ控えて当たり前なのです。
 
 グループに過度の一体感を感じてしまうと
 相手が思い通り動かないということに不満を持ってしまいます。
 独善的とはそういうことです。
 他人の気持ちを動かすことは
 とても大変なことだと自覚をするべきですし、
 別人格ということを肝に銘じましょう。

対策1
 あなたが、思わぬ批判や攻撃を受けたくない場合や、
 あなたとあなたの大事な人たちの評価を知らないうちに下げないためには、
 他人への不満はSNSでは述べないということが賢明です。
 

 善意からの発言でも、受け手、ギャラリーは
 善意からだとは感じないことも多く、
 実際に結構どぎつい表現になっています。

対策2
 誰かを称賛する場合、
 それをしない人を記事の中に登場させるべきではない。

 これは、紛争当事者の中で仕事をしている私ならではの気づきですが、
 だれかに「よりそう」とか言って肩入れしていると
 その人の周囲の人間を悪者にしてしまうことをよく見ます。
 「よりそう」以上、その人の発言の真実性やその人が感じた評価の妥当性は
 全く検討されなくなってしまうことが良くあります。
 寄り添うこと自体が攻撃になることもあるのです。

 これは、結構どこにでもあることで
 兄弟の一方を称賛して、他方がつらい思いをしているというところから
 始まったいじめもありました。

 会社でも、ひいきされている人だけが称賛され、
 一生懸命頑張っている人が相対的に低評価になる
 ということもあります。

対策3 他人を評価しない 自分を緩く構える
 もし、1と2に自信がないのであれば
 自分のことだけをアップしているべきです。
 自慢話をしても、あまり他人は傷つかないでしょう。
 嫌な奴だという評価は定まりますが。

 他人のことについて論評してしまうと
 褒めていても、何様なんだと思われているかもしれません。
 不満を書いていると、それが何十倍も思われているわけです。

 自分をそれほど大きく見せようとせずに
 緩い存在で発表すると本当に楽です。

 酔っぱらいで他人に依存して生活しています
 雑草や空を肴に酒を飲んでします
 というのが気に入っている私のキャラです。
 そこまでしなくても良いかもしれませんが。

 いやなんていうか、実は実は、
 今回の話は、パワハラの防止の話なんです。

 パワハラの典型例は、
 上司が(SNS発言者)
 部下たちの前で(ギャラリー多数派)
 特定の部下を(ギャラリー少数派)
 その人の至らないところ、不十分なところ、失敗を
 (不満=期待はずれ)
 反論を許さない状態で、一方的に指摘して
 否定的評価を下し
 その他の部下たちの明示黙示の賛同を促し
 (いいね、すごくいいね、反論のコメントをしない)
 特定の部下を孤立させ、追い込む。

 自分に「よいしょ」をする部下は称賛し、
 特定の部下は、他の仕事をさせて、
 評価につながる仕事をさせないのに、
 「それに比べてお前は」等と言う
 発言や動作を行う。


 SNSは、知らず知らずのうちにパワハラのように
 相手を追い込んでいるのかもしれません。
 もしかすると、よほど神経を使って利用しなければ
 不幸が拡散していくだけかもしれません。

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